はてなキーワード: 本生とは
昨今のお気持ち表明から、自己肯定感について語られているブログを読んだので自分なりに考えてみた。
昔少し学校で勉強はしたけど、概念的な部分のみなので知識が不足していることを前提に、そこから自分なりの考えで述べているので正しくはない。
自己肯定感とは、ざっくり言うと自分を存在価値を認知できること。
自分生きててごめんという思考が存在しない状態で、メンタルについてひどく悩まない状態で、人類を滅ぼしたいとか破壊したいという発想にならず、基本生きることに前向きでとても健康な精神を指すのだと思う。
では自己肯定感がないと
1.褒められても素直に受け取れない
2.人類はほぼ敵
多分もっとあるけど思いつくところだけ。
とても生き辛いのではやく尊厳死を認めてほしい。
1.褒められても素直に受け取れない
服可愛いね!と言われても、
いやこれ安かったし。と、なり、何故か自らを貶す方向に走る。
お世辞もわかんねーのかよクズ、と心の中で思われたくないことからの防衛反応から言うのだろう。
そこは「ありがとう!ショップで見つけて一目惚れしたんだー可愛いよねこれ!」
と返せば、ハッピー以下にはならないのに…
2.人類ほぼ敵
他人は自分を傷つけて楽しむ存在で、自分を無い物として扱うか、自身を高める為の踏み台、ヒトではなく物以下、と考えてしまう。
そのため自分を守るために他人を敵として認知するし、仲良くなった人でもいつか裏切る…と信用しきれない。
人を信じることができない自分自身にもドン引きし、自分も敵と認知してとことんメンタルを貶める。
自分さえ信じることができれば、他人が本当に敵でもワンパンで倒せるのに….
他人を評価すると自分がショボく感じる、自分の順位が下がると思い、素直に評価できない。
全て自己防衛のため。そして他人と自分が同一線上にいると思っているから起きるギミックなのだが、基本的に平行線上の話なので褒めたところでこちらが下がるとかはない。しかし脳みそが勘違いをするのだ。
以上3つのことで悩まされて心はぐちゃぐちゃ、脳は回線が入り乱れ、次から次へと自己嫌悪が積み重なり、更にはこれを抑えて日常を生きねばならないので、人間の外殻をもった祟り神状態。
はやく死にたいけど、ハッピーに成らずに死ぬのは悔しいけど、糸口が見つからない…となり救いはゼロ。
人を信用して頼ったり気持ちを吐露できれば少しは落ち着くのに…
自己肯定感がないと、人の皮を被った祟り神状態で生きねばならないと言うことだと私は思っている。
じゃあ自己肯定感とやらを高めればいい、努力が足りない と自己責任論者は言うだろう。
うるせぇ。やれたらやってるわ。
こんなに苦しいのに自己肯定感を高められないのはなぜか?
幼少期の大人との関わりで自己肯定感が芽生える、というより与えられるのだ。
幼少期に安全を感じられる環境、すべてを受け止めてくれる環境があることで、
帰る場所がある!ここなら守ってもらえるから少し怖いけど冒険にいける!
と、世界に一歩踏み出せる。
この行動が自己肯定感の礎となり、成長するごとに積み重なっていき、自己肯定感という言葉すら認知せずとも潜在的に自己を肯定できる人間になるのだと思う。
そう、自己肯定感の正体は、愛。
愛による見えないバリアで守られている状態が自己肯定感があるという状態なのではないか。
最初は関わる大人から与えられるが、次第に貰った愛を帯電できるようになり、それをエネルギーに自家発電ができるようになる。大人からの愛と自家発電した愛で自分を守ることができるようになるのだ。
もう簡単なことで、自己肯定感がないということは、上記の状態の逆を指すのだろう。
愛を帯電したり発電できない状態。
愛による基盤がガタガタで、しかも隙間だらけ。
幼少期に大人から適切な庇護を受けていない、もらえるべき愛が足りないガス欠で、ガスを入れる器に穴が空いた状態なのだろう。
愛のパワーは強いので、自らを守る愛のパワーで相殺しないと、そのエネルギーでふっとばされてしまうので、自己肯定感がない人はシャドーボクシングをするのだろう。
自己肯定感がある人は燃費の良い車で、しかも自家発電まででき、キラキラとした見た目で颯爽と道を走る。
自己肯定感がない人は燃費の悪い車で、常にガス欠、ガソリンを足してもタンクに穴が空いてたり故障している状態なので、動きはするけど速度は遅い。
というわけで、大人になってから自己肯定感を構築するのはとても大変なのだ。礎がガタガタなのだから。そしてもう方法すらわからない。
だから自己肯定感がない人は、外部の評価に依存する。自分で愛を発電できないから、外部で売っている愛に手を出してそれで隙間を埋めようとする。しかしそれは一時的なもの。燃費も悪く、しかも器に穴が空いているので継ぎ足したことろで零れ落ちる。
もうこれは愛ある人から愛をお裾分けしてもらい、それで穴を埋めていくしかない。
運は鍛えられるらしいけど、鍛え方は知らんので、もう神頼みをするしかない。
愛ある人に出会えてもそれに気づかなかったら意味がない。ああ、この人はいい人だ。と気づかなければ、愛のパワーすらただのエネルギーの塊として爆弾になる。
褒めてくれるし励ましてくれる、慰めてくれる(でも下心があったりマウント取られてんのかな)とか考えずにアホになって、その人の愛に浸ろう。
最後にしたたかさ。自己肯定感がない人は愛に飢えているからまぁ騙されやすい。それを自覚し、逆に利用してやる、くらいの気概を持つ必要がある。あまり強気すぎると自己愛性の気質が強くなるので、ほどほどに強気に、いつもの自虐を意識しながらほどほどに愛ある人の善意を利用する。
これで自分の器の穴が塞げるだろう。そうしたらお礼を言う。愛を伝える。優しいよね。素敵だね。いいやつだよ。と、さらっと。
褒めなれてないのに頑張る必要はない。少しずつ、本人を褒めるのが難しいなら持ち物を褒めればいい。そうやって少しずつお礼をしていく。
するとなんだか自分がいい人になった気がして気分がいい。そうなるといい循環ができてくるはず。多分。
最初は自分のために動くように。利用してやる気持ちで。どうせ利用し切れないで潰れる小心者なので悪人になったつもりで愛を持っている人からお裾分けを貰いにいこう。少しくらい貰っても本人にとってはなんのダメージもないだろう。
悪人がいい人の心に触れて改心するアレ。まさにそんなベタな展開に持ち込めればうまくいくのではないか。
自己肯定感がない人がちょっと自己肯定感がある人になるだけで、周りもハッピーになるはず。
周りのために、世界平和のために、できる範囲で愛のお裾分けを拾いに行ってもいいのではないか。
最後に。ここに書いてあることは持論であり、なんの裏付けもない、ただ一個人の言葉でしかないです。
自身の考えをまとめる為に利用したり、憂さ晴らしに非難することに利用してもいいかもしれません。
それにより少しでも救われる、気分が良くなることがあれば私は嬉しいです。
前回
https://anond.hatelabo.jp/20200427204859
前回からうっかり1週間近く経っていた。
というのも定規がなかったので進捗があげれないのでモチベーションが大して上がらなかった。
ので、昨日コンビニ行ったついでに定規買ってきた。
またぼちぼち再開をしていくよ。
とは言っても正直あんまり成長を感じれたのは最初の5日間ぐらいで、今は目に見えて成長が見れなくなってしまった。
気長に付き合っていきます。
定規が無かったのと目に見えた変化がなかったのであまりなかったのでまとめて記載する。
恥丘に生えている部分は徐々に伸びてきた。
しかし長さがまばらなのと、うっすら青いのも相まってなんというか自分の腹におっさんの顎が生えた、みたいな見た目になった。
正直汚い。
そういえばAVで見るパイパンはもっと綺麗な肌色だった気がしたので何故青くなるのか、と思ってググってみた。
したらば毛抜きでやるんですって。
言われてみれば確かに、と思ったのでこれからパイパンにしようと思ってる方は毛抜きでやった方がいいと思います。
びっくりしたのは、生え始めの不快感を感じる期間が終わった。
チクチクして痒い、痛いとかそういうものが何日か続くと思っており、かなり覚悟していたが、それは1・2日目ぐらいで済んだ。
思っていたよりも遥かに短い期間だった。
また、Iラインにもかなり毛が生え始めた。
とは言ってもまだ1・2ミリ程度の長さなので何も隠せないレベル。
と思って毛ガニをググったらあいつら思ってたよりも毛が長くて笑った。
まぁそこまでの長さではないけど、自分の性器が別の生命体みたいでちょっと不気味だなぁと思い始める。
ちなみに自分のIライン確認する時は、覗き込もうとしてもあんまり見えないので触るか鏡越しでチェックしている。
5月です。
定規が無いので正確なことはわからないが、5/1時点で恥丘に生えている部分は2-3ミリぐらいになったかな。
ちょっとずつ伸びている様子。
自分だけかわからないけど多分1個の毛穴から2本毛が生えている部分があってめっちゃ気になる。
顔を近づけて確認が出来ないので、単に異なる毛穴が密接しているだけなのか、同じ毛穴からうっかり毛が2本生えているのか判別がつかない。
恥丘を触ってみると、最初の頃はバリカンで剃りたての坊主頭をジョリジョリしてる感覚があって触り心地が良かったのだが、
伸びてきてしまったので初期程の触り心地ではなくなってしまった。
ただ、その分、「生えたての短い毛たちがまた毛穴に潜って毛穴じゃないところに刺さる」現象が無くなった。
なので、よほど強くガシガシ触らなければ痛みは感じなくなった。
だが、触り心地は良くない。ジレンマですね。
特に5/1~5/2と変わらないのだけど、5/2の夜中に定規を買ってきた。
帰宅した頃には日付が既に変わっていたので、5/3カウントとして測定を行う。
測定するにあたって同じ毛を測定しないと意味がないかな、と思い、5/1で記述した同じ毛穴から2本生えてるやつを測定する。
本当は毛の短い部分・長い部分も測定して平均値を出すのもいいと思うのだが、
そもそも曲面に生えているのでどれが短い部分・長い部分なのかが、測定してからじゃないとわからない。
また、恥丘に生えている部分とIラインで生えている部分は長さが違うので、可能であればそいつらも測定していきたかったが、いかんせん見えない。
あと同じ毛を測定しようにもそもそも見えづらいので目印が見つけられない。
彼氏が一緒に住んでいたら頼んで測定してもらうのだが、生憎自分達は同棲していないので無理です。
という訳で本日の測定結果です。
毛の長さ:4ミリ
こうしてみたらいいんじゃないか、とかもしあればご意見あればコメントに記述していただけると助かります。
20200508追記)
直近だと献血ポスターの宇崎ちゃんが炎上したように、ネット上ではオタクとフェミの争いというものがたびたび起きている。が、そこでのやり取りを見ているといつも議論は噛み合わず、ただただ不毛な対立が盛り上がるばかり。なぜこのようにオタクとフェミは不毛な対立をしてしまうのか。
それについて論じる前に、まず自分の立場を表明しておく。例の宇崎ちゃんポスターについて自分は「即座に撤去する必要があるほど問題のあるものではない」「が、今後において避けるのが無難と言える程度の問題は確かにある」という見解を持っている。なんともどっち付かずで玉虫色な見解だ。ただ、このような歯切れの悪さこそが大事だと確信している。というのも白黒はっきりさせるような歯切れのいい議論ばかりがなされているのがオタクとフェミの不毛な対立の大きな原因であると考えているからだ。
例の宇崎ちゃんポスターの批判者が主張する理屈は「公共性の高い場所で女性の性的側面をことさらに強調しそれをアイキャッチャーとして利用するのは女性差別的である」というものだ。この主張に向き合う上で確認しておきたいのは、この主張には程度問題、グラデーションが内包されているということだ。まず第一に公共性の高さというのがグラデーションを含む概念だが、相対的に重要性が低いのでとりあえずスルーする。より重要なのは性的な強調というのがグラデーションを含む概念だということだ。ここを意識しないとどうしても議論は不毛となる。
例のポスターにおいて宇崎ちゃんは巨乳を突き出し、煽るような表情でポスターを見る者に視線を向けている。これを性的な強調が無いとするのは難しい。というか不可能だろう。一方で露出は少なく、あからさまなエロというわけではない。この「性的な強調はあるがあからさまなエロではない」という半端さこそが騒動が拡大した大きな要因だ。もしもポスターの内容が対魔忍のアヘ顔といったような言い訳の余地のないエロだったらオタク達も批判の対象とされることに反発しないだろう。一方でポスターの内容が特殊な嗜好の持ち主以外誰も性的に感じないようなものであれば批判者が1人いても誰も追随しないので大きな騒ぎにはならない。性的な強調があると言ってもその程度には濃淡があり、薄ければ問題とならないし濃ければ問題となる。例の宇崎ちゃんポスターはちょうど問題があると思う人も多くいれば問題ないと思う人も多くいるグレーゾーンのものだったのだ。
そしてこのグラデーションへの意識をポスターを批判するフェミ側もそれに反発するオタク側も欠いていたのが不毛な対立の最大の原因だ。
SNS上ではより強い表現を使った方がウケる。フェミ側はこの件で強い糾弾調の表現を用いてしまった。世の中には本当に一切の寛容さを示さず強く非難すべき女性差別というものが存在する。例えば医学部入試での得点操作がそれに該当する。一方で女性差別的と言えるがあくまで不適切レベルでありそこまで強く糾弾しなくても良いものも存在する。宇崎ちゃんポスターはこちらだろう。グレーのはずのものを真っ黒であるかのように扱ってしまったためにグラデーションを意識した議論が成立しづらくなってしまった。
一方のオタク側の問題として大きいのがオタク達が滑り坂論法に陥ってしまったことだ。滑り坂論法とはひとつを認めるとどんどんエスカレートしていき最終的には破滅的な結果を招くので最初の一歩も認めるべきでないという論法のことで、どんどんエスカレートしていくはずであるという認識が単なる不安感情の表れでしかなく根拠を欠くため誤った議論の典型として扱われる。オタク達がこの誤った議論に陥ってしまったことにより何が起きたかというと、フェミ側の主張を完全否定してしまわなければならなくなってしまった。例の宇崎ちゃんのポスターは先に述べたように性的強調があることを否定するのはおよそ不可能な代物だが、それすらもオタク達は否定しなければならなくなってしまったのだ。そうしてオタク達はフェミ側の「女性をアイキャッチャーにするな」という主張を「結局オタクが嫌いなだけ」「フェミは巨乳を差別している」といった明らかに元の主張と異なるものに捻じ曲げ、フェミ達を悪魔化することによって「オタク=フェミに不当に攻撃される被害者」と位置付け団結する戦略に流れてしまった。もしもオタク達にグラデーションへの意識があれば、「女性をアイキャッチャーにすべきでない」や「宇崎ちゃんポスターは性的強調表現がある」といった否定しようとすると無理が生じるラインまでは受け入れつつ、とはいえその度合いは著しく不適切と言えるまでのものではないという形で反論することができただろう。しかし、滑り坂論法に囚われたオタク達の防衛ラインはフェミの主張の完全否定まで引きあがってしまい、宇崎ちゃんポスターには少しも黒い要素はない、真っ白であるというグラデーションを意識した議論を受け入れられない立場を取ることとなってしまった。これでは議論は不毛となるより他にない。
とにかく大事なのは白か黒か、0か100か、ではなく、物事にはグラデーションがあるということを意識しなければならないということだ。
ここで注意しておきたいことがある。グラデーションの存在は詭弁によって攻撃しやすい穴にもなる。その攻撃とは「基準を示せ。基準を示せないならそれはただのお前の主観でしかない」というものだ。残念なことにネット上では「それってあなたの主観ですよね?」と煽るひろゆきの画像が出回っているようにこの手の詭弁が論破テクニックとして重宝されがちだ。
しかし、基準を示せないものがすなわち主観にすぎないということは決してないし、基準を示せないならその論点は無効ということもない。
このことを考える上でハゲ頭のパラドックスを取り上げたい。髪の毛が一本も生えていないハゲ頭があるとする。ここに髪の毛を一本生やしてもその程度ではハゲはハゲのままだ。では2本目を生やしたら? やっぱりハゲだ。3本目なら? まだまだ全然ハゲのままだ。髪の毛を一本増やした程度でハゲがハゲでなくなることはない。しかし、このように一本ずつ髪の毛を増やしていけばいずれその頭はフッサフサになりハゲではなくなるはずだ。では、ハゲはどこでハゲでなくなるのだろうか?
この問題についてはっきりとした基準を示すことはできない。一応頭皮のうち髪の生えていない範囲が5割に満たなければハゲとみなすというように基準を作ることは可能だが、その基準は日常語としてのハゲの使われ方とは距離がある。頭皮のうち髪の生えている範囲が50パーセントならハゲではないが49%ならハゲというのは明らかにおかしい。
では基準を示せないならハゲという概念自体存在しないのだろうか? そんなはずはない。明らかに頭髪の薄い人がいて、それをハゲと呼ぶのはただの主観に過ぎないのだろうか? もちろん大半の人はそれをハゲとみなすだろう。ただの主観に過ぎないとは言えない。
グラデーションのあるものについてはっきりとした基準を示すことはできない。しかし、そのことは即座に客観性を欠くことを意味はしないのだ。
最後に余談となるがなぜオタクはフェミをオタクの敵とみなすのかについて自分の見解を述べる。
宇崎ちゃん騒動の発端となった太田弁護士のツイッターアカウントを見てみると、だいたいいつも自身のツイートやRTで何事かに対し怒りの表明や批判をしている。別にオタクだけが狙い撃ちで批判されているわけではない。
しかし、そういった普段の振る舞いはオタク達に広く拡散されることはない。オタクが叩かれているわけでなければオタク達は特に気にしない。例えばテレビで東大女子を排除した東大のウェイサークルが取り上げられ、それを受けてフェミ達がサークルに批判的なツイートをしたとしても、「【悲報】フェミさん、ウェイの敵だった」というようにオタク達に拡散はされない。広くオタク達がフェミ達の主張を見るのはフェミ達がオタクに関係あるものに言及しているときに限られる。こうして、オタク達の中にフェミはオタクばかり叩いているという認識が出来上がる。これはちょうどデータを見ると実際には治安が良くなっているのに、テレビで凄惨な事件がよく取り上げられるので物騒な世の中になっているように錯覚しがちというのに似ている。
かつてはビールのポスターといえばグラビアアイドルの水着だった。しかしそういったポスターは今となってはほぼ絶滅した。
今の時代、それこそ献血のような公共性の高いところでのポスターを作る場合、そこに起用されたのがグラビアアイドルであってもわざわざ批判を招くことが容易に予想できる水着ポスターにはしないだろう。普通に作れば炎上を招くようなものは避けることになる。
そんな中、唯一炎上を招くようなものが通ってしまうルートがオタクコンテンツとのコラボだ。
例えば鉄道オタクのように「〇〇オタク」というのではなく単に「オタク」という場合、現在ではこれは二次元美少女コンテンツの熱心な消費者のことを指す場合が多い。近年(というほど最近に限らないが)のオタク文化は二次元美少女と共にあり、更に言うとエロと共に発展してきた。
これは「まどマギの脚本の虚淵玄はエロゲーのシナリオライター」とか「エロさえあればなんでも許されるところでクリエイターが育った」とかそういう話ではなく、もっと直接的な話だ。ラノベを読めばなにかしらラッキースケベ的展開が用意されている場合が多いとか、異種族レビュアーズが地上波でアニメ化されてるとか、彼氏のもとに彼女とチャラ男からビデオレターが届くが実は彼氏のためを思ってのもので寝取られたわけではなかったというエロ同人ネタを前提にした漫画がツイッターでバズるとか、そんな具合にオタク文化はエロと共にある。
なのでオタクコンテンツの作り手は性的な要素を強調することでキャラクターを魅力的に見せるテクニックに長けているし、それは手癖レベルで染みついている。よって、公共性の高い団体がオタク作品とコラボしたときにオタクコンテンツの作り手が普段と同じノリで仕事をすると公共性の高さに対して相応しくないとみなされるほど強い性的強調を含んだものが世に出てしまう場合がある。もちろん悪意などなく無意識に。
また、宇崎ちゃんのように単行本の表紙がそのまま流用された結果……というパターンもある。宇崎ちゃんの場合作者が心身の不調やスケジュール上の都合のために献血コラボで描き下ろしを用意することができず最新単行本の表紙がポスターに流用された結果炎上を招く事態となってしまった。単行本の表紙は献血ポスターのように公共性の高いものとみなされないため性的強調を含んだイラストで「この作品にはエッチで可愛い女の子が出てきますよ~」と訴えて手に取ってもらいやすくするのは当然の戦略と認められるものだろう。が、それがそのまま別文脈に置かれてしまうと炎上を招くこととなってしまう。正直宇崎ちゃんの作者は運が悪かったと思う。描き下ろしを用意する余裕があれば炎上騒動に巻き込まれることはなかっただろう。かつてののうりんの炎上の件もこのパターンだ。
このように通常ではまず炎上するような表現が表に出てくることはないのに対し、オタクコンテンツとのコラボにおいては……という事情があるため、公共性の高いところでの性的強調表現がフェミに批判される事態はオタクコンテンツ絡みに偏ることになる。このことが「フェミはオタクを敵視している」という印象をオタク達に与えているのではないだろうか。
羊頭狗肉やんけ!
付き合う前か、初めてする時に確認した方がいい。基本生理じゃない夜、家でしかしたくないとか。それが嫌なら別れる、ぐらいでないと猿たちは隙あらばしようとしてくるぞ。
私は腐女子で、男性同士でアナルセックスする創作物を読むのが好き。
でも、お尻を使ってセックスするのはリスクがあるので恐くてやったことがない。
一度男性に「お尻って興味ある?」と聞かれ無理矢理指を肛門に突っ込まれたが全力で拒絶した。
腐女子がときどき受けちゃんの気分を味わいたくて自らの肛門を使ってチャレンジしているが、そんなことしなくてもいいのにと思う。
リアルゲイの人も、アナル開発が趣味の男性も、女性も肛門を使ってそういうことをするが
下手をすればオムツ生活になってしまうし、ゲイの人がアナルがゆるくなってうんこ漏らした系のエピソードを聞くとめちゃくちゃ怖いと思う。男性の同性愛者の方々はもうそういうリスクを承知でアナルセックスをしているのかもしれない。
肛門の構造を勉強してみると、肛門というのは繊細でデリケートな作りをしておりあくまで一方通行で使用するようにできていることがわかる。
私は医者ではない素人なので、詳しいことはよくわからないけど、アナルセックスをしたら歯状線がめちゃくちゃなことになるんじゃないかと思った。
肛門を使って性的欲求を解消しようと思ったら最悪オムツ生活をしなければいけないというリスクがある。
そういう危険性を考えずにお尻に太いものを入れて遊ぼうとするのはマジでやめた方がいい。
(追記)
アナルセックスをしたことがないのにアナルについて語ってんじゃねーよというご意見を頂きまして、「確かに、ごもっとも」と思いました。
私には両親からもらった大切なクリトリスもマンコもあります。性感に特化した器官というものが元々ありますから、わざわざ大腸菌だらけのお尻を使って、下準備をしてまでアナル開発をする必要がないです。アナルセックスに挑戦するリスクや手間と、アナルセックスによって得られるものが全然あってないんです。
それに、アナル処女でもBLのエロというのはすらすら書けるもので、腐女子として全然困りません。実際のアナルセックスは入り口部分しか締め付けがなくて、しかも中はマンコより広いらしいのですが
これがBLになると受けは狭いアナル全体で攻めのちんこを締め付けているように描写します。
アナルセックスだとゴム必須ですが、BLだと基本生挿入、中出しです。しかも、丁寧な下処理をしなくても受けのアナルは攻めのちんこをすんなり受け入れる。BLって腐女子の都合の良いように表現すればいい自由なジャンルなんです。だから腐女子は自らの肛門を使ってアナルセックスする必要がないし、そもそも女には前立腺がないですから男性の気持ちはわかりません。
私のアナルは一生うんこ穴として使っていきます。それが本来の役割ですから。それ以外の用途では使用しません。
それなりの知識や覚悟があってアナルを性的に使用するのはわかるのですが、リスクを考えずにカジュアルにアナルセックスをするのはいかがなものか。アナルがゆるくなってうんこが漏れて後悔する人はいないのかなと思って今回こういう文章を書いてみました。
4本生えてきていて、まずは左の上下を抜いた。身体全然伸びなかったのに髪の毛は爆裂伸びるし歯は全部生えてくる、私の栄養素配分下手すぎる。
上は真っ直ぐで歯の表面3/4くらい見えている。下は斜め向きに生えてちょこっと先端が見えている。私の奥歯は何故か尖っているのでそれが見えた。レントゲン撮ったら「顎の骨が薄いので一般の方より2倍くらい腫れる覚悟で抜きましょう」と言われた。え、怖い。
超健康体なのでメスを使う手術なんて初めて。麻酔は、昔歯の神経抜く時と二重の埋没したときだけ。怯えて「親知らず 腫れる」「痛い」とかで調べまくった。
全く腫れなかった。そして全く痛くなかった。強いて言うなら歯茎を縫った糸が頬に刺さってチクチクしたくらい。鎮痛剤も言われたから飲んだけど1日目の夜にはもういらなかった。
来月も抜くけど右側だけ爆腫れしたらどうしよう?