はてなキーワード: 教養とは
ことに未だに何か陰謀じみた解釈をつけたがる連中がいるんだな。
いい加減にしとけよ。そんなもん「日本人は英語が読めないか、読めたとしても苦手だから」以外の理由あるのかよ。そういう態度、流石に白々しいとみんな思ってるよ。
個々人の行動ではなく大衆の流れを語るときに、前提とする教養レベルを無駄に高く設定する人、典型的な上流階級仕草って感じでいいですね。その鼻に付く感じ、わざとやってるのかな。「英語読めない日本人なんて存在するわけないじゃん。だって義務教育で3年も学ぶんだよ?」ってか
そういう属人的な発想は、危ないのではないでしょうか。私が感じたのは、当初のアメリカ人のツイートでは大して話題にならなかったのに、太田弁護士が出てきたら「それ! フェミが攻めてきた! 叩け!」と、「祭り」になったことで、ゾーニングとかより「敵」を叩きたいだけではということです。 https://t.co/a7v7cH4TN7— 墨東公安委員会 (@bokukoui) November 9, 2019
まあぶっちゃけわざとやってるんだろうな。英語が読めない人、教養のない人ほどそれを認めたがらないし。しかし同時に「鼻に付く」からな。直接的に事実を指摘できないハンデを背負った状態でも無謀に噛み付いてくるもんな。愚者を煽って論破する遊びはさぞ楽しいだろう。
お酒は適度に飲んだ方が体にいいの?
などの健康に関するブログやサイトにかなりのブクマがついてるのを見かける。
こういう、どこから出てきたのかもはっきりわからない健康情報をどこまで信じてよいのか、ちゃんと自分で調べようと思っていても、そこまでの時間はなかなかとれない、と思うことが多かった。
ところで、NHKには『きょうの健康』という番組があって、たまたまそのテキストの目次を覗いたら、上記の疑問に関する記事がたくさんあったので、電子版を買って読んだ。
結論から言えば、疑問に思っていたことの答えがすべて『きょうの健康』に書いてあった。
わかりやすく、短く、しっかり医学的な監修をうけた記事が並んでいて、興味があるけど知らない情報もかなり書いてあるし、無理なく実行できる生活習慣の改善方法がそれぞれの記事にまとめてある。
テキストの定価は556円だ。
自分は生活習慣のせいで肝臓の数値が悪くなって、ほぼ一年かけて専門病院に通って、やっと薬を飲まなくても肝機能が正常化した。
精密検査を含めると、一年で払った金額は10万円を超えている。
もし『きょうの健康』の肝臓病特集に書いてある知識を持っていて、食生活を改善していれば、これほどの費用を払う必要はなかっただろう。
正確な知識を持っていて、いちど実行することは簡単だが、ずっと続けるのは結構難しい生活習慣を淡々とこなせることを、教養というのだろうと思う。
こういう教養は簡単には身につかないかもしれないけれど、予防的に健康維持をはかっていくほうがあきらかに費用が安いし、気分がいいことが、肝臓病の経験をしてみて身に染みてわかったので、『きょうの健康』でも読みながら、無理なく予防的な健康維持にシフトしていきたいと思った。
夫婦揃って「教養が最近流行り」って認識だったり、「源氏」が読めなかったり、これでも結婚してたりと、色々と凄いな…
あんなクソ長編を全部読んだのもすごいし、twitterで反応もらえる程度にフォロワーと絡んでるのもすごいし
なんか2ch初期みたいで感動した
ツイッターに流れてきたのがきっかけで、それまではタイピングが得意どころかパソコンはyoutube専用機と化していてキーボードも寿司打をやる前までは人差し指で打っていた。
自分は大学にも行ってないし、出た高校は工業高校でもちろん勉強ができなかった(別に工業高校にも頭がいいやつはいた)。なので今流行り(?)の教養なんてこれっぽっちも持ち合わせていない。日本史なんて勉強してなんになるの?と思っている人間の一人だった。
けど、寿司打をやってちょっとそういうことにも興味を持ち始めた(暗記などは相変わらず苦手なままだが)。寿司打をやっているとたびたび意味、読み方のわからない単語が出てくる。その中には有名なお菓子源氏パイもあった。さすがに商品自体は知っていたが恥ずかしながらずっと「げんしパイ」と読んでいた。そのセットのタイピングが終わった後、「そもそも源氏ってなんだよ」と思い「源氏」について調べてみた。するとなにやら昔のお偉いさんらしい。源氏物語というのも検索候補にでてきたので調べてみたら、日本最古の長編小説(!)と出てきた。こんな事実周りにいる人は知らないだろうと当時は本気で思っていたので、妻にそのことを自慢げに語ったら「いや小中学校でやったじゃん」と返された。え、まじ・・・?なにも覚えていない・・・。図書館においてあるだろうから読んでみたら?と本人は冗談のつもりで言ったらしいが、なんかくやしかったので人生ではじめて本を借りに行った。人生で本を借りたことなどなかったので正直とても緊張してしまった。
結果・・・とても面白かった。なにがどう面白かったのか語彙力がないなりに書きたいが、ツイッターに感想をツイートしたらここ間違っていますよと指摘されてしまって(とてもありがたいことだが)、それがこわいので今回は書かないことにする。なにより、自分がこんなに長い物語を読み切ったことが一番衝撃だった。読み終わった後は、同じコーナーにあるものを読み漁るようになり、妻に「なに?最近はやりの教養ってやつ?(笑)」と言われてしまった。正直教養の意味はよくわからなかったのだが、古いものを読むことなんだろうと勝手に自分の中で決めた。
高校でも古典なんてものはやったが、内容は何も覚えていない。こんな面白いものなら授業をまじめに受ければよかったと少し後悔もしている。皆さんもタイピングゲームをして源氏物語をよんでみてはいかがであろうか。
増田は読解力がなさすぎやで。
「おそらくその人とわたしは、長期的なお付き合いをするに向いていない。撤退する判断がわりあいに早くできるので、わたしは男の人にその質問をするのを好んだ。」
「この歳になってありありと感じるけれど、」
・ラインのみでつながる男性との「出会い」を多数こなしていること。
ぐらいのことは十分読み取れるで。そして、
そのエピソードを近日中に女友達にシェアする運びとなるが、数日に及ぶサミットをもってしても「わかるわー」「めっちゃキモい笑」「モテないんだろうな笑笑」という結論しか出てこず
といったくだりからは、この人と周りの女友達の社会的立場や人間性(直接会ってではなく、ラインなどで数日間ネタにするということは、平日の日中はお互いそれなりに用事がある=おそらく社会人、そして、内容を見ればわかる通り社会人としては底の浅いネタ会話など)を見て取ることができる。その行動と、高校時代の振り返りを見れば、この人が学生時代クラス内でどのような立ち位置だったかということもおよそ推察がつくやろ。
このような内面性にも関わらず、相手の執心を見れば、この女性がそれなりの容姿をしてるやろということも大体想定されるし、それなりに見栄えにきをつかう一方で内面的なことには興味がなく、磨く努力をしてる様子もないことは知識レベルが高校で止まってるあたりからも想像できる(国語の資料集で茨木のり子扱う学校ならそれなりには進学校やろし一応四大にはいってる設定やろ。でも、出てくるのが「高校の資料集で見た」発言やとしたら、そこから知識レベルが一歩も進んでおらず大学で学んだ何の教養もこの人にはろくに残ってないことがわかる)。
というわけで、オレが書いたのは全部ただ「元増田の想定した『語り手』像」やで。もう少し言えば、書き手である元増田の意図もここから透けて見える(語り手をこのような人物として造形したのはおそらく炎上して叩かせたい、それを見てスッキリしたい、まあ一種のミソジニーやろ)わな。この程度のことは、普通にセンター小説の正解選択肢選ぶくらいの読解力があればわかる話やで。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/togetter.com/li/1421446
最近の自己責任論に辟易してる。自分も寝食以外ほぼすべて仕事の学習とかに当ててるので周りに比べて結構裕福になってきた。努力目線で言うと、正直周りはよく遊んでる暇あるなと思う。遊んでるから、遊んでる程度実力になるしその程度のお賃金になっている。しかしその遊びが将来実を結んだりしてる人もいるので遊びも否定するわけでもない。私は今は一旦遊ばない人生を選んで仕事に集中してるだけで、遊びのない人生はクソだと思う。
Daigoや堀江等の最近の自由主義はまぁ本当に頭が狂ったくらいに働いて勉強しまくって人によっては離婚したりモラハラしたりしながら人生にブーストをかけることで短期に成功を収めている。自己責任論が強まる国内で彼らが一定数支持を得るのはまぁ必然な気もする。みんな裕福じゃなくなってきてるからワンチャン勝ち取った彼らの言葉が眩しく見えてくるんだろう。
しかし彼らはそもそも努力出来る環境が既にある状態が恵まれていることについて盲目になっている気がする。親ガチャと言われるくらいに私達の人生というのは自立するまで親の性能によって左右される。良い仲間に出会えるか、良い学習塾に通えるか、治安の良い地域に住めているか、この辺は親のスペックにかかってる。親が無教養だったり家族関係がクソだったり、そもそも貧乏だったり。等々。自立するまでにここが糞だった場合を自己責任論者たちはかなり軽視している気がする。親の介護しながら努力できるだろうか。家族に虐待されながら努力できるだろうか(家から出ろと彼らは無責任に言うが、なぜまず家を出るなんて普通の人が考えなくても良い負荷を人生に負わなきゃならないのか)自由主義者たちは機会が平等だと言う。そりゃ機会は平等だ。機会しか平等じゃない。自由主義者達にとって当たり前の圧倒的努力をするというスタートラインにすらまず立てない状況の人が居ることを彼らはなぜか否定する。そこすら自己責任にすり替える。「いやいやもっと頑張ってる奴がいる」「もっと大変だけど成功したやつがいる」特異例ばかり取り上げる。
努力論結構。私も努力は好きだ。だけど努力できる土壌がようやく整ったから実感できてるだけ。私は家庭で18年間かなりのネグレクトを受けてきた。努力が何度も踏みにじられてきた。ずっと無気力で空虚な人生だった。周りは頑張りを認められますます頑張って良い仲間を作り良い学校へ行った。自立して何もかもゼロからスタートした。周りから圧倒的に人生出遅れた感が本当に辛かった。まるごと18年、後方から自己責任論者の背中を見ながら走ってる。今日も自己責任の世界で。
もう疲れた。
オタを続けて30年以上になるが
***
レイアース(1994年の作品)に『おっさんホイホイ』のタグを
つけるべきか否かで論議があったらしい
現在、けいおんがすでに10年前の2009年、ハルヒの2度目のアニメ化も同年
さすがにその辺を「最近」と思うようでは
ボケていると言われても仕方あるまい
それは最低限自覚ある
10代20代にとって7、8年といえば相当に長い年月なのは体験上わかる
「本年度の前の4半期のアニメ」なんだろうけど
放送期間が1クールとか決まっているアニメはともかくゲームの場合、
渋や同人誌で見る二次創作は、発売から2、3年は引っ張る場合が少なくない
スマホ配信物ならスタートから何年か過ぎてもサービスは継続する
***
昨今は作品数が増えすぎてオタも最新を追いかけるのに疲れてきたためか
ラブライブはすでに9周年、艦これのスタートが2013年ですでに6年
FGOのスタートは2015年だから、ぎりぎり20代にも「最近」かも知れない
最初のFate/stay nightの発売が2004年(15年前だ)
もはやFGOの客の大部分は最初のFate/snなんか知らないとも言われる
(ウルトラマン80を見ていた世代にとっての初代マンみたいなものだ)
ところが、最新のヘブンズフィールの映画に大量に客が入ってるという
(その観客の大部分は30代以上のFate/snプレイ世代なのか?)
はたまた東方も細く長く廃れずに続いているように見える
一時期は艦これに客を取られてさんざんオワコン呼ばわりされたが
現在も秋葉原の同人扱い店に行けば大きなコーナーが存続している
最盛期はニコ動で盛んに取りあげられた2007~09年ごろだったのではないか
今の20代以下には、東方の新作も「懐古厨おっさん向けのコンテンツ」なのか?
(2000年ごろまでなら、たとえばファーストガンダムを観たことない世代でも
「基礎教養」だと思って遡って観るような空気があったと思うのだが…)
***
このようなことで悩む時点でもう致命的に感覚がオサーンなのだろうが
実際に今の20代以下オタの感覚で「最近の作品」の定義はどうなるのか気になる
20代以下のオタの中でも、「最近の作品」の定義を1年未満と考える者もいれば
2、3年と考える者、5、6年ぐらいと考える者などバラバラなのかも知れないが
【追記】
これ、ブコメで多くの人が指摘しているように、40代50代ぐらいになると
10年前がついこの前みたいに錯覚するようになる問題もさることながら
ことオタ分野に関しては、1クール3か月そこいらで消費されるコンテンツと
色んな人の考えを聞いてみたい。
そうよ?
数千人がね。
逆にこんなのにすら君は勝てないの?
君にいくら払われているんだい?
それが君の現実なんだろ笑
https://twitter.com/kazukichi3110/status/1185511859912237056
そもそも、それが「汚い」という感覚な時点で稼げる経営者からしたら
「お察し」
なんだよね〜
まぁ、そんな人達が多いから稼げる人達は稼いでいってそういう人達を上手く使って経済回しているわけでね
https://twitter.com/kazukichi3110/status/1185514209477480449
金に疎いバカばっかだな笑
一生やってろよ笑
https://twitter.com/kazukichi3110/status/1185528580618375168
ごめん、頭にウジ沸いてるのに君より数十倍良い生活しちゃってるわ、、
なんでなんだろうね、、
https://twitter.com/kazukichi3110/status/1185537197505531905
いや、君ら頭の弱い人々に自慢したいなと思ってさ笑
ロールスもベンツのS63longもあるよ〜
ごめん、何が効いてるのかはよく分からない、、
https://twitter.com/kazukichi3110/status/1185763795613806592
どうすればここまでアレになれるのか、まったく完全にわからない。
嘘でそれを演じようと思っても、無意識に常識とか良識が邪魔をして、ここまで下品にはなれない気がする。
ネトウヨとかツイフェミとか、自分(これを書いている俺)から見て不思議な人種はネットにたくさんいるけど、なんとなく「その人がなぜそうなってしまったか」みたいなのはうっすら想像がつく。
けどこの人。どうすればこうなるんだ。
5ちゃんねるのまとめサイトで痛いやつとしてまとめられそうな文句ばかりじゃないか……高級外車自慢とか……。
ウェブカツとかいうサービスの質とか経営者や技術者としての倫理観とかはハッキリ言ってどうでもいい。
「かずきち」氏というひとりの大人の人間性がここまでねじ曲がってしまったその過程がすごく知りたい。
当人は「ブランディングとしてあえてやっていた」などとうそぶいているけれど、こんなもん、「ウェブカツ」で検索したらそのうちこの人の悪評ばかりがヒットするようになることは目に見えていて、ブランド価値をただ一方的に毀損しかしていないと思う。上場企業だったら株価が下がるくらいのできごとだと思う。
「イキったヤンキーメンタルの成金ヤカラがやってるスクール」というブランドに魅力を感じる層がもしかしたらいるのかもしれないが数は多くないだろうと思う。
前後のツイートにも(私のような善良な小市民の目から見ると)不道徳なものが多いのだけれど、とにかく徹底しているのは「カネを持っているからエライ」というゆがんだ価値観で、わずかな教養があれば少なくとも口に出しただけで軽蔑されるたぐいの言説だとわかるはずなのだけれど。
ホリエモンも独特の放言で物議を醸すことが多いが、あれは自己責任論を少々履き違えて「貧乏なのは全部お前の責任」という極論を言っているだけで、「だからカネを持っている俺のほうがお前より立派な人物である」とまでは言っていない。内心もしかしたら思っているのかもしれないが、少なくとも、それを言わない程度の良識か、口に出すのは間違いだという常識はわきまえている。
「かずきち」氏はそのホリエモンの履き違えをさらに履き違えて、「金持ちの自分が貧乏人を小馬鹿にするのはかっこいいこと」と思っているようにみえる。それをブランディングだと考えているくらいだから、なにかポジティヴな効果が期待できると思っていそうではある。
こんな人間(しかもそれを隠そうともしない人間)ができあがる仕組みが本当に不思議で、ちょっと色んな人の考えを聞いてみたい。