はてなキーワード: 宗教の勧誘とは
思い出してどうしても書きたくなったので書く。
ベストセラー「十二国記」シリーズのエピソード0なのだけれど、独立して読めるのでこれにした。
この作品に魅了された理由は二つある。一つは、二つの異世界が出会うことで起きる惨劇がSF的に面白いということ。こちらの常識が向こうには全く通じず、逆もまたしかり。ホラーではあるが、コミュニケーション不全の悲しみもある。作中の大量死の原因は、たった一つの誤解が原因なのだ。
もう一つは、主人公の未熟さが残酷なほど明らかになっていくことだ。ある意味、ファンタジーに逃避しようとする読者に喧嘩を売る態度で、後述するが僕は作者に喧嘩を売られるのが好きである。
貧困による家族との別離、恋愛のもつれや政治的立場の相違によってばらばらになっていく幼なじみ、人妻による少年の誘惑、昔の知人との思いがけぬ場所での劇的な再会などなど、個人的に好きな要素が濃密に詰め込まれている。それは安易な娯楽に堕しそうでいて、何とか踏みとどまっている。
カミュの小説では背景に過ぎなかった人々を主役にしているのもいい。「異邦人」のアラブ人はまったくの他者というか、理解できない原理で動く人格を描かれない、あるいはそもそも持たない存在だったように記憶している。
同著者の「カブールの燕たち」も面白かった。イスラーム原理主義者により公衆の面前で恥をかかされたことで、妻は夫を軽蔑し、憎むようになる。タリバン政権下の苛烈な描写は読んでいて苦しく、告発の書としても読めるのだが、同時に、ストーリー自体はオペラのように派手なのだ。わざとだろうか?
壮大な時間と空間の中で行われる追跡劇で、歴史改変やタイムパラドックス、進化の階梯など、テーマのスケールが大きすぎてこの長さでそれをやろうとするのは完全な蛮勇なんだけど、でもたぶん小松左京の作品では一番好き。この作品にはエピローグが二つあり、そのうちの片方は比較的序盤に現れる。失踪していたある登場人物が帰ってくる場面だ。これを、小説の最後まで読んでからもう一度読むと、深いため息が出る。本当に果てしない旅を経て、帰ってきたのだなあと。
扱われた科学技術は古びるかもしれない。未来世界の女性観や社会の描写も今では受け入れられないかもしれない。でも、表現しようとしたテーマは古びていない。SFはいつだって宇宙と時間の果てに手を伸ばそうと愚直なまでの試みなのだ。
冒頭で、パリのどこを歩いていてもお互いに出会ってしまう恋人の話で始まったので、どんなロマンチックな話になるのかな、と期待したのだが、友人が服毒自死未遂したり恋人の赤ちゃんが死んだりしてもひたすらマテ茶や酒で飲んだくれている、こじらせ芸術家(ワナビを含む)たちのお話だった。
しかし、この作品には仕掛けがある。通常の順番通りに読む「第一の書」という方法と、著者に指定された順番で、巻末にまとめられた付録の章を挟みながら読む「第二の書」という方法、この二通りで読めるのだ。第二の書では章の番号が飛び飛びになり、まさに石蹴り遊びのようになる。そこでは第一の書で省かれていたいくつかの事実や、登場人物の秘めた行動原理が明かされる。そればかりか新聞からの脈絡ない切り抜きや、この本の著者と思しき人物の晦渋な文学論を含んだ独白が含まれ、そこでは一貫性を過剰に求め、受動的にしか読もうとしない者が批判される。要するに読者に喧嘩を売ってくるわけだ。
読者に喧嘩を売る芸術が好きだ。なぜなら偉大な作家と同じ土俵に立てた錯覚を持てるから。
「ダフニスとクロエー」並にこっぱずかしいイチャラブもの。誰だって一緒に育ってきた少年少女が迎える性の目覚め的なシチュエーションに萌えてしまう時期があるのだと思う。もっとも、村上春樹作品の場合、一緒に育ってきた幼馴染の男女は不幸な結末を迎えるのが常套なのだけれど。
少年が人妻に誘惑され先に性体験をするというのも、王道でいい気もする。とはいえ、昨今は少女が先に目覚めるパターンも読んでみたいと思うのである。
北杜夫の「どくとるマンボウ航海記」とか妹尾河童のインド旅行記にしようかとも思ったが、終着地のロンドンについてからのオチが笑えたのでこれにした(興味があったらこの二つも読んでください)。
元々はデリーからロンドンまでバスで行けるかどうかという賭けが旅のきっかけだが、「一人旅の海外は二十六歳くらいがちょうどいい、それよりも若いと経験値が少なすぎて、あまりにもすべてを吸収してしまおうとする」なんて趣旨のくだりがあり、初めての一人旅を読んでそうかもしれないとうなずいた。
少し前の時代の旅行記は面白い。今では身近なフォーやケバブがすごく珍しいものとして書かれているし、天然痘が根絶されていない時代の怖さもある。一方、アフガニスタンもイランが今ほど物騒ではなく書かれており、政変を身近な危険として感じることができる。
それはさておき、ほんと、スマホができて一人旅はずいぶんと楽になった。
強くてかっこいいことや、くじけずに挑むことに背を向けていた自分が気に入った数少ない強い人間の物語。「星の王子様」が気に入った人は、ぜひぜひこちらを読んでほしい。いや、星の王子様が子供向けに感じられた人や、表現が簡潔すぎたり抽象的過ぎたりしていると感じた人にこそ読んでほしい。あの物語の背後にあった、サンテグジュペリの飛行機乗りとしての経験がそこにある。
はるか未来の、中国の影響下にあるロシア。そこでは文豪のクローンに物語を執筆させることで、謎の空色の物質を生成する、錬金術的プロジェクトが稼働していた! この神秘の物質をめぐって繰り広げられる陰謀の周囲には、ロシアの文豪の文体のパロディあり、フルシチョフ×スターリンのイチャラブセックスあり、ナチスと同盟を結んだ並行宇宙のソ連あり。
筒井康隆と高橋源一郎と矢作俊彦を足して三で割らずに、ロシアの権威と文学を暴力とセックスでぶっ飛ばす。ちなみにラストは爆発オチ&ループオチだ。
章が進むごとに使える文字を一つずつ減らしていく趣向で、たとえば最初の章から「あ」の含まれる言葉を使えなくなっている。表現の自由と不自由について体を張って考える作品であり、使えない文字が増えるにつれ、新しい表現を開拓しなければならない。その中で語られる文学論や自伝は、片言だからこそ重い。また、使える文字制限がある中での官能表現も、表現の自由について鋭く問う。
筒井康隆のすごいところは、狂っているように見える文章を書く才能だ。それがなんですごいのかっていうと、正気を失った人をそれらしく演じるのがとても難しいからだ。というのも、精神を病んだ人のなかにも、本人の中では一貫した理屈があり、全くのでたらめではないからだ。また、倫理観の壊れた人間を書くのがめちゃくちゃうまい。かなりグロ耐性のある自分も「問題外科」だけは気持ち悪くて読めなかった。これも、人間の常識についてかなり深く考えないとできないことだ。
ちなみに、ジョルジュ・ペレックの「煙滅」はイ段の文字を一回も使わないで翻訳された小説で、これもただの遊びにとどまらない。語りえないホロコーストという事件をモチーフにしていて、あるべきものが不在なのにそれが何かわからない居心地の悪さをテーマにしている。これが気に入ったらオススメしたい。
ドストエフスキーはヤバいやつだが、トルストイもそれ以上にヤバいやつだ。家庭を顧みずに財産を国に残そうとする狂信者だ。正直、妻や子供たちがかわいそうだ。後期の「光あるうち光の中を歩め」もはっきり言って宗教の勧誘パンフレットであり、読んでいて内容が完全に予想できる。ヤバい新興宗教のパンフレットのほうが何が書いてあるか予想できなくてある意味でまだ興味深い。
しかし、そんな将来そこまで頭の固くなる人間が不倫の話を書いたのだから面白い。確かに、清純な愛を貫くいい子ちゃんなカップルと不倫カップルの対比はわざとらしい。けれども、まじめカップルの愛情の細やかさと、一時の感情に負けた罪のあるカップル、どちらも美しい文章で書かれている。物事は正しくあるべきと考えている人間が、罪を犯してしまう悲しみを描いているのがいい。
これは、プロットを道徳に完全に屈従させてしまう前のトルストイのすばらしさが詰まっている(そういうわけで好きな長篇の順番は年代順に「アンナ・カレーニナ」、「戦争と平和」、「復活」)。
あ、今思い出したけど、ソルジェニーツィンも好きだったんだった。
作品の根底には人間性への諦念が横たわっているのだけれども、初期の頃はそれが明確な暴力となって描かれていた。表現は淡々としているが、殺人や人類滅亡なんてよくある話だった。けれども、このころになるともっと表現が静かになっていった。悟りを開いた、というのとは違う。間違いなく諦念はある。けれども、苦い絶望とはまた別の感情がこもっている気もする。非SF風のものが多いのも面白いので、星新一の芸風に飽きた頃に改めて手に取ってほしい。
コースの料金体系と効果の説明だけさっさとして質問して契約してはい終わりでよくないか?
必要最低限の話しかしたくなかったんだけど、異様に感情的質問をされて面倒臭かった。
「どんな姿になりたいですか〜」とか「こんなふうになれたらどんなことがしたいですか〜?」とか。もう2時間そんなんばっかで何これ?怪しい宗教の勧誘?って感じ。施術中も雑談めっちゃ振られてこっちは必死で痛みに耐えてるんだが話しかけないでくれるか??とか思いながら「そっ…う、ですね…アイタ、夏とかはやっぱり水着…イタッ、着たい…ですっ、よね…」みたいな。連続でずっとそんな身の上話ばっか求められるし。こっちは両脇の毛をつるんつるんにしたいだけじゃ阿呆。
女性客メインだとやっぱそういう雑談力の高さが求められるのか?私が理系脳だから悪いのか??とか思いながらこれさえなければもっと早く帰れたろうにな…という気持ちでしっかり契約して帰りましたけどね両脇30万。2週間後に予約入れたがくそだるぴえんだぜ!
この話は批判をするなという意味ではない、ということだけまず書いておく。
西野サロンメンバーに対する、あまりに厳しい正論責めが日々続いている。
若者が搾取される構図を見て、物申したくなる気持ちが湧くのは仕方ない事だ。
そもそも彼らを救おうと思っている人間がネット上にどれだけいるのかという話だし、こうして話題に出してしまった時点で自分も同罪だろう。
まず西野のサロンメンバーを責めれば責めるほど、西野が得をする事は分かりきった事実だ。これは炎上商法としてもそうだが、ことサロンという共同体にいる人間に対してはもうひとつ別な意味も持つ。
つまり共同体への攻撃は、その内部の結束を強めてしまうということ。責め立ててくる外部がいることで、慰め合い共感し合う共同体内部の居心地の良さが増すからだ。
特に宗教の勧誘活動はこの行為を積極的に引き起こすためのシステムとなっている、という話を聞いたことがある。
勧誘行為を組織的に行わせるが、その過程では大抵手ひどく扱われる経験が発生する。それを仲間たちに慰められ、共感し合うことで宗教団体内での結束を高めるというわけだ。
(だから、宗教勧誘を撃退してやったぜ!みたいな事も実際は宗教活動に間接的に貢献していることになる)
今回の騒ぎもほぼそれに近いと個人的には思っていて、今後の状況が続けば彼ら彼女らはいっそう救いようのない状況に陥っていくことだろう。
Kから「ソロバンレーサーの資格を取りに行こう」とLINEで誘われた時は、何かの送信ミスだと思った。Kとの関係はほぼ他人に近い。大学3年生の時、就職合同説明会の帰りにマクドナルドで意気投合して連絡先を交換してそれっきりの関係だ。相手が送信ミスに気がつくまでほっておこうと既読スルーしていると、こちらの考えを見透かしたようにKは追加のメッセージで畳みかけて来た。要約するとこうだ。『①ソロバンレーサーの資格を一緒に取りに行こう②マルチや宗教の勧誘ではない③誰彼構わず誘っているのではない』ソロバンレーサーという資格は聞いたことがなかった。言葉の響きからすると算術の道具のようにも運転行為にも思えるが、その2つがどうしても繋がるようには思えない。まずそのソロバンレーサーが何であるかが分からないと承諾も拒否もできないとKに伝えると、それは直接会って説明させてくれという。いかにも怪しい。こういう時、1人でのこのこと相手の懐に飛び込むと、大抵先輩と称する怪しい人物が隣にいて、2対1で言いくるめられこちらが折れるまで帰らせて貰えないというのがセオリーだ。マルチや宗教じゃないというなら何だと言うのだ。仮想通貨か副業か。オンラインサロンか。とにかく怪しい。しかしソロバンレーサーで軽く検索をかけてみても、それらしいものは引っかからない。あまり知られていないのか、もしくは存在しない架空の概念で最初は釣って、釣り上げたら本丸の話が進むという手口か。ソロバンレーサー。ソロバンレーサー。ソロバンレーサー。頭の中でソロバンレーサーがぐるぐると回っている。どうも頭から離れない。
大手のビジネスホテルチェーンだから絶対にハッテン場とかそういう事はありえません。
突然ベタベタ身体を触ってきて奢るから部屋で一緒に飲もうとか遊びに行こうとかしつこく絡んできて「話しかけないでください」と何度も拒否したのに、警察にも俺ともう友達だからとか嘘の説明したり本当に恐怖でしかなかった。
飛行機乗る前に肩叩かれて本気で血の気が引いたし、時間差で降りようとしたら乗降口の先で待ってて友達になるだけでも無理かなとかしつこく言われて宗教の勧誘とかより遥かに怖かった。
面識のない相手に告白するなんてそれと同じで恐怖しかないんだよ。
仮に面識があっても客観的に恋愛感情がないと判断できるのに告白するなんて一方的な感情で相手に不快な思いをさせるハラスメントだ。
普通コミットは上司が部下に使うケースが多いはずだが、なんとなく釈然としないまま飲み込んで過ごした。
「それはLineにコミットして会話してないからフラレたんでしょう」
「コミットしたら体が柔らかくなりましたね」
前半はいい。しかし後半はなんだ? コミットはそんなパワーワードじゃなかったはずなのだが。
コミットしたら結果が出る点は同意したいが、会話の内容はやや行き過ぎている気がする。
先日の照れワークに没頭していた仲間さんはいつもこの時間帯に食事にきている。
私が食券を買って食堂のおばちゃんに渡すとおばちゃんは何やら不満そうな顔をした。
「あんたねえ、そういうのは困るんだよ」
突然の苦言にたじろいだが、一体苦言の正体は何かと聞き返した。
「もっとこうねえ、わかるだろう? 食券を渡す時 "ガッ" とコミットしてこないと」
このおばちゃんは何を言ってるんだ。
私は適当に会釈すると天ぷらうどんをトレイに乗せてテーブルへと向かった。
しかしテーブルへ座ろうとした私に仲間さんが何やら身振り手振りでこちらに指示してくる。
ただならぬ雰囲気だ。
やむなく私は仲間さんの示す相席へと座り、うどんをテーブルに置いた。
すかさず仲間さんがまくしたてる。
一瞬面食らった後、またか、と思った。
「部長のポストともあろう人が、昼間からうどん? それもカレーうどんじゃなく天ぷら止まりですよ」
あ、いや、と言いかけた私を遮って口撃は続く。
「ここはガツンと胃もたれするカレーでしょ。天ぷらじゃ天下を取れません。天ぷら程度で止まってるから部長止まりなんですよ。そこはもっとフォーカスしてコミットしていかないと!」
何だこのダメ出しは。うどんを頼んだ人の人権がすべて剥奪される勢いだ。
私は渋々了承すると早めに天ぷらうどんをかきこみ、手を合わせた。このスピード感は良かったらしい。
仲間さんは「今のはちょっとコミットしてましたね」と頬を赤らめた。
面妖な現代美術を飲み込めない観覧者のような面持ちだったに違いない。
私がため息を付きながら部署に戻ると、部下が何やら騒ぎ出している。
「部長、部長がコミットしないから取引先が怒ったじゃないですか!」
他にもざわめきの中でいろいろな罵声が浴びせられたが、何一つ意味がわかるものは存在しなかった。
「私も先日ワイフと息子のドライブに随分コミットしてね、家族コミットってやつだよ」
職場は急に静まり返った。宗教の勧誘でも見るような目線でこちらを見始める社員たち。
「そこはコミットしてませんよね」
というざわめきから始まって、その波紋は拡大してゆく。
「ちょっとあなた、なんて卑猥なことを言ってるの。そこは息子のコミットがワイフでドライブでしょ」
「コミットが日帰りなら地下からコミットして網走あたりにコミットするくらいがいいコミット感でしょ」
私はしだいに混乱してきて、何やら楽しい会社だなと感じうるに至った。
で、コミットってなんだろう?
『職場の様子が変だ』
ポリコレを宗教にたとえてるのに乗っかるなら、それに代わる心の支え・正しさの後ろ盾になる新教が必要なわけで、それがないのに棄教しろって言われても無理だよ。
別に棄教する必要はなくて、趣味を捨てれば信仰の一貫性が取れるよね。
趣味も捨てられないし棄教もできない? はあ、どうぞ、異端審問所があなたを待ってますよ。
腐女子がBL趣味を謳歌したままポリコレ聖戦士になれる道なんてどこにもないんですよ。信仰に殉じて趣味を捨てるか、棄教して反ポリコレ軍に加わるか、不信心者として異端審問にかけられるか、そのどれかしかないんです。
どうぞ、好きなのを選びなよ。
あなたの責任で、あなたの趣味と信仰のどっちを取るか選びましょうよ。