はてなキーワード: 交通とは
●多分まず報道が死ぬ。東京地域以外のメディア社が情報を得ようとすると思うけど、東京支局に繋がらなくて同じ情報のループしかできない。仮に大阪が発信できたとしても大阪の報道は岩手で見れないから情報伝達は鈍化、各地のテレビラジオが情報ループする。
●官邸は東京のことしかまず対策できない。関東近県の情報は入らないので、東京3区と湾岸沿いくらいしかまずは手当されない。
●災害直後は小エリアごとに対応を頑張る。地域病院に患者は運び込まれるし、消防も出動する。でもやがて満床になり破綻する。指示系統も機能しない。超重症者以外は自力でなんとかするしかない。
●避難所が開設される。しかし東京は住民以外の滞在者が多いため、その地域に根付いていない人を避難所は受け入れることになる。治安悪化、差別、猜疑心も高まる。避難所の受け入れ拒否も多発する。暴徒化。
●食料品店は早い段階で空になる。道路が駄目になるので補充も効かない。購買や物流担当者も多くは東京で被災しているので破綻する。援助物資を待つことになるが、上記の理由で家の外は危険度が高くなる。
●道路が使えないならば、線路を歩いて帰宅しようとする人々が発生する。本屋コンビニから早い段階で東京近郊の地図がなくなる。諍いも起きる。横浜、大宮、柏あたりで一晩過ごす場所を求め個人宅を訪問する人が現れる。
●TwitterはじめとするSNSが一瞬大騒ぎになり、お祈り、情報(デマ含む)、人探し、助けて、災害ハウツーで満ち溢れる。やがて充電の残りを気にして静まり、情報は古びて流れなくなる。人々は孤立する。
●知的障害、身体障害者、施設入居老人、病児、ペットなどの声は消える。東京が全体的に被災した場合、彼らを助けられる人材もいなくなり、助けを呼ぶ声もあげられなくなる。
●コロナウイルス対策は無と化す。その場で痛みを引き起こすような伝染症でもないコロナウイルスに対して対策をする余裕はなくなる。人々はマスクを脱ぎ捨て、近距離で接触しあい、飛沫は飛ぶ。3密対策は現実性を失う。
●恩を売るため、または統治目的で、諸外国は介入を試みる。アメリカ軍基地にはオスプレイが離着陸し、大型船が東京湾に続々と入る。官邸はそのやりとりを行うものの、政治的な駆け引きをする余裕は残されておらず、なすがままに各種前例を作らされたり恩を売られたりする。国民向けの発信は弱まり、人々は国を恨む。
●被災地以外の道府県の首長が手を差し伸べる宣言をする。ただし実際はどこに何をするべきなのかがわからず、情報収集中と言ったり、発信力が残された被災者への救助が重複したりと混乱をきたす。維新が勇ましく振る舞い大阪府民は誇りを感じる。
●被災しなかった地方でも、数日経つと商品が流通しなかったり、テレビ番組がローカルニュースばかりになったりと実生活でも東京不在の影響を感じるようになる。やがて東京を避けて各地方ごとの繋がりでライフラインが再建され始める。発電所の電力は供給過多に陥る。
●各地から東京へのボランティアが旅立つ。しかし規模が大きすぎ、また交通が壊滅していて、東京への入口である関東近県から始めることになる。都心は取り残される。タワーマンション内で餓死リスクが高まる。
大学一年のときに講義で紹介されて気になっていた『アンダーグラウンド』という映画がなんとイオンシネマでちょうどリバイバル上映中だと知って、これは天命だと俺は思った。
一年前に知った映画をふと思い出して検索をかけたら、ちょうどその時にリバイバル上映をやっている。ものすごく有名で超人気ってわけでもない映画なのに!
最寄りのイオンシネマは泉南市にあって、交通費は片道だけで千円かかる。あのクソ遠い関西空港よりさらに遠い。でも行けると思った。当時はまだ元気があったし、なにより運命みたいなものを大切にしようという心がけがあった。
泉南はやはり遠かった。大阪・梅田から離れるにつれてドンドン田舎感が増していき、イオンモール最寄りの岡田浦駅なんかはほとんど無人駅みたいな寂れかたをしていた(本当に無人駅だった気もする)。
上映まで1時間くらい時間があったから、近くの浜に行った。秋も半ばで空は快晴、陽は落ちかけているが、夕暮れというほどでもない。空がいよいよ夕焼け色になってある種の華やかさが生まれる前の、一番寂しい感じのする時間帯だった。海の周りの道路は広くて綺麗なのに通行人は俺しかいなくて、それも寂しい感じがした。大きな人通りのない交差点に「岡田浦朝市→」と書かれた案内看板があって、なんだかポスト・アポカリプスみたいで胸騒ぎがした。たぶん普段は交通量も多く、全然寂れてなんていないんだろうけど…。
しばらく泉南マーブルビーチというところで海を見た。所詮大阪湾だからたいした感動はないんだけど、それでも海は海だった。浜に敷かれた白い砂利が綺麗だった。
イオンのなかで何をしたかはあまり覚えていない。映画館の作法が全然分からなくてチケットを買う時にどぎまぎしたような記憶だけがなんとなくある。
小さめのスクリーンで、客は俺を入れて4人だった。ひとりは似たような年頃の青年で、後の2人はヤンキーっぽいカップル。どういう動機でこの映画を観てるんだろうなと思ったが、まあよく分からんのはお互い様かもしれない。
映画はよかった。あんまりキッチリ理解できた気はしないけど、しっかり覚えているシーンが複数あるってことはいい映画だったんだろう。
上映が終わったのは8時過ぎで、帰り道は真っ暗だった。ぼんやり歩いていたら草薮に思い切り接触して、パーカーの腕じゅうにひっつき虫(ヌスビトハギというやつらしい)の種がついた。真っ暗で人通りのないなか自然と対峙(ってほどでもないが)しているといよいよ寂しい感じがして、ちょっと泣きそうになった。
家に帰るころには10時を回っていた。なんだかいい体験をしたなあ、と強く思った。大学生活で一番青春を感じた一日だったかもしれない。
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っていうわりと美しい思い出がある場所がクソみたいなインターネットミームの聖地になってたときの悲しみ、わかるまい!
当たり前のことである。
あの界隈からアカウントを消して足を洗ってだいたい1か月。いや、足を洗っても手を染めている以上もう現世には戻れないのかもしれない。
大いにもめているJR東海VS静岡県、片や必死になって2027年開業を守ろうと、片や必死になって大井川の水を守ろうとしている。
世の中のほとんどが静岡県側の肩を持つ中、唯一JR東海を必死になって擁護するのがインターネットSNS電車アイコン界隈である。
オタクの中でもとびぬけて治安の悪い鉄道オタクのことである。社会不適合なのでとりあえず逆張りしておけばTUEEEEってなるという風潮がある。
電車アイコン特有の文化として、鍵リプ、鍵リツイートっていうのがある。フォロー・フォロワー1桁の鍵アカウントを使って頭にきたツイートに意味もいないリプライを単細胞のごとく送り続ける。
そして同調してほかの人間も送り続ける。結果リプライ数だけ3桁になったりする。でも誰にも見ることができない。本人とごく近くの身内は満足しているんだろうけど、周りはそうは思っていない。
それはO宮駅の先で罵声をあげたり、カルト宗教の歌を歌ったりするのと本質的には同じで、所詮は類は友を呼ぶというだけである。でも、誰も諫める人間を見ようとしないので自分の意見を仲間内だけで共有して強い意見にしている(と思い込んでいる)
「赤信号、みんなで渡れば怖くない」というよりたちがわるく、赤信号を白に塗り替えて「これは渡ってもいい」とマイルールを作って渡っているのである。
そもそも、電車アイコンにするぐらいのことだから、電車の絡む議論に参加して中立的にものを見ることなど全くできるはずがない。あれは趣味を超えた、ただのカルトである。
あまりにも電車側の肩を持ちすぎて自分のことを鉄道会社取締役だと思い込んでしまう。そのまま「こういう列車は〇〇という理由で運転ができない!!!」なんて大本営からの勅言を出してしまう。その列車が実現しても知らん顔。
もしかしたら本当に鉄道会社の取締役かもしれないし、総合職かもしれないし現業かもしれない。でもそれは教団の中での立場の違いにすぎない。道端で勧誘するか、それとも集会で教徒の前で説法するかの違いである。どっちもカルトだ。
あまりにも教祖にゾッコンだから平気で「水なんか減っても問題ない」とか「ひかりの停車が減るぞ」とか言い出す。声を上げる人間は基本的に現地の人間でもない、余所者なのである。
だから、リニアの対立でさも真っ当な意見がRTで回ってきても、もしアイコンが電車だったり、プロフィールに「公共交通」なんて書いてあったり、直近で電車の写真しかとってなかったりした場合、その意見はプロパガンダである。
彼らは議論ができない。いいことを言っているように見えるが、根本的に人の意見を受け入れることができないのだ。
彼らは議論をするときにリプライをしない。引用ツイートやスクショツイートで反論の余地を与えず身内からの承認欲求を得る。それが彼らの戦法なのである。
絶対に触れないほうがいい。RTもしないほうがいい。RTは承認欲求を満たしてしまうからだ。
彼らの社会復帰のために…
道交法改正前まであおり運転は十分な厳罰だ。ああいった行為は交通への侮辱に等しい行為である。しかし、彼らに対する怒りは既得権益層に利用された。情けない限りである。
迷惑運転加害者は今回の道交法改正騒動で、満員電車と言う日本の公共交通の既得権益存続のために格好のネタを世間へ提供した。感染症と向き合う社会を唱えながら、ポピュリズムの発生に奉仕し、法案画策の反車社会御用議員を応援し、既得権益の拡大・強化に加担した。
これぞ社会変革妨害のための扇動、公共交通の既得権益者はさぞかし大喜びしているに違いない。結果、自らの敵と内通したと言われても、加害者らは返す言葉がないだろう。
地方空港への交通手段って「車がほとんど」だと言われるのが通常な気がするんだけど。
普通なら電車とかで移動してる距離でも、空港へは荷物が多いとかで車になるって事例すらよく聞くし。マイカーは運転しなくてもバスにするとか。
公共交通も、マイカー向けに道路整備されればバスも運行しやすいし、茨城空港は東京駅からもそういう感じじゃん。
成田ですら郊外側から来る人は車が多いとかで、バスの充実を訴える人が地元目線でないとか叩かれるぐらいのものな気がする。
なぜ静岡空港だと最寄り駅が遠いから云々という議論になってるのかよくわからん。
遠いと言ってもなんだかんだいろんな駅から普通にバスが有るように見える。しかも最寄り駅からバスで13分ぐらい。
自分だったら、地方の本当に車か限られたアクセスバスしかないタイプの空港に比べれば、かなり公共交通では便利だと感じるんだけどなあと。
先週、中学の同級生から「ポンタが3Dになった」と電話がかかってきて、その時ちょうどオンラインゲームの対戦中だったので「後でかけ直す」とだけ答えていったん電話を切った。かけてきた電話番号はなぜか香川県の公衆電話で、よく分からないので考えあぐねているうちにそのまますっかり忘れて今さっき思い出した。でもその同級生は東日本大震災の前年に交通死亡事故の加害者になり、賠償金を払い終わった去年の6月に自殺したと聞いているから、悪質な誰かのイタズラかもしれない。自分は非情にもその友達が死んだことさえすっかり忘れていた。でもよくよく考えると、自殺したという話の方がイタズラで、先週の電話の方が本物かもしれない。深夜に電話するのもなんだからLINEで「生きてる?」とメッセージを送ったが、まだ既読はつかない。
仮に見返りがあったとしてもその恩恵を受けることができるひとばかりではないというのは留意されるべきだと思うし
その見返りとリスクは適合するのかとかも関係するし、単純な有無の話ってわけでもないと思う。
見返りが厳密な意味であるかないかだけの話になると、リニアができることで、東海道新幹線をより静岡のために使うことができるというのは「見返り」だろうし。
そもそも今まで東海道新幹線が不当に東京大阪間の交通を主目的に使われ続けてきた事自体が、静岡県にとっては「被害」だと思う。まあ仕方ないことではあるんだが。
それで解決したとしても、そのためになにか特別なことをしなきゃいけないという時点でそれは「被害」だからなあ
コロナで休日の予定がなく、撮りためた写真を整理していたら思い出がよみがえってきたので備忘録的に書く。
今じゃ考えられないが、ここ数年中国のLCCの春秋航空が片道\1,980とか異常に安い値段でセールを連発していたので土日+有給1日つけて中国旅行に行きまくっていた。
訪れた都市は上海・合肥・蘇州・南京・広州・深圳・西安・敦煌・ウルムチ・カシュガル・成都・東チベット・天津・青島・大連・丹東・ハルビン・瀋陽・香港・マカオ。
その中でも印象的だった4つのエリアについて、思い出話を書きたいと思う。
■ 丹東
国境の町。大河鴨緑江を渡るとそこは北朝鮮。中朝貿易の拠点として知られていて北朝鮮とのヒト・モノ・カネの連結点になっていると聞いていたのだが...
2019年に訪問した時には経済制裁の影響かほとんど人の往来が見られなかった。2つの国を結ぶ道路を歩いているのは巡回の兵士のみ、鉄道も全然動いていなかった。
北朝鮮レストランはまだ営業していたが、客足はまばら。冷やかしで入り口まで入ったが店員さんは塩対応。英語は話せるっぽい。
結局、中国人経営と思われる店で冷麺を食べて北朝鮮のビール、大同江ビールを飲んでみた。冷麺の味は可もなく不可もなくというところで、ビールは普通にまずかった。
大同江ビールは北朝鮮の主要な輸出品目らしいが、東南アジアのビールのように暑くて湿気の高い日に合いそうといったこともなく、無個性でただひたすらにまずいという印象だった。
ウイグル自治区。少数民族の弾圧が報道されている昨今だが、外国人の俺でも普通に自由旅行ができた。ただし、公安の警備の目は他の町よりも厳しい。
中国では地下鉄に乗るときにセキュリティチェックがあるのが普通だが、ウルムチではこれに加えてホテルやショッピングセンターの入り口でもセキュリティチェックがあった。
地元住民は中国の他の町と比べて彫の深い顔立ちで、ウイグル語表記の看板と合わせて異国情緒が強い。
町の中心部は中国語の建物が立ち並んでいるが、バスで郊外に向かうと昔ながらのバザールや家畜市場も残っており、意外に少数民族の文化が温存されているように思われた。中国政府としても(国内向けの)観光資源として金になると踏んでいるのかもしれない。
余談だが、ウイグル人のタクシードライバーは普通にぼったくってきた。この3年間、中国旅行でぼられたのはこの一度だけ。抑圧されているマイノリティといえど、常に善良というわけではないのだ。
ウイグルと違って、チベットエリアはガチで少数民族の抑圧が強い。最大都市のラサは一人旅で入ることができないため(政府公認のツアー参加必須)、成都からバスで10時間以上かかるという東チベットエリアに潜入した。
時期によって外国人の入境が出来たりできなかったりするので、ネットの旅行記を見て行けたという報告の上がった翌週に1週間休みを確保して飛んだ。多分今はもう行けない。
東チベットは山がちで人口も少ないため発展著しい都市部に比べるとインフラ整備は遅れているのだが、ここにも開発の手が及んでいるようで、日本の首都圏で言うと圏央道くらいの規模の立派な道路が建設中だった。
果たして採算は取れるのだろうか? それとも採算無視で鉄鋼の過剰生産解消のためにオーバースペックなインフラ整備をしているのだろうか?
現地の町ではヤクが放し飼いにされており、そのバターを使ったチベット料理を堪能した。いたるところでマ二車が回され、宗教が生活に根付いているような地域だった。
途中タクシーで修行僧と乗り合わせたが、日本人とわかるとフレンドリーになった。ネットで調べておいた簡単なチベット語のあいさつをすると上機嫌になり飲み物をごちそうしてくれた。
同じタクシーには家族連れも乗っており、小学生くらいの子供が、おもちゃのガラガラのようなマニ車を回していたのがとても新鮮だった。面白そうなのでお土産に1つ買って帰った。
いつか政治的抑圧がなくなって、自由に旅行に行けるようになると嬉しい。
■ 香港
デモの渦中の2019年に訪問。公安とデモ隊の衝突に巻き込まれないか不安だったが、twitterでデモ情報を見ながら移動したので幸か不幸かデモに巻き込まれることはなかった。
主要道路沿いにはデモ隊の落書きが残っており生々しさを感じた。こんな情勢でも地下鉄や船等の公共交通のセキュリティチェックは無く、ネットの接続制限も体験した限りでは見られなかった。
Google, Twitter, Facebook, Line, Fanza。すべて問題ない。アメリカや日本のWebサービスを自由に使える。なんて開放的なんだ。素敵!最高。今後もどうか香港の自由が保たれますように。