はてなキーワード: ノーマライゼーションとは
話の中身を全然踏まえてなくて独りよがりで、そのくせ変に非難がましいという我田引水コメントが並ぶ。はてなは「Aさん」たちのホームだ。
トンチキな野郎でも無碍に排除されたり尊厳を踏みにじられたりしないように守ってやるためのルールやマナーは当然必要だ。でも「守ってやるルール」だけだと、周囲の人たちはこうして疲弊する。
「自衛のためのイジメ」が行われたとしても無理はないし、それを取り締まろうとしても陰湿化するだけ。
バリアフリーとかノーマライゼーションの理念としてよく語られるのは、困難を抱える人に使いやすいものは万人にとって使いやすいはずということだ。でももちろんこれは話を単純化し過ぎている。点字やスロープは健常者にとって快適なものではない。
人権は万人に平等なものだ。その理念を実現していくための施行細則はしかし横一線の単純なものではワークしない。
発達障害も社会に包摂するためにこそ、それが周囲にとってリスク要素であることを認めた上で攻めのルール作りをしていく必要がある。
「発達障害は個性です」からスタートしてもどこにも辿り着かない。「発達障害も個性と受け止めることができる状態を作り出すにはどうすればいいか」を考えなければならない。
国によって平均身長が違ったり人種によって病気のリスクが違うのだから、性別違和の人口比が国によって違うのは普通に考えられることだよ。
ただ精神疾患の診断は従来、わりと医師の感覚に左右されるところが大きかった(今も)のと、診断基準自体に生活上の不都合という項目が入ってる疾患が多いことから、文化・社会の影響も大きい。
でもうつ病が「脳の病気」だと広く知られたことで発病に対する偏見(「サボってるだけだ、根性が足らん、みたいなの)とか治療に対する偏見(精神病患者は社会から隔離しよう、みたいなの)が減ってきているように、性別違和についても客観化がノーマライゼーションに繋がると思う。
ほんとさ、ノーマライゼーションなんて噴飯もいいとこ
絵に描いた餅ってやつよ
目指すもんがちげえんだよ
「障害」なんてのは「克服」してなんぼよ
結局、「現在の医療・技術では限界です。なので、そのまま『自分たちで』社会に出てなんとかやっていってください」って話になる
なにが包摂だよ
阿呆かよ
医療と技術で障害が克服出来るようになるまでは、金かける(介護する人間を潤沢に投入する)しかねーんだよ
人目悪くても金が死ぬほど稼げるならもっとマトモな人間が沢山その業界に来るんだよ
それでも人力に頼るのも限界があんだからロボとAI頼みにすんだよ
(そのくらいの技術はとっとと一般化して欲しいね。宇宙で船外活動するレベルのものを地上でも楽に使えるようにな)
貧乏な国民から等しく毟り取って(金持ってる奴からはその何百倍も毟り取って)やってくしかねえの
そんなことみんな分かってるよな?
生産性の無いことに金かけられねー?
そんなもんお前、老人介護がこの世で一番生産性無いのに平気で金喰らいまくってるじゃんか
この世はメリットのあることの方が少ねーんだよ
メリット・デメリット考えてる暇があったら一秒でも早く医療と技術を発展させて後世に禍根を残さないこった
ウチラはその礎(犠牲者)なんだよ
犠牲者であってもそれなりに穏やかな心で余生を過ごしたいんだよ
「障害者・老人を見て見ぬ振りするのは精神的にきついけど、面倒見るのはもっときつい」
そんな辛酸舐めたくねーわ
私は駅員をしたこともあるし、車椅子ユーザーの方とお付き合いして、約一年間毎週末お出かけしたり、国内外旅行したことがある。
なので、どのように車椅子ユーザーが乗車しているのか、一人のケースについて書きたいと思う。
いつも駅の改札口に行って
「どこまで行かれますか?」
と聞かれるので、行き先を告げたらやってくれる感じ。
改札口までは自力で行っていた。連絡すれば駅員さんが助けに来てくれるけど、それまで待つのも時間がかかる。
私は体力が相当ないほうなんだけど、それでも一人で電動車椅子を介助してきた。降りてもらう、かつバッテリーを外せばなんとか持てる。順番に移動するのだ。ただこれは、この人が片足で立てるから待っててもらうことができた。そうじゃない場合は一人では難しいと思う。
ここから駅員視点だけど、行き先がわかったら自分以外の人がいる駅なら事務所に連絡して介助をお願いする。自分以外はいない駅なら行き先の駅に連絡して一緒にホームに行く。
ホームに着いたら介助する人がいるという信号を運転手に出して待つ。
電車が到着したら乗せてあげて、「〇〇駅までお願いします」と運転手に連絡する。乗車駅ではこんな感じ。
私のいた鉄道では全駅に介助できる駅員がいたからあとは任せるけど、他の鉄道では無人駅もある。
そういう時は人のいる駅から駅員も電車に乗って介助する。だから無人駅から乗る場合は事前連絡したほうが楽なのは間違いない。そうじゃなければ、現地でインターホンとかで呼び出しをしないといけないから時間がかかる。
色々思い出してきたけど、車椅子ユーザーにもいろんな人がいる。
介助はいりませんって人もいる。でもごくたまに、なかなか乗れなかったりすることもあるから、影でそっと見守ったり、カメラで確認したりしてる。
エレベーターはあるけど、どうしても別の改札口から移動したいんじゃという方は、敷地内までは介助してご案内する。
当たり前だけどいろんな人がいるんだなって思いながら仕事してた。
なお、お付き合いしてる人とは海外旅行にも行ったけど、少なくともニューヨークでは駅が介助してくれることなんてなかった!駅員に聞いてもエレベーターがない時もあって、ひたすら階段を電動車椅子を持ってヒーヒー上がってたりした。当然ホームから電車に乗る時も介助はない。
でも他の乗客が助けてくれるんだよね。何も言わずにスッと持ってくれる。彼らにとっては当たり前のことみたいに。
京都や沖縄にも旅行に行ったけど、助けてくれるのはだいたい外国の方。
ノーマライゼーションって、別にお金出して設備整えるだけじゃないよね。そりゃ当然あったほうがいいに決まってるけど、今すぐにできることじゃないし、人口減少社会において、無人駅も完全に支援するってのは実現が難しい。事業者だけでなく、社会全体で助け合いができるといいなと思う。
結局「弱者男性」って誰なんだよ。みんな好き勝手なこと言いやがってクソが。
それぞれ全然違う問題なんだから、その処方箋だって全く違ってくるだろよ。次元が違う話を全部一緒くたにして「弱者男性論」みたいに雑にくくるから、話が全然まとまらねえんだ。アホか。経済力の話なら再分配とか福祉とか新自由主義批判でいいだろ。容姿の話ならルッキズムでいいだろ。他の能力の話ならノーマライゼーションとか社会的ケアでいいだろ。最後の非モテ要素以外は全部わざわざ「男性」なんて性別を絡めずに語れるじゃねーか。そうじゃない「弱者男性」ならではの特別な事情があるなら、そこをちゃんと説明しろよ。
弱者男性論をぶちあげる連中の多くからは「俺は弱者なのに弱者性を認めてもらえない」という心の叫びは感じるけど、その「弱者性」ってのがどういう状態なのかぜんぜん共有できてないのに「弱者性のつらみ」という被害者感覚ただ1点で結束しようとするから、話が支離滅裂になってんだよ。
「男が強くあらねばならない社会的規範の中で苦しんでますぅ〜」みたいな男性学っぽい話なら、性別問わずその規範を再帰的に強化してる社会的強者たちに異議申立しろ。「女性にモテないことは弱者男性問題の本質じゃない」と思ってるやつは、白饅頭みたいに弱者男性を非モテの問題に矮小化してる非弱者男性 https://togetter.com/li/1692506 をちゃんと批判しろ。そういう深掘りができねーなら、どんなに「弱者男性論」が盛り上がっても、みんなで目隠しして象を撫でてああだこうだ言い合ってるようなもんだ。そっから生産的な結論が出てくるわけがない。
宇野は音圧戦争の帰結や現状まではわかってると思うよ。彼が根本的におかしいのはそこじゃない。
それを技術で解決したのがYoutubeとかSpotifyとかですね。彼らは音圧が高い曲の音量を下げて、他の曲との音量差を少なくしました。揚げ物使った弁当は弁当箱のサイズを強制的に2/3にするイメージですね。そうして消費者は錯覚に騙されず本当に美味しい弁当を選ぶことができるようになりました。めでたしめでたし。
ここはめでたしめでたしの終点じゃなくて、今も音圧戦争は形を変えて続いている。音圧が高い曲の音量を下げるのを「ラウドネス・ノーマライゼーション」という。配信系プラットフォームはそれぞれノーマライゼーションのアルゴリズム(主にはLUFS、聴感上の音圧を数値化するパラメータ)を定めている。そして音楽エンジニアリング業界は、この制約上限に抵触せずにどうやって聴感上「圧のある」音を出せるか、という一種のハックに向かっている。「測定結果が-14.0LUFSを超える楽曲は強制的に-14.0LUFSまで下げる」ということがわかっているなら、そのアルゴリズムを狙って作ればいい。
君は音圧戦争を生き抜けるか? 音楽ストリーミング時代のラウドネス・ウォー対策 (1/3)
配信時代の音楽制作〜ミックス、マスタリングの傾向と対策 – 今知るべき配信テクニック
音圧戦争から遠く離れてーラウドネスノーマライゼーションの誤解と意義
配信最適化はエンジニアリングやマスタリングだけでなく、基本的なビートの作り方にまで影響しつつあって、これなんかはテクノロジーが音楽を変えるという最新の事例といえるんだけど、それはともかくとして、この話は結局のところ「いまの聴取環境に合わせた、いまの流行り」でしかない。リスナーに目立つように、印象に残るように聴かせる最新のテクニックではあっても、音楽自体の構造が優れているか劣っているかという話とはほとんど関係ない。
ましてポップス=popular musicの一番の評価指標は「どれだけ売れているか」なのだ。現にバンバン売れている楽曲を捕まえてきて、その音圧が今時っぽいかどうかにケチをつける行為には生産性がない。よく繁盛してる飯屋で「店が汚い、食器が野暮だ、なぜこんなに客が入っているのか」と言ってるのに近い。クレーマーがどう言おうが、料理が美味いと思った客が多ければ店は流行る。音楽評論家を名乗るなら、今の技術的トレンドに沿っていない楽曲がなんでこんなに売れているか、という分析に傾注すべきだと思う。
どーせ慌てて事務所に居るやつに書面作らせて言い訳してんだろうけど、
その書類書かせた奴の捻り出した文章も典型的な左翼話法で大草原なんだよなぁwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
ちょっと困ったと思ったらいきなりノーマライゼーションとかwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
パヨ脳左派がいつもよくやるインテリ風に気取って人が知らなそうな単語をいきなり出せば相手がたじろぐみたいな駄サイクルばっかり普段からやってっからそんなおまえらみたいなアホみたいな集まりが出来上がんだよwww
ほーんと
しかし何を言い出すかと思ったらノーマライゼーションてwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
そら"官僚"もアホじゃないんだからいくらかはそっち方面にリソース割いていただろうよwww
結局、ハンディ持ちは再起もするなサポートコストがかかるって追認してるだけじゃねぇかよwwwwwwwwwwwwwww
もう草も生えないよ……
この増田はノーマライゼーション的な話をしようとしているのだと思うよ。
論以前に例えが間違ってるって言ってんの。そして、どう違うか二回指摘してお前は無視してんの。民族の例えが使えないことはもう認めたのね。
差別でないと完全否定はできんわな。ノーマライゼーションの考え方からすれば、優先席は、むしろ身体の不自由な方をそこに追いやる、あるいは囲い込むものであって、弱者保護には繋がらない、すなわち手段としての合理性はないと言えるようだな。で、さっきから言ってるがそれはあんたの観点で俺の観点でない。間違ってるってなら俺の論のどこが違うかはっきりしてないんだわ。こっちは全部反論しているつもりなので、指摘した場所とやらをもう一度言えばいいだろうが。
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“実際に遠隔地まで公共交通機関で行くということには、健常者の何倍ものエネルギーが必要なのです” これな。健常者だって色々我慢してるんだから…という意見には少々違和感があった。まず前提条件が違い過ぎる。
「旅行したい」というありふれた願いにすら壁があるのは辛い。
みんなからクレーマーとか当たり屋と言われるような人がいないと何も改善されないことが明らかになった
車椅子の歴史は飛行機より長い。二足歩行で搭乗できる飛行機の設計は発想できるのに、車椅子では乗れない設計をする意図が知りたい。
「やりかたがぁぁぁぁぁ」してる人らがいよいよ無茶な叩き方に走り出す構図がブコメに。差別主義者って自分の属性を明確化されるのを嫌がるので「これは差別とは違うぅぅぅぅぅ」ってなった末路だわなぁ。
今回の件は「障害者は一手間かけろ」というルールに障害者が「健常者と同じようにさせてくれ」と言っているわけだから、構図だけを見れば「障害者様のわがまま」なんかではないよね。
障害児の母です。手帳があるので障害枠でしか保育園入園できません、人員確保ができないので入園できませんと、ゆるやかに区別差別され保活のスタートにすら立てず泣いたな…ノーマライゼーションはまだまだです。
リソースが有限?
知るかよ、何よりも優先して国費を全力で投入して、対応するんだよ。
貧乏人?
無職だろうがなんだろうが、生活保護などの福祉で解消されるべきで、障害者問題とは別の話。
働く意味?
障害をもつ人も健常者と同じように生きられるようにすること(ノーマライゼーション)を目的として建物や制度を設計することがバリアフリー
バリアフリーの整備が進むほど障害者への制度外における救済措置の要求に対して、制度の是非とは関係なく反感が募るようになる
これってフェミニズムと同じじゃない?
どこに失敗があったんだろう
車椅子の人に100%まじりっけなしのノーマライゼーションを、というのなら、
学業が不自由な人にも、100%まじりっけなしのノーマライゼーションを、と言ってもいいのだろうか。
学業が不自由ではあるが東大で学びたい!と叫んでもいいのか。国立大学だぞ。
あとは顔とかさ、それから「生まれつき貧乏な家」とかも、QOLを考えたら生与のハンディキャップと言える。
もちろん、世の中が出来る限りフラットになるのが理想だと思うが
彼のデモンストレーションの「ラインを越えてる」感や「それで食ってんのか…」感を考えると、いっそアホになって
「わしゃアタマに障害があるけど東大で学ぶ権利がある、すべてのハンディキャップにノーマライゼーションを!」
と叫んでも、ライン越え度合いはちょうどいいぐらいなんじゃなかろうか。
目立たない障碍や、今はハンディキャップと認知されていないがQOLを著しく下げる生与のウィークポイントがある人は…
などと考えたら、格安航空会社の車椅子対応って、QOLの程度差、線引き問題でしかなかったりする。
全ての飛行機に乗れないということであれば別だけど。
理想を今すぐに現実にするのは難しいから程度差を埋める着地点を探そう、とは思ってなさそうだよな。
あの極端なデモンストレーションで伝わるのは「線引きの中にオレを入れろよ」という当たり屋マインドでしかない。
ノーマライゼーションやハンディキャップという概念は、何かで埋め合わせをする(視力が悪ければ眼鏡やコンタクト、介助者、盲導犬など)ことで、いわゆる一般人(健常者ともいう)社会で暮らしていけるでしょ、ということだと私は認識している。
現在のリソース(技術・社会制度・人力・インフラ水準など)で埋め合わせができないなら、やはり一般社会に出てくるのは違うと思うのよね。不本意なことかもしれないが。
リソースは発展していくのだろうから(自閉症の原因も解明されてきているんでしょ、水銀説とか、グルテン・ペクチン説とか)、一定水準に達するまではしかるべき範囲内で暮らしていてほしい。
ノーマライゼーションってのは特別扱いされなくても済むように、仕組みを整えておくことだよ。
支援せずにほっとくことじゃないよ。