車椅子の人に100%まじりっけなしのノーマライゼーションを、というのなら、
学業が不自由な人にも、100%まじりっけなしのノーマライゼーションを、と言ってもいいのだろうか。
学業が不自由ではあるが東大で学びたい!と叫んでもいいのか。国立大学だぞ。
あとは顔とかさ、それから「生まれつき貧乏な家」とかも、QOLを考えたら生与のハンディキャップと言える。
もちろん、世の中が出来る限りフラットになるのが理想だと思うが
彼のデモンストレーションの「ラインを越えてる」感や「それで食ってんのか…」感を考えると、いっそアホになって
「わしゃアタマに障害があるけど東大で学ぶ権利がある、すべてのハンディキャップにノーマライゼーションを!」
と叫んでも、ライン越え度合いはちょうどいいぐらいなんじゃなかろうか。
目立たない障碍や、今はハンディキャップと認知されていないがQOLを著しく下げる生与のウィークポイントがある人は…
などと考えたら、格安航空会社の車椅子対応って、QOLの程度差、線引き問題でしかなかったりする。
全ての飛行機に乗れないということであれば別だけど。
理想を今すぐに現実にするのは難しいから程度差を埋める着地点を探そう、とは思ってなさそうだよな。
あの極端なデモンストレーションで伝わるのは「線引きの中にオレを入れろよ」という当たり屋マインドでしかない。