人生は有限だし、触れる事のできるコンテンツなんて全体の中の一握りの一握り。だからこそ限られた時間の中で普遍的に好かれる、自分にとっても良いと思える可能性が高いものを選び抜かないといけない。凡作に付き合う暇などない。
名作は凡作駄作との差異によって名作たらしめられる。凡作の何が悪いかを知る事で初めて名作の良さを知る事ができる。名作ばかり観ていたら、それは自分にとって普通のものになってしまう。
良いものは良い。駄作など関係なくこの世に本質として存在する美に迫った普遍的な良さというものは存在する、という本質主義的な考えに立つか、いや本質的な価値など存在しない。実存と差異によって「良いもの」が浮かび上がるのだという考えに立つかの違いなのではないか。
あと、後者の方がより作り手側に立った側面が強い気がする。良いものの良い部分を取り入れようと思っても何が良いのかが分からないと無理だし、悪いお手本を見る事の大切さ、みたいなのは当事者性の強い問題だと思う。
チェンソーマンでもデンジくんに「クソ映画のある世界の方が良い」みたいな事言わせてたし、クリエイターにはそういう意識があるのかもしれない。でも悪役にこそ作者の主張が込められていて、主人公が一般論や良識でねじ伏せるのが定石だ、みたいな話もあるしな。
「名作」と言っても、それそものの出来の素晴らしさを讃えられたものとエポックメイキングな価値を評価されたものがある。後者は過去にない新しい価値や手法を世に突きつけたという文脈があってのものだし、それはまさに「差異」が価値を生み出している訳で。何も知らない人が、絵ならキュビズムやら印象派やらの代表作を見ても、知識がなければ変な絵だとか寝ぼけた絵だとしか思わんだろうし。映画ならヒッチコックなんかを今観ても、教科書を読んでるような気分になるだろうし。新しい手法を使いつつより洗練されたフォロワー作品の方が面白いだろうし、今の人にとってはそちらの方が魅力的な訳で。
でも、教科書に載ってるような絵画を見てよくわからんけどなんかいいなーと思ったり、2001年宇宙の旅を観て退屈だけどなんか凄いっぽいと思う事もあるだろう。その「なんとなく」を説明できないのなら、それは本質的な美があるという話になるんじゃないかと思う。
2001年宇宙の旅を観て退屈だけどなんか凄いっぽいと思う事もあるだろう。 あれはつまらないけど退屈だと思う人間は馬鹿だと思う ただ過剰に褒めてる奴は考察厨の匂いがする。それ...