はてなキーワード: すみっことは
半額のかますのひらき
夕方の西友の投げ売りで安かったので買いました 2枚で429円
錐形の顔が怖くて歯がぎざぎざで指にささる痛い魚であるがとてもうまい
水気をきって塩を振って魚焼きグリルで焼いて夕食にした 横着してまとめて2枚焼くと真ん中がなかなか焼けないが焼いてる間じゅういい匂いがする
身がやわらかく皮目が焼き網にくっついて難儀したし身はごく少ないがそれでもたまに食べたいおいしい白身魚で
おいしいのだが焼いたのち時間が経つとあのいい匂いはどこへいったのか、という生臭い匂いになってそれで台所じゅうが満ちてしまう
匂うのだが魚焼きグリルを洗うのがどうしても面倒で魚を焼いたことそのものに目をつぶってそのまま置いてしばらく忘れていてふとみると
灯りの消えたほの暗い台所のすみっこに猫はこっそり歩いていって、そっと背伸びをしてこっそりグリルをなめていた
ふだん人間の食べものには特段おもしろいところがない、という顔をしてすましてかりかりを食べている猫なのに
人間には強烈だが猫の鼻にはよほどいい匂いなのかとも思ってまたくすっとしたが気がつかないふりをして
何事もなかったようにゆっくり歩いて明るい方に戻ってきた猫が目の前でゆったり舌なめずりをするのを眺めて
・感謝されたくて頼まれてないこともやる、そしてありがとうや精算がないと数年後に突然キレる(根に持ちやすいのにお節介という、最悪の組み合わせの習性持ち)
・自己肯定感がバリ高い、正確に言えば、「私軽く見られてる」という言い回しで「私はもっと丁重に扱われるべき人間なのにされない、なぜ?!」という不満を一年中言ってる
・だが見た目が正直良くない(華やかさがない)(女性だが、ヒゲを生やしたままチークをのせず、でも痩せていて服には金をかけるアンバランス)(心だけはお姫様)
・相手に悪気がないことでも自分が失礼と感じたら非常識という言葉をもちいてしつこく愚痴る
・自分が混ざれない話題になるとすみっこで携帯ゲームを黙って始める
・自分が確実に誘ってもらえる不安がなくなってくる時期にやたら幹事をやりたがる
・なんでも話せる友人もいるが、微妙に疎遠
・言われすぎてすでに相手にとって即イライラするネタを、鉄板の笑いが取れるネタとして繰り返してしまう
実際のところ
・気を使える人物と思われたいのか、やらないでいいと言ったものを自腹で用意することが多く、今度は何を根に持つのかとハラハラしてしまう
・なにかの企画の最中誰かが勝手なことをすると、すぐ傷つきすぐ慰めを欲するラインが飛んできてなだめるのに時間をとられてしんどい
・「あなたにはもっとふさわしい人がいると思うので」と婚活サイトでお断りをしたら「いや、そう言われて引くのが今までで、変わろうと思ってます。よければ貴方も一緒に変わりませんか?」と返され激怒(察しろとのことらしい)
・口は出すが、説得はしない(なごやかな雰囲気を維持して自分が動いて物事を改善するスキルがゼロ、見てるだけ言うだけは得意、残念ムードでドンマイしてる時に「それみたことか」を欠かさない)
・自分が紹介した友達同士が仲良くなり自分抜きで合うと年単位で恨んでくる あくまで自分を中心に据えてが理想らしい
といったように
世の中「お互い様」でおさめることがたくさんあるのに
全然違ったらすまんな
でもあまりに言い分が似てて…
最上静香、春日未来、伊吹翼をメインキャラに据えたコミカライズ
初代765プロメンバとデレマスのしぶりんと杏くらいしか知らないから、みんな知らないキャラだらけのマンガだった
ただ最上静香はジェネリックしぶりんって感じだったし、未来もどっかで見たことある感じ、翼はもろにジェネリックみきだったから、キャラの区別はついた
やたらamazonとかでレビュー高かったからアイマスとか特に興味なかったけど読んでみた
4巻まではふーんこんなもんかって感じだったけど、5巻のラストの展開はありがちコミカライズの少しだけ上をいっててよかった
しゃーないけどキモオタは出てこないからやっぱちょっと違和感は残ったけど
ファンに対する姿勢もキモオタがメインのくせにそれをまったく見せようとしないのがむかついた
原作知らなくてもそこそこ読めるけど、やっぱりキャラに思い入れある人が読む用のマンガだなあと
元100均店員、現キャッシュレスレジ有りのスーパーの店員です。
100均は小銭のみ自動釣銭機を使用、現金以外の取扱いはありませんでした。
自動釣銭機が壊れて自分の手で小銭を数えなければならなかった時は違算が怖くて生きた心地がしなかった…
電子マネーはICをかざす前にレジの操作こそあれど、お金のやり取りを間違えるリスクが格段に違うので導入してほしいなぁと思ってました。
もちろんコスト面やトラブル時の面倒さという点ではまだまだ現金が強いのですが。
鳥越俊太郎氏(78)が電子マネー強制社会に怒り 「私たちは現金世代」
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20181003-00000004-moneypost-bus_all
「ポケットの小銭をジャラジャラさせているから、それが減ると“お金を使った”という感覚が得られる。カードやスマホだと“お金を支払う”という行為を意識しにくいから、ついつい使いすぎてしまうような気がする。ビジネスとしては正解かもしれないけど、私のような現金派としては疑問ですね」
電子マネーの残高が見れるアプリならむしろどこでいくら使ったのか履歴が残るし確認しやすいんですよね。
小銭だって財布やポケットなどあちこちに分散していれば今いくらあるか把握しづらいのではなかろうか…
ポケットの中をジャラジャラ探すも足りず、結局またカバンから別の小銭入れやポケットを探ったりする人もいるので、ジャラジャラさせたって把握できているとは限らないです。
週末の混雑時には現金専用レジの前に長蛇の列ができ、キャッシュレスレジがガラガラになる。“電子マネーの使えない年寄りは行列に並べ”と言われているのと同じだろう。
現金決済の流れは
という一連の物理的な操作。勿論店員のスキルにもよりますが、仮にそれを一定とした場合。
この中で最もレジを遅らせる要因となる(逆に言えばここが早くなればレジも早く進む)のが①と④の客が現金を扱うフェーズ。
小銭が増えないよう端数を調整したり、財布のすみっこに挟まった小銭をとろうとしたり…
とりわけ高齢者は指先の扱いが難しくなるのか、どうしても小銭の扱いがもたつきます。
後にお客さんがつかえている時、お財布にお札が入っているのを見ると
「もう面倒だからお札をポンと出してくれないかな…その方が楽じゃないかな…」と思うこともしばしばあります。(申し訳ない
恐らくキャッシュレスレジのあるところでは電子マネーを扱えない現金派の高齢者が凝縮され、
という質の悪い行列を作ってしまっているのではないでしょうか。
キャッシュレスレジはそういうことも少ないのでスムーズに流れます。
ガラガラなのはまだまだ使える人の数が少ないからというのもあるでしょう。
電子マネーならお会計がスムーズだし、お財布はスッキリするし(あと現金の出し入れが減った分お財布が汚れにくくなった気がします)、
今後こういうレジはどんどん普及していくので利点がもっと広まってほしいなと思いました。
使えないお店や災害時のことを考えると現金も持ち歩いていたほうが安心なのは確か。
どちらがいいか、ではなく、日常生活の中でどう使い分けていくか、を考えてこの先生きのこりたいものです。
界隈の人間には一発でどのバンドのことかわかりそうだし下手したら個人特定もされそうだけど、念のため固有名詞は伏せます。
あとなぜかはてな記法の通りやっても行空けが出来ないので大変読みにくいです。すみません。
私が追い始めたのはそれからしばらく後なので実際追ってた期間はもう少し短いです。
少し特殊なバンドで、二次元に元ネタがあってそれを麺が役として演じるというスタンス。まあ後半は麺たちも素でやってましたけど。(この辺りでどのバンドかバレそうだ)
活動終了が発表されてからの私はそれはそれは目も当てられない程の荒れっぷりでした。
ツイッターの鍵垢には毎日「死んでやる」と書き込み、そんな折会社もクビになり「どうせファイナルライブが終わったら私は死ぬんだから再就職もしない」と1ヵ月間くらいニートを決め込んでいました。
それくらい大好きなバンドだったんです。全国ツアーは札幌から沖縄まで追いました。地方の小さい箱での対盤ですら遠征しました。
予定が2ケ月空けばもう耐えられなくてギャ友に「会いたくて会いたくて死ぬ」といっては泣きついていました。もはや依存状態ですね。
そんな中、ファイナルライブを終えた後の私なんて想像もつきませんでした。そもそも死ぬつもりでしたし。
でも実際ライブの日が近づいてくるとフラスタの手配やらエステや美容室の予約やら本命さんへのプレ選びやらで気持ちは落ち着いてきて、当日はあまりにも平常心でした。
結果から言います。私は生きていますし、これからも生きるつもりです。
ライブが終わった後、私はもっと号泣して取り乱すと思っていました。
でも普通に会場を出て先に出た友達が席を取ってくれていたファミレスに行って店員さんにドリンクバーをひとつ頼んでいました。
最初は全く実感がなかったんです。また1か月後くらいにぽろっと予定が出てくるような気がして、本当にこれで最後だって思えなかったんです。
しばらくしてやっぱり最後だったんだと気付きました。その時少し泣きました。でも本当に少しでした。というかライブで体力使い果たして泣く体力すらありませんでしたw
そのときの私の気持ちは悲しい、苦しいというよりもどちらかというとすっきりとしていました。
それはきっと私が「やりきった」からなんだと思いました。
追おうと決めてからは9割は追って、最後だからと盛大にフラスタを送り、最後だからと激しく重い愛をぶつけたお手紙をプレボにぶちこんできました。
だからきっと本命盤と一緒に本命盤を追っていた私もきちんと終われたんだと自分では解釈しています。
物販で買ったメモリアルフォトブックなるものもじっくりと読み込みました。
泣きました。でもこの涙は悲しみでも苦しみでもなく「このバンドを好きでいて良かった」という喜びの涙です。
ライブでガンガン出ていた脳内麻薬が切れてじわじわと「終わった」という事実が冷静に私を襲い始めています。
正直、すごく寂しいです。私は間違いなくとてもとても大切なものを失いました。
それでもやっぱり生きていこうと思えたのはそのバンドがたくさんの幸せと希望をくれたからだと思っています(あと本命さんのソロ活動決定のお知らせもあったので)。
「その日」は必ずやってきます。仕事やお金や距離の都合で私のように現場に通いまくる訳にもいかない人もいると思います。
それでもあなたの推しをあなたの出来る範囲で応援できるだけ応援してください。推しのためではなく自分のためにです。
だってそうでしょう?現場に行くこと、円盤を積むことは確かに推しのためにもなるけど何よりそれをしている自分が幸せだからそうしているはずです。
数日前に亡くなった西城秀樹の「ヤングマン」の歌を久しぶりに聞いてみた。
「さあ立ち上がれよ
今翔びだそうぜ
もう悩む事はないんだから
ほら見えるだろう
君の行く先に
楽しめる事があるんだから」
この曲がリリースされたのは1979年のことである。高度経済成長も一段落して、石油ショックのアクシデントから省エネ経済への転換期の日本。
この10年後に発生するバブル経済に向けて、国民全体が更なるギアチェンジをふかそうとしている元気のある日本の姿がよく現れていると思う。
経済も、文化の発展・成熟も右肩上がりの時代であり、誰も後ろ側を振り向いていることは無かったのではないか。
そして、バブル崩壊後の1996年にリリースされた近藤真彦のミッドナイト・シャッフルの歌詞を読んでほしい
※マイナーかもしれないが、この曲こそ低成長時代を象徴していると思うので例にしています。
「強そうに生きてゆくよりも
本当に強くなるために
その羽を震わせて見上げてる
冷たい夜空を」
バブル崩壊と低成長時代への突入という事態に対して、自信を無くしつつある日本人の心情をよく表現していると思う。
そもそもバブル自体が、日本人が世界第二位の経済大国になったという幻想だったのではないか。
この歌がリリースされて約20年経過したが、今の日本は当時よりも更に悪くなっている。
経済の縮小、人口の減少、過疎化、高齢化、東京一極集中、格差の拡大などの課題先進国・日本はこれからどこへ向かうのだろうか。
「涼宮ハルヒの憂鬱」と言えば、2000年代を代表するライトノベルの筆頭だ。当時読者であった私はインターネット環境を持っていなかったので、そのオタクの熱狂ぶりを確かに知っているわけではないが、今もtwitterなどでハルヒの話をしていると、他のオタクが「懐かしいなあ」と言って話に乗ってくれたりする。彼ら、彼女らの大半は長門が好きだ。私も自分が男だったら長門みたいな女の子がきっとタイプだったと思う。
私は普段SFを読まないし、こんがらがった話は苦手なので、正直ハルヒシリーズの世界観や伏線を真面目に考察することはできない。それでも「涼宮ハルヒシリーズ」が今でも一番好きなライトノベルだ。それはひとえに涼宮ハルヒのことが好きで、彼女が羨ましいと本気で妬んでいたからである。萌えキャラクター的観点から言えば、みくるちゃんや長門に軍配が上がると思っているけれど、涼宮ハルヒは私の中で、嫁にしたい女の子ではなくまさに「私がなりたい理想の女の子」だった。
ハルヒシリーズに出会ったときの私は学校に馴染めていないオタクだった。教室のすみっこで一人でライトノベルを読んでいる自分を、気持ち悪いことに、突飛さでクラスから浮いていた涼宮ハルヒと重ねていたのだと思う。ハルヒ以降もそこそこの数のライトノベルを読んだけれど、ヒロインに自己投影するというのは後にも先にもこれっきりだ。
ハルヒは私と違って顔がかわいいし、胸があるし、声も平野綾だが、私とハルヒの決定的に違うところはやはり「神様かそうじゃないか」である。涼宮ハルヒは、「涼宮ハルヒシリーズ」において間違いなく世界の中心だ。あのライトノベルの中の人物たちは皆、ハルヒに振り回され、ハルヒのために行動している。ハルヒシリーズはキョンの一人称視点で書かれているので、当然一番わかりやすいのはキョンの心情だが、彼は何だかんだと文句を言いながらハルヒの暴挙に振り回されることを是としている。私はハルヒが心底羨ましかった。自分が好き勝手に振り回したってめったなことじゃ怒らないキョン、自分の気持ちが無意識に暴れ出したら何より優先して閉鎖空間へ向かう古泉、自分の一挙一動にいちいち慌てるかわいいみくるちゃん。
今の私はハルヒシリーズを読んでいたときより、年齢的にも年をとったし、精神的にも少しだけ大人に近づいたとは思う。人に合わせなきゃいけない場面が生活の上で本当にたくさんあることも分かる。話せる人がクラスに誰一人としていなかった時代に比べれば、少ないながらも友人がいて恵まれている。当時はとにかく手の付けようがないメンヘラだったが、今は折り合いをつけられていると思うしゴリラメンタルとも言われる。