はてなキーワード: 非リア充とは
対人関係が良好な者(いわゆるリア充)に対する僻みは、我々(いわゆる非リア充)にとって、文化、世代、性別を超えたある種の共通言語となっている。
この文脈は、はたしてリア充と呼ばれる人々にも共感できるのだろうか?
現在リア充であっても、リア充ではない自分を想定できるし、そうなった時に自分がリア充に向けるであろう目線も容易に想像できる。
リア充の中にも「リア充度」の高い者と低い者がいる。下位のリア充は上位者に対し、我々と同様に僻みを抱く。上位の者ほど僻みの対象が少なくなり、共感性も薄れる。
リア充は、コミュニケーション能力などの「リア充性」に関して他人を僻むことはない。しかし、収入や社会的地位、容姿、才能、知名度などについて他人を僻む事はあり、その感情と置き換える事で共感可能である。
リア充は、対人関係が苦手という感覚が理解できないし、それによって下される社会的評価の影響など想像もできない。
はいそうですね。
自分の非リア要素にばかり注目するようにできている。
リア充がいうリア充は恋人がいるかどうかで、非リア充のいうリア充はリアルが充実しているかどうか。
なんてことを書いてるように私は当然非リア充側。リアルが充足している感じがしない。諸々で大学1年間を棒に振った所為が大きいけど、多分それがなくてもコミュ障さと無駄なプライドの高さで退屈な大学生活を送ったんだと思う。同級生は恋人作ったり部活やったりバイトやったりで充実しているように見えて自分がみじめ。こちとら学部に知り合いすらほぼいないし恋人なんていないし、そもそも恋愛の土俵に立つべき人間じゃないと思ってるし、受験勉強以外に大した能力があるわけでもないし、ないないづくし。サシ飲みなんてしたことない、デズニーも行ったことない、大学の友達と何処かに遊びに行ったことほとんどない、宅飲みとかしてみたい、オールもやってみたい
自分がみじめで、可哀想で時々夜になると泣けてくる。(お酒片手に夜中徘徊してたけど親に止められた)でもこの状況を抜け出して、リア充だなって自分で思えるように本当になりたいのかと言えば実は違うと思う。多分、私は自分可愛さに泣いている。可哀想な自分がかわいいからどうしても泣けてくる。本当にどうしようもない。どうしようもないけど、きっと私はどうしようもない私がこれ以上なく好きなのかもしれない。
その傾向は多分、地方のほうが強い
今の30~40代ネット民の多くは、1990年代末~2000年代前半、つまり2ch全盛期のころ「マスゴミは嘘ばかり、ネットで真実に目覚めた」となった世代なわけだが
(「も」という部分がポイントやで)
ある程度以上ネット世間すれすると"ネットも疑う"が身につくんだが、地方に行くと大部分のおっさんやおばちゃんの間ではいまだにTVの影響力がすごく強い
すると「テレビを鵜呑みにしないでネットで裏情報に触れてる俺スゲー」という優越感が得られる
周囲の田舎者はマスゴミを盲信してるけど俺だけ真実に目覚めてるという錯覚
なんか、うまく言えないんだけど例のニュースでぶつかる理由を痴漢目的とか怨恨とか、すごく話題になってて、
話題になるくらいに理解できない人がたくさんいることにビックリした。
「あっち側」と「こっち側」というか、ぶつかる理由を理解できない人がたくさんいる事がそもそもの原因なんだけど、
けど、理解できない人には一生理解できない問題だし、完全にぶつかる男が悪いんだけど、
善悪とか、論理性とか、そういうの抜きで、「なんでぶつかる理由をお前が言える?」って思うかもしれないけど、俺の想像だけど、なんの根拠もないけど
「ぶつかる理由」って、もう踏み込むと文学的というか人間性の違いというか、まあでも「理解できる奴」と「理解できない奴」がこんなにいるんだな。
痴漢のステレオタイプなイメージって、ハゲデブのおっさんとか、アキバ事件の加藤とかそういうイメージあるじゃん。
でもこいつ、意外と小奇麗というか普通っぽい。後姿だけだけど、見るからにはイカれてない。
ハゲデブのおっさんがぶつかるのは痴漢か、単なるキチガイが理由。
けど、そのどれとも少し違う。
でもこういう事に及ぶ理由って、
増田にいるような奴はたぶんわかんないし、2chに書き込むやつにも、ニコニコにいる奴にも、ツイッターで事件にあーだこーだ言う奴にもたぶんわかんないんだろうな。
コイツが完全に悪いけど、ニュースになるくらい理解されないのがきっと理由なんだよ。
イケてる奴にも、イケてないオタクにも、なりきれなかった奴ならぶつかる理由がわかるかもしれない。
イケてる奴みたいに、女に相手にされた事がなくて、女が憎くて、けど、イケてないオタクみたいに「俺非リア充w」だし、だなんて開きなおれる程じゃなくて
モテる奴なら「モテない男か痴漢目的だろうな」とか「やばwキショw」って思う
いや、違う。
よくあるオタクみたいにコイツは「童貞だからw」って開きなおれなくて
女に対して恨みきる事も、諦めて開きなおりきる事もできなくてぶつかるんだよ
どうしたらいいかわかんなくて、ぶつかるんだよ。
な?コレ意味わかんないだろう?
なんていうかな、
コンプレックスってのはさ、夢中が忘れさせてくれるんだよ。
モテなくても、アニメだろーと、何か打ち込むことがあれば、そもそもモテないなんて結構どうでもいいんだよ
ツイッターとか、はてぶでニュースにコメント残す奴いるじゃん。
そいつらって、コンプレックスがあっても外に意識を向ける事ができるから、重症にならないんだよ。
だって、日大の問題について考えてる時とか、政治の問題を考えてるときとか、アニメに夢中になってるときって自分がモテないとか気にならないじゃん
こうやってぶつかる奴はね、ひたすら思考がいつも内に向いていて、モテない事に開きなおりきる事も、あきらめて無関心でいる事もできなくて
そこに居場所があって、オタクにはオタクの仲間が、イケてる奴にはイケてる奴の仲間がいる。
けど、どこにも分類されない奴は、自分の仲間がいない。
インスタをバカにする奴がいる。tik takをバカにする奴がいる。
けどさ、そういう流行りものをバカにするのって聞きあきるじゃん。
本当はインスタをくだらないと思いつつも、自分の見栄えを最大化するためとか、やらないよりはやってる方が
バカにしてる奴らよりはスタバでフラペチーノみたいなのをあえてやる方が面白いからインスタをやるかーって思った末にインスタをやる奴がいるとする。
結果は「インスタをやってる」になる。
単純に友達がやってるから、とか、スタバのフラペチーノがおいしかったから乗せよう、だけででインスタをやってる奴がいるとする
結果は「インスタをやってる」になる。
ぶっちゃけ、流行りもののニュースに政治家や評論家が口を出すのはダサい。大事なんだけど、なんかダサいじゃん。
そいつなりに思うことがあって、いいたい事もあるけど、そういう事を言うのはなんかダサいから黙ってる奴がいるとする。
結果は「ニュースに関心がないように見える」になる。
単純に政治やニュースに興味がまったくないから、口だししない人がいる。
結果は「ニュースに関心がないように見える」になる。
アウトプットが同じに見えて、思考プロセスによってそいつの人間性はまったく違う。
けど、思考プロセスが単純に女に怨恨があるんじゃなくて、どうしたらいいかわからないからぶつかってる。
合ってるかなんてわかんないよ?俺の想像だよ?
けどね、なんの根拠もないけど、確実にそうなんだよ。
誰にもわかってもらえないからぶつかるんだよ。
がんばって言語化しようとしてみたけど、やっぱりできなかった。
ごめん。
理解できないだろうしもういいや。
忘れてくれ。
最後に
某twitterより
#わざとぶつかる人、新宿駅~新宿三丁目駅付近にもよく出没する。文句を言ったらお腹を殴られたので、駅の事務室に引っ張っていった。わたしがエスカレータを一段空けず、男性の真後ろに乗ったことにムカついてタックルしたらしい。沸点低すぎでは…。警察の話では普通の会社員とのことだった。
俺が言うように本当の狂気ってのは、名前がつかないし、人に説明しても理解できないんだ。
以上、彼みたいに実行には移さなかったけど、何度も言葉にできない気持ちから女にぶつかりたいと思った事のある俺からでした。
追記
ぜんぜん関係ないんだけど、なんかバズったし俺がみんなに読んでほしい小説宣伝させて
ぶつかりたい奴って、こういうメンタリティに近いのかなーみたいな
http://bunshun.jp/articles/-/3526
当たり前なんですが俺は作者さんとかじゃないし何の関係もないです
SNSに気になる人がいる。多分好き。
何年もほとんど絡みがなかったのにいきなり絡みだしてもキモいだろうと思い距離をはかっていたら、最近少しだけ話すようになって嬉しい。
本当はもっと話してみたいけど。
まだ会ったことはない。
そもそも相手は3次元に興味がある人ではないし、こちらも容姿に自信がある訳ではないので会うことはないと思う。
とはいえ3次元に興味がなくても突然の出会いってあるものだし、そのうち誰かと会って結婚したりするかもしれない。
その時は祝福するぞと早くも心の準備をしている。
多分この辺りがキモいんだけど、妄想癖があるから仕方がない(妄想癖がある人をキモいとは言ってないです)。
2組とも早い段階で会ってるし勇気的な意味でよくそんな気軽に会えるなって思うけど、その行動力がリア充と非リア充を分けるのかもしれない。
世の中の人間には「幹事体質」を持つ人と持たない人がいる。「幹事体質」は私の造語だが、読んで字のごとく「幹事」になりやすい性質のことである。
ONE PIECEの「覇王色の覇気」みたいなもので、幹事体質の人は子供の頃からずっと「幹事」とカテゴライズされる立場になり続ける運命にある。この説明を聞いて、陽キャと陰キャとか、リア充と非リア充とか、優等生と劣等生のようなスクールカースト上の二項対立を思い出す人がいるかもしれないが、そうではない。実際、オタク的なコミュニティにもヤンキー的なコミュニティにも、幹事体質の人は存在し、そのコミュニティの中での幹事的な役回りをしている。
幹事体質の人が集団の中で持つことになる役割は、人生の段階に置いてさまざまな形をとる。学級委員、部活の部長、サークルの幹事長、飲み会の幹事、町内会の役員……。あらゆる集団は幹事体質を必要としていると言っても過言ではない。幹事体質の人間は、時に集団の中心で皆をひっぱるリーダーのようであり、時に集団の中心から離れて面倒事を引き受ける雑用係のようである。
幹事体質に必要なスキルは特にない。皆の前に立つのが得意な人、人の話を聞くのに抵抗がない人、隅々までものごとを考え尽くすことができる人、豊かな文化的物質的資源を持つ人、それぞれが自らのスキルを活かして幹事の職を全うするので、個人の性格やスキルは「幹事体質」とほとんど関係ないと言っていいだろう。
ここまで聞いてピンとこない人はごめんなさい。きっと私の文章が稚拙であるか、周りの「幹事」たちに気づかない人生を送ってきたのだと思う。
こういう文章を書いていることからも察せられるように、私自身もさまざまな幹事をつとめてきたんだけどね。だからなんだって話なんですが。最近色々うまくいかないので文章書いてみたくなったんですよ