はてなキーワード: 読破とは
この人は多分漫画がそれ程好きじゃないのだろうと思う、私もアラフィフ世代に高視聴率をとっていた名作ドラマ一気見しろと言われたら古臭い上に興味がなく厳しすぎるし。
ドラゴンボールはアラフォーの人生と共にあったジャンプの象徴的漫画で、絵も古びず普遍性があるコンテンツだと思っていた。
しかし私が普遍性があると思っている手塚治虫高橋留美子藤子不二雄、萩尾望都、長谷川町子、水木しげる、横山等々考えてみると全部私が幼少期にアニメを見たり図書館や親の漫画を読んだりして触れていた物だ。
名作だと度々聞く、すすめパイレーツつる姫じゃ〜っこまわり君等々は古くさくて読破できなかった。
あしたのジョーやドカベン銀河鉄道999レベルの名作も、キャラの魅力で読めるがやや面白くないと思った。
永井はデビルマンは普遍性を感じるが、読むのが苦痛な漫画も多い。
作品の出来が突出している以外にデビルマンアニメに触れていたのも関係があるのかも。
漫画は特に時代によって変化の大きなコンテンツだ、子供の頃に触れなかった作風を素直に面白く見るのはとても難しいのかもしれない。
ポスターやらVTuberごときで性的目線がどうのこうのとギャーギャー言ってるのなんて馬鹿みたいだし
乳袋云々、恥ずかしげな表情が云々、そんなもん個人の主観だろう
つい最近思い付きで鑑賞したワンダーウーマンはその思いをより強くさせてくれたので、
ざっくりとあらすじを説明すると、神が作った孤島(女しかいない楽園)で生まれた
アマゾネスのプリンセスが世界を救うために旅立ち、人間の男と出会い、愛に目覚めて悪を倒す話である
この作品のレビューを眺めてみると、以下のような内容が大半になる
シナリオが王道的で~とか台詞が~だとかふんわりと褒めるものもあるが、少数派でしかない
何でこのようなことになっているのかを理解するための材料として、
・子供のでき方も知らない
自分がゼウスと母の間で作られた子供だと知るとショックを受けるシーンまである
※複数シーンで言及されるし、それによって事態が打開される場面がある
・肉体的快楽論(全12巻)を読破しているので快楽については詳しい
一言で表すとしっちゃかめっちゃかだ
結婚や子作りの概念を回避しつつ数百の言語を習得できたのはどういったからくりなのだろう
ロンドンについた彼女は剣を順手に持って街を歩く程度に世間知らずで、
作中で男に嘘をついて戸惑わせるような小悪魔的な素振りを見せることは決してないからだ
何とか理屈をつけようとするより、以下のように解釈した方が妥当だろう
「少女性と女性性、母性を全て兼ね備えようとしたらこうなった」のだ
全編通して平均台を歩いているようなせせこましいストーリーテリング上の綱引きが繰り返される
→肉体的快楽論を12巻(13巻ではない)読破している(女性が快楽を求めること自体は肯定しておく)
→男は生殖にいるが快楽にはいらないと言い出す(ただし男に都合のいい女ではないアピール)
→そんなことはないと反論されたら寝入ってかわす(めんどくさくない女アピール)
狭い船の上で男と寝るという些細なイベントでここまで事細かな配慮が必要なのだからもはや同情するしかない
こんな有様では本筋で大胆な話を展開するなど絶対に無理だろう
序盤で
ゼウスが人間をつくる→アレス(今作のラスボス)がそそのかして人間が争いだす
→ゼウスに作られたアマゾネスが愛で包んで解決→アマゾネスが反乱を起こす
→ゼウス達が加勢する→アレスを倒す→アレスの復活を予期してゼウスがアマゾネスを島に保護、神殺しの剣を渡す
アマゾネスは誰に反乱を起こしたのか、まったく語られない
話の流れからすると人間が起こした争いの平定のためだけに生み出されたアマゾネスが
「ゼウスに」反逆するのならわかるが、ゼウスはアマゾネスに加勢している、何故?
ここも無理に話のつじつまを求めず
と置き換えるとすんなり話が通る
強引だ、と思う向きもあるかもしれない
しかし、ワンダーウーマンでは本作における戦争の決戦兵器であるマスタードガスの開発者が
彼女は貪欲に勝ちを求めるドイツの将軍に加担して毒ガスを作り出し、
この女科学者も「名誉男性」のメタファーなんだと考えれば非常にわかりやすい
無辜の人々が死んだ根源である彼女を殺せ、とアレスはワンダーウーマンに迫るが、
ワンダーウーマンは愛に目覚めていたので結局彼女を殺さなかった
ご丁寧なことに、一見ラスボスに見えたドイツの将軍は島の塔(意味深)に眠っていた
ゴッドキラー(剣)で貫かれて息絶えるが、アレスはその剣をあっさりと無力化した
女が握る仮初の「剣」では真の悪は倒せないのである
ワンダーウーマンはヒーローの自己犠牲(愛)で己の力に目覚め、
最終的にアレス自らが放った真っ白い光を跳ね返して、アレスを倒す
フェミニズムに徹底するかと見せかけて、最終的に古来よりヒロインに受け継がれた
由緒正しいイヤボーンでラスボスを倒して見せたワンダーウーマンは
家事と仕事の両立を迫られる現代女性の困難をそのまま示しているようにさえ見えた
要するに、ワンダーウーマンは
旧来のかたくななフェミニズムから脱出して理解のある男と触れあい、
愛に目覚めた新世代フェミニストが少女性と女性性と母性を全部託されてマッチョから世界を救う話なんだろう
こんな馬鹿馬鹿しいことになったのはひとえにポリコレ的価値観による要求のせいだとしか思えない
小難しい綱渡りを求められた挙句に「つまらん」で切って捨てられるのだから
本当にやっかいな世の中だ
名誉男性作の大量破壊兵器と心中したヒーローは主人公に「父の形見の時計」を渡したが、
時計(おそらく作中の流れからするに世代を超えて受け継がれる揺るぎない信念のメタファーなんだろうが)と愛だけでは生きていけない
現実にあの量の本を読破している人物がいるわけが無いというのが笑いどころなのだが
たまに、本気でそうであるべきだと思っているイかれた奴をみる。
件の人物はある程度の読書家で自己顕示欲と権威主義に塗れた人物だと勝手に想定する。
安直かもしれないが、いわゆる人文の教授ですら、自分の専攻分野の大家の本を読破しているか?というそもそもの疑問がある。
本当に読んだかどうか確かめる術はないし、読んでいたとしても記憶は減衰していく。
すると、ある話題について話すとき互いの緩い確認作業くらいしかないわけで、それで済むのであれば
本を丸々読まなくても概略であったり、抜粋で済むわけだ。
面白い漫画の紹介は世の中にあふれているが、つまらない漫画を紹介は少ないので挙げていこう。読破すれば、「ジャンプの打ち切り漫画って、面白かったんだ」と認識を改めるはず。
1巻は、面白いのがタチが悪い。登場人物の頭が悪すぎて、読んでいて狂いそうになる。
新宿スワンと同じ作者の方。面白い回が無いのではなく、面白いコマが無い。それなりに続刊しているため、つまらないと感じるのは、読んでいるこちらの頭がバグったせいかと混乱する。
エロ本。に改題するなら許す。
原作は未読なのだが、漫画版は、何がしたいのか全く分からない…。黒歴史ノートの漫画化。悪役のはずの吸血鬼達が全然人間を殺さないため、戦う理由すら不明。
原作未読。原作知ってたら面白い…の?映画やアニメ化してるからといって面白いと感じるとは、限らないことをよく教えてくれました。
ヤングエース掲載。漫画雑誌を買っても無理に全作品読む必要はないことを教えてくれたメモリアルな作品。誇張無しに「理解出来るコマ」が存在しない。無を感じたい方にオススメ。
主人公が強くなりすぎた系。まだ読める方だけど、序盤の面白さは無い。6番までと比べると全然マシではある。失速した漫画は、どこで見切るか難しい。
「何が嫌いかより、何が好きかで自分を語れよ!」という名言は、あるけど、地雷を発見したら、他の人に警告する義務も、存在すると思ってます。
妹(架空)がそう薦めてきたのは昨日の夜
眠い目を擦りながらも、まあいいやどうせ明日も俺は日曜日だし、と漫画版を最新話まで読破した
つまらなくはなかった
自分が最後まで読破出来た理由が実は面白かったせいなのか深夜のトランス状態によるものだったのかは分からない
なろうの異世界はゲームの世界だと弟(架空)から聞いていたがここまでゲームの世界だとは想像もしていなかったよ
ゲームみたいな似非ファンタジー中世世界程度の物だと思っていたんだがまさか完全にゲームの中だとは思わなかった
テレビゲームのようにステータスが数値化されているとか死んだ人間も魔法で生き返るとかそんなチャチなレベルじゃない
レベルアップしたからHPが全開してスキルポイントで能力を覚える世界だった
あれはもう独白じゃない実況だ
ゲーム実況だ
自分で作ったゲームの世界観を自分が作ったキャラクターにプレイさせてそれを姿なきVtuberとして実況しているようなものだ
なんだろうこの世界は
俺の知らないジャンルだ
なろうごときにこんな言葉は使いたくないが奴らは確かに新しい表現様式(ジャンル)を発明したようだ
やるじゃん
兄(架空)もそう言っている
ああそれにしても姉(架空)が欲しい
なぜ、街中でPK横行してないの?
鍵が見つかると IOI-xxxx が固めて入れなくなって競り合いになってる描写があった記憶
原作はAtariネタ乱発しすぎてウザいのでどこまで付き合ってやるかというトレードオフはあると思う
忘れたけど奨学金問題のように借金強制+強制労働のコンボは現実でも有り得なくはない
内部のセキュリティザル過ぎでは?
スラム爆破した後で死亡確認してなかったりAechの所在も風体も知らなかったりGoogleIOIはゆるふわなので仕方がない
天才創業者のプログラミングと高度なセキュリティと自律制御で無人運用されており誰にも手出しすることは不可能(鼻ホジ
sudoersに追記されてるはずだからロールバックでもしたらいいんじゃない(鼻ホジ
恐らく原作読むと色々な問題が氷解すると思うけどクィディッチ今昔を10冊くらい読破した気持ちになる出来なのでエンジョイして忘れるのがいいと思う 俺も見に行かないとなー
ガンダムにしろマクロスにしろそれ以外にしろ、もう新規参入無理じゃね?あの辺。
シリーズのお約束とかそれに伴う前提とか過去作品の内容とか分からん状態で見て楽しめるのか?
スパロボに出て来るキャラ全部わかる人はどれくらいいるんだろうか。
オタクの基礎教養扱いになってるから、把握しておきたい気もするけど、あまりにも敷居が高すぎて無理。
他のジャンルを考えると
(因みに「そのジャンル全般に詳しい」立場になるにはどれも難しいのでそれは除外)
アニメ:よくある1クール完結のものなら参入は簡単。オリジナルは勿論、原作付きでも大抵は大した量でもないし、見てる方も原作知らない人が大多数。
シリーズものだとそのシリーズの全体量による。上に書いたガンダムなんかはもう無理。
マンガ:長期連載でも最長でも百冊強くらいで二百冊は超えないから全巻読破出来ない事はない。
百冊だろうとレンタルコミックを使えば合法的に大金をかけずとも読めるだろう。
ゲーム:アクション系は最新作だけでも大丈夫そう。スマホガチャ系は経済力による?
RPGはポケモン系なら最新作だけでいいだろうが、大変なのは一般RPG。DQFFいくつ出てんだよ。
DQ11の過去作オマージュネタ全部分かる人はどれくらいいるんだろうか。
それでも、DQFFは昔のものはほぼスマホ移植済みなので今からでも気軽にできるからまだマシで、
もうちょいマイナーなシリーズになると、そもそも現行機種で出来なかったりするし。
今更FCやSFC取り出して…ってのは敷居高すぎる。カードリッジの電池切れてそうだし。
特撮:長編アニメシリーズ以上に敷居高い。基本一年続く上に、全部でいくつあるんだ?
ライダーだけ、とかに絞っても相当多いのに、特撮全般ともなると「子供の頃からずっと見てる人」に追いつける気がしない。
ただ最新作シリーズを楽しむだけなら別に昔の作品知らなくても支障はなさそう。
以下の日記を読みました。
http://hagex.hatenadiary.jp/entry/2018/03/30/130000
言いたいことには概ね同感で、わたしもつまらない映画でも最後まで見るべきというスタンスです。
しかし、文章の矛盾がすごく気になりましたのでいまはてなダイアリーを書いています。
引用・「作品を最期まで観た人間のみが、その感想を口する権利を手にいれる」
これは言い換えたら「最後まで読んだ人だけがクソ漫画をクソクソ言えるのだ。」ということになりませんか?
まず冒頭に、『インベスターZ』の初期の場面を見て失望し、真剣に読まなくなったとあります。
引用・最初の15分から30分だけ観た人に、クソ映画と言われても全く信用できない
漫画の一場面を見て見限る人と、「最初の15分から30分だけ観た人」に本質的な違いはあるのでしょうか。
もしも映画で「主人公につまらない映画をみせて、何分で出てくるか賭けをしている場面」が出てきても、hagexさんは席を立たないのだと思いますが、一場面で判断して漫画を読まなくなること(そして、読まないことを誇らしげにしていること)はまさにご本人が批判している行為です。
引用・自分がダメ映画だと感じても、それを他人に適用するのはナンセンスの極みなのである。
しかし、それがわかっていてなぜ「映画とのスタンスも人それぞれ」と寛容になれないのでしょうか?
引用・自分がダメ映画だと感じても、それを他人に適用するのはナンセンスの極みなのである。
引用・時間の無駄を気にして、傑作や名作しか見ない連中は、実は映画の良さをわかっていない。だから、この増田も映画通ぶっているが、実はまったく映画がわかっていないのである。
自分が「クソ映画でも最後まで見るのが映画の良さをわかっている人間だ」と感じても、それを他人に適用するのはナンセンスの極みなのである。
映画を見た数が少ない人は映画が良いと思ってはいけないんですか?映画の良さがわかってるかわかってないかって、誰が決めるんですか?
もともと、この投稿
https://anond.hatelabo.jp/20180209213614
への反対意見で、わたしもクソ映画最後まで見る派としてhagexさんの気持ちはわかりますが、この人が批判されてしかるべきなのは途中退席しない人への暴言だけです。
この人が映画を最後まで見ないのはこの人の自由だと思います。(途中退席する人がいると迷惑だというのはおいておきます)
映画を見てどう感じるかは人それぞれですし、その人にとって正視に耐えないレベルだったということに対して、映画は最後まで見るべきだという押し付けは意味がありません。
わたしの友人に、人の顔は一度見たら忘れないという人がいます。電車でいあわせた人を、別の場所で偶然もう一度見かけたらわかるそうです。そして、人の多い場所を苦手にしています。
きっとその人は、人の顔から視覚的に受け取る情報の量や質がわたしと違うから、人が多いところにいるストレスがわたしより強いんじゃないかなと想像しています。
その友人が人の多い場所を苦手としているように、映画を最後まで見ない人にも何か事情があるかもしれません。
人それぞれ映画を楽しんでいればそれでいいのに、映画をわかっていないだとかそういう言い方で、映画ファンに上下をつけるような記事だったので、矛盾していると思ったところを書いてみました。
他者を批判することも多い方ですが、自分を客観視できないと説得力がありません。
漫画と映画は違いますが、漫画はつまらなかったら途中でやめていいのに、映画はつまらなくても最後まで見なきゃいけないという理屈はおかしいです。
一貫性ある主張にするためには、漫画につまらないという感想を抱くためにはその漫画を読破するべきだなんてマイルールを設ける必要がありますが、そんなことはhagexさんも不本意だと思うので、映画を途中でやめることを親の敵のように憎まないであげてください。
以上です。