今の私は強い人間と言われることが多い。
何かを言えば強者の論理だって言われるくらいには強そうに見えるらしい。
そんな強そうに見える私がかつて誰にも救ってもらえないと感じていたときによく考えていたことを書いてみます。
誰かのお役に立てればいいのですが。
はっきり言ってテレビやネットやらで誰かが助かったという報道ありますよね。
それ届きません。
信じません。
他の誰かは助かったかもしれないけれど、自分が助かることはないのだろうと強く信じてます。
だって自分の身近にいる人は誰も自分のことを助けてくれなかったんだから絵空事にしか聞こえません。
いっそそんなことを話す人がいたら嘘つきだと思ってしまいます。
いくら頭の中で誰かに助けてもらいたい、積極的に自分を認めて肯定的な態度を身に着けたいと思ったって、自分の目の前にモデルになる人がいなかったら誰を真似てよいやらもわからない。
そんな状態でした。
多分、彼らもそこまでは納得してもらえるのではないかと。
で、ここからは本当に役に立つかどうかわかんないよ?
役に立たなくてもっと絶望して人を殺したくなっちゃっても実行しちゃだめだよ?
いいね?
私は自分自身が認められることを捨てました。
というか、自分みたいな弱い人間が認められるために大きな声を上げていいとも思えなかったので、助けてくださいとも言わなかった。
そのくらい自分のことを諦めていた。
誰にも助けてもらえなかった経験は忘れなかった。
それを利用しました。
殴られ蹴られ刃物を突きつけられ、ベルトの鞭で打たれ、それでも通りすがりの大人に助けてもらえなかった子供の頃の自分、今の自分ではなく過去の自分を助けることにしました。
そのとき、自分がどれだけマイナーなのかだけはよくわかっていたので、過去の自分より先に認めやすい他のマイナーな人たちを助けることにしました。
それなら強くなれたから。
自分のことは大嫌いだったけど、そこだけは曲げなかった。
それで主張する相手も選びました。
どんだけ逃げたかわかんない。
やっと見つけた信頼できる大人に全部ぶつけて。
周りの人にもぶつけて。
ただわがままではないように見えるから受け入れてもらいやすかった。
実際は自分のためなのだけどそんなの関係ないように見えるでしょ?
ひねくれた私にはそれが精一杯で。
でもやってることは人助け系統なので、自分を認めてもらうことを捨てたにもかかわらず自分自身を認めるチャンスをもらえました。
実際目の前で具合の悪い人がいたり何かあったら100%助けてたよ?
で、どんなことをしたら小さな頃の自分が納得してくれるかいつも考えて行動してた。
現在の自分自身のためになることを考えてるのとは違うから人からはちょっとズレたままで衝突することも多かった。
そんなことをしているうちに、それは無茶なことでもあるから心が壊れてしまって精神科にかかるようになった。
でも薬と認知行動療法を受けて少しずつ今の自分自身を受け入れられるように今は努力してる。
あれこれ考えずに今の自分に集中できると行動を決めるのが早いみたいです。
でもいきなりそんなこと私にはできなかった。
自分を認めることができなかった私にできる精一杯のことがそれだった。
もっと前に現在の自分に集中できていたらできていたはずのことがもっといっぱいあったはずで。
今無職五十代です。
それは幸せな子供時代を過ごせなかった私には子育てなんて考えられなかったから。
体を壊したから働くのは無理かもね。
でもそれでもやっと手にした自分を大切にする気持ちを捨てる気はない。
何十年かかったと思ってんだっての。
今さぁ
自分と同じような苦しみを味わっているのかと思うと辛くて。
頼むから生きてほしいし、頼むから人殺しなんてしてほしくない…
これ本当に役に立つかはわからない。
でも自分を認めることのできなかった人間がどうやって生きてきたか書いておくことも大事だと思った。
これ読んでても自分には届かないと思ってると思う。
嫌ってほどわかるから。
児童が全員仲良くなれた事例をテレビで見て信じられなかった私がそう思うんだから。
でもそれでも思う。
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