はてなキーワード: 統合失調とは
物心ついて間もない時期に、母から無理心中を迫られたことがある。
死についてよく分かってなかった自分は、「死にたくない」と母に答えた記憶がある。
母はその場で泣き崩れ、何とか死なずに済んだ。
後で詳細を描くかもしれないけれど、自分の生まれた家庭は不完全家庭だった。
とにかく、その日から、死ってなんなんだと考えこむようになった。
幼稚園に上がってしばらくした頃、悩みはピークに達してあまり眠れなくなった。
周りの子供に相談しても不安がらせてしまって、当時の幼稚園の先生からこっぴどく怒られた覚えがある。
書いてて思ったけれど、幼児が眠れなくなるって大ごとだ。
小学校に上がってからの記憶はほとんどない、ただ周りに合わせてテキトーに振舞い続けた。
唯一記憶に残っているのは三年生だった時で、担任が超熱血教師だった。
うちに家庭訪問しに来た時、和室に入った時の言葉は今でも覚えている。
和室にある仏壇を見て、「ああ、創価学会員でしたか、うちは妻が幹部をやっておりまして。ちなみに私は共産党系です。」
当時はあまりピンとこなかったが、しばらく経ってから自分で調べてみた。
親に連れまわされて行っていた会館などの集いも、小学校に上がる前に全力で拒否して行かなくなっていた。
当然親からは殴られた。それでも反抗した。
父はそれほど熱心でもなかった、気が向けば仏壇に手を合わせている程度。
三年生だったころはその熱血教師とも気が合って、それなりに楽しく過ごせた。
でも家庭はぐっちゃぐちゃで、母からよくなじられた。
「お前が(ryから父さんもあまり家庭と向かい合ってくれない。」
父も父で、母に対して気に喰わないことがあると自分を経由して文句を伝えさせようとしてきた。
言わないとそれはそれで面倒なので、父の伝言を母に伝えた。
母は激怒し、私に当たり、そして父にこう伝えろ、と迫る。
そういう板挟みが続いたころ、もうどうしようもなく死にたくなって、自宅で包丁と飛び降りコンボを使って未遂を起こした。
ベランダの上に立って、首を切った瞬間に飛び降りようとしたのだった。
その時、家には誰も居なかったのだが、実行しようとしたタイミングで母が帰ってきていた。
私は母に気が付かず、後ろから羽交い絞めにされた。
母は号泣していた。
この人、昔心中を迫ってきたくせに泣くんだなと思った。
「あなたはこんなことする子じゃないでしょ、何があったの?」
いやいや、目の前でこんなことをしようとしてたのが、アンタの子だよ。
中学に上がってからの記憶もあまりない、気が付いたら中二の年越しで食物アレルギーを起こした。
唯一携帯電話を持っている友人が私の家族に電話しても全く出ず、友人たちは仕方なく私を自宅に運んでくれた。
寒い、寒い、とうわごとを繰り返す私に友人が毛布を掛けて温めてくれる。
両親が帰ってきたのはそれから2~30分後。宗教の集会に行っていたらしい。
そして病院に運び込まれ、友人と両親、私は病院で年越しをした。
「蕎麦アレルギーで年越しとは幸先が悪いね、ハハハ。ところで、その手首の傷は自分でやったの?」
思いがけない質問が飛んできたけれど、意を決して私は頷いた。
あとで知ったけれど、その医師は小児神経科も診ることが出来る人だった。
「…二時間くらい。」
「何とかしたいと思う?」
私は静かにうなずいた。
私につけられた診断名は自律神経失調症とそれで発生した鬱、そして重度の不眠だった。
治療内容は、ルボックスという抗うつ剤と、生活リズムを記録につけるように指示された。
治療は三歩進んで二歩下がるという感じの速度で進んでいき、気が付いたらリストカットをやめていた。
鬱がひどい時でも気合いのような何かで無理くり体を動かし、学校へ通った。
精神的に辛くて行きたくない時は、母が私をぶん殴って無理やり車に乗せ、保健室に突っ込まれた。
そんな凸凹でも何とか成績は維持していたらしく、高校入試は指定校推薦を受けることが出来た。
ちなみにこの時点でまだ鬱の治療は続いている。
「お母さんの信心が届いたおかげよ。」
この人は自分のやっている事しか見えていないんだな、と思った。
不思議なことに落胆はしなかった。
あきらめていたんだと思う。
高校は楽しい記憶で埋め尽くされていたけれど、相変わらず頭の中は生死の概念を掴むことに夢中だった。
高2の春休みが終わる頃に、自転車で日光に行き、華厳の滝に飛び込んで、すべて終わらせようとした。
夜の7時ごろに家を出て、携帯の電源を切って、ひたすら自転車を走らせた。
国道四号線をずっと北上し、もうそろそろ日光につく頃だったと思う。
東の空が明るくなった。
夜明けだ。
夜明けなら、夜はどこに行ったのだろう?
そう思って反対側を見るとまだ夜だった。
月と太陽が同時に見えた。
その時の自然の美しさに心を打たれてしまって、私はその場で泣き崩れた。
けっこうな時間泣いて、家に帰った。
そんなこんなで、そこから数ヶ月経過した高2の夏休みの最後に、小児神経科の主治医の判断により治療がひと段落した。
希死念慮だけは消えてなかった。
主治医の見立てでは、「まあ何とか乗り切れると思うよ、強いし。」とのことだった。
実際強かったと思う、よく耐えきれたと思う。
大学はかなり白熱した環境だったので研究や学業にのめり込んだ。
2年後の卒業を経て、私は教授のツテで食品物流会社に就職した。
仕事は楽しかったけれど、忙しい部署にいたのでしょっぱなから残業まみれになった。
今度の病名は統合失調症。
そこからは闘病しつつも、ちょくちょくバイトを始めて、そして体力的限界で辞めての繰り返しだった。
統失の治療を始めてから最初の5年の間に、母はがんで亡くなった。
悲しかったけれど、多分一般家庭の子供よりは悲しんでいなかったと思う。涙は一応出たけど。
そこから5年後に、当時所属していたコミュニティメンバーの誘いを受けて、ルームシェアみたいな環境に引越しをした。
そして実家に戻ってきたときに、もう一人友達付き合いが続いていた元恋人が自死。
私が実家に引っ越してから、父の治療は順調に事が進み、抗がん剤と放射線治療、本人努力の甲斐があって腫瘍が消えた。
これには驚かされた、父本人が一番驚いているけども。
あとは5年間再発が無ければ安心とのことだった。
そして現在に至る。
今日は暇だったので、思い出しながら勢いでバババっと書いてみた。
ここまで読んでくださって本当にありがとうございます。
お互い、人生を良い旅にしていきましょう。
twitterやらInstagramやらがこれだけ広まってる現代で幽霊が発見されてないから、やっぱりそれらは空想の産物だったんじゃないか。
いや空想というと積極的に想像したみたいだけど、多分、幽霊の正体見たり枯れ尾花、ある種の精神状態にあるときにみる幻視のようなものだと思う。いっそ統合失調の前駆症状かもしれない。
人間の脳をコンピュータと考えて、コミュニケーションをその配線と思うことにすると、幽霊は脳の制御できない空き領域を半ば自律的に徘徊し、怪談や恐怖の共感によって分裂・増殖、別の人の脳に移動し、その人の死によって忘れさられる、つまり死滅する。そういう情報生命体とみなすことができる。かもしれない。
男性の加齢によって、ダメージを受けた精子は、発達障害や統合失調の子供が生まれる可能性を高める。
自分みたいな0か100かみたいな思考の子供生まれてきて苦しむかもよ?
悩みを反芻しつづけて苦しんでいると思うんだけど、それって、自分が責められていると思うからずっと苦しんでいるじゃない。
現状において、大切なもの、大切なこと、それが攻撃されていると思うから辛くなっているのかなって思うけど。
そしてこの辛さを作りだすのは、パートナーであるとどこかで感じていて、
責任の所在が自分ではなく、相手を恨んでいるから、状況を変えられない。
「安倍では良くない」は片一方だろう。
「枝野(別に志位でも可)に任せれば良くなる」というもう一方を全然発信してない。
エダノミクスを作って具体的なロードマップ付きで発表しないか。
それを強力にやってないんだからどうもこうもないもんだ。
「他に任せる人がいない」と言って回復していく。
惜しい勝負にもなってない。
回復型の敵の表皮を削ってるだけ。
「安倍では良くない(→ならば…)」はただの手段(しかも片一方の)だったはずが
「安倍は良くない」になり
「安倍は悪い」になり
今では安倍を汚い言葉で罵倒・侮蔑することに達成感や快感を覚えるようになった。
その有様に同調されなくても改まることがない。
どこか、
人生は苦痛だらけです。特に幼少期は酷いものでした。親の指導というものが基本的に世間的な常識にそぐわないものばかりで、社会と自分とのズレがひどく苦しかったです。
両親はとても収入が低かったため、貧乏でとても汚い家に住んでいて、よくバカにされました。挙句にはいじめられました。下半身を裸にされるようないじめもありました。パンツ姿で走らされたりしました。殴られたり唾を吐かれたりしました。
もっと辛い人生の人もいるでしょうが、私にとってはまさに地獄のような日々でした。その苦しみは中学、高校になるにつれて深まっていきました。認めたくない現実ばかりでした。特に両親が統合失調症という現実がとても自分を苦しめました。
きっと大人になったら今度は自分がああ言う風になるんだ。商店街を大声で汚言を叫びながら練り歩く母親、いつも誰かが俺を狙ってるとか会社のやつに死ねとか言われたとか言いながら私に愚痴る父親。私が学校社会を過ごしながら気付いてきた現実の普通の両親像からはあまりにもかけ離れていました。それは私の反抗期を強力なものにしました。しかし臆病な私はその現実から逃げることもできませんでした。
そのような現実を歩んできた私から言わせると、生まれてきたことが幸福であったか問われるとうなづけるわけがありません。
両親は統合失調調なりに何を考えて子供を作ったかは分かりません。本人たちに病識はなかったので、人と同じことをしていると思ったかもしれません。子である私から言わせれば不幸の再生産とだったとしか思えません。
しかし現実として私は生まれてしまったのです。生まれてしまったからには幸福を目指すよりありません。
その後私は大学に進学し、大企業に就職し給料は30代半ばで900万ほどまで上がりましたし、結婚して可愛い子供も授かりました。命より大事な子です。大切に育てているし、貧しい思いや非常識に悩ませるような環境とは決別できた気がします。
私自身はメンタルは弱いですが統合失調症には罹患せずに済んだようです。被害妄想も汚言もなく過ごせています。
いくら出自が不幸であろうと大人になると人生はある程度コントロールできるようになります。そこには苦しみばかりではなく、安らぎも存在します。より良い存在になろうという気持ちもあります。それ自体が生まれてきてしまったこの自分自信の命を大切にしていることだと思います。
さて子供を作らない方が良いという元増田さんのお考えですが、それは賛成も反対もありません。
私の人生を見てもらえば分かる通り人が意識して子供を作るのではなく、なにかのきっかけで子供はできるからです。
出生というのは実はコントロール不可能なものなんだと思います。ある環境があって、何人まで育てられるか無意識のプログラムが出した最適解が自動的に走っており、その結果として生まれるのです。別の言い方をすれば神様が生を与えてくれるのです。そしてその生がどのような結果をもたらすかはわかりません。分からないことに対して予測を立てることはできます。しかし予測は予測でしかありません。したがって元増田さんが言ってるのは全て予測の話でしかないんですよ。
タイトルの通りなんだけど、私の親は統合失調症で、激しい被害妄想や独り言がある。薬を飲んでいて安定はしているので入院こそしていないけど、話せばおかしいことは分かる。(私が生まれる前は数年入院していた。)
私自身は何かの間違いで生まれてしまったような気がずっとしていて、正直なところ卑屈な気持ちを捨てきれない。親と自分は違うことは知ってるし、親がもし犯罪者だとしても子供は犯罪者ではない。親の状況がどうであれ、私自身が卑屈に思うことはないことは理論としては知っている。だけど、遺伝という名の強力な呪縛があることも分かっている。仮に私が逆の立場なら結婚には慎重にならざるを得ない。(特に私は親の病気を間近に見てきたからというのもある。)
私がもし統合失調症になったらと考えるとパートナーを酷く苦しめることにもなるだろう。するとやはり統合失調症の子供である自分は結婚を諦めるべきなのだろうか。
■追記
優生保護法ってありましたよね。生活に支障をきたすような遺伝子の持ち主なら生殖能力を取り除きましょうというやつです。もし今もその法律が有効なら、私は生殖能力を取り除かれたかもしれません。
私の友人で競馬ファンがいます。その友人はよく言うのですが、結局は血統がすべてで、ダメな馬からは良い馬は生まれない、人間も同じ、と。
一方で優生保護法を突き詰めようとしたら人類の歴史に名を残す人がたくさんいたと言う事実もあります。アインシュタインやケネディーの子供や親族には統合失調症の人がいます。
また片親が統合失調調で子供が統合失調症になる可能性は10%弱です。親が統合失調調でなくてもなる可能性は1%です。割合は高いですが、発症の可能性はそこまで高くはありません。
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q14164990719
騒音おばさんが話題になってた頃、「騒音おばさんは創価学会の勧誘を断ったことにより大勢の周辺住民により集団ストーカーを受けた被害者だった!」
みたいな『騒音おばさんの真実』っていうのがネットで話題になってたのをちょっと思い出して、
ネットで集団ストーカーがどうとか喚いている層がどういう奴らなのか散々有名になった今考えるとその話を流布してた奴らがそもそもアレだったよなぁって思って今更ながら関連記事とかを調べてたんだけど、
なんかネットには2chの有名統合失調患者をウォッチしつつ統失の作り出したこんな荒唐無稽で根拠も何もない『真実』を真に受けてウォッチしてる統失と似たようなことを言い出す人達が結構いるみたいで、
ネットってよくわかんねえなって思った
ある日の事。
ネットやマスコミなどにはまる、普通の人であるあなたが統合失調をこじらす。
もし、そんな現象が起きていたならば、真っ先にネットやマスコミから距離を置いて下さい。
貴方の知らぬ間に、貴方が統合失調状態になっているはずなのですから。
もし、貴方が
「現実世界でそうなっているのは精神虚弱者ばかり。俺は大丈夫」
とお考えならば、どうか、これまでの行動を振り返ってください。
マインドコントロールという“間接的に洗脳される現象”の存在を意識したならば、貴方は気付くはずです。
何気ない普通の光景が、“異常かつ害悪のあるもの”として扱われている事に。
些細な生理現象ですら槍玉に挙げる事によって、貴方を統合失調の危険にさらされている事に。
そう。注意深く観察を続ければ、容易に分かる事なのです。
ネットやマスコミが、一般人の一挙一動を無理矢理煽りネタによって誘導しているという事実に…!
異常者、障碍者による問題行動や犯罪のほとんどは、元は、ごく普通の健常者だったという事実に!
ネット上でグレている人々の大部分は異常者ではなく、危険な表現を浴びすぎたによって異常者をこじらせた普通の健常者なのです。
そして、プロ固定に狙われてしまえば、貴方ですらキチガイの一人に変えられてしまうのです。
と笑っている貴方が、明日になれば「障碍者のような異常行動をする」という状況に陥っても、少しもおかしくはないのです。
いいえ、たとえ貴方がならずとも、貴方の親友、恩師、後輩、妻、両親、我が子が、いつかキチガイを拗らすかも知れないのです。
不良コンテンツに嵌る普通の人が、ある日グレて大変なことになる。
そんな事すら現実に起きているのです。
今、貴方が「DQNだ」と思ってネット、いやリアルでも叩いている相手は、実は、もともとは普通の人であるかも知れないのです。
貴方の大切な人が、いつの日か、危険な使い方をして精神異常者に変えられるかも知れないのです。
こんな現実が野放しの状態で、貴方は安心してテレビやネットや雑誌を楽しめますか?
アニメやドラマにはまる青少年が、もし、非行をこじらせてしまったら…?
それを想像し、危機感を感じたのならば、今すぐ目を覚まして下さい。
そして、メディアとの正しい付き合い方を身内や知人に訴えて下さい。