人生は苦痛だらけです。特に幼少期は酷いものでした。親の指導というものが基本的に世間的な常識にそぐわないものばかりで、社会と自分とのズレがひどく苦しかったです。
両親はとても収入が低かったため、貧乏でとても汚い家に住んでいて、よくバカにされました。挙句にはいじめられました。下半身を裸にされるようないじめもありました。パンツ姿で走らされたりしました。殴られたり唾を吐かれたりしました。
もっと辛い人生の人もいるでしょうが、私にとってはまさに地獄のような日々でした。その苦しみは中学、高校になるにつれて深まっていきました。認めたくない現実ばかりでした。特に両親が統合失調症という現実がとても自分を苦しめました。
きっと大人になったら今度は自分がああ言う風になるんだ。商店街を大声で汚言を叫びながら練り歩く母親、いつも誰かが俺を狙ってるとか会社のやつに死ねとか言われたとか言いながら私に愚痴る父親。私が学校社会を過ごしながら気付いてきた現実の普通の両親像からはあまりにもかけ離れていました。それは私の反抗期を強力なものにしました。しかし臆病な私はその現実から逃げることもできませんでした。
そのような現実を歩んできた私から言わせると、生まれてきたことが幸福であったか問われるとうなづけるわけがありません。
両親は統合失調調なりに何を考えて子供を作ったかは分かりません。本人たちに病識はなかったので、人と同じことをしていると思ったかもしれません。子である私から言わせれば不幸の再生産とだったとしか思えません。
しかし現実として私は生まれてしまったのです。生まれてしまったからには幸福を目指すよりありません。
その後私は大学に進学し、大企業に就職し給料は30代半ばで900万ほどまで上がりましたし、結婚して可愛い子供も授かりました。命より大事な子です。大切に育てているし、貧しい思いや非常識に悩ませるような環境とは決別できた気がします。
私自身はメンタルは弱いですが統合失調症には罹患せずに済んだようです。被害妄想も汚言もなく過ごせています。
いくら出自が不幸であろうと大人になると人生はある程度コントロールできるようになります。そこには苦しみばかりではなく、安らぎも存在します。より良い存在になろうという気持ちもあります。それ自体が生まれてきてしまったこの自分自信の命を大切にしていることだと思います。
さて子供を作らない方が良いという元増田さんのお考えですが、それは賛成も反対もありません。
私の人生を見てもらえば分かる通り人が意識して子供を作るのではなく、なにかのきっかけで子供はできるからです。
出生というのは実はコントロール不可能なものなんだと思います。ある環境があって、何人まで育てられるか無意識のプログラムが出した最適解が自動的に走っており、その結果として生まれるのです。別の言い方をすれば神様が生を与えてくれるのです。そしてその生がどのような結果をもたらすかはわかりません。分からないことに対して予測を立てることはできます。しかし予測は予測でしかありません。したがって元増田さんが言ってるのは全て予測の話でしかないんですよ。