俺がティーンエイジャーになって間もない頃の話だ。
「バイトでもしようと思ってるの」
母は俺たち家族にそう告げた。
「それはまた……どうして? 別に家計が苦しいわけではないだろう」
「有り体に言って、やることがないの。家事はほとんど機械がやってくれるんだもの。実質的に私がやっているのは、その補助と言ってもいいくらい」
母は専業主婦というやつで、少し前までは大忙しだった。
しかし、現代科学の賜物は母を楽にしていくと同時に、仕事に対するモチベーションも奪っていった。
そして、俺たち兄弟は成長していくと手がかからなくなり、自分で出来る範囲のことはやるようになった。
母が今までやっていたことは徐々に減っていき、自分だけの時間が大きくできたわけだ。
「子供が自立していくことは親として喜ぶべきなんでしょうけど、同時にメリハリもなくなっていくのよねえ」
しかし、そうして出来た時間は中身がなく、ポッカリと空いている状態だった。
「あなたは仕事で夜に帰ってくる。子供達は学校から帰ってきたら友達と外へ遊びに行く。キトゥンは躾ができてる上、子供達が世話するからエサをあげるくらいしかやることがない。自分の身体のメンテナンスだけで、残り時間は潰せないの」
「うーん、なるほど……だけどその空いた時間を仕事に費やさなくてもいいんじゃないか。自分だけの時間なんだから、趣味だとか、もっと有意義なことに使えば……」
「私に必要な“有意義”が、そういうものじゃないってことくらい分かってるでしょ?」
母は無趣味な人間で、やりたいこととやるべきことを直結させた人生を送ってきた。
それで充実していたし、不満もなかった。
以前、センセイがそう言っていたのを思い出す。
だけど、こうも言っていた。
『難点は、常にやるべきこと、やりたいことを追い求める人生になりやすいってところだな。やるべきことがなくなれば、やりたいこともなくなるからね』
まさに母はその体現者だったのだろう。
結局、反対する理由もなかったので、俺たちは母のやりたいようにさせた。
「うーん……丁度いい条件のがないなあ」
入り口近くに貼られた求人紙に目を通していくが、都合のいいものは中々見つからない。
「おや、マスダさん。珍しいところで出会いましたね」
声をかけてきたのはセンセイだった。
「そんなところです。とは言っても、ここに貼られているもので目ぼしいものはなさそうですね。良い条件なのは、既に持っていかれたのでしょう」
「そうなんですか……じゃあ、他のところで探した方がよさそうですね」
「後は相談窓口ですね。ここに貼られているもの以外を見繕ってくれることがあるので。それに期待しようかと」
「へえー、じゃあ私も行ってみようかしら」
母はセンセイと共に相談窓口へ向かった。
≪ 前 「はい、次の方どうぞ……っと、奥さんでしたか」 相談窓口の担当は、これまた見知った顔だった。 「あ、タケモトさん」 タケモトさんは、俺たちマスダ家の隣に住んでいる...
≪ 前 母はとりあえず求人情報だけ印刷してもらうと、言われたとおり慎重に考えてみることにした。 「どうでした、マスダさん。御眼鏡に適うものはありましたか?」 「あ、センセ...
≪ 前 面接はつつがなく終了し、二人は採用された。 「わっほーい、僕は班長のダマスカスと申しまする。よろしくござまーす」 「よろしくお願いします。私は……」 「モーマンタ...
≪ 前 母たちの仕事は、社内にある機械の管理だった。 「このモニターから、それぞれの機械の状態が分かるんで。何かあったら知らせてください」 「そんなことをパートの、しかも...
≪ 前 そうして数週間が経ったある日。 「マスダさん、おかしいと思いませんか」 いつもと同じように仕事をしていた時、センセイはそう疑問を投げかけてきた。 漠然とした質問に...
≪ 前 二人は危険な匂いを感じ取り、この仕事を辞めることにした。 「辞める? それまた突然、なしてぇ?」 そのことを班長のダマスカスに伝えると、大層驚いた。 ダマスカスは...