はてなキーワード: 旅行者とは
昨日、菅官房長官が夏時間検討を否定していて一安心していたのですが、まだ前向きなのではないかと思われる報道がありましたので、もう一回しつこくポストします。
https://www.fnn.jp/posts/00398120CX
夏時間を推進しようとしている議員がネットで情報収集する人種ではないことは、SNS上での皮肉や批判にもかかわらず、こうして事態が進行していることからあきらかです。FAXとかはがきじゃないとだめなのかもしれませんが、幸いWeb上にフォームがあるので、自民党と首相官邸に今すぐ自分の意見を伝えましょう。
https://www.kantei.go.jp/jp/forms/goiken_ssl.html
なぜ、限定的な問題を解決するために社会全体の構造を変更しようとするのでしょうか。私はこのような全体主義的な問題解決姿勢には大反対です。仮に開催を2時間前倒すことで猛暑にオリンピックを実施することに伴う様々な問題が解決するとしても、変更が必要なのはオリンピックのタイムテーブルであり、社会全体の時刻ではありません。
ざっくり言うと、私見では2000年問題と同じぐらいヤバく、準備期間が少ないという意味で破滅的にヤバいです(=回避不能な2000年問題)。
・世界中で夏時間と冬時間に2時間の差がある国はありません(間違っていたらご指摘ください)。ベストプラクティスが存在しません。
・何を大げさな、単に時計を進めたり戻したりすればいいだけじゃないか、と思うかもしれませんが、現代のコンピューターは世界中の様々なサービスと通信しています。そのため、時間を扱う際には内部的には一旦世界標準時で処理されるのが一般的で、内部時計を二時間進めたり戻したりすると様々な問題が起こります。ロシア/マガダン時間はすでに東京よりも二時間進んでいるので、現実的にはユーザーがスマホやPCの時刻自動設定を解除し、手動でマガダン時間に変更するしかないと思います。
・海外からオリンピックを観に来る旅行者にも「スマホの自動タイムゾーン設定を解除してロシア/マガダン時間に設定してください、マガダンのスペルはM, a, g, a, d...」などと航空会社が案内する感じになるでしょう。日本に来るのになぜかロシア時間。
・一方で、20世紀から稼働している古いシステムや、単純なシステムの中には、そもそも単一のタイムゾーン以外で動作することを考慮していないプログラムもあり、このようなシステムについては、内部時計をずらして対応するしかありません。このようなシステムから見ると、突然タイムスリップした状況に見えます。進む方はまだいいのですが、戻る方の処理は大変複雑です(たとえば、切替日の深夜営業の飲食店では、すでにタイムカードで23:30で打刻した人のあとに、22:30の打刻が出現するような状況になる)。この影響範囲についてはまったく予想がつきません。いい加減に対応すると、時計を進めていないサービスと現在時刻で同意できないために、通信ができないような事態が起こります。
夏時間の概念自体は新しいものではないので、ちゃんと日本夏時間が標準化され、各種OSが対応することが前提であれば、工数をかけて設計・実装を行えば、最新のOS上で新しく開発されるシステムは理屈上は問題なく対応することができます。
しかし、日本だけでなく世界中ですでに稼働している、時刻を表示する無数のプログラムについては、時刻表示に必要な処理や時刻設定に必要な選択肢を書き足す必要があります(日本政府が公式にロシア/マガダン時間を採用すると宣言しない限りは)。十分な準備期間を取らずに、変更が必要な箇所をすべて洗い出し、問題なく修正するのは大変むずかしいことです。また、上述のように、古いシステムではそもそも変更が不可能なこともあります。
万が一いいかげんな実装や適当な設計が行われるシステムが混じっていると、そのシステムと通信する際に2時間時間がずれて処理が行われるようなことが起こります。具体的には様々な表示時刻や予約時刻が2時間ずれたり、通信不通になるなどの問題が起こり得ます。
この結果、
・日本夏時間に正式対応していないので、ユーザーが時刻をロシアマガダン時間に手動設定することで当面正常動作するシステム(古いスマホやPCなど)
・日本夏時間に対応しないために、内部時計を進めたり戻したりして対応するシステム
・日本夏時間に対応せずに日本標準時間のまま動作し、ユーザーが時刻を頭の中で変換しなければいけないシステム
が混在することになり、社会的な混乱は必至です。
人間も機械も「それ、どっちの13時?」みたいに迷い、間違えるという毎日がやってきます。文房具屋のレシートには日本標準時が、コンビニのレシートには日本夏時間が印字されているような感じになるでしょう。ツイッターやフェイスブックなどのもともと複数のタイムゾーンに対応しているシステムや、JRや航空会社など大きい会社はたぶんちゃんと対応してくれますが、美容院の予約システムや小規模なネット予約システムは対応できずに日本標準時のまま稼働し続け、勘違いが起こります。
社会的に大きなメリットがあるのであれば、この大混乱のリスクを取ってでも前進するべきだと思いますが、本件については導入のメリットがあまりに限定的であり、得られるメリットに比べてリスクが大きすぎると思います。
@tk09058283217さんのツイート: https://twitter.com/tk09058283217/status/1014350096266194944?s=09
海外で女性が太ももを見せながら街を歩く事は、「誰か私を買って!」と言って歩くのと同義。
グローバル化を主張する人はこの点を注意しないといけないのですが、そんな話は日本で誰もしないですね。
テレビ局のシナリオには無いのかな? https://t.co/NHF1f6o1bE
上みたいな事を言ったり信じる人は、海外旅行はハードルが高いにしても、海外の映画やドラマ、海外からの旅行者を見た事が無いのだろうか。
今の時期はめっちゃ短いホットパンツやミニスカでおっぱい谷間も露出してむっちむちな外人山ほどいるし、日本人の露出度は明らかに低い方なのに。
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO32591700U8A700C1LX0000/ とそのブコメ http://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.nikkei.com/article/DGXMZO32591700U8A700C1LX0000/
これは日本のやり方が良いとか悪いとか、飯として豚骨が受け入れられるとか受け入れられないとか、ホテルの予約手法がいいとか悪いとかそういうことではないのだ。本当に身も蓋もないがそのとおりなのだ。
ここでは外国人=欧米の旅行者として話をする。同じ海外でも東アジアとか東南アジアとかそういったところは習慣が違うし、単なる観光旅行でアフリカとか南アメリカとかから日本に人が来ることも多くない。ちなみにこれから言う「旅行地としてのアジア」だけど自分の行ったところのある範囲に限るからそういう留保はしておいてほしい。
で、アジアに外国人が来る理由だが、特にあいつら食べ物を食べたいとか現地の人と触れ合いたいとかそういう目的でアジアに来てないのだ。いやもちろん現地のものだって食べるしエキゾチックな風俗嬢と遊びたい、って目的がないとも言えないのだがどちらも「体験してもいいかな」レベルの話なのだ。
だからホステルの食パンとジャムとシリアルとミルクとコーヒーしかない朝食に全く文句を言わない。要するにこれでコンチネンタルブレックファストとしては十分だからそれ以上求めてないのだ。海外旅行サイトで「〇〇でぜひやるべき100のこと」とかあるけれどあそこの食べ物を常食としたいのではなく「得難い体験イベントとしてちょっとやってみたい」だけなのだ。ちなみにアメリカンブレックファストが食いたいやつはホステルじゃなくて少しランクが上のホテルに行く。そっちなら卵の焼き方にこだわりの注文を付けられるコックがいるからだ。
台湾人はおそらく世界で一番外食としての朝食にこだわる人だと思うが、パンとコーヒーしかないホテルの朝食会場は欧米人で埋まっていた。もちろんこだわりの朝食を探しに出かけている人もいるだろうが(でなければ近所の豆乳屋の英語がスラスラ通じるはずがない)、コンチネンタルブレックファストが欧米人の旅行スタイルなのだからしょうがないのだ。
振り返ってみれば日本人だってそうだ。大した大きさでなくてもバスルームに湯船があればお湯を入れて浸かりたがる。シャワーで十分汗が流せるから良いじゃないかと言われても意識外のレベルで否定してしまうのだ。
アクティビティだってそうだ。みんなアジアに行ったら何をしたいか。寺を周るか、そこでしか食べられない美味いものを食べるか、絶景を見るか。欧米人がなんとか理解できるのは「絶景を見る」だけだ。寺も食いもんも「体験してもいいイベント」の1つでしかない。食べログが信用できないこれからはgoogle mapsだなんて話があるが非英語圏アジアの英語レビューにろくなものはない。なんで東南アジアでピザ頼んで不味いって言うんだ。なぜそこでイタリアンを食べたいと思ったんだ。理解不能だが仕方がないそういう習性の生き物なんだ。
話が逸れた。アクティビティだ。欧米人がしたいアクティビティったらトレッキングにサイクリングだ。奥地じゃチュービングにジップロープ、ちょっとイケるところならシュノーケリングにパラグライダー、どれもこれも欧米基準のアウトドアアクティビティだ。エクスペディアあたりのサイトはこういうアクティビティをやりたい人間が集まっているサイトだから、失われた王国が作った「新しい街」という名の古都とか、ベトナム戦争の滑走路が通常の道路として今でも使われる景勝地とか、4千の島が集まる滝の際とかどこもかしこも同じようなアクティビティで溢れていて、しかも外国人は楽しそうに遊んでいる。彼らにとって旅というのはそういうものだから仕方がないのだ。言い換えれば、旅行先というものがそもそもあいつらにとっては劣化ディズニーリゾートなのだ。バンコクの町中を走るトゥクトゥクはちょっとスリルを楽しめるカート、古いお寺は雰囲気を増すパビリオン。だから「予約の仕方が違う」とか「出てきた飯が自分の思ってたのと違う」で文句をいうんであって、それはもうそりゃすいませんでしたねと改善方法を考えるのもありなのだ。
ただ、ブコメで社長の目線が変だ、といわれているのもそのとおりで、どこもかしこもこういうやり方で集客しようとするのは「レッドオーシャン戦略」だということを我々は既に学んでいるはずなのだ。日本だって登りやすい山が多いところか、綺麗な水の海があるところか、新雪が山ほど降るところとか、数ヶ所で同じことをするならまだそういった他の目的地に飽きた人たちが来てくれるかもしれない。一斉にやる必要はない。先にやりだしたところが飽きられ始めた時に「隠された名所」として知られる手法だってある。ちなみに欧米人のアクティビティと違い、アジア人のアクティビティは自撮りだ。トレッキングスポットの整備よりインスタ映えする看板のほうが安く作れる。海外事例(この場合の海外は欧米ではなく東南アジアと台湾だ)を参考に作ってみたらいい。ついでに看板の端っこに南京錠かけるところ作っておけばカップルが南京錠買ってくれるよ。
モラトリアムという言葉がある。若気の至りで職につかず、フリーターや学生、旅行者として自由を満喫する期間とでも訳せばいいのだろうか。
この言葉は仕事での成功や結婚、育児などそのあとの生活があることを前提とした言葉だと思う。いわゆる大人としての生活だ。
仕事での成功は大学入学時点で90%くらい決まってる気がするし、次世代に負担を残し続けがちな人間という生き物による社会に我が子を残すのは忍びない。
また、日本では出稼ぎ外国人や社畜らがコンビニを始めとした各職場で奴隷ともとれる労働力を提供してくれているので、恵まれた、次世代を残すべきような教育を受けてきた20代の間では結婚しなくても幸せな社会という雰囲気ができつつある。特に女性を中心に。
学生の頃によく通ったバーがなくなったという報せを聞いたのは、出張で東京から大阪に向かう新幹線の中だった。
新幹線。大学進学を機に東京の西の方へ引っ越したぼくの出身は新潟県で、当時のぼくにとって、新幹線といえば、東京都と新潟県をつなぐ上越新幹線のことだった。新潟。海沿いの街ならばともかく、山に近い町では、一年のうちの半分以上が雪と雲に閉ざされる土地だ。
冬に東京から上越新幹線に乗ると、日本海側が「裏日本」と呼ばれるのが納得できる。携帯電話の電波の入らない、長いトンネルを抜けると、そこはたしかに雪国だ。トンネルに入る前の、抜けるような青空からしてみたらまるで異世界のような、モノクロに塗りつぶされた街が見える。たまにしか来ない旅行者にとってはそれは心踊る風景かもしれないが、「裏日本」の住人にとっては、長く続く冬のあいだ、ほとんど太陽を見ることができないという気の沈む現実をそのまま描き出したような光景だ。
新潟県に住んでいるころの生活は、そんな冬の憂鬱な景色と似たり寄ったりだった。中学校のクラスメートの多くは、ぼくに猿山の猿を思い起こさせたし、教師たちだって、そのうちのほとんどが想像を絶して想像力のない無神経か、生徒へ媚びては「人気の教師」というくだらない肩書きに執着する俗物のどちらかだった。
ぼくにしたって、そんなくだらない学校生活から颯爽と抜け出せたわけではない。自分も、くだらない生徒のうちの一人であることには違いなかった。そんな鬱屈をぶつけるかのごとく、音楽を聴いて、小説を読んだ。音楽や小説は、ぼくの肥大した自意識をなぐさめながら、同時に、その自意識をさらに肥大させた。
ひとことで言えば、ぼくは、音楽や小説に自分の存在そのものさえを仮託する、盆暗だった。そうして、ぼくは中学高校をやり過ごしていった。
◆
車内販売のワゴンを押しながらお土産やコーヒーを売る販売員の声で、ぼくはふと我に帰った。いつのまにか新幹線は名古屋駅をすでに過ぎていたらしい。車内販売員からぼくはコーヒーを買った。熱いコーヒーを飲みながら、ぼくは高校を卒業した年の3月のことを思い出していた。
大学進学に伴って、上越新幹線を使って上京した。まだ雪の深く残る街から、荷物を抱えて新幹線に乗り込み、トンネルを抜けたときの空の青さにせいせいしたのをよく覚えている。これからは、猿山の猿や無神経や俗物に付き合わなくていいんだ、そんな気持ちを、青い空は祝福してくれたように思えた。
そうして手に入れた大学生活にも慣れ、過剰な期待もなくなり、肥大した自意識ともうまく距離をおけるようになった頃のぼくに、ほんとうのお酒のおいしさを教えてくれたのが、件のバーだった。学生街にありながら、その店はいつでも静かだった。生まれて初めて、本や音楽の話が心からできる友人とも、そのバーで知り合った。マスターは、少し背伸びをした学生に、いろいろなお酒を教えてくれた。酔うためではないお酒を、リラックスしながら飲む日々は、ぼくにあの新幹線で見た青空のような解放感を与えてくれた。
◆
そのバーがなくなったことをメールで教えてくれたのは、当時の友人のうちのひとりだった。大学を出た後、ぼくとはまったく違う業界に進んだ彼と会うのは、3年に一度程度の頻度でしかなかったけど、会うたびにぼくらは、リラックスできる店で静かに酒を飲んだ。そんな彼の名前と一緒に携帯電話の通知に表示された、「あの店なくなったの知ってる?」という文字列に、それほどショックを受けていない自分に少し驚きながら、ぼくはヘッドレストに頭をあずけて目を閉じた。
ぼくたちが店に通っていたときから、もう8年が経つ。東京で就職し、大阪に頻繁に出張に行くようになったぼくにとって、新幹線といえばもう、あの長いトンネルを伴う上越新幹線ではなくて、東海道新幹線のことになった。ぼくはもう一度携帯電話の通知欄を眺めてから、また目を閉じて、新幹線の規則的なゴトンゴトンという音に耳をすませた。
というもの。
シャボン玉石けんのサイトにも同じものがあるので、新聞が見られない方は
ぜひご覧になって欲しい。
香害 こうがい | シャボン玉石けん
https://www.shabon.com/kougai/
「たかが柔軟剤ごときで」と、その実情を知らない人は笑ったりバカにしたりするが、
(実際、柔軟剤を過剰に使っている人が周囲の香りに全く気がつかなかったという事例も出ている)
「海外ではこういう香りが流行っているんだから」と流行になってしまったが、
いまや海外からの旅行者の方が日本人よりも香らないという逆転現象が起きている。
「スメハラ対策を!」とマスコミが騒ぎ立てた結果が、逆に柔軟剤臭さで海外から嫌われるという結果になったのは
シャボン玉石けんの広告は大手のメーカーやそれに協力してしまったマスコミや行政への真面目な挑戦状だと思う。
しかも、強く反対の姿勢を取るのではなく、読んだ人々に対して「考え方を見直すいい機会ではないでしょうか」と
提案しているあたりが控え目ながらもしたたかな感じがして、とても良いと思う。
本当に、行政や政治家はお金や体裁よりも、本当の意味で国民の健康を考えて欲しいです。
そして、国民も国まかせにせず、一人一人が賢くなって、体に悪い物を選択しないように注意すべき時代が来ていることを
自覚した方が良いと思う。
ニュースを見ていてもわかるように、今の行政や政治家は自分達だけが良ければ他はどうでもよくて、決して国民を守ってくれない。
安全な製品ばかりが店頭に並んでいるわけじゃ無い。(海外に比べると日本の安全基準はあまりにも酷い)
そういうこと、みんなよく考えてみて欲しい。
企業がトップページに使う画像がフリー素材って事あるのかなぁ。
https://irodori2u.co.jp/20170921-ikk00256/
「電車での乗客の表情も旅行者にとっては”日本の印象”になるんだ……」と気づかせてくれた親友の韓国人の何気ない質問
https://this.kiji.is/369737558743188577
47リポーターズ地方新聞社や共同通信の記者らによる署名入りコラム。 地方創生に絡む問題を多く取り上げ、新聞記事とは違った切り口で提供します。
どっちも「同じ写真」使ってるけどどちらにも画像の著作表示がない。フリー画像なんだろうか。
調べたら
https://zh.wikipedia.org/wiki/%E4%BC%97%E5%AE%89%E4%BF%9D%E9%99%A9