はてなキーワード: 宇多丸とは
30代のちょっと音楽好きがプライムで聞けるマイナーよりのアイドルソングを紹介するよ!
もしAmazon primeに入っていて聞いていないならこれは損!!! こんなに楽しい音楽にサブスクで出会えるんだなんて本当に感謝しかない!
(ただし、秋元康系は沼が深そうなのでノータッチ。っていうか一番気になってた欅坂はアルバム半分しか聞けないし。)
あと事務所がどうとかバックグラウンドの情報はほとんど知りません。ただ純粋に曲だけで面白いものを基準にしています。
1.Negicco
流して聞いてもいつのまにかメロディラインや歌詞を覚えてしまう曲が多いNegicco。アイドル歴が長い(と調べて知った)からサブスク落ちてる曲も多いしオススメ。
特に「アイドルばかり聴かないで(小西康陽!)」や、「愛のタワーオブラブ」、「ときめきのヘッドライナー」(N E G I CC O!のコール最高!)、「ともだちがいない!」などなど一度聞いたら忘れない曲ばかりで私はかなり好き。
ただ正直、東京のど真ん中で歌っている感じはない、のでここは好き嫌いが分かれるところかも(私はそこも含めて大好き!)。
「ともだちがいない」(mvがはしゃさん!!)
https://m.youtube.com/watch?v=ok6CW9aLaxk
2.RYUTist
Negiccoの隠せない日本海愛に対して、同じ新潟出身でより売れ線よりに、爽やかさとオシャレさを増したのがRYUTist。
「センシティブサイン」は宇多丸が年間のオススメのアイドルソングに挙げていた良曲。歌声や歌詞、アレンジの可愛らしさが堪らない! 表題曲だけじゃなく「素敵にあこがれて」もCメロの変調が! ああ! もう!!!! 曲のテーマの思春期のアンバランスさが歌声にメロディに出ていてもう聞いてる私がドキドキしてくる!!!!
ほかにも「blue」とかもサニーデイの曽我部とかが探している渋谷系下北系の体現! って感じで聞いてて驚きばかりです。
3.Especia
上のふたつがポップスの流れなら、Especiaは完全にクラブ〜ダンスの流れ。踊るよね、これは完全に。「Danger」。ちょっとメロウな気分なら「海辺のサティ」。テンション上げて戦いに行くなら「No1 Sweeper」。Especiaは聞いてると、身体の底から揺さぶられるようなそんな曲ばかりでこれはライブで聞きたかったと、本当に出会うことの遅さに後悔したグループ。
「No1 Sweeper」(PVの本気のダサさに酔いしれろ!)
通称リリスク。アイドルラップというと「恋愛15シミュレーション」しか知らない私は衝撃を受けたよ。リリスクはとにかくエモい! 「ラストソング」のセツナさや、「オレンジ」のアンセム感のあるグルーブさ、どの曲も本当に好き。
あとアイドルネッサンスという名曲カバーをするアイドルグルーブがあって、そのなかでBASE BALL BAERのライムスターとのコラボ作品「THE CUT」をカバーしているんだけれどそのラップがマジで格好いいの!
早口系のラップはしない印象があったリリスクのまた新たな一面が見えて、他のアルバム聞いたあとにぜひ聞いてほしい!!!!
「RUN and RUN 」(ちょっと話題になったスマホ用mv)
これを見てふと思ったことを書く
それはタイトルにも掲げたんだけど、いわゆる「女性向けジャンル」で「解説動画」と称した実質的なバッシング動画を見たことがないな、ということ(ちなみに誤解のないように書いておくと、私は男オタクです。女オタク(という言葉は蔑称っぽいニュアンスを感じるからあんまり使いたくないけど)を擁護する義理はないし、そういうモチベーションの元で書かれた文章ではない、ということに留意してほしい)
何のことかわからない、という人は
https://www.nicovideo.jp/watch/sm34681332
けもフレ2が炎上した時とか、オルフェンズとか、Vtuberの叩き動画とか、あとは「クソ漫画」を叩くやつとか、「なろう小説」を叩くやつとか、まあバリエーションはいろいろあるけど、目に入るのはどれも基本的に「男性向け」コンテンツで、女性向けコンテンツ(刀剣乱舞とかあんスタとか...)でこういうタイプの動画を見たことがないんだよね。
こういう動画は、どれも「〇〇という作品が炎上しているよ。私なりにその理由を分析してみたよ。それは〜〜という構造的問題を抱えているからだよ」という作りになっていて、その過程で暴言や中傷が大量に挟まったり、他の漫画のミーム化しているコマを引っ張ってきて「面白さ」を演出したりする。
そして、「〜が問題」の部分では、大抵の場合判で押したように「作品の構造上キャラクターに愛着が持てる作りになっていない」みたいなことが言われる(しかもしばしばそんなに的を得ていない)。
更に言うと暴言も、大抵はふたばだか5chだかからのコピペとかで、そうでないものも一定のバリエーションの範囲内。
つまり、フォーマットが定まっていて、一度要領を掴んでみれば比較的量産が容易(だから、この手の動画を量産する「動画主」がニコ動とかyoutubeとかには存在する。「クソラノベレビュー」「クソ漫画レビュー」「打ち切り漫画レビュー」とかで検索してほしい)。
また、一応「構造的問題」を剔出する「解説」という形式をとっているから、作品の口触りの悪さは消費者側の問題ではなくて作り手が悪いということが「論理的に」導き出される。
要は頭を使わずにマウンティングと罵詈雑言を罪悪感なく、しかもお腹いっぱい摂取できる美味しい動画。ニコニコとかを見てると、動画主が作品を「論破」しているシーンで「ロジハラやめろ」というコメントがついたりする。この「ロジハラ」なる言葉は「ツイフェミ」叩きの文脈で出てきた、オタクの間で流通してるジャーゴンらしい(ロジカル・ハラスメントの略。初出をわざわざ漁る気はないが、頭のよくない「フェミ」が論破されて「発狂」しているイメージを伴って用いられている)。ここから、「蓮舫を麻生が論破wwwww」みたいな動画と同じノリで見られていることが分かる。
これは宇多丸がラジオで言ってたことだけど、「批判がそれ自体コンテンツとして受容されてしまい、元の作品をまともに見ない人たちが一定数いる。だから僕は酷評をあんまりしなくなった」。この手の動画はそういう人たちに受容されているんだと思う。
正直なところ、女オタク界隈が羨ましい。自分なりの「解釈」を実存をかけてぶつけ合っている人たちが羨ましい。男オタクの界隈にそういう熱量はない。
男オタクの界隈では、「脚本の人そこまで考えてないと思うよ」という決まり文句で(対立の火種となる)解釈は潰される。「感情的になることは恥ずかしい」という劣化版ストア派みたいなメンタリティーで生きてる奴が大半。そうやって溜まりに溜まった鬱憤を晴らすのにも「理性的」建前がほしい(けど深く考えて自分の実存に関わるレベルにまで首を突っ込みたくない)から「解説動画」に没頭する。
俺、なんの後ろ盾もない状態から才能と行動と実力でのし上がったとされてる有名芸能人のほとんどが、実は一番最初の段階で有力なコネあったって知ったとき衝撃受けた。
タモリとか「山下洋輔一派がホテルの宴会に乱入したことをきっかけに〜」伝説は『タモリという謎の人物を売り出して成功させよう』プロジェクトの面々が完全に示し合わせて流布したウソストーリーで、実際はもっともっともっと前から親交あったのが本当のところだし。
星野源も20年近く前の映画版ウォーターボーイズに普通に出演してるし、マツコデラックスも2001年の時点でメインでCMの仕事獲得したり全国放送のバラエティ番組出演したりしてたもん。
King Gnuの井口だって知名度皆無の、プロですらなかった藝大在学中に単行本でまるまる一章使って取り上げられてる。
成功してる芸能人は一番最初の最初の一般人の段階からほとんどみんな強いツテがある。
あのCMは、多分各出演者のアイディアで内容を作っているから、出演者の質で内容が決まっているんだと思う。宇多丸は好き嫌いはともかく達者だし上手にアピールしている。崎山は社会派ぶっている時との落差が出ている。薄ら寒いのは声優さんの芸風だな。みうらじゅんは持ちネタやっているだけだけど一定のクォリティはある。
あのTBSの自社広告シリーズは全体的にひどいんだよね。CM作るセンスが無い。宇多丸の国立映画アーカイブみたいのは、まだ面白そうな感じにはなっているからいいけど。みみたぶのCMで中華街?中国人街みたいのを訪れるロケで風景みたいなCMで「あそこの看板に見える字は『蛙』じゃないですか?」みたいに驚いてみせるんだけど、中華料理の蛙なんて珍しくも無いし、誰も中国語や文化が解らないから、何の発展性も無い。ただの素人の物見遊山になっている。解かる人間連れて行けばいいじゃん。あれは一昔前の西欧人が「えぇ~っ、デビルフィッシュを切り刻んで生で食べるんですか!?」ってやっているのと変わらん。本当にそういう所からしてダメ。消しはしないけど「ひどいなぁ、おい!」とはいつも思っている。
Until Strawberry Sherbet/林原めぐみ https://ja.wikipedia.org/wiki/Until_Strawberry_Sherbetにおける「作詞:Mamie D. Lee 作曲・編曲:大森俊之」の
と
RHYMESTER(日本のヒップホップグループ) https://www.rhymester.jp/ https://ja.wikipedia.org/wiki/RHYMESTER メンバーの
Mummy-D https://www.rhymester.jp/bio-mummy-d/ https://ja.wikipedia.org/wiki/Mummy-D
との関係性について、ちょっと気になって調べて見たので備忘録代わりに記録。
◎「Until Strawberry Sherbet」はシングルCDとして「1994年5月25日にリリース(https://ja.wikipedia.org/wiki/Until_Strawberry_Sherbet)」
Until Strawberry Sherbetの作詞者「Mamie D. Lee」で検索するとアメリカ?の学校が出てくる。
「1970年横浜市生まれ。(https://www.rhymester.jp/bio-mummy-d/)」
「1989年、「早稲田大学ソウルミュージック研究会ギャラクシー」にて、当時2年生であった佐々木士郎(現・宇多丸)と新入生として入部してきた坂間大介(現・Mummy-D)がRHYMESTERを結成。(https://ja.wikipedia.org/wiki/RHYMESTER)」
「1993年、アルバム『俺に言わせりゃ』でRHYMESTERデビュー。(https://ja.wikipedia.org/wiki/RHYMESTER)」
Until Strawberry Sherbetの作詞者「Mamie D. Lee」は、RHYMESTERの「Mummy-D」じゃないのかな?
1994年当時に英語と日本語混在のラップを作詞出来る人物となると相当人数が絞られると思うけど、それって1989年にグループ結成1993年にデビューしたRHYMESTERに所属している「Mummy-D」であれば可能な事なのかも?と希望的観測を含めた推測をしてみるw
もしこの推測が正しくてUntil Strawberry Sherbetのシングル発売当時は様々な事情で言い出せなかった事を言える環境になっているのであれば、どこかでその辺の話をしてもらえると嬉しいし、有りがたいなぁ、と思う。
ラップ/ヒップホップは2010年代より前から確かに北米で人気はあった。が、それは黒人コミュニティを中心としたもので、現在のような人種間や音楽ジャンルをクロスオーバーしたポップスとしての支持とはやや違っていた。
それを踏まえて、なぜ北米でヒップホップが主流となったのかということを推論すると、結局のところメロディアスなラップスタイル(フロウ)のアーティストが増えて聴きやすいヒップホップの曲が増えたからではないかと思う。
元増田のブコメでは「ラップにはメロディがないから日本人の趣味に合わない」という意見が多くみられたが、黒人以外のアメリカ人もこの起伏のない歌唱をすんなり受け入れられたわけではなく、いくらかのヒット曲がありつつま2000年代まではあくまでヒップホップは黒人向けのジャンルに過ぎなかったと思う。
それを時代を席巻していたラッパー、カニエウエストが2009年に歌メロをオートチューン(ケロケロボイス)で歌い上げた「808s & Heartbreak」を発表し後進に多大な影響をあたえたことや、歌うようなフロウの代表格であり2020年現在にラッパーの中でトップクラスのセールスを稼ぐドレイクの登場によりヒップホップがメロディアスで大衆受けするものに変容していったのだ。(※1)
現に2019年にビルボードのチャートトップに君臨したラップはこんな感じ。
英検三級以上の語学力とDAM精密採点で80点以上を出す歌唱力があれば、2、3回聞いただけでなんとなく口ずさめるようになるのではなかろうか?
しかも従来のヒップホップにはあまり見受けられなかった、オルタナティブロックやAOR、カントリーなど別ジャンルのエッセンスを柔軟に取り入れクロスオーバーさせている。
そしてリリック(歌詞)にギャングスタ調の拝金主義や女性蔑視が見受けられず、かわりに繊細で叙情的な表現や甘ったるい愛の言葉が散見される。
こういった曲をみんなで合唱していたり、若者に混じっておじさんが聞いているさまを想像するのは容易いことだ。今のヒップホップは親しみやすいのだ。
渡辺志保さんの2010年代総括がきれいにまとめられていたので紹介したい。
宇多丸・高橋芳朗・渡辺志保 2010年代のヒップホップを語る
荏開津広×渡辺志保 ラップが席巻した10年代を振り返る - インタビュー : Kompass(コンパス) ミュージックガイドマガジン by Spotify&CINRA
僕が思う、米国でヒップホップが流行っている理由はもう一つあって、それはあまり面白くないが、ヒップホップの曲構造や今のヒップホップカルチャーのあり方がビルボードチャートで好成績になりやすいように特化していっていることが挙げられる。
CDになんてとっくの昔に売れなくなって、米ビルボードの主な集計対象は動画再生回数とダウンロード数やストリーミング再生数である。短く印象的なフレーズ(パンチライン)を反復するヒップホップソングはネットミーム(ネタ)やTikTok等SNSの投稿に流用しやすくそこで再生回数を稼ぐためにチャート上では有利な存在になっている。
日本でも話題になった2018年の「This is America」(チャイルディッシュガンビーノ)とビルボードHot100のNo.1を争ったドレイクの「In My Feelings」は、「In My Feelings」に合わせてインスタやTikTokにダンス動画をアップする#InMyFeelingsChallengeが自然発生的にブームになったことがヒットに貢献したと言われている。
ドレイクのデビューにも深く関わったリルウェインを初め、アウトキャストのアンドレ3000やネリーなど歌うようなフロウで成功したラッパーは90年代以降少なからず存在はしていた。
Drake - In My Feelngs
宇多丸や宇内や宇賀などもいる
https://www.tbsradio.jp/394270
聴いてて引っ掛かりがあったのが2点。「拳銃」と「帆高自身は何も犠牲にしていない」という指摘だ。
拳銃:
評の中では拳銃によってピントがずれてしまったと語られている。
ここに関しては異論はない。
ただ、拳銃がリビドーの象徴という解釈に対しては、別の解釈をしてみたい。
共産党本部のある代々木で、拳銃を2度捨てているということに意味が込められていたのではないか。
そして、武力革命の代替としてストライキを提起しているのではないか。
終盤ヒロインは、使命を放棄して生き残ることを選択しているわけだ。
いろんな業をヒロインだけが負わされて、帆高は何も犠牲にしていないという指摘だ。
のだが、ふと思ったのが「何かを犠牲にしないと何かを手に入れてはいけないんだっけ」ということだ。
いわゆる「欲しがりません勝つまでは」的な精神性が日本を停滞させている面があるのではないか。
今欲しいものを今欲しいと、もっと主張していってもよいのではないか。
そういったメッセージが込められていたのではないだろうか。