はてなキーワード: 券売機とは
定員が注文を確認し、食券の半分をもぎっていく。
夕飯どきで忙しいのだろう。なかなか僕の牛丼は出てこない。
暇つぶしに店内を観察すると、対面にキレイな女性が座っていた。
ちょっとくたびれたスーツ姿に、白い肌。後ろで束ねきれない前髪が顔にかかっている。
その赤い唇にご飯を運んだ後、口を手で抑える姿も可愛らしい。
「マスター、あの娘に生卵を」と僕は言った。
店員が彼女のところに生卵を持っていく。
彼女は初め驚くが、店員の説明を受け、こちらを向き、軽く会釈をする。
僕は、いつしか受け取った牛丼のどんぶりをもちあげ、彼女を見つめながら
「君の瞳にいただきます」
とつぶやいて、箸を二つに割った。
その頃、近くのすき家では、強盗が「金を出せ」と叫んでいた。
スレは最低だけどな
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961 名前: 955 Mail: sage 投稿日: 2011/11/04(金) 06:14:30.94 ID: dAmp84eb0
>>956
ほらwなんで頭からソレなのwあんた954か?www
「そりゃ」の根拠はなんだつうの
しかも何でそんな高圧的で上から目線で偉そうなの?wホントうけんだけど
随分前のやつだけど、自分の書き込み読みたくなって、憶えてた差別化できるキーワード
(ちあみに時は平成前、淫行条例施行前の出来事だから法的に大丈夫だよー☆)
http://bingtsept.blog98.fc2.com/blog-entry-479.html
http://blog.livedoor.jp/moekopi/archives/50121110.html
で期待に応えて書いてやるが、全部書いたら超長文になっちまうから、箇条書きで主なもんだけな
・一人暮らしを始め、毎日路上ナンパ即ハメとツーショットダイヤル(まだケイタイもネットもない時代)
・・中学生2人、高校生数人、専門、大学生、店員やOL多数(この時期バツの女はあるが人妻の経験はなし)
962 名前: 955 Mail: sage 投稿日: 2011/11/04(金) 06:24:27.77 ID: dAmp84eb0
・仕事辞めて専門時代、路上ナンパに明け暮れる、パーティーライン(ポケベル、PHS)
・仕事辞めてナンパの弟子だった専門の友達のとこで居候、ナンパに明け暮れる(ケイタイがほぼ普及)
・ナンパを仕事にしようと友人と決意、東スポの求人欄の「芸能スカウト募集」に応募、正体は宣伝材料詐欺の事務所
知らずに毎日昼から終電までスカウト、数え切れない数の女と知り合う
・詐欺事務所であることに気が付きトブ、改めて東スポの求人欄でスカウト事務所に応募
・どうせ東スポに一般芸能の事務所の求人なんてねえことは前回で身につまされたため、AVスカウトと振ってある正直な事務所に行く
・事務所の面接前に前もって数人ナンパしておき、面接後にどどっと女を連れていく
・最初、お前スカウトなんて出来んのか?って不審がってた専務の態度が豹変
同時期に入ったスカウトのなかで自分だけナイショで日払いの行動費が支給される(ちょっと自慢話)
・1日の最高記録は路上の声かけで直節事務所へ面接直行13人、半数は面接時におっぱいの露出まで行くつく
963 名前: 955 Mail: sage 投稿日: 2011/11/04(金) 06:26:01.67 ID: dAmp84eb0
・日々一日100人以上の声かけはノルマにし、そのうち10人はケイタイ番号を訊け、その10人のうち1人は脱ぎまで行く
(稼動の数ヶ月間を平均化するとほぼこの確立に収束する)すると月に30人は脱ぎの宣材撮影までこぎちけることになり
その30人のうち数人がAV女優となる、キャッチと平行し女優の管理も命じられる
・幸運にも始めて三日で単体が挙がり不労所得を得ることに成功(ただし現金化されたのは3ヶ月後であった)
・始めリードを許したキャバのキャッチの友人の所得に圧差を付ける
・ナンパやキャッチで知り合った女の子のとこ日替わりで泊まり歩く、数え切れない女のこと知り合った
・昼から終電までキャッチ、電車のなかでもかわいい子がいれば途中下車をしても声を掛ける、ホームでもキャッチ、帰宅中の徒歩でもキャッチ
深夜のコンビニでも外でタバコを吸いながら店から出てくるのを待ってキャッチ(これは全部ナンパ時代と何も変わらない)
964 名前: 955 Mail: sage 投稿日: 2011/11/04(金) 06:26:51.68 ID: dAmp84eb0
・数年経つとスカウト仲間ができネットワークが築かれ、キャバ、風俗、AVそれぞれの得意分野で女の子を回し合う
・フリーになりスカウト事務所を設立(設立というほど立派なものではないが)し、スカウトマンの管理と指導を数年
・風営法や迷惑防止条例の施行でスカウトが違法となり、これを契機に現場のスカウトから足を洗う
・キャバ、風俗、AVのスカウトが禁じられるなかで、何故か芸能だけは現在も路上でのスカウトが許されている
・時代の変化に合わせざるをえず、着エロ、グラビアのスカウトを始める、なんとか超弱小規模ながら芸能の末端に席を置く今日
965 名前: 955 Mail: sage 投稿日: 2011/11/04(金) 06:27:20.93 ID: dAmp84eb0
スカウトの面白さが消え失せてしまった為だ、ネットの普及から女のこ自らが自主的にAV事務所に申し込み、その門をくぐることが珍しくなくなり、今やそれが主流と言える
事務所の強さとは以前は、スカウト能力に長けた一人のスカウトマンの腕によって決するものだった
それが今や広告をどれだけ投下できるか、その宣伝量の物量のみの勝負になってしまったのだ
また情報が閉ざされていた時代、女のこの判断基準の全ては目の前のスカウトを信じられるか否かに掛かっていた
お金や条件がどうのではなく、「あなたを信じるからその仕事をしてもいい」という判断があったのだ
そして自分を信じてくれた女のこのため、好条件の仕事を得るため身を粉にし奔走しそれに応えるという矜持があった
966 名前: 955 Mail: sage 投稿日: 2011/11/04(金) 06:28:15.59 ID: dAmp84eb0
末期に時代に呼応するよう新人スカウトマンとの価値観の相違も顕わになる
路上で止めた女のこと話をつなぐ為に彼らはケイタイを開くのだ、そしてネット上の情報を誇示し信用を勝ち取ろうとしてた
まったくナンセンスに思えた、自身の態度、会話で女のこを止めることこそがスカウトマンの能力であったハズだ
これなら誰がやっても一緒、ネット情報の優越なら女のこ自身で決められること、路上の遇機の出会いなど必要もなく
もちろん若いスカウトマンは我々が通ってきた路上で凌ぎを削るナンパも経験もなく
ケイタイNSNによって女のこと知り合ってきており、これが時代であると観念するより他になかったのだ
※これ以前にもナンパにはケイタイの登場と普及という大きな転換期もあったのだが、これについては稿をあらためることとしよう
軽く行こうと思ったのに、途中からマジメに書いちまったよ…
全て落涙すほど懐かしい
968 名前: 955 Mail: sage 投稿日: 2011/11/04(金) 06:43:30.94 ID: dAmp84eb0
○末期には時代に呼応するように新人スカウトマンとの価値観の相違も顕わになる
×末期に時代に呼応するよう新人スカウトマンとの価値観の相違も顕わになる
969 名前: 955 Mail: sage 投稿日: 2011/11/04(金) 06:48:33.01 ID: dAmp84eb0
○・1日の最高記録は路上の声かけで直節事務所へ面接直行13人、半数は面接時におっぱいの露出まで行きつく
×・1日の最高記録は路上の声かけで直節事務所へ面接直行13人、半数は面接時におっぱいの露出まで行くつく
970 名前: 955 Mail: sage 投稿日: 2011/11/04(金) 06:59:41.59 ID: dAmp84eb0
○ケイタイSNSによって女のこと知り合ってきており、これが時代であると観念するより他になかったのだ
×ケイタイNSNによって女のこと知り合ってきており、これが時代であると観念するより他になかったのだ
勉強がしたい
資格の勉強、仕事の勉強、受験勉強、試験勉強、免許の試験、予習、復習、
読みたい本がある、学びたいことがある、書きたい文がある、書き出したい事がある。
やらなければならない勉強はいくらでもある。けれど、場所がない。
家にはテレビもパソコンもある。マンガもある。雑誌もある。ベッドもある。家族もいる。集中できない。気が散る。それ以前に、やる気が起きない。
図書館は、いつ行っても満席だ。座ろうと思うと席取りのために朝から並ばなければならい。静かだけれど、音をたてるのにも気を使う。人もいっぱいいる。顔も席も近い。気が散る。本もたくさんある。読んでしまう。第一、行きたい時間には閉まっている。
学校は、友人がいる。遊んでしまう。それどころではない。椅子は木で出来ていて硬いし、空調も不安定だ。暑かったり寒すぎたり。音もうるさい。話し声が一番うるさい。
職場は、電話が鳴っている。人の出入りも激しい。話し声もやまない。第一、仕事しろと言われる。当たり前か。気も休まらない。
喫茶店は、ちょうどいい雑音だったり、机だったり、コーヒーも飲めて環境はいい。けど、店だし、店に迷惑かけてないか気になる。客の出入りもあるし。またコーヒー頼まなきゃ。となりのテーブルは3人で話している。気が散る。静かなときは最適なのに。空いてる日は、客も少なくても音楽もかかっていて、コーヒーもおいしくて、最適なんだけどな。それでも店に対しては気になるし、第一、そんな時間にめぐり合えることなんて少ない。となりでノートパソコン広げてる人はなんで何も気にならないんだろう。マックもファミレスも同じ。
勉強はしたい。でも場所がない。あるにはあるんだけど、集中できない。
仕事がしたい。場所がない。あるにはあるんだけど、集中できない。
そんなあなたにうってつけ。
中が見えますか?
程よい大きさの机とオフィスにあるようなイスと、適当な広さのスペース。
配置や仕切りにも気を配っており、周りの人がさほど気になりません。
Wi-Fiも対応しているので、ノートブックを持ち込んでもかまいません。
入りにくいですか?
赤いLEDランプが空いている席です。まずは試しに1時間、100円玉を3枚入れて席を選び、ボタンを押すとランプが消え、チケットが出てきます。あとは中に入って番号の席に座るだけです。
ノーベル賞のパロディー版、第22回「ギャグ・ノーベル賞」授賞式が12日行われ、外食チェーン「てき家」の運営会社「レンショー」が経済学賞を受賞した。
ギャグ・ノーベル賞とは、「人々を笑わせ、それから考えさせる」企業に与えられる賞である。前回受賞者、「モバグリ」経営者の安田氏がトロフィーを手渡し、「経済合理性を追求する経営が社会にどのような影響を与えるのかを、人々に考えさせる機会を与えた」と今回の受賞理由を語った。
レンショーは東証1部上場。今年3月期連結決算の売上高は3756億円で、日本マクドナルドホールディングスやすかいらーくを抜き、国内の外食チェーンの売上高トップとなった。レンショーは、深夜勤務従業員を一人にする、券売機は導入せず、設置するレジは1台、人通りの少ない郊外に出店など、徹底的にコストを削減。その結果、低価格でサービスを提供できる反面、深夜時間帯の強盗事件件数増加につながった。警察庁から再三にわたって防犯対策の指導を受けていたが、頑なに拒む経営者の姿が連日マスコミに映し出され、ひたすら経済合理性を追求する経営に対して、人々に考えさせるきっかけを与えた。
レンショー最高経営責任者の勝田氏は語る。「我々は貧困層の味方だ。低価格外食サービスにより貧困層の空腹を満たし、誰でもできる仕事を提供し、仕事に就けない者はそれなりのリスクを背負ってレジをATM代わりにすればよい。我々団塊の世代は、何もない焼け野原からスタートした。今の若者には我慢が足りない。日本が勝つためには、『欲しがりません、勝つまでは』の精神が必要だ。我々は勝って勝って勝ち続ける。」トロフィーを握る拳は力強く、レンショーの社章である『連勝』をイメージした拳形のメダルはドス黒く光っていた。
警察庁が指導、「すき家」ゼンショーの経営姿勢 : 社会 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20111013-OYT1T00613.htm
asahi.com(朝日新聞社):牛丼店強盗、9割が「すき家」=レジ1台に現金集約など―警察庁が防犯体制強化要請 - 社会
http://www.asahi.com/national/jiji/JJT201110130026.html
“経営を度外視してまで”発言は「事実無根」 ゼンショー、Twitterで一部報道を否定 - 毎日jp(毎日新聞)
http://mainichi.jp/select/biz/it/hatena/archive/articles/201110/6210.html
違う。カード式でない切符でも、乗車前に行き先が紐付けされない条件は多々ある。
切符の場合でも、窓口で発券される発着地指定のものは別として、自動券売機で売っている料金指定のみの場合には「行き先が紐付けされない」。たとえば、同じ料金で複数の行き先候補が存在するケースは多々ある。しかも、乗り越し清算が可能である(1回限りで行き先変更ができる)条件を加えれば、なおさらである。
そればかりか、厳密には輸送に際して事前に払われるべき料金すら支払っていない
条件付きながら、違う。Suica管内で入場した場合には、入場した時点で初乗り料金が引き落とされている。
Suica管内では、きっぷで例えると、とりあえず初乗り料金のきっぷで入場して、出場時に乗り越し清算をする、という手続きになっている。「事前に払われるべき料金」をどう捉えるかにもよるが、少なくとも(入場料ではなく、乗車を前提とした)初乗り料金を支払っていることには間違いない。
行き先は改札前に確定「されていなければならない」し、料金も改札前に徴収「されていなければならない」のだ
そういう理想は最もだが、それをIC/磁気カード方式に要求するならば、通常の乗車券にも適用しなければ、あなたの論旨に矛盾する。
そして、通常の乗車券の場合であっても、「急いでいたので車内で購入~」や、「乗り越し清算で~」も却下しなければならない。
具体的にどういうふうにすればいいのかまでは知らんw
通常の乗車券の場合には、駅窓口で購入するときの様に、乗車・下車駅を指定して購入するようにする。
ICカード・磁気カードの場合には、券売機で磁気カード(オレンジカードなど)を使ったきっぷ購入ができた頃や、現在の在来線グリーン席券のように、券売機(のようなもの)で事前に乗車駅・下車駅、利用機能を指定してからでないと、改札を通れないようにしておく。
おサイフケータイ(モバイルSuica)の場合には、すでにあるモバスイ特急券のように、ケータイ操作で乗車区間を指定できるようにする。
こういう方法で実現できる。
育った町は関東に位置している田舎だ。電車に乗れば東京まで一時間半か二時間程度の場所だが、それでも十分田舎だった。電車を目の前で逃すと一時間は待たなければならない。隣駅は無人駅で、最寄駅は7時にならないと自動券売機で切符が買えない。バスに至っては二時間来ないこともざらだ。終電や終バスの時間も早く、夕方が差し迫ってくれば、乗り継いで行った先の終電のことを考えなければならない。東京は近くて、でも遠い街だった。
電車に乗ってあの町が近づいてくると、見渡す限りの田んぼとその中をうねうねと伸びる農道が見える。街燈がぽつぽつとしかない道を闇におびえながら全力疾走で駆け抜ける夜も、夏になると井戸からくみ上げた水が滔々と流れる用水路も、稲穂の上を渡る金色に光る風も、その中を喜んで走る犬も、道端で干からびている車にひかれたイタチも、うっそうと道上に生い茂り時々大きな枝を落としている木々も、なにもかもが呪わしかった。どこへ行くにも車がなければ不便で、こじゃれた店は大規模なショッピングモールの中にしかない。それで、中高生はいつもそこに特に理由もなくたむろしていた。
みんな都会に行きたかったのだ。すぐにつぶれてしまう店も、郊外型の広い駐車場も、市街地から外れればとたんに何もなくなって農耕地だけになるニュータウンも、なにもかも厭わしかった。私たちはたまに触れるなにか新しいものを含んだ風にあこがれ、騒がしい日常を羨み、便利さに憧憬を抱いた。都会に行かなければいけない、という思いはまさに呪縛だった。こんな田舎にいてはいけない、田舎はつまらなく、古びていて、垢抜けない。だから都会に行かなくてはいけない。
高校を卒業するとともに私を含めほとんどの友人は都会へと向かった。何人かは都会に住みかを確保し、住みかを確保できなかった人たちはどこかに拠点を確保して、毎日何時間もかけて都会へと通った。
私は住みかを確保できた幸運な一人だ。山の手のかたすみにある、静かな住宅地に最初の下宿はあった。学生用の木造二階建ての、半分傾いたアパートだ。四畳半で風呂がなく、トイレと玄関は共同だ。同じ値段を出せば、田舎では1DKが借りられる。しかしそんな場所でも、私にとってそこは「トカイ」だった。
トカイでは駅までの道に田畑はなく、駅では10分も待たずに電車が来る。どの駅でもかなりの人々が乗り降りし、夜が更けても街燈が一定の間隔で並んで夜を追い払ってくれる。月明かりに気付く余裕をもって往来を歩けるほどの安心が都会にはあった。そのくせ、私が慣れ親しんできた大きな木々や古い河の跡や、四季はきちんとそこにいて、祭りがあり、正月があり、盆があり、そうやって人々は暮らしていた。盆正月は店が閉まってしまうということを知ったのも都会に出てからだった。
都内にありながら広大な面積を有する大学の中には山があり、谷があり、そして池があった。そこにいると、田舎のように蚊に襲われたし、アブラゼミかミンミンゼミくらいしかいないとはいえ、蝉の声を聴くことができた。近くに大きな道路が走っているはずなのに、喧騒はそこまでやってこず、昼休みが過ぎると静寂が支配していた。水辺で昼食をとるのが私は好きで、亀と一緒に日を浴びながらパンを食べた。
あるいは、田舎でそうしていたようにどこへ行くにも自転車で行き、アメ横からつながる電気街や、そこから古書街、東京駅、サラリーマンの街あるいはおしゃれな店が並ぶ一帯までどこへでも行った。都会は平坦につながっているように見えるが、どこかに必ず境目があるのだった。境界付近では二つの街の色が混ざり合い、ある臨界点を超えると途端に色彩の異なる街になってしまうのが面白かった。その合間にもところどころ自然は存在していて、いつからそこに植わっているのか知らない大きな木々が腕を広げて日陰を作り、その下にベンチが置いてある。くたびれた老人がその下に座り、コミュニティが形成される。それが私の見た「都会」だった。
山の手の内側で育ち、閑静な住宅街で育った人たちは、ここは「イナカ」だから、東京じゃないという。私はそれを聞くたびに笑いをこらえきれなくなる。あなたたちは田舎を知らない。電車が10分来ないとか、駅まで10分くらい歩かなければならないとか、店がないとか、繁華街が近くにないとか、そんな些細なことを田舎だと称するけれど、田舎はそうじゃない。
田舎は不便だが、時に便利だ。車で移動することが前提だから、どこか一箇所にいけばだいたいのことを取り繕うことはできる。都会のように一つの場所に店が集まっていないせいで、あちこち足を運ばなければいけない不便性が田舎にはない。確かに近くに店はない。駅も遠い。でもそんなことは本当に全然大したことじゃないのだ。
大きな木が育っていてもそれを管理せずに朽ちていくばかりにする田舎、邪魔になればすぐに切ってしまうから、町の中に大木は残らない、それが田舎だ。古いものは捨て、新しいもので一帯を覆い尽くすのが、田舎のやりかただ。昔からあるものを残しながら新しいものをつぎはぎしていく都会の風景とは全く違う。人工の整然とした景観があり、そことはっきりと境界線を分けて田畑が広がる区域が広がる。その光景をあなたたちは知らない。人工の景観の嘘くささと、そこから切り離された空間の美しさをあなたたちは知らない。新しく人が住む場所を作るために農地や野原を切り開いて、道路を通し、雨になれば水が溜まる土壌を改良し、夏になればバスを待つ人々の日陰となっていた木々を切り倒し、そうして人工物とそれ以外のものを切り離していくやり方でしか町を広げていくことのできない田舎を、あなたたちは知らない。人々は木漏れ日の下に憩いを求めたりしないし、暑さや寒さに関してただ通りすがった人と話をすることもない。車で目的地から目的地へ点と点をつなぐような移動しかしない。それが田舎なのだ。あなたたちはそれを知らない。
盆や正月に田舎に戻ると結局ショッピングモールに集まる。友人とだったり、家族だったり、行くところはそこしかないから、みなそこへ行く。しばらく帰らない間に、高校時代によく暇をつぶしたショッピングモールは規模を拡大し、店舗数も増えていた。私が「トカイ」で足を使って回らなければならなかったような店が、都会よりずっと広い売り場面積で所狭しと並ぶ。それがショッピングモールだ。上野も秋葉原も新宿も池袋も渋谷も原宿も東京も丸の内もすべて同じところに詰め込んで、みんなそこは東京と同じだと思って集まる。田舎は嫌だ、都会に行きたいと言いながらそこに集まる。
ABABというティーン向けの店でたむろする中高生を見ながら、私は思う。下町を中心としたチェーンのスーパーである赤札堂が展開しているティーン向けの安い服飾品を、田舎の人は都会より二割か三割高い値段で喜んで買う。これは都会のものだから、垢抜けている、そう信じて買うのだ。確かにその服はお金のない中高生が、自分のできる範囲内で流行りを取り入れて、流行りが過ぎればさっさと捨てるために、そういう目的に合致するように流通している服飾品だ。だから安い代わりに物持ちが良くないし、縫製もよくない。二、三割その値段が高くなれば、東京に住む若者はその服は買わない。同じ値段を出せばもう少し良いものが変えることを知っているからだ。田舎に暮らす私たちにとってのしまむらがそうであるように、都会に住む彼らにとって最低限の衣服を知恵と時間をかけてそれなりに見えるように選ぶのがABABだ。そのことを彼らは知らない。
ABABのメインの事業である赤札堂は、夕方のサービスタイムには人でごった返し、正月が近づけばクリスマスよりもずっと入念にかまぼこやら黒豆やらおせちの材料を何十種類も所せましとならべ、思いついたようにチキンを売る。あの店はどちらかというと揚げ物やしょうゆのにおいがする。店の前には行商のおばさんが店を広げ、都会の人たちはそれを喜んで買う。若いこどもはそれを見てここは「イナカ」だという、そういう光景を彼らは知らない。田舎ではショッピングモールの商品棚のなかにプラスチックでくるまれた商品があるだけだ。そうするほうが「トカイ」的で便利でコミュニケーションがいちいち必要ないから、田舎の人間はそれを喜ぶのだ。
そして私は「トカイ」という呪縛から逃れていることに気付くのだ。
どちらもよいところはあり、悪いところはある。便利なところはあり、不便なところもある。都会の人も「トカイ」にあこがれ、ここは田舎だというけれど、「トカイ」というのは結局幻想でしかないということを、私は長い都会生活の中で理解したのだった。便利なものを人は「トカイ」という。何か自分とは違うと感じるものをひとは「トカイ」のものだという。それは憧れであり、決して得られないものだと気づくまで、その呪縛からは逃れられないのだろう。
「イナカ」はその影だ。「トカイ」が決して得られない憧れであるなら、「イナカ」は生活の中に存在する不便さや不快さや、許し難い理不尽やを表しただけで、「トカイ」と表裏一体をなしている。「イナカ」も「トカイ」も幻想でしかない。幻想でしかないのに、私たちはそれを忌み嫌ったり、あこがれ、求めてやまなかったりする。だから田舎はいやなんだというときのイナカも、都会に行けばきっとと願うときのトカイも私の心の中にしか存在しない、存在しえない虚構なのだ。
私はオフィス街の中で聞こえるアブラゼミの声が嫌いではない。でも時々その声が聞こえると、田畑を渡る優しく澄んだ夕暮れ時の風を思い出す。竹の葉をすかす光とともに降り注ぐ、あの鈴の音を振るようなヒグラシの音が耳に聞こえるような気がする。
記憶の片隅に、一面に広がる田んぼと、稲穂の上で停止するオニヤンマの姿が残っている。
父方の田舎は、人口の一番少ない県の市街地から車で一時間半かかるところにあった。周りは山と田畑しかなく、戦前から10軒もない家々で構成される集落だ。隣の家は伯父の家だったはずだが、確か車で15分くらいかかったと思う。幼いころにしかいなかったので記憶はもうほとんど残っていない。免許証の本籍地を指でなぞるときにふと頭の中によぎる程度だ。父はあの田舎が嫌いで、転職と転勤を繰り返して、関東に居を構えた。あの村で生まれて、育ち、その中から出ることもなく死んでゆく人がほとんど、という中で父の都会へ行きたいという欲求と幸運は桁はずれだったのだろう。時代が移り変わって、従兄弟たちはその集落から分校に通い、中学卒業とともに市街地へ職や進学先を求めて移り住んでしまった。今はもう老人しか残っていない。日本によくある限界集落の一つだ。
引越をした日のことは今も覚えている。きれいな街だと思った。計画的に開発され、整然と並んだ町並み。ニュータウンの中には区画ごとにショッピングセンターという名の商店街があり、医療地区があり、分校ではない学校があった。電柱は木ではなくコンクリートだったし、バスも来ていた。主要駅まではバスで40分。駅前にはマクドナルドも本屋もミスタードーナツもある。旧市街地は門前町として栄えていたところだったから、観光向けの店は多くあったし、交通も車があればどうとでもなった。商店に売られているジュースは何種類もあったし、本屋に行けば選ぶだけの本があった。子供の声がして、緑道があり公園があり、交通事故に気をつけろと学校では注意される。
バブルにしたがって外側へと広がり続けたドーナツの外側の淵にそのニュータウンは位置しているが、新しい家を見に来たとき、祖父母はすごい都会だねぇと感嘆混じりに言った。
父は喜んでいた。田舎には戻りたくない、と父はよく言った。都会に出られてよかったと何度も言った。ニュータウンにはそういう大人がたくさんいた。でも、都心で働く人々にとってニュータウンは決して便利の良い町ではなかった。大きな書店はあっても、ほしいものを手に入れようとすると取り寄せるか、自分で都心に探しに行くしかない。服屋はあるけれど、高いブランド物か流行遅れのものしかない。流行はいつも少し遅れて入ってきていた。都心に日々通う人たちはそのギャップを痛いほど実感していたに違いないと思う。教育をするにしても、予備校や塾は少なく、レベルの高い高校も私立中学もない。食料品だけは安くて質のいいものが手に入るが、都会からやってくる品は輸送費の分、価格が上乗せされるので少し高かった。都会からじりじりと後退してニュータウンに落ち着いた人々にとって、言葉にしがたい都会との微妙な時間的距離は苦痛だったのだろう。
子供にはなおさらその意識が色濃く反映された。簡単に目にすることができるからこそ、もう少しでつかめそうだからこそ、都会は余計に眩しいものに思えた。引力は影響を及ぼしあうものの距離が近いほど強くなるように、都会が近ければ近いほどそこへあこがれる気持ちも強くなるのだ。限界集落にいたころには市街地ですら都会だと思っていたのに、ずっと便利になって都会に近づいた生活の方がなぜか我慢ならない。
そして子供たちは大きくなると街を出て行き、後には老人だけが残った。さながらあの限界集落のように、ニュータウンもまた死にゆこうとしている。幸運なことに再び再開発が始まっているようだが、同じことを繰り返すだけだろう。
祖父母にとって東京は得体のしれないところだった。東京駅に降り立った彼らは人込みの歩き方がわからず、父が迎えに来るまでじっと立ちつくしていた。若いころだってそうしなかっただろうに、手をつないで寄り添い、息子が現れるまで待つことしかできなかった。そういう祖父母にとってはあのニュータウンですら、生きていくには騒がしすぎたのだ。あれから二度と都会へ出てくることはなく二人とも、風と、田畑と、山しかないあの小さな村で安らかに一生を終えた。
たまに東京に出てくる父と母は、あのとき祖父母が言っていたようにここは騒がしすぎて疲れる、という。どこへ行くにもたくさん歩かなければならないから不便だと言う。車で動きにくいから困ると言う。智恵子よろしく母は、東京にイオンがない、と真顔で言う。私が笑って、近くにイオン系列のショッピングモールができたし、豊洲まで出ればららぽーともある、といっても納得しない。田畑がない、緑が少ない、明るすぎるし、どこへ行っても人が多い。すべてがせせこましくてあわただしくて、坂が多くてしんどい。それに、とことさら真面目な顔になって言う。犬の散歩をする場所がない。犬が自由に走り回れる場所がない。穴を掘れる場所もない。彼らはそう言う。
あんなに都会に出たいと願ってやまなかった若いころの父と母は、あのニュータウンの生活に満足し、さらに都会へ出ていくことはできなくなったのだ。それが老いというものかもしれないし、身の丈というものなのかもしれない。生きてゆくべき場所を定めた人は幸せだ。幻想に右往左往せず、としっかりと土地に根を張って生きてゆくことができる。
私の住む東京と千葉の境目も、不満に思う若者は多いだろう。都内とはいっても下町だからここは都会ではない、と彼らは言うかもしれない。都下に住む人々が都会に住んでいない、と称するように自分たちの住む街を田舎だと表現し、もっともっとと願うのかもしれない。引力は近づけば近づくほど強さを増すから逃げられなくなるのだ。でも、もしかすると、都会の不便さを嫌って、彼らは田舎を志向するかもしれない。一つのところへ行きさえすれば事足りる、点と点をつなぐだけの便利な生活。地をはいずりまわって丹念に生きる必要がある都会と違って、郊外は行く場所が決まっているし、ネットがあればなんとかできる。彼らには、私たちが引力だと思ったものが反発力として働くかもしれない。未来は分からない。
それでもきっといつかは、みんな、どこかに愛着を抱くか、よんどろこのない事情で立ち止まるしかなくなるのだろう。祖父母がそうであったように、父と母がそうであるように、どこかに満足して、ここ以外はどこにも行きたくない、と主張する。それまではきっと都会と田舎という幻想の間を行き来し続けるのだ。
参加者心得的な何かを書いて見た。
自分の閑古鳥鳴いてる日記に書くよりは増田に書いた方が色々な方の目に触れて頂けそうなので、こっちに書いて置きます。
近年、東方Projectの人気によってあまりイベント慣れして無い参加者さんが増えてて問題行動が目に付くようになって随分と久しい今日この頃。昨年度(2009年)は割と落ち着いた感じがありましたが、今年も新規参画者に向けて微力ながら私も参加心得的な何かを書いて見ました。
一応、当日会場で同人誌・同人ゲームを買い漁る「一般参加者」向けに記載していますが、同人誌・ゲームを発表する「サークル参加者」の方も、軽く目を通して頂ければと思います。
特に、今年が初参加と言う方は出来ればこの記事の付けられるであろうコメントも参照して頂ければ幸いです。
(付かなかったらどうしよう・・・)
イベント名:東方Project作品オンリー同人誌即売会 「博麗神社例大祭」
開催日:2010年3月14日(日) AM10:00~PM3:00
→ http://www.bigsight.jp/general/access/index.html
国際展示場駅にて下車 徒歩数分
有明駅 or 国際展示場正門駅のどちらかで下車(入口の都合上、有明駅の方が良いかも知れません)
公共交通機関を利用して参加して下さい。禁止・・・と書いては無いが、自動車やタクシーでの参加はNGと思って下さい。
参加する際に必要となる持ち物について、重要度の高そうなものから順に記載して行きます。
入場券的なナニかになります。ゲーマーズ・とらのあななどのオタク・同人ショップで販売しています。
最悪、当日入場する際にも販売しているようですが、売り切れる可能性も考えられるので、事前に入手出来る状況下ならば早め早めに入手する様にして下さい。
但し、会場内どんな悪人が潜んでどんな悪事を働くか分かりません。スリ・置き引きに備え予備の財布を準備する事をお勧めします。
また、帰りの交通費まで使い込んじゃう天然ボケな方は、交通費も何処か予備の予算として潜ませておくと安心です。
カタログや戦利品を収納するのに利用します。・・・特にえちぃ同人誌を購入される方は、えちぃ表紙の同人誌を何も包まず持ち歩くのは、非常に危険です(規制を強めてる石原都知事大激怒的な意味で)
トートバッグでも良いので何か準備して下さい。出来れば痛く無い奴。
個人的な意見ですが、リュックサックやキャリーカートは出来れば避けた方が良いと思います。リュックサックは・・・、・・・まぁ、モラルの無い方の例が腐るほど出てると思うので詳しい事は書きませんが。キャリーカートも同じく、轢いたりぶつかったりトラブルメーカーですのでご遠慮願います。
もはや都内の移動では欠かせません。また、イベント開催時は券売機に長蛇の列が出来てしまうので、タッチアンドゴーで改札を抜けれるSuica/PASMOのご利用をお勧め致します(当然、十分な金額を入金しないと金額不足で入れなかったり出れなかったり・・・)
Wikipedia情報によると、Kitaca/ICOCAは鉄道乗車・電子マネー利用共にOKとなっていますが、TOICAだけは電子マネー非対応となっております。TOICAでバスをご利用予定の方は、対応していないかと思われますのでご注意ください。
大人の人はえちぃ同人誌を買う際に、未成年の方はぶっ倒れた時の為に。保険証のコピーなどでも大丈夫かと思われます。
基地局がパンクして通話出来無さそうな雰囲気ですが、無いよりあった方がマシです。但し先に書いた通り、基地局がパンクして通話・通信が行えない可能性がある為、集合などはメールでやり取りするより事前に集合場所・集合時間を決めて置いた方がスムーズに事が進むかも知れません・・・。
会場内は大勢の参加者で充満されますので、3月だと言うのに非常に蒸す事が想定されます。予想以上に汗を流すかと思われますので、必ず水分補給の為の飲み物を準備する様にして下さい。
また、朝から会場に向かわれる方は朝食替わりにカロリーメイトなどの軽食を準備するようにして下さい。
どのサークルをどのような経路で回っていくかチェックしたシートや地図などを準備した方がスムーズに会場内を回る事が出来ます。
入場待ちの待機列で時間を潰す為に小説なり、音楽プレイヤーなり何か。無いと苦痛の待機時間になります。
・・・但し、必ずスタッフさんの指示が聞こえるような状況にして下さい。
・・・まぁ、一般的なエチケットですので、ハンカチやポケットティッシュは・・・ねぇ・・・。
雨合羽です、決して河城にとりじゃありませんw
雨が降った場合、密集した待機列で傘なんて広げたら周囲に大迷惑なので、雨合羽を準備する様にして下さい。
なお、現時点では天気予報は晴れの予定ですが、荷物に余裕があれば&最新の天気予報を見た上で準備するかご判断して下さい。
3月だからと言って舐めて掛ると大変な事になります。
なるべく簡素にリストアップして行きます。
先ほど記載した通り、入場チケットになります。忘れると会場内に入れないか、当日販売のカタログを買わされます。
また、参加する際の諸注意事項など、色々な情報が掲載されているので、カタログを熟読した上で参加する事をお勧めします。
基本的に会場内で頒布される同人誌・同人ゲームは100円玉・500円玉・1,000円札の3種類の紙幣・硬貨を利用しての決済となります。
間違っても会計時に10,000円札何かを出さないようご注意下さい(最悪、釣銭が無くて決済出来ません=買えません)
※多分、稀少価値の高い2,000円札が限度・・・じゃ無いかなぁ・・・
いくらお祭り騒ぎ見たいな雰囲気と言えど、馬鹿騒ぎして良い訳ありません。会場に向かう途中の電車内での東方談義は禁止です。
また、待機列で暇だからと発狂したり、チルノの算数教室歌ったり踊ったり、ニコニコ生放送始めたりなんて事は言語道断です。周囲から見たらキチガイ以外何物でもありません。
また、帰宅途中にえちぃ同人誌を電車内で読んだりも辞めて下さい、既に同人誌即売会=奇怪なイベントと言う妙な認知が広がり肩身が狭い状況になってるので、これ以上自分たちの首を絞めるような行動は辞めて下さい。
言わずとも。
昨年度の例を見ると一部始発近い時間帯に会場に向かってもペナルティを受ける可能性があるので、無理して始発で向かおうなんて気を起さず、朝飯食って準備万端な状態で会場に向かいましょう。
ゲームに熱中したり、密閉式イヤホンで音楽を聴くのに熱中したりしないよう注意。
またにスタッフさんの指示で列が動いたするので、スタッフの指示には耳を傾けましょう。
大勢が参加するイベントなのでトイレも大変な行列になる事が想定されます。
お腹の具合が・・・とか、お手洗いに行きたいかも?・・・と危険を察したら早め早めに行動するようにして下さい。
上記の通り、基地局がパンクして通話し難い状況になるかも知れません。
人員整理から何までスタッフさんは問題が起こらぬよう色々な指示を出してくるかと思われます。
指示に従わない場合、彼らは冷酷な行動(=退場処分など)をとりますので決して逆らわぬように。
コスプレ・カメラ撮影共に登録制です。登録せずに撮影したり、コスプレイヤーさんの許可無く撮影したりしないようにして下さい。
足りない部分とか、他に注意して欲しい部分は心優しい増田さんがコメントやら漏れのバッシング記事で書いてくれると思うので、後は他の増田さんの記事参照(他力本願)
以下の記事を参考に作成しました。・・・パクリって言うなー。これでも日本語が不自由な日本人だから一言一句どう表現するのか頭フル回転で考えたんだぞー。
→ http://d.hatena.ne.jp/amateru/20100307/1267973627
→ http://apach.ushimairi.com/reitai.htm
→ http://www.nicovideo.jp/watch/sm9985441
思いついた事があれば更新するかも?
何はともあれ、参加される方皆様良い例大祭をお過ごしくださいませ。
友人が会社でよくお菓子を配っているのだが、これは出費面から見ても労力面から見ても、大した努力ではない。
それなのに、よく気が利く人ということになっている。
誰も気付かないようなところ・誰もやらないようなところで優しさを発揮すると、とくに目立った優しさとして受け止められる。
こんな例もある。大学生の時に学生寮に住んでいたのだが、居住する部屋から少し離れたところに銭湯があって、
学生たちは片道3~8分ほど歩いてそこに通っていた。すると、カミソリや歯ブラシを忘れて取りに戻るのが大変だったりするわけで、
貸してもらうわけにもいかず困ったものだった。ある日、銭湯に行くと、銭湯の券売機の隣の机に使い捨てのカミソリや歯ブラシが沢山
積まれていて、「どうぞお使いください」と手書き文字の紙が貼ってあった。最初管理人がやったのかなと思ったが、
そうではなくて誰か学生がやったらしかった。
我々はこういう善意に慣れなくて、反射的に気持ち悪いと思ってしまうところがあるが、これはなかなか発想し行動には移せないなと感心した。
どんな人がやったのか知らないけど、多くの人が彼に感謝していたと思う。
気を回す余裕さえあれば、努力無しに感謝されるのだから楽なものだとも思う。
その点では、おべっかばかり言って、媚びへつらっているような人は、努力は認めるが、ずいぶん効率の悪い優しさだな、
頭が良くないなと思う。
俺も昔はそんな疑問を持ってたんだ。
『人間は自分に近い者に惹かれる』って言葉から女はDQNであるが故に自分に近いDQNが好きという仮説を立ててみた。
公共の交通期間内で手荷物を座席に置いて、立っている人が目の前にいても平気の平左
順序を守らず平然と当然のように割り込み
券売機の前で自分の用事が済んでいるのに手荷物をグチャグチャと弄って、後がつかえていても平気な顔をして退こうとしない
コンビニの飲食コーナーにいつまでも仲間内で陣取っている。
一番最後は小僧もやっているのを見たけど、それ以外は全部女がやってる事が目に付く。
等、女のDQN行為は外で目立つくらいに多い
つまり女はDQNが多い、同じDQNと一緒になりたがるからDQNはモテるわけだ。
という仮説
お前にこの二つのコピペを送る
ロットマスターとして店内の秩序を守ることたびたび、店主もそろそろ俺を認めてくれているはず。
シャッターオープンとともに入店、店主にあいさつするが忙しそうで返事は無し。
この媚びない態度にプロ意識を感じるね。
大豚Wに全増しコール。 麺を茹で上げる釜から漂う小麦粉の香りが食欲をそそる。
第一ロッター、第二ロッターの前にどんぶりが置かれ・・・やってまいりました、俺の二郎!
シャキシャキ山盛り野菜にざっとタレをかけ回し、テュルンテュルンの脂とにんにくをからめ、戦闘開始!
・・・というところでちょっと異変に気づいた。
おや?チャーシューの姿が見えない・・・。
野菜山の向こうにいるのかな?どんぶりを半回転させる・・・いない。
そうか、野菜に埋もれているのか!野菜を軽くほじくる・・・いない。
チャーシューの仕込みに失敗したのか・・・?と思い両隣のロッター見ると、そこにはしっかりチャーシューの乗った二郎が。
まあいい。このくらいはブレの範囲と言えるだろう。プルプル脂身さえあれば俺は幸福だ。
さて、野菜をワシワシ攻略、そろそろ愛しの極太麺ちゃんにご対面・・・w
のはずが、一向に麺が見えてこない。ていうか、麺が入ってない。野菜のみがどんぶりに盛られている状態。
なんだこれは・・・俺は何かを試されているのか?店主も助手も向こうを向いたまま、次のロットワークに取り掛かっている。
・・・まあ、これも、ブレの範囲と言えなくもない、か。
「ごちそうさま!」と大きな声で挨拶したが、返事は無かった。
家に着いた俺はそっと布団にもぐりこみ、そして声をたてずに泣いた。
ここしばらく仕事が忙しく、カネシと脂でドロドロだった血液もスッカリサラサラ。
これはいかんと会社帰りに少々遠回りし、かねてからの宿題店をこなす為松戸駅にて下車。
少々道にお迷ったものの、町の喧騒の遥か彼方におなじみのジローイエロ-を発見!
赤いマントを見た荒牛の如く、猪突猛進!最早周りの景色など見えません(爆)
ようやくたどり着いたお店にはなんと先客ゼロ!まさにアイアムロットレジェンド状態!
さっそく券売機にお金を投入。おや、本店とメニューの呼び名が微妙に違うのね?
とりあえず大盛りゆで卵入りの券を購入。パッと見インド人風の女性に渡します。この方が噂の松子さんかな?
さっそく「ヤサイマシマシニンチョモカラメアブラブラ」をコール!松子さん、ちょっと首をかしげていたけど大丈夫かね?
程なくして注文のブツが到着!
盛りはちょっと少なめだけど、香りは中々スパイシーで、思わずヨダレがじゅるり…。
さっそく金属製のれんげでスープをすくってパクリ。かなり粘性が強くまるでカレーのよう!
ちょっとカネシが弱めだがまぁブレの範囲か。これはこれで全然あり!
さらにビックリなのが麺。おなじみのゴワ麺だと思うが、外国米みたいな長さと大きさにコマ切りにされ
サフランで色付けされているみたいな色合い…
つーか見た目、食感、味的にはまさに「米」そっくりだったが、まぁブレの範囲内だろう。
さらに驚いたのがヤサイ。本日限定なのか、ニンジンとジャガイモが煮込まれて入っている。
またここの店ではテーブルにニンニクがサーブされていて、自分で好きなようにいれられる様になっている。
赤い甘酢?につけられたそれには、ニンニク以外にも大根や蕪なども一緒に漬け込まれており
全体的に多少のブレは感じたが、それ以上に二郎の基本を守りながら、それにとらわれず
様々な変化を見せてくれた店主の研究熱心な人柄がに感心。
大満足で店を出ると松戸駅南口に向かった。
http://anond.hatelabo.jp/20090220065041
8つしかないボタンの順番を正しく押さないと目的地への切符が買えない。
普通の英文による注文で切符が買えるハズなのだが、実際には専門家に頼んで注文を書いてもらわないと上手く買えない。
亀を出発駅から到着駅まで移動させることで切符を買う。
出発駅と到着駅の型が違う場合、適切な経由駅を設定しないと切符が買えない。
任意の切符を発行するためのビルダーテンプレートのインスタンスを生成できる。
切符は他の切符のコピーで作られるため、切符をどう印刷するかについてのプログラムはまったく入っていない。
到着駅と出発駅を入力すると、到達可能であることが示される。切符は出てこない。
どの駅でも同じ操作で切符が買えるハズなのだけど、実際のところは微妙に違ってぬるぽで落ちる。
元ネタ:http://anond.hatelabo.jp/20090220065041
※このネタはフィクションです。登場する企業を貶める意図は一切ございませんのでご了承ください。
※やっつけです。すいません。もう少し詳しい方、ガンガン修正してください。
馬鹿正直に仕様書通りに作る。「目黒-五反田-品川-……」なんて書こうものなら例えプロジェクトチーム全員が大崎駅の存在を知っていても飛ばして作る。
そして高い。
すいません、先ほど紹介した券売機は富士通のでした。見た目も性能も変わりませんがNECのはこちらです。
すいません、先ほど紹介した券売機は日立のでした。見た目も性能も変わりませんが富士通のはこちらです。
「動かねーぞ!」と文句を言いにいったら運用保守してたのが富士通だった。
どうやら箱だけ売ったら消えたらしい。
「やけに安いな」と思ったら中身全部Linuxだった。
日本人からするとどう見てもヘンな形の切符を発券するが、欧米人はこれが好きらしい
ハリウッド大作映画やスポーツイベントのタイアップ切符を発券するのでファンが買う
お金がないときは券売機を思いっきり殴ると切符が出てくるが、警察に追われる
今は券売機を作っていない
元ネタ:http://anond.hatelabo.jp/20090220065041
※ポケットにギリギリ入る
※実はいつでもどこにでも行ける切符がこっそり売られている
※学生は年間パスポートを買うことで構内で買ったジュースを1本に限り返金してくれる
※ある区間で往復し続けるとなぜか儲かる
※腕を横に広げてくるくる回るだけで通り抜けられる
※痛電車に乗れる
※券売機の足もとに矢印があるので←←←→→→←→と入力すると凄い勢いで電車が来る
※やっぱり犬がくわえている
買い方の説明は無いけど、行き先と値段は券売機上でちゃんと分かるから実は大して困らない。筐体が黒い。
わずかに残っていれば通過可能。通過できない場合は全額を現金で精算
もし標準のSuicaやPASMOで障害が起きた場合は駅員に頼めば再発行してくれる
駅にある券売機や精算機ではチャージができない
残額不足の時は全額を現金で精算、そしてJRの窓口で出場処理をつけてもらう
駅の友人改札での処理ができない
入場記録がついていない場合や同駅出場、異経由などなどの処理ができない
料金が発生する場合は現金で精算、そしてRの窓口で出場処理をつけてもらう
普通に使ってるなら問題ないけど異常時はとにかくめんどくさい
自分の生活圏にJRの駅がない場合はモバイルSuicaは使わない方がいいよ
なんかあったときにJRの駅まで行かないといけないからめんどくさいよ
そしてそれを処理する私鉄の駅員もめんどくさいから
つくづく感じることなんだけど、
あいつらってロボット?
ハンバーガー屋とかでもそうだけど、「思考」ってものを忘れてるよな。考えない葦だぜ。
卵が先か鶏が先か知らないけど、たしかにあの仕事にクリエイティブな思考はあまりいらない。
もちろんクリエイティブな思考ができるやつは仕事もよくできていい評価をもらえる。
でも「必須」じゃないよな、クリエイティブな思考なんてなくてもあの仕事ってしていけるし。
で、思うのよ俺。
あーゆー仕事は「必ずオートメーション化されるな」って。
「スマイル0円」っていうくらい笑顔を振りまきたい店もあるって聞くし、
「ありがとう」を言うためにあえて券売機を置かない牛丼屋もあるらしい。
でもさ、その発想とか思想はすんばらしいんだけどさ、
やってるやつらの行動がついていってないよな。全然ダメ。ロボット同然。
これって考えてみたら、客のほうが店員に人間らしさを求めてないってこと?
「ありがとうございましたまたおこしくださいませー」っていう単なる空気の振動。
こんな空気の振動に対して「ごちそうさま」を言う俺ってアホじゃね?
将来の話だけどさ、牛丼を作るロボットが開発されたとしたらさ、
早いとこ牛丼屋とかに配置して長期的な人件費を下げるべきだと思うのよね。
100% をロボット軍団にお願いすることはできないと思うけど、
本当に最小限のところだけを「考えられる」人間が担当すればいいだろ。
で、クビになったバイト君はどうしろって?
そんなの自分で考えろってw
そろそろ落ち着いてきたので言う。
iphoneが嫌いなのはデザインがダサいからだ、あののっぺりしてるのが嫌だ
まぁ当然反論があると思うけどその前に俺のガジェットの思い出を聞いてほしい。
小学生の頃カシオの多機能の腕時計に憧れた。あのムダにボタンの多い腕時計にワクワクした
当時どうしても欲しかったけどムリだった。。。しかたなく小学館の応募者全員プレゼントの
ライト付ドラえもん腕時計を愛用していた。ライトのオンオフが横レバー方式を採用したのが
大変すばらしかった。
次はラジカセだ。もちろんカセットテープを二つ入れることができる奴が一番のお気に入り
でも家にあった唯一のラジカセを『壊れたから』という理由で捨てられたのは悲しい思い出。
あと昔のFMラジオやBCLラジオも好き!!BCLラジオは持ったことないけど店の前でカッコイイなー
と思いながら眺めていた。FMラジオも昔のモノはスゴクカッコイイ!とあるラジオではロッドアンテナを
出すスイッチがあって、それを押すとビコーンとアンテナが飛び出してくるという機能がある。
スゲーよな!!カッコいいよな!!アンテナなんて親指ぐらいの太さなんだゾ!!
さてここまで読んで???っと思った人はこの先はもっとわからないと思うから読まないでいいよ。
ええと次はガジェットじゃないけどオシロスコープだ。最初は使い方がわからなかったけどすぐに魅了された
もちろんブラウン管式オシロが好き、デジタル式なんてナンセンス。ああカワイイよオシロタン。。。
プローブの先を曲げちゃったり、無駄にスイッチいじって先生に怒られたり、波形でてこねぇーと叫んだのは懐かしい思い出。
ちなみに友人から譲ってもらったオシロ(40MHz 3ch)を1台持ってます。
さて駆け足で回想しましたが要は『俺はスイッチが好きだ!!』てことを言いたいのです。もちろんボタンもね。
配電盤に行くといつもワクワクします、アキバのスイッチ屋を覗くのが好きです、オムロンのリミットスイッチが好きです!
トグルスイッチも好きだ、ディップスイッチも好きだああ(マザボのDIPスイッチが最近減ってきて悲しい。。。)
スイッチやボタンがないガジェットはガジェットじゃない!!最近のガジェットはスイッチを軽くみる傾向が強い
ボタンをシート型にして目立たせないようにするなどトンデもない事です。
そうだiphoneを受信機のDJ-X8みたいにボタンを着せ替えできるようにしたらどうだろう?
うぬこれは絶対人気出るぞ、断言する。
ボタンやスイッチはもっと存在を主張すべきだ。なんで謙遜するのかがわからない。
そう考えるとブラックベリーはいいねーボタンがいっぱいあって、俺にとってあのボッテっとしたボタンが嬉しいよ。
んで俺が一番心配しているのはDSやiphoneのブームによりタッチパネルが今以上に普及することだ。
昔の駅の券売機はボタン式でよかったけど最近はタッチパネルが主流で本当にげんなりする。
話が若干ずれてしまったが俺が言いたいのは
ってことだ
全国の券売機にその手のセンサ取り付ける費用と維持費考えるだけで、実質値上げにしかならないのはわかってるんだけどさ。
それでもなんかすごく納得いかないものを感じないか?
そういう体型の人が自分の両側に座っているときとか、そのせいで一人分座れる人が減っているのを見たときとか。