2009-09-30

苦労して信頼を得るより、さりげない優しさ

友人が会社でよくお菓子を配っているのだが、これは出費面から見ても労力面から見ても、大した努力ではない。

それなのに、よく気が利く人ということになっている。

誰も気付かないようなところ・誰もやらないようなところで優しさを発揮すると、とくに目立った優しさとして受け止められる。

こんな例もある。大学生の時に学生寮に住んでいたのだが、居住する部屋から少し離れたところに銭湯があって、

学生たちは片道3~8分ほど歩いてそこに通っていた。すると、カミソリや歯ブラシを忘れて取りに戻るのが大変だったりするわけで、

貸してもらうわけにもいかず困ったものだった。ある日、銭湯に行くと、銭湯券売機の隣の机に使い捨てのカミソリや歯ブラシが沢山

積まれていて、「どうぞお使いください」と手書き文字の紙が貼ってあった。最初管理人がやったのかなと思ったが、

そうではなくて誰か学生がやったらしかった。

我々はこういう善意に慣れなくて、反射的に気持ち悪いと思ってしまうところがあるが、これはなかなか発想し行動には移せないなと感心した。

どんな人がやったのか知らないけど、多くの人が彼に感謝していたと思う。

気を回す余裕さえあれば、努力無しに感謝されるのだから楽なものだとも思う。

その点では、おべっかばかり言って、媚びへつらっているような人は、努力は認めるが、ずいぶん効率の悪い優しさだな、

頭が良くないなと思う。

  • 気を回す方法に気づける人って器用だなーと思う。 そうなりたい。

  • さりげないやさしさを見せられる人はいいと思うが、歯ブラシとカミソリの共用はどうかと思うんだ衛生的に。 「優しさってイイネ!」と言うだけですべてを肯定してはいけない。

  • いいとこに気付いたね。すごいと思う。 そーゆー優しさは、匿名であり続けて欲しい。 その方がきっとみんな幸せ。 誰か分かってしまうと、たとえば、カミソリ忘れて使いたいの...

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