「刑罰」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 刑罰とは

2018-07-07

anond:20180707094415

権力による殺人ってのがピンと来ないなぁ。刑罰だし。

そもそも殺人とかテロとか取り戻せない許されないことをしたんだから死刑ってのも仕方ないんじゃない。

そういうことをしたんだから

死刑なくして一生刑務所に入れとくってのも誰も幸せにならなくない?税金無駄だし。

人殺したりテロを起こした奴を社会に戻してほしくないし。一定ラインを越えちゃったら死刑しかないよ。

緊急避難としての国家権力による殺人

説得や非難をしたいわけでなくて考え方を知りたいんだけど、死刑に関して権力による殺人NGとして反対する人は、差し迫った状況で無差別テロ犯を法執行機関が殺すのはOKなの? OKって言葉は軽すぎで、やむを得ないという感じかな。

やむを得ないと仮定しまして。

状況的に刑罰としての殺人と同じだとは全く思わないし、テロ犯を殺さないと無辜の命がさらに失われる可能性が極めて高いという理屈はわかる。でもそれで殺していいの?

どんな状況であれ、非致死性の武器で無力化を試みるべきなのでは。犯罪者の命も等しく重要なら、極端に言えば、テロ犯を殺さないことを優先するために、周囲の市民も巻き添えにしていいかスタングレネード使うみたいな考え方もあるのでは。(即時・確実に効果的かつ完全に非致死性なものなんてないとは思っている。そんな理想的ものがないから仕方なく殺すことを容認する?)

死刑判決に関して「絶対」「100%」なんて現実には人が判断できないから、という点でぶっこむと、すでに6人くらい殺したテロ現行犯が、実はそれ以上は殺す意思持ってないかもしれないし、銃を向けてきてももしかしたら弾丸尽きてるかもしれない。銃は捨てて爆弾を投げようとしているけど、もしかしたら偽物かもしれない。それは冤罪・過誤の可能性とはそもそも話の種類もレベルも全く違うだろってのはその通りで同じ考えでは語れない範囲なのはわかってる。でも「絶対」なんてない現実世界だけどテロ現行犯は殺していいの?

権力による殺人NGな人にとっては、トロッコ問題の亜種で、もっとずっと複雑だと思うんだけど、どんな考えなのかな。

犯罪抑止効果観点のみで死刑反対の人は功利主義的だろうから、この問題は悩まず殺してOKだろうね。(いや、動機解明の機会が失われるって反論ある人もいるかも…)

anond:20180706182250

これは自分オリジナルではないけれど、

死刑存置派→袴田事件を目の前にしても、誤判があっても死刑はありうるべき

死刑廃止派→オウム事件を目の前にしても、あらゆる凶悪犯も死刑にすべきではない、死刑はあってはならない

と表明できなきゃダブスタなっちゃうので、その理屈はどちらの立場でもそれぞれの素朴な“感情”にはどうしても相反するんだよね。

ヘタレな私は理屈屋であり感情屋でもあるので、どうしてもそこがクリアできてません。なのでどちら派とも表明できません。ダブスタ野郎すみません

一方、「オウム事件のような冤罪じゃないことが明らかな事件死刑もいたしかたないんじゃね」って人に対しては、心神喪失者には死刑執行できない、とされている刑事訴訟法479条1項の規定を今回どうやってクリアたか、“執行時”の彼が心神喪失でなかったか、ってメッチャクチャしかったと思うんだけど、と問いたい。ホント今回はその点誰がどう担保したんだろう???

情報リークによる死刑のショー化の議論はもとより、そこの議論をすっ飛ばすのって正当性担保の面でも超絶に危ういよね。そこらへん指摘してる報道はあったのかな?弁護士会声明突っ込みはあったのかな?

彼の行ったことがほんの少し想像するだけでも身の毛のよだつ、筆舌に尽くし難いという慣用句なんかではとても回収しきれない、絶対に許してはならない最低最悪なものだったということはほぼ衆目一致するところだと思うけど、それでも、そうだとしても、国家による究極の刑罰である死刑執行が“正しいもの”とされているギリッギリ最低限ラインの「正しい事実認定の確定裁判に基づき、正しい法的手続きを守って執行された」が今回成立してたかどうか。これが成立してないとすると、日本法治国家であることを放棄したこと同義なんだが。この国はそのラインまで堕ちてしまたか、それとも以前からずっとこういう国だったのか。

【追記】

存置派・廃止派に関係ない話だけど、死刑執行の期間の問題代表として、国家の究極の刑罰の根幹の規定が、運用・慣例・前例によって一部骨抜きにされ、一方で共犯者同時執行原則とか執行基準みたいな運用・慣例・前例しかないもの事実上法規範化しちゃってる、ってのは、いかにも、“空気”が大事なこの国らしいあり方と思いませんか?良くも悪くも。

誰が死刑批判できるか

駐日欧州連合と各国の駐日大使が「日本死刑執行されたことを受けた、現地共同声明」を発表した。

https://eeas.europa.eu/delegations/japan/48047/node/48047_ja

私は、死刑制度はすでに「ある」ものなので、存在を疑ったことがないタイプ人間である。多くの人が通勤時に信号を受け入れているように、人を何人も殺したことが確実と思われる者は死刑になると考えて生活している。

ただし、このような駐日欧州連合と各国の駐日大使の声明についてはモヤモヤとしたものを感じてしまう。なので、彼らの主張が本件に当てはまらない点と主張の欺瞞を明らかにしてみたい。すでに「偉い人」によってナンセンスとされている議論かもしれないので、皆さまの叱正も乞いたい。

過誤の存在

声明文には『どの司法制度でも避けられない、過誤は、極刑場合は不可逆である。』と書かれている。しかしながら、オウム事件刑事裁判において、犯罪事実行為自体は争われておらず、弁護側から反論は主に責任能力だった。したがって、本事件については冤罪ということはないように思うし、本事件について冤罪を疑うレベルの懐疑心の持ち主は日常生活を送ることは難しいだろう。また、「じゃあ、過誤じゃなかったらどんどん死刑にしてもいいの?」と反対論者に聞いても絶対に賛成しないのでこの主張は本質的でない。

犯罪抑止効果

より説得的な意見は、同声明文の「犯罪抑止効果がない」という箇所である。例えば、人権団体アムネスティは、「科学的な研究において、『死刑が他の刑罰に比べて効果的に犯罪を抑止する』という確実な証明は、なされていない」と主張している。さらに同団体は、以下のようなデータを示している。

1981年死刑廃止したフランス統計でも、死刑廃止前後で、殺人発生率に大きな変化はみられません。韓国でも、1997年12月、一日に23人が処刑されましたが、この前後殺人発生率に違いが無かった、という調査が報告されました。また、人口構成比などの点でよく似た社会といわれるアメリカカナダを比べても、死刑制度廃止していない米国よりも、1962年死刑執行を停止し、1976年死刑制度廃止したカナダの方が殺人率は低いのです。(http://eumag.jp/feature/b0914/)」

しかしながら、ここでは統計的な手法によって科学エビデンスを示していないので、主張は信頼性が低い。要は、死刑制度について賛成派も反対派も明確な科学エビデンスを持ち合わせていない。つまり犯罪抑止効果については、仮説によって類推するしかないのだ。その点、わが国の法務省の主張は明瞭(もちろん皮肉だが)。

刑罰犯罪抑止力があることは明らかであり,刑罰体系の頂点に立つ死刑に抑止効がないというのは説得的ではない。(http://www.moj.go.jp/content/000076135.pdf)」

事件に当てはめていても、(報道から)1審で死刑判決を受けたとき麻原は「何故なんだ! ちくしょう!」と叫んだことが知られており、宗教的インセンティブから罪を犯したものでさえ死刑対してコスト認識していたことがわかる。

誰が死刑批判できるか

ここまで、駐日欧州連合の主張が少なくとも本事件に当てはまらないことを論じてきたが、一般的に「死刑は残忍で冷酷であり、」誰に対しても行うべきではないという主張もある。この点については私も賛成する点もあるが、所謂おまいう案件でもあり主張は欺瞞に溢れているように思う。ここでは、EUに加盟しているフランスチベットダライ・ラマ法王の二つの行動に着目したい。

例えば、駐日欧州連合が「欧州における死刑廃止の取り組み」として紹介しているフランスである(http://eumag.jp/feature/b0914/)。フランス2015年11月ISISによる同時多発テロ対象となったことは、記憶に新しい。(事実として)フランス空軍は、1週間も立たないうちに、ISIS首都とするシリア北部都市ラッカ空爆している。そこには、過誤の議論も抑止効果議論もない。

これに対して、もう一人の死刑廃止論者の意見も紹介しよう。こちらは、2007年のサダムフセイン死刑に反対したダライ・ラマ法王声明である(http://www.tibethouse.jp/news_release/2007/070118_sdm.html)。チベット中国による人権自治侵害に晒され続けているが、法王は「私は、中国敵対などしていません。私が目指しているのは、チベット自治確立することです。」としている。法王は、フセイン死刑に対して「とても悲しいことです。大変、悲しいことです。」と表明している。

ここまで紹介したら、欺瞞なく「死刑批判できる人」が誰か明確になっただろうし、この問題日本が取る立場も見えてくるように思える。「国連人権理事会普遍的・定期的レビュー(UPR)の枠組みにおける勧告」なんて知らない。

anond:20180706182250

冤罪は勿論なくすべき。

ただしそれは死刑になる罪に限らず、痴漢冤罪でも、傷害冤罪でも、詐欺冤罪でもそうじゃないですか?そして冤罪をなくすため、誤判をなくすための努力法曹公権力は常に続けていくべきではないですか?

冤罪をなくす・減らすことと、死刑の有無は全く関係ないでしょう。

「ぼくたちは間違いを犯すかもしれなくて、それが人を長期間拘束して社会的に殺すことはまあ仕方ないけど、命を奪ってしまうのは流石に罪悪感が大きいから、死刑やめたい」って言ってるようにしか聞こえん。

刑罰を下す者はきちんとその責を負うべきだし、正しく裁くべき、再審請求にも応じるべき。

死刑か否かではなく、人を裁くのならそれなりの責任を持つ必要があります冤罪で人を殺してはならないが、社会的になら殺してもいい、というのはおかしい。社会的にも殺してはならない。つまり死刑を許容するかどうかの話は、冤罪可能性とは全く関係ない。

そして誰が見てもたくさんの人を殺傷したのが明白で冤罪余地が無い人間たちの死刑に際して、冤罪可能性をフックに死刑反対を主張するのは筋が通らなさすぎ。

2018-07-06

anond:20180706183503

そもそもこの国の今の社会状況の場合懲役どころかそもそも無罪でおわったとかでも

世間の目」からの「社会的制裁」を受けることになるから

仮に刑罰による被害が全くなかったとしてもシャレにならないんだよなあと

anond:20180706182250

市民から私的刑罰の手立て(所謂仇討ち)を取り上げる担保としての公刑(国家による死刑)があると思ってんだけど、公刑としての死刑をなくした場合自救行為に至っても仕方なしって考え方なのかな?

死刑廃止派の一法曹としての意見

松本智津夫オウム真理教事件の確定死刑囚死刑執行された。

 私は死刑制度自体に反対の立場ですが、なぜそう思っているのかについて簡単に書いておきたい。およそ日本の今の状況で、松本らの死刑執行タイミングほど、死刑制度についての関心が高まることはないと考えるからです。

有罪であるという確証が持てない時に、多くの裁判官はどういう行動を取るのだろうか

 司法制度では疑わしきは罰せず、という原則があるのは、ほとんどの人が知っていることだと思いますしか現実裁判官がそのように行動しているかというと、そういうわけでもないようです。先日twitterである弁護士が、下級審簡裁だったかな)の判決書きで、若干の疑いがあるからちょっと罪を軽くしとくね、というような文面を書いてしまったため、控訴審でそれが棄却された、というものが流れてきました。これは判決書きに書いてしまったおバカな事例ですが、上級審であっても同じような運用がされていないわけではないようです。元裁判官で、刑法学者植松正は「無期懲役誤判の吹き溜まりである」と言いました。事実認定に若干の疑いがあるが、情状は極めて悪く、真に犯人であるのならば、死刑にするしかないというような場合無期懲役にすることが多い、というのです。これは裁判原則に反しています。実際には、情状に関わらず、事実認定合理的な疑いが残るのであれば、無罪とせねばなりません。なぜそれができないのでしょうか。裁判官人間ですから世論はまちがいなく気にしています世間を騒がせた大きな犯罪である場合裁判官のうち一人に合理的な疑いが残っていたとしても、合議の中で、簡単無罪判決を出せるものではないでしょう。つまり裏を返せば、合理的な疑いが残っていたとしても、死刑をいう選択をされてしま可能性は0ではないということです。死刑という刑罰存在する以上、確実に、100%、全くの疑いの余地なく、死刑に値する、と考えられない場合にも死刑選択してしまう例が存在するということです。

死刑制度問題は究極的には被疑者被告人人権問題に帰する

 死刑に値する犯罪を、まさか自分が行うはずはない、とほとんどの人は思っていると思います。ゆえに、とんでもない罪を犯した人間は、死刑でも仕方ないし、死刑が速やかに実行されるべきだ、という考えを持っている人が多いのではないでしょうか。被疑者被告人人権よりも、被害者の応報感情の充足が優先されるべきだ、と考える人も多いでしょう。しか100人死刑囚の中には、1人の無辜人間がいるとしたらどうでしょうか。その人を国家権力が殺す、という不正義をあなたは許容できるでしょうか。99人の”真実犯罪者”の被害者の応報感情社会要請としての死刑制度は、そのリスクを甘受するべきだと考えるでしょうか。

 では自分痴漢として裁判にかけられるかもしれない、と思う人はどれほどいるでしょうか。自分痴漢をやっていないことは天地神明に誓えるけれども、なんの証拠もない。被害者は、あなた痴漢されたと言っている。裁判所はあなたの訴えを合理的な疑いが残るとして認めてくれるでしょうか。捜査機関は、被害者の主張を、合理的な疑いが残らないように、矛盾をなくした形で、調書を作成するプロです。また裁判所は一応独立機関であるとされていますが、かつては判検交流と呼ばれる制度もあり、基本的裁判官検察官親和性の高い人たちですし、基本的検察提示証拠を信用して事実認定をすることが多い組織です。あなたの主張は認められず、あなた有罪判決を受けるかもしれない。あなたはそのリスクを甘受するでしょうか。疑いがかけられた以上は、痴漢という、卑劣犯罪行為に対して、その犯行を認めようとしない犯人であるあなたには、何の反省も見られない、と言われるかもしれません。

 裁判人間が行うものである以上、無謬ではありえません。痴漢冤罪場合、たとえ有罪であっても、人権上の制約は小さいと言えますし(むしろ冤罪であったとしても認めてしまった方が人権は制約をされないという残念な状況にある)、もし防犯カメラなどから無罪証明できた場合名誉回復され、損害賠償請求できる場合もある。しか死刑場合においては、それは究極の人権制約なのです。

団藤重光は以下のように論じています

例えば懲役刑などにしても、長いこと刑務所に入って、後で無実だということがわかって出されても、失われた時間、失われた青春は再び戻ってこないという意味では、これも確かに取り返しのつかないものです。しかし、そういう利益はいくら重要な、しか人格的、その意味主体的利益であろうとも、人間自分の持ち物として持っている利益ですが、生命はすべての利益帰属する主体存在のものです。もちろんこのことと、前述の人間尊厳が人命の上位にあるということとを混同してはなりません。死刑はすべての利益帰属主体のもの存在を滅却するものですから、同じ取り返しがつかないと言っても、本質的に全く違うのであります

 痴漢冤罪による被害を最小化するために、真犯人を含む、すべての被疑者被告人人権を守りましょう、被疑者実名報道はやめましょう、無意味身体拘束をやめましょう、という主張に対して賛成できる人は、死刑存置を考える人よりも多いのではないかと思いますいかがでしょうか。

 本質的には、これは死刑冤罪による被害をなくすために、真犯人を含む、すべての被疑者被告人に対する、究極の人権侵害である死刑廃止しましょう、という主張は私には同じものに思えるのです。しか死刑廃止するべきだ、という人はずっとずっと少ないのです。

被害者(周辺を含む)の応報感情を軽く考えるべきではない

 痴漢で捕まった人が、周囲に実は自分自白させられただけで、無罪なんだ、と主張することはよくあると思いますが、特に妻子持ちの人に多いのですが、私の経験上、やってないと強く主張していた人であっても、ここで認めても家族に知らされることはない、ということを教えると、スルッと実はやったんだ、という人が結構ます。ですから冤罪を主張する人たちの中に、罪を逃れるためにそう主張している人が多くいることも事実でしょう。しかし実際に痴漢冤罪によって人生が狂ってしまった、という人は確実に存在します。死刑においても同様のことが起きていないとは、誰にも言えないのではないでしょうか。

 しかし多くの人は、死刑に値するような重大な犯罪で、自分冤罪当事者になることな想像もしないでしょう。それに比べれば、自分たちの周りの大切な人たちが傷つけられたということへの怒りはとても身近で、応報感情に流されてしまいがちです。これは非難されるようなことでありません。前述の団藤は、父ブッシュとデュカキスとの討論で、妻を強姦され、殺害されても、死刑に反対するのか、という質問に、淡々と「それでも死刑には反対だ」と主張したデュカキスに対し、世論は非常に強く反発したと書いています。これがデュカキスの敗因ではないと思いますが、死刑廃止を訴える人に対し、「お前の家族を殺されても、死刑に反対だと言えるのか」という主張はよく向けられます殺害される、などという、およそ通常経験しないことを経験した人たちが、犯人を自ら殺してやりたい、あるいは国家によって同じような目に合わせて欲しい、という感情自然ものであると思いますしかし、当事者でない我々が、そう思うのは当然だ、とその応報感情正当化をする必要は必ずしもないとも思うし、死刑廃止論者であった人が、実際にそのような目にあったときに考えを変えたとしても、それはごく自然な話であると思うのです。その感情否定はできませんが、団藤が述べているように法の論理は、もう一段上の次元で考えるべきはないかと思うのです。

自分は無実なのだと内心で叫びながら絞首台に向かう人の存在を許容できるか

 私は貝になりたい、の主人公床屋は無実ではありませんが、死刑に値する罪を犯しているか、と考えるとそうではないと思います。あの絶望を持って、死刑にされる人間がいる、という不正義を許容できるかどうか、結局はその価値判断なのだと私は思います

 私はその価値判断において、死刑廃止して欲しいと考えていますが、それゆえに、死刑の存置を訴える人の価値判断尊重したいと考えていますしかしその上で問いたいのです。あなたは、たとえわずかな確率であっても、あなたあなたの大切な人が、冤罪死刑になってしまうことを許容できますか、と。

anond:20180706125505

憎くはないし、仮に憎かったとしてもその感情刑罰に反映させようとは思わないし、仮に刑罰に反映させたいと思うくらいその感情が強かったとしても司法はそれを反映させるべきではないと思うよ。

anond:20180706112253

刑罰市民感覚という名のお気持ちを反映させようとした結果が裁判員制度だもんな

anond:20180706111333

でも結局のところ刑罰ってそういう世間お気持ちで決まらない?

anond:20180706110947

そういう量刑以上に生理的気持ち悪さの度合いで刑罰の重さを決めたがるような主張に反対するのが死刑廃止論者なんだと思うんだが。というか俺はそうだが。

2018-07-03

anond:20180703234034

法や条例を変えたいって話ではない。

法や条例を犯してしまう原因が身体生理に由来しているのならば、刑罰啓蒙などと言った文化的アプローチではなく、投薬といった方向の身体に直接働きかけるアプローチ有効なのでは?という意見

2018-07-02

痴漢刑罰を無期か死刑にすればなくせる

バツが緩すぎるからみんな気軽に痴漢するんだ

死刑にすればいい

anond:20180702180854

掲示板のことを刑事板だと思ってた小学生時代

刑事板→悪いことをすると名前罪状刑罰が張り出される板

2018-06-30

[] #58-2「罪罰メーター」

≪ 前

そう言って、ガイドが俺たちにアイテムを見せた。

「ええー? それが未来アイテム?」

見た目はスマホに似ていて、あまり未知の未来っぽさがない。

俺たちはこれ見よがしにガッカリした。

「つまんねえデザインだな」

「キミたちが未来にどういう期待をしているかからないけれども、こういうアイテムは装飾を気にする意味がないんだ」

にしても、数ある候補の中から“それ”なのかって気持ちはあるけど。

「他にもっと良いのあるんじゃねえの?」

「制約がなければ確かにそうだけど、効果の強すぎるアイテムだと未来に大きな悪影響を与えやすいから……」

また“これ”だ。

未来に悪影響を与えすぎるって言って、こいつはいつも地味なアイテムしか出してこない。

そのせいで、最近はただの言い訳しか聞こえなくなっていた。

「あ、でも効果は素晴らしいものだよ。これのおかげで、ボクたちの未来社会がかなり最適化されたんだから

俺たちの反応の鈍さを察したのか、焦ったガイドアイテム説明をして挽回しようとしている。

因果収束って知ってる?」

「何だそれ? 未来言葉か?」

「そうか……うーん、どこまで噛み砕けば、この時代の子供には伝わるかな……」

こいつ、ちょいちょい俺たちのことを見下している気がする。

言葉の端々に、そういうのがにじみ出ているというか。

兄貴ガイドを嫌うのも、多分そういうところが鼻に付いたからなんだろうな。


「かな~り大雑把な説明をするなら、要は悪いことをすれば報いを受けるべきって考え方だね」

ああ、その考え方は俺たちの時代にもあるな。

「でも、この考え方には欠点があるよね。漠然としすぎている。悪事に対して、その報いが適切なものかってのは正確には分からない」

「でも、そのために司法ってものがあるんじゃ?」

仲間のミミセンがそう返すと、ガイドは溜め息を吐いた。

なんか、イラっとくる。

「もちろん、ボクたちの時代でも法律ルールといったものはあるさ。でも、キミたちの時代は、まだそれが洗練されていない。使い方もいい加減だ。しか犯罪者への刑罰が適切かどうかを数人だけで意見を交し、それにやたらと時間をかけるなんて非効率すぎるよ」

また俺たちの時代バカにしているのがムカつくが、ガイドの言いたいことは何となく分かってきた。

「つまり、それを効率的にするのが、その『罪罰メーター』ってこと?」

「そういうことだね。長年の研究によって、因果可視化、数値化することができたんだ」

かに、今まで不可能だと思われていたものが、可能になったという点では未来アイテムっぽいな。

やっぱり地味だが。

「これは画期的発明なんだよ。裁判効率化はもちろん、民間些細なトラブルですら、これがあれば正確に判断することができるんだから

それに胡散臭い

俺たちの疑惑眼差しは、ガイドにも伝わっているようだ。

やれやれといった調子に、その罪罰メーターを操作し始めた。

「疑っているようだね……。じゃあ、試しに使ってみせるよ」

次 ≫

2018-06-27

アンチェイン

2018-06-26

anond:20180626055818

実際、低能先生に下される刑罰はどのくらいになるんだろう?

(1)心神喪失により無罪

(2)情状酌量により5年未満の懲役

(3)5年~10年の懲役

(4)11~最長20年の懲役

(5)無期懲役

(6)死刑

私的制裁禁止

何人も、法律の定める手続によらなければ、その生命若しくは自由を奪はれ、又はその他の刑罰を科せられない。

— 日本国憲法31


Hagex事件から数年たった。はてな村界隈はひどく窮屈になった。

言うまでもなく、日本法律に「煽ったら死刑」などという文言はない。事件の当日も、今もない。

しかし、事件で示された「煽ったら殺されるかもしれない」という可能性は、村人の心を蝕んでいた。

ある人は外出にボディガードを雇うようになった。自撮りに必ずスミス夫妻が見切れている。

ある人はブログを止めた。引退宣言なんてものもない失踪だ。京都パンティー作っていると聞いたが嘘松

ある人は外出を止めて引きこもった。ブログ更新頻度が跳ね上がり、だんだんウザくなってきた。他にやることが思いつかないらしい。

人と会うという宣言は、「帰ってこなかったら死んでると思ってくれ」という隠語になった。

こんな村になっても人と会うことを諦めないやつはいる。だいぶん少数派になってしまったが。

会社に行くとき、買い物に行くとき風呂上がりでフルチンとき、俺らはこんなにビクビクしていただろうか?

ファミチキ買うのにスタンガン必要生活だっただろうか?

殺人をしない」という単純な約束はてな村の基礎を作っていたなんて、こうならなければ気が付かなかっただろう。

はてな村暮らしていている者は「煽っても殺さない、殺されない」という合意を持って村に来ていた。

「外に出ても殺されない」という約束を破棄し、社会コストを増大させた、この殺人擁護することは出来ない。Hagex氏の自業自得があろうが無かろうが関係ない。

法を犯すと言うこと、社会を騒がせるということはこういうことなのか。

今日は久しぶりに外出の予定がある。

……なにが悪かったのだろうか。それともこれは時代必要とした犠牲なのだろうか。

初めて低能先生の顔を見に行こうと思う。

ペンより剣を強くしたやつ。

やつは今なにを思っているのだろうか。

2018-06-25

anond:20180625210822

精神障碍者刑罰が倍になるの知らないのか

一般人だと罰金で終わるのも精神障碍者だったら措置入院病院で無期金庫

2018-06-22

anond:20180622090226

刑罰賠償義務が伴う謝罪は誠実だけど

何も義務を伴わない謝罪相手不快に思えばあざけり

2018-06-21

死刑に抑止能力がないのは適用範囲が狭いせい

刑罰死刑に一本化しよう

2018-06-20

anond:20180620231019

だったら貧困爺さんの万引きに対する刑罰は爺さんの口座に300万円振り込んで開放する罰な

金があったら再販しないだろ

刑罰って「将来の犯罪被害を減らせるか」で決めれないのか?

責任能力がないか無罪 とか意味わからん被害者側の気持ちってのも他人には結局推し量り切れないと思う。

だったらいっそ刑罰を「将来の犯罪被害を減らすためのもの」と割り切ればいい。再犯可能性を減らすのに効果的なら、懲役でも死刑でも経済活動制限でも投薬でも、なんでも柔軟にやったらいいじゃないか

「この罪は重い。判例も鑑みて懲役〇年」とかより「この犯罪再犯可能性が高く、更生施設によるケアでも低減が難しい。よって懲役〇年と投薬」のほうがはるかに納得感があるだろ。数字統計か何かで決めれるだろうし。

金の亡者には経済的制限を、性欲異常者や粗暴者には投薬や筋力低減を、あらゆる自制が効かないなら社会からの隔絶を。これより合理的方法ってないんじゃないか?なんでやらないんだ謎すぎる

2018-06-12

anond:20180612001737

無敵の人」の定義の中に「刑罰を恐れていない」「社会に対し一方的復讐心がある」があったような

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん