はてなキーワード: 刑罰とは
2018年7月6日をもって、麻原彰晃自身が起こした事件の罪償いは、全てが終了した。
日本の法律では、刑罰を受けた人には、もうそれ以上罪を問うことはできない。
死んで灰になった人間に、さらに罪償いをさせることは不可能であることは言うまでもない。(肉体がないので、謝罪も賠償もやりようがない)
「まだ償いは終わってない」と文句を言ってる人は、生前に本人へ直接言っておくべきだった。
死んだ後にいくら騒いでも、もう遅い。
ゾンビ映画が好きだ。
シリアス、コメディ、ハートフル何でも受け入れるゾンビ映画が好きだ。
アイデア勝負の低予算B級も良い、特殊メイクとCGが豊富なハリウッド超大作も良い。
私はゾンビ映画が好きだ。
けれど、ゾンビ映画を完全に味わうことはできない。
ゾンビになることの本当の怖さは早すぎる復活だ。
あらゆる死者をよみがえらせて裁きを行い、
かつて火葬は最後の審判で復活するための肉を無くすという刑罰だった。
効率化の波が火葬を認めさせたとはいえ、今でも抵抗のあるキリスト教徒は多いと聞く。
そんな彼らにとって、キリスト再臨の前に復活してしまうことがどれほど恐ろしいことか。
その概念の具体例だけでなく、「それには当てはまらない例」(反例)があって初めて理解が進むじゃないですか
たとえば「有理数」っていうのは整数の比で表される数ですよってだけでは初学者には理解ができない
1/2とか-4/7とか0とか1とかのことですよって言われただけでは不十分
円周率とかルート2とかは当てはまらないですよ、整数の割り算で表現できないからねって言うとようやくイメージが掴める
境界線の内側と外側を言ってもらえて初めて境界線が目に見えると言いますか
ところが法律、とくに刑法の解説では「こういう行為が刑罰になるんです!」ばっかり言うけど
なかなか「こういう事例はギリギリ大丈夫です、何故ならこういう理由で要件にあたらないから」って言ってくれないですよね
私が知らないだけで、市販の判例集とか見たら反例も載ってるのかな
少なくともそういう情報をネットで気軽に見れる解説ページとかで見たことないんですが、
いやー、恐ろしいね。
死刑反対派の非寛容さ。
http://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.yaserucola.com/entry/shot_dead
こんな態度で「人道的な立場」から死刑廃止を語るんだからおっそろしいよね。
「ズレてる」だの「比較すべきでない」だの「ナンセンス」だの言っておけば論破したつもりになってんだろうね。
http://b.hatena.ne.jp/entry/367396222/comment/grdgs
grdgsgrdgsのコメント2018/07/15 08:47
怖いね。
元記事の人の書いてた
https://www.yaserucola.com/entry/shot_dead
http://b.hatena.ne.jp/entry/367396222/comment/fu-wa
武器を持って抵抗の意思を示している犯人を警官や周囲の人々の安全のために射殺するのと、武器を持たず無抵抗な状態の人間を処刑することを比較するのは、まったくのナンセンスだよ。
「冤罪による死刑が起こりえるから死刑に反対」だったら、「現場の誤判断による射殺も起こりえるから現場で射殺すべきでない」と等しく反対すべきだろうに。
「そうだね、現場での射殺もするべきでないね。」くらい言っとけば論理の一貫性は保たれるのに、なんで死刑のほうに喰ってかかってくるのかわかんない。
現場射殺もダメっていう人道原理主義なら論理の一貫性は認めるけど、頭はお花畑だよね。
http://b.hatena.ne.jp/entry/367396222/comment/tteraka
射殺は本人による犯行の蓋然性と法益侵害の重大性・緊急性が認められる時しかできないのだから比較しても何の意味もねえだろ
tterakatterakaのコメント2018/07/15 14:26
同上。その「重大性・緊急性が認められる時」を誰がどうやって判断してんのって話だろうが。
現場が緊迫した状態で「とりあえずサクッと殺しとくか」って状況のほうがよっぽど冤罪が起こりえるだろ。
http://b.hatena.ne.jp/entry/367504186/comment/Zephyrosianus
正当防衛、緊急避難としての犯罪者の制圧による死亡と、刑罰としての死刑という理論構成も実態も全く別の事を「国家による殺人」だから一緒だなんてクソ雑な非論理的思考は普通の死刑廃止論者は想像もしないのでは?
ZephyrosianusZephyrosianusのコメント2018/07/15 09:50
「クソ雑な非論理的思考」とか、なんの反論にもなってないレッテル張りしておけば反論したつもりになってんのかな?
「ダメなんだからダメ。お前らはバカなんだから従っとけ。」ってか。
http://b.hatena.ne.jp/entry/367504186/comment/tanukichi087
緊急避難や正当防衛による殺人は、国家だけでなく個人にも許容されてる。それが成立は問題として、正当化理由のない死刑を同列に並べることはナンセンス。
tanukichi087tanukichi087のコメント2018/07/15 13:16
これもとりあえず「ナンセンス」って言っとけば反論になると思ってるタイプ。
緊急避難や正当防衛で殺人が認められて、国際ルールに基づいた戦争による殺人や社会秩序を維持するための死刑がなんで認められないんだよ。
せめて全部反対しとけよ。
同僚の坂本弁護士をオウム真理教に殺された滝本弁護士が、敵討ちのため、残党を解散させたい気持ちは分かるような気がします。
オウム真理教事件に携わってきた関係者たちは、死刑の執行によって長年の裁判にやっと決着がついたと見ているのでしょう。
滝本弁護士は、裁判だけでなく、教団の解散をゴールと考えているので、死刑だけでは不十分と見ているのでしょう。
滝本弁護士と他の著名人の温度差は、そこに起因しているのではないでしょうか?
現状、オウム問題で騒いでいるのは滝本弁護士だけで、他の著名人は動向を見守っています。
麻原の遺骨を散骨するなら、事後報告にしておけば、余計な手間を取らずに、スムーズに事が運べたはずです。
滝本弁護士は、記者会見を開いて大々的に散骨を宣伝した後、信者に襲撃されるかもしれないので危険だ、国が支援して散骨すべきだ、と主張しています。
江川紹子さんは、わざわざ荒波を立てる前に、密かに散骨を済ませた方が良かったのでは?と苦言を呈していました。
https://twitter.com/amneris84/status/1016995236797542402
事前に記者会見する意味がよく分からない →四女側「遺骨、太平洋に」=警備など国に支援要請―オウム松本元死刑囚(時事通信) - goo ニュース
https://news.goo.ne.jp/article/jiji/nation/jiji-180711X380.html
https://news.goo.ne.jp/article/jiji/nation/jiji-180711X380.html
四女が遺骨を受け取った後、密かに海へ散骨して、部外者に対しては保管場所を秘密にしておけば済む話だったのでは?(保管場所=太平洋の海底)
日本の法律では、刑罰を受けた者は、それ以上の罪を問われることはありません。
麻原も死刑が執行されたので、法律上は、これ以上罪を問うことができないのです。
その上で、さらに散骨を国が実施すれば、単なる法律問題を超えて、宗教の問題、政治の問題に発展する可能性があります。
滝本弁護士が騒いで、散骨に国が介入すれば、下手すると政治問題に発展する要因を残すでしょう。
まだ6人の死刑囚が残っている中で、死刑の執行以降のプロセス(遺骨の扱いなど)に国が介入すれば、恣意的だと批判されてしまいます。
このような混乱や遺恨を残さないためには、有識者などの第三者も交えて、関係者が今後の対応策について協議するべきでしょう。
遺骨を散骨したぐらいで、残っている信者が解散するとは考えにくいです。
(その程度で解散する連中なら、もっと前に解散していてもおかしくないのでは?)
自分は法律を専門にして生きていているけど、刑事事件とはあまり関係がないから、そこまで詳しいわけでもない。
自分が死刑についての投稿とか、それに限らずとも法律に関係する投稿を見て、新たな観点だな、と思うことは殆どないと言っていい。既存の議論を上手にまとめて紹介しているものとか、自分の立場を適切に述べているものはもちろんあるけど、とりわけ断言調で書かれたもので、なるほどなあと唸るようなものはない。大抵の場合、すでに、それに対しての反論が議論されているものばかりだな、と思う。
死刑や刑罰に関する議論でよく出るものだと、例えば刑罰は何のためにあるのか、というようなものがある。
これについて既存の議論を簡単にまとめれば、割と最近までは、応報刑論と目的刑論との二つの考え方が対立していたと説明されていて、前者は犯した罪に対して罰を与えるのが刑罰の本質であり、後者はもう2度と犯罪を犯さないように矯正したり、社会に対して犯罪を犯すとこういう辛い思いをするからやめたほうがいいよと伝達したり、あるいは犯罪を犯すような人を社会から隔離することで新たな犯罪が発生することを予防することを目的として与えるのが刑罰だというもの。
前者はカントやヘーゲルに遡るようなクラシックなものだけど、罪に対して罰を与えるっていうけど、それは何のためになされるのか、本質というのは何なのかよくわからないよねという批判がある。
後者については、再犯可能性が非常に高い人だと、どんなに軽い犯罪でも、犯罪者なら終身刑にすることになるよね、とか、さらにその考えを進めて、犯罪を犯しそうな(けどまだ犯罪を犯していない)人を刑務所に入れようとかそういう話ななってしまうけど、それでは流石に良くないよね、といった批判がなされている。
それを踏まえて近年では、社会的な規範を回復するためになされるのが刑罰である、というような学説も有力で、結局、応報刑論と目的刑論ってそんなに違わないのかも?みたいな話になっているとのことでした。
(この辺の学説的なことは刑事法ジャーナルの54号に最近の議論がまとまっている。)
で、そういう刑罰の本質についての議論自体はどうでも良くて、自分が思っているのは、自分が考えついたことは、誰かすでに考えているだろう、更には批判も尽くされてそれに対する再批判がなされて、という風に議論は進んでいる、という風には思わないのだろうか、ということ。
自分は一応、専門と言えるものがあって、様々な学者が一生を懸けて知恵を絞って、あるいは、実際の社会の中で様々な人たちが工夫を凝らしていろんなことを考えてきてることを感じてきたから、そんなに簡単に新しいものは生まれないということを強く思っている。あるいは逆に、自分の思いつきについては、既に前向きな批判がなされていることが大半で、自分の考えをブラッシュアップするのはその意味では容易だと感じている。だからこそ、自分の専門外のことでも、自分が何か感じたことや思いついたことがあったら、調べてみることは大事だし、軽率に発言するのは意味がないことだなとも思う。
だから、いろんな社会的なトピックに対して、いろんな人から条件反射的に自分の思っていることを述べて、しかもそれが間違っていたり批判があるということに想いを致さない様子を見ると、心が痛む。人類が協力して分担して、何世代にもわたって知恵を絞ってきて、それを上手にまとめて教えてくれる人すらいるのに、酒の肴にしてるならまだしも、大真面目に自分の議論が絶対正しいかのように自信満々に理論を展開している人を見るのは辛い。
こういうことを言うと、学問と市民感覚はずれがある、学者は象牙の塔でしょうもない、みたいな意見も出るかもしれないけれど、少なくとも法律学の領域で、市民感覚のようなものが議論に全然反映されてない、ということはあり得ないと思う。もちろん、立法の対応や学会の対応が遅い、ということはあるだろうけれど、市民感覚なんてどうでもいいから無視しよう、なんということはなくて、市民感覚がどのように醸成されてきて、今後どうなっていくかということも、議論されているのが普通だと思う。
日本の刑罰体系は概ね自由刑(懲役など)と財産刑(罰金など)の加重減軽によって決まるが、死刑はそのどちらにも属さない異質な刑罰であり、特別な理由のないかぎり堅持するには不自然である。
日本において死刑が認められている特別な理由とは、主に抑止論、すなわち見せしめの効果に期待してのことだが、死刑に犯罪を抑止しうるという根拠はなく、他の刑罰で十分に目的を達成していると言える。
また、応報論、すなわち憂さ晴らしの効果を期待する声もあるが、国民感情を慰撫するために人を殺すということには倫理上の重大な問題があり、きわめて野蛮であると言わざるをえない。
犯罪者の永久的な隔離を目的とするならば、終身刑で事足りるはずであり、これに反対する理由としてはコスト面での問題が考えられるが、これは「金のために人を殺すのか」という別の倫理問題となる。
死刑とは、端的に言えば「人を殺す」という悪徳によって何らかのメリットを得ようとする行為であり、ゆえに常に倫理面で劣勢を強いられる。
死刑賛成派はこれとどう折り合いをつけているのかな。
数が少ないから考えないことにしている?
死刑になりたいと望んで引き起された犯罪事件の一覧 - いちらん屋(一覧屋)
https://ichiranya.com/society_culture/122-crime-which-wished-for-death-penalty.html
「犯罪を犯したら病院送りにするのが正しい」(anond:20180710152412)を読んで思い出した。
『罪を犯した人を排除しないイタリアの挑戦』(浜井浩一)によるとイタリアの憲法には「刑罰は更正のみを目的とする」とあるそうだ。
「イタリアの制度に共通しているのは、社会的に困難に陥った人に必要な支援を届ける、その際に、困難に陥った理由によってクライアントを差別しないということにある。障がい者も薬物依存症者も受刑者も困難から回復するために支援が必要な人として等しく支援を受けることができる」
「イタリアの犯罪者処遇の特長は、行政の中に、犯罪が司法の問題ではなく社会問題であり、市民が社会的困難を抱えることによって犯罪が生まれるという認識を共有しているところにある。そして、それに対処するためには、彼らの抱える社会的困難を解決することが必要であること、そのためには様々な支援が必要であるという認識が共有されている」
ちなみにこの本の著者は『2円で刑務所、5億で執行猶予』の人。どちらも好著。ついでに『反省させると犯罪者になります』(岡本茂樹)もよかった。
この方向で考えれば、死刑をどうするかとか終身刑ならいいのか、安楽死を設けてはという議論にはあまり意味がないとわかる。
その通りですね。
そりゃまあ確かに。パソコン遠隔操作事件は、警察が自白をでっち上げたことを立証した点ですごい功績だと思いますね。
「死刑の有無が犯罪抑止に繋がっていない」は本当にそうなのかな? と思って検索したら増田が出てきた。
ここで挙げられた死刑への反対理由は冤罪についてのみだ。現行犯逮捕等冤罪の心配が無ければ死刑は問題無いという立場なのでしょうでしょう。ならあなたは死刑制度そのものに反対しているとは言えない。
冤罪は実際問題だけど、これはやはり理想的には刑罰の重さを軽くする方法ではなく警察の捜査の確度を上げる方法で対応して欲しい。
犯罪への刑罰の軽重を設定するにあたり冤罪の可能性を基準として採用すると、社会的被害や影響という点が二の次にされてしまう。冤罪の起こり難い軽犯罪と冤罪の起こり易い重犯罪が有った場合、前者の刑罰が冤罪可能性の低さ故に後者より重く成ってしまったとしたらちぐはぐだ。
個人的には死刑制度には賛成。受刑者を服役させるには年間50万円の費用が発生する事と、重大犯罪への抑止効果が有る為。もっと言えば無期懲役刑を廃止して無期刑の受刑者も死刑にする事で国家の無駄な税支出を減らして欲しい。
元裁判官に言わせると、刑罰には因果応報的な犯した犯罪の代償ではなくて改心させ更生させるため、という意味があるそうな。であれば、死刑はそれを、人間は改心してやり直せるという考えを否定することになる。だから死刑には反対、と。
じゃあ終身刑、無期懲役もなくすのか?と突っ込みたくなるけれど法律はさっぱりの私にはわかりません。何か上手い切り返しがあるのかもしれません。それでも冤罪の可能性を完全に否定できないから死刑はいかん、という理屈よりはずっと納得できました。
といっても現実では刑務所にいる人には2回目、3回目も少なくないそうで、刑務所に入ったら誰もが真人間に生まれ変わりやり直せるなんて綺麗事だと、夢想家であっても気が付きます。
再犯率は高く理想論では成り立たないから死刑は継続すべきだ、というわけではなくて、死刑廃止議論では刑務や出所後の社会復帰なども合わせて刑罰全体を考える必要があるのでしょう。知らんけど。
しかし、他の人が言うような人権云々を訴えるつもりは毛頭無い。
単に犯罪者に罪を償わせる観点から言えば、終身刑こそが死刑以上に重く、適切な刑罰であると考えているからだ。
そもそも死刑が最も重い刑罰だと言う世間の認識が理解できない。
刑の執行は長くても数時間かからないだろう。それで犯罪者自身の罪は消える。
いや、道徳的には消えないのだろうけれど。
死んでしまった以上、犯罪者にそれ以上の刑罰を求めることも与える事も出来ない。
どんな重罪を犯したところで、犯罪者の命一つを差し出せばそれで終わりなのだ。
果たしてそれで良いのだろうか。私は違うと思う。
自由を絶たれ、希望を絶たれ、日々惨めさを噛み締めながら、ただ老いて行くだけの人生を送らせる事こそ重犯罪者に必要な過程ではないだろうか。
ジョージ・オーウェル1984のウィンストン・スミスの最期を想像して欲しい。
なぜウィンストンは反逆の事実を持って即処刑されなかったのか。
己の罪を認め、悔い改めながら死を受け入れることにこそ意味があることをビッグブラザーは理解していた。
今日のオセアニアでは人々はニュースピークやダブルシンクを通じ認識が操作されるため、禁止や命令をされる前に、すでに党の理想どおりの考えを持ってしまっている。
人類にとって死は究極の逃避行なのだ。重犯罪者にしてみれば尚更である。
それをみすみす彼らに差し出す事は、彼らを苦しみから解放する事は、
重犯罪を犯した犯罪者が死刑にでもなれば世間はさぞかし溜飲が下がる事だろう。
世間の溜飲を下げる目的であれば、それがショーであるならば、私も死刑は正しい選択だと考えている。
しかし、罪を償わせることを目的にしているのであれば、死刑は不適切な刑罰であると言わざるを得ない。
自らの罪を悔い改める前に、自らの命と引き換えに、自らの罪から逃避できてしまう。
いや、我々が逃避させてしまっている。