Hagex氏事件から数年たった。はてな村界隈はひどく窮屈になった。
言うまでもなく、日本の法律に「煽ったら死刑」などという文言はない。事件の当日も、今もない。
しかし、事件で示された「煽ったら殺されるかもしれない」という可能性は、村人の心を蝕んでいた。
ある人は外出にボディガードを雇うようになった。自撮りに必ずスミス夫妻が見切れている。
ある人はブログを止めた。引退宣言なんてものもない失踪だ。京都でパンティー作っていると聞いたが嘘松。
ある人は外出を止めて引きこもった。ブログの更新頻度が跳ね上がり、だんだんウザくなってきた。他にやることが思いつかないらしい。
人と会うという宣言は、「帰ってこなかったら死んでると思ってくれ」という隠語になった。
こんな村になっても人と会うことを諦めないやつはいる。だいぶん少数派になってしまったが。
会社に行くとき、買い物に行くとき、風呂上がりでフルチンのとき、俺らはこんなにビクビクしていただろうか?
「殺人をしない」という単純な約束がはてな村の基礎を作っていたなんて、こうならなければ気が付かなかっただろう。
はてな村に暮らしていている者は「煽っても殺さない、殺されない」という合意を持って村に来ていた。
「外に出ても殺されない」という約束を破棄し、社会コストを増大させた、この殺人を擁護することは出来ない。Hagex氏の自業自得があろうが無かろうが関係ない。
法を犯すと言うこと、社会を騒がせるということはこういうことなのか。
今日は久しぶりに外出の予定がある。
……なにが悪かったのだろうか。それともこれは時代が必要とした犠牲なのだろうか。
ペンより剣を強くしたやつ。
やつは今なにを思っているのだろうか。
犠牲無き世界など ありはしない 気付かないのか 我々は 血の海に 灰を浮かべた地獄の名を 仮に世界と 呼んでいるのだ