はてなキーワード: ペンタブレットとは
3月5日、昨年12月18日に上場したスマートフォンゲーム開発のgumi【3903】が業績予想の下方修正を発表した。新興企業としては珍しい、東証一部への直接上場からわずか3ヶ月足らずのことだ。翌日は260万株もの大量の売りが殺到し、終日値段が付かずに2081円のストップ安比例配分となった。公開価格=初値の3300円からの下落幅は1219円。発行済株式総数が2866万株なので、この日までに349億円もの時価総額が失われたことになる。果たしてこの巨額のマネーはどこへ消えたのだろうか。
その行方を解説する前に、本件に関連して盛り上がっている、ある人物の勘違いを正しておこう。
今回のgumiのようなIPO銘柄のことを、我々個人投資家は「上場ゴール」と呼んで揶揄する。本来企業にとってはスタートであるべき上場時の業績が天井となり、まるで上場して市場で株を売却することを最終目標として頑張ってきたかのような業績推移をしてしまう銘柄があまりにも多いことから、このような習慣が出来た。
その意味では、梅木氏も
VCの観点で「上場ゴール」と揶揄されるのは、明らかに上場後に成長が期待できなさそうな銘柄をVCのリターンのため(ファンド満期なども踏まえて)に上場させたのではないか?というケースといえよう。
ただ、それはあくまでもVCの立場からの話であるらしく、彼の考える一般的な定義では
となっているようなのだが、これは彼の勘違いだ。我々個人投資家も、上場ゴールに対する認識は等しい。上場した後の株価は市場が勝手に決めていることで、会社や経営者の与り知らぬところであり、会社の自助努力によってコントロールが出来るのは業績だけだからだ。
それでは、なぜ上場ゴールはいけないのかという話になるが、IPOやPO(公募増資)を行う際には企業はエクイティストーリーと言って、調達した資金を活用したその後の成長シナリオを投資家に提示している。各投資家にとって大事な資金を入れてもらう以上、これだけのリターンを出してお返しします、だから投資して下さいと言う筋書きが必要で、それがエクイティストーリーなのだ。
特に新興企業の場合、その後の高い成長性を謳うことで、いわゆるPERやPBRと言った株価指標で見て、安定した企業よりも高い評価をつけてもらっているので、上場後のエクイティストーリーの達成度合いはシビアに見られることになる。
そうした観点から言うと、今回のgumiのIPOに際して付けられた公開価格945億円という時価総額は非常に高い期待値が盛り込まれている価格設定だったと言える。同じ時価総額900億円台の企業を見てみると、IT系では電子決済のGMOペイメントゲートウェイや、Twitter、カカクコムなどに投資していたデジタルガレージがおり、他業種ではメガネのJINS、ドトールや洋麺屋五右衛門のドトール日レスホールディングス、化粧品のマンダム、ペンタブレットのワコム、中古車のガリバーインターナショナルなど、一般に知名度の高い中堅企業の顔ぶれが揃う。
そんな場所に乗り込んでいって、國光氏は以下のような発言を繰り返してきた。
本日、東証一部に上場しました。情報革命時代を代表する世界一のエンタテイメント企業になるべく、これからも挑戦し続けます! 20世紀ディズニー、21世紀gumi!w 頑張ります^^
他にも挙げればキリがないし、それぞれのどこがどうだったのかを言っていると日が暮れてしまうので割愛するが、要するに國光氏はこういうタイプの人だと言うことだ。
つまり、業績予想の達成は当然のこと、上方修正を繰り返して倍々ゲームの成長が求められるほどの時価総額をつけてIPOしてきた上、社長が大きな口を叩きまくっていたのに、このような下馬評通りの結果となったことが本件の問題を大きくしている要因の一つなのである。
例えば風俗店に行って、激安店でモンスターみたいな嬢が出てきたとしても、そういうところに行った自分が悪いよなとある程度納得することができるが、最高級のサービスを売り物にした高級店で普段の何倍もの料金を奮発して払ったのに、出てきたのがそこら辺を歩いているようなギャルでサービス精神の欠片も無いとなれば、ふざけるな!金返せ!となるわけで、「話が違う」の度合いの大きさがいかに重大であるかはおわかりいただけるだろう。
また、國光氏は1年前に自身のフェイスブックで以下のように発言している。
日本のIPOマーケットは異常。不健全すぎる。企業もVCも証券会社もIPOすることだけが目的になってしまっている。IPO後2年間は少なくとも売上くらいは右肩成長ができる確信が持てるビジネスモデルの熟成、組織力が出来てからでないとIPOすべきでない。
ギャンブルに明け暮れるデイトレイダーを増やす政策も大反対。短期売買で個人投資家が勝てるわけがない。基本は投資信託に任せるか、長期保有しかない。こういう状態を焼畑農業という。絶対に長続きしない。日本の成長の為には健全な資本市場の形成が必須!
とても長期保有するに耐えない、過去最大級の焼畑農業をやって健全な資本市場の形成を阻害した國光氏に対するペナルティとしては役員報酬の100%削減だけでは足りないのではないか。仮に資金の出処がグリーからの4000万円の借り入れだったとしても、売出で得た数億円の返還を要求されても仕方ないぐらいの特大ブーメランだと言える。
これによるとNEXT BIG THING出資分はグリーから借り入れてますね
同じように華麗な上場ゴールを果たした最近のIPOだと、ANAPと夢展望のアパレル2銘柄が代表格になるが、いずれも上場の規模が小さく、公開価格に対して投資家が高すぎる初値をつけてしまったことが問題であり、この場合はバカな高値で買った投資家の方が笑いの対象となることが多い。それに対してgumiの場合は、公開価格を上回ったのが上場初日だけと言うのが全てを説明している。
だから我々個人投資家は、こうした背景を勘案して、この「gumi」というIPOにおいて、上場後3ヶ月で下方修正を出すと言うのは言語道断であり、金融危機や大震災が起きるなどの事故でもない限り、いかなる論理を持ってしてもgumiや代表の國光氏を擁護することはできないと糾弾しているのである。
もう一つ、本件で私が許せないのは、上場後に買った全ての投資家が大きな損失を出しているこの銘柄で、莫大な利益を挙げた少数の人々が存在することである。
先述した通り、gumiは2014年12月18日にIPOし、その公開価格は3300円だった。ところが、上場に際して提出される目論見書を見てみると、IPOの3ヶ月前の9月24日にLINEが1362円で、半年前の6月と7月にはVCのWiL、ジャフコ、B Dashベンチャーズ、新生企業投資、三菱UFJキャピタル、DBJキャピタルらに加え、グリーとセガネットワークス、gunosyの前代表であった木村新司氏が1214円で増資に応じており、その総額は83.2億円にものぼる。余談ではあるが、木村氏はこの時点で住所がシンガポールになっている。
私は単なる個人投資家なので上場に関わる実務のことは全くわからないが、普通、上場準備や上場審査にはそれなりの期間が必要だと思われるため、半年前のタイミングはまだしも、LINEが増資に応じた3ヶ月前の時点ではほぼIPOすることが見えていたのではないかと言う疑念が残る。一般的にベンチャー投資はリスクが高く、投資回収も長くなると言われているが、仮にIPOという出口がほとんど確実に見えていたとしたら、これほど美味しい投資はない。勝つことを事前に知らされている馬の馬券を買うようなものだからだ。
それに加えて、IPO前とIPO時では3倍近くの価格差がついていた。時価総額が10億円の超小型株ならいざしらず、わずか数ヶ月という短期間の間に企業価値が340億円から945億円に急増する合理的な理由がこの世に存在するのだろうか。既存株主は上場に際して1036万株、総額342億円の売出を行っている。この大規模な「利食い売り」は、主幹事の野村證券によって全国の個人投資家に売り捌かれ、既存株主は莫大な利益を手に入れた。
梅木氏の言うように「VCにとっては上場は一つの大きなゴールであることは明白」と言うのは一面では正しく、再生案件ではない成長企業のIPOでこれだけ大規模な売出が行われるのは異例ではあっても異常とは言い切れない。
だが今回、業績後退の兆候が上場前から既にあったことが決算資料によって明らかになっている。gumiの上場承認が降りたのは昨年11月14日だが、gumiは4月決算なので、この時点で既に上半期(10月末)が終わっている。先日出された決算資料のグラフ(http://v4.eir-parts.net/v4Contents/View.aspx?template=ir_material_for_fiscal_ym&sid=14373&code=3903)を見れば一目瞭然だが、第一四半期(7月末)までは急激に売上高が伸びていたが、続く第二四半期(10月末)ではなんと売上高が減少に転じているのだ。
公開価格は上場承認を受けた後に決定されるので、その時期にあたる11月の後半には、会社も主幹事証券も第二四半期の数字を当然把握していたはずだ。従って、第一四半期までの飛ぶ鳥を落とすような売上高の伸びが更に続くことを前提とした業績予想、及び公開価格をつけることは出来なかったはずである。
更に言えば、今回下方修正をすることになった第三四半期は11月から1月なので、上場した12月18日にはその半分が経過しており、日々どころか1時間毎の売上の変動にも気を配らなければならないスマートフォンゲーム運営の会社であるならば、計画値の達成が困難であることは覚悟できていたに違いない。そうしたことを踏まえて上場前後の國光氏の発言を見ると、また違った見え方が出てくる。
こうした事実を無視して、時価総額ありきで直前の増資価格から3倍近くに引き上げての高値でのIPOを強行した野村證券の行為は問題視されて然るべきであるし、数百億円もの大金を一般投資家から合法的に搾取した金融大量殺人をやったのだから、担当者は当然クビにした上で、新規の引受の一定期間停止などの厳しい措置が取られるぐらいのことはして欲しいと個人的には思っている。逆に、公開時の価格が妥当であったとするならば、gumiはお世話になった方々を儲けさせるための「お友達ファイナンス」をやったと批判されても仕方ないのではないか。
このような極悪非道によって、大量の個人投資家の屍の上に黄金の宮殿を築いたVCの人々は、今どのような気持ちでいるのだろうか。あるいは我々個人投資家のことを、賢く儲けている自分たちの側に来れない資本市場の敗北者だと見做しているのかもしれない。ただ確実に言えることは、私達は決して梅木氏が考えているような無能な個人投資家ばかりではない。このようなことが行われた事実をきちんと理解しているし、記憶してもいる。真に日本のベンチャー業界を盛り上げたいと考えているなら、このような行為が長期的にどういう結果をもたらすかについて、もう少し想像力を働かせて欲しい。
それはさておき、私が今危惧しているのは、ベンチャーキャピタル業界の人々が新たに見つけてしまったかもしれない巨大な金鉱脈の存在である。それがアプリ市場だ。
gumiは上場前にも数度の巨額な資金調達をして度々話題をさらっていたが、その資金が何に使われたかと言えば、主に「テレビCM」である。それまで「テレビなんてオワコンだ、これからはネットだ」と言い続けてきたベンチャーの人々がテレビCMの価値を再認識したのは、恐らくガンホーのパズドラの記録的なヒットによるところが大きい。ガンホーは多額のテレビCM予算を、しかし効果的に投入することによってゲームアプリの市場を全国津々浦々に広げることに成功。その結果、パズドラは老若男女が遊ぶ国民的ゲームの地位を築き上げた。
またアプリ市場のもう一つの特性として、公式ストアでのランキングが非常に重要であることが挙げられる。毎日無数にリリースされるアプリの一つ一つを見ていくことなど不可能なので、多くの人はランキングを頼りに新たなアプリを探している。そのため、一度ランキングの上位に来るとしばらくはランキング効果によってダウンロードされて更にランキングが上がるという好循環が生まれやすい。
だから、一時的には大きな出費でも、ある時期にまとまった広告費を投下してランキング上位を手に入れてしまえばその後が戦いやすくなる、と言うロジックが経営戦略上有効になり、今となってはそれをしなければそもそもアプリの存在を認知してもらえず勝負にならないというところまで来ている。
ただ、いかに広告費を使ってダウンロード数を稼いでも、そのアプリそのものに魅力がなければいずれはユーザーが離れて行く。なので、大事なのは瞬間的なダウンロードの勢いや累計のユーザー数ではなく、どれだけ多くのユーザーが定着したかという指標になるはずだが、それが明らかになるまでには若干のタイムラグが有る。
腐ってもテレビなわけで、テレビCMを打ち続けている間はユーザーが結構な勢いで伸びていくため、広告費さえ出せれば一時的には会社が急成長しているイメージを作り出すことができる。もちろん、その器となるアプリを最低限作り出す開発力は問われるし、ゲームアプリであればきちんと課金させる運営力も必要になるが、集めたユーザーを長期に渡って定着させ、かつそうしたヒットタイトルを複数生み出していくことに比べれば遥かに容易い達成目標ではあるだろう。
穿った見方かもしれないが、今回のgumiの上場ゴールが、会社、投資家、主幹事が結託してこのタイムラグを悪用することで生み出されたものなのではないか、という疑念はどうしても残る。それを拭い去るには、この後の圧倒的な再成長という結果によって上書きしていくしか術はないだろう。
続き gumiという錬金術に群がった人々と、日本のスタートアップ業界の暗部【2】http://anond.hatelabo.jp/20150308224002
よっぽど慣れているビジネスマンや大学生だとしても,PCやペンタブレットを使ったとしても,図の入力は苦労すると思います.ペン精度やディスプレイ解像度の問題,誤操作なども考えられ,紙とペンほどの情報入力の自由さがあるデバイスは無いでしょう.
(そもそもタブレットで精度や操作感が解決できれば,それは手書きですね.)
例えば英語を覚える時に「読むだけではなく発音しながら,書きながらだと覚えやすかった」という経験や話を聞いた事はあると思います.紙とペンなら
という3つのアクションを一度で経験できます.しかしパソコンでは少ないアクションしか経験できません.
なんて経験してませんか?人間,覚えてないようでだいたい覚えてます.多くのアクションを経験した授業であれば,ノートを見ればすぐに「授業当時の状態」に戻ることができる,と私は思っています.
昔のノートや写真アルバムを開くと色々思い出すようなものだと思ってます.
「自分でノートをまとめる」のが勉強のコツなんて言われるのはアクションの回数が増えて覚えやすく,思い出しやすくなってるからだと思いませんか?
「手書きはムダが多い」と思いがちですが,そのムダこそが思い出すのに重要だとは思いませんか?
それと大人からは単純に思える紙とペンでメモを取る作業,これも子供のうちから練習を重ねないと手書きのできない大人になると思いませんか?
娘に中学受験をさせようか、それとも地元の公立中学校へ行かせようか迷っている。
職員玄関で『不審者じゃありませんよ』プレートを渡されたのにも驚いたが、なによりも授業風景に腰を抜かした。
教科書を読めば分かるようなことを教員が白墨で板書し、生徒がそれを紙のノートにシャーペンで写している。
紙が手元になきゃ情報得られないじゃないか。ネットワークに繋がらない情報は情報価値ゼロだよ。
数式や漢字の書き取りなんかはペンタブレット使えばいいだけの話。
あと分からない言葉あってもググれないじゃないか。どうすんだよ。
ここまで書いた内容を妻に話したら「小学校も私立中学も同じよ」と返された。知らなかった。
もう学校に頼るのはやめよう。
公立にせよ私立にせよ、娘にはノートPCを学校へ持って行かせようと思う。
娘の通う小学校では『スマホ禁止』という意味不明な拘束、もとい校則があるらしい。
しかしPCは禁止されてない。うっっしゃぁぁぁあああ!!(価格.comで3万円ノートをポチる)
安いノートPCはバッテリー取り外し可のものが多いじゃないですか。
さらに生産ロットが多いから、別売りのバッテリーも安いじゃないですか。
スペアのバッテリー携帯すれば、駆動時間の問題はクリアできます。
問題は重量ですね。重い。
でも教科書・ノートを電子化すればプラマイゼロかマイナスですしおすし。
だいたい諭吉10人オーバーのPC落っこどしてぶっ壊れたら泣きます。娘が泣かなくても私が泣きます。
任天堂の岩田社長は高校生の頃、アルバイトをして買ったヒューレット・パッカード社の電卓でプログラミングを学び、制作したゲームはヒューレット・パッカードの本社を驚かせた、そうです。有名なコンピュータ技術者が「マイコンからプログラミングを始めた」と語るのを、ごく普通に見かけます。興味を持ちはじめた子供は、すごい勢いで知識を吸収し、技術を身につけていくのだろうと思います。
自分の子供時代を思い出してみます。当時マイコンやプログラミングに興味はありましたが、そういうハードウェアはとても高価でしたし、(自分で言うのもなんですが)聞き分けのいい子供だったので、親にねだることをしませんでした。買い与えられたファミコンをやり、部活と勉強をして終わり、という中学生でした。X68000を持っている友達の家に遊びに行ったり、そこでパソコン雑誌を読んだりしましたが、深入りはしませんでした。
で、今、ソフトウェアではない技術者をやっています。本業の仕事を進めるために簡単なプログラミングをします。本業ではないからでしょうが、コードを書いているととても楽しく、自分にはソフトウェアの才能があるように錯覚します。そして妄想します。もし、あの子供時代にマイコンを手に入れていたならば、いったいどういう進路を選んでいたのだろう?
中学生になる娘がいます。親ばかですが、娘は漫画っぽい絵を上手に書きます。最近「ペンタブレットが欲しい」と言い始めました。
私には絵の才能がありません。でも、絵を描ける人たちがインターネットで楽しく交流をしているのを見ると、娘がもっと本気で絵を描きたいと願うならば、液タブでも躊躇せずに買ってあげたい、と考えます。同時に、今の自分は「マイコンを与えられなかった子供」の延長上にあることを思うと、漫画絵なんて描かずに部活、勉強を頑張れよ、とも言いたくなります。
世に溢れる有名コンテンツを下敷きとして、その世界の中に新しくオリジナル女の子キャラクターを描いたり書いたり等して生み出し発表する行為があるが、
そういった行いの動機の一つとして『自分二次美少女化』というものがある。
「もし俺が女の子になって作品世界内であのキャラ達とキャッキャウフフ出来たら…」と。
つまり、元増田が夢想してるようなことに近いことを創作行為で画面上に実現するわけだ。
今からでも遅くない。元増田も創作クラスタの仲間入りをして「自分がもし美少女だったら…」という欲求を二次元で実現させよう!
コスプレはリアルで可愛い女の子だけの特権だ。オッサンの女の子コスほど見苦しいものはない。オッサンこそ、コスプレ用衣装ではなく絵筆なりペンタブレットを手に取るべきなのだ。
コスプレはそもそも年齢制限が難しい。リアル可愛い女の子であっても30歳を越えれば相当に容姿を保つ努力をしないと厳しいだろう。しかし、創作行為に年齢制限はない。
今なら絵が一番簡単。
絵っつっても絵画とかみたいな高尚なのじゃなくて二次元萌えイラストのことね。
今の時代無料でソフトがいくらでも落ちてるし勉強になる講座やメイキング動画も掃いて捨てるほどある。
リアル中学生や高校生でも数ヶ月~数年でパッと見ラノベイラストっぽいものを描けるくらいまですぐ成長するんだから、
彼らより知性と判断力に秀で設備投資(ペンタブレットとか27型ディスプレイとか)出来る経済力もある大人ならすぐ量産型承認を得られるくらいの腕前にはなれる。
一回絵をやってみて自分には思わぬ才能が秘められていたと感じるなら、次のステップとして同人で小遣い稼ぎに挑戦してみるといい。
以上
描いた漫画。
http://bincube.co/casea/sigen_fb/index.html
1993年(小6)の頃から漫画を描こうとしはじめて、1997年ごろまで頑張ったけど、画力以前に、リリースや配信の問題で断念した。
原本をコピーするお金はなかったし、ノートに書いても自由に配付できない。
ペン入れするほど余力もなかった。
そんな自分だけど、WEBの仕事でイラストレーターやフォトショップを学び、プログラマ経験で進捗管理や困難な手順を作業手順を確立し容易にすることを学び、DTPの仕事で縦書き文字のテクニックを知った。
そこで、昨年秋、コミックスタジオ買ったらCLIP STUDIO PAINTが開発中でこれに移行するというのを知り、いける!と思った。
まだ漫画のデジタル技術は過渡期でこれからも進化する余地があるからこそ、ソフトが一新するんだと思ったから。
そこでペンタブレットを中古で4千円でかい、プリントスキャナを中古で6千円で買い、17,5インチの大型ディスプレイの64ビット8GBの持ち歩けないノート(6万)を揃え、環境を整備した。
だから、登場人物を一人にしてしまい、1人称にし、四コマのように起承転結も考えなくていい、だらだら話が続くWEB漫画形式にした。
公開先はとにかくレスポンスが欲しかったから、カップラーメン上げても3いいね!がつくFacebookにした。
Facebookの写真アルバム機能で1話というアルバム作ってガーッとアップした。
Facebookの友人たちは何をはじめたんだ?と驚いてくれたのがモチベーションアップになった。
pixivで横顔の描き方を学び、2chでペンタブレットにはケント紙を引くとペンの走りがツルツルしなくていいことを教わり、図書館の「漫画の描き方」の本でコマは細かくし過ぎなくていいことを知った。
デジタルなので文字もすぐに直せる。配付はタダ。勢いがついて、完結まで漫画を描くことができた。
それから半年、Facebook以外の友達も読みたいといってくれて友達の個人サーバー借りて、漫画サイトを今日ローンチできた。
ビューワーは突貫で自前で作った。スマホでもタブレットでもPCでも見れる上にFacebookやってない人でも読める!!
個人漫画、二次創作漫画は既に盛況だけど、全くゼロベースに近い自分でもいきなり挑戦して漫画が描ける時代にまでなったんだなあとしみじみ思った。
漫画は作るのにすごく手間がかかる。
正攻法でネームからキャラから舞台からオチからなんやかんややると恐ろしい作業量だ。
でも、プログラムの知識が大半の自分でも、プログラム組む時と同じように、手順の再構築と最適化を繰り返してデジタル化にこだわって工数削減で執筆速度は3日で1ページから1日で1話まで短縮できた。
すごい時代になったんだなあと思う。
一昔前ならアップロードもヒーヒー言ってたのにお手軽になった。
今は、先週Galaxy Note2を手に入れたので、ネーム段階の完全デジタル化に挑戦し始めたところ。
複雑な手順、大規模な工程が驚くほど短縮できるというのは、プログラムの世界だけじゃないんだなと改めて勉強になった。
もし、漫画描いてみたいなーと思っている人は是非挑戦してみたらいいと思う。
漫画を描くのも楽しいけど、効率化を追求するのもすごく楽しいから。
大好きなイラストレーターさんのモニターが壊れてしまったらしい。
その人はアナログで下書きした絵をスキャナーで取り込んで、ペンタブレットで仕上げる、という手順を踏んでいるようだった。
モニターだけでなく、どうやらスキャナーも年季の入ったもののようで、こちらもそろそろ怪しいらしい。
モニターがなくては仕事にならず、どうせならこの機会にタブレットモニターを導入してしまおうかとも考えたが、値段を調べたら十万程する。
イラストの仕事に耐えうるモニターも、十万とは言わないがそれなりな金額がする。そんなお金は無いぞ、困った。
日記でそうこぼしていた。
専業イラストレーター職が「稼げない」とは知識としては知っていたが、現実をまざまざと見せられた気分だった。
そのイラストレーターさんは、決して有名ではないけれど、それなりの企業にそれなりの数のイラストを定期的に納めているように見えたし、私を含め、一部には結構な数のファンがいた。
仕事歴はもう10年近く、同人誌などでお小遣いを稼ぐ事もせず、作風にそっくりなストイックな人柄だった。
そして私はというと、ごくごく普通の会社員で、欲しい物はまあ、それなりに買う事ができるくらいの給料を頂戴していて、なんとなく趣味で時々pixvに下手な絵を投稿していて、つい数日前に友人(これまた趣味の範疇で絵を描いている)の勧めでなんとなくタブレットモニターを購入した。
恐らく、タブレットモニターを今一番必要としているのは、このイラストレーターさんだろう。
だが、その人にとってタブレットモニターは"高級品"で、例え飯の種だとしても、金銭的な理由で購入する事ができないでいる。
そして私は「ただの遊び」でタブレットモニターを買った。誰が見たってオーバースペックだ。
タブレットモニターの件は一例にすぎないが、実際、道具を調達するお金が無くて、仕事に支障をきたしている専業クリエイターは、果たして結構いるんじゃなかろうか?
道具は彼らの職業にとって、大切な仕入であり、原材料だ。
必要な魚が高くて仕入れられず、営業できない寿司屋のようで、まったくナンセンスだと思う。
高級寿司店ならば、若干グレードを落として庶民派寿司店となることもできるかもしれないが、クリエイター職ではそうもいかないだろう。
つまり彼らは念願の職業についたものの、今使っている道具が故障するまでに、それ以上の稼ぎを持てるようにならないといけないわけだ。
そういう世界だ、と言われればそれまでだが、どれくらい有名にならなければいけないのか。
片手間の趣味でやっている人間が買える道具を、本職の方が買えないような世界は、なんだかやっぱりおかしい。
よく、「××会社のイラストレーター○○さんは、早く退職してフリーになればいいのに」なんて言う人がいるが、サラリーマンクリエイターをやっている○○さんは、社会人として正解だろう。道具は会社が用意してくれるし、その上、月々の収入は最低限度保証されるからだ。
「フリーランスのクリエイター」なんて、とても夢があるし、とてもカッコイイ。けれど、このような現状で、サラリーマンを辞めてまでできるだろうか。私だったら、とても恐ろしくてできない。
最初の例として挙げた、そのストイックなイラストレーターさんは、結局、なけなしの貯金をはたいて、なんとかモニターだけは新しいものに換えたそうだ。
UIがいまいちなじめないVISTAですが、ハード的なところの進歩が色々とある点があまりされていません、64ビットとかはまだ全面移行できずにいますが、入力環境がとりわけ飛躍的に進歩しました。
WindowsVISTA(HOME以外?)はTabletをつけて使うことで、手書きノートになるのです。
http://kaden.yahoo.co.jp/event/2/
ペンタブレットでもよいですが、WACOMのDTIくらいのがあると便利。
PCの使い方としては斜め上と思うかもしれないけど、中国はその分野のユーザーとしては先端です。
http://trendy.nikkeibp.co.jp/article/column/20071122/1004686/
こんな手書き文字サイトがどんどん出てきて漢字社会がもりあがることに期待。
http://chasen.org/~taku/software/ajax/hwr/
UMPCの増加で日本でも今後増えると思いますが。手書き入力環境としてのVISTAを考えてはいかがでしょう。
かくいう私も普段のPCはXPなのでXPでこういったことができる方法(TabletEdition買えっていわずに)誰か教えてほしいです。