はてなキーワード: ベランダとは
「躾と虐待は違うのに」
児童虐待のニュースが増えている。とても痛ましい事件が多くて聞いただけで心が痛む。だって、誰かに親を批判してほしくて書くけど、私は親にそうされて育ってきたから。
いわゆる躾の一環、というもの
躾を理由にした虐待を肯定したくないし、なにが虐待なのかは分かってる、でも私1人ではそれを認められない。
私が幼い頃は父がとても厳しくて、ちょっとわがまま言ったりルールを破ったら拳骨平手打ち足蹴り当たり前。父は言い訳や嘘つき、ごまかしが嫌いだったからそういうのは一切許されなくて(言い分すら聞こうとせずに)へりくつを捏ねるな!ってベランダに出されたり裸足のまま閉め出されるくらい普通だった。
それらは確かに私がいけない事をしてしまったのが原因だし、父の身勝手や気分、その他理不尽な理由でそれをされた事は一度たりとも無かったけれど、私は暴力を受け続けて辛かった。
勉強やお稽古や習い事への怠慢、わがままを言って母を困らせた、失敗を隠そうとして嘘をついた、ごまかしをした、勉強をしないで漫画を読んでいた、好き嫌いをした、母の言い付けや約束を破って遊び呆けた、門限を破った、不貞腐れた態度をとってあやまらなかった、無礼な言葉遣いをした、作法やマナーがなっていなかった、etc
私が悪かったのは理解しているけれど、だからって私はあんなにも殴られたり傷つけられなければならなかったのだろうか。誰か教えて欲しい。
私が父に酷く叱られるとき、全部人としてやってはいけない悪いこと、恥ずかしい事をやらかした時ばかりだったから、私が絶対悪で父は正しいという構図を否定することが出来なかった。
そういうことを、父は絶対に許さなくて、徹底的に指導し、指導という名のもと暴力がくり返された。常識では私が悪だから、やめてと言えなかった。
それが、どうしてだめなのか理屈でわからない年齢だからこそ、4歳〜小学生ぐらいまでのほうが中学以降に比べて圧倒的に手が飛ぶことが多かった。分かるまで言葉をかけて欲しかったのに、獣扱いされ短絡的な暴力を与えられて苦しかった。
「口で言ってわからない年齢なら叩いてでもわからせるべき。そうすると、道理がわからない子供でも次からは繰り返してはいけない、やめよう、と心に強く残る」「あの歳の子供はイヌやネコと一緒。理屈をどれだけ丁寧に言ってもむだで、一度痛い目をみせて初めてやっていいこと悪いことを覚える。理解させるよりいかに次同じことをさせないかが問題で、叱られた理由なんて理解できる歳になったら後からわかるはず。俺もそうだった」
こういうのが父の持論で、私はその考えの元徹底的に厳しく躾けられた。私が悪いことをして叱られているという前提があるから私は反抗できなかった。苦しい。誰か私の代わりに反論して欲しい。それは違うと言って欲しい。
怒鳴られただけで済めば全然ましなほう、手も足も普通に飛んできたし、反省するまでそうしていろって寒い中裸足で外に立たされたり長時間正座させられたり蔵に閉じ込められたり、あまりにも良くない行動をした時は夕飯を抜かれたり風呂場に連れ込まれて服のまま冷たい水を頭からかけられたり、漫画やゲームも破いたり壊して捨てられたし、外出禁止も普通にあったし、痛くてお風呂で椅子に座れないぐらいお尻を叩かれたこともあるし、出先で失礼な事をしてしまって「お前みたいな娘はいらん!もう帰ってこなくて良い、どこにでも行ってしまえ!」って置いて帰られて家にも入れてくれなかったこともあったり、私自身ほんとに何回も泣いたし、辛かった。うちの父より怖い親なんてどこ探してもいないだろうって思ったことも何回もあった。異常でしょう?私の父、おかしいですよね?でも私はこれを虐待だと認めるのが怖いから、どうか第三者のみなさんで私の父を叩いてください。
こんなの本当は虐待だって分かっているのに、父のおかげで私は今までの人生で色々な人から褒められてきたのも事実で、親の教育が良かったからだと父の評価も高まっていったから私は父に従うしかなかった。
何度も真面目であることや勤勉であること、振る舞いや教養、言葉遣いなどことあるごとに褒めてもらったけれどそれは、マナーや礼節、お稽古。教養、一般常識、これらを学ぶために私が何年も暴力に耐え、ずっと父に怯えながら申し訳ありませんと言い、殴られないように見捨てられないように必死で足掻いた末身に付けたもの。だからお願い、これ以上私の父の評価を上げないで。父の教育を正当化する理由を作らないで。
社会人になった今、こうして色々な場面で評価される度に私は苦しいんだ。
「厳しく叱っても、わかる歳になったら理由は自分で気付ける」、本当はそんな事ない、今でも辛い、苦しいのに、逆らうのが怖くて理解したフリをしているだけなんだ。
だから私は自分で自分の子供時代を不幸だったなんて認めるのは怖いから、私の代わりに
父の躾を虐待だと言って怒ってくれる人を求めている。
私の父のやり方を「虐待」だと批判できる方はきっと暴力のない、ごく普通のご家庭で幸せに愛されて育てて貰った方なのかな、と感じる。悲しい。うらやましい。
そんな考えなので、例えば夜ベランダにしめ出されるであるとか、親に手を挙げられる事を躾だと言うのは絶対に違うと思う。思うけど、自分を被虐待者だと思いたくない。だってそれを認めたら私の人生はどうなるの?暴力を受けなくても真っ当な大人になれる事は気付いてるんだ、でも心が壊れてしまうから受け入れられないんだ。誰かが突き付けてくれないと認められないんだ。助けて。助けて。
私はきっと子供なんて持たない。虐待は連鎖するからどうせ私は父と同じ道を辿る。
最近の風潮では父のような「子供の為と称した」「過剰で短絡的な」躾は虐待で犯罪に当たるらしい。うらやましい。
言葉に筋が通っていても暴力に訴えて心身を傷付ける事が目的の躾なんて「虐待」でしかない。何故それがわからないのか?虐待は許してはいけないし、立派な犯罪行為なのに。感情のまま子供を虐げる最低な行為を許さない不特定多数の皆さん、どうか私の狂った父を叩いてください。嘘だけど子供がいるって書きましたよ。健全なご家庭を無礼な言葉で侮蔑しましたよ。許せないでしょう?見過ごせないでしょう?だから私を見て下さい、そして私と私をとりまく境遇を異常だと指摘し、怒り、私に対し施された「躾」「教育」を「暴力」「虐待」だと否定してください。
父の行いを誰かに否定して貰わないと私は自分を肯定できないし愛せない。
父とその教育を間違いだよと言われないと私は「つらかった」と声をあげられず壊れてしまう。
誰か助けて。気付いて。私を救ってください。お願いします。
本音はこんな感じなんだろうか…
児童虐待のニュースが増えている。とても痛ましい事件が多くて聞いただけで心が痛むものもある。だけど、批判覚悟で言うけど、正直私にはそう思えないものも時々ある。
いわゆる躾の一環、というもの
躾を理由にした虐待を肯定したいんじゃない、そもそもなにが(どこが)虐待なのかが疑問。
私が幼い頃は父がとても厳しくて、ちょっとわがまま言ったりルールを破ったら拳骨平手打ち足蹴り当たり前。父は言い訳や嘘つき、ごまかしが嫌いだったからそういうのは一切許されなくて、へりくつを捏ねるな!ってベランダに出されたり裸足のまま閉め出されるくらい普通だった。
だけど、それらは皆私がいけない事をしてしまったのが原因で、父の身勝手や気分、その他理不尽な理由でそれをされた事は一度たりとも無かった。勉強やお稽古や習い事への怠慢、わがままを言って母を困らせた、失敗を隠そうとして嘘をついた、ごまかしをした、勉強をしないで漫画を読んでいた、好き嫌いをした、母の言い付けや約束を破って遊び呆けた、門限を破った、不貞腐れた態度をとってあやまらなかった、無礼な言葉遣いをした、作法やマナーがなっていなかった、etc。
父に酷く叱られるときは、全部人としてやってはいけない悪いこと、恥ずかしい事をやらかした時ばかりだった。そういうことを、父は絶対に許さなくて、徹底的に指導された。それが、どうしてだめなのか理屈でわからない年齢だからこそ、4歳〜小学生ぐらいまでのほうが中学以降に比べて圧倒的に手が飛ぶことが多かった。
「口で言ってわからない年齢なら叩いてでもわからせるべき。そうすると、道理がわからない子供でも次からは繰り返してはいけない、やめよう、と心に強く残る」「あの歳の子供はイヌやネコと一緒。理屈をどれだけ丁寧に言ってもむだで、一度痛い目をみせて初めてやっていいこと悪いことを覚える。理解させるよりいかに次同じことをさせないかが問題で、叱られた理由なんて理解できる歳になったら後からわかるはず。俺もそうだった」
こういうのが父の持論で、私はその考えの元徹底的に厳しく躾けられた。怒鳴られただけで済めば全然ましなほう、手も足も普通に飛んできたし、反省するまでそうしていろって寒い中裸足で外に立たされたり長時間正座させられたり蔵に閉じ込められたり、あまりにも良くない行動をした時は夕飯を抜かれたり風呂場に連れ込まれて服のまま冷たい水を頭からかけられたり、漫画やゲームも破いたり壊して捨てられたし、外出禁止も普通にあったし、痛くてお風呂で椅子に座れないぐらいお尻を叩かれたこともあるし、出先で失礼な事をしてしまって「お前みたいな娘はいらん!もう帰ってこなくて良い、どこにでも行ってしまえ!」って置いて帰られて家にも入れてくれなかったこともあったり、私自身ほんとに何回も泣いたし、辛かった。うちの父より怖い親なんてどこ探してもいないだろうって思ったことも何回もあった。
だけど、これ読んで虐待!って騒ぐ人もいるかも知らないけど、父のおかげで私は今までの人生で色々な人から何度も真面目であることや勤勉であること、振る舞いや教養、言葉遣いなどことあるごとに褒めて頂けている。マナーや礼節に厳しかった父の教育と、父がさせてくれたお稽古や必要だからと身につけさせてくれた教養や一般常識、これらの賜物だと私は思う。社会人になった今、こうして色々な場面で評価して頂けるたびに、父に対する感謝の気持ちでいっぱいになる。「厳しく叱っても、わかる歳になったら理由は自分で気付ける」、本当にその通りだったから。だから私は自分の子供時代を不幸だったなんて全然思わないし、父の躾を虐待だと言われたら真剣に反論すると思う。
むしろ、失礼な言い方をして申し訳ないけれど、私の父のやり方を「虐待」だと批判する方はきっとあまり厳しくないご家庭で甘く育てて貰った方なのかな、と感じる。
そんな考えなので、例えば夜ベランダにしめ出されるであるとか、少し手を挙げられただけで虐待認定する今の空気は甘すぎるんじゃないかと私は思う。
私には現在2歳になる娘がいるけれど、きっと父と同じように厳しく躾けると思う。お稽古も作法も、父が私にしてくれたようにしっかりやらせると思う。だけど、最近の風潮では父のような「子供の為を思った」「真っ当な」躾ですら虐待と同一視してしまう。好き放題、まるでイヌやネコの放し飼いのように、家畜の放牧のようにさせておくだけのただの怠慢を「のびのび育てている」と正当化する親すらいて、叱りもしなければ自分の管理不行届に責任も持たず、そして父のように真剣に躾や教育に取り組んでいる親を批判し、その子供を無責任に「可哀想」と呼ばわる。きちんと筋が通った躾は「虐待」とは明らかに違うのだけれど、何故それがわからないのか?虐待は許してはいけないし、立派な犯罪行為だけど、感情のまま子供を虐げる最低な行為と必要な躾・教育の区別もしない最近の風潮、ともすれば子供に対し「厳しい」ことすら悪とみなしかねなくて怖い。
『タンスにしまうのめんどいわ → なんか積んどいて山になる』なレベルの無精者が改善する方法。
方法はベランダ近くの壁面にビニール紐を左右に張って、乾いた物は紐にぶら下げる。これだけ。
適当に紐にぶら下げるだけの労力で『いちいち畳んでしまう』『取り出す時に積んである中から探す』の手間が消失で大変楽。
ホントに只紐にぶら下げるだけなのでシワとか気にしないレベルの無精者か、シワが問題にならない衣類に限って有効だが空間的には壁面しか占有しないし何がどこにあるか一目瞭然でちゃんと収納されてる感がある。
タンスの中や山積みになった洗い物をほじくる必要が無くなるのが実用的。
紐は足元から頭の上の高さまで四つぐらいの高さにそれぞれ水平に張って、
下から重くて嵩張るズボン類。長袖。Tシャツ。靴下。と分類する。
衣類も水平に張った紐ににぶら下げると紐をたわませるに充分なほどには重いので、紐は1mかせいぜい1.5mくらいの間でテンション高めに張ること。
なので梱包用の白ビニール紐とかはやめとこう。でも100均とかで売ってる洗濯物干し用紐で充分。
なお小さくてぶら下げにくいパンツ等は脇に紙袋をぶら下げてそこに入れてる。
木造アパートとかで壁の柱が利用できればすぐに実装可能。自分は築50年の古いマンションで壁に木の枠があったので実装。
ポイントは洗濯物を取り込むベランダのすぐ近くの壁面に設営すること。離れてるとメンド臭くなってポシャると思われ。
壁面一面に衣類がぶら下がってるのは見た目的にはどうよだが、来客とかのある場合は適当なカーテンっぽいのを上にかければいいのでは?来客とかねーからしらんけど。
夢の中にドラえもんが出てきた。どんな表情だったかは思い出せない。ただ、子供のころから馴染んだおばあちゃんのような声で、「君ももう僕から卒業しないと」と、彼は言い、僕から去っていった。
起きたら泣いていた。どうしようもなく悲しかった。
僕は30になる。毎週末ドラえもんの、昔の映画を見る。同じ話を繰り返し見て、週が明ける。
小学生のころ、週末はよくドラえもんの映画を見た。僕と姉と両親と、母方の祖母とで。見ている最中父はよく居眠りしたし、母は家事のため離席した。姉は中学に上がると部活で家を空けた。そのうちテレビを眺めているのは僕と祖母二人だけになった。幼かった僕は祖母に抱かれながら、飽きもせずドラえもんたちの冒険に心を弾ませていた。
同じ話を繰り返し見る僕に、父も母も呆れていたように思う。それでも僕はドラえもんに釘付けだった。そんな僕に祖母は何も言わず、ただにこにこと笑って頭を撫でた。
ドラえもんが大好きだった。ドラえもんはいつでもポケットの中にいて、ポケットの中で果てしなく広がる世界を、いつでもいっしょに旅してくれる。いつでも僕のそばにいてくれるから。
だから、話の筋が分かっていようとも、僕は楽しかったし、安心できたんだ。ドラえもんを見ている時間は、何よりも心が安らぐひとときだった。
けれどもその時間は、ずっとは続かなかった。学年が上がるにつれ勉強が忙しくなったし、何より祖母と別離することになったためだ。病気を患った僕の伯父、つまり祖母の長男と暮らすことになり、祖母は家を出た。それから数年後伯父が亡くなるが、前後して母が亡くなったため、祖母は別の伯父の家に引き取られた。
祖母は子供を二人も先に亡くしてどんなに悲しんだことだろう。今でも母の話になると涙ぐむ。僕はそんな祖母と一緒にいられないことが悲しかった。
それでも年の割に体が丈夫だった祖母は、その後もよく家に顔を見せに来た。シルバーパスがあるから、と笑う祖母は、出不精の僕よりもよほど元気だった。ちなみに余談だが、祖母には外来語の発音が難しいらしく、パスとバスをよく言い間違える。ティッシュのことはテシュという。敵性言語だったから仕方ない。
大抵は益体無い話をするだけだったが、祖母と一緒に「おばあちゃんの思い出」を見たことはよく覚えている。
そう、祖母は元気だった。頭も耳も目もしっかりしていて、90に差し掛かるころには水泳に通っていたほどだ。本人が言うにはプールで歩くだけというが、それでも凄いことだと思う。プールで出来た友達のこともよく話し、みんな自分より二回り若いと笑っていた。
そんな祖母だったから、僕にはどうしても祖母が居なくなることなど考えもつかなかった。永遠に生き続けるのでは、という気がしていた。そんなことはありえない。祖母は今年98だ。まだ頭も耳も目もしっかりしている。だが、足がかなり衰えた。
祖母は今ではいっさい部屋の外から出なくなった。以前とは逆で、僕のほうが祖母を見舞いに行く。するととても喜んでくれて、ベランダに出ては帰路につく僕にずっと手を振ってくれていた。だが、それも今年の初めまでだ。今ではベランダに出るのも難儀らしく、大事に育てていた花壇の花もすっかり萎れてしまっている。
僕は30にもなって、どうしようもなく幼いのだ。昔の思い出を、ただ昔のこととして切り離すことができない。
丁度5年前癌になって手術したんだが、その後地獄の抗がん剤治療8ヶ月が待っていた。
抗がん剤中でも上手に調整して出歩いてる人もいるみたいだけど、自分はずっと白血球値が低いままだったし体調も良くないし、メンタル的にもやばかったので病院に行く以外はほとんど出歩かなかった。今思うとちょっと鬱っぽかったのかもしれない。
で、その間に読んだり観たりして救われたと思う作品を挙げていく。
治療後に、これ治療中に知りたかったと思ったのも含まれているので時系列的におかしいとこもあるけど勘弁な。
治療中に下手な本読んだり映画を観たりして登場人物が自分と同じ病気で死んだりするとダメージくらうし、かといって主人公が元気にはねまわってるのを観て今の自分の境遇と比べて落ち込んだりするし、なかなか難しいんだよ。
病気療養中の人、あるいは周りに病気の人がいてお見舞いに本でも持ってこうかという人はよかったら参考にしてほしい。
ちなみに自分は以前はサスペンスとかホラーとか好きだったんだけど、癌になってからは一切受け付けなくなった。一番最初に死ぬ登場人物に感情移入してしまうので。
あと『きのこを食べたら癌が治った』みたいな本をお見舞いに持って行こうかと考えてるやつは自分が死んだらいいと思うよ。マジで。
【ドラマ編】
『名探偵モンク』
ちょうどHuluで公開されていてこれはマジでよかった。エミー賞も受賞したアメリカの人気ドラマ。
主人公の探偵モンクが重度の強迫性障害を持っているんだけど、同時にそれが事件の謎をとくヒントともなっているところがうまい。モンクを取り巻く元上司の警部や看護師がモンクの強迫性障害に振り回されてうんざりしつつも暖かく見守っていくという構図になっている。
探偵ものなので当然殺人シーンはあるけどソフトに表現されていて何とか大丈夫なレベル。シリーズになっていて話数が多いのも助かる。基本コメディ。
『dinner』
登場人物の一人ごとにスポットを当てていく形式だけど、誰もスネに傷持つ訳ありの人ばかり。
小さな希望を胸にまた明日も頑張ろうとする姿に励まされた。視聴率が悪くて話数が削られてしまったのは何とも残念。
ラスト一人ラジオ聞く江口洋介の姿に泣いた。サカナクションの主題歌もいいよね。
『カルテット』
社会的には落ちこぼればかりの現実離れした夢の共同生活。明快な答えも解決策もない日々になぜかほっとして救われる。
例の前夜、ゲームやとりとめのない会話を楽しむ4人のシーンは何度も観てしまった。マキさんの「ちょっとトイレ」にも泣いた。
『鹿男あをによし』
玉木 宏が鹿になっちゃうやつ。幻想的な作品なので現実逃避にもってこいだった。でも良くできてるよね。
仕事を定年退職したサラリーマンが妻と娘のため正月の福袋の行列に並ぶというドラマ。これも面白い。
ドラマはHuluで配信されて入ればHuluで、なければ無料動画配信サイトで観てた。
あんまり褒められたことじゃないけど抗がん剤治療はとにかく金がかかるので大目にみてほしい。
癌の種類にもよるけど自分の場合は1回あたり15000円、それを月3回8か月続けるのよ。
あと漫画とか本も書こうと思ったけど以外と大変だし読んでくれる人もいるかわからないのでここまでにしときます。
需要ありそうなら続き書くわ。
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漫画・本編こっちにまとめました。コメントくれた人ありがとう。
あとドラマ編で『植物男子ベランダー』忘れてたわ。NHKの30分深夜ドラマ。おっさんマジ癒し。途中の変な小劇場は飛ばしちゃうけどね。
お陰様で経過は順調です。自分の癌は10年で寛解と言われてるけど、5年を無事経過して再発の可能性は大分低くなったと医者にも言われました。
漫画や本など、闘病記はたくさんあるけど、「癌になったけど家族が支えてくれたから立ち直れました。やっぱり家族は大切だよね、妻Love」みたいのが多くて、結婚していない子供もいない自分はどうすりゃいいんだと逆に落ち込んだりした。闘病記なら何でもいいわけではない。
あと闘病記って健康な人がお見舞に持ってくものではないと思うよ。これ読んで元気出したまえって何様だ。
【漫画】
最近誰もがお察しの理由でまんしゅうきつこからまんきつに名前を変えたまんしゅうきつこさんの改名前の作品。
自身のアル中と、そこからの復帰を描いている。このひとの絶望を笑いに変えて昇華する力は本当にすごいし才能だと思う。
『大家さんと僕』
2018年4月時点で累計発行部数75万部を突破した、今更いうまでもないお笑い芸人カラテカ矢部のエッセイ漫画。
アパートの大家さんである老婦人と矢部との心温まる交流を描いている。
ほのぼのとしたやり取りの中にも、戦争、老い、介護、孤独といったテーマがさりげなく混ぜ込まれている。
アラフォーBL漫画家藤河 るりさんの闘病記(1)から仕事復帰(2)まで。
病名で検索するのがやめられなくなってしまうなどの癌患者あるあるネタも多く、頑張りすぎない自然体の作者に共感できる。
『海街diary』
これもまた有名な吉田 秋生の名作。
漫画家ってすごいなあと思った。自分が死んだことがないのになぜ死ぬ人の気持ちがわかるんだろう。
話の途中で癌になったおばさんの話が出てきて、そこはさすがに辛いので飛ばして読んだ。
【本編】
夫の入院先からの帰り道、パン屋で焼きたてのパンを買った妻が「悲しいのに幸せにもなれるのだ」と思うシーンが忘れられない。
実は木皿泉は夫婦のユニット名でご主人は脳出血でまひがある。そんな背景にも勝手にシンパシーを感じていた。
もし癌が再発することがあったら、この本を母親に渡そうと密かに思っていた。
東野圭吾の本で泣くなんて自分もヤキが回ったなあと思ったけど。
あとはYoutubeにあがったお笑い動画とかよく観ていた。主にアンタッチャブル。
転移してるかどうかの検査の結果待ちとか、もうどうしようもない時に観ていた。
よく「悲しくて胸が痛い」みたいな表現があるけど、辛すぎると本当に体が痛くなるのよ。
そんなときしょうもないお笑いをみてるとふっと体が楽になった。
やっぱり笑いの力ってすごい。アンタッチャブルまた活動してくれ。
こんなところからなあ。
施設のおじさんから、あの女が死刑になると聞かされた。そして、あの女が私に会いたがっていると。もちろん嫌なら行かなくてもいい、けれども、出来れば会いに行って欲しいと。私はそうすることにした。今までずっと、あの女に会って話を聞きたかった。でもその勇気が出なかった。だけど、これが最後ならば。会いに行かなければならない。
私の母は鬼だった。母に殴られなかった日は記憶にはない。包丁で切られた傷は体のあちこちに残っている。私の右足は少し外を向いていて歩きにくい。母に折られた足だ。
私は母に殴られるたび泣き叫んだ。そうすれば母の気が収まるのが少し早くなることを学んでいたからだ。何度か私の声を聞いた人が通報をしたことがあったらしい。役所の人が来たことがあったが、母は全て追い返した。それだけだった。一時期の母は声を上げると怒ったが、役所の人が何もしないことを知るとそんな事で怒らなくなった。
その日も私は泣き叫んでいた。空腹の時に大声を上げるのは辛かったが、そうしなければ地獄は終わらない。私に馬乗りになった母は包丁を首筋に突きつけてきていた。お願いします、やめてください、何度もそう叫んだ。
不意にガラスが割れる音がした。ベランダの窓だ。母ではない。私でもない。そこにはあの女が立っていた。あの女はすでに怒っていたように見えたが、母と私の姿を見ると形相を変えた。初めて、母以外の女の人を怖いと思った。
あの女は母を蹴り飛ばした。そのまま何度も母を蹴って部屋の隅に追いやった。そうして落ちていた包丁を拾い、母の首を切った。真っ赤な血があたりに飛び散り、母は何度も口をパクパクさせて、動かなくなった。
○○県で昨夜未明、マンションに住む無職***子さん(36)が隣室の主婦によって殺害された。近所の人の話によると、***子さん宅は子供の大声で警察に通報されるなどのトラブルがあり、大声に業を煮やした隣家の主婦がベランダを通って侵入し犯行に及んだ模様。***子さんの長女(13)は無事保護された。
施設に引き取られて迎えた初めての夏。夕涼み会で施設のおじさんは私に話をしてくれた。申し訳なかった、僕に勇気がなかったばかりに、君にもあの人にも申し訳ないことになった。本当に済まない。
あの人はここにも警察署にも何度も通報していた。僕もそれを受けて何度か君の家へ行った。けれども何もできなかった。いや、しなかった。君のお母さんが怖かったんだ。本当に申し訳ない。僕が何もしなかったからあの人は君の家へ行ったんだ。そうしてあんなことになってしまった。ニュースでは誤解を招くようなことしか言っていなかったが、あの人は君を救けるためにああしたんだ。本当に、いくらお詫びをしても足りない。
あれから7年が経つ。あの女の死刑は非常に異例、というより日本初のことらしい。ニュースでは、世論が判例に勝ったとか言っている。ただの騒音トラブルで隣人を殺した非道な女に重い裁きを、ということらしい。どうでもいい。
刑務所であったあの女は、記憶にあるよりもずっと優しそうな顔をしていた。会いに来てくれてありがとう、とまずはそう言った。私も会って話をしてみたかったのだから礼なんて言われる筋合いじゃないけど、うまく言えないから黙ってた。
どうして母を殺したの?
ずっと訊きたかったことは、思ったよりもあっさり言葉になった。それを聞いたあの女は、顔を歪めてこう言った。
あなたには本当に申し訳ないことをした。もっと然るべき手段を取るべきだった。けれども私は怖かった。まっとうな手段を選んでいるうちにあなたが死んでしまうことが。もしもあなたが死んでしまえば、私は一生助けられなかったことを許せずに生きていくことになる。それが怖かったから、あんな手段をとってしまった。本当に申し訳ない。
それを聞いて、何だか自分の心が乾いているような気がした。重ねて尋ねる。
どうして私を呼んだの?
次の質問もあっさり出てきた。女は、真剣な面持ちになって言った。
あなたにどうしても伝えたいことがあった。あなたが荒れていることは施設の方から聞いている。だから、どうしても言わなきゃいけないことがある。わかってほしいことがある。
この先の言葉は、何か恐ろしいもののような気がして、体に力が入った。女は続けた。
あなたから奪われたものの重さに、どうか気づいて欲しい。それに気づいてしまったらきっと今以上に辛い思いをすることになるだろうけど、それでも気づいて欲しい。あなたから奪われたものは人が生きる上でどうしても必要な物だから。あなたの中にはまだその欠片が残ってる。あなたが今も生きていることがその証拠。けれどもそれの大切さに気が付かなかったら、あなたはそれを捨ててしまうかもしれない。それだけは絶対にやめてほしい。それは本当に重たく、大切で、欠片しか残っていなかったとしても、それがある限り生きていけるから。その重さに気付けば、少しずつ取り戻していくことも出来る。どうか、それと向き合ってほしい。
そう、今は意味がわからない。それでいいの。そうした時間も大切だから。でも、いつかは分かってほしい。
それだけで、話は終わったようだった。私は事前に施設のおじさんから聞いた話をした。
ずっと前に赤ちゃんが死んだって聞いた。それと母を殺したことに、なにか関係はある?
女は泣き始めた。しゃくりあげるばかりで、何も言葉が出てこないらしい。この傲慢な女の何かを突き崩したことで、私は満足した。
刑務所からの帰り道、女の話を考えた。私から奪われたもの。無理だ。何をなくしたのかもわからないのになくしものを探すことなんて出来やしない。
何をなくしたのかわからない?そうか、確かに何かをなくしたらしい。そうでなければそんな考え自体が出てこないはずだ。
私から奪われたもの。単純に考えれば、あの女が私から母を奪った。でも、あの女の言葉の文脈からすると母ではないだろう。私の中にまだその欠片が残ってるとも言った。そういう意味でも母ではない。
本当に、あの女は何を言っていたのだろう。
自尊心?ふとそんな言葉が頭に浮かんだ。一瞬でその考えは苦笑に消えたけど。