はてなキーワード: スーツとは
愛知県知事に大村知事が再選した件で、ネトウヨ達が不正選挙だと騒いでいた。
開票率・得票率0%の段階で当選と発表したからだそうだが、これを拡散してるツイートが6000近いリツイートで結構な拡散をされ、1.5万いいねがついてかなりの数のアカウントが不正だと騒いでいる。
つまりこの万を超えるネトウヨ達は、選挙には出口調査がある事を知らず、今までの人生で選挙特番など一度も見た経験が無いと言うことだろう。
出口調査で当選確実になるのも珍しいことではないが彼等は知らないのだ。
スーツ着た爺さんのアイコンアカウントまで不正と騒いでる、なんでその年まで生きてここまで選挙に無知なんだ。
https://blog.goo.ne.jp/kimito39/e/d7e67d8dc672a721f58232d16c9a4d22
https://twitter.com/N4er5BANKPkQFQe/status/1623185224762036225?t=fk1BKL2_HJLsL6xmGGjWbQ&s=19
初めて裁判見るなあ、自分もいつ裁判に関わるかわからないから知っとかなきゃなあ、静かにしてないといけないし緊張するなあ、内容に驚いて変な声出しちゃったらどうしよう…とドキドキながら、
とりあえず思ったこと3つ
自分か同居家族が車持ってて任意保険加入してるなら、「日常生活賠償特約」をつけておけば自転車で相手にケガさせた・何か壊した系は基本カバーできるやで
でも教えてくれてありがとう。
傍聴しながら書いたメモには弁護理由として「本人が罪を認めている」「もう運転しない」「家族の協力もある」「くむべき事情がある」も書いてある。けどニュアンスは忘れた。
社長~役員クラスは基本カジュアル系で、周りも結構カジュアルな感じ(スーツの人も居る)ので
そう思ってクローゼットを開けてふと思った
俺が持ってる(ボタンダウン)シャツ、明るい色か仕事にそぐわない色しかなくね?と
スーツ用のワイシャツはあるけど私服で白系を着ることはあんまりない
水色とか青色も基本買わないので無い。明るい茶色とか、赤混じりのカジュアル系で、周りも結構カジュアルな感じ(スーツの人も居る)ので
そう思ってクローゼットを開けてふと思った
俺が持ってる(ボタンダウン)シャツ、仕事にそぐわない色しかなくね?と
スーツ用のワイシャツはあるけど私服で白系を着ることはあんまりない
水色とか青色も基本買わないので無い。明るい茶色とか、赤茶色みたいな私服感バリバリの色しかない
ジャケットは仕事用にしても良さそうなのが何着かあるので使い回せるし、ズボンは黒っぽいパンツが結構ある。靴も革製のスニーカーで多分いける
いつも私服着る時は、逆に「なんか仕事っぽさ出てるな・・・」とか思ってたけど
いざ仕事着に流用し様と思ったら逆に「なんかプライベートっぽさあるな・・・」と思うようになってきた
なんだこの現象
https://www.youtube.com/watch?v=ZIHNm1nfvU8
おいおい、これのコメント欄見てみろよ。
「脱マスクの議論が盛んになってから、マスクを着けたい人達が「マスク着ける自由も認めろ!」みたいな事を言ってるけど、禁止じゃなくて不要なんだし着けたいなら着ければいいじゃん。って思う。 元々日本人は花粉とかで着ける人が多かったし。今みたいにマスク着けないと白い目で見られたり入店拒否されたりするみたいな状況が変わるだけの話でしょ。」
このコメントなんて素晴らしいよな。
はてなーはこんな事言うと「外せという同調圧力ガー!」とかいうけど、自由になるって言ってんのに着用強制してるアタオカはお前らだろ。
着けたいなら着ければいい。
「私はスーツ着たいのに!」「スーツを着る自由も認めろ!」って言ってるようなもんだよ。
バーカ。
宇宙船用の燃料とか生命維持スーツ用の燃料とかの常備しなければならないものでバッグが圧迫されがちなのと、
20代前半の女だけど、27までに子供を2人産んで30から資格を活かしてバリバリ働くという人生計画を叶えるため結婚相談所に入った。
Twitter廃人なので相談所関連のツイートもめちゃくちゃ掘ったんだけど
「男性がクソブスすぎる」「今まで自分がお目にかかったような化け物のような男性を見ることができる」「今日の新規会員やばい」
など、ここまで言うか?という倫理観がボロボロのツイートが多く見られた。
入ってみて確かに私も驚いた。
5人はなんで結婚できてないの?というレベル高めのイケメンor非常に清潔感のあるフツメン
10人は原石(くせ毛やら表情やら体型やらがやばいけどよく見たらいい顔をしている、磨けば光る)
60人はブサメン
15人はちょっとアレなブサメン(ピカピカに磨いたとしてもフツメンになれるかどうか怪しい)
…という感じで、確かにトータルで見るとブサメンのカタログという感じだった。
私が入って良かったなら入る、と言っていた友人にそのことをオブラートに包み報告すると
いやいや、と私が反論すると「じゃあ明日通勤の時電車とか街の中見てみな」と言われた。
言われた通りに次の日に通勤中街を見渡してみると、確かにそうだった。
街の中はブサメンだらけだった。マスクしていてもだいたい分かる。
わりと衝撃を受けた。私も含め、相談所に入る女性が男性のブサメンっぷりにびびってしまうのは
「普段は見えてもいないだけ」のブサメンが可視化されて驚きそして絶望する、というのが正しいんだろうと思った。
ある日の夜残業して退勤すると、駅にブサメンのサラリーマンがいた。
どうやったらその汚い眉毛を放って置けるんだ?髪の毛は一体どこで切ってるんだ?なぜドブみたいな色のコートをスーツに合わせる?と観察していたら、そのブサメンサラリーマンは自動販売機で水を買った。
そしてなんと彼は道端に寝っ転がってしまっている酔っ払いに声をかけてペットボトルを渡したのだった。
裾がシワシワのコートを纏う後ろ姿が輝いて見えた。
その時私は「こういう人と結婚したい」と強く感じた。もはやその人を逆ナンしたかったが、こんな時間だから早く家に帰りたいだろうなと自重した。
人にとって何が一番大切か気付かせてくれた彼には感謝している。
私が理想とする、「家族だけは何があっても絶対に味方だ」「自分は素晴らしい存在だ」と子供が無意識に思えるあたたかい家庭を一緒に築けるパートナーを探すことができたらいいなと思う。
ネクタイを百均、靴をABCマート辺りで手に入れれば残りはアマゾンとかで適当にポチればいいので簡単だ。
普段着は1万円を目指す。
これまたスニーカーを3000円ぐらいに抑えると残りはしまむらだったら豪遊レベルだ。
コートは流石に安物は辛いので5000円までなら許す。
散髪に1000円使うのもちょっとダセエなと思ったので最近は坊主頭にして自分で剃っている。
遠い昔、オタクは黒に染まれという言葉があったが、俺はそれを進化させて格安で己を染め上げている。
一時期はユニクロでクソダサアニメTシャツを着てダサさを纏うことをマイトレンドにしていたが、結局ソレもファッションを折っているだけだと気づいてダサいなってね。
あえてのダサさとか、先手を打った自己防衛のダサさとかじゃなく、純粋に金をかけることを辞めることで産まれるナチュラルなダサさを目指している。
しまむらはマジで凄いぜ……いわゆるデパートカーチャンセーターなんぞとは違う本物の安さがある。
単に値段とかじゃなくて、「安物を必死になんとか売ろうとする店の経営努力」みたいな奴があるんだよな……よく分からんけどデパートカーチャンコーデは時代が30年遅れてるだけで生まれついてのダサさじゃねーのよ。
しまむら着て街を歩くと、流行に踊らされた愚か者達が服に着られてる様を安全な場所から嘲笑えて最高だぜ。
高そうな服着てハゲかけた頭に無理してカラー入れてるおっちゃんおばちゃんの惨めったらしさったらよー。
仕事に行くときによ、上下1万5千円のペロペロスーツに袖を通してダイソーのネクタイをダイソーのピンで留めて鏡を見るとよ、もう見るからに安い男が立ってるんだな。
スーツ以外は床置きやで
コロナウイルスが流行りだした2020年の某月、両親が離婚し母が実家から出ていった。
原因はお金の問題にあった。両親は共働きだったが家計の管理は上手く共有できておらず、父親が実家のローン返済に充てるはずの退職金を使い込んでしまったことが発端だった。
(何に使ったのかは未だに明かさないが、自分が小学生の頃、父親の携帯で遊んでいた際にふと開いたメールボックスにキャバ嬢らしき人物のメールのやりとりがあったのを覚えていたので女にでもつぎ込んだのだろうと考えている。)
自分は実家で両親と暮らしており、社会人で貯蓄もそこそこあったためローン返済の問題はなんとか解決の目処が立ったが、
両親の仲は悪くなる一方で、寝室を別にしてから1年、遂に別れの時が訪れた。
母が実家から出ていく日、自分は仕事があったため朝7時頃には家を出なければならなかった。
母に行ってきますと別れの挨拶をする際、情けないことに涙が溢れてしまった。マザコンではないのだが、息子としてもっと何かできなかったのかとその時になって後悔した。
会社への足取りは重く、仕事も殆ど身が入らなかったがオフィスでは何もない素振りをしていた。
それから3週間が経過し月末に近づいたある朝、ベッドから起き上がるのを強烈に拒んでいる自分がいた。
体が動かないわけではなかったが、とにかく起き上がるのが嫌だった。2時就寝7時半起床で睡眠時間が少ないのもあったが、普段はそれでも問題なく出社していた。
前日は会社の先輩と普段乗る駅を飛ばして歩きながら帰宅した。先輩は仕事について楽しそうに語り、自分も自分の仕事の考えをそれとなく話し自販機でジュースを買い二人でタバコを一本ふかしてから解散した。
夜飯を食べていなかったためコンビニで弁当を買い帰宅した。時計は既に23時半を指していたが何事もなく食べ始めたのだが、買った弁当は味がしなかった。
その時、薄暗い部屋でスーツを着た大人が、広いリビングで1人コンビニ弁当を食べているという事実に気づいた。
何を言っているのか分からないかもしれないが、今までは家族で囲んでいた食卓が1人のものとなったことに対して、とてつもない虚無感が時間差でやってきたのだ。
ちなみに父親(無職)は2階で寝ていたのだが、母が出ていってからは一切口をきいていなかった。
そして翌日。ベッドから起き上がらない自分は「あ~このままだとやばいな~」「あと15分経ったら始業時刻にぎりぎり間に合う電車乗り過ごすな~」「あとちょっとで朝礼始まるな~」と迫りくる始業時刻に焦りを感じながらも天井をただただ見ていた。
そして始業時刻になった。やってしまったと思ったが、変わらず天井を見ていた。始業時刻の5分後には上司から社用携帯に電話がかかってきた。が、出たくなかったのでとりあえず無視した。
しばらくして自分から上司に電話をかけ、ベッドから起き上がれなくなったと伝え有給を消化することになった。それから3日間トイレ以外はベッドで天井を眺めて有給を消化し続けた。
病院にいってほしいとお願いされたため、それから数日後に病院に行ったところ適応障害と診断され休職することとなった。
休職の手続き(診断書原本の提出と会社の資産物の返却)をしなければいけないため一日だけ顔を出せないかと上司にお願いされた。電車に乗ることはできなかったが車なら行くことができる気がしたので車で職場に向かった。
手続きは1時間もかからなかったが駐車料金は3000円近く取られた。休職となりとりあえず脳死で休めるとなったので気持ちが楽になり車の中で奇声を上げながら帰った。
何もしないでベッドにいると自殺を考えることが増えたため近所のパチンコ屋で連日暇を潰した。それまでパチンコは殆どやらなかったのだが、爆音と散財はその時の自分には救いとなった。
もともとアニメを観るのは好きだったためパチンコで時間をつぶすのは簡単だった。減るはずのお金が何故か増え続けたのが面白かった。これがビギナーズラックかと思った。
休職してから2週間が経過した頃、体重を測ったら3kg落ちていた。食事を一切摂らず開店9時~22時50分までパチンコを打っていたため当然の結果とも言える。
これからどうしようかな~とYoutubeを観ていたら競艇のCMが流れてきた。11月にボートレーサーの試験があることを知り自分に受験資格があることが分かったため気晴らしに挑戦してみようと思った。
当時体重は60kgだったが、ボートレーサーは52kgに近づけないといけなかったため大きな減量に挑戦する必要があった。両親が離婚してから食欲がなくなっていったのは逆に都合が良かった。
炭水化物は一切取らず、鶏胸肉、豚肉、卵、アボカド、納豆などを中心に食べた。ある程度鍛えなければならなかったためゴールドジムに入会した。
また、筆記試験もあったため数学、国語、理科、社会(いずれも中学生レベル)の勉強をする必要があった。そこそこの大学を出ていたため筆記もまあ余裕だろうと思いながらも気晴らしになると勉強した。
11月になる頃には体重は52.5kgになり二次試験への準備もできた状態で一次試験を受けた。試験は上出来だったが二週間くらい経った頃に来た結果は不合格だった。年齢の問題もあるよなとあっさり受け止めた。
適応障害の診断は変わらずだったため休職を延長しつづけ、翌年の3月末に休職の期限が限界となったが働く気が全く起きなかったため退職することになった。無職の誕生である。
それからは家ではネットサーフィン、外ではパチンコ・風俗三昧だった。パチンコでは期待値の追い方、捻り打ちを覚え風俗では上手なデリヘル嬢の選び方、本番交渉の術を習得した。
友人とも普通に遊び、泊まりで旅行や富士急に行ったりもした。それまで仕事に向けていた熱量を遊びに向けた。
その頃家に帰ればいた父親は仕事が見つからず他県に引っ越すこととなった。実家一人暮らし無職の誕生である。
父親は時々実家に帰ってきたが口をきかなかった。顔を合わせるのも嫌だったので自分も引っ越しをしようと決めた。
友人と気軽に遊べなくなるのは寂しかったが、父親と顔を合わせるほうがもっと嫌だったし、アパート探しをして新天地にひとり行くのも楽しいと思った。
そして現在、引っ越しは完了し1人で暮らしているが、どうにも働く気が起きずこれまでと同じような日々を過ごしている。
貯金も無限ではないため、底をついたら生活保護を受けることになるのだろうか。それもまあ別にいいかと思っている。
最初は考えていた自殺も、時間が経てば死ぬより身近な快楽を得ていた方が良いのではと考えるようになった。
これを見た人はどう思うのだろう。自堕落な生活をして情けないと思うのだろうか。さっさと死ねと思うのだろうか。
精神疾患に対して一定理解のある人はどう思うのだろうか。「いやでも遊べてるやん」と思うのだろうか。
いや、そもそも自分は精神疾患なのだろうか。病院には継続して通っているが精神疾患ではなく自分がただのゴミクズなのではと思っている。
今から30年近く前の話。幼稚園児だったおれは近所の回転すし店でいたずらをしてしまった。アンパンマンの絵がついたジュースの空のパックを、親の目を盗んで、レーンに戻した。幼かったとはいえ、回転すしのシステムは理解していたはずだし、初めてジュースを頼んだわけでもなかった。だから、当時の動機は、いたずらや好奇心に近いものだったはずだ。正直に言って、どんな気持ちでやったのかは、覚えていない。覚えていないほど軽い気持ちだったんだと思う。しかし、その行為が引き起こした結果は忘れがたいものとなった。
翌朝、7時前に呼び鈴が鳴った。家の前にはスーツの男、警察官、それに板前が合わせて20人か、いや、実際にはそんなにいなかったのかもしれないが、とにかく大勢集まっていた。水産庁特別海洋資源監察官、通称寿司ポリスだった。おれはその場で尋問を受けて、昨晩ジュースの空のパックをレーンに戻したことを白状しなければならなかった。親が泣くところを見たのは初めてだった。両親が涙を流して、土下座して、寿司ポリスに謝っていた。おれはその時になって大変なことをしてしまったのだと理解し始めた。近所の人たちの目がうちに注がれていた。とてつもなく長い一日だった。
その後すぐ我が家は引っ越した。父は会社を辞めなければならなかった。引っ越し先にも悪口を書いた紙が届いた。何度か転居して、それでも年に何通かは届いた。
うちではそれっきり回転すし店の敷居は一度も跨いでいない。しかし、時々寿司を食べる機会はあった。小学1年生の時、学校給食で寿司が出て、怖くて泣いてしまったことを覚えている。高学年になってからは食べるようになった。寿司を食べると、今でも必ず体がかゆくなる。多分心理的な影響だろう。それを周りに悟られないよう、黙って飲み込んだ。出された寿司を食べない変なヤツだと思われたくなかったからだ。誰かが、あのことを知っているのではないかという恐怖感は常にあった。大学のサークルの新歓で先輩がテイクアウトしてくれた寿司も、入社式のあと、工場長がとってくれた出前も、吐き出しそうになりながら飲み込んだ。
最近、回転すし店で若い男の子がいたずらをしたという話題で持ちきりだ。彼はネットのおもちゃだ。それ相応のことをしたのだから、仕方がない。永久不滅の寿司屋荒らしの烙印を背負って生きていくことになる。しかし、世が世なら、おれも彼と同じだった。おれの場合、あのことを知っている人はもう周りにはいない。しかし彼の周りの人は、彼がどこに行ったとしても、きっといつか気づいてしまう。もう日本中逃げ場がない。彼のこの後の人生を思うと、不謹慎だが、どうしても同情せずにはいられない。