はてなキーワード: キーンとは
弟がこらちへ向かっているのを、この時の俺は知らない。
知っていたとしても今はそれどころじゃなかった。
「うーん、これは……」
そこで売られているアイスを食べ、俺とカン先輩は頭を抱えていた。
食べすぎでキーンとなっているからだとか、そういう生理現象ではなく、もっと利己的な理由でだ。
「マズいな……このアイス美味い」
キャラメル風味のアイスクリームに、砕いたアーモンドをまぶした一品。
夏に食べたいアイスかっていうとそれほどではないが、クオリティでは明らかに差がある。
廉価のジュースを凍らせただけのこちらとは違い、口溶けがよく、でしゃばらない甘さ。
このアーモンドもほのかに塩味があり、いいアクセントになっている。
そりゃあカン先輩のアイスキャンデーの前じゃあ、大体が洒落臭くなるだろう。
とはいえ、凝っているのも確かだ。
側面には店の名前らしきロゴが描かれているが、これも見事に馴染んでいた。
しかも偵察に行ったドッペルが言うには、この他にも色々なフレーバーがあるらしい。
キッチンカーの見た目も、あっちのほうが豪華なんだとか。
「くっそー、こんなことなら、もっと色んなジュース買っとくんやった」
「どうせ凍らせるだけなのに、数だけ増やしても仕方ないですって」
個人の好みだとかを考慮しても、客観的にみて形勢は不利といえた。
フレーバーを抜きにしても、アイスキャンデーとアイスクリームは別物だ。
それを売るキッチンカーが同じ公園に2台いたとあっては、比べられるのは必然だろう。
そして勝った側は得をし、負けた側は損をしやすい。
どちらが得をするかは明白だ。
「手作りのアイスクリームって割と面倒ですからね。手間がかかっている方がいいと考える人も多い」
ましてや、こっちのアイスキャンデーは見るからに手抜きなのだから尚更だ。
そうは言ってみたものの、少し気になるところもあった。
デジャブってやつだろうか。
形勢が不利なせいで、何か粗を探してやろうと俺は邪推をしているのかもしれない。
そう思ったのも束の間、俺と同じことを感じる人間が他にもいた。
「こ、これ……かか、か、“カラメルコーンアイス”じゃない?」
ドッペルが、そう呟いた。
純粋な鯛ではないが、上皇がタイ国王に「イズミダイ」という鯛に似た淡水魚を贈り、それがタイでは高級魚としてよく食べられているらしいぞ。
1960年代、タイ王国の食糧事情が難しいと知った魚類学者でもある皇太子明仁親王(上皇)は、タイ国王にティラピアを50尾贈り、「ティラピアの養殖」を提案。タイ政府はそれを受け、現在、タイでは広くティラピアが食されている。このエピソードにちなみ、タイでは華僑により「仁魚」という漢字名がつけられ、タイ語でもプラー・ニン(ปลานิล)と呼ばれている。1973年のバングラデシュでの食糧危機に際しては、タイがバングラデシュに自国で養殖したティラピアの親魚50万尾を贈呈した。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%A9%E3%83%94%E3%82%A2
あと、「キンメダイ」がタイ語では「キーン・マイ・ダイ(食べられない)」と聞こえる、というのは在日のタイ語話者には鉄板ネタらしいぞ。
40過ぎの派遣社員だが悩みを聞いてもらいたい。
氷河期の煽りをモロにくらってマトモな就職がただの一度もできず、薄給(手取り15万円)、パワハラ、始発終電上等のブラック企業を渡り歩く。
ここが今まで務めた企業での待遇がウソみたいな超ホワイトっぷり。
給料もトンカツをいつでも食えるくらいもらえる、多少堅苦しさはあるものの職場の人間関係もいたって良好、10-18で残業は一切無し(1年務めたけどホントにただの一度もしたことがない)。
条件聞いたら勤務体系は今までと同じで、給料が800万円くらい、さらに役職付いたら1,000万円超えるらしい。その日の食費にすら事欠いてたワープアど真ん中の1年前から比べたら高低差で耳がキーンとなるくらいだ。
普通だったらノータイムで「なります! 正社員!」とこたえてるところだが、なかなか世の中うまくできてるものでこの会社が実は新興宗教団体なのだ。
今までは派遣社員だからとセミナーや研修会のお誘いをのらりくらりとかわしてきたけど、正社員ともなるとそういう訳にもいかないっぽい。
役職につく、ということはその宗教でステージが上がることを意味している。
さらに最悪なのが、この会社が日本会議とかとべったりでホメオパシーや親学の団体ともかなり深く繋がりがあるのだ。
こんなに待遇の良い仕事はこの先ないのはハッキリ分かってるんだけど、カルトの片棒担ぐのはまっぴらゴメンなのでめちゃくちゃ悩んでいる。
カルトじゃないけど、パワハラや反社の手先みたいになってるAKSや吉本興業の社員もこんな感じで悩んでたりするのだろうか。
初めて増田書いたんだけどこんなにかまってもらえて驚いてる。他人に気にかけてもらえるのって嬉しいものなのね。アドバイスやら助言、ありがとうございます😊
カルトって書いたけどこの団体自体は違法なことは自分の知ってる限りはやってない。むしろ官公庁からけっこう表彰されてる。
表面的にはマトモなこと言ってるし、なんなら政権与党とうまくやってて文教族の議員もセミナーにやって来る。
ただそのセミナーの排他的な雰囲気と、社内のそこかしこに創始者と2代目の写真が北の偉い人みたいな感じで飾られてるのを目にするたびに「きつー、、、」とおもってしまう。
俺の家の近くでボーダーコリーが飼われている。白黒のモワモワした毛並みのあの犬だ。
俺も犬は好きなので出勤途中に散歩している他の犬などを見かけるとアイコンタクトして飼い主にも黙礼くらいはしているのだが、件のボーダーコリーは俺と目が合うともんのすごい勢いで俺の所に突っ込みたがり、飼い主の奥さんが慌ててリードを引っ張るくらいだ。リードで引っ張られながら二本足で立ち、「おい待て!素通りするな!俺を撫でろ!」と言わんばかりに前足をもがかせて。俺が立ち止まり撫でようとすると即座に地べたに寝っ転がって腹を見せて、俺が腹を撫でると「よしよしわかってるじゃないか」と満足そうにするのだ。そしてそれを見ながら飼い主の奥さんは「あー…あんたシャンプーしたばかりなのに」とぼやく。
多少俺にしっぽ振ったり目で追ったりする犬は多いが、この犬のそれはちょっと異常なくらいである。
結構長い間空き家だったその家に、その家族が引っ越してきたのは去年あたり。その犬はすでに成犬になっていた。初めて会ったとき、「触ってみていいですか?」と訊いたら「構いませんけど、よその人には愛想ないんですよこいつ」と憮然とした表情で飼い主の旦那さんが言ってるそばで俺の足元、というか足の甲の上でその犬は腹を見せて旦那さんが「え?ええええ?」となっていた。俺も少しびっくりした。
その犬は家の中では道路に面した出窓が自分の場所で、よく寝そべっている。だがそこに俺が通ろうものならガラスの向こうでシャキーンと立ち上がり興奮気味にクルクル回りながらものすごい笑顔で俺を目で追う。
今朝俺が帰宅するとき(俺は夜勤)、その家の前を通ると奥さんが玄関の扉を開けてエントランス回りの掃き掃除してたのだが、玄関の中で寝そべっていたその犬は俺を見つけるなりダッシュで家の奥へ消えた。「?」と思ってたらまたダッシュで戻ってきた。
口にはリードが咥えられていた。お前本当に何なんだよ。
彼が英語のフレーズとか上手く言えたとき、やったー!ってサンシャインブレイドを掲げたり構えた時のいちいちシャキーンって音がしてカッコいいのよ!
な、なんとアマゾンに売ってました!
ちなみに私1年に何度かある誕生日の2回目がもうすぐです。
さて、
シルバーアクセサリを作ってメルカリで売っているお友だちのマリちゃん。
私も少し梱包とかなどのお手伝いをしてるんだけど、
あまりに多すぎて
誰が誰に送ったかをちゃんとエクセルで顧客管理するようにしたの。
私もこういうの苦手なんだけど、
ここは私に任せて!と大きく風呂敷を広げてムササビの術!って逃げ出したくなっちゃったけど、
だんだん私も面倒くさくなってきちゃった。
いろいろエクセルを自動的に何か便利にならないかなと駆使しまくって
いちいち文字打ってたら面倒くさいので
他のセルを入力したら勝手にステータスが変わるようにしたのよ。
うまく行ったと思いきや、
例のネスト問題で数式いじったら文字列が出なくなっちゃったからそっと戻しておきました。
マリちゃんにも聞けないし、
でもいろいろ調べていくうちになんかエクセルが上手く使えるようになってきたのが楽しくなってきたわ。
ただ1つ言えるのは
エクセル本に頼らずとも全部イルカ先生もしくは冴子先生が必要なこと全部教えてくれるので、
かなり役に立ちまくりだからさすがそこはアシスタントイルカだわ。
イルカが攻めてくるどころの話ではないのよ。
そんでね、
売上管理表が200円合わないからなんでかな?って調べてみたら、
送料が多く取られてたのね。
で運営に「あのー送料これ多く取り過ぎてる気がするんですけど」って問い合わせたら、
「すみません間違えてました!」ってお返事。
この作業は運営手動でやってるの?と言わんばかりのテヘペロ級案件。
たまにそう言う送料とかチェックした方がいいわよ。
万に一つどころか千に一つぐらいの確率で起きてるわ。
そんなわけで
最近エクセルの縦軸横軸の数字がぴったり合うと気持ちいいこのごろでした。
うふふ。
最近朝は控えめというか、
トマトジュースばかりで過ごす日々。
だけどぜんぜん痩せないのよね。
お昼しっかり食べてるからかしら。
夜もあまり控えめにしてるのよ。
なのにねー。
今朝はなんか寒くあったのでホッツ麦茶ウォーラーにしてみました。
まだ試してみてません。
ここのところの気温の差が激しいところだわ。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
タイトル以上でも以下でもないんですけどね。
なんというかセックスレスに悩んでいたことがアホらしくなってしまって。
下の子を妊娠してからだからかれこれ5年くらいセックスレスだった。
その間誘ったことは何度かあったけど全部断られて、誘われたことは一度もなかった。
なんというか、傷つくんですよねー。断られると。ズキーンって。
断られるかも知れないって思いながら誘ってる時点ですでに心臓が痛いのに、その上でにべもない断られ方をされると心が痛いこと痛いこと。
もうちょっと断り方あるだろー!って。今は無理だけどいつならOKとか、OKに向けた提案とかしてもらえないもんなんですよね。
こっちは一度でもお誘いがあったらよほどじゃなければ断るつもりなかったけど、一回くらいは断ってやりたい気持ちでいっぱいだった。
でも、一度でも断ったら二度と誘われることはないんだろうな。
なんだろうこの不公平感。愛情を持って接してる側が不利なのっておかしくない?夫婦って何?
性欲を満たしたいわけじゃないんだよなー。そんなの1人でいくらでも処理できるんだし。
愛を実感したいというか、お互いがお互いを喜ばせ合うことがセックスならこんなに簡単にできるんだからもっと活用していこうよってだけの話ですよ。
解消のために色々な努力はしたんですけどね。
断られたからって邪険にせずに、日頃の愛が足りてないのかなってねぎらったり気遣ったり。
でも、頭下げてまでしてもらうのは違うなって。
セックスを通じて互いの愛を確かめたいだけなのに、それじゃあただの行為になってしまう。
相手が上目線で「満足したか?」みたいな態度になってでもしたら満たしたいことと真逆ですよ真逆。
何気なくを装ってドキドキしながら手を繋いでみたら、さっと避けられたりするのこたえたー。まじでこたえた。
頑張って明るい感じでハグしたら一言「邪魔」って言われたのまじで辛かったー。
だから、どうしてセックスレスが突然解消できたのかの理由がわからない。まじでわからない。
そりゃもう本当に突然。
ある日、何気なく布団に潜り込んだ時に相手がすっとスペースを開けてくれたのがきっかけ。
あれ?いつもなら押し返してくるのに?って。
また拒絶されたやだなって心臓痛くしながらハグしてみたら、これもまたあっさりと受け入られて、それどころか相手も腕を回してくるじゃないですか。
子供が隣で寝てるのに?前はそんなんじゃする気持ちになるわけないよ!って怒ってたじゃん!!
そこからは本当に、今までの苦労はなんだったの?っていうくらい自然に行くとこまで行きました。
子供が寝てるからすごい駆け足でこそこそとしたセックスだったけど。
で、終わってみて考えると、やっぱり今までの苦労とかつらい思いをしてきたのは何だったんだろってなった。
自分ばっかり背負い込んで、相手はなんのつらい思いもしないでほんの気まぐれでセックスをして、過去、放置してきたことには罪の意識のかけらもない。
賢者タイムとかそういうの関係なくて、泣いたよね。あとでこっそり隠れて泣いた。
それでなんとなく、相手にこの気持ちを押し付けるのは良くないのかなって結論になった。
相手にはそもそもそういう意識がない中で、自分だけが悲しみを重ねていくのって健全じゃない。
仕事の飲み会でたまたま隣になった真面目そうな人が周りにいじられてて、その内容がセックスレスだったっていう。
お前真面目かよ!重い重い!って思ったら自分でも確かになーって思って、相手にそのことを伝えたら相手も確かになーって。
なんだ、二人でセックスすれば誰にも迷惑かけないよねー。むしろ夫婦仲も円満だよねー。
世の中うまくできますな!
ナクヤムパンリエッタさんがコミティア128で出した『泥舟鈍行死体蹴り』を読んだ。コミティア128自体には行けなかったので待ちに待ってたDL版を今さっき買って読んだ。
そしたらもうウォ〜ウァ〜ってなって大粒のやつがぼろぼろ目から出ちゃって、本当に心にこの漫画へのデッカいありがとうがポップアップしてどうしようもなくなったから、本当にどうしようないファンレターをここに書き殴る。本当にどうしようない書き殴りのファンレターだから何もかもめちゃくちゃだと思うけど勘弁してください。
普段ブログはやってないしTwitterだって情報収集するための鍵垢しか持ってないから世間にこのデッカいありがとうを発表する場所が本来なくて、でもこのデッカいありがとうを、誰かに伝えたいとかそういうんじゃなくて、ただただ世界のどこかに流さないと心がポップアップしたデッカいありがとうで破裂しそうだから、ここに放流する。
ナクヤムパンリエッタさんのことは元々すごく好きで、今まで出されてて買えるやつは全部買ってるしオモコロとかの漫画も何度も何度も読んだ。Twitterも舐めるように見てる。ナクヤムパンリエッタさんの言語化の仕方が本当に好き。言語化できないやつをパワーで言語化して、言語化してるのに読んでるこっちにくるのはそのパワーだからわかんないけどウワッ!!そうなんだ!!!って漫画に表現されてる色々が流れ込んでくる。漫画を読むという行為でありながらなんかもう感情体験(感情体験って何だ?)。そういうナクヤムパンリエッタさんの言語感覚が本当に好きで、今回の泥舟もまたそういうのを味わうんだろうなとドキドキバクバクソワソワで購入した。
そしたらサンプルの時点でもまぁわかってたんですけど、そこに言語化されてたのはいつも戦ってる〝アイツ〟じゃん。もうどうしようもなくなっちゃって奇声をあげながらボロボロになって泣いちゃった。
すごいんですよ。こう、心とか、脳味噌とか、世界とか、ぐちゃぐちゃになっちゃう時が、あるじゃないですか。そういう時のやつがさ、そういう言語化できないやつがさ、いつものナクヤムパンリエッタさんのパワーで言語化されて、そして私の中に流れ込んでくるのはそのパワーみたいな感じでブワーッって流れ込んでくる。もちろん自分とナクヤムパンリエッタさんのぐちゃぐちゃになっちゃった時の世界とか自分とかって全く同じってわけじゃないんだけど、でもいつも戦ってる、ヌボーってやってくる最悪なアイツが、全部だめになっちゃってぐちゃぐちゃになっちゃった時のあの世界が、そこにはあって。そういうぐちゃぐちゃを表現された時にこんなに気づいたらボロボロ泣いちゃうんだなって自分でもびっくりした。
なんていうか、救いだった。陳腐な表現だと思うけど。うまく言えないけど、やっぱり多分救いってやつなんだと思う。
世界が死推しになるという表現、本当に本当にそれで、そうかあれは世界が死推しになってたんだなってわかった。楽しいことも楽しみなこともいっぱいあって、やりたいゲームも読みたい本も漫画も観たい映画もいっぱいあって、そう、愛する美しい女性に顔向けできねぇのに、なのに世界が死推しになっちまう。死のう死のうって、死ななきゃいけないって。毒槍が刺してくるんだ。私は一番やられてた時は気づいたら駅のホームで落ちるギリギリだったり横断歩道で赤信号なのに足が勝手に進もうとしてハッと気づいてウォッてなったし、味もわかんなくて何でか玄米ブランだけ義務感で食べてでも味がわかんなくて美味しいとかなくてめそめそ泣いてた(そのせいで今は二度と玄米ブラン食べたくない)。漫画にあった通り、まさに世界に1人なんだなって音がなくて耳がキーンってした。そういう諸々が、泥舟鈍行死体蹴りが、本当に凄まじい言語感覚で言語化され、絵として文字として漫画としてそこにあった。
今はその時よりはずいぶんマシになったけど、でもまだふとした瞬間に心にアイツはやってくる。
ヌボーっとして、ベッタリした、いや〜なアイツが心臓の裏にベチャベチャくっついて離れてくれなくなる。心臓の裏にくっついてるもんだから、剥がしたいのに剥がせなくて(私は心臓の裏に手が届かないので)、エンエン泣き出したくて、でもベッタリしたアイツのせいで泣くこともできなくて、離れてくれ〜去ってくれ〜帰ってくれ〜頼むよ〜って祈りながら横たわるしかできない。
実を言うと『泥舟鈍行死体蹴り』を読む直前もかなりそんな感じだった。なーんか全部だめになっちゃった。
泣き出せもしなくてウェ〜ンってするだけだったけど、この漫画を読んでボロボロ泣いて、別にベッタリがサヨナラ!つってあっさり帰ってくれたわけじゃなくてアイツはまだはりついてやがるんだけど、でもボロボロ泣いたおかげで少しだけ息ができるようになった。その少しだけは本当に大きかった。今もボロボロ泣きながらこれを書いてる。
あのぐちゃぐちゃを、素晴らしい言語感覚で表現してくれて本当にありがとう。私にはこのデッカいありがとうをとにかくここに不器用に書き連ねることしかできないけど、でも、本当にありがとう。
この漫画を読めて本当に良かった。本当に、本当に。
さっきまでもう無理オバケと頑張らなきゃオバケが戦っててそれも辛かったけど、この漫画のおかげで、とりあえず、明日はもっとだめにならないようにおやすみしようって踏ん切りがついた。私にとってはそれだけでも本当にありがたかったです。明日っていうかこの文章一回泥舟じゃなくて泥船って書いて投稿してて後から気づいてだめだめな自分にモ〜〜!!!ってなっちゃって、嫌になって消して再投稿したのがこれで、だからもう今日なんだけど。そして再投稿にあたってもう一回読んでまたダバダバ泣いてた。
ぐで垣結衣ちゃん級にもう何もしたくない感じで帰ったらばたんきゅーだわ。
ぎりぎり面倒くさくないお湯を沸かすことさえも面倒くさい。
でもやっぱりお腹空いてるじゃない、
かろうじてストックのある袋ラーメンすらも作る気力なくめんどくささ満載でお送りするこの深夜いかがおすごしでしょうか?みたいな!
雪平鍋を構えてバッターボックスに立ち、
その店の一番最速のピッチングマシーンから放り投げられた時速190キロメートルの剛速球を
雪平鍋で、しかも雪平鍋でよ、
カッキーンってアルプススタンドにお見舞いする元気や気力すらもなく、
すでに雪平鍋を出してくるのも面倒くさいわ。
そんな面倒くさい最中、
食べる前に飲む!か否かそれは大正漢方胃腸薬のことじゃなくて、
やっぱりどうしてもプシュっとキメたい缶ビール。
1本だけにしちゃおうと思ったら、
私最近分かったんだけど、
これってなんか焼酎甲と乙の違いなのよね?
どちらがどっちか分からないけど、
本格焼酎とかってのが乙?
家でもやし山盛り茹でて盛ってのせればお家二郎できそうなんだけど、
もやしじゃないのよ涙はハッハーンって
というかお店が近くにないのよね。
まあそんなわけで飲んでも頭痛くないストロング酒避けをしてるのよ。
だから最近よくアルコール度数の表示をしっかり見るようにしてるわ。
よく分かんないけど6パーセントを超えないようにってのが目安ね!
そんなのんべーな話はどうでもいいのよ。
要はほどほどにって事よね自重するわ。
大五郎系よりもミリンを焼酎で割って飲む方がゼノンのパラドックスばりに何か人としてミリンだけにミリ単位で終わりに近づいてる感じがするけど、
やってみたい気もするわ。
うふふ。
草餅2つ頂いたので食べきれなかったから朝ご飯に回しちゃいました。
緑のお餅って私好きなのよねー。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
フィンランドの静かな子供たち
保育士は、多少の歓声はそのままにしておくが、耳をつんざくような大声は、「叫ばないで!Älä kilju(アラキリユ)」と言って止めさせている。長男が保育園に通い始めた時、初めてこう光景を見て驚いていたら、「ああいう声は嫌よねぇ、耳がキーンとなるもの」と保育士が眉をしかめて寄ってきた。近所迷惑を配慮してというより、一緒にいる保育士の耳に耐えない声を出すのはやめさせているらしい。
「子供はうるさいもの」という既成概念が共生を邪魔する?
日本の保育園建設の反対運動は、「子供はうるさいもの」という既成概念がベースになっているようだが、この問題を巡って、日本は今改めて子供達を取り巻く周囲の環境や、大人と子供の共存のありかたを考え直すチャンスを得たのではないだろうか。
子供は、その子らしく育っていくのが一番だ。ただ、子供はうるさくなくてはならないのか? うるさくしなくても、子供が楽しくできることは何だろうか? 保育園だけに限らず家庭でも、大人も子供も快適に暮らすために、ライフスタイルの見直してみることも有効かもしれない。