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はてなキーワード: 三人称とは

2022-01-15

カクヨム一人称作品ばっかで読みにくい

兄妹もの三人称作品(伝記風)な作品は無いもんか…

[] alleviate

意味対訳 軽くする、緩和する、楽にする

音節

al・leviate

発音記号・読み方

/əlíːvièɪt(米国英語), ʌˈli:vi:ˌeɪt(英国英語)/

フリガナ

アリービーエイト

alleviate

品詞ごとの意味や使い方

動詞 他動詞としての意味・使い方【語源】としての意味・使い方

alleviate

変形一覧

動詞: alleviating(現在分詞) alleviated(過去形) alleviated(過去分詞) alleviates(三人称単数現在)

alleviate

学習レベル

レベル10英検:1級以上の単語学校レベル大学院以上の水準

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研究社英和辞典での「alleviate」の意味

alleviate

音節al・leviate 発音記号・読み方/əlíːvièɪt/

動詞 他動詞

苦痛・苦悩を〉軽くする,緩和する,楽にする.

A cold compress often alleviates pain. 冷湿布をするとよく痛みがやわらぐ.

語源

後期ラテン語「軽減する」の意

英語他動詞一覧 「大学院以上の水準の他動詞」の一覧

出典元索引用語索引ランキングカテゴリ品詞索引

「alleviate」を含む例文一覧

該当件数 : 949件

例文

to alleviate a pain発音を聞く例文帳に追加

痛みを静める - EDR日英対訳辞書

to alleviate inflation発音を聞く例文帳に追加

インフレを緩和すること - EDR日英対訳辞書

This will be used as medicine and is hoped to alleviate fever.発音を聞く例文帳に追加

これは解熱作用を期待して薬として利用される。 - Weblio Email例文集

Nothing less than drastic measures are going to alleviate the depression.発音を聞く例文帳に追加

不況時に生なかの対策ではたいして役に立たない. - 研究社 新和英中辞典

It will greatly lighten [alleviate] our burden.発音を聞く例文帳に追加

そうなれば我々の負担も大いに軽減されることだろう. - 研究社 新和英中辞典

The Japanese designed houses with good ventilation to alleviate the summer heat.発音を聞く例文帳に追加

日本人は夏の暑さを緩和するために風通しのよい家を設計した. - 研究社 新和英中辞典

2022-01-11

ウマ娘ありがとう

アプリウマ娘がめちゃくちゃ流行たことで、元々女性向けジャンル二次創作活動していた絵師さんがウマ娘二次絵を描いてくれるようになった。

その結果、美少女コンテンツ好きの女ヲタである自分は予想以上に充実したヲタ生活を送ることができた。それもこれもウマ娘覇権コンテンツになってくれたおかげ。ありがとうウマ娘

元々、美少女コンテンツ男性向けジャンルなこともあって、必然的二次創作男性けが多い(単純にエッチなのが多いとかではなく、R指定なしでも男性Pや提督への好意描写が多いなど)。そして、自分はそういった描写でこれまではある程度満足していた。

だけど、女性絵師(=女性向けコンテンツ二次創作をしてきた人)が描くウマ娘を見て「私が求めていたのはこれだ…!」と分かってしまった。

具体的に衝撃を受けたのは下記のようや表現だ。

ウマ娘に今どきっぽい服装をさせたイラスト

 (メイドとかじゃなくて最近20代の子が本当に着てるような服。お洒落させたウマ娘かわいい。)

・女トレーナー×ウマ娘百合

 (女というのもいいけど、三人称視点好意を描かれているのが良い、男性向けの好意描写二人称視点?が多い気がする。)

ウマ娘同士のゆるめのストーリーマンガ

 (デフォルメだと他美少女コンテンツでもキャラ同士のマンガよく見るけどデフォルメじゃなくてその上ギャグでもないのが新鮮)

自分女性向けイケメンコンテンツはあまりハマらなくて他の女ヲタ腐女子の人とは相容れないのかなとこれまでは思っていたのだかど、そんなことなかった。

対象が違うだけでさせたい方向性(?)、根っこの部分は同じで、むしろ自分はめちゃくちゃ“女”なんだなと思ってしまった。

とはいえ美少女コンテンツがこんなに色んな層に普及するのは今後ないだろうなとは思う。これからは、自分自分の欲しいものを描けるように頑張りたい。

2021-12-02

anond:20211201182300

分かる。人を操作するゲームなら操作キャラ視点ゲームする必要はない。人にとりついてる妖精視点ゲームしたい。なんなら一人称視点じゃなくて三人称視点でもいい。ジュゲムカメラ視点VRゲームしたい。通常の三人称視点ゲームVRでできればいいのだが。なお世界を2回(位置向き情報を取得した上で)描画する必要があるので、酔わない絵にするためにはマシンVRゴーグルスペックが神のように必要

2021-11-22

anond:20211121133914

どうも童貞猿です。ここに男女の性行為に至るまでの道程の軽重が示されたわけです(韻を踏んだりして。陰だけにw)。「袋とじ」を開こうと思ったら開けるあなた方に、袋とじを開けない私の気持ちは一生分からないでしょう。袋とじとはセックスのことです。

袋とじを開けようと思ったらすぐに開けられるあなた方には、その中身に執心する私達の気持ち永遠にわかりません。

くだんの増田達ではない「アイツラ」をここから二人称しますが、そうして性を一生裏でこっそりやっといて公にしない悪いものにし続けてください。愛する人セックスしろ、それ以外は悪だ、性搾取だ云々言って、そのくせコッソリやっておいて、我々の欲求無視し続けて俺を猿だと罵ってください。こんな記事の『些事』であるセックスを殊更とりあげてそんなに針小棒大にがなりたてる猿だと罵ってください。私は罵られることには未だ慣れてはいませんが、あなたがたの愚かしさ、男の性慾を汚らわしい隠すべきものとするその態度をいつか真に理論的な論客断罪し、あなたがたが「真の反省」をするまで追い込まれ続けて自分が間違っていたと頭を地面にこすりつける未来への期待だけを糧として耐えます。どうぞ他力本願自分欲求だけ述べるクソザルだと罵ってください。弱者たる私を救世してくれる存在を私は待ちわびています

今のこの世は地獄だ。女とセックスに執心しない男が全て決めて、俺は犯罪者予備軍として排除される。しか排除してることを認めず、アイツラ(三人称に戻します)は正義だと思い込みそう喧伝している。俺は俺の欲求が正しいものでないと「教育」され、緩やかに去勢」される。それが正しいことであるから

今日も俺よりもアクションパラメータのある「猿」ネットや道端で「こん!」と連呼し、こういう「袋とじ開けてみよっかな」という気まぐれな餌を砂漠の中から見つけ出す活動をこなしている。そうして産まれ不快感を基にした攻撃は俺が受ける。俺は行動してないんだから名指しには当然されないけど、その言説の二言目には結局「俺」の性欲を悪と言っているのでなければ説明できないような攻撃の仕方なのである

今のこの世は地獄だ。なんの恩恵も受けることなく、地獄だけ享受する。

オマエラが全員俺とともに地獄に落ちて悠久の時を苦しみの中で転生の順番待ちだけを頼りに過ごすようになりますように。オマエラが地獄で苦しむなら、俺は横で甘美な痛みを得ることができる。この痛みをオマエラを得てるんだな!と。場所が遠いかもしれないから、そのときZoomで共有しようぜ。もちろんカメラはオンにしてくれよ。地獄Zoom管理者カメラオン必須にしてもらうか。

2021-11-16

anond:20211116114622

1例目は英語でもフランス語でもスペイン語でも韓国語でもある表現から慣れの問題だよなー

2例目の三人称での語り分けはふつう世界中にあるでしょ

2021-09-08

単なる虚構創作嘘松は難しさの方向が違う

フィクションフィクションとして楽しませる普通小説とかなら有り得ないことを書こうが面白ければそれでいい。

例:クソデカ羅生門

一方、嘘を本当にあったことして書く場合には、有り得ないことが書かれてる箇所って萎える要素でしかない。

たとえばもしも半沢直樹小説として発表されるのではなく、主人公視点に置いた自分語り形式※に書き換えて「俺の身に起こったこと」という体で増田に発表しても全く伸びないだろう。実際の大企業不正融資から倍返しみたいな劇場型犯罪もびっくりな華麗なことはまず起きないから。

社会人としての経験に照らせば「嘘松」とブコメを残すにも値しない。したがってホッテントリに入らない。伸びない。

伸びて燃える嘘松を量産するには真偽が微妙賛否両論を巻き起こしはてな村住民に同士討ちを起こさせるようなものでなければならないのだ。

そういうなさそうでありそうなことを書いていくためにはある程度社会に揉まれ必要があると思う。でないとたちまち露骨虚構を書いてしまってボロが出るだろう。

ようするに、以前そこそこバズった増田にあった「たしかに俺は、父親はごく普通石油王母親はごく普通CEOという平凡な家庭に生まれMIT主席卒業し~」みたいなバズりそうな言葉を単純に記号のように並べただけみたいなものは駄目なのだ人生経験か発想力のいずれかが薄っぺらい人という事実ばかりが透けて見えるから

主人公以外の人間の会話文の主人公を指す認証増田に変えて、地の文主人公三人称的に指してる箇所を一人称に書き換えるようなことを言っているのだが、なんかそういう意味を端的に表す言葉があった気がするけど忘れた

2021-08-29

異世界転移

定義

A:主人公(※1)の元々の出身地(※2)が地球(※3)である

B:主人公地球から異世界(※4)に移動(※5)する展開を物語の中に含む。

AかつBを満たす時、異世界転移であるという。

※1:一人称描写場合視点人物三人称描写場合描写基準点に最も多く位置する人物をいう。複数人該当しうる場合はそのいずれかがABを満たせばよいものとする。

※2:設定上の本来の生誕地ではなく、該当人物の物語初期の記憶認識における出身地とする。

※3:固有名詞が異なるなど厳密には地球ではなくとも、地理生態系文化行動様式地球と極めて近似しており、かつ作中で地球として描かれている舞台はこれに含む。

※4:地球から、その作中地球において科学的に解明・確立している手段のみでは、到達・交信認識することのできない地点をいう。(この定義では、時系列のみの移動も当然含むことになる)

※5:物理的に同一体でなくとも、地球で不在となった者と異世界に新たに出現した者の記憶人格自己認識(いわゆる魂)が同一であれば、移動とみなす。(この定義では、転生も当然含むことになる)

【類例】

作品地球ナルニア国は一見ワードローブで地続きの移動をしたかのようだが、限られた人物が限られたタイミングしか移動できないことやナルニア国側にワードローブがないことから、作中地球において科学的に解明された手段での移動とは言えない。

設定上、魔法世界地球上にあるものとされるが、地理生態系文化行動様式現実地球と明白に異なることから※2の定義上の地球に当てはまらない。

また地球から魔法世界への移動手段は、地下鉄の壁をすり抜ける、魔法世界乗り物を用いる等特殊手段しか存在せず、作中地球において科学的に解明された手段での到達・交信認識はできない。よって魔法世界定義上の異世界にあてはまる。

ドラえもん主人公資格があるが、ドラえもん未来から過去への移動は、未来地球地球定義に当てはまらないこと、および、未来地球においては時間移動が科学的に確立した技術であることから異世界転移には当てはまらない。

しかし、同じく主人公資格を持つのび太にとっては地球地球定義に当てはまり、かつ、この地球においては時間移動が科学的に解明・確立した手段でない。

したがってのび太が移動する過去地球は「作中地球において科学的に解明・確立している手段のみでの到達・交信認識可能ではない地点」で異世界になり、そこへ移動するので異世界転移となる。

デジタルワールドは作中地球におけるデジタルデータの集積した世界であるものの、地球とは異なる世界として描写され、地球からデジタルワールド認識できる者もいない。

子供たちの移動も非科学的な手段によってのみ行われ、デジタルワールドからデジモン一方的な移動はあるものの、逆に子供たちが任意デジタルワールドへ移動できる手段確立されてない。よってデジタルワールド定義上の異世界にあてはまる。

作中における描写の重みが犬夜叉とかごめでほぼ同等であること、両者ともたびたび視点人物となることから主人公犬夜叉とかごめの二人と解すべきである

したがって主人公の一人であるかごめが異世界へ行き来することから異世界転移である

舞台過去地球であるが、過去地球に対して科学的に解明・確立している手段での移動はできないことから定義上の異世界に当てはまる。

井戸に飛び込むと言う動作自体一見物理であるけれども物理的とは言えないというのは、ナルニア国ものがたりの注記と同じ理屈であり、以後このタイプの(歩くなどの一見物理的な動作による移動であっても精査すれば物理的な移動とは言えないという)注記はいちいち書かないものとさせていただく。

視点人物をとることや描写の重み、物語上の言動重要度、公式見解などから坂井悠二シャナと並ぶ主人公とみなすことができる。

坂井悠二の来歴には複雑な要素があるものの、物語初期における彼自身認識では出身地地球である

物語最終盤において、主人公の一人かつ地球出身である坂井悠二異世界である『無何有鏡』へ移動することから定義上の異世界転移物にあてはまる。

現代地球出身である主人公ツナが10年バズーカにより10年後の世界を訪れる展開がある。

10年バズーカはボヴィーノファミリー秘伝の兵器で、他に使用している者もおらず、作中の現代地球において科学的に確立された手段とは言えない。そのためこれは異世界転移である

石化した状態での時間経過による移動をどう捉えるかが争点になるが、物理的に可能なのは時間経過のみで、人間を生きたまま石化すること、元の人格を保ち生きたまま復活することは物理的に可能手段とはいえない。

移動の定義が肉体自体の移動よりも魂の移動を重視している以上、これは過去から未来への移動と呼ぶことができる。

また物語上、石化装置が実は科学的な装置であって、この方法による未来への移動が物理的に可能現象であることが解明されたとしても、それは過去地球においては解明されていなかったものであるため、異世界転移定義に関わるものではない。

など

定義から外れる例】

最初舞台地球を模したワールドマップではあるものの、細部の地理がかなり異なっており、モンスター跋扈するなど生態系も相当異なり、トポロジー的にもトーラスであって球形である地球とは相容れない。

従って終盤のアレフガルドへの移動が地球から異世界への移動とは言えず、異世界転移物には当てはまらない。

ティーダの元居た場所地球ではない。

エンテ・イスラ魔界は設定上、地球と同宇宙存在する別の星ということだが、物理的には遙かな距離があることが示唆されており、実質的にはゲートの魔法によってしか移動ができないため、定義上は異世界に当てはめてもよい。

しかし移動方向が異世界から地球で逆である

魔王地球から異世界に戻る展開もあるものの、魔王出身地魔界であるため定義に当てはめることができない。

仮に千穂が今後相当の物語上の働きをもって主人公定義に当てはまるようになり、かつエンテ・イスラへ移動する展開があればこの作品異世界転移物となる。

元の舞台となっている遠未来地球地球定義に当てはまらない。かつ、仮想空間への移動法が、作中地球において科学的に確立されていない方法というには疑いがある。

やや議論余地がある。本作の主人公Wikipediaでは壱原侑子とされているが※1の定義に当てはまるのは四月一日君尋のみで侑子は当てはまらないと考えられる。

仮に侑子が主人公であった場合彼女異世界へ渡る展開が僅かにあるため異世界転移…と言えるか?

侑子の出身地球であるのかも怪しいし、異世界へ渡る展開がほんの僅かに差しまれただけで、そのシーンが描かれておらず、物語に含むとは言えないように思う。そのためどのみち異世界転移物ではない。

非常に難しい。

最初に登場する四人(小狼サクラ、黒鋼、ファイ)はいずれも地球出身でない。黒鋼の出身である日本国地球と大きく異なっており定義上の地球に当てはめることはできない。

したがってこの四人が一度地球を経由して異世界へ移動したからといって異世界転移とは呼べない。ここまではよい。

問題は中盤から登場するもう一人の小狼である。彼は確かに主人公と呼べる。そして出身地球である

しかし肝心のその地球から異世界へ移動するシーンが作中時間軸にはなく、物語開始前の事象にあたる。しかもそのことが明かされるのも終盤である。これでは異世界転移物語に含むとは言えない気がする。したがって類例には入らない。

2021-08-28

https://anond.hatelabo.jp/20210827074923

人称と視点別になることもあって、たとえば「走れメロス」は、メロス激怒した…、と三人称で書かれているけれど視点最初から最後までメロスなので一人称で書かれているのと同じ。

メロス一人称で書くと、我輩は激怒した。名前メロス。みたいになるかな。

一人称視点が変わる作品としては「こころ」が前半と後半で違う語り手になり、後半では先生内面が語られる。

浦島太郎」はメロスと同じで三人称だけど完全な浦島視点だけど、「桃太郎」は最初桃太郎以外の視点が入る。異世界召還でも浦島タイプ桃太郎タイプが使える。

2021-08-27

anond:20210827202730

市販されている多くの小説採用されている視点で、

地の文(会話文でない文)の記述方法一種です。

まず、「三人称」の部分は文字どおりですね。

彼や彼女人名など、三人称主語にした文です。

主語は、特定人物限定する必要はありません。

問題は「視点」です。一元視点に限った話ではなく、

「1つの節で内面描写できる人数」によって分かれます

0人なら客観視点カメラ視点、2人以上なら神の視点

そして一元視点は、1人に限定するというものです。

たとえば、次のような文があるとします。

-------

おはよう

彼は眠気をこらえながら言った。彼女おかしそうに笑いながら応じる。

おはよう。眠そうだね」

-------

「眠気をこらえながら」は「彼」の内面です。

他方、「おかしそうに」は内面ではありません。

あくまで、「外からはそう見える」だけですよね。

から、これは一元視点だと判断できます

では、今度はどうでしょう

-------

おはよう

彼は眠気をこらえながら言った。彼女はその表情を面白く思いつつ、

おはよう。眠そうだね」

-------

今度は、「彼女」の内面も入っていますよね。

これが神の視点(多元視点とも)と呼ばれる視点です。

最後客観視点(カメラ視点)ですが、

-------

おはよう

彼は眠そうに目をこすりながら言った。彼女おかしそうに笑いながら応じる。

おはよう。眠そうだね」

-------

2人とも、内面を直接描写はしていません。

ただ、この視点が用いられた作品は非常に少なく、

私が知る限りライトノベルの『キノの旅』くらいです。

(厳密には、一部ほかの視点記述された短編もある)

また、神の視点にもいくつかレベルがあります

狭い神の視点上記のとおりですが、広くなれば、

未来から遡っての記述」や「作者の視点」も入ります

未来からというのは、日記のような形式でもないのに、

「このときの彼には知る由もなかったが……」などと、

あとになって発覚した事実がいきなり入るケースです。

一元視点による記述でも、しばしば用いられます

細かく見ていけば、まだ細分化できる部分もありますが、

大枠としては上記のように捉えておけば良いでしょう。

私はこれまで、不都合を感じたことはありませんし。

anond:20210827074923

三人称一元視点の話って最近出てきたの?

小説書いてる身だから読書趣味だけど一度も読んだことないな

たとえばどんな作品?読みたいから教えて欲しい

初めて小説を書くなら一話ごとに一人称三人称か決めとけ

物書きが初めての奴は一人称視点三人称視点がごちゃごちゃになる傾向がある

原因は三人称一元視点というハイブリッドくんだ

この三人称一元視点というヤツは商業作品でもかなり使われている物であり、まあ簡単に言うと一人称主観三人称客観を瞬時に入れ換えて、読者を物語へと馴染み易くする手段

一人称三人称の良いとこどりと言えば聞こえはいいが、この視点マジで滅茶苦茶難しい

視点の変更が急に行われるので、変更元の人物の特徴が読者に明確に示されていなければただただ違和感を感じるだけだし、乱用すればどの視点を軸にしているのか理解不能になり小説構成のものが崩れさってしま

無謀にもこの視点を初めての小説に用いる奴は多い

書きやすく思えるのかもしれないが、決してお勧めできるようなもんではないぞ




ちなみにぃ…そんな問題を全て払拭できる二人称っていう最強の視点があるんすけどぉ…

2021-08-22

anond:20210820123355

>ただ、純粋に怠け者で、性格が悪く、無能で、人とコミュニケーションを正しく取れない人間だ。

 

努力が報われるのが嫌だ。

>人の気持ちを考えられない人間が叩きのめされるのが嫌だ。

不正する人間が当然のように罰せられるのが嫌だ。

 

>私は立ち上がる気もないし、他人幸せにする気もないし、やって当然のことをめんどくさいという理由だけでやらない。

 

>みみっちい嫌な人間が、みみっちい嫌な人間のまま、救われて欲しい。

>不徳が不徳のまま肯定されて欲しい。

 

なろうを読めばいいよ。

別に特殊な条件設定で検索する必要すらない。

日間・週間・月間・年間・累計のランキング上位を読めばいい。

 

なろうで受けている代物の九割九分くらいにおいて、主人公あなたの言う「嫌な人間」だ。

そんな輩が、異世界転生の際に神様からチートをもらうとか、特殊スキルを手に入れるとか、とにかく何か棚ぼた的にすごい力を手にする。

周囲のあらゆる存在が「噛んでこないアリ」程度にしか感じなくなるくらいの圧倒的な力だ。

で、それを得た主人公は……別に何もしない。強大な悪に立ち向かうとか、困っている他人を助けるとか、力に伴う責任を果たすとか、考えない。

ただ周りに流されて、力の一端を時折披露してしまい、それを見たヒロインどもや取り巻き連中からすごいすごいとおだてられるだけ。

力に群がる現金な(作中では描かれないけど、客観的にはそうとしか見えない)ヒロインたちを拒むのも面倒だからハーレムになる。

 

そんな「嫌な」主人公が、精神的には何一つ成長せず、自身省みることもせず、もちろん自己変革もしないまま、作中では何も咎められない。

ヒロインズと太鼓持ち連中は徹底的に主人公をヨイショする。「敵」は主人公批判することもあるけれど、当然アリが踏みつぶされるように扱われる。

さらにすごいのだと、三人称地の文まで一緒になって主人公を持ち上げる。「主人公ちゃんは何も悪くないよー、いけないのは全部他の奴らなの」と言わんばかり。

これは、たぶんあなたの求めるものに近いのではないだろうか。

 

あなたのように考える人は意外と多くて、そんな読者たちがなろうの興隆を支えているんだろうね。

2021-08-03

2DVRの併用によるNTR効果に関する考察

私には毎日仲良くセックスする相手がいます

高杉麻里ちゃんていうんですけど。

の子AV女優さんで、VR作品にも多数出演しており、私は毎日のようにVRゴーグルを装着して麻里ちゃんとのアバンチュールを楽しんでいます

麻里ちゃんは親密さの演技がとてもたくみで、まるで本物の恋人がそこにいるような気分になれます

大好きな女の子が目の前にいる、その子自分を好いてくれていることがわかる、そんな幸福感とともに脳内身体のいろいろな場所に何かがジュワァっと分泌されていくのがわかります

 

私はVRゴーグルの中で麻里ちゃんと知り合い、VRゴーグルの中でしか麻里ちゃんとは会ったことがありませんでした。

ある日私はなんの気なしに「通常(2D作品の麻里ちゃんも見てみよう」と思いました。出来心でした。

 

そこでは、麻里ちゃんが知らない男に犯されていました。

複数の男たちに、かわるがわる。

 

VR作品一人称視点ですが、通常作品三人称視点なのです。つまり女優男優といたしているのをユーザ見学するスタイルです。

麻里ちゃん愉悦の表情を浮かべ、うれしそうに一人ひとりの男性奉仕し、乱れ、悶えていました。

私のそれは嫉妬に猛り狂いました。

抜ける。これは抜ける

2021-07-24

anond:20210723232937

追記

 地の文主人公一人称モノローグ形式物語で、主人公内面と作者による主人公性格設定・他の登場人物から主人公に対する人物評価が解離していることの何が悪いのか、ということについて追記

 これは地の文主人公の真の性格が出ているというよりは、おそらく作者の主観視点)が混ざっている。それが良くない。主人公視点物語を書くならば、あくま主人公から見た世界を書くべきだと私は思う。それは外の世界だけでなく主人公本人の内面世界を描くとき主人公の目から見た内面を描くべきだということ。

 気立てのよくて親切で気の利く人間が、内心では物事他人言動を斜に構えた目で見て一々底意地の悪いジャッジをするだろうか? まあ、現実にはそういう人もいるかもしれないし、そういう人物像を狙って書いているならばそれはそれで構わないのだが、そうではなく、ただ視点というものに関して注意が足りないゆえに無自覚やらかしている失敗であることが多い。

 その斜に構えた視線、というのが誰のものなのかといえば、主人公ではなく作者のものである俯瞰的視点人間関係をシニカルに観察することは、今現在渦中にいる人間主人公)にはなかなかできない芸当だ。そういう、神の視点ともいうべき視点物語を書きたいのならば、いくら書きやすくても主人公一人称文で書くのはよして、三人称で書くべきだ。

 でも、三人称文ってなんか偉そうな感じがするから文章に親しみを持たせたくて、一人称で書いちゃうんだろうな。

 それでも一人称で書きたいならどうすればいいのかというと、物語過去のものとして、主人公が当時を振り返るかたちで書けばいいのだ。その場合、当時の自分現在自分で、そのとき起きた物事他人言動に対する感想が違ってくる。要は当時の自分と今の自分という二つの視点が入るという難しさがあるけれど、冷静な目で当時のことを分析できるという利点がある。

 また、当時の自分と今の自分地の文)の雰囲気が違っていても、おかしくはない。過去自分もっと世界ピュアな目で見ていたが、人生経験を積んだ今となってはだいぶ皮肉的な目線世界を見るようになった、というのはあり得る。

2021-07-04

YOASOBI 「Into the night」英訳について友人と話してみた。

YOASOBI「Into the night」はご存知でしょうか?

「夜に駆ける」の英訳バージョンとして発表されたこ楽曲、まずはとりあえず日本語バージョンから聴いてみてください。そのあと英語バージョンへ。

日本語バージョン

https://youtu.be/x8VYWazR5mE

日本語歌詞

https://www.uta-net.com/song/284748/

英語バージョン

https://youtu.be/b3K61cQ8_fg

英語歌詞

https://www.uta-net.com/song/304176/

そう、この楽曲、「日本語発音英語を当てはめながら英訳としても意味を成している」んですね。

この英訳の音の当てはめ方。聴いた瞬間にもう膝を打ってしまったわけですが、英語の成績はそこまで良くなかった私では英訳の上手さを十分に理解しきれない、よりこの英訳について掘り下げたい!と思い、英語が堪能な友人と少しTwitterDMで話し合ってみました。

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自分日本在住。英語は多少の理解、会話が可能。(簡単な道案内ができる程度)

文法はなどはあまり理解しておらず、ノリと勢いで会話を乗り切る人間

英会話で困った時は「幼稚園の子供に話すようにしゃべって!」と言って苦笑いされるタイプ

友人…英国在住。英語話者パートナーを持つ。学生時代から成績優秀。語学に堪能であり、大学では談話分析などに触れる。

私たち高校の頃の友人。

最近ではTwitterでゆるく繋がっているくらいの距離感であり、一対一で会話のやりとりをするのは数年ぶりでした。

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自分

急な連絡ごめんなさい!

ちょっと気になったことを聞いてみたくて英語に堪能なあなたにご連絡した次第です。

暇なときにふわっとなんか返してくれると嬉しいな!

(変な宗教押し売りとかじゃないか安心してね…笑)

日本最近有名なアーティストさんが、もともと日本語の曲を全部英訳して英語バージョンを出したのね。

聞くとわかるかと思うけど「日本語発音英語バージョンでも織り交ぜて似た響き」にしてるんだよね。

日: 沈むように溶けていくように

英: Seize a move, you're on me, falling, and we were dissolving.

みたいな。

自分は聞いたとき、うわっ、日本語への音の一致が巧みすぎるな!と感動したんだけどふと疑問に思って。

これって英訳としてちゃん意味を成した歌詞になってるのかな?

簡単英文なら読めるけど詳しい文法かになるとてんでダメから詳しい方の分析を聞いてみたい!っていう、ほんとただ趣味質問でした。

____________________

友人

そんな気にせんでも、こういうご連絡は全然構いません!

しろ大歓迎!

YOASOBIのこの曲はギリ知ってますよー。

ただ、英語バージョンが出てるのは知らんかったわ。

おっしゃる通り、原曲で強めに発音する部分と

耳に残りやすい語尾は完全に一致されるように作られてると思う。

(例えば「沈むように」「騒がしい」とか)

意味はほぼ完全に一致してるけど、

日本語の音に合わせるために正規英文から外れたり、

まり日常的には聞かないような文章の作り方をしてる部分があるかな

例えば、サビのSaw what got seen hid beneath, and louder nights keep beatingは、

「騒がしい日々に笑えない君に」を指してるけど

日本語では騒がしい日々という一つの句になってる部分が、louder nights keep beatingが英詞一つの文に落とし込んでたり。

Saw what got seen hid beneathは本来英文法だったら、(I) saw what (I) got seen (is) hid(den) beneath.

意味も「僕は見たもの( i.e. 君)が影に隠してるのを見た」だしね。

ただ、それは普通洋楽にもあることだから

それが完全に変とは言えないけどね。

よく聞きそうな例だと、冠詞のaとかtheをすっ飛ばしたり、

Be動詞を全部ain’tに変えたりとか、

三人称単数のhasになるところをhaveにしてみたりとかさ。

あと、英語はどうしても主語ありきなところと、1拍に一音以上乗せられるから※、

新たな情景が多少追加されてる部分があるかな

具体的にはAメロのSeize a move, you’re on meは

直訳は「動きを止めて、君は僕にいる ( = コントロール下にいるイメージ)」は

冒頭の歌詞とはあんまり重ならないし、

サビのI’m going to you歌い手の「僕」が「君」に近づいてっちゃってるプラス

You could run with meとか更に逃げ道の選択肢を与えてる気がするかな。

※ 一拍に一音以上乗せられるってちょっと意味不明だから

解説すると・・・

猫を英語で言った時に、自然英語だとcatで、一拍だけど、

日本語発音でcatを言ったら、キャ-ット (kya-tto)で二拍必要になる

→ 同じメロディ・拍数があっても載せられる情報量が変わってくる。

____________________

自分

こういうのを待ってた!!!

めちゃくちゃに勉強になる〜、一拍に一音の説明もわかりやすい…最高…。

意味はほぼ一致してるという点は自分もそう読み取ってたから合っててよかった〜情景の描写とかは割と忠実だよね。

自分が引っかかってたのは

英訳の方が歌詞主観者が能動的」だなぁって若干感じていたんだよね。(意味伝わるかな…)

歌詞主観は「僕.I」で、相手に「君.you」がいる。

わかりやすい点として、ラストフレーズ

「二人今、夜に駆け出していく」

が、二人と描写されてるからここだけ第三者目線で描かれて「僕」から離れているのに対して英訳では

you and me are running through the night in the dark, I'll take you

となって、視点が「僕」から変わらないままである。なおかつただ駆け出すだけでなくI'll take you.つまり「僕が君を連れ出す」と能動的に動いている。

この辺りの視点の違いになんとなく不思議感覚を覚えたので今回質問に至ったんだよね。

でも「英語主語ありき」という説明でめちゃくちゃに腑に落ちた!

英語だと音を詰められるから歌詞を追加する必要があるのと主語をハッキリさせる必要があったために、そこで新たな描写が増えていて「僕」の主観がより顕著になっていたと!!

そういう解釈…であってるよね?

いやこれめちゃくちゃ楽しいわ、こんな楽しい会話ができる素敵な方、君しかいないわ〜!!本当に付き合ってくれてありがとう!!

あと主語ありきの話で言うと、よくよく考えると日本語だと少なくとも歌詞世界の中では君と僕性別は設定されてない(想定されているかもしれないが明言はされていない)のに対して英語版だとSheと少なくとも「君=女性」と確定しているのもなんとも言語の特徴が表れてるな〜って感じました。

なんかもうちょっと情緒というか、三人称性別の明確性を持たない言葉があればいいのにね〜ってちょっとだけ思った、蛇足だけど。

____________________

友人

そうだね、多分能動的だなって感じるのは、

英訳版が主語が明確じゃない部分でさえも主語を明示的にしてるのと、

拍の量と文化的に「僕」の描写を若干足してるからだと思うんだ。

というのも追加された「僕」の描写純粋日本語の訳を考えたときに、

日本語的には全くぼかしてても問題ないけど、

英語に直した時にやっぱり誰の話?というか

誰が動いてるのかが顕著に足りない気がするんだよね。

君のいう通り、

歌詞に「二人」という表現がいくつも出てきて、僕と君から視点が離れてるけど、

日本語では感覚的と前後文章君と僕 (you and me)の話をしてることがすぐに分かるじゃない?

でも、そのまま日本語英語に起こしたとき

英語だと both of them, both of you, two people, both of us, theyとか選択出てくると思うのよ。

でも現実的にboth of them, both of you, two people, theyは、

この場合の「二人」の代わりにはならないし、

both of usの時点で僕と君の視点から離れられない。

で、ご指摘のyou and me are running ~は言葉を顕著に受け取ると、

すでに夜の中を走ってるわけだから

I’ll take you”を入れることで「駆け出し」感? 今始まる感を演出してると思う。

駆け出すきっかけを作ってるのは僕だし、主語ないと今から始まる感が今ひとつになる気がする。

あと、蛇足の君がsheになってるのは、やっぱり主語抜きにできないし、

無理くり主語抜きにして、受動態とか使うと情景がボケるからでは?

最近はLGBTQ+の台頭によって、

性別による三人称単数の使い分けに対して問題提議されてて、

theyを三人称単数でも使われることも出てきたのね。

(sheでもheでもないノンバイナリーの方もしくは性別が分からない人等場合はthey)

でも、まだまだメインストリームな使い方じゃないし、

ここでtheyが使われたりしたら、きっとどこか”LGBTQ+”を意識してると思われそうよね。

こちらこそ、面白いお話に巻き込んでくれてありがとう

一瞬大学談話分析とか思い出しちゃったけどw、すごく楽しかった!

____________________





数年ぶりの対話でここまで付き合ってくれる友人神かよ…。

そんなこんなで久しぶりの会話が割と弾んでしまい、なんだかもっとたくさんの意見を聞いてみたい!と思い今回投稿をしてみた次第です。

YOASOBI「Into the night」を聴いて、皆さんはどんなことを考えましたか

個人的にもう少し掘り下げてみたいな〜って感じているのは、

・「日本語らしさ」とは何か?(発音をどこまで崩しても「日本語」として認識されるか?)

という点ですね。

似たような試みをしたのは

COLTEMONIKHA「そらとぶひかり

https://music.apple.com/jp/album/%E3%81%9D%E3%82%89%E3%81%A8%E3%81%B6%E3%81%B2%E3%81%8B%E3%82%8A/156222405?i=156222589

岡崎体育Natural Lips

https://music.apple.com/jp/album/natural-lips/1538259833?i=1538259836

あたりかと思いますが、なんか言語学に詳しい方いらっしゃったらご教示頂けたら幸いです。

長文ご覧頂き誠にありがとうございました。

2021-06-30

病気なら病院行ってみるけど

幼少期はそんなこともなかったんだろうが、高校生ぐらいか自分自分だと思えない。

というかそれまでも何かを考えて行動していた記憶はないし、今も何も考えてない。

なんつーかずっと三人称視点生活している感じ。

自分のしたこやすることに全く興味が持てないし、何もやる気が起きない。

責任逃れ?

これなんかの病気

2021-06-23

「まずい文章は読まない」というセレブの発想に垣間見る村上春樹冷た

村上春樹の例の発言にずっと違和感を覚えていた。

最初に言っておくべきだが、私は村上春樹の熱心なファンである

スプートニクの恋人以降、発売された長編は発売日に買って読んでいるし、短編も購入するようにしている。

だが、最近なんか違うなと思ってきた。最新の三人称単数に関しては、内容のつまらなさ自体一種文学的仕掛けなのかと勘ぐってしまったくらいだ。

それで例の発言だ。

誰もまずいもの健康に悪いものは食べたくないし、読みたくない。

言うまでもないがSNSは不味いどころか、モノによっては有害でさえある。

だが、育った環境経済状況によってはまずいものしか身の回りにないという場合も充分にある。

善し悪しの判断基準を持たないということも充分にありえる。

そういう人に本物を届けるのも作家役割だと思うのだが、村上春樹視点からはそういう「市民」が欠落しているように見える。

誰もがクラシックを聴いて批評したり、ジャガーに乗ったり、ボストンマラソンを走れたり、アイルランドウィスキーを飲めるわけではない。

例の発言は、読者のQAに答えた形の内容なので、恐らく本人は「個人的には〜〜だと思います。なぜなら〜〜だからです。ですが、別にSNS日常的に利用している人に含むところはありません」

という気持ちで書いたのだろう。

とはいえ村上春樹視野なかにストゼロを飲みながらふわっちを見ている人はいない。

村上春樹はかつて、「全体小説を書きたい」と言っていた。彼の「全体」のなかに、ストゼロとふわっちは含まれないのか。

文学とは、42歳の派遣社員お見合いパーティーで3回連続で誰ともカップル成立しなかった時に、心の支えとなるようなものではないのか。

今の村上春樹スノッブでさえない。冷酷なのだパンがない人のことを想像もしていないのだ。

2021-06-17

三島由紀夫vs東大全共闘感想

ツイートではなくて、こうちゃんとした一つの感想文?としてまとめようとすると前置きとかいい感じのまとめとか必要で、いきなり書きたいところだけ書くわけにはいかず大変だった。あと携帯で長文書くの疲れる。みんなどうやって長い文書いてんだ。そんなわけで構成が雑で尻切れトンボ気味ですが許してください。ほんとひどい文章なのでいたたまれなくなったら消しま

東大全共闘三島の討論のドキュメンタリーを見て三島に強く共感したという話をする。内容の細かい解説はしない。プライムビデオにあったんで見てください。youtubeTBSが上げてるやつはもっとコンパクト

まず、三島議論の冒頭からいきなり始める「エロティシズム」について共有しておきたい。これはサルトルのいう「猥褻」という概念から引っ張ってきたもので、いわゆる一般的性的衝動というよりも衰弱したもの無気力ものを指している。他者オブジェとして捉え、他者予測不可能であること、操作不可能であること、転じて「人間であること」を認めない態度。

文脈的に良いかいかといえば今回は悪いものとして使われてる言葉

他者物体視するエロティシズムというのは、自と他が関係している状態とは違う。関係に入るということはすなわちそこに対立があり闘いがあるということ」と、三島はこの猥褻さを批判しており、暴力にはむしろ人間的な関係性がある、と学生共感ポーズを見せる。議論の出だしにこう語ることで私は君らを頭ごなしに批判しにきたんじゃないよと言いたいのだ。

つづけて、そのようにエロティシズムを批判しつつも三島は「かつては小説家としてただエロティックにの世界と関わろうと願っていた」と言う。

この部分を聞いて、それがまさにいま自分(筆者)がいる次元なのだと気づいた。

振り返ってみるとどうも自分は人と関係するということにいい思い出がなく、関係が強いものであればあるほどその相手といるとき自分が「本来自分」でない気がしてしまう。(実際、関係から開放されると安らぎを感じる) そして世界コントロール不可能であることも常にストレスだ。電車ダイヤじゃなくて自分の都合に合わせて走ってほしい、映画自分の見たい時間に始まってほしい、人の生活音が鳴るときはまず断りを入れてほしい。自分のこうしたストレス根底にあるのは「自分世界フィットしていない」ことを見せつけられることへの恐怖だ。

エロティシズムとは違う気がするが、似たような傾向自覚されてないだけで多くの人間が共有するものだ。(エロティシズム以外の名前を当てようとしばらく考えたけど思いつかなかった)

インターネットを見ていると昨今は「思想トレンド化」が激しく、日々流行りの服を着替えるように思想トレンドを着替えて「遅れたことを言っている人」にならないよう皆必死こいている(一年前まで「男女間に友情はありえない」としたり顔で言っていた人間が今年はしれっとLGBTQを擁護するツイートリツイートしている、みたいなのを何回も見た。もう少し意地張れよ、そんなんだから差別主義者に思想の借り物感を見抜かれるんだよ、と思う)。

つまるところこれは自分の「主観」に落ち着くことへの恐れであり、世界三人称で見たいという欲求とも言い換えられる。たった数年前までもてはやされた育メンという言葉はもはや一種差別用語、下手にフラット思想の持ち主を気取りそんな単語を口に出そうものなら冷ややかな目を向けられる。このスピード感の中で誰が自分主観にこだわりたいと思うだろうか。人の思想を借りて乗り換える、主観は持たず三人称だけを持つ、それが一番楽なのだ。こうして人々はエロティシズムに走る。

しか三島はそれを良しとしなかった。

三島曰くこうした猥褻世界観に欠けているのは他者との関わりであり、それを生むのが「意地」である

「(エロティシズム的な世界との関わりを捨て)どうしても一つの関係に入りたくなっていった。それが当然対立を生むことになって、対立他者というものイリュージョンを作っていかざるを得ない。それで私はとにかく共産主義というものを敵にすることに決めたのです」

三島はここではっきりと「敵にすることに決めた」と言っている。

そう、三島にとって共産主義は敵にしないこともできた存在だったし、事実かつてはそうしてきたのだ。しか三島自分で選ぶことによって共産主義という敵を作り、それにより世界関係を持った。

ここを踏まえれば三島がこの討論の間ずっと楽しそうなのも頷ける。立場の違いは本質的ものではないということをあの場で三島けが知っていたからだ。三島自分思想作品として表現するだけではなく、生の対立の中に身を置かないと気が済まなかったのだ。このへんをよくわかってない全共闘の芥は「作品は自立空間だ。三島がこんなところにデマゴーゴス披露しに来てるのは三島が敗北している証だ」と言い返しているが、三島に言わせれば作品を発表するだけ、一瞬しか続かない解放区を作るだけで満足しているのはエロティシズムに過ぎない。(が、三島は彼を論破しに来たわけではないので強いてそこを芥に認めさせようとはしない。)

右翼左翼だに結局「論理的着地点」などありえないし、あり得たところでそれは本当に世界と関わっているのか?と言われるだろう。少なくとも机をバリケードしたことが実際に世界になんの革命をもたらしたのかといえば、机が汚れただけである。内容が即形態であり形態が即内容である活動他者必要としないので自己完結で終わる。

脱線するが、途中で芥にヤジを飛ばしてちょろっと喋りに来る学生が「現実的実在社会的関係が先行する、それをお前は無視している」とめちゃくちゃセンスのない言い回しで(全体的にこのとき全共闘言葉選びはセンスがない)芥の論を批判するが、これが「その関係を切れっつってんだよ!」という芥だけでなく、三島にも苦笑で流されてるのは「関係現実にあり、それが自らに先行する」というかなりナイーブな決めつけをしてしまっているからではないかと思う。三島の考える関係とはあくまで自らが選んで作る「イリュージョン」だから

右翼左翼本質的な違いはないし論理的な決着もつかないという話に戻る。

これは三島が言っていることではないのだが、つまるところ論理も「意地」の道具でしかないのだと思う。

論理が無力だとは決して言わない、しか論理は使い手に媚びる性質があるのだ。

三島は途中、珍しく自分ノスタルジー全開で天皇腕時計を授与されたエピソードを話す。その時の天皇の姿が自分いかに立派に見えたか三島は強調しており、またそれが個人的経験であることも認めている。

三島はこの経験が彼の愛国主義、つまり「意地」の原点なのだと考えていた。

三島保守ポジションに立つのは「意地」のせいであり、

それは自分個人的体験世界と繋がりたいという欲求の唯一無二の現れ方なのである、だから変えられない、と。

その意地>論理という三島イデオロギーがはっきりと現れたのが以下の箇所。

「僕は論理の通りに行動しようと思ってない。つまり意地だ。もうね、ここまで来たらもう意地だ。」

このとき東大学生の間には「論理捨てるって宣言しやがったよこいつ笑 もう負けたなw」というニュアンスと思われる笑いが起きている。

ここで東大学生はこの日の討論における自分たちの勝利三島の完全な敗北を確信したのだろう。そして三島は翌年に切腹した。

しかし、あれから50年経った今日、やはり正しかったのは三島だったのではないかという気がしてくるのだ。

テン年代では没落していたひろゆきが今、ネット神様から論破神様として転生している現象にそれが現れている。ひろゆきは「善」という概念を持ち出さない。善は常に主観的だからだ。倫理的にいいかどうかは置いといて論理的にはこうでしょ?、というのがひろゆきの基本スタイル

この「判断放棄」はまさに三島が再三述べてきた「他者物体化」「エロティシズム」にほかならない。

彼を崇拝する現代ネットは、かつてないほどにエロティシズムな世界観を求めているのだ。

ひろゆき曖昧だと一笑に付す善には、ただし、こんな側面もある。

伊藤計劃ハーモニーから引用する。

「善、っていうのは、突き詰めれば『ある何かの価値観を持続させる』ための意志なんだよ」

ちなみに小説ではこの「善」は人間の本性に反する歪な概念として批判的に扱われていた。人間とは本来気まぐれな有限の存在であると。

しか三島はこの本性に逆らうこと、持続させようという意志にこそ真の人間らしさがあると考えた。

ひろゆき批判的な態度を保ちつつも彼の動画を見た多くの人はこう言う。

論理的には正しいかもしれないんだけど…

この「だけど…」という違和感を生んでいるのが聞き手の「意地」であり「善を持続させようとする意志なのだ。それは正しいかもしれない、だけど認めたくはない。そう、「正しい」からと言って認めなければいけないわけではないのだ。先程も言ったように論理は使い手に媚びる(論理学の人にめちゃくちゃ怒られそうな仮定ですが…論理とは一つの信仰体系なのです)。とすれば数十年後には真逆のことを論理的説明する人間がいてもおかしくない。

多くの人が誤解しているが、論理は常に偏見という土台の上に立っていて、論理を積み上げることよりもその土台を見直すことのほうがよほど難しいのだ。

ひろゆきみたいなタイプは「人を言い負かしたい」という「意地=土台」が最初にあり、その上に論理を積み立てていくから論破」において強く見えるんだと思う。しか論破目的化してその先がないのだ。

ひろゆきは人の欠点は指摘できるが、自分の考える「理想の世界」の話は絶対にしない。そんな意地を持った途端にそれは自分の論の弱点になるから

ただし、そうして「論破」だけを繰り返した先に何がある?もちろん何もない。仮にひろゆき提案する通りに世界運営してみたら、きっとそこに残るのは論理服従した人間たちの何もない荒野だろう。

全共闘との議論最後

「それで(三島全共闘と)共闘するんですか」

と聞かれた三島はきわめて朗らかにこう答えた。

「今のは一つの詭弁的な誘いでありまして非常に誘惑的であったけれども、私は共闘拒否します」

イデオロギーの違いを超えて人間として認め合う、平田オリザが説く「シンパシー(同情)からエンパシー(共感)」という思想がその時、三島学生たちの間にはあったのだと思う。

三島個人昭和という時代に生まれ天皇制に基づいた美しい日本を信奉したためその衰退に殉ずる結果となった。しかしそのイデオロギーと、そこに三島を導いた彼の考え方は別であり、それは単に「敗北した破滅思想」だとは思えないのだ。

2021-05-26

そういう話じゃない スーパーカブ

アニメスーパーカブ』の6話で、免許取って間もない主人公・小熊がカブで二人乗りをする。

カスタムで125ccの第二原付にしているから「免許所得から1年経てば二人乗りはできる」が、

1年経っていないか違法。でもする。この描写についてネットでは

・これ、アニメなんだから という寛容派

・おいおい…… というモニョり派

が喧喧諤諤。

アニメアニメとして楽しめない人は悲しいね

そもそもバイク×違法なんてのはフィクション伝統で……

……「という話になっている」

「という話にされようとしている」?

全然ちがうって。

原作小説読んだか?

アニメアニメとして楽しめない人は」って言ってる人、絶対読んでないだろ。

俺は読んだ。で、この描写辺りの小熊の心情描写で小熊嫌いになったというか、

「この作者の価値観は無理」と思って読むのやめた。

捨ててしまたか完璧引用はできないけど、大体の言葉は覚えてるので書いとく。

単純に言うと、原作小説スーパーカブ」はかなり粗が多くて、下手。

全然話を書き慣れてない人が、1つ1つのエピソードを思いつきで書いてるのが丸わかりで、真面目に読むときつい。

コミカライズアニメで、どのように専業プロの手で整えられたのかは知らない。

ただ、小説については読んでいると状況について矛盾というか無理のある場面が多く(夏休み入って初雨とか)

かなりの作者ルールを飲んで付き合うことを作者側から要求されるという感じ。

俺はそういう小説は「まだ全然上手くないな」と思って読むやつ。

ただ「おいおいおい」「そりゃないだろ」と思ったのがこの二人乗り前後の話。

原作小説三人称視点なんだけど、

全文キャラを立てようとしてないってぐらい淡泊な筆致のわりに、

たまに解説される小熊の心情はかなり歪みや偏りが見えてキツい。

特にねずみ取りしてる警察に対して「公道で小遣稼ぎをする泥棒」みたいな唐突な心情独白があって、

しかもそれがライダー全員の共通認識みたいに書かれていて、「マジか」と思った。

俺はバイク乗ってるけど、そういう認識全くなかったので「やめてくれ」と思った。

「それが常識と思ってるの、あんた(作者)だけでは?」と。

第一ライディングの経験が浅い小熊がなんでそこまで警察を目の敵にするか

(むしろないない尽くしの少女にとっては味方側だと思うのだが)が不明で、

小熊というより作者出ちゃってるなぁ、トホホという感じだった。

で、高校修学旅行に小熊は一人カブで向かうというたくましい話が続くのだけど、

その道中で「パンク修理すら自分でできない、情けないカブ乗り」の少年出会う。

俺は、店のピットお金払って作業してもらうのこそ安全と思っているので情けないとは思わないが、

小熊(淡泊物語られないので作者、としか思えない)にとってはそうらしい。

で、小熊はパンクを修理してあげたあと、

同じカブ乗りとして親近感を覚えて近づいてきた少年のすねだか膝だかに蹴りを入れて、そのままカブで逃走。

あんなやつがカブ乗りなんて!あんな情けないのと一括りにされたくない!」て感じで癇癪を起こしながら修学旅行先に向かう。

で、話題になってる「二人乗り」の話は、

原作だとその「自分ダサいカブ乗りとは違う」と描き切った直後、修学旅行先の宿に着いてすぐの話なのだ

しかも、

免許を取って1年以内は二人乗りできないことは知っていた。しか重要な決まりとは思わなかった」

というものすごくサラッとした1行か2行かの地の文OKになり、礼子とタンデムするのだ。

小熊ヤバいというか作者ヤバイさらに言うと違法を知っててケツに乗る礼子の株も下がった。

からすると、さっきのパンク修理できない少年の何倍もダサい

これ成立するのか?この作者の中では?ってのが俺がこの作者無理だと思ったところ。

善なるヒロインとしてこのストーリーラインを受け入れてもらえると思ってるなら、かなり読者を選ぶ作品だなって。

ぶっちゃけ、同じバイクを愛する者?として俺は「この小説流行って欲しくない」と思った。

チンピラダブスタチンピラ漫画で書かれるなら全然いいのだけど、

ないない尽くしかカブっていう皆に寄り添う名機を手に入れた少女が、

カブを手に入れたことで当然に迎える「美しいもの」や「成長」のエピソードとして法軽視を書いてほしくなかった。

俺は警察ちゃん安全のために仕事してくれてると思うし、

1年経たない未熟な腕でケツに乗せて事故ったら責任取れない、

保険金払われないか任意保険入ってる意味もなくなるし、誰も乗せなかった。

ただでさえ白眼視されやすバイク乗りの誇りって、俺的にはそっちだと思ってたから。

変なこと言ってるとは思わない。

とまあ、そんなわけで、「小熊も、作者も、モラルはない」ってことが、

たぶん作者も気づかないままバッチリ書かれてるのが原作の話。

アニメからたぶんこの世界法律が違う」とか「アニメに突っ込む人間ダサイ」とかじゃなくて、

堂々と「仕事してる警察は敵」で違法行為は「重要と思わないから犯す」っていう、

美少女×ほのぼのスローライフとは親和性の低い描写

重要でない要素」としてサラッと出てきたのが視聴者に「……え?」ってなってるんだって

原作小説読んでたときの俺みたいに。

リアリティラインが違うヤンキー漫画コメディ漫画につっこんでるわけじゃなくて、

カブ文化を賛美すると標榜する美少女×スローライフ作品に「当然の確信違法」が入ったから、

困惑してるんだって困惑するのは普通だよ。

ガラガラ道路白バイとかねずみ取りかめんどくせえなあとは思うときはあるけど

警察は最低」まで共感されるものとして公言するライダーは、

けっこう前から俺の周りにはいないけどな。

そんなとこ。

なんか「アニメアニメとして見られない可愛そうな人」にされそうだったから、

公式も作者も焦って、今そういうことにしようとしてんだよ」って言いたくなった。

流行ってほしくないとは思ったが、

べつにこの作品がこういうスタイルを許されずに潰れてほしいなんて思ってない。

ただ意図的に描ききった描写が招いた因果に対して、

違う意味で上塗りして問題すり替えようとするのはセコイし、

全然違う変な結論を作り上げて、それで哀れまないでくれって感じ。

オタク同志たちがあっさり丸めまれてるのも見てて辛いわ。おわり。



追記

美少女×ほのぼのスローライフ、って言葉を使ったのは俺がショボかった。

俺の感想としては

純朴×スローライフ×成長譚×HONDAスーパーカブの素晴らしさがテーマっぽい作品で、

軽い気持ちで一線を超えた違法を美しいものとして書くのは困惑することで、

俺的には直前のエピソード整合性とあわせていろいろと無理に思った、その方が正確。

それが「フィクションフィクションとして楽しめないやつ」呼ばわりだから

いや、普段フィクションツッコミなんて入れないのに、

これは持ち出したコンセプトと照らしてツッコミ入れたくなるレベルからツッコミ入ってるんだよ、

しかツッコミに対して意図的論点ずらしまでするのかよ、

って言いたくなった。追記おわり

2021-05-03

ちょっといい感じの同期

追記

反応ありがとうございます小説練習がしたくて自分経験三人称で書いてみたのですが、非常に読みにくい文章になってしまいました。ご指摘ありがとうございました&一行目を訂正しました。

コメントの「夢を語ってもらえた」と捉える視点、素敵ですね。

現実的でないことを馬鹿にしてしまっている自分に気づかされました。

次に会うときはもう少し温かい目で見て、夢に向かうワクワク感を共有できればいいなー、とおもいました。

_____

Yは昨日会社の同期のMくんと会ってきた。

色々と買い物をしたら疲れたのでカフェに入り、Mくんはアイスコーヒーを注文した。Yは紅茶を注文し、一息ついている。 

Mくんは前日にオンライン会社の人と飲み会をしていたらしい。

共通趣味でもない限り、だいたいそういった場での会話は仕事健康人間関係の話になる。

Mくんは最近彼女に振られたので、やはりそのことがいじられるらしい。

やはり男子間で振られた話をすると「それなら遊んどけよ」と言われマッチングアプリを勧められたりするそうだ。

マッチングアプリとか似合わないからやめときなよ」とYは言った。

出会ったその日に〜とか、ナンパとかで性行為できたとしても気持ち良くないでしょ。

一瞬の快楽はあっても虚しくなるだけなんじゃないかなぁ。

快楽ホルモンドーパミンより愛情ホルモンセロトニンの方が持続性があるって言うし、セロトニンマッサージとかハグでも十分出るって言うし…」

Mくんにマッチングアプリをやって欲しくなくて始めた会話が、着地点を失った。

マッチングアプリするくらいなら私とお茶してよ」と言えば良いものを、Yは言えなかった。

「はぁー、結婚してぇ…」Mくんは深いため息をついた。

「そういえば、少し意地悪な質問だけど…なんでMくんは結婚したいの?」

好きな人がいて、その人とずっと一緒にいたい、と言うのならわかるが、「とにかく結婚したい」というのは理屈がよくわからない。

いつもテキパキしているMくんが珍しく考え込んでいた。

Mくんは「うーん」と手を後ろに伸ばして言った。

「いやなんかさあ、信頼関係って、いいじゃん。信頼できる人と一生一緒にいたいんだよね」

薄い。オカモトもびっくりの薄さである

「『信頼関係』なら仕事でも良くない?

それこそプロジェクトみたいに目的と期間が決められたものの方がいいような気がするけど」

Mくんの答えに、普通に突っ込んでしまった。

しかMくんに彼女がいた頃「30くらいで結婚したい」と言っていた。

当時はこのふわ〜っとした発言に(SDGs目標か?あるいは脱炭素計画か?)と心の中で突っ込んだ。

「兄が結婚して子供もいるんだけど、それが良くできた夫婦って感じで羨ましいと言うか…

兄もお嫁さんもお互いに信頼し合ってていいな〜って思うんだよね。

あと子供も欲しくてさ、なんか夢だけ広がっちゃって。

子供キャッチボールしたいな』とか『自転車練習に付き合いたいな』とか…」

逆上がり練習も?」

「そりゃあもう」

虚しくなってきたので、この会話はやめにした。

今のMくんの話は「東京大学に行きたいです!でも入試科目もどうやって出願するのかも知りません!」と言っているようなものだ。

夢だけしっかりしていて、プロセスがすっぱ抜けている。

カフェを出ると18:00を過ぎていた。

まりお腹は空いていないけど、なんとなく名残惜しいと言うか、帰るのが勿体無いような気持ちだった。 

「とりあえず駅まで歩きながら、次なにするか決めよう」とMくんが言ってくれた。

しばらく歩いていると、信号を待ちになり、Mくんがぼそりと言った。

「俺、お母さんからモテるように育てた』って言われたんだけどな〜」。

なぜか悔しそうである

かにMくんは荷物さらっと持ってくれる。

Yのことを「可愛い」と褒めてくれて、女の子として接してもらえるのは純粋に嬉しい。

Mくんは国家試験にも合格していて努力家な上、冗談を言って場を和ませたりもできる。

「たしかにMくんって接しやすいし、人から好かれそうだよね」

文章にすればMくんのいいところをたくさん挙げられるのに、瞬発力がいつだって足りない。

駅に着いて別れ、いつもの電車に乗る。

窓外を見て「これを言ってあげればよかったなぁ」といくつものシーンを思い浮かべている。

ひとまずは、乙女ゲーをたくさんやって「ちょっといい感じの同期」への接し方を学ぼうと思った。

2021-04-06

anond:20210406030311

増田増田文学だの脳内実験だのいって

この手の現実味のない妄想を垂れ流す人が多い場所からなぁ

これなんか三人称からまだマシなんだろうけど

きもちわるければ近寄らないほうがいいかもね

2021-03-26

好きな作家ツイッターしてほしくない

昨日追っかけてる小説家新刊が発売されたから早速読んだんだけど、小説の作者がネットミームに浸りすぎてるのがちょっと嫌になってきた。

その人は生粋ツイッタラーで、ツイート内でオタク構文も語彙もよく使うしたまにバズってるし、ファンの多くもおそらくそういうのが好きなんだと思う。フォロワーも多いし。

でも何というか作品までネットミーム系の単語侵食してるのってどうなんだよ。

別にインターネットとかツイッター精通してる訳じゃない(多分)キャラ台詞、それどころか三人称地の文とかでも結構な頻度で出てくる。

それがパンピにも受けると思ってわざとやってるのか? それともインターネットに浸かりすぎてミームだと思ってすらいないのか?

ちょっと前、服屋の店員に「戒め」ってオタク語彙と気づかず使って驚かれた漫画が回ってきたけどそんな感じがするんだよ。

単語ならまだ対策できるだろうけどそれ以外の部分、例えば比喩インターネット臭いってのはもうどうしようもないんだろうな。ここら辺は自分でも何を基準にしてるか曖昧だけど具体的にこの文がってのはある。

会話の掛け合いとかも全部そう。なんか複数人対話でも一人で喋ってるみたいに見える。自分発言に対して括弧つかってセルフツッコミするやつの弊害なんだろどうせ。芸人コンビじゃないんだからいつでもベストな返し出すなんて無理だろ。

とか言っても売れっ子作家に変わりはないし自分がメインの読者層から外れたってだけのことなんだろうな。

2021-03-12

anond:20210312131049

男は一人称ポルノを、女は三人称ポルノを好む傾向にあるという論文を見たことがある気がする

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