2021-07-24

anond:20210723232937

追記

 地の文主人公一人称モノローグ形式物語で、主人公内面と作者による主人公性格設定・他の登場人物から主人公に対する人物評価が解離していることの何が悪いのか、ということについて追記

 これは地の文主人公の真の性格が出ているというよりは、おそらく作者の主観視点)が混ざっている。それが良くない。主人公視点物語を書くならば、あくま主人公から見た世界を書くべきだと私は思う。それは外の世界だけでなく主人公本人の内面世界を描くとき主人公の目から見た内面を描くべきだということ。

 気立てのよくて親切で気の利く人間が、内心では物事他人言動を斜に構えた目で見て一々底意地の悪いジャッジをするだろうか? まあ、現実にはそういう人もいるかもしれないし、そういう人物像を狙って書いているならばそれはそれで構わないのだが、そうではなく、ただ視点というものに関して注意が足りないゆえに無自覚やらかしている失敗であることが多い。

 その斜に構えた視線、というのが誰のものなのかといえば、主人公ではなく作者のものである俯瞰的視点人間関係をシニカルに観察することは、今現在渦中にいる人間主人公)にはなかなかできない芸当だ。そういう、神の視点ともいうべき視点物語を書きたいのならば、いくら書きやすくても主人公一人称文で書くのはよして、三人称で書くべきだ。

 でも、三人称文ってなんか偉そうな感じがするから文章に親しみを持たせたくて、一人称で書いちゃうんだろうな。

 それでも一人称で書きたいならどうすればいいのかというと、物語過去のものとして、主人公が当時を振り返るかたちで書けばいいのだ。その場合、当時の自分現在自分で、そのとき起きた物事他人言動に対する感想が違ってくる。要は当時の自分と今の自分という二つの視点が入るという難しさがあるけれど、冷静な目で当時のことを分析できるという利点がある。

 また、当時の自分と今の自分地の文)の雰囲気が違っていても、おかしくはない。過去自分もっと世界ピュアな目で見ていたが、人生経験を積んだ今となってはだいぶ皮肉的な目線世界を見るようになった、というのはあり得る。

記事への反応 -
  •  たとえば、「私は優しい人間だ。何故なら私がそう思うから」というのは通用しない。他人に対して優しくない行動を繰り返していれば他人から「優しくない人」と決めつけられる。...

    • 追記  地の文が主人公の一人称モノローグ形式の物語で、主人公の内面と作者による主人公の性格設定・他の登場人物からの主人公に対する人物評価が解離していることの何が悪いのか...

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