はてなキーワード: 野次馬とは
大体19時30分くらいだったかと思う。
仕事帰りにいつものように福島に向かってあみだ池筋を歩いていると、
何台もの消防車がサイレンをけたたましく鳴らしながら追い越していった。
よーく見ると、その他にも救急車と消防車が10台以上並んでる。
あぁ、これは川に人が落ちたんだなと確信した。
この時まで、九死に一生、感動の救助の瞬間!
みたいなのが見れるんじゃないかと少しだけドキドキしていたのだが
橋を渡りながら野次馬の隙間から水面を見てみると、潮が満ちていて
誰かが溺れてるような気配はないように波一つ起きておらず、
色は濁っておりひたすらに静かに真っ暗だ。
サッと血の気が引いた。
こんなとこに沈んでしまったら、簡単には引き上げれないだろう。
三分くらい水面を眺めてしまったがレスキュー隊はまだ陸上にいたし、
時間がかかりそうだと怖くなりその場を去った。
その後が気になり、電車に乗るとツイッターなんかで掛かりそうな検索ワードをひたすら検索していた。
私が目撃した二時間後につぶやいてる人もいた。
親がそうなっちゃうのは、きついね。おいらも、親ではないが目上の人がはまったのを見ているので、少しは元増田の気持ちがわかると思う。
マルチ商法の相談事例で「家族がはまった」という内容のものは、「子供」や「妻」に関する相談が多く、「親」の相談事例はなかなか見つからないかもしれない。ましてや高校生の子供が親のことを心配している相談事例は、今ググってみたが、見当たらないようだ。
しかし、専門の相談機関にはそのような相談事例も必ずあるであろうから、相談してみてはどうか。はてなを含め、インターネットで野次馬気分で他人が集まってくるような場所では、大抵の者は他人の不幸はエンターテインメントとして観ているだけなので、有益な情報がえられるとは思えないのだ。情報が提供されるとしても、ろくな情報も無いだろうし。
ググって出てきたものを紹介しておく。このように、自治体に相談するのが最も確実なようだ。または「国民生活センター」や「法テラス」を利用してみては如何だろうか。
http://www.pref.nara.jp/item/86197.htm
http://www.kokusen.go.jp/category/consult.html
http://www.houterasu.or.jp/service/shouhishahigai/multi/
最後に、これ以上詳しい話になるようなら、このような相談を公開されているところではやらない方が安全かも知れない。個人情報は伏せていても、会員は見ればわかるかも知れない。息子が相談していることがわかると、妨害が入る可能性もある。
よい結果になることを願っています。
まぁ、謝罪文を読む限り「訴訟出来るもんならしてみたらいいじゃない、このメンヘラが」感がすごいので
1000%部外者としては金銭的には大損覚悟で訴訟しちゃえば、って気もしなくもなくなってきたが、多分ひどくすり減るだろうなぁと思うと、やっぱりおススメしにくいな。
まぁ、もし告訴されちゃったら、代わり、メメがweb上で色々垂れ流した件についても、逆におおつねは訴訟できるだろう。
あれとそれとこれとはつながっている事件ではあるけど、それぞれ別の名誉棄損は成立するんじゃない?
まぁ、本当にセックスしてホテル代踏み倒したってことが実証できるという前提だけども。
つい先日の話。
休日昼下がりの優雅なひと時をぶち壊すのは何人ぞと思い
40過ぎのおばちゃんが職員相手に詰め寄っていた。
しばらく遠くから聞き耳を立てて様子をうかがっていると、
・今日本を借りに来たのに本を借りれなかった。
・その理由は延滞している本があって、延滞ペナルティで新規貸し出しできなかった。
・(ここがおばちゃんキレポイント)そんなの突然言われても困る。
職員はと言えば、激昂するおばちゃんに二人がかりで平謝りだ。
火に油を注いで喧嘩になったらボコボコに負けそうなので止めておいた。
他に周りに数名利用客がいたが、皆持ち前のスルースキルを発動し我関せずといった感じだ。
30分ほど様子を見ていてさすがに飽きたので、
・政府が身代金を払わないことを一層正当化するために人質の人格をけなしてあたかも「そもそも助ける価値がなかった」と主張する一部の親与党派(かも疑わしいような)の人たちは本当に醜い
・反与党派もこんな事件のまっただ中に現政権を引きずり降ろそうとするのはやめましょう。右にも左にも言えることだけど、非常事態が起こった時ぐらい超党的に協力できぬものなのか
・この問題を起点に集団的自衛権がどうのこうのって議論をする人たちへ、在外邦人を救出することはそもそも個別的自衛権の範囲内でできることなんじゃないでしょうか
・クソコラグランプリについては、まあ各所で褒め称えられてるみたいだけどイスラム国バカにするついでに邦人人質もバカにしちゃってるのはなんとかならんのかね、それだけは気になった
・当事者感覚の欠如だったり「おもちゃ」を発掘してそれをみんなで弄んだりするってのは問題の矮小化を招くのでちょっとなんとかなりませんかね。もっと庶民同士で真面目に話し合ってもいいじゃない。この世の政治に関する問題全般に言えるけど
・なんつうか、イスラム国という「他人」と日本政府という「他人」のバトルをモニター越しに生暖かく見守る「野次馬」がガヤガヤって感じの構図だよなと
不謹慎なことかもしれない話だけど、ぶちまけたいので書いた。
大阪住まいだが、阪神大震災の時はあまりの揺れに恐怖で飛び起きたことしか覚えていない。
でも、そんなに自分の周りで家を失ったとか、被災して亡くなったって人はいなかったので隣の神戸の有様には新聞やTVでしか見たことのない現実にどこか上の空になっていた。
あの時見た報道内容が、震災の怖さなんだなって程度に思ってた。
当時はネットが普及していなくて、自分はセンター試験受験の年だったのでそれどころじゃなかったのだ。
というか、むしろ受験勉強の年にあんな事態になっても、勉強のことで頭がいっぱいだったので思い出に残らなかっただけなんだろう。
だが、2011年の震災の時はその受け止め方が変化した。
TVで被災して川に飲み込まれる人を撮影した動画や画像がネットに散乱していたのだ。
ご遺体が流れているのはあそこだとか、今あの動物が水に飲まれたよねとか某動画サイトで多くの人が見てコメントを流していた。
流されて悲鳴をあげて、それが消える瞬間とかリアルな人の死を動画サイトで自分は見てしまったのだ。
コメントできる人が、怖いって感じた。
べつにコメントすることで何か得るものがあって前向きなものになるってことでもないというのはわかってる。
見たあとに本当にいろいろ思ったんだ。
TVで報道されない部分を見て、報道規制のないもっともっと残虐な他人の不幸を見せろと言わんばかりの煽りコメントがある件には言葉が出なかった。
しかし、言葉の出ないようなものを見ている自分の中の野次馬根性もひどいもんだと落ち込んだ。
臨場感あふれる悲惨さ、残酷な映像、溺れてる人の姿を見てもこれはすぎた過去なのに、どう視聴していいのか戸惑い、怖くなって閉じてしまった。
中には被災者に祈りを捧げます。無事でありますようにって祈るコメントも多くあった。
だが、大抵のコメントが「すごい・・・」「やばい」「逃げて逃げて」「そんなとこいるな」「ひどい」「日本終わるのか」「あの犬逃げて」「うわあああああ」
とか過ぎ去った過去動画を見ながら、映画館でアクション映画を視聴している時のような印象が圧倒的だった。
モニターの前に映るものを、全て現実の中から切り取ってきた事実として位置づけているのに、どこかアクション映画のように眺めている感覚だったんだ。
興味本位であんなの見るんじゃなかったって当時、思った。
選択したものに関心があったから自分はあれをクリックして見ていたんだ。
結局、それが自分以外の他人の不幸だから見れるってだけで見てしまったんだろうって言い聞かせて画面から逃げた。
近所で火事が起きて人だかりができて見物するのも、こうして動画を見て人の不幸にコメントするのも・・・結局は他人の不幸で飯が美味いっていうものなのだろうか。
自分じゃない他人が苦しんでる姿を見て、なにができるかって思考がすぐにあの時、自分は思い浮かばなかった。
ただコメントで「無事でありますように」「冥福を祈ります」とかそういう言葉を送っても、届くものってないんじゃないだろって何度も何度も思考したけど答えがすぐにでなかった。
少ししてから、義援金を振り込むという金策援助に自分の中で落ち着いたけど、動画を見てると人を助けるための、人の力になるために必要な最速最短の思考と決断が鈍ったのは事実だった。
他人が苦しんでるから助けたいので義援金を送るっていう選択をしたってことになかなか困惑したんだ。
自分は、「あの動画を見て野次馬をしていた。好奇心に満ちたハイエナみたいなもんです」って心を隠してあの頃日々を過ごしていた。
つまり、ハイエナ行為をしていたけど、後ろめたさを感じながらあなた方の不幸を知って支援に関わっていますって己が惨めでたまらなくかんじてしまったんだよね。
自分としてはこの会社について自らの知りうる限りをお話して世間に広がれば、と思うし(だからこそ元記事を書いたわけで)、取材についても協力したい気持ちは山々だが、
と先におっしゃられている方がいるように、正直こちらにデメリットとリスクしかない。
何より報復目的とすると何されるか分かったものではないので、(泡沫記者でも奇人でも野次馬でもそれならそれで構わない)本気で取材したいとおっしゃられるなら申し訳ないが信頼に足る証拠をいただけないだろうか。
こちらは匿名の隠れ蓑をかぶるのに相手にばかり身元を求めるというのも変な話なので、それは無理だということであればここでの質問は今まで通りいくらでも受け付けます。
まず私個人としてためらうし、実際しないと思う。理由はぼんやりしているので後で考えることにして。
だから、大勢が撮影しているといった人数の問題の前に、誰かが(野次馬的に)撮影していたらなんだか嫌だ。まして大人数ならその状況にひっかかりを感じずにいられない。
ただし一方で電車の遅れや車両の破損などをだれかに伝えたいという気持ちもその場にいたら湧いてくると思う。しかしスマートフォンを取り出して撮影することはないだろう。
それから、何事かを野次馬的に見物したり話のタネにしたりする人間の変わらぬ性質やスマートフォンで撮影するなど現代では普通であることは確かにその通りだけど、それは別に望ましいことでも美しいことでもないと思うし、昔からよくあることが現代の機器によってわかりやすく表出しただけだとしても、言葉の表現として異様といってもいい気がする。見慣れていない人にとっては字義通り普通でないし、そうはあってほしくないという発言者の希望も含んだ表現として。
山手線で事故車両を大勢の人が撮影しているという記事が出ていて、それのコメントが是認ないし肯定的なものが多かったので、とりあえず自分の感想をメモしておく。ネットのまとめサイトがどのようなものかはよく知らないので何とも言えない。
…
彼ははてな村のなかで、あらゆる所に火をつけて回った。
僕は結局彼の放った多くの火のうち、大きくなったものの野次馬をして、キャンプファイヤーをしていたに過ぎなかった。
彼は違う。自らの体に灯油を浴びせ、盛大に火をつけた。
多くの人は外から石やら芋やら手斧やらサラダ油を好き放題投げ入れていたが、その多くは自分が火の粉をかぶることを嫌がった。
いつもそうだ。自分は観客で、舞台を観客席から眺めているだけなのだ。
斎藤ハウスも訪れたいと思いながら、結局伺うことができなかった。それは僕に一歩踏み出すだけの何かが無かったからだろう。
僕はこれからも観客で居続けるのだろうか。内心では分かっているのだ。彼らのように舞台で火だるまになったり、ピエロを演じることなど二度とできないと。
たいへんお困りのことと思います。またそういう相手に可能な限り誠実に対応されてきたことに、心から敬意を表します。
すでに同じ意見がたくさん出ていますが、その女性が鬱病である可能性は低いでしょう。よろしければ以下の本をお読みください。鬱病と、似て非なる病気(「病気でない」も含む)、おおまかな判別法、対策など、丁寧にわかりやすく書かれています。あなたのような困難な立場に置かれた人の例も出ています。
Amazon.co.jp: 擬態うつ病/新型うつ病―実例からみる対応法: 林 公一: 本
http://www.amazon.co.jp/dp/4832706578
Amazon.co.jp: それは、うつ病ではありません! (宝島社新書): 林公一: 本
http://www.amazon.co.jp/dp/4796669086
Amazon.co.jp: 擬態うつ病 (宝島社新書): 林 公一: 本
http://www.amazon.co.jp/dp/4796625178
著者は Dr林のこころと脳の相談室 というサイトで有名な精神科のお医者様です。そのあけすけ過ぎる回答がネットで人気を博しましたが、当人はそういう野次馬的視点と関係なく、とても真摯に活動していらっしゃり、その真摯さがよく表れた本だと思います。
※追記
私は素人なので、精神病についてネットで勝手なことを申し上げることはできません。あえて本の紹介だけをさせていただきました。どうかご了承ください。
はい「自分が間違えた時は絶対訂正も謝罪もしない」の実例いただきました
もし本当にそうならそれもはや「反“反原発”」じゃなくてただの強きに媚びる人じゃん
やっぱりお前のいう反反原発は「原発議論界隈で見つけた憎いやつ」のことであって、主張内容に基づく定義とかは何もなかったんだな…
説得?
なんの?www
反反原発を説得できるのはそれこそ同種の下劣さじゃね?
正しさでは説得はできないんじゃないかなあwww
よくわからん。意見の主張というものは相手または観客に自分の意見をわからせる目的で行うものと思っていたんだが(ここでは「説得」と呼んだ)、違うの?じゃあ結局お前は何の意図があってここで戦ってんの?
で、またここに戻ってきたわけだが
お前は徹頭徹尾「反反原発は正しくないクズ」と連呼するばかりで、具体的に何が正しくないから駄目なのかについては頑なに述べるのを避けている
だからこそ誰もまともに取り合ってくれないわけだし、逆にそこをちゃんと主張すれば説得力が増して賛同者も現れるかもしれないというのに、なんでそこまで頑なに逃げるの?
それともまじめに主張していくと「俺は反原発ではない」と断言してた過去発言の嘘がばれそうで恐いから?
他人には根拠を求めるけど自分は絶対根拠を出さないって楽でいいよね
http://anond.hatelabo.jp/20141105132825
はいどうぞ
違うというのならしっかり説明どうぞwww
既に他の人が説明しちゃったけど、要するにお前は「Twitterの奴等に言いたいことがあるならTwitter上で直接言えば?」を「増田で原発の話をするな」にすり替えたわけね
なるほどやっとわかった。これは恥ずかしいな(お前の捏造が)
それは反反原発の特徴だが?
俺がいつそんな真似をしたのか出してみろよ
お前が今リアルタイムでやってる
http://anond.hatelabo.jp/20141105142856
http://anond.hatelabo.jp/20141105143416
はいこれ直近で話をそらしたやつなwww
お前がよくやってるのと同じ、ただの短文煽りじゃん
内容のない煽りは本筋に影響しないんだから、それこそ「クズがわめいてるな」とでも言って放置して本筋に戻ればいいんじゃないの?そこ以外のツリーでは普通に話が続いてるわけだろ
もっとも戻ると都合が悪いようだったら、ここぞとばかりに「あっいま煽られた!みなさーんこいつは煽り屋の自演クズですよー!これは無視できません!こいつのクズさについてもっと語りましょう!他の意見は読まずにこのクズ発言についてだけ語りましょう!」ってアピールしまくれば本筋から話をそらせるかもしれないね
ちょうどお前が今やってるみたいにね
わかる。
そして、ある時期まではインターネットの中でも、はてなに限らず全体的にそういう与沢的な存在ってちゃんとはびこらずにしぼんでいく、簡単にいえば「邪悪な流れに乗っかる人の数<それをスルーする人の数」という理論が働いて、はびこらない摂理があったと思うけど、いつの間にかとうとうそれが逆転して、与沢的な、あるいは
「死にたいですか?このまま黙ってると死にますよ?死にたくないですよね?じゃあどうするんですか?死にたくないなら命を賭けるしかないですよね?命賭けでやってみましょうよ。それで報酬を手にしましょうよ。野次馬がやっかんできますけど無視しましょうよ。私達は命賭けで戦って報酬を得てるんですよ。これは正当なものですよ」
的な寝言を正しいと思って本気で乗っかるかなしいひとが一定数を超えて、何かが決壊してるんだろうなあと思うよ。
これは、いずれシステムが強くなって再びはびこらなくなる摂理が働くのか、それともこのままひどくなっていく一方なのかは自分にはわからない。とりあえず、今は自分だけは関わりたくないし関わらないように生きていきたい。
お前が消えて喜ぶ者にお前のオールをまかせるな☆
君の考えを引用を中心にまとめるとこうなると思うんだよね。
「彼の心理を理解したいから」、「彼がどういう心理状況で日々を暮らしてきたのかを真剣に想像してみよう」。そのための道筋として、「これまでの経験や嗜好というドットのつながりと、起こした行動の間に、関連性を見出すのは自然だ」。というのも、自分自身の「これまでの経験や嗜好というドット」をつなぎ結ぶことで人は誰しも自分の「人生のストーリーを描いて」いるからだ。それは時として当人にとっても「明確に意識されていない」ものかもしれないが、必ずや「ある種の心理的状況」を作り出すことを通して、「自分自身を把握し、ある行動を起こす」ことへと導くものだ。だから、「この犯人の場合であれば」、たとえ「アニメ・カント・博士課程無職」といったそれぞれの単体では心理や把握している自分の人生というものに影響をもたなくとも、それらの「組み合わせというのが、犯罪と密接な関係を持っているということは認めるべき」だ。
この考えの前提の部分はともかくとして、気になるところがいくつかあるんだよね。
一つ目。君は個人を構成する「経験や嗜好」そのものではなく、それらの組み合わせが人格を作り上げると主張しているようだけど、ここでは「経験や嗜好」や経歴をそれ単体だけで取り上げた、何の変哲もない感想しか述べられてないよね。たとえば、博士課程へ進学しながら「まともな職を得られないというのは、精神的にきつい」としている。また、美少女アニメは「容易に現実逃避の対象」となるので、「それが現実対処能力を下げうる危険性がある」としている。そしてカント好きという要素についても、カントの理解に「誤解が生じた」、あるいは「なぜカントの言葉に従えなかったのか」という問いを立てている。これらはいずれも「組み合わせ」をもとにして作り出された「人生のストーリー」などではなく、単体の要素から「人物判断をイコールで導き出し」てしまっている好例ではないの? これがステレオタイプとどうちがうのか私には分からないんだよね。君は報道された経歴や嗜好をひとつひとつバラバラに一瞥する。「高学歴無職ってきつそう」「美少女アニメ好きって現実から逃げてるよね」「カント好きならこんなことしないよな」と、ありきたりな印象を述べながら。そして次に、そのように吐き出された感想に自分自身で同意するかのように、君は犯人に対して「共感」を示す。「ああ、こういうことの組み合わせで、こういうことを起こす心理状況になるのは分からんでもないなぁ」と。でもそれは「人生のストーリー」を形作る組み合わせでもなんでもない。もしそうなら、どうして犯人と同じ経歴や嗜好を持つ人が同じ犯罪を起こさないのだろうか? つまりこれはただのステレオタイプの組み合わせなわけで、君は君自身が抱くステレオタイプを用いて他人の心理状況を説明してしまっているんだよね。君の共感というのも、説明づけられた他人に対してではなく、ステレオタイプで分類された他人に対して示されたものではないの? 君はステレオタイプが確かに正しかったという結論に「empathy=in+pathos」したのではないの?
二つ目。君は自分の考えの前提と実際にやっていることのズレに半ば自覚的なようなので、こんな答弁を返しているね。
「経験は無数なのだから、どれをつないで自分のストーリーを作るかは恣意的だ。」
どうせ「恣意的」なのだから、みんな好き勝手に解釈すればいいし、自由に「彼のストーリー仮説」を作ればいいとちゃぶ台を返してしまうことで、君は犯人の「心理的状況を真剣に考え」るという当初の名目をもはや捨て去っているように見える。それでも君は自分の感想は「否定されること」ではなく、当初の目的に沿ったものだと弁護してこう言い張っているね。「人の心理を想像するうえで、そういった作業は欠くことができないとさえ僕は思う。」ここで、奇妙な言い換えが起こっている。君は始め、ステレオタイプに頼らず「真剣に想像」することは彼の心理を「理解」するための方法だという主旨を述べたはずだよね。ところがここでは、みんなが自分の立場から好き勝手に感想を言うことそれ自体の重要性をアピールしている。こうなってしまうと、「これまでの経験や嗜好というドットのつながり」や「人生のストーリー」が個人の心理を解き明かす上でどのように求められるのか分からなくなってくる。それどころか、君はむしろ好きこのんでステレオタイプに基づいた判断をしたがっており、「人生のストーリー」というものが「人物判断をイコールで導き出」されたものの美辞麗句にさえ思えてくるんだよね。
三つ目。「人の心理を想像するうえで、そういった作業は欠くことができない」というが、なぜ心理を想像するのに報道やマスメディアの断片的な情報があえて必要なの? 君は人生のストーリーを把握するためには「彼の供述を待つ必要がある」、「インタビューしてみないと分からない」と述べている。にも関わらず、供述を待つまでもなく、君は自分の感想を積極的に垂れ流しているよね。これによって、経歴についての君の感想は心理を理解するための方策ではなく、心理を想像するための過程ですらないと告白してしまっているように見える。ではそれは何なのかというと、報道をもとに君が抱いたステレオタイプな人格に他ならないんじゃないの? そしてなぜそのようなありきたりな感想に対して慎重に対処しようとしないの?
まとめると、君は終始、他人の人格を自分の偏見をもってステレオタイプに説明づけることしかしてないんだよね。そして他人からこの事実を指摘=説明されることから逃れるために、ありもしない高尚な動機を後づけでくっつけているように見える。君は二枚舌を使いまわしてこう主張する。「犯罪と結びつけるステレオタイプは排除しなければならない」。たとえ自身がステレオタイプにはまっていようとも、それは犯人の心理を理解したいから彼のストーリー仮説を作っているからであって、誤りではないということだ。
さらに滑稽なのは、「人の心理を想像するうえで、そういった作業は欠くことができないとさえ僕は思う」と、下衆な報道を野次馬的に楽しむことを高らかに正当化していることだよね。カントは、ある善を実現するためには、それを信奉する万人が等しく同一の道徳規則に無条件にしたがわねばならないとしている。君の場合はまるで逆だ。君は君の判断を正当化するために、あるはずもなかった善を先取りして捏造してみせた。そしてその結果として君の行為はゆいいつ美しいものとなるはずだったけど、あまりにも目論見が馬鹿げているために君はそれさえも失敗した。紆余曲折したあまり最後には、ステレオタイプに基づいた判断のすべてが個人の心理状況を理解するための尊い「哲学的な問い」だという結論に逢着したようだけど、なるほど、これは確かにカントを逆順に理解したものだね。君は自分自身の身勝手な行為から出発して万人に当てはまる倫理を作り上げたんだよ。