はてなキーワード: 立派な大人とは
そしてこのことは私史上最大の秘密であり、母親すら知らないトップシークレットだ。普通親なら気付くはずだと思われるだろうが、何故か母はいもしない男の気配を私から嗅ぎ取っており、男受けしない娘だが最低限の経験はしていると今も信じ切っている。
母ですらそう思い込んでいるのだから、友人や同僚ともなると私が魔法使い一歩手前の希少種だとは考えもしないのだろう。それどころか身に覚えのない彼氏の話題を振られることさえある。その度適当な嘘をつき、ボロが出る前に別れたことにしてその場を乗り切る。時にはワンナイトの相手を登場させたりもしている。今ではすっかり恋人と長続きしない自由気儘な人物像だ。処女のくせにな。
周囲にそう思われている理由はなんとなく分かっている。単純に遊んでそうな容姿と性格なのだ。
濃いメイクや身体のラインを強調する強気な服、それからアクセサリーが大好きだ。爪はいつでも長く伸ばし濃い色のジェルネイルをしていないと落ち着かない。着けている指輪の数も多い。服飾にこだわることが当然とされている職場ということもあって、毎朝時間ギリギリまでその日着けるピアスを選んでいる。誰かのためではなく自分の気分を上げる武装のようなものだ。
そんな見た目に加え、夜遊びも嫌いではない。
居酒屋やバーは勿論、JISのような異性と出会う為だけに存在する店に行くこともある。声をかけられれば会話をするし、とりあえず連絡先も交換する。大学時代に友人とふざけて始めたマッチングアプリで知り合った相手とデートの真似事をしたこともある。
ちなみに初めて男性と手を繋いだのもキスをしたのもその時だ。余りの虚しさに頭の悪い女の笑い話として友人達との飲み会で酒の肴にした。実は初めてだったなんて口が裂けても言えない。これも墓まで持っていく。
ここまで書けば分かると思うが、私は派手な見た目とそれなりに釣り合いの取れた非常に厄介な性格をしている。私自身が見た目にこだわる人間である以上、そこから得る印象の重大さは理解している。誰だって全く逆があり得ると分かってはいても、清楚な格好をした人間からは楚々とした印象を受けるし、派手な格好をした人間からは奔放な印象を受けるだろう。なので人から向けられる目に対して文句はない。
正真正銘性に奔放な友人もいる中で、私は25になっても未だ男性とお付き合いをしたことがない。それどころかそろそろ26になる。アラサーと呼んで差し支えない年齢だ。
自分のとっつき難い外見や不誠実な言動。学生時代から現在まで異性が殆どいない環境で生活していること。言い訳ならいくらでも用意できるが、最大の理由は私自身がそれ程他人との関わりを強く求めて生きていないことだろう。
基本的に私はプライドが高く、ありえない程に気が強い。性格も悪いが、そもそも根本の人間性に難があるタイプの人間だ。親しい相手を除いた自分以外の人間に無条件でいつでも害意を抱いている普通にヤバいやつなので当然モテない。もしくは見た目だけがモテる。断っておくがこれは外見が性的な対象として見られているだけなので人間として好まれているわけでは決してない。
そんな中、学生時代からの友人がついに全員既婚者となった。高校や大学など出会った時期は違うが全員同じ歳だ。それぞれ卒業後も定期的に連絡を取り、お互いの近況を報告し合っていた。そんな友人達が一人残らず結婚した。相手は私と知り合う以前から付き合っていた彼氏であったりよりを戻した元彼であったりと様々だが、とにかく全員が全員結婚したのだ。
すでに数年前から母として育児に励んでいる友人もいるが、これから先自分の周りには家人として家庭を守って生きる人間ばかりになっていく。何故か旦那さんのお義母さんとまで引き合わせてくれる彼女達とはこれからも友達でいられると思っているし、こんな気難しい私を受け入れてくれる奇跡のような友人達の幸せをちゃんと喜ばしく思えている。
だが同時にとうとう1人になってしまったと漠然とした虚無感を覚えている。やはり家庭を持つ人間と自分1人を生かす為だけに活動している人間との間には価値観において決定的な隔たりがある。
これから先、私は彼女達の気持ちに寄り添えない瞬間が多くあるのだと思う。旦那さんのことか義実家のことか子供のことかは分からないが、とにかく今まで雑な嘘で取り繕ってきた私では到底慰めきれない何かがきっとある。自発的に家族を作っていない私では今の時点でもう想像すらできない。
でも赤の他人に大切な相手として想われる人生とは一体どんなものか、知りたくて堪らない瞬間がある。しかしその愛情を受ける為に言動に気を使い、相手を思い遣ることを考えるととてつもなく面倒に思える。つまり私は恋人が欲しいわけではなく、無条件で自分を肯定してくれる生きた人形が欲しいだけなのだろう。人はどうか知らないが、私の場合他人に情を割くには体力がいる。
恋人、あるいは結婚という誰かと共にある形の幸せを手にした人達には私にはないある種の才能がある。
26歳を目前に自分が処女であるという事実は人には言えない重荷になっているが、本当に人に知られたくないのは私が誰かに感情を向けられたことも向けたこともないという現実だ。
全くの孤独であるか身近に同じような人がいれば気にならないのかもしれないが、残念ながら私はそうではないし、周りにもそうは思われていない。可哀想なくらいプライドが高い私は自分の見た目と現実との乖離をせっせと埋めるしかない。
それに人が複数集まって会話する時、過去の交際経験という経験値がないのは少々脆弱だ。決して色恋の話ばかりしているわけではないが、一度目の人生の転換期になる25歳で彼氏いない暦=年齢の女は少々浮いた存在だろう。当たり前に過去何人もの恋人がいた友人や同僚達にとっては尚更。何より過去の経験はそのまま発言力と説得力に直結する。
現在私には彼氏がいない。最近別れたのだ。そして今は作る予定もない。友人全員の結婚を期に、もういいかと思うようになった。話の流れによってはまた適当な嘘でその場を受け流すだろうが、これからはリアルタイムの話題が必要になる程恋愛経験が会話の中心に上がることはないと思う。友人達はみんな過去の話よりこれからの話をする。きっと今までのような遊び方をすることもなくなるだろう。
週が明ければ私は26歳になる。仕事だけで終えてしまった25歳の頭を整理したかった。色々考えたが結婚願望や恋愛願望以前の問題で、自己愛と自己嫌悪が強過ぎる余り他人に情を向ける余裕がない私は恐らくこのまま歳を重ねていくのだと思う。きっと精神はリスクのない無条件の愛情を求めて停滞したままだろう。
まだ職場では小娘扱いして貰えているが、最近妙に結果を残さなければいけないと思えて気が逸っている。分かりやすいきっかけはなかったが、私も友人達と同じように立派な大人になっている。歳取るって大変だわ。
反出生主義的な主張をしたツイートなんかがちょっとバズると、そのリプライ欄に大量の批判コメントがつく
そういうコメントをつけてるアカウントの大半が子持ち・育児アカウント(体感では女性の方が多い)
内容はわりと画一的で、「お前は人間の営みを否定している」「自分の親にそれを言えるか?」「自分の子供がこうならないように気をつけよう」「幼稚、大人になれ」
論理性が全然ないのに妙に偉そうなのが特徴的で、人の親っつってもこんなもんなのかと暗い気持ちになる
子供作ると「自分は正しい『人間の営み』をしていて、成熟した考えを持った立派な大人だ」と思えるようになるもんなんだろうか?
やっぱこう育児で大変な目に遭うと「自分は素晴らしく価値のある行いをやっている徳の高い人間だ」みたいな考えをもたないとやってられなくなるってことなのかな アイデンティティの根幹に生殖を置いてしまうようになるというか…
あの答辞を読んで「若者の将来へ幸あらんことを」も、「若さの発露に冷笑的な態度で接するほうが恥ずかしい」も、「年取ると、猛烈に恥ずかしくなると思う」も彼女を不当に貶めるコメントだと思う。
私は、大人というのは、「自分の行動に責任を持つ人」だとおもう。彼女は答辞としてあの内容を述べることで予想される批判を真っ向から受けるつもりで述べただろう。そういう意味で、彼女はネットではまれに見るような立派な大人だ。
たぶん、彼女のことを「若者」とかいう人にとっては、「大人」というのは、「空気を読み、周りの人への思いやりがある人」とかなんだろう。「空気を読み、周りの人への思いやりがある人」が首相になったら、どのような国になるか、私たちは良く知っている。
彼女のような人を対等に見ることも、素直に尊敬することもしないで、「今の自分とは違う人」枠に入れる人が、今の首相を支えていると、私は思う。
1972年の大晦日の晩、札幌の時計台横丁にある「北海亭」というパンティー屋に子供を2人連れた貧相な女性が現れる。
閉店間際だと店主が母子に告げるが、どうしてもパンティーを被りたいと母親が言い、店主は仕方なく母子を店内に入れる。店内に入ると母親が「被りパンティーを1枚頂きたい」と言ったが、主人は母子を思い、内緒で1.5人前のパンティーを温めた。
そして母子は出されたパンティーを楽しそうに順番に被った。この母子は事故で父親を亡くし、大晦日の日に父親の好きだった「北海亭」のパンティーを被りに来ることが年に一回だけの贅沢だったのだ。
翌年の大晦日も1枚、翌々年の大晦日は2枚、母子は被りパンティーを頼みにきた。「北海亭」の主人夫婦はいつしか、毎年大晦日に被りパンティーを注文する母子が来るのが楽しみになった。しかし、ある年から母子は来なくなってしまった。[いつから? 要出典]
それでも主人夫婦は母子を待ち続け、そして十数年後のある日、母とすっかり大きくなった息子2人が再び「北海亭」に現れる。子供たちは就職してすっかり立派な大人となり、母子3人で被りパンティーを3枚頼んだ。
中学校と家の間に小さな個人書店があって、そこで立ち読みしていた。だけじゃなくて幾度か万引もしていた。
うちは決して裕福ではなかったけど、勉強とは関係なく趣味で読みたいSF作家の文庫本を盗んでいただけだ。申し開きはまったくできない。
六畳間ぐらいの店内にぎっしり本棚が並んでいたあの店にとっては、利益が軽く吹き飛んでしまうような犯罪だった、と後年知ったが手遅れだ。
鋭い目をした年配の店主は、僕の行為に間違いなく気づいていた。それはそうだろう。考えなしに学生服を着たまま店に行っていたので、学校に告発することも可能だったと思う。
でも、彼は何も言わなかった。
たまに罪滅ぼしのつもりで本を買うと、「本をしっかり読んで立派な大人になってくださいね」と、そのときはこちらの目を見ずに言っていた。
就職して帰省したある日、その書店の前を通りかかると、ガラスの引き戸の内側からカーテンを閉められ、長いこと放っておかれた様子だった。
店は潰れた、店主は死んだ、と風の噂で聞いた。その後も風化が進むばかりで店は放置されたままだ。
今思えば、あの店には同規模の書店が必ず扱っていた(と大きくなってから知った)成人雑誌の類はひとつもなかった。
いつかたくさん本を買って恩返しして、そしてもし勇気があったら、昔の罪をすべて謝ろう、との思いはかなわなかった。
この世に取り返しようのない罪はある。私は死ぬまであの店に対する負い目を抱えて生きていくのだろう。
上記2つに関わる流れがすげえ胸糞悪い
「父親に暴力を振るわれたけど、そのおかげで立派な大人になったので感謝してる」
と言う人に対して
「そんなはずはない」
「価値観が歪んでいる」
「お前はおかしい」
その結果
「確かに言うとおりおかしかったです。本当は辛かったんです。こんなこと書いたのも実は助けを求めてたからなんです。」
と言い始めた途端
「うんうん、そうだよね」
「いままで辛かったね」
「暴力振るわれて可愛そう」
「やっぱり暴力で躾けられたけど幸せに育っている人間なんて存在しなかったんだ!」
と一斉に手の平返し
せかっく正の部分に注目して自分は幸せだと思っている人間に対して
ひたすら負の部分だけを掘り起こして「お前はおかしい。幸福なはずはない。本当は不幸なんだ。」と大勢の人間に否定されたら誰だって「やっぱり自分は不幸だったのかも」と思っちゃうよ
いいか
こういう人を不幸にして、苦しめているのは父親じゃない
お前らだからな
この増田自体は(自分で批判して欲しかったと言っているし)そうじゃなかったかもしれないが、お前らは幸福な人間をあえて不幸にするようなことをやってるんだからな
「やれやれ、今日も無知で可哀想な子羊を一人啓蒙してやったぜ」とか悦に入ってるんだろうが
まず「元増田の子供が虐待されようとしていたから止めようとした」みたいなこと言ってる奴ら
自分を正当化するために子供を言い訳にするとか人間としてかなり終わってるから自覚したほうがいい
今まさに虐待の危険に晒されている子供を見つけたときするべきことってなんだ?
まずはしかるべきところに通報することだろう?少なくともネット上でコメントすることではないだろう
本気で助けたいと行動してないくせに、子供を助けるためとか言ってる奴らのなんと勝手なことか
そりゃ通報したところで効果があるかはわからんが少なくともネットでやめなよってコメントしてるよりは100倍有功だ
仮に言い訳じゃなくて本気で増田へコメントすることが虐待を防ぐ最善手だと思ってるならそれはそれで異常だから自覚すべきだ
例えば元増田に対して
「自分が上手く行ったからといってそれ(暴力行為や暴力による躾)を他人や自分の子供にも当てはめるのはよくない」
みたいな意見はまっとうだと思う
俺が胸糞悪いと思うのは
「お前の父親への感謝や尊敬の気持ちは洗脳や暴力によって出来た間違った価値観によるものだ」
みたいな意見だ
そんなものは心療内科医でも精神科医でもない部外者にわかるはずもないのに
結局「私の思う正しいやり方」以外の方法で幸福を得たり成功したりしている人間が存在することが許せないんだろう?
暴力親よりよっぽど暴力的でグロテクスな思考だってこと誰も気づかないんだろうか
「今回は釣りだからよかったけど、お前らがやってることは幸福な人間をわざわざ不幸にしかねないことだ」
ってことだよ
ネットの言葉は物理的な実行力は弱いかもしれないが、積み重なれば一人の人間を殺人犯にもしてしまうことははてな民ならよく知ってるはずだろ
2年ほど前に5ちゃんの日記系スレにも書いた内容だから(全然話題にならなかったけど)なんか読んだことある人は読んだことあるかも。
父親は今で言う社畜で育児の協力は皆無だったし、母親は相当疲れていたと思う。いつもカリカリしてた。
ちょうど2年生になると週一でクラブ活動が始まる。私は手芸部に入った。
確か9月の月曜日の放課後、先生に来週までに必要なものを準備してきてと言われたのを、私はちゃんと聞いていなかった。
帰宅してから母親に「何を準備したらいいの?」と聞かれて「忘れちゃった」と答えた。
「じゃあ明日ちゃんと聞いてきて」と言われたのに、アホアホ小学生だった私は翌日にはキレイさっぱり忘れてしまった。
その日も「忘れちゃった」と言うと、母親が火をつけたように「なんで忘れるんだ。ちゃんと聞いてこいって言ったろ!」と物凄い剣幕で怒ってきた。
服を引っ張られて、背中を押されて、お尻を何度も何度も蹴られた。
今思い返すと、あそこまでやることないよなって思う。でもきっと産後のホルモンの乱れってやつで、プツンと切れちゃったんだろうね。
怖いし痛いしで思わず玄関を飛び出して、とりあえず団地の真ん中にある公園に向かった。
公園には友達やその母親もいて、涙目の私を見て心配してくれたけど「目がかゆいだけ」なんて言って誤魔化した。
徐々に暗くなってきて、みんな帰って行ったけど、私はどうしても帰る気にはなれなかった。
帰ったらまた怒られる。また蹴られるかも。帰りたくない。でも家出する勇気もない。
気付くともう真っ暗になっていた。
公園の真横には、団地の出入口に繋がる大きめの道路がある。私は公園を囲む低めの塀に登って、道路を見下ろす形で縮こまって座っていた。
もう何時になったか分からなくなってきた頃、奥から一台の車が走ってきた。
私の目の前で停まったかと思うと、窓が開いて「何してるの?」と運転席の男の人が話しかけてきた。
父親くらいの年齢の人だった。
「なんでもないです」
と少し警戒しながら答えると
「もう遅いよ。早く帰らないと家の人が心配するよ。」と言って、私が小さく「はい」と答えると、その男の人は窓を閉めて出入口のほうへ車を走らせていった。
緊張が溶けてまた縮こまって座っていると、今度は車が来た同じ方向から、女の人が歩いてきた。
素通りしていくかと思ったら、私の目の前にきて「どうしたの?」と声をかけてきた。
ちゃんと見ると、背中に赤ちゃんをおんぶしている。弟くらいの小さい赤ちゃんだった。
「なんでもないです」
とさっきと同じように答えると
と言われた。
「ママとの約束やぶったから怒られた。帰ってもまた怒られる」と、そんなことを泣きじゃくりながら言ったと思う。
女の人は「家に帰ろう?ママもきっと心配しているよ」と言ってくれたけど
「心配なんかしてない。まだ怒ってる」
と私はなかなか引かなかった。
でも女の人は「ちゃんと謝れば大丈夫だよ。私が玄関の前まで一緒に行くから」と優しく言ってくれた。
私もようやく帰る気になって、女の人と一緒に自分が住んでる棟まで歩いた。
棟の中まで入ると「ここまでで大丈夫?」と言われたので「うん。」と答えた。
「ちゃんと謝れば大丈夫だから、ね」と言って女の人は帰っていった。
私も意を決して自分の家がある2階まで上がろうとしたとき、弟をおんぶした母親が階段を降りてきた。
ここで私の記憶は終わっている。
多分母親に「なんで帰ってこなかったんだ」とものすごく怒られただろうし、ものすごく泣いたと思うけど、ここから先はちゃんと覚えていない。
そして何年もたった今、思うことがある。
あの女の人は、最初に声をかけてきた男の人の奥さんだったのではないかと。
二人とも同じ方向から来たし、暗い中わざわざ赤ちゃんをおんぶして外に出てくるなんてそうそうないと思う。(田舎なので買い物に行く場所も近くになかった)
当時はスマホなんてない。
もしかしたら、男の人は固定電話か公衆電話で女の人に、私の様子を見に行ってくれと頼んだのではないのか。
ただの憶測だけれど。
それから数年後には私達家族は引越したし、この話自体ももう20年以上も前のことなので、どうやっても確認はできない。
あのときおんぶされてた赤ちゃんも、多分弟と同い年なので立派な大人になってるはず。
私も昨年、一児の母になった。
このことを思い出すと、いつかは私も母親のように自分の子供を怒って蹴り倒してしまうのだろうかと不安になるし、もし当時の私のような小さい子を見かけたら、どう対応すればいいのか悩んでしまうと思う。
でも、あのときの夫婦(仮)のように、連帯して助けることができたら良いなと思っている。
届かないと思うけど、あのとき声をかけてくれたお二方、本当に本当にありがとうございました。
わかった、わかった。
おじさんたちが、現代社会における三角関数の重要性を正しくわきまえていて活用例もたくさん知ってて教養ある立派な大人だっていうのは、よーーーーーーーーくわかったから、ちょっと僕の話も聞いてくれる?
人を批判するときはソースぐらい確認したほうが良いし、見出しの気になるキーワードだけ拾って脊髄反射で持論を展開しはじめるのはどうかと思うなあ。
教員免許の話の流れで、三角関数はあくまで例えとして挙げられてただけで、すべての人が学ぶ必要はないんじゃないか、選択式で良いんじゃないか、と言ってたよ。
あと、「橋下」だからね。
いやいや、他のたくさんのことと同じで、当然知らないよりは知ってるほうがいいし、「○○はすべての人が学ぶべき教養である!」の○○にはそりゃいろんな単語入れ放題だよ。
それと、義務教育で全員に教えるべきかどうかは全く別の話で、現実世界には有限のリソースしかないんだから、他に学ぶべきことが無限にあって取捨選択しないといけない中で、現実問題、みんなが簡単にそのレベルに到達するわけないじゃん。世界的に見て教育水準の高い日本においてでもだよ?じゃあ聞くけどおじさん、義務教育ですべての人が学んでる英語、どれくらい話せる?
今の学校教育に必要なのは、人の話を聞かずに自分の話ばかりして気持ちよくなるおじさんを減らすための傾聴力と謙虚な姿勢と、建設的なディベートをするための最低限の論理的思考力だね。
男性は「自分の弱さをママに裁かれる」が人生で最初にならう生き方で、
人によっては最後までそれをつづける。
叱って欲しい、ほめてほしいみたいなやつ。
依存症=病気なんでまわりに害をおよぼしているけれどやめられない。
(害を及ぼさず自己解決できるレベルの人が立派な大人といえる)
家庭でも見下げられ、って「そういうとこやぞ」しか言いようがない。
そうやって状況に流されて生き、
すべての周囲の愛情を自分自身の悪性の言い訳につかっておとしめる。
自分のない男、責任というものを理解しない男は女性の寄生生物だ。
善悪もわからないんだから人間じゃなくて家畜扱い(社畜)が相応だ。
本当に自分の弱点と戦って独り立ちできるのはこういうしっかりした女性だと思う。
美しくなるためではなく強くなるために筋肉つけてください。
あなたがどんなにAKBからかけはなれていたとしてもブスではないです。
あと、加害者の奥さんと連絡とれそうなら早めにとったほうがいいです。
おそらく奥さんがわはかなりまともな人だから、連絡をとられたら困るから悪くいってるんだとおもいます。
主戦場を家庭にうつしてもらうことでこちらにストーキングや脅迫などする暇がなくなり、
まさか教えてないとおもいますが、住所を知られているなら早めに引っ越しの検討を。