はてなキーワード: 援助交際とは
エンターテインメントという英語だったりするわけで、
自分が高校生の頃、同世代の女がおっさんたちに金で買われて、宮台真司とかいう学者が援助交際を肯定するようなことをテレビで言いまくってた。だから「俺もおっさんになったら金で女子高生を買いまくればいいんだ!」と思った。
ところが実際には、おっさんたちの雇用を守るために俺らの世代は切られた。おっさんになっても大した金も稼げず、そもそも女子高生を金で買うのは犯罪になってしまった。同世代の女を買ってた当時のおっさんらを養うために年金を取られ、税金が上がり、円安で外国人の女も買えなくなった。
悪の限りを尽くした当時のおっさん、今の老人がコロナで死んでも全く同情しない。むしろ、ざまあみろと思う。それでも若い世代を安く買い叩いた報いにしてはヌルすぎる。
アクタージュの原作者が強制わいせつで逮捕され打ち切りが決定した。
過去に作者の援助交際によって打ち切りになった『世紀末リーダー伝たけし!』を引き合いに出し、
「今回のアクタージュ原作者の行為は、たけしの作者よりもずっと悪質」と言っているものがいくつもある。
私はこれらのコメントは、それが刑法上どちらがより重罪かという意味で「より悪質」と言っているのでなく、
曖昧な言い方にはなるが何らかの倫理的な基準に則って比較したときに「より悪質」という意図と読み取った。
当初私は同意した。
理由は援助交際(相手は女子高生)と強制わいせつ(具体的には歩いている女子中学生の後ろから自転車で近づき、体を触る)を比べると、
前者は一応双方の合意があるのに対し、後者は被害者には何の落ち度もないのにひどい目に遭っているため、より悪質だと考えたからだ。
しかしよく考えると援助交際の被害者に落ち度があるとは言えないと思えてきた。
収入を得る手段が限られた人間が大金をちらつかせたら心が動いてしまうのは
するとこれは高校生側の落ち度というよりは援助交際を可能とする社会の落ち度という気がする。
またこの2つの事件では被害の内容も異なり、被害者が負う心の傷も違う。
結局、私はこの2つの犯罪の悪質性の比較を可能とする尺度を1つも見つけることができなかった。
もっと精密に色々と考えていけば見つけられるのかもしれないが、今のところ見当もつかない。
もしご存じの方がいれば教えていただければ幸いです。
http://komuro.blog.jp/archives/54814607.html
要約すると
日本の経済は凋落が著しいが、今回の都政選挙で小池が圧勝したことに象徴的なように、
日本人は現状維持の傾向が強固であるため、今後も経済政策が改善されない状況は続く。
しかし、自分はこうした状況には絶望しておらず、政治に期待せず、民間、個人レベルでやれることにはまだまだ可能性があると思う。
と、こういう内容だ。
上野千鶴子もそうだが、日本のメディア露出が多いリベラル系社会学者の本音とは、
貧乏人どもウゼェw俺らの目に入らないところで勝手に生きるなり死ぬなりしろ自己責任www
なんだな。ということをつくづく痛感するね。
個人レベルで可能性がとかふわっとしたこと言われても、具体的にどういう可能性なんですか?と聞かれれば、
身のあることは何も答えられないだろうし、
今や日本は20年、30年前の貯金を食い潰しているだけで、選択肢というのはどんどん狭まっていく一方だ。
宮台は援助交際女子高生の研究と終わりなき日常というタームに象徴される90年台末から2000年台初頭にかけての、
社会状況分析で名を挙げた人だが、自分のかつての仕事が、なんの意味もない言葉遊びに過ぎなかったという結果をどう考えているんだろうか。
今や誰も当時の宮台が提示したフレームワークを使用して思考している人間など誰もいない。
宮台真司本人さえ、自分の過去の仕事を捨て去っているようにみえる。
宮台真司が提示する現状分析など、常に、その時その場でのそれらしい思いつきにすぎない。ありがたがって拝聴している人間の気がしれない。
私は腐女子である。過去には自らイベントに参加し本を頒布するなどもしたが今はただの出戻りROM専である。
私が二次界隈から去っている間に、この創作世界にも様々な変化があったように思う。
主に夢だ。
こんなにも市民権?をとっているとは過去の腐女子には想像もつかなかった世界である。
彼女らは大変に気遣って住み分けし、支部ではタグを入れて事前注意をしてくれるし、別に避けているわけではないが彼女らの主張をSNSなどで見たことがない。少なくとも私は。
女体化。
別に嫌いではない。支部でジャンルに女体化を描く人はいく人もいる。しかし大勢いるそのうちの一人にもやっと来る。
その人はいわゆるツイ廃で、心を病んでいる。よく死にたいツイートをしている。自らメンヘラを自称している。
私は過去の経験から、8割くらいの二次同人女は過去未来現在のどこかで心を病んだことがあると思っているので別にそれは気にならない。
TwitterというのはSNSの中でも危険度の高いツールだと思う。呟きツールというだけあって、脳と指先が直結している。
気軽に自分自身についてツイートする。そして自分の好きなキャラについて考察したりする。
しかしこちらは同時に同じような意見を見ることになるので、彼女のキャラ考察というのはキャラでなくてご自身のセルフ考察であるなあというのが分かってしまうのだ。
何しろそのキャラは某人気王道バトル少年漫画の主人公であるので、間違ってもフロイト的な、全ての心の問題は性問題であるみたいな、そういう考察にはなり得ないのだ。
女体化作品でも作者が透けて見えなければよかった。たとえキャラ崩壊してだれおま状態でも気にならない。
しかしこんな明確に自分の問題をキャラに投影して、このキャラの考察はこうでこうで、などと大真面目に語られるともはや二次というより彼女が彼女自身を描いたエッセイ?を見せられているような気になってしまうのだ。
エッセイも好きだ。しかし、それは自分を客観的に見れていたらの話ではないか?
明らかに美化?した理想の悲劇の主人公。女体化。もはやなり変わり夢と化している男性キャラ。
絶世の美人(元はフツメンの男性キャラである)登場人物全員このキャラを愛している。総受け固定、などと語られると
(自分ではなく好きなキャラを語っているというつもりなので)、こちらとしてはヲチ目線で見るしか無くなってしまうではないか。
男体のままならまだ自分をごまかすことができたかもしれないが女体化。
もちろんこちらは見なきゃいいだけの話なのだが、こんな彼女のリアルな友人も見ているだろう垢で、欲求不満です通りすがりの誰でもいいみたいな作品をその女体化キャラでリアルチックに描かれられると、そんな赤裸々で大丈夫かとハラハラしてしまう。
なんだかひと昔前の携帯小説の援助交際女子高生みたいなこと言っている。
援助交際ってお金が目的なんだと思ってたけど、あれ、普通に欲求不満なだけの人もいたのだろうか?
BLという隠れ蓑を纏っているなら他人にその願望をバレたくはないと思っているんじゃ無いだろうか。多分だけども。
きっと未来に死ぬほど後悔しそうな気がするのだけど、ひと事ながら大丈夫なのだろうか。
それとも恥ずかしいと思うのは私がオババだからで今の若い人は平気なのかな。
なんかこう書くとエラソーだなと思ったんで付け加えますが、正直BLの性的表現というのは私も含め全て自己の投影だと思ってます。
自分の性についておおらかに表現するのに抵抗がある女性が、男性同士です、私とは無関係ですよ、という名目の元に性的なものを創作物として昇華させていると思ってます。
令和の世の中では信じてもらえないかもしれないが元増田の言っていることは本当だ
それまで成人男性向け週刊誌で取り上げられるのは専ら女子大生だったのに
11PMとかの深夜番組が援助交際など女子高生の乱れた性の実態を取り上げた
コギャルとかマゴギャルがブームになってテレビ・週刊誌は毎週のように過激な記事を乱発した
あんな報道毎日見てればそりゃあ女子高生にそのへんのサラリーマンが「いくら?」って声かけても不思議じゃない
一部の知識人は何故だかそれを女性の解放?のように持て囃し、保守的な知識人とかタレントが嘆きまくっていた
これ今振り返ると絶対狂ってたよね
90年代前半は「女子高生ブランド」が最高潮になった時代で、女子高生たちは自分自身の「価値」を知り、世のオヤジたちに提供する存在だった。オヤジたちはその女子高生たちに相応の対価で応え、ギブアンドテイクの関係性が出来上がっていた。
と、オヤジたちは思っていた。
ブルセラ、援助交際、ウリ、テレクラ。これらが週刊誌、ドラマ、マンガで繰り返し描かれることによって、「女子高生はそのように消費してもいい存在」「それによって金を稼ぐことを女子高生も望んでいる」「汚れた女たち」とオヤジたちは本気で思った。だからいきなり女子高生に声をかけて「3万でどう?」と言えたのだ。しかもそれで、けっこう成功した。追加で金がかかることは多かったろうが。
もちろん、そのような「価値の提供」をする女子高生はそんなに多くはなかった。当たり前だ。しかし、爆発的に「そういうイメージ」が浸透した。女子高生は清純かビッチか、どちらかしかいないような錯覚が生まれた。
そして、ウリやエンコーに応えるビッチな女子高生はそのまま性的対象になった。説教しながらセックスする対象になった。
一方、「今時珍しい」清純な女子高生もまた、そのまま性的対象になった。汚れた女どもの中で、この子は違う。そうして癒しのセックスの対象になった。
大分アバウトだが、このようにして「女子高生」というブランドが性の匂いと不可分になっていった。もちろん、それ以前から性的対象のカテゴリではあったが、一般にも決定的に浸透したのはこの時代だろう。
もはや「そういう子もいる」ではなく、「今時の女子高生はみんなやってる」と思われるほどに浸透した。痴漢やオヤジたちだけではなく、世の中の一般的な人々に、そういうイメージが知れ渡ったのだ。
なので、今更かつての女子高生に「あれは本当に嫌だった」と言われても、「持ちつ持たれつだったじゃないか」「お前たちも汚れた女だったじゃないか」という意識はどこかに残っている。だから本気で「すまなかった」という声はオヤジたちからは出てこない。釈然としない気持ちが残るからだ。
「だってお前ら高かったじゃん」と言いたいのだ。
「嫌だったかもしれないけど、その分こっちも懐痛めてたんだしさぁ」
「むしろお前らのほうが得してただろ?」
「俺を振ってオヤジと腰を振りやがったくせに」
そう言いたいわけだ。
もちろん、これは「女子高生を消費してもいい空気」が犯人なので、一部を除いて女子高生たちには責任はない。しかしこの「一部を除いて」と言わないといけないのがネックになる。それで金を稼いだ女子高生が確かに存在したことが問題をややこしくさせる。
オヤジどもが突くのはこの点だ。確かに金を得た女子高生はいたのだ。オヤジたちをあざ笑い、金を持って行った女子高生が存在した。
それがあるから、「本当に嫌だった」を素直に聞き入れられないのだ。
今でいうパパ活とは比較にならないほど広汎に「ヤレるイメージ」がついたのがあの時代だ。一度に動く金額は現代のほうが上だろうが、総額ではあの時代が圧倒的に上だろう。
ちょっと遊んでる風の女子高生には、必ず「ウリをやってる」という噂が立った。"清純"な女子高生が眼鏡をやめてコンタクトにしたりしたら、「オンナになった」とかささやかれた。
山本直樹のマンガ「Blue」の時代だ。そういう空気感だった。
なので、「当時の遊んでる女子高生像」がどうしても頭から離れない。
90年代前半の女子高生は下劣なオヤジとギブアンドテイクの関係だった、と、オヤジたちは思っていたから、女子高生の消費が止まらなかったということは言えるだろう。
ただ電車に乗っているだけで痴漢にあい、服を切り裂かれ、日常の中で脅威にさらされた女子高生たちは大変気の毒な時代だった。
なぜそのような目にあったかと言えば、「世間が女子高生をそのように扱ったから」としか言えないような気がする。
俺自身も、当時付き合っていた彼女がエンコーしていた事実があった。今でいえば脳が破壊されるというやつだ。
そういう経験もあって、正直なところ、心のどこかでかつての女子高生に同情ができない気持ちがある。申し訳ない。
ともあれ、まぁ、「あの時代」はこんなもんだったんじゃねーかなということを書いてみた。
歌舞伎町が今話題だけど、歌舞伎町で過ごしたあの日々が懐かしくなってしまった。
一日歌舞伎町でちょっとだけ頑張るだけで一日手渡し10万円稼げたあの日々、キャバクラとか風俗とかは怖いから、出会い系サイトで会った人のちんぽシゴいたりセックスしたりしてお金をもらっていたあの日々。いろんな人の顔が思い浮かぶ。
イケイケデザイン事務所のKさん元気かな。大手ゲーム会社プログラマーのSさん今なんのゲーム作ってる?
国立大学院生、自粛中。刺激が足りなくなってきた。訳ありだからセフレは作れない。
誰かと抱き合いたい。研究は進まない。twitterは見たくないけど定期的に呟かなきゃいけない。ご飯食べるのも面倒臭い。
援助交際またしたくなっちゃったけど、コロナとか関係なく今の立場上は絶対に絶対に許されない。可愛いねって褒められない日々、最悪だ。
こんにちは、増田に書くのは初めてだけど誰にも言えない私の思い出を書いておこうと思って書きました。
高校3年生、お金が欲しくなって援助交際をした。近日中にお金が欲しいんだよねと、クラスの一番仲の良い友達に相談したら「いい掲示板があるよ」と、援助交際の掲示板を紹介された。「私もやったことあるよ」と言われて、それならいいかと軽い気持ちで、サブメアドを書き込むと、大量のメールが届いた。
「こんにちは〜^_^」
とりあえず全てに返信をするけど全員とメールが続くわけではないため、とりあえず会話を続けてふるいにかける。残ったのは3人。
そのうちの1人がアドレスの設定を「子安武人」にしていてなんか面白いからその人とセックスすることにした。(処女ではない)
上野のラブホでエッチするはずだったが、その人は勃たなかった。「おかしいな…緊張してるからかなははは」とか言って、結局ベッドに入りながら1時間半ぐらいおしゃべりしただけで3万円くれた。バイトもしていない高校生からしたら超大金。帰り道はカバンが盗まれたらどうしよう、財布落としたらどうしよう、援交が警察にバレたらどうしようとヒヤヒヤしながら帰った。
大学に入るまでは受験で忙しかったから援助交際はしなかった。都内のそこそこいい学校に行き、一人暮らしでお金が無くてまた援助交際した。
最初はパパ活のつもりで出会い系サイトに登録したけどエスカレートして結局色々やった。
手コキ(個室漫喫)
たくさんしたな、懐かしいな
フェラチオしてあげた後に、君どこの店?って聞かれたのは嬉しかった。
11:00~12:00 〇〇さん(1h) 手コキフェラチオ @個室漫喫 1万
12:00~13:00 ××さん(1h) 手コキフェラチオ @個室漫喫 1万
14:00~17:00 △△さん(3h) セックス @ラブホ 5万
18:00~18:30 ⬜︎⬜︎さん (30min) パンツ生脱ぎ手渡し @カラオケ 5千円
20:00~22:00 ◉◉さん (2h) セックス @ラブホ 3万
こんな景気の良い日は1日で10万5千円getしちゃったりしてね。もちろん終わったその日は精神的にも肉体的にもぐったりだけど。
リピートして会ってくれる人たくさんいたな。楽しかったしもう時間もまあまあ経ってるから、印象的なエピソードをまた気が向いた時に記録として書いていきたいと思う。
今は援助交際はしていない。援助交際の怖いところは辞め時がわからないところ。辞める直前までは、私はいつになったら辞めるんだろうと思いながらやっていたところはあった。結局彼氏にバレて、やめなよって諭してくれて辞めることができた。だから彼氏に真剣に諭された時は、あぁやっと辞めれるなと思っていた。その人とは別れちゃったけど。
援助交際はギャンブルと一緒なんだよね。ギャンブルやったことないけど。色々してあげた後、お金もらえる時が一番アドレナリン出る。しかも男たち(客とは言わない、店じゃないからね)はありがとう、楽しかったよとか、良かったよって言いながらお金を渡してくるから、なんてwin-winな人助けなんだろう!なんて思ってた。
実際やめてからの1年間はなんて自分は汚いんだろうと、過ちを犯してしまったことを悔やんだ。活動する地域は限定していたから、用事があって援交してた街に行く時は辛くなった。今になってやっと懐かしい思い出として思い出せるようになってきた。
援助交際をしていた時はスナックでも働いていて、今はスナックはやめてアイドルをしている。ひどいアイドルだと思う。過去は過去だからと納得はしているが、実際自分をこうやって客観視するとひどい、本当にひどいアイドルである。ファンの人ごめんなさい。
援助交際して、スナックで働いて、アイドルやって、私はおばさんになるまではずっとこの、女を売り誰かから搾取するような生き方をしていくんだろう。援助交際もスナックもアイドルも、誰かを元気付けて対価をもらい、相手を日常生活に送り出していくという形式がどれも共通して当てはまってしまうのが可笑しくて笑ってしまう。やっていることの本質は一緒。世間の印象が段階的に”最悪”から”マシ”になっているだけだよ。
あーあおもろい人生。