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はてなキーワード: 援助交際とは

2020-05-10

anond:20200509205428

この前、援助交際で会った女の子は、コロナで働いていた飲食店をクビになって困ってるって言ってた。

2020-04-30

氷河期女って「援助交際」とか言って自発的身体を売ってたクズのこと?

それを擁護しまくってた宮台真司かいオッサンもいたけど。

2020-04-26

金の無駄遣いをやめようと思って

援助交際相手を探してた出会い系サイトの、アカウントパスワードメモしていたテキストを削除してしまった。

岡村アドバイスを見て、たしか出会い系サイトも今頃バイトとかできなくなった大学生がたくさん来てるかもしれないと思った。

もう一回登録してみようかな。

2020-04-16

パパ活生活が豊かになって、胸が痛くなっている。

こんにちははじめまして

私は所謂パパ活」と呼ばれる援助交際によって生計を立てている者です。

私の育ちは豊かとは言えないがそこそこ幸せだったように思う。

お金はそんなにない家庭だった。

まあでも、無くても無いなりの幸せってのはあるもので親元を離れるまでは地元で楽しく暮らしていました。

勉強はそこそこだったが突出して良いという訳ではなく、スポーツや一芸に秀でていることもなかった。

おまけに学校での素行は悪く高校は2年生の冬に辞めた。

両親は共にヤンキー上がりで、私が問題を起こすたびに「若さ大事からそんなに気にしないの。子供の行いは親が責任取るものから」なんて言って励ましてくれていたが、流石に退学処分を食らったときは泣いていた。

そんなこんなで学もなく、真面目さの一つもない私が持っていたものは両親から譲り受けた"可愛さ"だけだった。

高校を辞めた私はバイトを始めた。

未成年だったので朝9時から夕方の6時まで、有名雑貨店バイト仲間と駄弁りながら時間を浪費していた。

家に帰れば大好きな両親と兄弟がいた。

休日地元の不良仲間とカラオケプリクラ、安い古着屋で服を漁る。

今思えば私の暮らしは何の不満もなかったはずだ。

ある日、ふとテレビで見た原宿に強い憧憬を抱いた。

私の地元はお世辞にも発達しているとは言えない、辺鄙な所でした。

そんな土地で十数年暮らしていた不良少女が華やかな東京の街を見てしまった。憧れないわけがない。

車の免許費用として貯めていた40万円の貯金を元に突発的に上京した。

ここから私の生活は一変、彩度が低い田舎からカラフルキラキラ輝いている街を闊歩するように。

当時の私にとって全ての体験が新鮮で刺激的でした。

とりあえず東京暮らしをするためにガールズバーで働き始めた。業務内容も、時給ひとつとっても全て田舎の比ではないくらい良いものだったし。

毎月20〜30万ほどの収入があって、こんなにお金が貰えるなんて...と感動した。

人とは愚かなもので一度甘い蜜を味わってしまうとさらに上を求めてしまうんですね。

家はもっと立地がいいところ、服や鞄はブランド物じゃないと嫌、一流のデパコスで顔を彩りたい。

とにかく貪欲になっていく。

当初は満足していたバイトですら物足りなくなって風俗嬢になった。

ここで私は可愛く生まれたことを激しく両親に感謝した。整形しなくとも指名は入り、バンバン固定客を掴んでいった。

月収はゆうに100万を超えていたと思う。ただ、それ以上に出費がとにかく多かった。

新宿家賃20万くらいのマンションに住み毎週のように百貨店ブランド品を買う。貯金なんてしなくても稼いでるからいいでしょ?と自分に言い聞かせ。

そんな生活をしていたらまあ、誰でも破綻するだろう。

働けど働けど一向に貯金は増えなくて、いよいよ生活費を賄うことすら厳しくなってきた。

つくづく私は運の良い人間だ。

いつもの様に出勤し、太客から指名が入り開口一番「君のことを本当に愛してる。僕に養わせて欲しい」

なんて言われた。

その瞬間私が思ったことは、やはり可愛く生まれて良かった と、傲慢過ぎる感覚だった。

金以外何も見えていなかった。

こうして私は水揚げされ、彼と暮らすことにした。

早速住んでいたマンションから退去し、都内有数の超高級住宅の部屋を与えられた。

凄い。これが本当の金持ちなんだ。私の暮らし虚構だった。

詳細は伏せるが有名人御用達の高級マンション家賃は3桁万円。これだけでなく毎月うん百万のお小遣い、それだけで軽自動車が買えてしまう服に鞄に家具

夢にまで見た暮らしがあっさり手に入ってしまった。

こうして私のパパ活が始まった。

初日から1ヶ月目くらいまでは興奮のあまり寝ることすらままならなかった。

自分の通帳を何度も開き、これは嘘でも夢でもないんだと都度幸福に浸る。

エルメスセリーヌバレンシアガディオールルブタンジバンシーフェンディヴィトンバーバリー。まあなんとも成金臭の強い物ばかりだが部屋の中で買い込んだブランド品で自分を着飾っては恍惚した。

田舎1000円以下の古着を漁っていた頃の自分はもういない。今の自分は、一枚10万もするシャツを惜しみなく買える。それも際限なく。

もう私の頭の中はとにかくお金でいっぱいだった。

専属運転手毎日ブランド品を取り扱う店に走らせた。使わなければ溢れてしまうほどのお金があるのだから

半年ほどこの様な生活をしてみたが遂に、またしても「飽き」に到達した。

欲しいものはもう買い尽くした。新商品が出たら別に欲しくなくても、惰性で買っていた。

上京して2年。私を取り巻く環境はあまりにも変わりすぎた。

しか生活水準は地元にいた頃とは比較にもならないぐらい上がった。

それでも、何かが足りない。

それから私は思考を巡らせました。

あぁ私に足りないのは無償の愛だ。という答えに辿り着いた頃にはもう遅くて彼から受ける一方的暴力的とも言える施し。私は1秒も彼を愛していなかった。

只々与えられ続けブクブクと肥えた心を得ただけでした。

そういえば上京してから家族と連絡をあんまりとっていなかった。

みんな何をしてるんだろう、と思い友人数名と母親のインスタを覗いた。

...。

結論から言いますと、あまりにも私の家族や友人と私自生活の差に号泣してしまいました。

仲が良かった友人らは相変わらず某ショッピングモールで屯し、安いフードコートスイーツを食べ、プリクラを撮って、カラオケに行っている。

母親100円ショップで可愛い小物を探すのが楽しみです♪なんて投稿をしていた。服なんてもう何年も新しいものを買っていないだろう。私の母は美人だ。美人だが、金はない。ルックスと身につけている物の落差で余計にみすぼらしく見えてしまう。

妹もとびきり美人だ。勉学に勤しみ、運動神経もずば抜けている。なのに、私のお下がりを着続けてボロボロになったランニングシューズ大事に使っている。

ショックだった。

私は、最悪だ。

金に塗れ、周りの事など見ていなかった。

思えば収入が増えた時点で実家仕送りをすれば良かったのにそれをせず自分お金を使い続けた。

なぜあんなに大好きだった家族に何もできなかったんだ。

本当なら、母にはいつまでも綺麗でいてほしいし妹にはもっと自分の可愛さに気づいてほしい。これは押し付けかもしれないけど、私はそう思う。

お金は一番の麻薬。与えられれば与えられただけ、求める量も増えていく。

現に私はまだパパ活を続けている。

今の生活を手放すのが怖い。

ただ変わった点はいつ見限られてもいいよう貯金は常に2千万を切らないようにし、家には毎月20万の仕送りをしている。

本当なら100万でも200万でも送ってあげたいけど、私がどのようにして稼いでいるかを知ったら、ひどく悲しませてしまう。

20代前半にしてこんな暮らしを覚えた私の行く先は、どうなってしまうのだろう。

この身体が私の商売道具だ。身体さえあれば稼げるが、逆に言えばそれ以外何もない。

もう一般的幸せは手にできないと諦観しています

私の幸せが飽和してしまった分、家族や友人らに幸せを与えることが、今後私の役目だろうか。

お金以外で感情表現することができなくなった私は、毎月お金実家に送り、使わなくなったブランド品も定期的に送っています

愛情ゆえの行為ですが、正しくはないんだろうな。

正しい愛を誰か私に、再教育して下さい。

パパ活生活が豊かになって、胸が痛くなっている。

こんにちははじめまして

私は所謂パパ活」と呼ばれる援助交際によって生計を立てている者です。

私の育ちは豊かとは言えないがそこそこ幸せだったように思う。

お金はそんなにない家庭だった。

まあでも、無くても無いなりの幸せってのはあるもので親元を離れるまでは地元で楽しく暮らしていました。

勉強はそこそこだったが突出して良いという訳ではなく、スポーツや一芸に秀でていることもなかった。

おまけに学校での素行は悪く高校は2年生の冬に辞めた。

両親は共にヤンキー上がりで、私が問題を起こすたびに「若さ大事からそんなに気にしないの。子供の行いは親が責任取るものから」なんて言って励ましてくれていたが、流石に退学処分を食らったときは泣いていた。

そんなこんなで学もなく、真面目さの一つもない私が持っていたものは両親から譲り受けた"可愛さ"だけだった。

高校を辞めた私はバイトを始めた。

未成年だったので朝9時から夕方の6時まで、有名雑貨店バイト仲間と駄弁りながら時間を浪費していた。

家に帰れば大好きな両親と兄弟がいた。

休日地元の不良仲間とカラオケプリクラ、安い古着屋で服を漁る。

今思えば私の暮らしは何の不満もなかったはずだ。

ある日、ふとテレビで見た原宿に強い憧憬を抱いた。

私の地元はお世辞にも発達しているとは言えない、辺鄙な所でした。

そんな土地で十数年暮らしていた不良少女が華やかな東京の街を見てしまった。憧れないわけがない。

車の免許費用として貯めていた40万円の貯金を元に突発的に上京した。

ここから私の生活は一変、彩度が低い田舎からカラフルキラキラ輝いている街を闊歩するように。

当時の私にとって全ての体験が新鮮で刺激的でした。

とりあえず東京暮らしをするためにガールズバーで働き始めた。業務内容も、時給ひとつとっても全て田舎の比ではないくらい良いものだったし。

毎月20〜30万ほどの収入があって、こんなにお金が貰えるなんて...と感動した。

人とは愚かなもので一度甘い蜜を味わってしまうとさらに上を求めてしまうんですね。

家はもっと立地がいいところ、服や鞄はブランド物じゃないと嫌、一流のデパコスで顔を彩りたい。

とにかく貪欲になっていく。

当初は満足していたバイトですら物足りなくなって風俗嬢になった。

ここで私は可愛く生まれたことを激しく両親に感謝した。整形しなくとも指名は入り、バンバン固定客を掴んでいった。

月収はゆうに100万を超えていたと思う。ただ、それ以上に出費がとにかく多かった。

新宿家賃20万くらいのマンションに住み毎週のように百貨店ブランド品を買う。貯金なんてしなくても稼いでるからいいでしょ?と自分に言い聞かせ。

そんな生活をしていたらまあ、誰でも破綻するだろう。

働けど働けど一向に貯金は増えなくて、いよいよ生活費を賄うことすら厳しくなってきた。

つくづく私は運の良い人間だ。

いつもの様に出勤し、太客から指名が入り開口一番「君のことを本当に愛してる。僕に養わせて欲しい」

なんて言われた。

その瞬間私が思ったことは、やはり可愛く生まれて良かった と、傲慢過ぎる感覚だった。

金以外何も見えていなかった。

こうして私は水揚げされ、彼と暮らすことにした。

早速住んでいたマンションから退去し、都内有数の超高級住宅の部屋を与えられた。

凄い。これが本当の金持ちなんだ。私の暮らし虚構だった。

詳細は伏せるが有名人御用達の高級マンション家賃は3桁万円。これだけでなく毎月うん百万のお小遣い、それだけで軽自動車が買えてしまう服に鞄に家具

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田舎1000円以下の古着を漁っていた頃の自分はもういない。今の自分は、一枚10万もするシャツを惜しみなく買える。それも際限なく。

もう私の頭の中はとにかくお金でいっぱいだった。

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欲しいものはもう買い尽くした。新商品が出たら別に欲しくなくても、惰性で買っていた。

上京して2年。私を取り巻く環境はあまりにも変わりすぎた。

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それでも、何かが足りない。

それから私は思考を巡らせました。

あぁ私に足りないのは無償の愛だ。という答えに辿り着いた頃にはもう遅くて彼から受ける一方的暴力的とも言える施し。私は1秒も彼を愛していなかった。

只々与えられ続けブクブクと肥えた心を得ただけでした。

そういえば上京してから家族と連絡をあんまりとっていなかった。

みんな何をしてるんだろう、と思い友人数名と母親のインスタを覗いた。

...。

結論から言いますと、あまりにも私の家族や友人と私自生活の差に号泣してしまいました。

仲が良かった友人らは相変わらず某ショッピングモールで屯し、安いフードコートスイーツを食べ、プリクラを撮って、カラオケに行っている。

母親100円ショップで可愛い小物を探すのが楽しみです♪なんて投稿をしていた。服なんてもう何年も新しいものを買っていないだろう。私の母は美人だ。美人だが、金はない。ルックスと身につけている物の落差で余計にみすぼらしく見えてしまう。

妹もとびきり美人だ。勉学に勤しみ、運動神経もずば抜けている。なのに、私のお下がりを着続けてボロボロになったランニングシューズ大事に使っている。

ショックだった。

私は、最悪だ。

金に塗れ、周りの事など見ていなかった。

思えば収入が増えた時点で実家仕送りをすれば良かったのにそれをせず自分お金を使い続けた。

なぜあんなに大好きだった家族に何もできなかったんだ。

本当なら、母にはいつまでも綺麗でいてほしいし妹にはもっと自分の可愛さに気づいてほしい。これは押し付けかもしれないけど、私はそう思う。

お金は一番の麻薬。与えられれば与えられただけ、求める量も増えていく。

現に私はまだパパ活を続けている。

今の生活を手放すのが怖い。

ただ変わった点はいつ見限られてもいいよう貯金は常に2千万を切らないようにし、家には毎月20万の仕送りをしている。

本当なら100万でも200万でも送ってあげたいけど、私がどのようにして稼いでいるかを知ったら、ひどく悲しませてしまう。

20代前半にしてこんな暮らしを覚えた私の行く先は、どうなってしまうのだろう。

この身体が私の商売道具だ。身体さえあれば稼げるが、逆に言えばそれ以外何もない。

もう一般的幸せは手にできないと諦観しています

私の幸せが飽和してしまった分、家族や友人らに幸せを与えることが、今後私の役目だろうか。

お金以外で感情表現することができなくなった私は、毎月お金実家に送り、使わなくなったブランド品も定期的に送っています

愛情ゆえの行為ですが、正しくはないんだろうな。

正しい愛を誰か私に、再教育して下さい。

2020-03-08

anond:20200308094406

1ヶ月を超えてみんなが不安を感じ始めた

トイレットペーパーがなくなった

トイレットペーパーがなくなるんだから

もうなにもかもなくなるわな

マスク価格もじりじりあがりはじめて

トイレットペーパー価格もそのうち1ロール1000円とかつきはじめるやろうな

おわってんな

トイレットペーパー欲しさに援助交際する時代

2020-02-22

WHOもやはりあの手の団体が暴れているのだろうね

しかしこの短絡的で安易な軽い頭であるしか言えないWHO映画自殺シーン規制についてもポリシーロンダリング俗に言われるマッチポンプ匂いしかしないんだけどねー。

そもそも公開後自殺が増加したと言うけど、どの様な調査を用いたか、そして本当に映像映画自殺に結び付くのか?と言うのは不明だし、それこそ自殺なんて映像なんかよりも遥かに経済的理由いじめ問題などの方が要因として大きいはずだからね。

どうもゲーム障害と同じ匂いしかしないなと思う。

アレに関しても名称のみ決められ因果関係すら証明されていない代物だったからねー。

ゲーム障害に関していえば、それこそ当事者WHOに強く要請した結果、名称だけを認めてもらい、香川国家規制を求めると言うまさにポリロンが行われた構図だったからね。

それにWHO母体である国連もブキッキオの一件では信憑性のないデータにて援助交際が多いと喚きたてて、日本無理難題を言った過去もあるわけだしね。

この事からこの手の言い分は必要以上に疑った方が良いよ。

それとWHOにしても国連組織だし、国連自体あの手の活動家が多いのだから、大方これも自殺禁止する思想を持つキリスト価値観の連中が潜り込んでいる様に思うけどね。

児童ポルノの一件などはまさにそうだったから。

何にせよ権威を盾にして規制世界中押し付けるのはあの人達の手口ですから

しかしこうして児童ポルノ女性問題を口実としたエロ規制からまりゲームに関したグロ規制、そして今回の映像自殺シーン規制と徐々に規制範囲を広げている事を見てもやはり奴等の最終目標は娯楽の撲滅なんだろうねと思ったりするよ。

当時の懸念がまるっきり当たっていて本当に笑えないわ。

2020-01-26

援交→パパ活みたいなもともとが隠語だったのに!なもの教えて

性的なもんに限らず。

2020-01-19

anond:20191220113402

違うぞ。

パパ活フリーキャバ嬢

援助交際フリーソープ嬢

もちろん、店舗所属キャバ嬢指名してくれる上客を維持するために客と寝ることがあるように、パパ活をしている人も客と寝る場合はある。

でも基本的にはパパ活援助交際とは違う。

anond:20191220113804

援助交際」は最初はいまのパパ活に相当する、売春ではない、オジサンお茶飲んでお金もらうデートだった。

当初は6時のニュースの街頭インタビューで、超一流有名女子高の制服の生徒たちのグループ

援助交際? してますよ。みんなしてますよ」

と顔出しでニコニコと答えていた。

一年からずに売春隠語に転じた。

2020-01-12

デートキャンセルした理由

私には長年付き合っているかなり年上の男性がいる。しかし、彼が不特定多数女性関係を持ってきたことが最近になって明るみになった。

心が耐えられなくなった私はふとしたきっかけでそれを同僚の女性に話してしまった。彼女は、私に「そんな奴はやめて別の人を探せばいい」とさらりとアドバイスした。そして、スマホでさくさくっとLINE操作をしたと思ったら知人の男性を紹介すると言ってくれた。なんというスピード感だろうか。私は圧倒されてしまい、あれよあれよという間に1人の男性を紹介してもらうことになった。

数週間後、その男性を交えた食事会をセッティングしてもらった。彼は私と同い年で、寡黙だが誠実そうな印象を受けた。比較的小柄ではあったが、精悍な顔立ちをしており、私には十分すぎるくらいの容姿だった。私を紹介されてしまった彼が気の毒であった。

連絡先を交換し、一度夕食に行った。正直食事の味は覚えていない。同い年でこんなにしっかりした男性と話すのは今までほとんどなかったので、彼を目の前にして私はたじたじになってしまった。数週間後にどこかに出かけようということになった。

私は彼からお誘いをいただいたことに、ただただ不思議気持ちしかいだかなかった。なぜこんなに冴えない地味な女に声をかけてくれるのだと。知人からの紹介だったので、その厚意を無下にすまいときっと気を遣って誘ってくれているのだろう。

…どんどん彼に対する申し訳なさが募っていった。

本当は今日デート(と言っていいのかわからないが)の日だった。結論から言うと、私は直前で都合が悪くなったと嘘をつき、約束を断ってしまった。理由は、嫌な夢を前日に見てしまたからだ。

こんな夢だ。

彼とデートに行ったら、いつの間にか身体関係を持つ場面に移っていた。

彼は前回あった時よりも高圧的で、横柄な態度を取っているように思えた。

私が服を脱ぐと、「太っているね」と言った。まだ数回しか会っていない女に対して、なんという男であろうか。確かに太っているけれど。私はアトピーのケがあり、冬の時期になると乾燥も相まって身体中がかゆくなりあちこちがかさぶただらけになる。夢の中の彼はそこもあざとく見つけ、「肌が汚い」と私のことを罵っていた。

しかし、私と年齢も変わらないのに、私よりもはるかに上層の社会階層を生きている彼から、悪意を向けられても私はなにも言えなかった。そう言われて当然だからと。夢の中の私はひたすらに劣等感屈辱感を噛み締めていた。

私は対等に付き合おうとした自分を恥じ、1万4千円で彼に自分身体を売ると持ちかけた。突然援助交際の申し出をする私は頭がイカれていると思うが、自分にはその程度の価値しかない女だと降参したのだと思う。

薄いビニール袋のようなコンドームを彼の隠部につけてあげた場面を、今も生々しく覚えている。

なんという忌々しい夢だろうか!

私はなんて卑猥な女なんだ!

夢が覚めてから私は酷い自己嫌悪に陥り、彼と会うことが怖くなってしまった。もうだめだと思い、ドタキャンしてしまった。

かに、彼と会うのは気が進まなかった。それは、彼の反応が淡々としていることとか、なにを考えてるかわからないとか、スペックが高すぎることとか、そういうことが理由じゃない。

私が自分に強いコンプレックスがあり、自分相手立場比較しては彼に対して卑屈になってしまうからだ。夢の中で彼が横柄に見えたのは、私のなかの無意識を彼に投影していたのだ。

私が同い年の男性と付き合うことに対して強い抵抗がある理由を突きつけられた一件だった。

2019-12-20

anond:20191220113804

そうだったのか。

勝手に、援助交際の中でもパパ活ご飯行くだけで金銭の授受をする関係って定義だと思いこんでた。

anond:20191220113603

そもそも援助交際」という呼称が「売買春」を柔らかく言い換えた言葉だったけど

それが広まりすぎて言い換えの意味がなくなったか

さらに「パパ活」と言い換え直しただけだぞ

anond:20191220113402

ああ確かに

パパ活援助交際に含まれるかもしれないけど、

性交アリってパパ活に入るのか?っていう疑問だった

anond:20191104104930

これパパ活援助交際じゃないの?っていうツッコミは野暮かな…

そもそもパパ活って買われる側が使う言葉だと思っていた

2019-12-15

ブキッキオ氏の件は本気でトンでもだったからなー。

女子学生13%が援助交際」の嘘が生まれ理由

https://president.jp/articles/-/31329

×国連すら見落とすデータデタラメ

国連の子供の権利委員会が都合の良いデータ悪用して外圧をかけた例

そう言えば、始めは13%所か30%とか報道されていたよな(苦笑)

それと国連の子供の権利委員会児童ポルノ関係漫画等の創作物規制しようとしている団体であるエクパットがモロに関与している事はProstasiaも指摘している周知の事実であり、尚且つガイドライン改正自体パブコメにて日本アメリカバチカンから条約違反である事を指摘されていたのにそのままやらかした様な連中である

(その後Prostasiaがソウル会議にて国連人間から創作物児童ポルノではないと言う言質を取った事から子供権利委員会暴走である事も判る。)

そもそもこの手のマッチポンプはそれこそ当時の児童ポルノ禁止法の時から、ラディカルフミニスト団体が良く使うマッチポンプ手法

そう言えば、どっかのいつもやらかすラディカルフミニスト団体が、電車の中云々で日本には児童ポルノが溢れているとか平然と嘘をついていたり、東洋経済漫画アニメ児童ポルノと誤認させるような記事が出ていたりしたけど、またこいつらマッチポンプでもやらかすつもりなのかなと思ってしまう。

本当に勘弁してほしい。

いい加減子供権利規制の道具でしか見ていないこの手の団体意見なんて、どこも無視してほしいものなんだけどね。

実在児童保護に関しては規制ばかり推し進めたせいで、本気で日本所か世界中児童保護に関しては遅らせている主犯だよ、こいつら。

マジでこいつらのせいでおかし規制ばかり推し進められて、結果実児童保護予算がつかなくて、山田太郎議員子供庁の設立を主張する一因にもなっているのだから

記事自体は割と良い内容。

俗にいう統計アンケートで嘘をつく事の説明を丁寧にしている様な内容。

小題のマスコミリテラシーが全く改善されていないと言うのは同意だな。

寧ろ今は悪化していると言ってもいい。

そう言えばこの件も山田太郎議員が尽力したから、撤回された事例の一つであるんだよねー。

山田太郎議員がいなければ、この件も本当に危なかった。

2019-12-02

俺がやってるのは区別であって差別じゃないって奴に言いたい

差別って不当なやり方で区別するってことだぞ。

お前が区別だと言いたいのはわかるけど、その分け方が正当なのか証明してみろよ、でないと売春じゃなくて援助交際とか言ってんのと同じだぞ

まぁそんなお前がどこの誰かも知らないし果たして実在するかも知らんのだがな。

最近こう言うこと言うやつ見なくなったな

2019-11-24

援助交際相手妊娠した

相手は元風俗嬢

店やめたあとも3ヶ月に1回くらい会ってもらってた

そのうち相手彼氏ができ、結婚した

もう会えなくなると思ってたけど、誘ってもあってくれるのでずるずるときしまった

そして旦那の子妊娠したと

もうさすがに終わりだと思う

ただデートっぽいことをしてもらったり、会話が楽しかったりで、この時点に及んでも、未練がある

食事に誘ってみようか、と考えてしま

2019-11-22

現在30代中盤〜40代前半で東京神奈川千葉埼玉出身女性を見ると

「この人、学生時代援助交際してたんだろなあ」って必ず思ってしまう。

病気かなあ。

2019-11-21

anond:20191121233006

あれ広告で見て女子高生時代友達を家に呼ぶと女子高生ウキウキして部屋にやたらに来て会話したがった父親とか、援助交際話題になった頃だったからか学校周りにいたワンチャン狙っている感じのキモいおっさんとか思い出して無理だった。

笑うセールスマン的な話なんだよね、広告では疲れたおっさん女子高生にバブバブする話みたいなフェイ釣りしてんのかな。

2019-11-20

上司援助交際してるぽい

会社の自席にMILKFEDの紙袋がある(10-20代対象ブランド子供小学校低学年なのに)

仕事中にshowroomしている

地下アイドルっぽい女の子画像フォトショで加工している

こんな状況で何を言おうと説得力がない

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