はてなキーワード: 専業主婦とは
割り勘・奢り論争でも、家事と稼ぎの分担論争でも女は優遇されるべきなのに優遇されない!許せない!ムキー!ってのが多すぎる。
最近は女性の経済力が向上して、少しは現実を見られる人が増えている印象はあるけどな。
割り勘こそが男女平等だという先進国の価値観が普通になっていることはある程度知られるようになったきた。
家事と稼ぎの分担も、家事を平等にするのは稼ぎも平等なのが大前提になってる。実際婚活とかでも専業主婦希望なら家事育児を率先してやることをアピールすることが必須になってる。
少しずつでも世の中は良くなってるが、この流れを加速して同じ過ちを繰り返さないためにも、女性にはこれまでの流れを直視してもらいたい。
昔の俺がいる。
うちはといえば、結婚して子どもが一人。今3歳で来春から幼稚園だが、奥さんは今のところ専業主婦。
子どもができたタイミングで義実家そばに引っ越してきて、今は義母の助けも借りながらまぁなんとか。
結婚して10年くらいたつけど、この嫁さんとの結婚で良かったなと思うことはあっても、違う嫁がよかったと思うことはほぼない。ほぼねw
結局のところ、幸せかどうかに学力っていうほど関係ないということもあり、
その辺は論文でも何でもいろいろ読んでもらってほしいところではあるけど、
実際家庭がどんな状態かということの方が、子どもの人生において幸福度への影響は大きいという結論があったりなかったり。
悪い言い方すれば、育ちが悪い人って大人になっても不幸の再生産をするじゃないですか。それよそれ。
うちに限って言えば、最初から嫁にほとんど期待していることがない(失礼)ので、怒ることもないし、険悪になることもない(いいんだか悪いんだかなんだけどまぁ期待値とのギャップってイライラするでしょ。それよそれ。)。
だからまぁそれなりに仲良しだと思う。
だからまぁ、子どもをどれだけ愛するかどうかっていうことでもあるし、
バカな上に子どもの扱いも雑とかだったらそんなのは即離婚案件なんだけどさ。一応そのルートも考慮の上で、考えておくのがいいとは思う。
今にして思えば、嫁以上にあの女性だったらと思える相手なんて考えられない。まぁ楽だっただろうなと思える女性はいるけど、楽と幸せはまた別だからな。
あと一つ。
俺は子どもが幸せになるかどうかは正直いうほど考えてはいない。
ただまぁ、いつでも帰ってこれる居心地のいい場所ってのは用意しておきたいと思っているくらい。
私もこれ気になってざっとネットで調べてみたんだけど、子ありも子なしも別に圧倒的に優遇って税制はみつけられなかったんだよね
子供がいたら子供の分の控除はあるし、DINKsならどっちも働いてるだろうし控除はないし、唯一あるとしたら子無しの専業主婦だろうけど
これも働いてない人間としてのカウント分の控除と変わらなさそうだし、103万で扶養に入ったままパートしてるってのは別に子あり子なし関係ないだろうし
物心ついた頃から現在までのことを(ボカしやフェイクを入れつつ)時系列で書かせていただく。
N=1の話で恐縮だが、読者には少しでもADHDについて知って欲しいし、それにより社会の分断がなくなって欲しいと思う。
と、ここまで書いて思ったのだが、私は数日前よりADHDの治療薬を断薬しており、マトモに「書く」ことができないことに気がついた。数日ぶりに薬を飲むこととする。
父親について覚えているのは、しょっちゅう会社を辞めてしまうということだ。それも突然に。
何かが(主にカネ)キッカケで口論となる。
父親に包丁を突きつける母親。まだ産まれたばかりの弟を盾のように前に突き出す父親。
床にぶちまけられる牛乳。
弟が1歳の頃、「ハロワいけ!」と喋ったことを覚えている。母親の真似である。
机をくっつけて、隣の席の子にしょっちゅう見せてもらっていた。授業はまあまあ理解できていたと思う。
宿題に関しては「忘れる」というより「やろうとしても動けない」が正しい感覚。
テコでも動けなかった。
宿題の代わりに家で何をしていたかというと、デュエル・マスターズのデッキを組んだり、ミニ四駆のカスタマイズをしたり、スマブラDXをしたり…?あれ、そんなもんかな。当時何してたかな自分…あまり思い出せない。熱中すると深く深くどこまでも熱中し続ける性格だった。(過集中)
同じマンションに1つ下、1つ上の子供が何人か住んでいたので、毎日遊んだ。河原で秘密基地作ったりとかしていた。
また、男女分け隔てなく誰とでも遊ぶ子供であった。
違う。
(上で挙げたマンションの住人以外の)男の友達がどうしても出来なかった。
全く交流できないということではなかった。
同学年で話したことがない人は恐らくいない。
誰とでもそれなりの雑談ができた。
輪に入れはするが、誘われる人間ではなかった。
故に、常に疎外感を感じていた。
今になって振り返ると、原因は恐らく「自分の話ばかりして止まらない」から嫌われたのだと思う。
次第に、無理してグループにいなくてもいいと思うようになり、休み時間は教室でひとりでボーっとしていた。
見かねた心優しい女子グループが、自分を輪に入れてくれた。情報量0のどうでもいい雑談がとても楽しかった。自分が輪に誘われたことが、なんだか初めて他人に受け入れられたようで、とても嬉しかった。
通信簿の「担任からのコメント欄」には毎年「男女分け隔てなく仲良く友達がおり〜」と書かれていたので、客観的にはそう見えていたようだ。
地方なので中学受験をする人なんてひとりもおらず、当然のように地元公立に進む。
中学での成績は150/200あたりだった。
たまに一夜漬けの過集中が爆発して、50番あたりになった。
国、社、英は不得意で、理数が得意だった。
勉強をしない分の時間は何をしていたかというと、運動部の活動をするか、家のパソコンでニコニコやYouTubeを見たり、携帯を買い与えてもらえたのでモバゲーやMixiをやっていた。
高校受験は持ち前の過集中で上振れを引き、偏差値50位の公立情報系学科に滑り込んだ。
元がアホなので上振れしてもこの程度である。
なぜ情報系にしたかというと、自分専用のパソコンを親に買ってもらう為だ。
高校では朝読書の時間があったので、とつげき東北氏の「科学する麻雀」を何度も何度も読み込んだ。熱心に読みすぎて、本の小口が手垢で黒くなった。点数計算を覚えたり、チンイツの牌効率を考えたり、24時間麻雀のことを考えていた。
この頃はもう自分の行動を制御できなくなっていた。自室のPCで毎日朝までニコ生をしながら天鳳を打っていた。学校の授業は全部寝ていた。教師は注意しても無駄だと悟ったようだった。自分の人生は天鳳の段位とレーティングが全てだった。
謎の過集中で競技プログラミングが少し出来たので(当時はchokudai氏もまだ大学生で、AtCoderもない時代だった)、大会に参加して何度か受賞するなどした。
その後、持ち前の過集中により小論文と面接を突破し、AO(アホでもオッケー入試)により近所の私大に滑り込む。
麻雀への情熱は大学に入っても変わらず、1限どころか2限3限も出席できなかった。たまに講義に出ても何も分からなかった。
情報系科目だけはテストだけ出て100点を取るという天才ムーブをかました(自慢)。
麻雀サークルに入った。楽しかった。今でも付き合いのある友人が数人できた。
2年次が終わった時点で16単位しか持ってなかった。中退した。
バイト経験すらないない、学位すらない、麻雀廃人の二十歳が社会に放出された。
なんていうか、普通に死のうと思った。
ある日、ふと一回死んだ。
自○未遂をしたということではない。
自分は今死んだ。そして新しい自分が今生まれた。そう思うことにした。
どうせ一回死んだのだから、もう好きに生きよう。
それでなんともならなくなったら、生活保護でも受けよう。
一応、親は家に住まわせてくれた。
速やかに就職して家を出ろということだったので(言われなくてもそうするが)仕事を探し始めた。
やり方がわからなかったので、若者向けハローワーク的な所に行った。色々親身に相談に乗ってくれて、クソみたいな人売りSIerを紹介していただき、内定が出た。
自分に内定が出るということは、「バイト経験すらないない、学位すらない、麻雀廃人の二十歳に内定を出さざるを得ないクソ企業」であることが導かれるのである。
人売りのクソさを書くと主旨がブレるので割愛する。
自分が特別社会に適応できなかったのかは分からない。他にも大勢辞めていたから。
この辺で(不快になる方もおられると思うので大変恐縮なのだが)所謂理解ある彼女ちゃんが突然地面から生えてきて、家を出て2人暮らしを始めた。
会社を辞める前に人生初の精神科に行き、うつの診断書を書いてもらい、色々金に困らないような諸手続きをした。こういう手続きは自分では何もできないので、理解ある彼女ちゃんがサポートしてくれて本当に助かった。
うつの治療で通院する中で、医師よりADHDについて指摘された。
3割負担だとバカ高かった。1ヶ月分で5000円以上したのではないだろうか。当時はジェネリックがなかったと思う。無職にはとても支払えなかった。
脳の中の話なのでうまく言語化するのは難しい。
今まで自分は文をうまく読めなかった。
脳のメモリが小さいので、読んだ瞬間内容を忘れてしまい、戻り読みばかりしていた。
また書くのはもっと苦手だった。いくら考えても頭にモヤがかかり、表現が出てこなかった。
そして計算は最も苦手だった。一時的に何かを記憶しておいて、他のことを考えるのが無理だった。
プログラミングが得意だったのは、自分で計算する必要がなく脳のメモリがあまり要らないからだろう。
皆これが普通だと思っていた。
薬を飲む前は苦手だとも思っていなかった。
当然みんなもそうなんだと思っていた。
こんな「脳縛りプレイ」で学生生活を送ったら、そりゃ、こうなるわと思った。
薬を飲んでからは夜更かしが減った。
アホみたいな情熱に突き動かされることはなくなったが、その方が穏やかで心地よかった。
人生も徐々に良い方向に向かった。
長々と書いてしまった。
もし読んでくださった方がいるのだとしたら、とてもありがたいと思う。
自分はADHD当事者として、発達障害で苦しむ人の気持ちが分かる。
「○○ができないだけでしょ?」「やれないっていうかやろうとしてないだけでしょ」のような反応を見ると、心が痛む。
しかしながら、発達障害はその「できない」「うまくやれない」があらゆるライフステージで常に足枷となり、人生全体に負の影響を及ぼし続ける。
そして大人からは常に怒られ続け、自己肯定感もなくなり、「自分の可能性」を信じられなくなる。
その一瞬だけではないのだ。「常にその状態が続く」ことによる不利が、生まれた瞬間からその人にはあるんだということを、できれば理解してほしいと思う。
そして、今小さい子供を持っている親に言いたいこと。
もし子供が何かをできなくても、その全てを無条件に受け入れてあげてほしい。
そして、もし発達障害の疑いがあるなら、早い段階で医療にアクセスしてほしい。
「割と自由の利く仕事をしていて」「日本での勤労と納税の義務は果たしているが」という辺りからして日本企業に所属した上での駐在族とかだと思うんだが
を読んだ上でも「働かず夫の庇護を受けてぬくぬく暮らしているに決まっている、だってそういう人の方が多いから!」ってアホすぎないか?
現地人と結婚してる=働かず夫の庇護を受けて以下略ってのも謎だし
https://twitter.com/yousayblah/status/1631043802734514182
「世界が伝統的な妻 #tradwife を否定しても私は夫に尽くしたい。私は1日6時間炊事や洗濯をして、彼は平日は仕事、週末は狩猟に行き家族を守る。」
700万稼げる女は専業主婦なんかしない
税金 72万 + 72万= 144万
・専業家庭 = 1800万
・DINKs = 4320万
・専業家庭 = 3600万
・DINKs = 4320万
・専業家庭 = 5400万
・DINKs = 4320万
専業家庭が900万高かったです。
・専業家庭 = 7200万
・DINKs = 4320万
専業家庭が2880万高かったです。
・専業家庭 = 12600万
・DINKs = 4320万
専業家庭が 8000万高かったです。
・専業家庭 = 126000万
・DINKs = 4320万
専業家庭が 120000万高かったです。
色々と前提を変えると、分岐点が変わってきそうですね。
もう誰に話せばいいかわからないここ数年ずっと消えない自分の中の怨念をただ書いていく。
両親と兄の4人家族
母を専業主婦にして(母は働きたかったが父が許さなかった)気に触ることがあると怒鳴ったりするのは当たり前。私達も押し入れに閉じ込められたり怒鳴られたりすることがよくあった。
また偏屈というか理屈が通っていない&父が納得できないものは(世の中では正しいとされても)全て許されなかったので、何か大事な事を決める時は必ず父を説得する必要があった。
ただ何もない時は面白い人だったし抱っこしてくれたり普通に可愛がってくれたため、怒ると怖いけど父親として好きではあった。
18歳から大学進学のため上京しそのまま地元には戻らずに就職して結婚。
上京する時に「なぜ地元じゃないのか」と若干反対はされましたが、話し合いの末に納得し私はひとり暮らしへ。そのまま大学時代に出会った夫と就職を機に同棲。
同棲する時も「なぜ同棲する必要があるのか」「期間はいつまでなのか」など、当時彼氏だった夫と共に父へ事前に説明をしに行った。
私としては大学進学も同棲もきちんと自分の気持ちを話して、具体的な将来の話もして、父も納得したため全てをスムーズに進めていました。話し合いの時も言い合いになることはあれど強く反対はされなかったし。
そのまま2年ほどたちプロポーズされた。
母はとても喜んでくれたし父もおめでとうメッセージをくれた。
夫の両親にも挨拶をし、じゃあ両家顔合わせはいつにしようか〜と日程調整をしようと連絡を取ったら
顔合わせなんていらない
結納もいらない
俺は絶対に行かない
と父から言われた。
夫の両親が嫌いとかではなく、本当に必要性がないから会いたくないらしかった。
さすがに非常識すぎると言ったら父がマジギレした。最終的にはそんな無駄な事に俺を引っ張りだすなら結婚をやめろとまで言い出した。
こうなると絶対に意見を変えないとわかっているので誰が何を言っても無駄。
夫の両親には、父の仕事が忙しく休みがなかなか取れない(半分本当)。結納などの堅苦しいものは無くて大丈夫です。と話した。
夫の両親はすごく良い人達なので、大事な娘さんと結婚するのにそんなこと申し訳ないと言ってくれたがなんとか納得してもらった。
この時は義両親に本当に申し訳なかった。
特に義父はきちんとした結納式をしたかったらしく最後まですごく粘っていた。本当に申し訳ない。
その後入籍。結婚式はどうしようかな〜東京の方がお互いの友達が多いから東京でやろうか〜と式場見学をしながら考えてた。
入籍前にも親には結婚式はしたいと思ってる事は雑談程度に話していたので、日取りについても改めて相談した。
この時に父からは「本当に結婚式をするのか?」と一度言われた。
え、だめ?私は小さくても結婚式したいんだけど…と話すと、その時はふ〜んと言われて終わった。この時もっと突っ込んでいればよかったとあとで死ぬほど後悔する。
無事式場を決めて報告。
結婚式はするな。
理由は俺が結婚式をしたが、あんなものするべきじゃなかったから。
そんな金があるなら別の事に使え。
おいおいマジかよ。
というか私の意見は?自分がやって良くなかったからって娘までだめなの?
しかも夫は長男で義両親もとても楽しみにしてるのに?なんて説明するの?
両家顔合わせすら断ってるのに結婚式までなんて何考えてるの?
と疑問と悲しさと焦りでいっぱいの最悪のタイミングで世の中がコロナ禍に突入する。
式場からも打ち合わせなど一時中断の連絡がきた。このタイミングしか父と話す事はできないと思い、父、夫、私の3人で電話会議をした。
・義両親もとても楽しみにしていること
・父が結婚式をしない方が良かったとしても、私は結婚式をしたことがないから同じとは思わない
・コロナが流行ってて友達を呼ぶのも難しいかもしれないが、呼ぶなら人数をかなり減らすしワクチン接種などもした人のみにする
などなど私の思いを伝えた。
これに対する父の答えは
・俺が結婚式が良くないと言ったら良くない
・義両親が楽しみにしていようが関係ない。俺がそれに付き合う義理はない
・そもそもお前の結婚式なんで誰ひとり楽しみにしてない。お前の友達全員どうでもいいと思ってる。(父は私の友達に1人も会った事が無い)お前の友達なんて友達じゃない
・やっぱりお前を東京になんて行かせた事が間違いだった。地元にいさせるべきだった
友達にはコロナ禍になって結婚式が延期になるかも…と連絡した時点で慰めのメッセージがきたり、余興は準備バッチリだし絶対休みも取るから!結婚式楽しみにしてるね!って言ってくれたりする子ばかりだった。
こんなに優しい子達が友達じゃないって何?
東京に行かせなきゃよかったって何?
なんでこんなに全部を否定されなきゃいけないんだろう。
義両親への配慮のなさは何度も言ったが父には何も響かず。こんなに不誠実な事ばかり義両親にしたら申し訳ないと言ったら「くだらない」と言われた。
義両親への配慮をくだらないってなに。
この時にやっと私は気付いた。
父にとって大切なのは父だけ。
自分に従わない奴らは全員悪なんだなと。
後々、職場の人にこの話をしたら
普通は自分の娘が相手のお家で苦労しないように立ち回ったり、娘の立場が悪くならないようにフォローすべきなのにお父さんは自分の事だけが大切なのね。と言われたけどまさにそうなんだと思う。
その後何度も話し合ったが話は平行線のまま。
義両親もなんで結婚式をしないんだ、顔合わせもしない結婚式もしないなんて!と怒ってしまった。
私は不眠症になり食事もうまく取れず変な痩せ方をしていった。夫もすごく心配して、父にどれだけ私が苦しんでいるかを話してくれたりした。
数ヶ月話してようやく条件付きで許しが出た。
・人数を極力減らすこと。親族は呼ばない。お互いの両親と兄弟、どうしても呼びたい数人だけにしろ
・俺達は何もしない
義両親は結婚式の規模にはこだわっていなくて、ただ結婚式をしてほしいという希望だったのですごく喜んでくれた。
友達にもコロナのこともあるから人数を減らす事を話したら、全員が理解してくれ落ち着いたら改めてお祝いすると言ってくれた。中には式当日に電報をくれた子もいた。
結婚式当日。
私達にすら話しかけてこなかった。
帰りも母がまたねと声をかけただけだった。
コロナのせいで結婚式に敏感になっていたのはもちろんあると思うしそれは仕方ないと理解してる。
でも、その前から結婚式を反対されて、理由が俺が嫌だったからという謎理論が未だに納得できない。両家顔合わせを拒否したことも。
私の気持ちを一度も肯定してくれず、18歳からの人生を全て否定されたのもずっと胸に残ってる。
父とはそこそこ良い関係だと思っていただけにとてもショックだった。母とは上京してもほぼ毎日連絡を取っていたし、私の気持ちも話していたから味方になってくれると思っていたが一度も助けてくれなかった。
父の結婚式で何があったのかは知らないが、私はあなたのせいで普通の結婚式を望む事すら否定された。
(父達の結婚式のビデオを昔見せてもらったがよくある普通の結婚式でハプニングなどは何もなかったし、父達も笑っていた)
本当は祖父母にも来てほしかったし友達もみんな呼びたかったし、やりたい事もいっぱいあったのに何1つ希望通りにならなかった。
希望通りの結婚式が出来なかった事ももちろんショックだしその話し合いの過程で私自身を否定されて、あの日のショックがずっと胸に残ってる。そして何より私の気持ちを一度も汲んでくれなかった事が悲しかった。
あれから友達の結婚式に行くにも自分の結婚式を思い出して身構えてしまう。
両親からは「そろそろ顔を見せにきませんか?」なんて連絡が普通にくる。あの時の話なんて無かったみたいに。
このままゆっくり両親と縁を切りたい気持ちと、それでも家族だから会いたい気持ちがずっとぶつかりあっていてそれがまたすごく苦しい。
でももう今までみたいに実家に帰って心から笑ったりすることはもう無いと思う。
子供ができたとしても会わせたくない。
夫にはそんなに恨むと自分が辛いよと言われたけど、どうしても止められない。