はてなキーワード: 審美眼とは
たとえば、
・脚部の絶対領域の膨らみの差を大きくしすぎてエロさより違和感が強い
・振り向き構図なのに胸を強調しようとしてキュビズムになっている
・チンコの向きが逆
みたいなのね。
こういったのは絵が上手くなくて性欲だったらあり余ってそうな人がよく描くんだよね。
そして面白いことに、そういった人がAI絵師に転向すると今度はAIにそういった絵を描かせるようになるんだよ。
まあこっちは他人なので、これが狙って描かせた結果そうなのか、それがおかしいと認識してないから平気で投稿しているのかは切り分けられてはない。
ただ少なくとも言えるのは彼らが「これを投稿するに値する絵だ」と判断したってことだね。
そしてこれはAIを使っているかどうかを見抜くときの基準にもなる。
絵の技術はあるが、人体としてバランスがおかしいという時には、大抵の場合AI製なのである。
これは審美眼がなければ技術を磨くことが出来ないので、技術だけがあり審美眼がないということはありえないということだ。
実際、ネットを見ていくと雑魚絵師からAI絵師に鞍替えして急激に画力を向上させるも、構図の違和感に気づくための目が養われていないので歪んだ絵を投稿し続けているものが多くいる。
これは非常に面白いことだよ。
AIをもたせた所で、絵師の才能がない人間、おかしいモノをおかしいと感じ、美しいものが何故美しいのかを理解できない人間は、3流のまま変わらないってことなんだからね。
AI絵師なんてじゅもんを唱えてガチャるだけなんだから誰がやっても同じだと思っている人も多いだろうが、それはまだこの世界が篩にかけられていないからだ。
すぐに結果が出るよ。
大多数のモノを見る目がない人間だって、理屈は分からないがなんとなくこっちの方が上手いような気がするというのぐらいは感じ取るものだからね。
正確に言うと「欲望よりも理屈を拠り所にして絵を描く事が多い」って感じかな。
AIの絵は呪文を唱えた人間の「こういう絵が欲しいんです!細部はどうでもいいからそれっぽいのをくれ!」って欲望に忠実なんだよ。
粗悪な材料も含まれてるけどより強くトリップ出来る合成ドラッグみたいな(まあ俺はタバコも吸ったことがない薬物エアプなんだが)。
対して人間はまず技術ありきというか、「自分が描けないような絵は目指さない」がまず前提にある感じ。
というよりも「目指そうとして失敗した絵は破り捨てる」が正しいのかも知れない。
超超初心者の場合はものすごい無茶な挑戦をして失敗した結果を「でもやろうとはしたんです><」で堂々とアップするけど、ブクマUSER100人ぐらい出せるレベルになるとそういった失敗作は人に見せないようになる傾向があるっぽい?
人間に戻った俺は理性を取り戻したので、何故俺の脳に潜む自動手記がこういう勘違いをしたのかを解説する。
そもそも最大の違いとして「AI絵師は自分に手直しを出来ないレベルの絵をアップするが、人力絵師は自分の絵に対して適切に手直しが出来る」という部分がある。
AI絵師の場合は多少の粗があったとしてそれを修正するためにもう一度ガチャを引き直すのは割に合わないけど、そこまでを人力で描いていた人間なら手直しの労力が完成品のクオリティに見合うので手直しを実行するんだ。
ただこれは現状のAIが「個別の箇所に対して画風を維持したまま小さく手直しを行う」という指示を出せないことが原因なので今後解決されていく可能性はある。
この話を聞くと「一部を削ってから残りを補わせるガチャを引けば良いのでは?」と考えるかもしれないが、それをやると人間は複雑骨折をしていくし風景はドンドンカオスになって所謂「AIらしさ」に溢れた絵が誕生する。
「描かれた人間の背骨を捻じ曲げないようにして制服の左右で色が違うのを解決しろ」みたいな命令が今のAIだと処理しきれないんだな。
そもそもこの問題が何故起こるかって言うと、やっぱ究極の所「AIってのはパクったもののキメラに過ぎないから」なんだよ。
これは初期の頃によくあった勘違いに近い間違いを再び起こしてるように聞こえるかもしれないけど、どうあっても根本的な所でAIってのはキメラしか作れないんだな。
100個のカレーを混ぜて一つのカレーを作るような例えがたまにされるが、その喩えに乗っかるなら「いくつも混ぜたせいで生まれた雑味を取りたい」って願いを解決しきれないんだ。
レシピを把握した上で人間が作るならどの肯定でどういった雑味が生まれるのかを逆算して対処していけるけど、AI特有の「近い物を無数に混ぜあった結果として完全じゃなさ」は無理なんだわ。
分数の割り算を普通の電卓でやろうとするといつの間にか小数点がいくつも並んで最終結果がちゃんとした数字にならないだろ?
それに対して近似値を把握している人間は不要な部分の誤差を取り除けるけど、本当にただ電卓に頼るしかないならどう計算し直せば良いのかも分からないから手の施しようがない。
まあこれが意味してるのは「本当に計算ができる人間が近似値を大雑把に出力させて後から手直しをするのに使うならAIは最強の武器になる」ってことだ。
まさに計算が出来る人間と電卓の関係なわけだなAIと絵師の関係もまた。
そしてAI絵師と人力絵師の違いを見抜ける人間は、電卓に無理な計算をさせたときに出る円周率の如き不規則な小数点の羅列のようなパターンを把握することで人間とAIを見分けているってことになるな。
ただAIを使いこなしてる人間やガチャを何度も引いている人間はこの誤差をドンドンマシにしていってるので、絵を見るときに細かい所に気づけない人間、「審美眼の有効桁数が小さい人間」を騙し続けているんだな。
「AIでここまで描ける!」っていう新鮮な驚きが薄れた今、絵に限らず元から創造する側だった人たちは面白い活用の仕方を編み出している。
対して消費しかしてこなかったくせに自己顕示欲だけいっちょ前の奴らは、似たような構図の頬を赤らめた美少女絵をせっせと量産し続けている。
後者みたいな奴らに限ってAIを画材と口にするが、まあ言い得て妙だとも思う。どんないい画材使ったって独創性とセンスの無さはごまかせないもんな。
ところでお前の上げた水着絵、顔と体の塗りの法則が違いすぎてグラビア雑誌の袋とじのコラージュみたいなことになってんぞ。せめて審美眼くらい磨いてみたらどうだ。
こんだけこの業界が荒れまくってるのに作ってる奴らは今度はこんなのができたよすごいすごいって言ってるだけだし、使ってるだけの無産やヘタクソはもう絵描きは要らないの大合唱で、すごい面白い
ナイフや包丁で刺された人間がナイフや包丁のことを憎むと思うか?
俺はそれを握ってる奴を憎んでるんだよ
今まで散々世話になってた相手に、いきなり顔に泥を塗りつけて、金も毟って追い出そうとする奴らと、そんな連中がいることを知ってて何食わぬ顔で興味本位で作った刃物を手渡してるような連中のことが憎いんだよ
そんな奴らがいなきゃAIだろうが核兵器だろうがなんだって好きに作りゃいいよ
今まで存在した漫画家やイラストレーターの試行錯誤の結晶だと知らない人間から見たら、自分のオナニーに使うオカズがタダで出てくるようになったとしか感じないもんな
AIがその人たちの作品を学習して似たような表現技法を用いた作品を作れるようになったら、すごいのはAIであってその技法を考えた人たちはなーんにも役に立たなかったらしいし、どれだけバカにしても仕事の邪魔をしてもいいらしい
すごいじゃん
俺はAIをこれ以上開発するなとも少しも損をさせるなとも言ってない
そういう人らに対してもう報酬もいいからせめて居場所は奪ってやるなよって思ってるだけだが
そんなことすら分からないんだろうな
そんなことすら分からない人間に今まで絵を見せて評価されてきたんだと思うと、俺はもう稼ぎとか関係なく何も楽しくない
AIはすごい技術だけど人の目に美しく見える表現技法を考えるのは一円にもならないゴミで誰もそんなことに報酬を払いたくないし敬意も感謝も感じないらしい
長い間やってたから麻痺してたけど、AIのおかげで自分は割りと描くのが好きだったことが理解できてよかったわ
でも同時に俺の絵を見てる奴らのことは心底嫌いになったわ
明日強盗でもしそうなやつに自分の手間暇かけて作ったもの見せて喜ばせたくないの
何で明日自分の家に強盗に入ってくるやつのために品物を出さなきゃいけないの?
そんなふうに見てたわけ?「ああ、こいつに作らせなくてもいくらでも手に入るようになったら、こいつに金なんか渡さずに済むのになぁ」って?
バカじゃねぇの
失せろ
二度と来るな
いらねぇよそんな薄汚いやつの薄汚い金なんか
そんなんで生きながらえるくらいなら死んだほうがマシだわ
こんな強盗みたいな奴らの靴舐めておひねりもらって生きてたんだな、俺って
マジで惨めじゃん
絵は描きたいけど
好きだから
でもそれで生きてくにはこんな奴らに媚びなきゃいけないらしい
AI推進派でも萌えアニメ擦ったり表現の自由を守れとか言ったりしてるのよね
バカだと思う
毎日毎日異常なレベルでアニメやゲームの萌えキャラの話ばっかしといてそれが唯一の娯楽みたいな人生送っといて現実の女はクソとか毎日連呼しといて、それを供給してきた人間に隙があったら後ろからナイフで刺して持ち物を奪ってくのか?
まるでゴブリンだね
お前らそんなゴブリンみたいな奴だとは思わなかった
俺はさ、ヘッタクソな絵描きに対しても今まで敬意は持ってたわけ
でもそういう奴らが今あっさりAIに鞍替えしてボタン押して絵を生成させるだけの作業に夢中になってんの
この気持ちわかる?
他人の絵を混ぜて作ったものでも何でもいいから自分のものにして、それでチヤホヤされたかったり小銭を稼ぎたかっただけなんだって理解したわ
いや別に何の脅威にも感じないよ
あと他人から評価されるにはどうしたらいいかということすら分かってない
AI使ってるせいで画力の酷さが無くなって余計そこが目立ってるような奴らで笑ってまうわ
社会の発展のためにAIの開発を極力制限しないようにしながら共存を目指すべきとか言ってたけどなんかすっかりそんな気無くなっちゃったわ
永遠に停滞しててくれ
俺は、バカでも「情熱」とか「理不尽に対して怒る心」とか「尊厳」とかを持ってると思ってたから人間を嫌いにならずにいたけど、俺が思ってたより大半の人間はそんなものを持ってなかったらしい
これから本当に生きるか死ぬかもこの仕事を続けるかどうかも起きてからまた考えようと思うし、寝てたらそんなことも忘れてるかもしれないけど、少なくとも今回の件で見た他人の振る舞いだけは一生心に刻むわ
人間がそういう生き物なんだと忘れないようにして生きていくわ
AIで翻訳家も仕事を奪われたとか言うけど、翻訳家は少なくとも自分の客に唾を吐かれも今までの研鑽の成果を愚弄されもしなかったろうよ
率直に言うけど、いくら絵描きに法的知識が欠けていてAIに対して過剰に敵対的になっていようが、それが彼らの作り上げたものに対して唾を吐いていい理由にはならない
少なくとも最初は自分含めAIに対して反対していなかった人間も多くいる
それを『敵』の作ったものだからという理由だけで十把一絡げに軽視してるのが AI推進者の主流
人間はそれがどんだけ世話になった相手でも、猿か虫みたいに、0か1の1ビット脳で敵味方を判別して、敵には一切容赦しない生き物なんだということはよく分かった
ゴブリンだもんな
自分が世話になった相手にそんな言葉を吐くならせめて最低限の敬意を持てよ
絵描きがお気持ちだけで生きてるバカならそいつらの描いてるものでシコシコしてるお前らは何だ?ゴミか?
(絵描きは当事者以外から見るとただの作業員でしかないという意見に対して)
仮に絵描きがただの作業員だったとしても、ただの作業員にも敬意持てよ
ていうか絵描きより作業員の方が偉いわ、お前らが当たり前に使ってる道路や電気やその他諸々の維持してんだから
作業員がいなきゃ文明を維持できないし、絵描きがいなきゃネット上にまともな娯楽もなかったくせに、なんでそんな偉そうになれるん?神か?他人が作ったAIのボタンをポチポチしてるだけのお前が?
自分の親の面倒を自分で見れないくせに介護職をバカにして、コンビニがなきゃ買い物もできないくせに店員をバカにして、土方がいなきゃ家もないくせにバカにして、それでAIができたら今度は絵描きをバカにするんか?ごっつい高貴な方なんやねぇ
そんな貴族様のために今まで働かせてくださってありがとうございましたって言ってほしいんか?
終わり
イラストレーターの仕事がなくなる!って吹き上がっている人が多くてなんだかなあというところがある
そもそも、例えばAIがイラストを完璧に新しく自分の絵柄を元に生成できたとして、それに対して上がってきたものの「善し悪し」ってAIが判定するの?
クライアントがジャッジしてもいいけど、クライアントがいかに自分自身の要望すら把握していないかっていうの、一番わかっているのイラストレーター自身だろ。
「いやクライアントはあほだから、それっぽい絵が上がってきたらそれでOKってなるよ」みたいな話をするイラストレーターがいたとしたら、じゃあアホに対してしか仕事できねえ自分を恨んでくれ。逆にそのレベルのクライアントはじけるの、買いたたきとかするやつらばっかだからプラスになるんじゃねえか?
イラストレーターの仕事が単純に既存の絵にならってそれっぽい絵柄を描くだけの仕事なら確かにAIに仕事を奪われるんだけど、イラストレーターの仕事の中には要件定義や要望の汲み取り、文脈やそれに倣った構図、配置というところの指定が入ってくる。これらはAIにとっては現状ひどく困難で、AIというのは言われたことしかできないのであなたの思考をくみ取ることは現状残念ながらできないし、それっぽい文言を生成するのすら、素人には難しいだろう
また、AIが生成してきた絵があったとして、それが本当に案件に合致するか?というジャッジは素人には無理である。
それを細かく修正することも、どこが悪くてどこがよいのか、という判定を下す人間が適切に対処しないと無理なのだ。AIは言われたことしかいまだできないのである
だから、「審美眼を持ち、顧客の要件を読み取り、自分の画風としてイラストを描けてあげられる」というイラストレーター然とした人間は、まだまだ生き残ると思うよ
まあ、デジタル絵というものは学習されやすくなるが、今後もリアルな版画や絵画の価値は減衰はしないだろうっていうのもあるしね(むしろ価値が上がりそう)
というわけで、ここまでは理屈の話でイラストレーターの仕事はなくならないって話なんだけど、今TwitterにてこういったAI禁止を唱えている人々は単純に「自分の絵を勝手に使って絵を作られることの拒否感」というお気持ちレベルの話で吹き上がっている。その人たちに言い換えると「モラル」の話である
これに関しては本当にくそくだらないと思うんだけど、お前たちのその絵柄はpixivやTwitterで上がってきている有象無象の絵から一切影響を受けなかったのか?
Twitterという公共の場で流れてくる二次創作を一切享受しなかったの?それと機械の間にどれくらいの差があるの?人間が温かみをもって集めているのと機械が文字通り機械的に集めていることの差は何?
それを知らない第三者に転用されるのが嫌!っていう人はインターネットに作品を上げない方がいいという話になるしかない。インターネットとは、上げた瞬間にどこか知らない場所で再利用されているしスクレイピングされているし、集めている当事者ですら、集めているということを検知しないまま集めていることもままある
また、対策として、透かしを入れたところで最近はその透かしを取るAI技術それ自体が発達していっているので早晩意味がなくなるだろう
悪意を持ったやつを想定してサービス作れよ!っていうけど、そもそもより悪意をもってサービスを作るやつの方がインターネットは強いので意味がなくなるし、そちらに流れるだけである
それに「自分の絵柄が模倣される!」と言っている人間の中の何人が「まったくオリジナルな絵柄」を獲得しているのだろうか。
少なくともアニメ調で描いている時点でそれオリジナルではなくないか?自分の絵柄が既存の絵とどう違うのかって説明できるやつ何人いるんだ?
なにより一番くだらねえと思おうのは上記の主張をしているやつらのなかで二次創作メインでやってるやつらが多くいることが、本当に、本当に、くだらない
機械学習が絵柄を取ることを心配する前にまず他人の作品に乗っかって創作するのやめろよって言いたい
こういった人間の心理は「絵が描ける」って単なる技能でしかないものをアイデンティティとした末路だと思うので、別のところにアイデンティティ確保したら?と思ってしまう。絵が描ける+シチュエーションのような形で
どのみち、この人たちが求めている法整備したら二次創作も死ぬだろうし、法律の要件組むだけでも結構いろんなところに気をつけないと、AIを禁止するよりもっと大きなところに影響が波及しかねないので、おそらく今後10年くらいは法律整備できねえだろうなあという気持ちはある。法というのはそういうものである
まあ、このお気持ち自体は新しい技術が出てきた時の古い職人たちのアレルギー反応のようなものなので、粛々と慣れるまで時間をおくしかないのだろうなあというのを様々な記事のコメントを見て感じる次第だった
人間が夜空を最も美しく感じるのは10歳のときで、それより歳を重ねると霞んでいく一方だという言説をどこかで読んだことがある。ふと思い出していくつかの言葉の配列を用いて検索してみたが、原文は見つからない。私の願望なのかもしれなかった。
高校に入学して初めての夏休み。昼下がりの会食を済ませたあと、中学時代の友人と共に町を歩いていた。田舎の道路は全ての人にとって旅路の通過点に過ぎない。当然私たちにとってもそれは同じだったが、朧げにしか意識しなかったし、その必要さえもなかった。畑に埋め尽くされた景色の中で、過剰に舗装されたアスファルトの黒さが不釣り合いに見えた。
会話の間隙にそれとなく見上げた夕焼けの赤に瞼の裏がぬるく解けて、いやに清々しくなって、言葉を失った。そんな気持ちになるのは生まれて初めてのことだったから、これが青春とかいうやつなのかなとか、半ば冷笑的に黙考した。その場には笑い声だけが響いていた。気づけば私も笑っていた。
ある状況の渦中にあることを認識するためには、そうではない状態を知覚する経験が不可欠だ。だから、ある幸せが存在することに気づくのは、消失へと向かうスペクトラムの萌芽に足を踏み出すのと同義なのである。
歳を重ねると空や海に涙が零れるようになることだけは知っていたけれど、あの冷えた幸せに終点があることを想像するには私たちは若過ぎた。
17歳の秋に、初めて翡翠の水平線を見た。修学旅行の2日目、沖縄の海だった。バナナボートに乗る同級生を尻目に、アトピー性皮膚炎のある私は象牙色の大粒な砂浜をひとり散策していた。平坦な床を歩くことに慣れた私には、踏み込むたびに不規則に崩れる足場が新鮮でたまらなかった。仄かな潮風が体を包むと、澄んだ笑いが漏れる。聞こえる笑い声はあの日よりもずっと多かったけれど遠く離れていて、波音が容易くそれをかき消した。自由になれたような気がした。今だけは隣で笑う人なんていなくてもいいと思えた。
太陽の眩しさすら爽やかだった。あの頃はそれほど偏頭痛が酷くなかったから、眼窩を抉る痛みを知らずに心を真白に染められた。
ずっと、海を見ていたいと思った。交じり合う碧色のゆらめきと地球の呼吸に身を委ねている時間は、何よりも心地よかったから。その日から私は、沖縄の海を憧憬している。
物体が永遠の美しさを持ち得ることがないように、我々の審美眼も恒久ではない。その瞬間の網膜を最も鮮明に彩るものは何なのか、私たちの瞳には何が残されているのか、詮索せねばならないと思う。瞬きを注視しなければ、一縷の光はすぐさま通り去ってしまうのだから。