はてなキーワード: 孤立とは
同じジャンル内のひととモメて一騒動あったりしたので、誰かの役に立つかもしれないと思ってメモしときます
長くなりそうなので先にタメになるかもしれない要点だけまとめると、
・相手が正しいような気がするときでも、第三者の意見は聞いたほうがいいかも
あたりです
ブラック企業的な感じでもご参考になるかもしれませんがどうだろう・・・
Aさんはそのジャンル内(Xとします)では発言力のある人でした
私はXについて呟いたのがAさんに拾われてそのジャンル入りしたのもあって、特に仲のよい方だったと思います
TLでもおしゃべりしますし、そのうちDMでちょっとディープな萌え語りもしたりしだして、私は親しくしているつもりでしたし、他の方からAさんと個人的なやり取りがあったとはうかがってないので、恐らくAさんにとってもそうだったのではないかと思います
あれ?と思い出したのは、DMでのやり取りで、まったく無関係の別ジャンル作品をゴリ押しされるようになったり、他の方の陰口みたいなお話をたびたび振られるようになったころです
もちろん私は仲のよいAさんのお話でしたので、適度に相槌を打ったり、おすすめされた作品を見てみて感想をお伝えしたりしていたのですが、
そのうちちょっとした言い回しや普段の態度を窘められるようになっていきました
私は自分でいうのもほんとなんなんですけど、割と調子に乗りやすくて失言が多いタイプです
なのでAさんのいうことはごもっともだと思い、ご指摘をうける度に謝罪と感謝をお伝えしていました
しかし、なんど謝罪を繰り返してもまた別のことでお叱りを受け、けれどDM間でのやりとりなので表のTLでは顔に(?)出せず、そういうことが数ヶ月続くと、息苦しくなってもきました
丁度Xではないジャンルに興味が向いたのもあり、同じジャンルに流れていたフォロワーさん(Bさんとします)とも少し仲良くなったりしつつある頃でした
ある夏の日Aさんが、普段DMで送ってこられるお叱りを、もう我慢の限界だと仰ってTLで直接アイツはこんなやつだと連投されたのです
既に何度も謝罪した内容でしたが、やはりAさんの指摘はもっともだと思っていたので、DMと変わりなく(寝耳に水だっただろう他のフォロワーさんへの説明もこめてやや丁寧に)謝罪しました
その場ではお許しいただけましたが、やはりDMでのご指摘は激しさを増して続き、日に日にエスカレートしていくそれをもうどうしていいものかわからなくなってきました
その段階でもやっぱりAさんが間違ってるとは思わなかったのですが、もはやこれは私のいたらない謝罪では火に油を注ぐだけなのでは?と思い、
夏の一件で心配して「また何かあったら相談してね」とDMをくれていたBさんに、告げ口のようでAさんに申し訳ないと思いつつ、事の次第をご相談して一緒に謝罪文を見ていただくようになりました
やはり私は失言が多いタイプなので、この言い回しはよくないんじゃないかな、などとBさんに教えていただくことでより誠実な謝罪文を作れるようになり、事態は収束するんじゃないかと思っていました
甘かったです
Aさんの攻撃(もうここまでくると攻撃の域でした)は寧ろ激しさを増し、その頃はもう毎日毎日謝罪を繰り返す日々でした
一度TLに流したからか、DMでもTLでも攻撃は続き、私はBさんとご相談の上でアカウントを消すことにしました
しかし、別ジャンルでBさんや他の方と交流していた場所にわざわざご登録してまでAさんは追いかけてきて、謝罪を要求し続けました
私はもう何に謝っているのかもよくわからず、それでも謝れば許すと仰られるので睡眠時間を削って謝罪し続けましたが、謝っても謝ってもまた別のことを掘り返し攻撃し続けられ、今思い返すとかなり鬱状態だったと思います
結局、Aさんから見える全てのアカウントを消し、Bさんたちとの個人的な交流だけするようになりました
オタクのはてなブログは長いって本当ですね、すごい読みにくい。でもどうかけばいいのかわからないのでとりあえずまとめていきます
結論からいって、特に夏の一件以降のAさんの行動は、その様子を見ていたBさんやXジャンルで一緒だった人から見てもかなり異常なことと映ったそうです
既に謝罪し続けている個人に謝ってない謝れといい続けてて怖かった、というのは後にある方から聞いた当時の様子です
ということを踏まえて、
なんでそんなに悪化したんだろう?というと、
・私がとにかく謝罪に徹したのが悪かった(Aさんの正しさを裏付けて助長させた)
・やりとりがDMだったのも悪かった(かなり悪化するまで他の人が介入しなかった)
・それらを踏まえて、Aさんに自分が正しいと思い込ませてしまった
私はもっと普通に仲のよかったときに、対等になれるよう努力すべきでした(それでAさんを逆上させていた可能性も否めませんが)
最初に上げた要点でいうと、
→その関係が不健全であっても誰も指摘できないので、助長する可能性が高いです
・相手が正しいような気がするときでも、第三者の意見は聞いたほうがいいかも
→もっと早くAさんの攻撃性に気付いていたら、そこまで悪化せずにいたかもしれません
→これはAさんから見てですが、Aさんが自分の正しさを信じてあの夏の日に糾弾したことにより結果としてAさんの攻撃性が露見して孤立してしまっているためです
長くなりましたが、ひょっとしてどこかで同じようにもめてるかもしれない誰かの何かの役に立てばいいなと思います
余談ですが
これは当時のやりとりを見ていたBさんが、或いは裁判沙汰警察沙汰になるかもしれないからとお勧めいただいたからで、つまりそのくらい悪化していたためです
私はこのスクショを怖すぎて直視できず、めったに使わないフォルダに、サムネでも決して見えないように厳重にマトリョーシカフォルダにして保管していますが、それでもまだ消してはいません
私は未だにDMの通知が怖くて、別ジャンルでの交流のシンボルに使われていたある記号も怖くて、引いてはあらゆる通知が怖くてたまりません
もし仮に、私が誰か一人を殺害しなければならないとしたら、Aさんを選ぶだろうなと思います
実は未だにAさんのことは嫌いではないのですが、それでも小中学生のころいじめてきた男子でも、死刑を逃れた許しがたい凶悪犯罪者でも、他の誰でもなくAさんを選びます
Aさんが嫌いではなくても、ただひたすらに怖いからです
Aさんが死んだという確信が得られるまで、この恐怖から逃れる術はないと思っています
勿論仮定の話ですが
そういうわけで、もし貴方が自分が正しいという確信を持っていて、間違っている誰かを正したいとお思いであっても、追い詰めすぎないよう注意されたほうがいいと思います
もう現地では、携帯電話基地局の非常用電源が切れてしまい、完全にネットから孤立してしまったんだよ。
作品そのものに罪は無いため名前は伏せますが、私は昔、ある漫画作品が好きだった時期がありました。なぜ嫌いになったのか……その作品が好きだという人達に嫌がらせされたためです。
私は生まれつき発達障害を持っていて、まだそれが分かっていなかった幼稚園・小学校低学年の頃はよく周囲とトラブルを起こしていました。障害が発覚して中学年から特別支援学級に入りましたが、知的障害や身体障害以外の障害は認知度が低い時代で、「わがままなだけなのに特別扱いされている」と周囲には思われて嫌がらせされていました。そして田舎の小さな小学校故に学年が上がってクラス替えが行われたとて標的が移ることも起こらず、中学に上がってからも小学校の頃のことを知っている人達が面白半分で言いふらしたことにより嫌がらせが沈静化することはありませんでした。教員の対応もクソとしか言えない杜撰なものでした。
そうした学校生活を送っていた私は友達がいない、というよりも友達というものはファンタジーの存在だと当然のように思っていました。でもそれでも、幼稚園の頃から11年ずっと無害な存在だったある人だけは、少なくともコイツは自分を害することはないだろう、という程度には信用してはいました。なのにソイツは裏切って、周りが嫌がらせしてきたところに一緒になって嫌がらせしてきやがりました。この時は相手の方が悪いことをしたというのが教員から見ても明らかな状況だったため、一応後になって注意が入り、謝罪はされました。でも、その数日後にまるで何事も無かったかのように平然と話しかけてきました。その連中の中には一定の信用を置いていたやつもいましたが、そいつも纏めて拒絶しました。そうしたらそいつらは「コイツしつこい」みたいなこと言って去り、孤立しました。拷問されろ。その後も数年は年賀状がそいつから送り付けられてきました。全部ゴミ箱。楽に死ぬな。
高校は「不登校経験者が多く来る場所」とオープンスクールで言っていたところを選びました。痛みを知る人達なら、少なくとも危害を加えてくることは無いだろうという判断でした。建前死ね。
確かに半分は不登校経験者でした。話しかけてきてくれた人もいました。数ヶ月後のもうグループができてしまった時期に、姉に似ていてコンプレックスが刺激されるから無理と拒絶されました。その姉とは関係ねーこっちからすれば「は?」としか言いようがなかったけども、いざ再び独りになってみると楽なこと楽なこと。移動教室も昼休みも一々誰かに合わせて行動するのが窮屈で、一人の方が気楽だってことを自覚しました。グループに入ることができなくなるタイミングだったことも気にならなかった。
生徒達の半分の一団、その高校しか入るとこがない成績のDQN共に目え付けられましたよえぇ。ただ、そいつらはウザったいけど大して問題はありませんでした。ちょっと髪がカラフルなだけのニヤニヤしながら通せんぼするぐらいしかできねえ小心者共なんざ、中学の頃嫌がらせしてくるやつの主犯と拳で語って殺意が生まれる(友情じゃない) ような関係だった私からすりゃ自分じゃ何もできないくせに囃し立てるだけの野次馬連中と同程度。目にかける価値もない。
問題はある二人の女生徒でした。そいつらは最初普通に話しかけてきていて、害が無かったから普通に返事してました。某漫画作品好きかと問われれば好きだと答え、どのキャラが好きかと聞かれればあのキャラが好きと答えました。なんてことないただの会話で、互いの好きなキャラ同士に特に接点もなかったこともあり、特にその作品のファン同士として盛り上がることもありませんでした。
それが一転して嫌がらせをされたのは、体育の授業中のこと。バドミントンの2vs2の授業で相手はその話しかけてきていた2人で、私は組む友達がいないから先生と組んでいました。先生がバドミントンに慣れているのはまあ仕方ないでしょうが、そうは言っても私も運動神経はまあ普通よりは少しいい方で、小さい頃お母さんに教わった戦法を駆使して勝ちました。視線を向ける方向とは反対の位置に打ち込んだり、思いっきり振りかぶっておいて前に落としたり。試合形式なんだから当然です。
それをあろうことはあの二人は、先生と組んでるからそっちはその時点で反則だだなんて言い出して。その上悪口を言いまくった後反論すれば「それは先生に言ったんだ」「自意識過剰」挙句の果てには「せっかく話しかけてあげたのに」
最後の一言が何よりも許せなかった。私は独りでいることが気に入っていたのに勝手に独りだから可哀想と決め付けて、恩を売っているつもりになって気に入らなければこちらのせい。
人間不信・人間嫌いになった決定的瞬間で、同時に某作品を嫌いになった瞬間でもありました。
アイツらと同じ作品が好きなのが嫌で、僅かでもアイツらと同類な点を持つ自分が気持ち悪くて、それで嫌いになりました。
だからどうしろとは私は言いませんし、誰かにこうしてほしいなんて望みももっていません。誰かの好きを消さないためにも嫌がらせなんてしないであげてーなんて言うお綺麗な心なんざ小学生の頃にドブに捨てました。嫌がらせ? 私にしないなら勝手にすれば? 自分みたいに不幸な人間が他にいないとか気分悪いし。ただし私を巻き込むな。
小学校のある学年のとき、その時の担任が突然「かくし芸大会やろーぜ」と言い出した。
心のなかで「やらねーよ死ねなの」と呟いていた私は、きっと周りも同じ気持ちだと信じていた。
準備期間は1ヶ月、チームを組むもの、技を磨くもの、何かブツブツと暗記しているもの、練習と称して隠すはずの芸を披露してまわるもの、その面々を見るうちに私は自分の孤立を知った。
同じようにかくし芸大会に反旗を翻した者たちと共に夏休みの宿題を提出せずに乗り切った連中の真似事をするはずが、クラスでただ一人の無芸無能と晒される未来が確定していった。
そして私は仮病を使い、逃げ切る道を選んだ。
本当に辛かった。
死ねなの。
今でも、仕事で辛いことがあった日の夜に限ってその夢を見る。
ただ勉強をして問題を起こさなければ生き延びられると信じていた社会が、個性・特技・一芸・差別化といったものを求める残酷なラットレースの場所であると知った最初の記憶。
とても辛い。
実際、転勤族だと妻が自分の親と同居(或いは近居)して夫だけ単身赴任ってのはよくあるし
それだと妻は転勤に帯同する必要がなく、仕事も辞めなくていいし人間関係もリセットしなくていいし
大抵の夫はそれ嫌がって無理やり妻子を帯同させたがる
んで妻は仕事を奪われて孤立育児で病み、共働き出来ないから金銭的にも困窮、子も頻繁に引っ越しさせられ情緒不安定でいじめに遭う、となったりして
慌てて妻子だけ実家に戻したりする
自分が転勤で苦労してるんだから妻子も苦労させないと気が済まない、んだろうか
どうせ育児する気がないなら、単身赴任の方が金銭的にも安定して
育児は帰省時に気が向いた時にやるだけで良いし家事なんか勿論何もしなくていいしたまにしか帰らない分いつまでもお客様扱いでちやほやして貰えるのに
女遊びなんかしてもバレないだろうしさ
パラリンピックの「障害者でもがんばれば健常者並になれる」というお涙頂戴の筋書きが気に食わない。ハイテク義足で健常者の世界記録をなぎ倒して行くのが見たい。みたいなツイットを1か月前くらいに見かけた。
あと増田で2週間前くらいに「なんで障害者をかわいそうと思ってはいけないのですか?と大学の講義で質問が出たら静まり返った」ってのも見かけたんけども。
かわいそうと思われるのってそんなにイヤか?
ていうか、かわいそうと思われるおかげで補助金もらえてハンディキャップを穴埋めして健常者並に近付くことができる(合理的配慮)のであって、かわいそうと思われたほうがオトクじゃね?って思うんだが、違うのかな。
ハンディキャップがあるにも関わらず、見た目が健常者なのでかわいそうと思われないせいで穴埋めされることなく、しかも見た目のまま健常者並を求められてキツい思いをする軽度精神疾患系の障害者とか、内科系持病持ちとかなんかも、たぶんそう思うんじゃないのかなぁ。
自覚症状のない精神疾患だと「病気を疑って医者に行く」という動機付けにもならなかったりもして、治療・改善されないままになり、ますます孤立する。社会的地位が高くて普段の生活で注意や進言を受ける機会が無い人間とかね。
と、発達障害者の端くれから、かわいそうランキング低みの見物をする増田であった。
障害は、客観的に短時間で判断が付くものばかりではないですからね。
足が無い、腕が無い、というのは分かりやすいから、すぐにかわいそうと思われやすいんですよ。
警察ですら補聴器つけて自転車に乗ってる人を「イヤホン外せ」と捕まえて、説明すると逆ギレする事件が絶えないようですが。これ何年も前から問題になってるのに全く改善しないですね。全国の都道府県警どうなってるんだ?
視覚障害で杖を持っていても全盲だけが視覚障害でなく、「部分的に見えないエリアがある」「部分的なエリアしか見えない」とかマチマチだそうです。杖もってて全盲をイメージするのに「見えてんじゃねーか」ってキレられたりするケースがあるようです。いや、知らんがな。
「かわいそうと思われない」ならマシなほうで、むしろ「私の気分を害したお前のキモさが悪だ」と毎日disられ指さされるのがデフォというか。不随意運動、チック症とか、吃音、統合失調症(独り言)とかは。
そら当事者は疲弊して、誰かとコミュニケーションしたくなくなるし、苦手になるし、下手になる。
すでにかわいそうと思われていて十分に支援を受けている人はそれが維持されて行ってほしいと思うし、かわいそうの享受が足りてない人のために、目に見えないものを知り、想定の範囲が拡大されていってほしい。
たぶんアレだよね、マズローの欲求段階そのものをなぞっているのだと思う。
補助金が出たり支援者がいる程度のかわいそうランキングの高さがある身体障害者は、埋め合わせによって健常者並の暮らしに近付くことができる。なので生存欲求の次の段階「承認欲求」を求め始めて、それが欲求不満なのかと思う。
しかし受けられる支援が少ない障害者は、承認欲求よりも根源的な生存欲求、安全欲求すら満たされていない人がボリュームゾーンなのではないか?
だから「かわいそうと思われたほうがオトク」と考えるんじゃないかな。
「障害は見た目が9割」という話なのでは
こんにちは。そういった類のアカウントを持っている女性オタクです。私自身、鍵なし運用にもかかわらずフワっと検索避けをする人間なのですが、検索避けする理由は感想と考察ではかなり違うため、それぞれ分けてコメントします。
感想:検索にかかるようなワードを伴うと、一見さんや公式に「どのように見ているか」知られることになるため。特に一見さんに「そういう見方があるのか」と知られるのは個人的に好きません。いざ書き込みしてみると、ニッチな見方になっていることが殆どなので。書き込み消しや修正もよくしてしまいます。
逆に言えば、公式やジャンル外さんにも届いたらいいなという期待のある感想(良かった点など)は必ず正式名称で書き込みをしています。ハッシュタグもバンバン使います。
考察:私は創作をする人間でもあります。自分が発信者になった際、たとえ作品を好きで深読みされていようと、考察のすえに先読みをされていると不愉快です。最悪、創作意欲がなくなり筆を折りますし、休止できない状況である場合、その後の道筋が決まっていたとしてもどうにかして別の道を作ります。すべての創作者が考察(先読み)をきらうわけではないでしょうが…他人にされて嫌なことはするな、の精神で、考察をする際は検索避け+ワンクリックしないと読めない場所に置いています。
また、これは理由ではないのですが…。
私は、検索避けワードをひろく知られるのも嫌な人間です。たまに検索避けと正式名称をあわせて書き込み(またはせっかく避けているのにリプで正式名称を言っている)パターンを見かけるのですが、そういうときは凹みます。
凹む理由は自分ではわからないですね…。とにかく一般に知られるのが嫌なのかな?
オタクというだけで孤立しがちだった頃の人間なので、未だにトラウマを引きずっている気がします。自衛のし過ぎとでも言いますか…
インターネット上で個人の居場所が作りやすくなり、ファン同士の交流や、更には公式とファンとですら交流がしやすくなった昨今です。
公式にすぐ伝わってしまうことは、メリットもあればデメリットもある。まさしく諸刃の剣だと自分は考えているため、検索避けをすることは自分一人になったとしても続けていきたいと思っています。
物価の安いフィリピンに出て、貯金で一生働かずに暮らしていきたいと思ったけど、考えたら無理だね。
フィリピンの人間関係では、お金を持った人はお金の無い人にお金を与え続けなければいけなかったりする。
さもなければ孤立することになる…。
…よく考えたら、お金を与えなきゃいけないのは日本も一緒じゃね?
宝くじが当たった人に、いろんな人が金目当てでやってくるのは有名な話。
みんなお恵みが欲しいんだよね…、そして恵んでくれない人は冷たい人として疎外する。
恵んでくれなくても付き合ってくれるのは、金持ちの気持ちの分かる「金持ち」なんだよね。
そんで、金持ちとの付き合いには金がかかるから、孤独を癒すためにはたくさんお金を稼がなきゃいけなくなる。
たくさんのお金が手に入ったとしても、稼げる能力が無いとあんまり意味ない思うんだ、ぼっちKKOの仮説としてだけど。
だから金は人間のある種のパラメータを表現した記号に過ぎないんだよね、多分だけど。
ネット私刑をよくするのが現代日本だが、私刑は本来法治国家において必要のないものだ。
しかし無くならない。法が捌いてくれない悪事が多いのが原因だろう。
となると人は私刑に走る。
また既に痛い目に合っているのに叩かれる場合がある。例えば大分の孤立。
あれは「身を持って理解した」パターンなのでもう責める必要はない。どうせ救助費用かなりとられる。保護者はひーひー言いながら金を払うだろう。
対応策、教訓としては必要かもしれない。叩いてる場合では無い。明日は我が(子の)身。
まず誰が、どんな目にあい、どんな法策がとられるかとられないかを考え、どこが責められるべきなのか。そして痛い目にあったのかあってないのか。
そこを考えられないと私刑は全て取り締まられる(まとめサイトなど含め)べきであると考える。