はてなキーワード: パチンコとは
「日本の政治が正しく運用される」がゴールじゃなくて「自民党に入れさせない」がゴールになってんだよな結局。
そうじゃねえだろ。
たとえ自民党がある日突然まるっと左翼政党に生まれ変わっても、はてサは変わらず「自民党に入れるのは父親の尻穴に挿入するようなものであり歪んだ家長制度の延長線」とでも宣い続けるだろう。
結局さ、信念も思考力もないやつが政治にかぶれると、プロパガンダを言うことそのものが目的になるんだわ。
パチンカスが稼ぐためでも大当たりを見るためでもなく、パチンコのレバーをただただ握り続けていることそのものに人生の意味を見出すように
YOASOBIのイラストやらVtuberやらを引っ張り出すまでもなく、トレス疑惑なんてものは昔っから定期的に持ち上がっては炎上しているネタなんだけど、正直あまりそこまで大騒ぎするようなもんじゃないよねって毎回思ってる。
1/77,000,000,000,000 ←他人とDNAが一致する確率
1/1,000,000,000,000,000,000,000,000 ←ビッグバンが起こったり、人が壁をすり抜ける確率
1/2,500,000,000,000,000,000,000,000,000,000,000 ←サッカーくじBIGで起こった確率
これ見るとなんか他人の描いた絵と線が重なる確率って意外と高くね?って思うんだよね。他人とDNAが一致するよりは絵の一部が一致する確率の方が高いでしょ。絵なんてこの世界にそれこそ天文学的な数あるわけだしさ。AIが世界中の絵をスキャンして線が一致する絵をピックしたらそれなりに高い確率になんじゃないか。ま、実際にBIGではありえないような確率のことが起こったわけだしね。ありえないとは言い切れないよね(本気で言ってるわけちやうで)
結局どこまで行っても疑惑でしかなくて、偶然ですと強弁すればそれまでだと思うんだよねってことが言いたいわけだ。その上でそっから先はパクられた絵師と本人の話でしかないわけだからさ。なんか趣味で絵を描いてるだけの素人が正義ヅラしてわあわあわめいてるのをよく見るけど外野が正義振りかざしてて滑稽だなって毎回思ってるわ
言われてるけど現在進行形でギャンブル中毒になってる子供(欲望を抑制する脳が未成熟なため大人よりものめり込む)とか聞くわけない。
言っても「パチンコと同じとか訳のわからないこというな、人生を楽しんでる俺たちに嫉妬してるんだろ。」とかこんな感じ。
これを10年ぐらい前からやっている。忠告するまともな人は去ったな。
子供の場合はお年玉30万ガチャにぶち込んだとかそういう自慢してて大人に咎められても何が悪いの?とか言ってるからやばいよ。
パチンコやスロットがどんどん廃れるのはどうでもいいんだけどさ、あれって金使うのは自己責任だよね。
のめり込む人が多くて射幸心を煽らないようになんて変なルール作られちゃってイベントが出来なくなったわけだけど、
ソシャゲは第二のパチンコのようなものなのに、規制がさほど無いよね。むしろ皆無と言って良いくらいでしょ。
ソシャゲも同様に金使うのは自己責任なわけだけど、パチンコは射幸心ガーって言われるのに、ソシャゲは射幸心って全然言われないよね。
イベントも毎週のようにやってて、イベント時には新しいキャラだ、武器だって感じでガシャで射幸心煽ってるのにね。
なんかおかしな話だなって思うんだよね。
パチンコは金戻ってくるだろ!だから駄目なんだよって言う人が以前いたんだけど、ソシャゲもキャラや武器で戻ってくるじゃない?
他にもパチンコは中国とかに金が流れてるだろって言ってる人がいるけど!ソシャゲもあっちのゲームが人気あるじゃない?
どちらも同じにしか見えないのになあって。
まぁパチンコやらないから廃れるのはホントどうでもいいんだけど、ソシャゲも似てるのになーってね。
前にソシャゲはちゃんと天井があって高額にならないように考えられてるってピュアな人が居たんだけど、パチンコもスロットも天井あるのにね。
なんかなー。素朴な疑問。
俺は無理だな。
例えば、って例をあげてみると
窃盗犯が家族にいる伴侶を得たとしよう。盆正月に伴侶の実家に集まるって時に、財布にクレカやキャッシュカードを入れた状態で、家のどこかに置いとける?
レイプ犯が家族にいる場合なら、年頃の娘を連れて実家に行けるか?ロリコンなら、幼児を付けて行けるか?薬物犯に自分の子供を無警戒に接触させられるか?
元殺人犯、傷害犯と密室で二人きりになれるかね?放火魔に自分の家の所在を教えられるかね?
俺はどのケースでもNOだね。自分が被害者になる事だけは避けなくてはならないが、犯罪の被害者になるのを避けるための最もいい手段の一つが
元受刑者とは絶対に関わらん事なのは、高い再犯率を考えれば議論の必要すらない事実でもある。
犯罪者の家族とかかわりを持つってことは、犯罪者とかかわりを持つって事と等しいし、避けるのは当然だと思うけどな。
犯罪者本人じゃない?そんなのは承知の上で、犯罪者の縁者と関わる事で犯罪者が自分とのかかわりを持ちうるリスクは過小評価できないだろ。
犯罪者も更生する?全く高くない可能性に、自分の生命・財産を賭けるほどギャンブルすきじゃないんでね。どうせやらかすって前提で行動するのが賢明ってもんでしょ。
普通に生活してる誰かが犯罪者になる可能性はないに等しい程小さなリスクだが、犯罪者が再犯するリスクはほぼ確実に起こると考える必要があるほど高いのだからな。
ある報道番組で、更生し小さいとはいえ企業の社長を任されてる様な元窃盗犯が、入ったパチンコ屋で落ちてる財布を拾って窃盗に手を染めて逮捕寸前のところで見逃してもらうってことがあった。
更生してるように見える?後悔してる?そいつは、それを5回繰り返してんだ。変われる訳ない。前歴を知ったら、その瞬間にエンガチョですよ。我が命や財産が大事であるが故の事実に基づく区別であって、差別でも何でもないよ。
https://www.moj.go.jp/KANBOU/KOHOSHI/no44/2.html
https://anond.hatelabo.jp/20220214164328
pbp2 だから道交法違反・殺人などの軽犯罪と、強姦のような性犯罪は厳密に分けるべき。前者は更生可能だが、後者は死刑廃止の埒外と置かれてよい。
よく、共同開発をする。
友人や気の合う同僚と組んで、チーム制作。
ずっと、一緒に何かを熱心に作ることに憧れてきた。
今も憧れてるし、これからそれを得てもずっとあこがれ続けると思う。
でもそんな共同開発をする時に、いつももやって、ドロンしたくなることがままある。
…というか、終わる時はいつもこれ。
自分は自由にゲームを作りたかったからちょっとしたプログラムも勉強していた。
それは自由にモノを作るための道具の一つとして。
何より一番の願いは、絵に全神経を集中させることだ。それは10年変わらない。
だからそれを先に考えておく。
そのあと絵やクリエイティブに集中するために。
でも共同制作をすると、
そのいわゆる土台作りを全部自分がやって、
じゃあエンジニアと組めばいい。
是非もない。その通りだ。
でもエンジニアで創作意欲にあふれている人に今まで出会えてない。
「何か作ろう!」と誘っても、
うーん…そうだねぇ、と帰ってくる。
気の乗らないやつ。
でも絵を作る能力が高くない人は、
まぁそこまでは心は読めない。
そんなこんなで、
共同制作をするたびに、エンジニア成分をすべて請け負うデザイナーという立ち位置になり、
どうしたら、この夢は叶うんでしょう?
なんでいつも同じパターンに陥るんでしょう?
たぶんズバッと増田の皆さんなら切ってくれるんでしょう。
もう、このループを切って、デザイン上の幸せをそろそろ得たい。
似たような企画、
歯車になるほど、なぜゲーム作りをしたい!と熱を帯びていたか忘れていく。
そんなことにうんざりしていた。
なので、今は
もうほんといっそズバッと切ってくれ~~~!!
何か救いを一つください…。
デザイン作らせてよ…。
まあ低俗な物の方が儲かるんだろうな。
もちろん売り込む側はその低俗さを隠してそれをさも高尚なものみたいに言い触らすんだろうけどさ。
「庶民派で親しまれていますよ」って表現もたまには使うけどね。
身体に無理させて他のプレイヤー押しのけて、最終的には勝った負けたしか残らねえ。
芸術は競い合えば作品が残るけど、スポーツで残るのは戦術理論とボロ雑巾になった選手たちだけだ。
悲しいねえ。
いっそ才能なんて何も持たずに産まれていれば末席でいいから創造や生産の世界に身を置くきにもなれただろうに。
なまじっか他の人に運動能力でマウント取れた成功体験が大きすぎると人生を見誤るね。
まあ可愛そうなのは、体を使ってショーをやってる創造的な運動分野の人さえ、金を貰うためにくだらん勝ち負けのビジネスに乗っけられてることだね。
貧乏ってやーねー
スキー(とスノーボード)には「回転」「大回転」「スーパー大回転」という頭の悪そうな名前の種目がある。
それぞれ「Slalom」「Giant Slalom」「Super Giant Slalom」の訳である。
しかし「スラローム」というと、普通は「蛇行」と訳されるものではないか?
ジャンプして空中でぐるぐると回転しているところを想像してしまうのだが、
実際の競技は、立てられたポールやゲートのあいだを蛇行しながら滑り降りていく競技である。
いったい誰がこんな訳にしたのか?
遡ってみると、1923年の第一回全日本スキー選手権大会では、
「スラローム」はそのまま「スラローム」と呼ばれていたらしい。
http://www.ski-japan.or.jp/3786/
第三回以降にいったん「スラローム」は姿を消すが、
1937年の第十五回大会でアルペン競技が新設されて「滑降」「回転」「複合」が行われたという。
http://www.ski-japan.or.jp/3791/
おそらくこのあたりで「スラローム」のことを「回転」と呼ぶようになったのだろう。
その当時「スラローム」という言葉がまったく使われていなかったわけではない。
当時のスキー教本などにも「スラローム」という表記で載っている。
スラロームと云ふ言葉はノルウエー語で痕跡の輪廓を描くと云ふ意味ださうである。其の廻轉の姿勢がクリスチアニアスウイングであるとかテレマークスウイングであるとか其他種々の姿勢であると云ふ事、並びに杖の使用不使用と云うふようなことには全然無關係である。
其スラロームは右、左のスヰングを自由にやりうる人のみが描きうる曲線の美しさである。スヰングとは體の振方とスキーの角付とによつて滑降中徐々に或は急激に方向を變じ或は停止する技で、外觀上の美のみでなく實用上缺く可からざる動作である。
クリスチャニア回轉又はテレマーク回轉を連續的に行って、雪の上に大きくの字を描きながら滑り降るのを、それぞれクリスチャニア・スラローム、テレマーク・スラロームと呼ぶ。“スラローム" Slalom は恐らくノールウェイ語であらう。
注目すべきは、ここで「回転(廻轉・回轉)」と訳されているのは「スウィング」や「ターン」のほうだった、という点だ。
「ターン」を「回転」と訳すのは、バレエなどでも同じであり、それほど違和感は無いだろう。
上記の文章では、はっきりと「スラローム」と「回転」は区別されており、明らかに異なる用語として広まっていたことがわかる。
それで後から「スラローム」の訳語を「回転」と決めたとは考えづらい。
単にアルペン種目を新設するにあたって「スラローム」という横文字を嫌い、
「回転を繰り返して滑り降りる競技なんだからそのまま『回転』と呼んだほうが分かりやすくね?」
それが後に「ジャイアントスラローム」が登場してやむなく「大回転」と訳すことになり、
(「回転」がターンを表すのはまだしも「大回転」はもう違う言葉だよなあ)
さらに「スーパージャイアントスラローム」が登場するに至って
もはやパチンコの売り文句みたいにせざるを得なくなったということだろう。
また「ターン」を「回転」と呼ぶことも少なくなり、
今となっては競技名としての知名度のほうが遥かに高くなったので、
まるで「スラローム」の訳語が「回転」であるかのようになってしまった、
言っても一般人にとっては冬季オリンピックくらいでしか耳にしない単語ではあるし、
違う。民主主義社会では、すべての国民が賢くなっていこうとしないと、温室栽培のパターナリズムによって国民も白痴化するし、国も腐敗するんだ。
国民各自が過剰に自主規制しようとしてしまうほどにお利口で体制に寄りすぎると、国はそれに甘え、恣意的な運用をしはじめ、法のアップデートもされず、腐敗が起こる。国民による自発的パターナリズムがそれを誘発してしまう。太平洋戦争を開戦に向かわせたのもそれが一因だ。
国民を裁くのはあくまで法であるべきで、国民による自警団であってはならないんだよ。本来は、法的に曖昧なラインを攻めていくくらいの態度の方が、アップデートが促され、民と官の綱引き関係が保たれる。より明瞭で怯え隠れる必要のない秩序に繋がる。
風営法だとか、パチンコだとか、技適だとか、アップデートされない時代遅れなまま恣意的な運用をされている法は多々あるが、ここでは関連深いわいせつ物頒布等の罪で考えてみよう。
まあ面倒だからwikipediaとブコメ、ニコニコ大百科を見てほしい。
このへんを読んで俺の言っている問題意識が伝わればいいが。
俺は腐女子文化に興味はないが、最大限尊重され守られるべき文化の一つだとは思っている。こそこそしていてほしくはない。ゾーニングどうするか問題のようなものも、隠れているうちは表現者各自の裁量に委ねられてしまい、不要な負担が表現者にかかってしまうだろう。そういうのは良くない。やり方を洗練させ、法を時代に追いつかせ、社会をより風通しよくしていくには、隠れずに前に出していかないと。
とりあえずやってみたくて買った
めちゃ評判いいしーみたいな
最近の手取り足取り親切さになれてると、どこにいけばいいのかなにをしたらいいのかがわからないのがすげーしんどい
ヒントもすくないし
その次は木のダンジョンで上から飛び降りるってので迷って攻略みたし
その次は仕掛け扉の上のスイッチをパチンコで打つことに気づかずに攻略みたし
ジャンプできないのとカメラアングルを自分で動かせないのがすげーストレスだし
見下ろしゼルダと違って敵との間合いも取りづらくてすぐダメージ食らっちゃうし
楽しさよりもストレスのほうが大きいから、しばらくやんないことにした
下手くそなだけなんだけどうまくなるための労力を費やす気にならない
ただあくまでも中断ってだけでまた気が向いたらやりたい