はてなキーワード: バンザイとは
つい先日亡くなったクロード・レヴィ=ストロースの「野生の思考」をたまたま読み途中なので書いておく。
以下引用「・・・性交と食行為の間に世界各地の人間が考えている非常に深い類縁関係の具体例にすぎない。この類推は強くて、その二つの行為を同じ単語で表す言語は非常に多い。ヨルバ語においては「食べる」と「めとる」はどちらも「わがものにする」という広い意味を持つ一つの動詞で表現される。フランス語でも同種の用法があり、consommerという動詞は結婚<床入する>と食事<飲食する>の両方に使われる。ヨーク岬半島のココ・ヤオ族の言語ではクタクタという単語が近親相姦と食人の二重の意味を持っている。・・・」
これを読んだ時、俗語での「女を喰う」が、「女を犯す」同義であることから、日本語でも成り立つことに軽い興奮を覚えた。人類みな兄弟。構造主義バンザイ。
痴漢冤罪にあった時にどうするかと言うのは時々語られることがある。
だが、基本どの方法もやはり女様バンザイ警察司法の前では分が悪い。
逃げる。名刺おいて立ち去る。その場で堂々名誉棄損で訴えると反論するなど
もちろんその最悪の事態に当たった際の対応も考えておくべきだが、
より重要なことはそれに当たらないために万全の対応を取っておくことだ。
A)まず、電車に乗らない。
お金が許すならまず会社から徒歩圏内に住むことが最大の予防だ。
自転車でもよいと言いたいところだが近くに駐輪場がなかったり会社が自転車通勤を禁じていることもよくあるので注意が必要。
なのであえて徒歩圏とする。電車に乗らなければ女様から冤罪を食らうこともない。
以下はどうしても電車を使わなければならない普通のリーマン向けである。
B)時間を早くする。
この時間はもうどうしようもない。冤罪を避ける工夫それ自体が困難になるのである。
よってこの時間を避ける。時間がある程度自由のきくフレックスならあえて遅く9時以降と言うのも選択肢である。
C) 始発に乗って座る。
立っているとやはり冤罪にあいやすい。満員電車で立つのはどうにも体勢が安定しないし、
女様を避けるのもなかなか難しい。
ふらっと倒れてそれで痴漢よ!と言われて人生を失った人もたくさんいるだろう。
それを避けるにはやはり座るのが一番だ。
ただ、悪夢の日本の通勤地獄で安定して座る方法は始発に並ぶほかあるまい。
通勤時間のピークではそれでも座れないことが多々ありこの方法に頼るのはそこまで楽ではない。
何より駅の都合でそれが使えない人も多くいるだろう。
このBやCでも難しいということも残念ながら多々ある。
もちろん空気を読まずに乗ってくる迷惑なのはいるがそれでも比較的少ない。
もちろん本当は比較的すいてる車両を選べと言いたいところだが、
どこでも混んでいる都会(特に東京圏)の通勤車両でそれはいうだけ空しいことだ。
E)ドア前は避けた方が良い。
ドア前は冤罪を受けやすいようだ。なぜなら痴漢もその場所が多いと言われる。
要するに他の痴漢のやらかしたことのになぜか無関係の他人を犯人扱いするという女たちが大量発生することが容易に予測できるのだ。
なのでドア前は避けよう。何が何でもせめてこじ開けてでも車両の中ほどに移動すべきだ。
端もあまりよくない。中ほどが良い。万が一席が空いたらラッキーすぐ座れ。
ドア前から動けないほど人が多いのであればその電車は避けて次の電車を選ぼう。
F)全て女様に近づかない方がいいのは当然だがその中でも
華美な女と周りをじろじろ見まわす女には特別の警戒を持って絶対に近づかない。
そういう女は非常に悪い意味で自意識が高い。冤罪率が高いと判断すべきである。
G)女様を見ない。
近づかないことも当然だが女様に目を合わせてはいけない。
外や上を見ておくのが本当は一番良いが、
最悪でも携帯をポチポチいじるくらいかゲームか読書くらいして他に興味のないということを周りに示せ。
ひょっとしたら電車内で携帯ぽちぽちとか見苦しいとかいうバカがいるかもしれんが無視してかまわない。
冤罪の危険よりはましである。ま、これをやる場合乗り過ごしには気をつけろ。
H)駅を出るまで油断するな。
少なくとも移動の時は「降ります!」と声を上げ手を上げて移動するべきだ。
女様に自分が降りるからどいてくれと気付かせるのだ。ま、それでもどかない女が多々いるが。
うかつにぶつかると冤罪を食らう。遠回りしてでも避けよう。
http://b.hatena.ne.jp/entry/anond.hatelabo.jp/20140522162254
↑動的型の言語の信者が「お前テスト知らないの?」みたいになテストがあるから型チェックいらないみたいな反論してきたけど、
http://gihyo.jp/news/report/01/rubykaigi2014/0002
↑Rubyは静的型の要素を検討してるって話だし、Pythonも検討中らしいじゃん。
ここらの言語に静的型チェックの要素が導入されたら、信者も「この機能便利だわ。さすがmatz」とか手のひら返すんだろうな。
スクリプト系の言語のよさって記述を簡潔にできるってことで、型が動的な部分はそれとは関係ないんだけど盲目な信者は好きな言語を全部肯定しないと気が済まないんだよね。
静的型で記述が簡潔な言語が勃興してきてるからスクリプト系の言語はその役目を終わりつつあって、10年後にはPerlみたいに衰退してると思う。
その時は、信者の人たちも、動的型バンザイしてたのは若かったころの黒歴史として胸にしまって「やっぱ静的型は素晴らしいわ」って改宗してるんだろうな。
最近名前も見たことねえ、しかもつまんねえ連中が「俺らがhatena WORLD orderだ、ガッチャメラエー!」みたいな態度取って中堅古参に絡み続けて仲間も「そうだそうだhWoの言ってることが正しい! hWoこそ正義! hWoバンザイ!」みたいな反応して、それに嫌気をさした中堅古参が次々消えていくという光景を見ているわけでありますが、こういう光景を見るにつけて「あっこれ新興宗教がコミュニティに入り込んで元いる人間追い出してアジトを完成させるためのやり方と一緒だ」と思った次第であります。
なんか最近のウォッチャー気取り馬鹿ってさー、相手がどういう人間か把握せずに何でも刃物持って「トリック・オア・トリート・オア・ダイ?」みたいなこと言って相手が戸惑ってる間に「よっしゃ殺しとこ!」って感じで刃物を足元にドーンって突き立ててゲラゲラ笑ってるようなデスハロウィンみたいな連中ばっかりでおいおいこいつらモヒカン族より質悪いぞ種籾どころか労働力まで奪ってるぜお前ら最終的に飢えて死ぬって分かれよファッキンジャップみたいな気持ちになってしまうんですね。
なんて言うんですかね、ジェラルド・ゴルドーにも豆柴にも同じようにバットで殴りかかっていくという感じで相手によってやっていい限度を考えろよというアドバイス的なものを与えてくれる人がいなかったんでしょうか。
ゴルドー相手ならバットどころか日本刀でも大丈夫なんじゃねえか、豆柴相手にバットはダメだろうからエノコログサにしておこうとかそういう気遣いがあるのが本物のウォッチャーだと思うわけですよ。
さらにはゴルドー相手にバットで立ち向かって返り討ちにされても返り討ちにされたことにも気づかず「ゴルドーをバットで殴ってやったぜwww」ってみんなに自慢してんの、お前のその変形した顔面は何だよ、整形失敗でももう少しまともだぞ。
で、そんな奴らが誰かの入れ知恵かなんかで大挙してはてなブログに潜り込んでんの。
誰よー? 誰の差し金よー?
もうそういう人たちの存在とか見たくないっ! 見たくないのっ!
そういうのはよそでやってっ!
「お前が出て行けよ」
はい。
遅ればせながらゴジラを見てきた。作品の感想は事前の期待が大きかったせいもあるがイマイチ。その理由を自分なりに一晩考えて出た結論が「人間にとって都合のいい存在としてゴジラを描いてしまっているから」。1954年に公開された初代ゴジラは明確な反戦・反核のメッセージを含んだ作品であり、水爆実験でよみがえったゴジラは、人間がコントロールできない「核兵器」という科学技術を使うことへの批判として描かれている。
人類が調子こいて水爆実験連発。その衝撃によりゴジラが目覚める。
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ゴジラを殺せる可能性のある、水中の酸素を破壊するオキシジェンデストロイヤーという化学兵器を若い科学者が発明。
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しかし博士はその兵器が戦争に使われることを恐れ、使用を拒否。
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ゴジラをぶっ殺すか? 強靱な生命力を研究対象にするべく生かすのか? 議論が割れる。
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結局、オキシジェンデストロイヤーでゴジラ死亡。博士は兵器の悪用を恐れ設計図を破棄し、自らの命を絶つ。
ゴジラは60年前から反戦・反核のメッセージとともに、際限のない科学への信頼に対する警鐘も鳴らし続けている。しかし、ラストでゴジラを倒すのは核兵器よりも強力な化学兵器であり、これは結局諸刃の剣である科学の呪縛から逃れられない人類を象徴的に描いている。「人類が核実験を続ける限り、第二第三のゴジラが現れるだろう」という最後のセリフは今もって有効だ。これがハリウッド映画であれば、「核兵器でも死なない大怪獣を倒した科学技術は素晴らしい! 人類の叡智バンザイ!」的なハッピーエンドになるはず。
ネタバレになってしまうので詳細は避けるが、なにが言いたいのかというとゴジラは大自然や神様といった人間にとってアンタッチャブルな概念の具現化であり、人類のために戦うヒーローになってしまっては興ざめということ。この辺はおそらく、神様が世界と人類を想像したというキリスト教的な欧米の世界観では理解しにくい存在なのかもしれない。それらの文化圏では神様とはこの世界のスタートとゴールを設定した絶対者であり、人類を正しい方向に教え導く役割を担っているのだから、試練を与えつつも最後にはハッピーエンド(人間にとって都合のいい)が約束されていなければならない。
その点、日本では不可侵な存在としての神様を描くのが得意なようで、例えば「もののけ姫」のシシ神さま。あれなんかは完全に、人類ともののけの人智を超えた存在として描かれている。シシ神さまにとっては森を守るアシタカも森を開発しようと企むエボシ御前も関係なく、ただ目の前の者に死と生命を分け与えるだけ。間違っても「お前は森を大切にしているから褒美として寿命を10年延ばしてやろう」とも「お前は森を破壊した罰として寿命マイナス10年!」とも言わない。人間の都合ももののけの都合も一切勘案に入れず、己の職務に忠実なだけだ。それは、どんなに弱者や善人が住んでいても地震や台風が発生するときは容赦なく発生するのと同じこと。つまり、本来自然や神様は人類の都合など考えない、極めて不条理な存在であるわけだ。
もうひとつの例としては、「ドラゴンボールZ神と神」のビルスさまも同じ。「プリンが食べられないから地球を破壊」「寿司がまずかったら地球を破壊」「ジャンケンに負けたら地球を破壊」といったセリフのオンパレードは、神様の不条理な一面をこれ以上ないくらいよく表している。初代ゴジラにとっては自衛隊であろうと戦災孤児であろうと自らの進路に存在する者は容赦なく踏みつぶすだけだ。
そんな人類の都合など考えないゴジラを期待して見に行った自分からすれば、なぜ98年のエミリッヒ版ゴジラがあんなにも酷評されているのかよくわからない。今作では日本の原発事故を絡めてはいるが、それもイマイチ批評性に欠け(というか単なる方便)、中途半端な社会派作品に堕してしまっている。
一つ興味深い点を挙げれば、人類がゴジラを「撃退」もせず「征服」もせずに「共存」の道を選んだこと。(続編のためにはゴジラが人類に撃退、征服されてしまっては元も子もないのだが)。これまでどんな凶悪な宇宙人も自然災害も撃退して乗り越えてきたハリウッド映画、これまで世界の警察を自称して世界中に西欧的価値観を広げてきたアメリカ。そんな、アメリカという国家が共存の道を選んだこのラスト、実はなかなかにレアなのではないかと考えている。メインキャストで唯一の東洋人である渡辺謙が発した「愚かな人間は自然を征服できると思っているが、そんなことはできない」というセリフは、「自然や子どもは管理されるべき」といったキリスト教の教えとは180度異なる。今回のハリウッド版ゴジラは反戦・反核のメッセージを含む初代ゴジラとは異なり、アメリカの外交の変化とリンクした作品として捉えるとまた違った一面が見えてくる。
俺の入った大学はOB系の奨学金と企業系の奨学金が充実してたからな
100種類以上あったので選ぶのと試験受けるだけでも超大変だったが
その上で、多少の学力+悲惨なほど困窮してる家庭の出であればイッパツだよ
これは不思議な逆転現象で「中途半端な貧乏人」が一番辛いんだよな、学費系は
ついでに言えば、一種の奨学金は学力もそうだがどっちかと言えば世帯収入の要件が強い
貧乏人なら最悪、1種2種併用で月12~15万は確保出来る。国立ならこれで十分だろ
金利2%と奨学金系よりは高いが、まとめて確保して流動性を得られるのは強い
奨学金全般に言えるが、学生ってだけでこんだけ低利のカネが確保出来るんだから
カネがあろうが無かろうが、融資枠目一杯まで確保しとくべきだ
奨学金も起業もそうだが、カネ引ける場所は一杯あるのに皆何故気づかないのか
教育を受ける機会を遺失することに比べたらリスクでもなんでもないだろ。
奨学金1種+政策金融公庫の学費ローンで、入学前に350万+月々10万以上が
0~2%の利率で引けるんだから、使わなきゃ損だろ。返せなかったらその時考えればいい。
非武装の怖さは
「攻めんぞオラ!」っていう恫喝に対しての抵抗力が限りなくゼロになるってことなんだよね。
非武装で行くってことは、「ミサイル撃っちゃうかもよ?かもよ?かもよ?」
って言われた時に、「撃ってみろオラ!世界がおまえを許すと思うなよ!撃たれた地域の人、しょうがないから死んでくれ!」
っていう覚悟をせないかん。ちょっとした脅しで都度国家がめっちゃゆれるわけですよ。当然ながらパニックも起きるだろうし。
東京から一斉に人が逃げるだろうとは思う。攻撃される可能性めっさ高いし。人口を国内に均一に分散するしかないだろうなぁ…。
日本国民がみんなガンジー並の精神になれるなら可能かもしれないけど。
もちろん、一昔前の戦争みたいな植民地支配、要するに地図を書き換えるタイプの
それでも、取引をする上で相手にだけ「軍事攻撃」っていうジョーカーがある状態になるわけで。
これ、単純に商売する上でもめっちゃ不利でしょ。
向こうにだけ絶対的に強い武器がある状態で交渉しなきゃならなくなる。
これは、ポーカーに例えると向こうにジョーカーがありこっちには無い状態
ありとあらゆる交渉が圧倒的に不利になるわけですよ。
その不利を受け容れるほどのメリットがあるかどうかだよね。
ただ、軍備は金食い虫なので「外交力と経済力で軍備を代替する!勝負だ!」って思想はありえると思うよ。
一昔前はバンザイアタックとかカミカゼアタックとか言われた手法に近い考え方だと思うけど。
なんていうか、「軍備」って聞いて、一昔前の「占領・植民地」しか出て来ない辺り発想が50年前で止まってると思う。
結局のところ、グローバルにビジネスを展開する以上、そういうところの配慮は必ず生じるわけで、
いちいちそういう対応してらんないよ、というのは、どこまでいこうと企業側の甘えでしかない。
もちろん、これからは日本のソフトでも同性婚ができるとか、逆転裁判で死刑がなくなって狩魔豪が生きてるとか、
ドラクエ5で公式にルドマンと結婚できて子供も生まれるとか、ポケモンでオス同士メス同士で卵が生まれるとか、
そういうことがどんどんでてくる。
で、そういうのは日本の文化からすればありえない設定なわけで、ユーザーが離れて日本市場はどうしようもないぐらいに今以上にズタボロになる。
これは、いちいち日本とアメリカで対応を分けるなんてことにリソースを割いてられないんだから、当然より自由な方に合わせるという当たり前のことである。TPPバンザイ!
中学生くらいのときに初めてみて素直に感動して興奮して父親にそう話したら、「いかにもアメリカバンザイみたいな映画でイマイチだった」みたいなこと言われて、そういう見方もできるのねと思った一方で素直に面白かったって思った俺の気持ちはどこにやったらいいんだと複雑な気持ちになったのを今でも覚えている。
それ以来ハリウッド映画だったらまたアメリカマンセー的な映画なんじゃないかという懐疑を常に持ちながら映画を見るようになってしまって、純粋な俺の心が父親によって汚されてしまった。
知識があってこそ楽しめる映画もあるとは思うけど、いわゆるハリウッドB級映画的なやつは変に斜に構えずにバカなまま見て楽しむのが一番いいと思うんだけど。