はてなキーワード: デッサンとは
育児系の漫画をファボリツイフォローしてるというだけで、ブロックとフォローはずししてしまった。 出産頑張りましたとか赤ちゃんが可愛い!のならいいんだよ。 私はこんなに大変でした! 旦那に文句言われました!っていうのを なぜ、漫画という形態にして世間にぶちまけるかね?発作的に愚痴ツイなら分かるが、漫画という形態ってデッサンしてストーリー仕立てにするじゃん?その時点で、旦那の仕打ちを世間にぶちまけてやるって怨念が見えててすげえ怖い。そんなのママ友や実母に愚痴るだけですっきりしないの?後でそれを見た旦那の間にしこりとか残らない?子供との思い出作りなら尚更じゃない? マイナスの感情って伝搬しやすいから、見るのがしんどくならない?それに、赤ちゃん産めた時点で勝ち組じゃないか?それなりの稼ぎのある旦那と若さと健康と地盤があるってことだろ?すまん、私のひがみだな。 正直フェミ系は感情的で被害者意識丸出しだから、それ系のツイートやファボする相互さんは黙ってミュートしてる。 子供のために、手抜きしません!旦那はわかってくれない!そうだね。でも、大人の飯なんか汁物と冷凍と焼くだけの肉でいいじゃん。自分が楽するためにYoutube見せてもいいじゃん?育児大変勢って一体何と戦ってんの?
(お節介な長文で申し訳ないが、「まっすぐな線一本」でも軽く説明するだけでこれくらいの分量にはなるということで)
ペンタブで線がまっすぐ描けないのは、
・ソフトが合ってない(フォトショップは線画に向かない・線画向きのSAIなら5000円くらいで買える)
・自分の腕がよくない
3つの原因のどれか。
■ハードorソフトなのか・自分の腕の問題なのかを検証するには、家電量販店に行ってペンタブで線を引く。
線を引くくらいなら別に人前でも恥ずかしくないと思う。
ないとは思うけど、タブレットが「相対座標(マウスみたいな感じ)」になってると使いにくい。
絶対座標(タブレットとPC画面の座標が一致する)に設定する。
ソフトはさっきも書いたようにSAIか、クリスタ(安いやつ)がオススメ。
手ブレ補正があるので、ガタガタな線でも綺麗にしてくれる。(メモリは食う)
紙のように画面を回せるし左右反転もできるので、得意な方向から線を引ける。(よく言う話だが、プロの漫画家ほど原稿をまわして絵を描く)
文字通りまっすぐな直線は定規系のツールを使って描くから、あまり問題にならないと思う。
キャラクターを描くときの線が思った通りに引けないということでいくつか対処を書いてみる。
勢いをつけなければガタガタになるのは、プロ以外そんなもん。
または、紙に書いた線画をスマホで撮影して色をつける方法もある。
○紙でも思った通りにひけないなら、逆にもうそれを味にするほうが早い。
こういう「自分に合ったやり方」を発見していくのも、絵を描く楽しさのひとつ。
○線を練習したいなら、基礎を学ぶチャンスだと考える。「横線」「縦線」あと「丸」「三角」「四角」の簡単な図形で
・指を使って線を引く
・手首を使って線を引く
・肘を使って線を引く
・肩を使って線を引く の4種類を練習してみる。
字で見ると退屈でしんどそうだが、やってみると体を動かす作業なので意外に面白い。
ペンタブがなくても紙さえあればできるし、普段からクセにしておくといい。
4つの項目を下にたどって肩で線を引けるようになるほど(姿勢をよくしたり息を止めたり、意外と体力を使う)、より綺麗で長い線が引ける。
・線を引くときは、「今あるペンの位置」ではなく「その先・線の終点」に視点を置いたほうが綺麗に引ける
・デジタルは線を修正できるので、納得がいかなかったら消しゴムで削って整える(これを繰り返してるとそのうち最初から線が綺麗に引ける)
トレースをするときは、線の強弱や立体感のつけ方などのテクニック(線が表現するものは硬いのか柔らかいのか、重いのか軽いのか等)を考えながら作業する。
目立たせたいところでは線が多かったり強弱が激しかったり、いろいろ工夫がある。
考えながらのトレースを繰り返すことで、自分の思考回路もそういう風に組みあがっていく。人体の比率もなんとなく手が覚える。
元の画像と同じ比率のキャンバスにすると、余白など構図の勉強にもなる。
色を練習するときも、他人の絵からスポイトで拾ってみると発見があって面白い。
トレースが上手く出来なかったとしても、素直に受け止めて変に気に病まない。
※以前も書いたがネットのデッサンという言葉には振り回されないほうがいい。あれは他人へのリスペクトよりも貶すためのニュアンスを強く感じる。
https://www.amazon.co.jp/dp/4408454583/ref=cm_sw_r_cp_awdb_c_DGymEbWNRZJJ1
トレーシングペーパーと合わせて贈ったことある。
年齢にもよるけど。
https://www.amazon.co.jp/dp/475624937X/ref=cm_sw_r_cp_awdb_c_pTymEb0PNAZYJ
世界一周なぞり描き-ときめきを紡ぐ旅- Tracing around the world
他に、少しずつ段階を踏んで仕上げていく本があったが、結構前の本で検索しても、すぐには出てこずすまんです。
天才型は、こういうのいらない。けど
自分の才能を当たり前(絵がうまいことを簡単なもの、特別とは感じない)に思いすぎて、
違う分野にいってしまうこともある。
退屈で。
キメラゴンとかいう中学生のTwitterをやっと暇になったので見てみたけど4月からN高に通うならもう中学生じゃないじゃん。まぁ良いけど。
情報商材を売りたい人って「圧倒的」って言葉を使いがちだよね。
商材屋じゃなくても、年末に話題になった任天堂にデザイナーで就職したいから高校行かないって言ってた中学生も、高校に行かない理由に
圧倒的な時間差をデッサン力向上に費やすとか何とか書いていたなと思ったので、中学生は「圧倒的」って言葉が好きなんだなぁと思った。
彼のNoteも見てしまったがブログやTwitterってビジネスなの?ただの日記と有名人の私生活晒しツールだと思っていた(AV女優ばかりフォローしているので私のタイムラインは肌色が多い)
総論としては間違っていないのだが、絵を総論で考えることが間違っている。
研究・論文などは大学以降ですることであり、当然その前提として小中高という基礎があるはずが、絵については誰もそこまでの学習をしていないのだ。
本来は「小学校の授業」レベルで考えるところから始めなければいけない。
これは馬鹿にしているのではなく、数学をやりたいならまずは算数が必要なのと同じで、至極まじめな話である。
抽象思考が得意な人もいれば、感覚で捉えるのが得意な人もいる。
絵も同じだ。
イメージ力のあるなしからしてれっきとした個人差があり、一概に方法論など語れないのだ。
この増田もデッサンなどという言葉に振り回されているのが悲しい。
美術でいうデッサンと、いわゆる漫画アニメ界でのデッサンという言葉は意味が違うのだが、そのことは知っていただろうか?
巷にあふれるド素人の戯言に騙される被害者がこれ以上増えないことを祈るばかりである。
絵を学びたいなら有能な先生を見つけよう。
学問の世界ではネット情報を教科書に勉強する人などいないはずだ。
それなら何もしない方がマシである。
iPadとApple penで日記をつけ始めた。新年だからなんとなく始めた。特に考えもなく黒い画面を選んで白い文字で書くことにした。なんかかっこよかった。
文字だけじゃなくて絵も描きたいな、と思って描いてみた。黒い背景に白で描くのは楽しい。なんか宇宙に白い惑星創造してる気がする。
日記帳のソフトだからTwitterやpixivに出すことは考えなかった。好きなように好きな絵を描いた。
めちゃくちゃ楽しかった。
デッサンとか流行りの絵柄とか見栄えとか、他人の評価なんて全く気にせず自分の好きな絵を好きなだけ描く。
わたしは下まつげバシバシにしたいし、デッサン狂ってるってわかってても線を曲げたかったし、骨格的におかしいとしてもとらせたいポーズもあった。みんな描いた。楽しい。どうせ他人に見せることのない絵だ。自分の中だけで完結する自分だけの絵はすごく楽しい。しばらく楽しく落書きしようと思う。
今よりも若くてエネルギーに満ち溢れていた工学部に通う大学生のとき、かわいい女の子のイラストが描きたくて練習してた。
嘘、能書きばかり調べていて全然絵をかかなかった。ワコムのペンタブ買ったのに。
自分自身が思う最高のシチュエーションで最高のキャラクターを描きたいと思っていたんだけど、デッサンがクソ過ぎてダメだった。
当初の予定としては10年後、立派な趣味としてオカズの完全自給自足を目指していた。
結局絵を描くことは辞めてしまった。
いま、いろいろあって駆け出し研究者としてひっそりと生きている。
かつてイラストの能書きで学んだことが研究者としての論文書きにちょっと生きている。
研究室の学生に雑談として話すわけにもいかないので、ここに吐き出してメモしておく。
論文も同じ。とにかく書くこと。こんなの出したら恥ずかしいとか、まだ表に出せないと思っていたらネタが腐る。
あと、書くことにブランクを空けるとリハビリに3倍の時間がかかるので毎日少しでいいので続けるほうがいい。
書けば書くほど書きたくなるし、書けるようになるゾ。
論文もイラストも師匠と決めた人の作品を見ながら習作を作っていくといつも新たな発見がある。
こんなときはこんな言い回しするのか、とかふむふむなるほどと思いながら書くのが楽しくなる。
尊敬するお師匠様(指導教員ではない)の論文はときどき模写したりする。
この言い回しカッコいいな、惚れ惚れするな僕の論文でも使おうとなる。
論理が破綻して「文章のデッサン狂ってるな」というのが何となくわかってくる。
そして、文章の「アタリ」がうまく決まればさらさらと書いていくと破綻しない文章が書ける。
ごくまれに全国大会の1ページ論文を文頭の「はじめに」から初めて参考文献まで一気に書ききるときがあって、それがすごく快感。
プロのイラストレーターが眼からペンでいきなり描き始めてササッと迷いなく描き上げるってきっとこんな感じなんだろうなと思う。
論文ってアイデアは奇抜であってもよいけど、書き方は厳密に「アカデミックの文法」に従わないとトンデモなものになってしまうので、萌絵の文法に従ったイラストに似てるなと思う。
キャラクターって既存の記号の積み重ねだよね。そこに隠し味としてオリジナリティがあると光る。
イラストレーターにとってのイラスト、同人作家にとっての同人誌は研究者にとっての論文と同じなのかもしれないと思う。
元増田様 ブクマの世界からお節介にやってきた増田ですが(ややこしいなw)お返事ありがとう。
ブコメの方々が指摘するように私が大学にいたのは恐竜がいた時代ですから現状の参考になるかはわかりません。とはいえ、私も大学の学び舎で、教鞭をとる身となってしまったので、どういう学生が欲しいか、また美術界、デザイン界として、どういう人を育てていきたいかという視点も入っています。つまり採択する側としての視点だと思っていただければ。
今は私も既に化石化しつつあるので、元増田さんのように意欲があり、夢を持っている後輩が育っていくのは楽しみです。
人生は長いようで短く、特に10代というのはあっという間に過ぎてしまいます。高校時代というのは長い人生のうちたった3年です。その時に出会い経験したことは、基礎教養だけでなく、つまり学問以外のことでも、今の私を人格を形成していると感じます。
何かを生み出し、作り出すクリエイティブ魂というものは発し続ければ枯渇します。だからエネルギーを入れなくてはならない。それは学舎で学ぶ教養のみならず、趣味、娯楽の分野もエネルギー源になります。振り返れば、苦痛で眠かった授業も、友人と出かけてだらだらと過ごした時間も、期末試験の勉強が嫌で逃避のために漫画に読みふけったり、深夜放送を聞いているうちに眠ってしまったことも、推しのミュージシャンの二次創作同人誌を作ってコミケに売りに行ったことも、ただひたすら大浦食堂でくだらないゲイジツ話をしていたことも、今となってはお恥ずかしい恋愛経験も、失恋も、辛いことや、怒りを覚えたことも含め、全ては最終的にクリエイティブの肥やしになりました。あらゆる経験は肥やしになるのです。
高校時代というものもその経験の一つです。様々な人(楽しい友達やムカつく奴ら)との出会いや、そこで夢中になるものに無駄なものはありません。アニメも、漫画も、本も、音楽もどんどん吸収できる時です。大人になると億劫になるので楽しいはずのゲームすらクリアできなくなります。ウィザードリーで全てのスペルを覚えたLV99の忍者を作る情熱は今の私には既にありません。
若い時はとにかく生体エネルギーが異なりますし、脳の吸収力も違います。
クリエイターというのは作り出すための情熱だけでは、クリエイティブ魂が枯渇してしまいます。何かを伝えたいという思いの大きさが魂の大きさになります。その思いを育てるのは吸収した様々なことです。
あと具体的な受験のことについて知りたかったらいつでもまた増田で聞いてください。美術予備校で教えていたこともあるので、具体的なご相談に乗れると思います。なにかの一助になれば嬉しいかと思います。
昨今、芸大でもそういう騒動があったが、全くもって信じられん!!!!!!!!
自分というものをしっかりと見据えて「創作する」ということに対するプライドを育てるべし。
その為にも、表現力の向上(デッサンで養える)というのはとても重要なのであるが、それはまたのお話で・・・
以上。
自分で言及して書き足しているんだよ。おっさんだよ。使い方よくわからないんだよ。調べるのも億劫なおっさんだよ。さっきはあまり時間がなくてザーッと書いたから言及で追記するおっさんだよ。
まず君に一番聞きたいことはゲームCGデザイナーのところ読んだかな?って言うことだよ。
https://www.nintendo.co.jp/jobs/introduction/design/work01.html
このゲームCGデザインのところだよ。読んだかな?多分君がやりたいのってこれだよね?
終わりの方に「任天堂ではたらくゲームCGデザイナーに求められること」があるね。ここには「長い目で見ればツールよりも基礎的な造形力やデザイン力のほうが大切」、って書いてるね。
これの言いたいことはツールの使い方は結局自分で木を削って彫刻を作るかCGで書くかと言うのは基礎的な力の延長でしかない、っていうことだけど、この文章の裏を返せば、「ツールをガッツリ使えるようにならないとだめだよ」っていうことでもあるんだろうね。だって、それが中心業務なんだから。
だけどね、実はもっと大事なことがこのページには書かれている。
明確に単語が書いてあることがほとんどだけど主語が省略されている場合も「ユーザー」なんだよ。
これの意味することは何だって考えたことはあるかな?君が今考えるべきなのは「何でこんなに『ユーザー』って書いているんだろう?」っていうところだと思う。
おっさんが考えるに、ゲームの世界のあらゆるものには「何でこうしたのか」っていうのが入っているんだと思う。一見すると単なる邪魔な置物も「何でここにあるのか?」っていうのはあると思う。
3Dモデルにもなって時間の概念が入ってくると、「こういうデザインだと夕方眩しすぎる」とか「こういうデザインだと夜何も見えなくなる」とかそういうのもあるだろう。
ここに木箱を置いてみたらユーザーはなんとかして開けようと一生懸命になっちゃうから開かないってわかるデザインにする、とか、このキャラにこの服を着せちゃうと敵っぽくなっちゃってユーザーは話しかけないから敵じゃないってわかるデザインにする、とかそういうこともするんだろう。
そしてどんなに基礎力があってもユーザーのことを考えられないなら多分ずっと上からの指示に従ってモデリングして配置して色塗るだけになっちゃうんじゃないかな。自分が上司で部下がそういう人ならそうする。それは君の望んだ世界だろうか?多分、もっとデザインの中心に入ってこのステージはこういうふうにしよう、ああいうふうにしよう、って決めていく。
君がデザインした画面はユーザーにとってはまるで本当に自分がそこにいるかのように没入できる
君がデザインしたフィールドは物語のインスピレーションを10倍にも100倍にも高めてくれる。
君がデザインしたキャラクターは最小限のポリゴン数でびっくりするほどクールになる。
じゃぁどういう人がそういう仕事をできるのか?って言うことだよ。おっさんの意見として聞いてほしい。
勉強もしないで遊び呆けていたようなやつにはできない。
なにか特定のことばかりをずっとやってきたようなやつにも残念だけどそれはできない。
前者と後者、どちらが可能性があるかって言うと実は前者だ。だけど技術がないから結局できない。後者はかなり努力がいるだろうけど結局キャッチアップできる頃には結構な歳になっていてできずじまいになる。
どんな業界でもそうだけど、トップクラスの人は本当によく勉強している。色々なインプットをして、色々なアウトプットをしている。その上で本業の技術も学んでいる。そしてこれが本当の狂気だとおっさんは考えている。昔日本ファルコムにいた頃の古代祐三は音楽を作りつつ音楽を鳴らすプログラムも書いたと聞いたことがある。
ドラクエの堀井ゆうじは自分でもプログラムを書いていたし、プログラマには思いもつかないような素晴らしい操作性のゲームを書いた。ポートピア連続殺人事件って知ってる?それのことだよ。
特に君のようなクリエイティブな方向に進みたい人にとっては、感性も重要だ。知性と感性の両方を研ぎ澄まさないといけない。それらの使い方を知らないといけない。
知性を育てるのは勉強すればいい。だけど勉強っていうのは物事を覚えることじゃない。過去の人の経験や知恵を自分のものにして新しいものを編み出す力を身につけることだ。君が編み出したものは他の誰かも編み出すだろう。だけど編み出せることが重要なんだ。
感性はおっさんはよくわからない。だけど、自然を見る、芸術を見る、伝統を見る、見るだけじゃなくて観ることも重要だ。何でここはこうなっているんだろう?今さらっと言ったことが実は5分後にいきてくるなんてこともあるし、話し手はそれを計算していたりする。
何でお笑いの人が話すと自分が同じこと言ったのに比べて人は笑うのか?
あからさまにクソゲーなこのゲームは何で一度始めると何時間もやってしまうのか?
多分こういうところに感性が入ってくるんじゃないかな。おっさんはそう思うよ。だけど同時に科学なんだよ。論理的な考え方は重要なんだよ。
そしてこういうのは君が狂気じみたレベルでやろうとしているデッサン、色彩構成、立体制作で身につくのかな?
おっさんはかってに基礎練習のようなもの、バスケで言えばひたすらボールをダムダムやるあたり?なんじゃないかな、と思っているけど多分それだけじゃだめなんじゃないかな。
元聖飢魔IIのギタリスト、エース清水は「音楽理論は作曲する上で重要だけど、その理論からいかに外した上で楽曲を成立させるかが味のある楽曲を作り、高みを目指すためのエッセンス」というようなことを著書の中で言っていたことがある。そして彼はそれを身につけるために他のバンドの楽曲を譜面に書き起こしては分析していたそうだよ。当然かなり高いレベルでの基礎力が必要なことではあるね。おっさんはねこふんじゃったが限界だからね。
ジブリのアニメは遠くにあるものを大きく書いていることは知っているかな?これは人間は遠くのものを大きく見えるように脳内で補正していることと無関係ではないそうだよ。だけどただでかくすれば良いわけじゃない。ここには理論と感性がミックスされた何かがある。
理論しかない大人、感性しかない大人、どちらもない大人、自分の周りにもそういうのがいるけどね、克服することはなさそうだよ。
そんなわけでおっさんがアドバイスをするならこんな感じかな。自分がビビッときたのだけやればいいし何もしなくてもおっさんは何も言わない。もしおっさんがつよくてニューゲームして君のようにCGデザイナーで任天堂目指すならきっとこういう事やるんだろうな、って思っただけだからね。
1,高校でいろんな勉強をして君の美術の力にたくさん味付けをしてあげてください、味付けの仕方を学んでください
2,高校では美術だけじゃなくてとにかく様々なものに触れてください。だけどいつも「何でこうなってるのかな、自分ならこうするかな、こうしたらどうなるかな」っていうことを考えてみてください。欲を言うなら「これを美術にどうすれば活かせるかな」って考えてみてください。
3,高校大学ではアホみたいに本を読んでください。特に自分が絶対興味を持たないものから読んでみてください。
4,学校のテストはまぁ赤点取らなきゃ良いんじゃないかな。だけど自然といい成績が取れるといいですね
5,高校でも大学でもとにかく色んな人にあって話してください。彼らが何を持っているのか、何を持っていないのか、根掘り葉掘り聞いちゃってください。そして感謝してください。
6,何より任天堂にはいるためじゃなくて、心から美術を楽しめるようになってください、突き詰めていけるようになってください。それが自分の人生だと思えるなら。
じゃぁ、頑張ってな!
藝大ではないけど、大学同期には任天堂に入った子が数人いたから、藝大じゃなくても任天堂は入れるよ。
任天堂はSNS禁止されてることが多いから入社後にどんな生活をしているかが全然見えなくて、
ゼルダのエンドロールで名前を見つけたときは、生存確認したような気分だった。
高1~2は夜間週2、高3は夜間平日+夏期冬期は終日で予備校通い。
藝大1次(デッサン)は現役で通ったけど、2次(平面と粘土)で落ちた。
学校行かずに絵だけ描いてたら藝大2次も受かったかな?っていうと、
絵を描く時間が長ければ長いほど、受験に有利なのは間違いないと思う。