はてなキーワード: スタートラインとは
本文読んでます。
自分はこの条件と同じ立場でした(無能のレベルが同じかはわかりませんが)。なんなら「ハロワ以外で」という考えもです。
あなたのおっしゃる「3ステップを順調に歩むのが難しいスタートライン」にいた自分でも少しずつ幅を広げながら給与や休暇数など選ばなければ仕事を見つけられた、という体験談でした。
ちなみに「順調」とはどの程度のことをいってるかわかりませんが、ちゃんと落ちつづけたり職場でバカにされたりなどそれなりに面白くない出来事はありました。社会ではどうしても相対評価なものですから、同年代の順当に歩んできた人と比べて自分の価値が低くみられても特に不満はなかったこと、またそこを元増田に伝える必要がないと思い省いています。
よければ以上を踏まえて解釈していただけると嬉しいです。
そっとして欲しい
けど、それだけでは世の中は進まない
他の誰かが犠牲になってくれて初めてそっとできるんだ
でもミスリードをする人がいる
そっとして欲しい立場の人間はこうやって匿名でしか発言できないから
発言が弱すぎる
罵倒する言葉だけでなく養護する側にも違和感が増していくこの流れに色々書き記したくなった
(本題に入る前に)
厚生省トイレ訴訟の判決については以下のツイッター連続投稿に詳しいので一度目を通して見て欲しい
https://twitter.com/KvN_DSsub08/status/1678688770873524224
ryuchellさんに対して例えば
「男なのに女みたいにして女に近づいて女と子供作っといて男が好きで女になりたいなんて虫が良すぎる」
という論調
言いたい事はわからないではないが
そしてその事に対して子供の頃からずっと思い悩み揺れ動いてきている人生
それこそ成人するかしないかの時期までに
人間の身体は胎児の段階でもともと女の状態から始まりY染色体を持つと
蟻の塔渡りと言われる男性の股にある線は割れ目が閉じた跡であったり不要な乳首が残ったりするのもそれ
何かしらの機能を特化させていく
適合手術をせず男性っぽく過ごしていても特に咎められる事がない前提もあるが
手術をしたらわざわざ言わない限り気付かれる事は無いケースが非常に多いからである
当事者同士というのは普通の人の目線よりも遥かに見分けが付きやすい独自の感覚がある
言われてようやく言われてみれば…の域なのだ
身長が高くなってしまった人はどうにもならないし、他の部分にしたって
整形でどうにかするには性別適合手術と合わせてとてつもない額になる
そのうえ1度やってお終いでもない
ただでさえそこにいたるまでの美容費や時間も女性より多くかかる上に
性別違和がある人間がそれを超えて大金を貯めるために稼ぐというのは
大企業への就職を目指すにしても健常者には見えない精神負担の場面が多い
(風俗など身体を売ればいいじゃないかという事を軽々しく言う人は相手をするに値しないが
仮にそこを考えても女性が風俗をするよりも収入はずっと低いし、それは水商売も同じ)
中には「LGBTの人には特殊技能がある人が多いから良い」というのを言う人がいる
これは順番が違う
特殊技能の世界でしか生きられないからその中でどうにかするしかないというのが現実
特殊キャラでの方が稼げる人はごく一部な上に、自分を犠牲にする比率はより高い
性別適合手術だってそもそも生命の危険を伴うケースも少なくはない
手術自体に成功して戸籍も変更できてこれですべて完了したと思っても
元男という事実は消えないし、そこまでやってもどうにもならなかった骨格などから
「やれることをすべてやったのにこんなではもう無理」として自殺を選ぶという気持ちも
性別適合化は早ければ早いほど良いがとにかく難しい
親にどう話すのか
理解は得られるのか
友人知人にはどうするのか
こういった事をすべてクリアしてようやく社会的にスタートラインに立てる
でもそのスタートラインには同じ世代は既にスタート済みでもう次の世代が立っている
そういうのはトランスじゃなくてもあるだろうと思うかもしれない
それは当然そうなのだけど
トランスだから増える選択肢なんてものはそもそも突飛な芸能人枠しか無い
以前LGBTアライと言われる理解者と言われる人達の出演するラジオに
そのメールには「性同一性障害を患っている」という書き方をされていた
その人達は恐らく悩む事はないという感覚で「患っているって!www」と笑い
そんな身体を五体満足などと思えない
子宮も卵巣も無く乳房が無く異常に男性ホルモンが多い女性としたらそれは疾患であると言えるのではないか
いっそ病気であると捉えてくれた方が精神的に救われる当事者もいるはずで
その上で様々な苦しみがあって
ずっと答えが出なくて
その悩みを和らげてくれる素敵な恋人ができたとしても
恋人でさえも解消しきれない悩みや闇があり続けてしまう事も心苦しければ
その上苦しくても前を向いて明るく生きる事を求められる職業だったryuchellさんの
早くに適合化した人の本を読んだ事があるが
だからこそこういう人もいるんだなとスルーしてくれればそれでいい
それに扇動されてしまう当事者達のせいでスルーしづらくなっているのもまた理解できる
私もその活動に関してはハッキリ言って困っている
そして冒頭の意見になる
ここまで色々語っても
という点についての話はまだできていない
「自分の性別に違和感があるならそもそもセックスなんて気持ち悪いと思うのが当然だろ!」
という当事者でもないから体感したことが無いのに当然と言い放つ人が多いのもまた難しい
トランスだろうとなんだろうと、性欲というものは男女と等しくある
そしてそれは繁殖を意図したものではなく、単に気持ちよくなりたいというのも大きい事は
ペニスは女性器のクリトリスが肥大化したものである事はご存知だろうか
女性と挿入を伴う性行為をしているという話は意外とあったりする
性別を考えず”人”として捉えるのであれば
あくまでも快感の伴う棒状の部位を刺激して性感を伴う行為をしているだけであり
そこに男女という概念を見出さない者同士で行われるセックスというのは
そういう相手とのセックスは一時的に自分の性別がどうでもよくなれる素晴らしい瞬間でもある
そういった悩みを和らげてくれるような恋人に対してなら
男女としての行為を超えて
人と人として愛し合いながら気持ちよくなるという幸せを得たとして
その親がどう示せるのかにかかっている
私の親の片方はメディアに出ていたりもした
良くない報道があった事もある
その事を自ら人に話すことは無いのだが
知る人は知っている
目の前でそれを知らずに「あの人嫌い」という
話された事もある
昨今不倫報道なり色んな事があるたびに「子供が可哀想」という意見が出る
当事者側として思うのは
その親と私は当然違う人間でまともな人ならそれはわかっているので
わざわざ触れてこようともしないし
寧ろ気を使わせちゃってごめんね!
それにメディアの姿はメディアの姿であって自分が親と思っている姿とも違う
子供の頃からずっと一緒に住んでいないしたまに会う事しかないが
大人になって仕事をする姿としてようやく同一視できるようになったぐらい
逆に便利といったぐらい
ありがたく思うまでに留めておけと思う
どちらの話にしても結局
で全て片付く話なのだ
お前は違うだろうと他の当事者に思っている人間だって中にはいる
私もryuchellさんと近く
子供は成していないが
適合手術については一生悩みながら
今も生きている
その上でこんなに長く書いてもまだまだ独自の尺度について僅かしか触れられていない
全てを理解してくれる恋人と出会えるかどうかは大きな鍵だと人生を振り返って思ってしまう
その事さえ申し訳なく思う
pecoさんはもし別れなければと思ってしまうかもしれない
そしてそう思うであろう事はryuchellさんだってわかること
そう思わなかったのかという意見もあるかもしれないが
それもまた尺度が違うのだ
私は男にも女にもなりきれず
一旦女にならない事を選んだこと
結果それが苦しくなったけどどちらを選んでも苦しかったであろうこと
男子制服を着ててもスラックス選択できるなんていい学校だね!と他校の女子に
言われるぐらいにはその頃まではまだ後の苦しみに気づけずにいた事
ryuchellさん
なんかどうでもよくなるな。なにも考えたくない。
腐らずにがんばって努力してやっとレールの上滑ってきただけのやつらと同じスタートラインに立てるんだ。私が血反吐吐いて這い上がってきた経験より金持ちの子女が親の金で留学して「日本の文化と違うと思った」とかいう経験の方が尊いんだ。小学生の頃からずっと勉強してきた私の1票より田舎のパチカスジジイの1票の方が価値があるんだ。
この島には平等・公平と競争・格差のそれぞれの悪いところだけが煮詰まっている。
一番の被害者は小学生だろう。塾では中受に受かるため競争、競争。学校では公平を謳う全体主義の論理を押し付けられる。大人だってそうだ。頑張れば頑張るほど重税を課される。これが”公平な”課税らしいが、一定額を超えるとまた税率が下がり始めるのは頑張りが足りないとでも言いたいのだろうか。これならいっそ経済格差で社会が階級によって棲み分けされる方がいい。頑張った者がバカを見なくて済む。労働者階級が変な夢を見なくて済む。これならいっそみんな揃って愚かで貧しくなればいい。バカも極めれば賢くなろうと思わないくらいには賢くなれるだろう。
この息苦しさはなんだ。この閉塞感はなんだ。この国全体が腐っていくような退廃はなんだ。
私たちは中毒状態にある。悪意と誤謬、まやかしと虚偽に満ちた知性によって。
我々は少ないのだ。どうせ変わらないだろう。どうせ認められないだろう。しかしいつかはその時が来る。”人権”の何たるかを解さずに権力を振るう者が、理解と止揚の可能性をだいなしにする者が、聞く耳を持たずタテカンを撤去する者がいなくなる時が。来たるべき時のために、我々は腐らず、壊れず、人事を尽くすよりほかない。
まず一番最初にやらないとならないのは、"おこぼれ"を受け取っていた社員がいないかどうかのチェックでしょう。男性社員女性社員を問わず。ジャニー氏と違ってこちらはおそらく存命なので。
次に既に死んだジャニー氏自体は当然ながら償いは出来ないにしても、罰せられる必要はある。似たケースに当たるジミー・サヴィル氏の場合、死後になったとはいえ徹底的な捜査が行われたが、ジャニー氏についてもこれは必要だろう。上述の他の加害者の存在の可能性の話とも結びつく。また、ジミー・サヴィル氏で言えば相続財産の没収と名誉の完全な剥奪が行われた。これにならうとすれば、事務所からの利益で株主としてのうのうと暮らすことは社会的に許容の範囲を超えるのではないか。事務所閉鎖はむしろスタートラインだろう。
そして最後にやっかいな問題であるが、被害者であると同時に幇助をしていたタレント達にも一罰百戒的にある程度のみせしめになってもらう必要はあるだろう。将来、同じような者が出てくることを防ぐために。ジャニー氏の実態を知りながらそれを隠し、広告塔として新たな犠牲者を引き入れる手助けをしていたということは、たとえ被害者でもあったとしても無謬ではいられないだろう。
嫌いな女が結婚した
まあね、アラサーですからそういう話も出るわけで別に変な話でもないんですけど、私のことを20年間パシリか下僕として使ってきた女が男には一切その態度を見せず幸せになっていくことが無理なわけです。
まあ私はガチ喪女なので浮いた話のひとつもなく、中身に問題があるとか可愛げがないとか人の話を聞かないとか言われまくって咳をするのにもひとり、増えていくのはアダルトグッズだけでから笑いなわけです。はは。
ずっと疑問に思ってることがあるんですよ。
既婚者、みんな「自分の全部を相手に知ってもらわなくてもいいんだよ」って言うんですよ。だけど私の両親ちょっとヤバいヤツだし、私は金融事故起こした手帳持ちメンヘラだし、これ最初に提示しなきゃ詐欺じゃないですか?って思うんですよ。そこら辺の女とはスタートラインが違う。マイナスからのスタートなんです。
でもどんなに性格悪くても人をうつ病に追いやっても結婚できるのが嫌いな女で証明されて私の情緒はもうめちゃくちゃ。
誰かに必要とされたいと言う気持ちも一瞬でもいいから受け入れてほしいと言う気持ちはあるんです。でも叶わない。どこから間違ったんだろう。あの女は結婚できるのにどうして私は…。
そもそもこの話題の議論、みんなが「女性が肌を見せる活動はすべて不道徳であり搾取、つまり社会悪」っていうスタートラインに立っているのがすごく不思議!
「水着グラビア=人のいやがる仕事、ヨゴレ仕事」っていう前提、なんか間違ってないですか?
話題の吉岡里帆さんは去年の写真集でも水着姿を披露しているし、フカキョンもごく最近水着写真集を出している。いずれも押しも押されぬ大スターになった後であり、ヨゴレ仕事は断れるしアサインされない身分。「事務所からの無理強いで」「売れるために仕方なく」撮らせたとはさすがに考えづらいよ?
おっさんなので例が古くて申し訳ないけど、平成の昔、ヌード写真といえば落ち目でジリ貧となった女性タレントが苦し紛れの最後っ屁として出版するイメージだった。
そのイメージを一変させるきっかけとなったのが篠山紀信撮影による樋口可南子のヘアヌード写真集。そのヒットによってアーティスティックなヘアヌード写真集を撮らせるのは女性芸能人にとってステータスとなり、平成のヘアヌードブームを現出した宮沢りえの「Santa Fe」を始め、続く菅野美穂の「NUDITY」、高岡早紀や井上晴美といった一連の人気タレントによる写真集も、多くは彼らのキャリアのピーク近くで出版されたものだ(個人的には石田えりの写真集「罪」がお気に入りだが)。
これらは目ん飛びなギャラを提示されて半ば札びらで頬を叩かれるように撮られた写真集だったのかもしれない。でも、それを断ってもタレント生命には特に影響のない案件でもあったはずだ。「仕事なのだから、いやなこともしなきゃいけない」どころではなく、彼らは仕事を選べたはずなのである。吉岡里帆が「今は水着グラビアをやってよかったと思っている」みたいなことを述べたのと同じように、ヘアヌード写真集を撮らせた彼らも誇りを持ってその仕事を選び、今でもその仕事を誇らしく思っていることだろう。
たしかにあの時、私達はテレビで見慣れた雲の上の美人タレントたちの無垢な裸身を見て、キンタマが枯れるまでオナニーした。性的まなざしをそそいだ。しかし、性的にまなざされることと、それが誇れる尊い仕事であることは矛盾しないんじゃないか? 両立するんじゃないか?
芸術かわいせつか、なんてそんな高尚なことを言おうとはしていない。「男が性的にまなざせばそれは搾取」みたいな、主客転倒した、因果関係のあべこべな、乱暴な持論を展開する人がいるようなので、それは違うと思う、と言いたいだけだ。
肉体美や肉体の持つセクシュアリティを資源として経済活動することは罪や穢れなのだ、みたいな、ほとんど宗教的な立ち位置から議論を始めたのでは、肝心の性的搾取のところにまでは議論が到達しないと思う。女性の肉体は美しいし、それを正しい手続きのもと鑑賞するのも人に鑑賞させるのも行いとして正しい。「が、しかし」から議論を始めるべきだろう。