はてなキーワード: シチューとは
何か書こうと思い付いてたけど、
思い出せないってことはどうでも良いことなのかも知れないわね。
きっと本当にそうやって書かなければならぬことであったら、
思い出せるはずだわ。
そう思っただけよ。
矢野顕子さんが
いやー違うような気がするわ。
それじゃない感じ。
うーん、なんだったっけ?
と言うのだっけかな?
いやーなんかこれでもないんだなぁ。
いいわ。
また思い出したら
そうそう、
知らない間に流れている曲をスマホが聴いていて
今流れている曲はこれです!?ってスマホが一人ドレミファドン!をやってるのよ。
私のハミングしているハミング三分の一の曲も当ててくれるのかしら?
そう思うけど、
夜に掛かって流れている曲とかも拾ってきていて、
うーんあなたこれどこまで聞いてドレミファ丼!やってるの?って
プライバシーは隠されているだろうけど、
まあ小さいことは気にしない!ちゃんわかちこちゃんばりに気にしないことにするわ!
うふふ。
もう世の中にはハムタマゴサンドしかないのかしら?って思うぐらい
そう思ってたけどきっとサンドイッチのヴァリエーションって案外ないのかも知れないわね。
まあいいわ。
お酢を切らしちゃって、
お酢買ってこなくちゃ!押忍!って気合い入れて行かなくちゃいけないけど、
飲むお酢があったので、
ブルーベリー酢のやつね。
今日はそれっすね!
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
夜:大量に作ってストックしているカレー、シチュー、肉じゃがのどれか+ご飯 + コンビニデザート 一食500円ぐらい?
大量消費メニューありませんか。
昨日は1日ぐずぐずした天気だったせいか、夕方行ったスーパーで野菜が色々安かった。
大きくて新鮮なブロッコリーが一つ38円、3つで100円で売られていた。
直前に別のスーパーで一つ138円で買っていたのに、3つ買ってしまった。
ブロッコリーは4つ。みんな大きくて赤ん坊の頭より大きく直径15センチ近くある。
さらにだが家には小房に分けて茹でたのが冷蔵庫と冷凍庫にも入っていたのだが、あまりに美味しそうで買ってしまったのである。
馬鹿だな。
本当に馬鹿だな。
もともとあったぶんを昨晩はシチューに。今日は炒めそうめんで平らげたのでやっと手をつけられる。
どうやって食べようか
固形に比べて溶けやすさは段違いなんだけど、例えば箱半分使ったかという確認がしづらい
そのためだけに計量スプーンだの計量カップだの使いたくないのでアバウトで入れてしまってるけど
うっかり1/2投入するはずが2/3でも分からない
現時点で、国際語となっている英語には、すでに多数のバリエーション(つまり方言)が存在しているのだ。イギリス英語、アメリカ英語、オーストラリア英語が違うことはよくネタにもされるので普通に知っているだろうが、英語を母語とする話者が一定いる地域が誕生すればそこには必ず方言が誕生するのだ。仮に日本が公用語を英語と定め、数世代あとに日本人が英語を母語とするようになっても、気候、歴史、文化等々が他とことなるこの地で話される英語は必ず「日本的英語」、ジャパニーズイングリッシュ、英語の日本弁になってしまうのだ。つまり「統一」など最初からできないのだ。(そして、極めてリアルに想像すれば、方言である「日本的英語」は、英語話者の中では、おそらく社会的に差別される方言になるのだ。日本でも、方言話者がどのように扱われるかを見れば、それは簡単に理解できるのだ。)
なぜなら、言うまでも無く、日本という地や文化、歴史等々についてこれまで書かれた文献はそのほとんどが「日本語」で記されているのだ。日本に住む者にとって極めて重要な情報源のほとんどが「日本語」なのだ。にも関わらず、それらの文化的リソースを、数世代後の我々の子孫はそれを母語レベルで理解することができなくなってしまうのだ。これはものすごいロスなのだ。もちろん、「その代わりに膨大な英語圏に関する文化的リソースを手に入れられる」じゃない?と反論したいのだろうが、それは怪しいのだ。なぜならば、言葉と文化はセットだからなのだ。文化的な背景、自然、文物に対する理解がない中で言葉だけを習得しても、それは月面で育つ地球人のようなもので、言語的文化的資産の十全な継承などおぼつかない、それは単に「全く新しい文化を一から作る」のとほとんど同じことなのだ。それは「古文・漢文」がかなりの割合で読めなくなってきている現代の日本が抱える問題でもあるのだ。
移行期間といっても、切り替えるだけなら実はそれほど時間はかからず、おそらく数世代で完了するのだ。上で触れた「文語→口語」の切り替えなど、一世代もかからなかったのだ。つまりそういうことは大した問題ではないのだ。ただ、その先に誕生するのは、上で述べたように「日本語的英語を使い、英語文化のバックボーンはなく、かつ過去の自分たち自身のリソースへのアクセス力までも失った、新しい文化を一から創出しなくてはならない1億人」なのだ。人口1,000人の小さな島で起きたことなら、その悲劇を理解する人すらやがていなくなるだけで終わるだろうが、世界に大きな影響を与えるそれなりの規模の国家で行ったらどうなるか、想像するだに悲惨なのだ。まあ、日本が没落することで喜ぶ国があるとすれば、その国にとっては喜ばしいことなのだ。
英語が公用化された第一世代は、日本語が入り交じった、たどたどしい英語を使うのだ(これを「ピジン」という。)一部の人は、留学などを通して「正しい英語」を身に付け特権階級化するが、だいたいの人はピジンの方を使うのだ。そうして次の世代になると、最初からピジンを母語として使いこなし始めるのだ(これを「クレオール」という。)上の方で、日本の公用語を英語にしても、使用されるのは「日本語的英語」になる、というのは、つまりこの「クレオール」のことを指しているのだ。
たとえば「洋食」。カツ。カレーライス。いずれも食のクレオールなのだ。仮に「正しいカツレツとは○○である」とか「カリアー&ライスは一バリエーションであってそもそも英国式はカリアースパイスドシチューだ」みたいな蘊蓄を並べて啓蒙しようとする人がいても、残念ながら世間では「かつ丼」やら「カレー」が登場し、オリジナルの「カツレツ」や「カリアー&ライス」とは全く別の料理が定着し文化になってしまうのだ。かつ丼もカレーもうまいから仕方ないのだ。言語でも、それと全く同じ事が起こるのだ。仮に最初に一所懸命カツレツを作るフランス料理人を招いて教えてもらったところで、最終的に定着するのは「かつ丼」なのだ。従って、「日本語を廃して英語を公用語化しよう」なんて主張しても、「日本の食を全て『フランス料理』にするために和食を廃止する」ことにはならなくて、単に「日本の食を全て『かつ丼』にするために、和食を廃止する」みたいな訳分からないことにしかならないのだ。そもそもかつ丼がうまいのは、和食がうまいからなのだ。つまり本末が七転八倒なのだ。
ここまで書いて何だが、元ネタの話に戻るなら、結局「言語は滅ぶもの」なのだ。これは避けられないことなのだ。日本語だって、10年前と現在ではかなり違うのだ。むしろ、言語は日々滅びており、そして日々滅びることをやめたとき、言語は「死ぬ」のだ。方言が生まれるのも、見方を変えれば「標準語の滅び」だし、方言が消えるのも、見方を変えれば「標準語(という新たな方言)の誕生」なのだ。そこに貴賤はないのだ。だから、言語学者は「言語が滅びてはいけない」というような価値判断をもって言語に向き合うべきではないのだ。もちろん、自分が研究対象としていた言語の話者が絶滅したら途方にくれるのは理解するが、それは文化史論的な見地から言うと、一つの現象に過ぎないのだ。たとえば、関西では最近TV等の影響もあり、日常的にかなり関東風のイントネーションで話す姿を多く見かけるようになってきているのだ。これは、一種の「滅び」でもあるし「誕生」でもあるのだ。なのに、「滅び行く関西弁を守れ」とか言い出したら、それは愚かなのだ。そういうのは、たとえば生物多様性が失われる……といった話とは全く違ってただの懐古厨なのだ。そのあたりを勘違いすると、元ネタの言語学者のように妙なエッセイを書き散らすことになるのだ。
日本語廃止論への反論は、上に書いたように政策的にマイナスであり、そして現実的にも不可能だという話に尽きるのであって、「滅び行く言語を守れ」みたいな感情論に落とし込んではいけないのだ。感情論は現実の利の前には極めて無力なのだ。
シチュー引き回しの刑とかあったよなあ懐かしい
けど店が増えなくて飽きた!!!!
カット野菜やシチューセットみたいなのはそのまま冷凍庫にぶち込んでおけるので
肉は、肉屋で買うと真空パックに入れて冷凍で提供してくれるから安心できるんだけど
たかだか1kgから2kgでカットを細かく指定するのもどうかなって思って、
250gくらいづつで小分けにして貰ってるんだけどこれがまぁ使いにくい
1kgから2kgでも焼肉カットやサイコロカットで250gづつカットを依頼して良いもんかな?
たくさん買うわけでもないのに細いカット指定はしにくいなって思ってスーパーの冷凍肉買ったけど
バラ肉もひき肉もどっちも好みじゃなんだよね。玉ねぎなどの野菜もしくはハーブ+香辛料がいる
じゃあ普通の肉買おうって買うけどプラスチックトレイにサランラップのお肉って果たして冷凍で何日持つんやみたいな
結局、2〜3週間冷凍して食べれなかったら捨ててる。罪悪感あるわ
葉野菜は、鍋・・・鍋を作るぞと思いつつも、結局作れないで終わる
もしくは、もう流石に使わんとあかんやろみたいな時に一気に作るのでめっちゃ飽きる
小分けにして冷凍するということを学習したがこれも結局いつまで食べれるのかという不安がある
冷凍して4日以内に食べない時は怖いので捨ててる。罪悪感あるわ
日本語では文の構成において主語は必須ではないが、述語は必須であるというのがよく知られてると思うけど
それとパラレルに、日本食においては主食は必須ではないけれども、おかずは必須なんだよね
たとえば餃子だけ、焼きそばだけ、ステーキだけ、焼き魚だけで食事することはできる
その傍証としては、白米だけでも食事の代わりになるように、納豆ふりかけ塩辛のようなお供が発達している
(ただし、お供のある白米でも、それだけでは食事としての要件に不足を覚える人が多数とおもう)
そして、おかずだけの食事には、およそどのようなおかずについてでも、白米を添えてよいということになっている(例えばホワイトシチューとかの外来メニューが境界領域的な振る舞いをみせるのは注目に値するよね)
よく取り沙汰される餃子の例でも、日本において餃子は主食には分類されないけれど、食事のメインという意味的な振る舞いはおそらく中国での餃子と同じなんだとおもう
日本の場合はただ、オプションの「主食」として白米やパンなんかと一緒に食べることが可能ということだと思う
以上のように、日本語の主語が必ずしも文の「主」の位置にないのと同じように、日本における主食は必ずしも食事の「主」の位置を占めていないというお話でした
3位 茶碗蒸し
ただ残念ながら茶碗蒸しは酒のつまみにはちょっと向いてない気がするんだよね
出来れば他のメニューにしてください
寒くなってくると嫁が多投してくるメニュー 四国出身だけあって嫁は大のうどん好き
ただ酒飲みながら蕎麦はたぐれるんだけどなんかうどんって酒と合わないんだよな個人的に
焼きうどんはともかく普通のうどん食べながら酒呑むってのはどうも…
出来れば他のメニューにしてください
1位 クリームシチュー
冬になると我が家では週に1度はシチューが出てくる まあ子供も好きだしね
ただでっかい肉が入ってるビーフシチューとかならともかくホワイトシチューは味的にも酒には合わない
これがカレーだったらご飯少な目にしてルーをつまみに酒呑めるんだけどなあ シチューは甘いから駄目なのだろうか
というわけで出来れば他のメニューにしてください
こう寒いとあたたかい汁物が欲しくなる。お茶はともかくココアやホットミルクではこの気持ちが満たされないのは不思議だ。
うどんやラーメン、味噌汁などはまだ良い。簡単に作ってもいいし、既製品のバリエーションも豊富だ。しかし、おなかはいっぱいで麺や具はいらないと、実現が格段に難しくなる。ただ麺や具を入れないだけで、ずいぶんと味気なく感じてしまう。汁そのものの味に集中してしまうからだろう。
今のところ、レトルトや粉末のスープのおいしいものを見つけられていない。作るとなると大仕事だ。幸い近所においしいスープを出してくれる店はあるが、いつでも手に入るわけじゃない。
結論は出ないまま、もう一度おなかが空くまで、汁…汁物…と何度も求めることになるだろう。はー、手軽においしいスープを飲みたいなあ…
反応感謝。ポタージュやシチューはお腹すいていない時は重いので、 JAL のコンソメスープ探してみる。
書いてみてから意外と色んな所でスープを売っていることに気付いたので、片っ端から試してみるよ。とりあえず白湯で結構満足するしあったまるしすぐ手に入るのでひとまず落ち着いた。
秋も深まると温かい食べ物が恋しくなってくる。なかでも好きなのはクラムチャウダーで、アサリのコクのある味とホワイトソースが合わさった絶妙な味がたまらない。去年はサイゼリヤのメニューにあったので、行くといつも頼んでいた。
今年は(まだ?)ないようなので、自分で作ろうと思った。店で頼むクラムチャウダーで残念なところが一つだけあって、もっとアサリが食べたいのにあまり入っていないことだ。自分で作ったら好きなだけ入れられるはずだ。
「クラムチャウダー レシピ」で検索してみたら、思ったよりも色々な材料が書いてあり、バターと小麦粉でホワイトソースから自作する必要がありそうで、ハードルが高いなと思った。
ここでもう挫折しそうになっていたのだが、どこか、何かでクラムチャウダーと似たような味のものを家で食べていたような気がして、引っかかっていた。
そうだ、シチューだ。シチューの素を買ってアサリをぶち込めば、クラムチャウダーっぽいものができるんじゃないか。生産性が高い最高の時短料理アイディアだ。
仕事帰りに早速スーパーに行き、ボイル済みでむき身のアサリを1パック、特濃シチューの素、カレー用の野菜を買ってきた。白ワインでアサリを炒めると香りが良くなるらしいが、ワインは普段飲まないので何が良いのかよくわからない。酒コーナーの端っこに置いてあった白ワインの小さなボトルを買ってきた。
鍋にオリーブオイルとアサリと白ワインを入れて火にかけると、すでに西洋料理っぽい香りがして、テンションが上がった。
カレー用の野菜を投入し、少し炒めてからお湯を流し入れて煮込む。
その後でシチューの素を入れようとしたが、どれだけ入れていいのかわからない。箱の説明を見ると、5皿で1箱全部入れろと書いてある。5皿も食えないだろうと思って、半分だけ入れた。
シチューの素が溶けると、それっぽい見た目のものが出来上がってきて、さらにテンションが上がった。
これでもうクラムチャウダー完成じゃないか、自分は天才じゃないかと思った。
だが、かき混ぜているうちに、なんだか糊みたいに粘りが出てきた。
シチューの素を入れすぎたか?と思い、少し味見してみると、しょっぱくていまいちコクがなかった。
ここで大量に水を入れると、失敗したカレーのように水っぽくなるだけで、シーフード系だと生臭くて食えなくなるはずだ。
肉を消してコクを出す隠し味といえば、鶏肉でさえコーラを入れれば柔らかくこくのある味になるのだからいけるはずだと思い、冷蔵庫に残っていたミスティオコーラを入れたら、鍋の中が飴色になった。
これで勝てるはずだと思い、火を止めて、出来上がったものを口に入れると、アサリの味とコーラのケミカルな味が口の中で戦って、涙が出てきたが、吐きそうになりながら全部食べた。
anond:20201012190604 の記事はよく分かるのだけれど、自分が思う最強の部分が違った。ので、補足的に自分の主張をぶら下げたい。
何がよいかっていうと
の3点に尽きると思う。自分がこだわってないからか、鍋での料理の方がおいしい気はするけれど、ちゃんと研究すれば、タッパー+レンチンの調理でも十分おいしく作れるんじゃないかな。
自分の食事は、この『タッパー+レンチン料理』『フライパンで肉+もやしや玉ねぎや生野菜パック+焼き肉のたれとか』『スーパーで買った弁当(基本半額)』のローテーションになってると思う。