はてなキーワード: カーストとは
http://bunshun.jp/articles/-/7892
30代前半である私元増田も、正直言って体育会系の人達についてあまり良い印象は持っていないなあ。
野球部の人間は、クラスにいるブスな女子を公然といじめていたりした。
小学校・中学校においては、勉強が出来る子や顔のいい子よりも、スポーツの出来る子のほうがカーストは上ということになっている。
私個人的には、スポーツよりも勉強の出来る子のほうが羨ましかったけどね。
上記の記事では、運動の出来ない子は体育会系の子にいじめられた、蔑まれたと色々書いているけど、そもそも体育会系の子たちは勉強が出来ない割合が多い。
勉強できない子にとっては、学校の中で長時間も机に座って分からない授業を受け続けることは、とてつもない苦痛なのだ。
その苦痛から逃れられるのが体育の授業や部活動であり、勉強だけ出来る子たちをバカに出来る唯一の機会だからね。
正直に言わせてもらえば、体育会系なんて「性犯罪者予備軍」じゃないか。
はてな界隈では、フェミニストはオタク達を性犯罪者予備軍だと断罪しているだろうけど、なぜ体育会系を批判しようとしないのか。
クズの多さに関しては、明らかにオタクよりも体育会系の方が多いだろう。
その証拠に、今すぐにでも新聞やテレビニュースを見てみればいい。
性犯罪であるとか、街中から電線を盗んで逮捕された人間は、間違いなく体育会系が多い。
それに日大アメフト問題やレスリングのパワハラ問題、ハリル前監督の解任問題など、スポーツ業界はパワハラ・ブラック・理不尽の温床。
ライバルを代表選考から蹴落とすために、飲み物に薬物を混ぜたボート選手もいた。
2年後の東京オリンピックは日本のスポーツ振興の弾みになるいい機会だけど、同時に日本のスポーツ業界のブラック体質をあぶり出す絶好のチャンスでもあるよね。
俺は2chもふたばも4chもTwitterもFBも、加えて言うとしたらばやPixivもそれぞれ結構長くやってる増田で、一部ではコテハンすらあるけれど、この増田がそれらと比べてマシだったりあるいは邪悪だったりするなんて言う事実はないよ。
それぞれのサービスでも、それぞれのサービス内部で荒れてるところもあれば、凪いでるところもある。事実増田を5年以上使ってるけれどHagex氏はブクマを数回つけたつけられたくらいしか接点がないし、それも検索してわかったくらい記憶にない。先生に至っては存在も認知してなかった。
そういう部分論を別にして、それぞれ全体を総括したところで、大した差はない。増田で数年前に何回か見かけた「増田はそれらのサービスの中で民度的にはまだマシ」みたいなのも幻想。サービス全体の民度よりも、その時の話題をリードしてる少数の書き手の能力次第だよ。
たったひとつ問題提起したいのは、増田(と言われているサービス)界隈って実際には増田+はてブが相互に乗り入れあってコミュニティを形成している店なんだよね。増田は完全匿名(IDすらでない)で、はてぶはアカウント名がでる。
IDが出るサービス(TwitterにしろFBにしろ)はIDが出る故に功名心というか承認欲求がどうしても出ちゃって、結果としてIDごとの人気カーストみたいなものが生まれる。そこから生まれる軋轢問題をどう処理していくか(あるいは処理放棄するか)ってのが設計上の課題になる。匿名型のサービス(2chとか)は匿名である特性そのものに、そういう自己承認トラブルの抑制を期待している。
でもこの増田界隈はそのふたつの相互乗り入れっていう合体文化であるために、IDを明示したアカウントの人気カーストみたいなものと、匿名での煽りや自作自演っていうものが融合しちゃってる。まあ、ありていにいって混ぜるな危険的なとこはあるよね。だからといって批判しようとかは思わないんだけど。なんせそれコミでいったところで、他よりましでも下等でもないって言う実感なので。
私も誰かに嫉妬し自己嫌悪するので、とても共感しながら読ませて頂きました。最終的に距離を置く点についても「結局、他人は他人。問題は自分」と律するのが自分の中での正解だと思っています。
今回Vtuberと絵描きについて言及されていますが、それぞれの立場にもやはりカーストのようなものはついて回り、各々大なり小なり何かを抱えているものだと考えます。
実際私も趣味程度に絵描きを名乗っていますが日々嫉妬に駆られます、ですが絵を描いている時間だけは純粋にその行為だけを楽しみ、一切の負の感情を切り捨てる事が出来るのが救いでした。
どなたかの指摘にもあるように絵が描ける事はあくまで手段のひとつであり、
自分が相手の立場なら、絵を描いてくれる人に親しみは感じますが、例えば身の回りの人間、家族や友人、恋人、親身になって接してくれる人達が絵を描けなくても好意は変わらずあると思います。
感情の赴くまま取り留めのない文章になってしまいましたが、逆に距離を詰めて家族や恋人とはいかないまでも友人位の関係になる、もしくはなれるように足繁くアピールする事も絵が描ける事と同様の正解のひとつかもしれず。
子供の頃から漠然と「俺のような社会不適合者が生まれた事自体が間違いなのでは」と思っていて、そんで社会に出てやっぱり辛くて、遂には八方塞がりに思えてきた。
それでようやく理解したんだが、「人類は皆罪を持って生まれてくる」って宗教は「俺たちは一体何の罰を受けているんだろうか」って疑問符にバッチリささるな。
何者かによって与えられている「罰か搾取か区別のつかない悪意を持っているレベルのツラミ」が「神に与えられた試練」であるのなら、人生に対して自信が持てそうだわ。
そりゃまあ、今よりバリバリ身分社会酷かった時代や、生きてる奴らの多くが死にかけだった時代にはそういう宗教が流行るわ。
意味不明なレベルの辛さの原因が「神の愛」だとするのなら、世界は愛にあふれたハッピーウレピースマイルワールドだものな。
でもさ、そういう宗教が今でも流行っているってのは本当に辛いよ。
人類は今でも「神から与えられた罰だと思わなきゃやってられねえレベルの生きる辛さ」を味わい続けてるってことだぜ。
「自分も辛いしだいたい皆も辛い」はある意味楽な気はするけどさ、同時に「どんなに頑張っても楽になる道はない。生きるのは茨道を歩むが如くなり」って事実を突きつけられているみたいだよ。
いやまあ、カーストのめっちゃ上まで上り詰めればなんとかなるきはするよ(ブッダを引き合いに出せば一瞬で論破できることは俺も知ってるけど)。
でもそこまで行ける気がしない以上は、もうどうやっても救いはある程度までしかなくて、救われなさを抱えるか宗教信じて脳みそにモヤをかけて誤魔化すしかないって事じゃん。
辛すぎるぜ現代。
つうかよ、現代って表現が「文明化が進んだ時代」みたいな意味で使われがちなの笑っちまうよな。
まだまだ全然だろ。
なに大昔と比べて気取ってるんだよ。
読んであまり気分のいい内容ではない。
数年間、心の端で残り続けてるモヤモヤの話。
学生の時、地方から出てきて初めてのライブに行った。箱で汗だくになるような形の激しいライブではなく、コンサートホールでライト振りながらコール少しだけのようなオタク界隈ではよくあるライブだ。
ライブ自体はとても楽しかった。小遣いやりくりして地方から出てきて良かったなという感想。
問題はライブが終わってからだ。終わってからツイッターを眺めていると、ライブの感想に混じって注意喚起が流れていた。
「今日のライブでこんなことがあったからみんなも気をつけてね!」
という感じのツイートとその内容の画像。ツイート主はライブ中に横でちょこちょこ当たられたり、身長差でライトの光が目の前に来て邪魔だったことを挙げ、身長が低めの人には配慮して欲しい、とのツイートだった。
添付された画像に可愛ライブデフォルメ白ハゲで描かれている様子にいくつか身に覚えがあった。今でも70%くらいの確信しか持てないがその不快な輩は恐らく私である。
自分でも思うところがあって曲中に話しかけるのはマナー違反かと思ってライブ終わった直後話しかけようとしたら爆速で相手は帰っていた……というのは言い訳に過ぎず、この件に関しての非は初めてのライブではしゃいでおり気遣いが不十分だった私にある。今でも反省と申し訳なさでいっぱいだ。
ここで素直に謝罪ツイートすればよかったのんじゃないか?と思うかもしれないが相互じゃないとDMは送れない時代だった。ならリプライでいいから送れよいう意見もありそうだが、このツイート主、神絵師だったのである。同人イベントにも回数出ており、顔も広く知られていて、私もファンだった。先程の注意喚起ツイートもかなりのスピードでRTされており、そこに謝罪ツイートをツリーでつけるなんて、公開処刑もいいところだ。
しかも神絵師はツイートは穏やかだがリプライ欄ではキレており、沢山の「大丈夫ですか?」のような心配のリプにも大丈夫だがハイハイ自分の身長が悪いんですよネーーッ!といった感じで不快だったことを返していた。
神絵師はツイートして沢山励ましのリプライを貰ってスッキリしたかもしれないが、犯人かもしれない私は、大声で悪口を言われた気分である。
正直な感想、私は恐怖しか感じなかった。次またライブでこの神絵師の近くになった場合、相手は覚えていて指を指して私の陰口を言っているかもしれない。もしも同人イベントで、この神絵師に気づかれたらどうしよう。そう思うと、もうリアルのイベントには行けなかった。恐らく私がこのバンドのライブに行くことはないだろう。神絵師は安心してライブを楽しんで欲しい。
まぁ何が言いたかったかというと、同じオタクでも神絵師とそうじゃないただのオタクとの間にはとても高いカーストの階段があるということだ
30歳を迎えて、友人も彼女もいない孤独な社畜の日々を送っているわけだが、
幼少期からずっと孤立していたかと考えると、どうもそうでもなかったと思う。
ゲームをきっかけにして色んな人と友達になっていた。友達の家でお泊りとかも普通にしていた。
クラスメートたちは部活に精を出したり、ファッション誌とか読んでみたり、異性でお付き合いしたりなんて
いわゆる思春期に入ったようだった。
それまで皆とのコミュニケーションツールだったゲームが幼稚とされるものとなり
周りがどういったものに興味を持って、どういう付き合い方をすればよいのかが全く分からなくなった。
かと言って、オタクカーストのコミュニティに入っても全然話が通じない。
名作RPGの攻略の話をしたいのに、ギャルゲーだとかガンダムのキャラクターの話を延々としてるような空気。
そのうち、自分の頭がおかしいから周りに馴染めないと思うようになった。
頭のおかしい自分が考えることはおかしい、ゲームの話をしてもバカにされるだけだ、他人と関わらないようにしよう。
空気になろう。与えられた宿題や授業だけ参加して、一刻も早く家に帰って一人になれば傷つけられない。
そうして月日を重ねるほど、自分は何をどう他人に伝えればコミュニケーションを取れるのかが全く分からなくなった。
今思うと、周りが見えてない幼稚なくせに保守的なプライドばかり高くて
周りの子たちがどんな事に興味を持ち始めたのか、どんなことを考え始めたのか、っていう事に関心を持つ共感力みたいなものが
俺には欠けていたんだと思う。
これは信じていいことなんだよ。何故って、永遠の17歳()があんなにも見事に咲くなんて信じられないことじゃないか。俺はあの投票結果が信じられないので、この二三日不満だった。しかしいま、やっとわかるときが来た。@オタク@は いつだって ↓見下せる相手↓ が ♡大好き♡。これは信じていいことだ。
どうしてオタクが毎晩家へ帰ってシコる道で、シンデレラガールズの無数にあるアイドルのうちの、よりによって◯◯で△△△、17歳()のうさみん星人なんかが、アニメの主人公を押しのけて浮かびあがって来るのか――おまえはそれがわからないと言ったが――そして俺にもやはりそれがわからないのだが――それもこれもやっぱり同じようなことにちがいない。
いったいどんな高嶺の花でも、いわゆる真っ盛りという状態に達すると、オタクの思い出のなかへ勝ち組と自分との圧倒的な違いを思い出させるものだ。それは、よくシコった同級生が完全な蔑みの目で睨むように、また、音楽の上手なイケメンがきまってなぜかオタクをいじってくるように、約束されたカーストの追いすがる影踏みのようなものだ。それはオタクの心を打ちのめさずにはおかない、不思議な、生き生きとした、息苦しさだ。
しかし、昨日、一昨日、オタクの心をひどく陽気にしたものもそれなのだ。オタクにはその苦しさがなにかアイデンティティのようなもののような気がした。オタクは反対に感涙になり、共感となり、満悦な気持になった。しかし、俺はいまやっとわかった。
おまえ、この爛漫と咲き乱れているウサミンへ、何か惨めな属性が埋まっていると想像してみるがいい。何がオタクをそんなに安心させていたかがおまえには納得がいくだろう。
初代ポケモンで遊んだオタク、就職氷河期を食らったオタク、そして自分より若い上司に叱られるオタク、童貞のままみな老化して髪がぬけ、堪まらなく臭い。それでいて中高生のような性欲をむらむらとむらしている。ウサミンはバブミをオギャらせる母のように、それを抱きかかえ、アダルトチルドレンの遠吠えのようなババァ認定を許して、その乳房を吸わせている。
何があんな票田を作り、何があんな二次創作を作っているのか、オタクの売れ残りを見下すような視線が、静かな共感を作って、アイドルを親友のように煽ってゆくのが見えるようだ。
――オタクは何をそう偉そうな顔をしているのだ。惨めたらしい自虐芸じゃないか。俺はいまようやく瞳を据えてオタクの性癖が見られるようになったのだ。昨日、一昨日、俺を不安がらせた神秘から自由になったのだ。
二三日前、俺は、ズボンを膝まで下ろして、pixivを彷徨っていた。検索結果のなかからは、あちらからもこちらからも、児童ポルノがポロロッカのように生まれて来て、オタクの理性が空をめがけて舞い上がってゆくのが見えた。おまえも知っているとおり、奴らはソレで気持ちよく射精をするのだ。しばらく眺めていると、俺は変なものにでくわした。それは女の肌が曲がり角へ、小さく食い込みだしている、音無小鳥だった。思いがけない幸運を詫びるような台詞が、エロ画像に浮いているのだ。おまえはそれを何だったと思う。それは何万ユーザーとも数の知れない、アイマスユーザーのシコった絵だったのだ。隙間なく画面を被っている、小鳥さんの重ねてきた年齢への卑下が、オタクにシコられて山のような共感を集めているのだ。そこが、可能性を終わった精子の墓場だったのだ。
俺はそれを見たとき、胸が衝かれるような気がした。知り合いの垢を暴いてネトストを嗜む変質者のような残忍なよろこびを俺は味わった。
ただの美少女ではなにもオタクをよろこばすものはない。幸子や杏からも、シャアをバブみにオギャらせている桃華ちゃまも、ただそれだけでは、未来あふれる美少女に過ぎない。オタクには負け組が必要なんだ。その平衡があって、はじめてオタクの好意は明確になって来る。オタクの心はぼっちのように孤独に渇いている。オタクの心に失意が共鳴するときにばかり、オタクの心は和んでくる。
――おまえはワキの下を拭いているね。ワキガが酷いのか。それは俺も同じことだ。何もそれを不愉快がることはない。べたべたとデオナチュレを塗ってごらん。それで俺達の老化は完成するのだ。
ああ、@オタク@はいつだって↓見下せる相手↓が♡大好き♡!!
いったいどこから浮かんで来た空想かさっぱり見当のつかない自虐が、いまはまるでウサミンと一つになって、どんなに頭を振っても離れてゆこうとはしない。
子供の頃からファッション的な物を得意としてきた。小学校高学年の時にはそれ故なのか、カースト上位にいたし、中高大もなんとなくそれをキープしていた。
その後InstagramなどのSNSが進化していくと共に、そこに生活などの雑多な投稿をし始めるのだが、そこに集まってくるのがいわゆる「感度が高い人」なのであって、これがつらいのである。
私は自分のファッションなり物の選び方なりは色々こだわりが強い方だと思うのだが、友達だったり、他人様に、それらを強制する気はさらさらない。むしろそんな話よりもっとほかの話がしたいので、友達にセンスの良し悪しなんか全然求めていないのである。
ところがSNSで知り合ったおしゃれ人たちは、ネットで見つけたあまりおしゃれに関心の無さそうな人をやり玉に上げたり、かと思えば、流行を追いすぎる人を馬鹿にしたりと、大忙しである。気分が悪いので早く縁を切りたいのだが、急にやるとまた悪口を言われそうで面倒なので、徐々にフェードアウトしたい。
流行にどっぷり浸かっていようがなんだろうが、幸せに暮らしているのならそれが一番なのに、常に比較して評価し続けてるのって、すごく幸福度が低いと思う。
増田で、「初体験を風俗で済ませたら、周りのカップルより遥かに美人を抱いたことあるんだという優越感を得た」というのがあり。
それに望みをかけて、風俗に行きだしたところ、物凄くハマった。
月に3回くらいは平均で行った。多い時は、月10回。
完全な風俗狂い。
増田で言われている通り、風俗によって、女性と話すことに抵抗は無くなった。
それで、風俗に通ううちに、色々なことを学び出した。
最初は女性に対して、甘えたり、キレたりといった、典型的なキモブサのテンプレ行動しかできなかったが。
女性が身に着けるブランドやら、バンドやら、映画やら、少女漫画の知識を仕入れて。
相手を観察し、どういうタイプの女性なのかに合わせて会話を振り出した。
リアルでも、こういうタイプの会話を振ってみると、一応反応がいい。
社会的ステータスもあるっていうバックグラウンドも効いているんだろうが。
それでも、会話になる。
いわゆる、リア充男性と飲みに行っても、「普通に女性と遊びますよ」くらいに会話できる。
内心、ビビっている。
リアル女性も、自分の社会的立場に合わせて会話をしてくれているのでは。
そういう不安が常にある。
途端に不安になる。
僕はどうだろう。
ましてや、セックスなんて。
普段は、風俗体験から、「自分は乃木坂レベルの女性もたくさん抱いてきた、18歳の美少女にアナル舐めすらさせてきた。楽しく会話もできるんだ」と自分を鼓舞しているが。
実際の自分は、社会的なカーストが最底辺レベルの、哀れみで末席で生かされているだけの存在だ。
デートはもちろん、ましてや、セックスなんてなったら、醜い体を良く晒せるものだ。
風俗の場合は、優しくアシストしてもらって、気持ちよく自分に合わせてもらって、ようやく、不細工のデブのハゲがキスだのセックスだのできる。
そうなんだ。
僕は、何も得ていない。
普段の僕と、仕事の僕で、他人に対してのやさしさが変わるように。
そのことが、物凄く怖い。
何がデートだ。
怖い。