はてなキーワード: お腹とは
私が欲しくないのにね!!!
結婚して約半年、旦那に「子どもが欲しい」と言われた。正確には、私に対して「子どもが欲しい?」という問いかけだったけど。
これを聞かれたとき、わたしはめちゃくちゃ驚いた。というのも、旦那は子どもが欲しくない派だったからだ。
結婚をする前、付き合っていたときにも、「子どもが欲しい?」と聞かれたことがある。私は「相手が欲しいなら欲しいけど、欲しくないなら別にいらないしそこまでではない」と答えた。これは私の本心だった。私の答えに対して、旦那は「自分は欲しくないかな〜」と言った。なので、私たちは子どもを作らず、二人で暮らしていくものだと思っていた。
旦那に「子どもが欲しい」と聞かれたとき、私はびっくりして「〇〇(旦那)は欲しい?」と聞き返してしまった。質問に質問で返すな。
旦那の答えは「いてもいいかな、楽しいと思う」的なものだった。それに対して、私は「〇〇が子育てをできる気がしない」と最悪な返事をしてしまった。でもこれも私の本心だった。
旦那は絶対に子育てができないと思う。旦那は私からすると良い男だし良い夫だ。でも、良い父親にはなれない。
私の中の親のイメージは、子どもが最優先だ。実際私はそうやって育ってきて、両親は私たち子どものためにあらゆることを犠牲にしてきたと思う。お金や時間、趣味、仕事、そういったものを全て子どもに合わせられるかどうか。旦那がどうかはともかく、私にはその覚悟や気概はない。
旦那に子どもが欲しい話をされて一番驚いた理由は、私に選択肢があると思っていたからだ。本当に最悪、最悪な女。
旦那は子どもがいらないと思っていたから、ずっと一人で悩んでいた。私が欲しいと思えば産むだろうし、私がいらないと判断したら二人で暮らしていく。勝手にそう思っていたし、結局「いらない」という結論に至って、子どもがいない人生を歩もうとしていた。
当たり前だけど、子どもの有無は一人で決めるものではない。それが分かっていなかった。あまりにも愚か。そして、旦那に子どもが欲しいという話をされてから1ヶ月以上経った今も、結論を出せずにいる。
子どもが欲しくない理由は大量にある。一方、欲しい理由は片手で数えられるほどしかない。この時点で、私は子育てができないと思う。
私の人生において、父親の存在はかなり大きい。父親は、常に私たち家族のために過ごしていた。
だから、昔から漠然と、もし私が子どもを産むとしたら子どものために人生を捧げられる人が父親であってほしいと思っていた。時間やお金、生活、趣味の全てを捨ててでも子どもを優先できる人。子どもが大好きで、子どものために生きられる人。
後述するけど、私は子ども自体がそこまで好きではなくて、多分普通の母親にはなれるだろうけど、並以上の愛情を注ぐことはできない。せいぜい一人分が限界だ。だから、私以上、せめて私と同じぐらいには愛情と手間を注げる相手でないと子どもは作れない。愛情が足りなくて子どもを不幸にしてしまうという強迫観念を持っている。
それでも、私は幸せに生きてきた。家族からの無尽蔵の愛情と、友人に恵まれたのと、勉強が得意だったことが主な理由だ。
子どもに遺伝した場合、子どもは幸せに生きていけるのかという不安がある。家族からの愛情は私たちで頑張るとしても、友人をはじめとした人間関係や学習能力はほとんど運だ。もし子どもが「産まれてこなければよかった」と言ったら、私にはかける言葉がない。私が原因だからだ。
私はとても自己中で、自分がしたいときにしたいことをできない状況が許せない。眠いときに寝たいし、お腹が空いたときに食べたいし、出かけたいときに外出をしたい。仕事は気分が乗ったときに取り組みたいし、お金は自分のためだけに使いたい。
幸いなことに、今は上記の願いが全て叶っている。自分の努力で望む仕事に就いたのと旦那の理解の賜物だ。
子どもができるとこれら全てが失われる、と思っている。子ども中心になって、子どものための生活サイクル、外出、出費。きっと私は耐えられない。私はまだまだ自分の人生を楽しみたいと強く思う。子どもの人生を優先させる未来が想像できない。よく「子育ては自分の人生の追体験」と聞くけど、私は自己中だしまだまだ自分が主役で生きていきたい。この座は譲れない。
そもそも子どもが嫌いという大きな理由がある。特に中学生以下が嫌い。
私はかなり器が小さくて、子どもだからという理由で許せることが少ない。子どもに手をあげそうな気すらしている。イヤイヤ期や反抗期を耐えられるわけがないと思っている。
「子どもが嫌い」というと「自分も子どもだった時期があるのに?」と言われることがある。そう言われてもと感じる。おじさんは、自分がおじさんだからという理由でこの世のおじさん全員を好きになれるのか?
あと「自分の子どもは可愛いから大丈夫」とも言われる。そう感じる人もいるだろうけど、じゃあ仮にそう感じなかったときはどうすればいいんだろう。やっぱいらない、ができるわけもないのに。
これが一番大きな理由かもしれない。とにかく産みたくない。自分のお腹の中に別の命がいるのが気持ち悪くて本当に無理だ。しかも1−2ヶ月ならまだしも10ヶ月も…?
私は痛みにかなり弱い。少しでも頭痛がするとすぐに痛み止めを飲むし、病院での治療や検査は全て麻酔ありを選択する。でも、出産は痛みありきの行為だ。無痛分娩も痛みはあるし、妊娠中も不調や痛みがつきまとう。
妊娠の何もかもが嫌で、自分が子どもを産む可能性を想像すると、まず妊娠への嫌悪感でつまずく。
本当に最悪な話なんだけど、正直自分が男で相手が産んでくれるなら、子どもは欲しい。最低!このわがまま女!
私は自分の精神を安定させたいという気持ちが人一倍強い。自分の努力と行動の結果、今の生活は最高に幸せ。嫌なことを排除して排除してやっとこの状況に辿り着いたのに、子どもができると全てが崩れ去る。そうなったときに、自分の精神が安定しているわけがない。不安定でぐちゃぐちゃで、死にたいと思うだろう。
子どもを産むと、もう後戻りはできない。絶対に今の生活には戻れない。まだまだ今を満喫していたい。
あと、仕事を休みたくない。仕事が好きというより稼いでいる自分が好き。私の精神の安定には十分なお金が必要で、旦那の給料に頼って暮らす生活をするときっと自分を嫌いになる。100歩譲って、産んだあとに相手が育休を取って私が変わらず働くなら、もしかしたら子どもが欲しいと思えるのかもしれない。
子どもが欲しい気持ちも少しだけある。理由は、親に孫を見せたいという気持ちと楽しいと思える可能性があるという気持ち、これだけだ。
親は、孫を楽しみにしている。私に直接言うことはないけど、薄々伝わってくる。
兄弟が結婚して子どもができれば、私が子どもを欲しいと思うことはなくなる気がする。もちろん、兄弟には絶対に言わないけど。結婚するもしないも、子どもを作るも作らないも本人の自由で、周りが触れることではない。
子どもができると、なんやかんや「子どもがいて楽しい」と思うんだろう。
でもそれは、子どもがいる自分を無理やり肯定したいだけではないか。今が不幸1・幸せ10の人生とすると、自分は子どもができると不幸100・幸せ60になる気がする。幸せも増えるけど、それ以上に不幸が増える。
絶対量ではなく相対量で判断する価値観を持っているから、増えた幸せよりも増えた不幸に執着してしまいそう。
ただの予想だけど、本当は旦那も子どもが欲しくないのではないか、と思う。
旦那からすると、人と暮らすようになり自分の人生に他人が入ってきた。その結果、年収が増えたり生活が整ったり部屋が綺麗になったり食事が出てきたり風邪を引かなくなったりなどのメリットが手に入った。お互い完全別家計、趣味は不干渉で暮らしているから、ある程度の自由もある。
子どもができたら、もっと良い生活、楽しい生活になる、そう思っている気がする。
でも実際は、お金が減るし部屋は汚くなるし子どもの風邪が移るし自由も無くなるし、デメリットがたくさんある。あくまでも私から見てだけど、それを理解していないように感じる。
デメリットをちゃんと知ると、結局子どもが欲しくないと思うのではないだろうか、と勝手に予測している。本当にどこまでも勝手な女。
私の努力もあり、今の人生には辛いことがない。例えるなら、毎日海を見てのどかに暮らすような生活。定年後のような暮らしをしている。
子どもを持つことは山を登るようなものだと思う。厳しい道でしんどいこともあるけど、時折見える絶景や頂上という目標への道のりに楽しさややりがいを感じるのだろう。大変だけど喜びも多い、そんな日々。
普通の人の生活は、私からするとマラソンのように見える。コツコツと走って、辛いときもあれば楽しい瞬間もある。会社の人に怒られたり失敗したり、目標を達成したり褒められたり。
どうせ走るなら山を登りたい、と山登りに惹かれるのかもしれない。
私は海辺をのんびりと歩いているような日常だ。気分でなければ歩く必要もなくて、座って綺麗な景色を見ている。周りには誰もいなくてこの過ごし方に対して嫌なことを言われることもない。
そんな状態で山に登ろうと言われても、なんで?と感じる。もちろん山にもいいところだろうけど、わざわざ登ろうとは思えない。
それに、一度登ると今の生活には戻れない。息を切らして山を登りながら、「海に戻りたい」と二度と戻れない生活に想いを馳せ続ける人生は、私からするととてつもない地獄に思えてしまう。
まとめると、私には何も覚悟がないのだと気づいた。これを書きながら子どもが欲しくない理由ばかり思い浮かぶし、頭の中にはマイナスの考えばかり漂っている。
子どもが欲しくない理由も、全てが幼い。自分自身が成熟しきれていなくて、本質的には子どもだから、大人側になりたくないのだと思う。自分の人生を子どもに捧げる覚悟がない。子どもを幸せにする力も、自分が子育てで幸せになる未来も見えない。
私は考えがコロコロ変わるから、今はここまで欲しくないと思っても、いつかは欲しいと思うのかもしれない。今の考えを忘れないためにこれを書いたけど、後から見て嫌になってすぐ消す可能性もある。
てか、こんなところで勝手につらつらと書かれている旦那が一番可哀想だよ。ごめんね旦那。あなたは何も悪くなくてただただ私の幼稚性が悪い。
女性器に指を突っ込んで、お腹側をくいくい押してたらイケるというのが定番パターンだけど、腱鞘炎になるかと思うくらい手が痛いし、向こうも俺の男性器を容赦なく刺激してくるので誤射しないように必死に我慢する必要がある。凡人には、何度も発射できるほどの精力はないのだ。
そのあと、挿入したら挿入したで、へこへこと頑張る必要がある。このときも、相手がイケるまで誤射しないように必死に我慢する。セックスというより、「大おしっこ我慢大会」みたいな風情である。
んで、相手が満足したら、最後の力を振り絞ってフィニッシュを迎える。エロい気持ちのピークはとっくに過ぎているが、発射しないと綺麗に終わらないので頑張るのだ。
正直、AVとか同人誌みたいな「めくるめく性のファンタジー」のほうがよっぽどエロいので、セックスはそんなにエロくない。
まあそれでも、致したあとにパートナーと全裸でくっついている時間の多幸感がやばいので、睡眠時間を削ってやる価値は十分にあるけどね。
元拒否側の自語り。
セックスなんて時間食うし、気持ちいいフリも面倒だし、気持ちよくなったらそれはそれで疲れるし、寝落ちでもしてしまったら後々の仕事や家事に支障が出るし。愛情表現なのはわかるんだけど、タイパわるくない?
それに、そんなにも私としたいって気持ちがどうしてもわからなかった。レスになったのは出産後だけど、家事育児に疲れ果てたボサボサのよれよれの肥ったおばさんと、そんなにもしたいもんかね?こっちとしては、ムダ毛処理もしてないし(する暇ない)、産後体重が戻らないで浮き輪の付いたお腹を晒すのも恥ずかしいし、まずは自分が自分のことをセクシーだと思えないとそんな気分にならないんですけど?
とはいえ、我が家はコミュニケーションは良好なので、私はめんどくさい!ということを包み隠さず伝えた。向こうも、それでもしたいんだ!と言ってきた。
そんで、セックスするなら手短に。私はマグロなんで、こっちを気持ちよくしてくれようと頑張らなくていいから、最短で終わらせるっていう取り決めをした。
しばらくそんな感じで続けてて、軌道に乗ってくるとこっちとしても少しぐらいサービスしてあげてもいいかって気になってきて、最近は射精RTAみたいなんじゃなく、わりと普通のセックスしてる。
でも、お酒の力は借りてるけどね!向こうは下戸だからしらふで、こんな見飽きただろう部屋着姿のおばさんとよく何年もセックスできるなっておもう
ChatGPTちゃんにプログラムを書いてもらうと思ってみてもどうやって伝えたら良いのか分からなくて、
入り口と出口の形を教えてあげて書いてくれるかな?って思って良いところまで行くんだけど、
データ量が増えたり減ったりすると
なんか上手く動作しなくて私が思ったように指示ができなくてこういう時どう言ったらいいのか問題あるわよね。
私はどうやってそれを伝えたら良いのか!って悩んでいるうちに
思うけれど、
ここは頑張って教え込んできたい通りの出口の答えのリストが出せるようになったらこっちのもんじゃない?
どんなもんじゃい!ってな感じで。
もー上手いこと行かなくて、
でもかと言ってChatGPTちゃんも頑張ってくれてるのは十分分かるんだけど
どうしても私の伝え方の技術のポンコツさが相まってなかなか思った通りに使いこなせないのよー。
つーことで
ないかー。
チクチクする痛みに耐えながら
いまいち眠りが浅かったわ。
これもChatGPTちゃんに訊いたら良かったのかしら?
久しぶりに使ったChatGPTちゃんは月額払っているとは言えども
久しく使っていなかったので、
もったいないなーって思い思いだして使い出したワケなのよ。
でも
唯一思うのがこうやって増田を書いている間にも
プログラムを考えさせてChatGPTちゃんに書いてもらう間にも
私は普通にエクセルでリストを作った方が早くね?って思っちゃうのよね。
お仕事に戻るわ。
雨降って地固まるとはよく言ったものね。
とにかく凄い自信なのよね。
本人は。
うふふ。
もれなくゲットよ!
タマゴ欲しいじゃん!
私のタマゴ欲に答えてくれそうな唯一のそれがこれってわけ!
美味しくいただいたわ。
最近は冷やし忘れないようにたくさん冷蔵庫にストック入れているので準備万端よ!
お腹冷やしちゃったのかな?
夜中にお腹痛かったのは?
よく分からないけれど、
用心はしたいわね。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
先日、兄猫の方が雀を取ってきた。
朝方起きると軒先にちょことんと雀の死骸が置かれているのを見つけ、もしや…と思って猫を見ると兄猫の方がドヤっとしてた。
こういうときは褒めた方が良いのだと何かで聞いた気がしたので一応兄猫を褒め、頭を撫でてやると兄猫は気持ちよさそうに「にゃあ」と鳴いた。
翌日、朝から弟猫の姿が見えずご飯の時間になっても現れない。どうしたんだろう?と心配になって外に呼び掛けてみても返事がない。
いつもだったら「にゃ~あ~」とけだるそうな声を出して帰ってくるのに。
結局弟猫はその日帰ってこず、丸一日家を空けるのは初めてだったので非常に心配した。
しかし兄猫の方はケロッとしており、弟のことを心配するような素振りは見せない。
そんな薄情者だったのか…と兄猫を見つめると彼はプイッと顔を逸らし、小さく「にゃ」と鳴いた。
深夜頃だった。
玄関の引き戸をトントン、トントンと叩く音が聞こえ、何事かと戸を開けると足元に弟猫がいた。
弟猫は煤で汚れたみたいに白模様の箇所を薄黒くしており、顔も汚れている。
その顔は何だかとても疲れて見えた。
弟猫は私と目を合わすと「…にゃあ」と情けなく鳴き、それから申し訳なさそうに軒先のある一点を見た。
そのとき「あっ」と思った。弟猫が見つめていたのは先日、兄猫が雀を置いた場所だったのだ。
私は全ての事情を察し、だいじょうだよ。いいんだよと言って弟猫頭を撫でた。
彼は最初不服そうにしていたがやがて受け入れたように目を細めて身を寄せスリスリすると、それからゆっくりゴロゴロと喉を鳴らした。
それから家に入るとご飯をがっついて食べた。よほどお腹が減っていたんだろう。兄猫はその姿を傍で見守り、じっと佇んでいた。
それを見て、私はようやくホッとした。
この話を見て思い出したけど、知人に酒・タバコ・寝不足の三拍子揃った不摂生な男性がいて、常にうっすらお腹の調子が悪かったり体のどこかが痛いと言いつつ慣れっこになってる人もいた
女性でも生理が軽い人が一ヶ月だけ重くなったりすると急に冷や汗かき始めたりするしね
結局慣れなんだなぁ
人間関係のストレス、他者と比べて自分を卑下、肥大化する承認欲求、その反動でネットでレスバ、スマホ離せば虚しく部屋でひとりぼっち
孤独、寂しさ、結婚に夢がもてない、子供欲しくない怖い、現実的に生き抜くことが難しい精神の弱さ
猫なんよ
たまにこちらをじっと見つめている
世界のあらゆることに関心がございませんという感じで手をねぶったり床で伸びてたりする
抱っこすると嫌がって逃げる
お腹がすくとすり寄ってくる
なので嬉しくて撫でようとしたらお前だけは許さんとばかりにパンチを浴びせてくる
私がどんな私であろうと、関係ない
私がどれだけ惨めであっても、君には関係ないのだ
私達の間にはなんの関係もない
いや実際はあなたは私が養ってるのだから関係はあるのだけど、あなたにとってはそんな概念はないから関係ない
あなたは私がいなくても平気だ
暗闇でずっと一人でいてもあなたはなんともない
誰とも触れ合うこともなく、ただなにもない空間をじっと見つめたり
私はそんなあなたに触れさせてもらう
あーなんかこの手気持ちいいなーとかうざいなーとかそれくらいの認識しかなさそう
眠いのかな、お腹すいたのかな、イライラしてるのかな、気持ちいいのかな
そんな風にあれこれ思わせてくれる
たまに病気にもなる
大変な時もある
でもなんの躊躇もなくあなたのためになら行動できる
猫よ
ああ猫よ!
だから周りの人に理解されず、気持ち悪がられるし、恐怖されるし、人との付き合いも自然に無くなり、人生も生きづらくなる。
「弱者男性たちの求めるものがそこからは伝わってこない」っていうのも、彼らの言語化能力の低さから来ていると思うね。
「追い詰められて完全に狂ってしまい、自分が求めているものすらわからなくなっている可能性」というのも考えられるけど、実際は内心では何を望んでいるのか本人は分かっているけど、それをうまく表現して交渉して手に入れることができないというのも考えられるよ。
子どもがお腹をすかせたときに、「お腹すいた!」って叫んでるのと同じだよ。
大人が「お腹すいた!」って叫ぶことしかやっていなかったら、「何この人? 自分で料理するか外食にでも行けばいいのに」って思うよね。
大人になったら、だいたいは、「昼ご飯でも食べに行かない?」とか、もし財布を忘れていたら「ごめんだけど、今度返すからおごってくれない?」とか言葉が続くよね。
彼らは具体的にどうしてほしいのか言ってない、もしくは社会に属している大人とは思えない非現実的な要求ばかりしてるよね。
あと人間関係の基本はギブ・アンド・テイクっていうことも理解してないように思う。
家族や学校の先生になにかしてもらってあたりまえみたいな感覚が抜けてなさそう。
何かを得たいなら何かを与えないといけないんだよ。親にお小遣いをもらって駄菓子をむさぼり食う子どもじゃないんだからさ。
「自分たちを抑圧する存在に対して抵抗してはいけないと学習させられてきたため、代わりに社会的弱者であり反撃してこないと思われる女性を攻撃対象に選択している可能性」っていうのは、もちろんそれもあるかもしれないけど、多分彼らの中では、親とか学校の先生とか会社の上司とか社会とかが、とにかく自分の思い通りにならない存在として認識されているんだと思うよ。
それで抑圧されているように感じているのかもしれないね。
でも実際には彼らは、「こうしますから(何かを与えますから)、こうさせてください(代わりにこれをください)」っていう基本的な交渉もできていないんだよね。
いつも「こうさせてください」しか言っていない。これでは相手が自分の思い通りに動くことはほとんど無いよね。
それに、これは何か嫌なことを要求されたときの断り方にも通じるよ。
「これはできませんけど、代わりにこうさせてください」ってね。「できません」ばかり言ってたら子どもみたいだよね。
彼らは言語化能力も低いし、交渉能力も無いから、それまでの人生で自分の思い通りに事が運んだという経験がほとんど無いんだろうね。
私も、彼らのこうした特性をまざまざと見せつけられると、放って置くしか方法はないんじゃないかと思ってしまうときもあるよ。
追記:これに対する返答も要領を得ていなかったり、印象論に終始していたり、説得力が無かったり、ひとことふたこと吠えてみるだけだったり、まあそういうことだと思うね。
「友達が30歳になってなんとなしに人間ドックを受けてみたら大腸がんが見つかった」という知人の話にビビり、自分も30なので記念にやるか…と予約して受けてきた。
結果やってよかったけど、痛すぎていい歳なのに泣いてもうた。
変な時間にお昼寝して眠れないので備忘までに書く。
◾️前日〜当日朝の流れ
大腸カメラが大変だった…。前日に15回分の下剤を飲み、当日朝から2リットルの腸管洗浄液(下剤みたいなやつ)を飲む。
この2リットルがしんどい。モビプレップという薬で梅風味のスポドリ味なんだけど、1杯目はよくても2リットルはしんどかった。それに加えて水分も摂取しなきゃいけない!
トイレも10回以上行ったのかな、1.5リットルのんだあたりでもう透明の水みたいなものしか出なくなったのでストップ。
絶食きついかな?と思ってたけど水分取りすぎてお腹ぱんぱんだった。
◾️いざ内視鏡
内視鏡は最後で、それまでの血液検査なりレントゲンなりはかなりスムーズ!
内視鏡の準備として直前に胃の泡を消す薬を飲んで(すごくまずい)、鎮静剤入れる点滴をさして処置室へ。
まずは胃からで、これは鎮静剤も効いてうとうとして痛みもなくスムーズ。後半は覚醒して鎮静剤を追加してもらった。
その後の大腸が大変すぎた。追加した鎮静剤が効かず、めちゃくちゃ意識がある中で内視鏡が入ってくる
。
腸の曲がるところを通る時が激痛で思わず叫んだら怒られてしょんぼりするも、声が出るほど痛い。
鎮静剤…と言ったら「もう人の3倍入れてるから無理だよ」と言われ「力むと入っていかないから力抜いて!」とまた怒られる。
あまりに痛いのと、30歳で人前で尻を出した状態でなんでこんな怒られてるんだという悲しさで泣いた。
その後も痛がると「もうやめる!?」と何回も聞かれ、いや金出してるし意味ないし…と思って「やめません!」と叫ぶ。
最後まで激痛の中、無事終了!
結果、胃も腸もなんの異常もなく、とくに大腸内視鏡は何も変わりがなければ5年後でいいらしい。
他の検査項目の結果はまだだけど、とりあえずやって安心したからよかった〜
◾️鎮静剤が効かなかった
以前別の治療で静脈麻酔を使った時は眠れたんだけど、今回は本当に効かなかった。多分薬剤が違ったのかなあ。
あと数年前から睡眠薬を飲んでるのも原因。睡眠薬とか抗うつ剤を飲んでると鎮静剤は効きにくいらしい。
「そういう場合も薬を組み合わせたりして痛みはコントロールできる」みたいなことが書いてあったけど、結果増やしても効かなかったので残念。
本当なら検査終わった後も鎮静剤が切れるまで休んで、目を覚ます薬?を入れるんだけどバキバキに起きてたのでいらなかった。
◾️感想
終わった直後は、めちゃくちゃ怒られたのと想像以上の痛みで、医者め…と思って内心むかむかしてたけど、まあ医者もやりにくいよね、ごめんね。
ちなみに大腸が膨らむようにガスを入れられており、今この時間もお腹は痛い。
今回は値段と利便性で新しめのクリニックを選んだけど、次回やる時は上手い先生がいる大きい病院とかにしたい。
全部の結果はまだだけど、30超えて色々な疾患リスクも増えるしやってみてよかったなと思う。特に癌はやっぱり怖い。
健康に気をつけて生きてこ〜
キモいっていうかそういう子供の痛ましい事件は足がすくむし、子供はどんな思いでいたんだろうって思うと確かに憤りも感じるしいたたまれない気持ちにもなるし、ましてや自分がその加害者になったらって思うとちょっと胸が苦しくなるくらいに戦慄する。
だから何があってそこまで追い詰められたんだ?自分の身にも起こりうることなんじゃないか?って思ってそういう記事をざわざわしながら読み込んじゃって余計具合悪くなったりとかすることもある。
そういうの当事者意識っていうのかな…まあ世間っていうか同情的なのは大体は母親なわけでしょ?
つまり子供ってそのくらい親が気を抜くとすぐ命を落としてしまうくらい危ういものだってことが、子供がお腹にいる時からずっと肌に染み付いてるから、実際にどうかはともかくちょっとの自分の気の迷いでそうなってしまうんじゃないかっていう危機感が根底にあるんじゃないだろうか。
対して元増田が違和感を持ってるように、成人を仕留めるのには自分自身に対してであっても生ぬるいだろっていうような行動しか取れないところも常軌を逸してる感じがするっていうか…普通の状態だったら、そこまで取り返しつかないことをしでかした後だったらもう絶対ひと思いに自分の息の根を止めないとって必死になるんじゃないのかな。でも計画的にやらないとそれは結構難しいのかも。
つまり子を持つ親は子育てを通して、子供は成人よりもずっと脆いものだっていうことを肌感で知っている。無差別殺人みたいな犯罪よりもずっと物理的ハードルが低いことがわかっている。
あるいはよその子を攫ってくるような犯罪よりもずっと衝動的にできてしまうことが。まあ想像しただけで震えるけど。
もしかしたら増田氏のほうが「普通の母親はそこに対して特別に大きな心理的ハードルがあるに違いない」っていう母親信仰を持っているっていうことが言えるのではないだろうか?
人間が常軌を逸した時、その人が常日頃持っている愛情というものはそこに残るのだろうか?
まあ多分ほとんどの母親は思いとどまれると思うけど、自分がそうかはわからないって心のどこかで怯えているのではないだろうか。
私はそうだった。今では娘たちも無事中高生になって私の背を越えたので、その悪夢もようやく終わったけど。
確かにその母親はその時常軌を逸していたと思う。でも最初からそうだったわけではないだろう。それはいつから始まっていたんだろうか。
そういう同情的な気持ちがわからない人がいることも別にそんなにおかしいことではないと思うし、問答無用で許すなっていう意見もあってもいいとは思う。
あるいは実際はもっと全然同情できないような数奇な話だったっていう真実が出てこないとは限らないし。
ただもしこの事案の真実が多くの人が想像する通りであったとしたら、再発防止っていう意味では「異常者から子供を引き離せ」とか「ただの異常者の仕業だ」っていう視点からでは、具体的に何が異常でどういう基準で引き離すのか?っていうのを導き出すのは難しいと思う。
ってなるとやっぱりそこで何があったのか?っていうのに焦点を当てるのが王道かなって。
あと記事に「有罪か無罪か。」って書いてあって、それは殺人を犯したんだから量刑の差は多少あったとしても当然有罪にはなるんじゃないんだ…?ってはちょっと思った。
同情はするけど無罪だとはちょっと思えないかな…つか私だったらどんだけ常軌を逸してたんだとしてもそんなことしちゃったらどうせ日常生活なんかしてても地獄だし、いっそ刑務所とかで当分反省してたいかも。
あと松本さんの話は昔の話はともかく現時点では特に逮捕されたりとかはしてないわけで、ちょっとよくわからないっていうのが正直なところかな…
同情したり憤ったりできるだけの材料が足りなすぎるのでキモいとか以前の話かなって思う。
ただ世間はそういう不同意わいせつ事案みたいなものには慣れすぎてて、あんまり内容を見ずに「またか」って納得しちゃうフシは確かにあるよねとは思う。
男性が起こした事件で世間が同情的だったものっていうと記憶に新しいものはあれか、安倍さん襲撃事件。
あれもいくつかの疑問は残るにしても比較的彼の属性も含めて動機がわかりやすいっていうか世間が納得しやすい事件だったと思う。
あとそういうことで言うとパレスチナ問題とか。
あれもどっちの事情もわかるけどどうしたらいいんや…って悩んだり、でも血だらけになった幼子とかが映るとやっぱり胸が潰れそうになりながら毎日ニュース見てる。
そんでどっちの肩を持ったところでどんな解決策を出したところでどこにも被害者はいるし誰かの気分を逆撫でするだろうっていうのもわかる。っていうのは余談だけど。