はてなキーワード: 貧困家庭とは
ついこの間、レクサスを買った。
レクサスと言えば高級車であり、高額車でもある。
自分が買った車も総額で600万円を超えた。
自分の中ではとても誇らしいし、納得しているし、満足もしているし、もう人生思い残すことはないなと思ってる。
人によっては「たかだか車で」とか「誰でも買える」と言う人もいるだろう。
色々な人がいるので、それに対して批判はしないし、そういう考え方や視点、世界観もあるなと思う。
ただ自分が知っている世界、見てきた世界では「誰でも買えない」し、「たかだかの範囲にはおさまらない車」だと思ってる。
もう20年以上前になるが、親が離婚してから一気に生活が変わってしまった。
平たくいえば、そこそこの中流家庭だったのに、一気に貧困家庭になってしまった。
さすがにホームレスとかはないけど電気、ガス、水道も止まることがあったし、生活保護を申請しようかという話もあったりした。
今でこそ日常的にニュースとかでも見るけど、インターネットもなかった当時は生活保護=落ちるところまで落ちたかと子供心に思うところがあった。(結局申請はしてないんだけど)
それからというもの、お金に厳しい生活は変わらず、大学入学で上京は果たせたけど、3ヶ月で退学前提の休学をせざるを得なくなってしまった。
大人になってからも、子供時代にそういう生活だったせいか、お金の使い方・お金の貯め方が身についておらず、散財ばかりを繰り返してしまった。
今ではそんなことはないんだけど、やはり子供の時の生活環境が一変する出来事が原因だろうとは思ってる、破滅的というか。
なぜレクサスなのか、個人的には"高級車"であればベンツでもBMWでもこだわりはなかった。
親が離婚する前、父親が乗っていたBMWを自分もとても気に入っていて、没落してからも「いつかは親を超えたい」とか「いつかは高級車を」ってずっと思ってた。
とはいえもういい大人になったので、リセールだとか車以外のお金だとか、ディーラーの対応がとか色々考慮してレクサスを買った。
上の方にも書いたけど、大学も行けなかったし破滅的な生活をしていたので、家を買うとか高級車を買うとかとても考えられなかった。
そして"高級車"も購入した。
自分の人生を完成させるには、家と高級車を買って所持することがとても大事だったし、無理だろうと思っていたけど叶えたかった。
昔親が離婚して落ちぶれてしまった時に非常に悔しい思いをしたから、その時の自分に復讐をするためにどうしても必要だった。
なぜ「復讐」という言葉が出てくるのか分からないんだけど、なぜかその言葉が出てくる。
裕福な生活からみじめな生活になってしまったので、裕福な生活を羨んでいるから「復讐」という言葉が出てくるのかもしれない。
わからない。
まだ30代半ばで子供もいるけど、正直もうあまり思い残すことはない。
そうはいっても、多分死ぬことになったらきっと後悔はするんだろうけど。。
とても満足してる。
アメリカしか知らんが、3歳から入れるのに申込日前日から徹夜で並んだよ(先着順だから)
まあこれは日本の幼稚園と同じだな、徹夜だろうが並べば入れるだけマシかもしれん
でも2歳で入れようとした知り合いに聞いたところ、waiting listの名簿に数十人いて諦めたそうな
3歳になると定員が増える&幼稚園(preschool、pre-k)という選択肢が出て来るから入りたい人が減る、ってのも日本と同じなんだろう
因みに幼稚園も私立は日本の庶民私立幼稚園より遥かに高額で、公立の幼稚園3、4歳児クラスは訳アリ家庭の子しか入れない
(ガチ貧困家庭とかシングル親とかESL(英語が母国語でない者)枠とか。
知り合いの日本人が何人かESL枠で子を入れていたが、それも入れるのは金がない自費留学組だけで駐在組や留学でも日本で在籍してる大学から金出てる人は落ちてた)
5歳児になればkindergardenになるので希望者全員入れるらしいが
んで日本の物知らずが5歳児にかけられる税金だけ比べて「日本は幼児保育・教育に金を出していない!」とか言うんだよな
みんなが凄いこと・革新的なことみたいに言ってるからチェックしてみたら完全なヤオだった。
これただの王子様やん。
衣装からも、どうしようもない野暮ったさ、振り切れない奴のダサさみたいなものしか感じられない。
単純にバランスも悪くてかっこわるいしさ。
こんなことしか出来ねえならやるなよとスタッフに説教したいレベル。
そもそももうさ、魔法少年なんて発想はとっくにあるわけじゃん。
何がキュアアンフィニだよ。「アンフィニ」って語句にも大した覚悟が感じられないし。
萌えギャグアニメの変化球にすぎないゾンビランドサガのリリィちゃんでもお前よりはちゃんとしてるわ。
なんか「プリキュアが一石を投じる」みたいな感じでこれをやるならせめてデザインを福島鉄平とかにやらせろよ。
金髪でハーフで王子様でみたいな言い訳・逃げ道を作りまくってんじゃないよ。
本当にヤオだわ。
ガチ性の欠片も無かったわ。
はてな民もこんなもんで言い争うのは時間の無駄だからやめろよ。
ていうかそうやって言い争う具にするのは過大評価だよ。
こんな振り切れてないヤオには「画期的」とか褒め称えられるのも「気持ち悪い」とか嫌悪されるのも勿体無いわ。
両陣営とも、こういうしょっぱい踏み込みしか出来ないスタッフには「この半端ものの雑魚が」という軽蔑の目線だけをくれてやるのが作法だよ。
社会情勢に沿うって言うならまずガチガチ貧困家庭のルンペン少女のプリキュアとか見せてくれよ。
多少問題抱えつつも根底はハッピーな家、みたいなのばっかなのに社会派ぶるのがすでに滑稽なんだよ。
しるかばかうどんの漫画に出てくるような女の子にプリキュアの力を与えてみろよ。
魔法少年やるならちゃんと黒髪の言い訳属性のない”普通”の男の子をナマ足出した魔法少年にするんだよ。
わかってるよ、やりたくねえしやる意味もねえよな。
「ヤオ」がどういう意味合いで使われてるのかよくわかんないや。一般的な用語なのかしら。はてなキーワードに書いてある意味合いなのかしら。
プロレス由来なんだけど、近年の用語で言う「ヤオ」「ガチ」は「ノアだけはガチ」という定型句に端を発すると見てよく、
「ノアだけはガチ」という句が生まれた時代には既にプロレスがガチ競技でないことはプロレスファンですら認めていた訳で、
そこでの「ガチ」とは「レベルが高い」「本気でやってる」「殺すぐらいの踏み込みでやってる」「覚悟がある」っていうニュアンスになり
「ヤオ」はその逆で「レベルが低い」「真剣味がない」「だらけてる」「おあそび」みたいなニュアンスになる。
ちなみにプロレスリングノアは世代交代の失敗と次第にたがが外れていった乱脈経営とに圧迫される中でただひとつの売りとなった「ガチ」なプロレスの象徴としての危険すぎる首での受身を連発していった結果社長でありエースレスラーである三沢光晴が頚椎離断・ほぼ即死というリング禍を招いた。
「ノアだけはガチ」というのはあれは総合にプロレスが押されてたころに生まれた自虐的なジョークで、四天王プロレス由来のひたすら受ける芸風を本気で賛美した言葉じゃないよ
ノアオタは本気で言ってたよ
ギャグとして回収されたのはその後
もうノアの全盛期なんか思い出せないだろうけど
毛なんか女にもあるがな
何で「母親やシッターだけで育てる」のと「保育所に入れる」のと両極端なの?
あと保育所と言っても日本ほど低年齢から長時間使うのが常識な国ばかりじゃないし。
日本の保育所みたいに「0歳児から、朝から晩まで長時間利用する」のを理想としている国なんてあるの?
小学校入学前の幼児教育ってなら受けさせた方が良いのが常識で、義務教育や無償・全入前提としている国ならあるけど、
そもそも外国だと、公営の(税金使った)保育所は純粋な福祉施設であり貧困家庭しか利用不可、って国もあるんだけど。
(それ以外は全額自費の保育所に入れるかシッター雇って3,4歳まで待って幼稚園に入れるか、になる)
あと子供は施設ではなく家庭で育つ方が望ましい、ってのも国際常識だよ。
だから海外だと実親が育てられない子は養子縁組をして養親が育てる事が推奨されてる。
「実親が育てるのが望ましく、それが不可能なら実親が育てられるようになるまで施設で育てるべき」
「例え実親が育てる気がなくても、気が変わるまで子供はずっと施設に入れておくべき」とされていたけど
今は国際常識に合わせて「実親が育てる気がない子は幼いうちから養子縁組をして養親が育てるべき」というように方針を変える自治体が増えてる。
3000万も必要になるのは、それなりの大学まで通わせた場合だからなぁ。
貧困家庭だと、そもそも子供は勉強嫌いになり大学までたどり着かない事も多そう。
若い内からガテン系で働き始めて、要領良く成功しちゃうパターンもあるからね。
土建業だと中卒で年収1000万を超えている人もいっぱいいるよ。
高校&大学に通うという目的は、お金を払って知識や技術、人脈を手に入れるためだと思う。
人生を成功させるために高校ブースト、大学ブーストにお金を払ってステータスを上げているわけだ。
子供ガチャで特にハズレとされる人は、大学まで通ったけど、それに見合った知識や技術を身に付けられず助け合える人脈にも出会えなかった。または、卒業後にそれを有効に活かす環境に移ることが出来なかった人だね。
簡単な答え:日本人全体が貧困化してるのに、私大医学部受験できるほど恵まれた「差別」に抗議しろとか言われても。
貧乏人が私大医学部受験できないのは必要悪というのは認められてるから、貧乏人には一律減点されてるどころか、0点どころか、氷点下じゃないの?
貧乏人には自己責任の態度できてるのに、それに同じ口で賛同しながら、女性減点は必要悪は絶対に許せない!だからね。
それじゃ、貧乏人にも機会が絶対平等になるように、高収入から金を取って貧困家庭にどんどん回すか?
女性限定公募とか見ると、優遇されてきた高収入家庭にストップをかけるのはそんなに変な理屈でもないしな。
女子だけの時にはこんなに騒ぐのに、全くもって貧困家庭は知らんぷりなんだもの。
そして、日本は貧しい家庭が増えてるんだよ?分かる?
だから、日本全体から理解を得ようとかしても、普段から貧困家庭には自己責任とか、
地方に住むのが悪いとか地方田舎叩きとかしてるんだから、女子減点の時だけ叫べとか言われても、
何で叫ばないといけないの?普段の態度は何?となるわな。自覚ある?
簡単に言うと、日本全体が貧困化してるのに、それには知らんぷりなのに、
10代から20代にかけて、およそ10年間、「実家に放火して親を焼き殺す」計画を立てて過ごしていました。
本気でした。警察の本部に売っている「捜査幹部必携」という専門書も入手して、焼死の際の事件性の有無の判定基準まで学びました。
刑務所には入りたくなかったのです。現代の火災現場検証では油が出火もとであればすぐに反応が出る、例えば首を締めて殺した後に火をつけたとしても、肺の中に煙が入っていない(呼吸をしていないから)ことで事件性はすぐに明らかになる、といった内容が載っていました。難しいな。何回も計画を練り、材料を燃やして検証し、でも、実行には移せずにいました。
物心ついた頃から虐待を受けていました。貧困家庭でした。年収200万円の5人家族。その中には、血の繋がっていない人も何人かいました。
思い出したくもありません。口減らしにと、真夜中の山奥に車で連れて行かれそのまま放置されたこともありました。パチンコ狂いの義父が負けて帰ってきて、私のゲームボーイを取り上げて遊びながら私をサッカーの球に見立ててドリブルしてきたこともありました。
食べ物はありませんでした。砂糖に一滴の水を垂らしてレンジでチンすると水飴になるのでそれを食べていたのですが、バレて砂糖を隠され、近所の猫のカリカリを食べました。あれは不味かったです。ハムスターの餌の方が美味しかったです。植物だとツツジの花がほんのり甘くて美味しいと思います。スミレの花も味が薄いので悪くないです。
ある時のドリブルで腰の骨が折れたことがあります。ベッドで動けない私を見た母親は、髪の毛を掴んで綱引きのように引っ張り、私はベッドから転落させられた末、殴られました。ちょうどお盆のことでした。他の家族は私を置いて旅行に行ってしまいました。私は這いずり回りながら、砂糖を探して食べました。帰ってきた母親に折れた腰のまま土下座をして、ようやく医療機関に連れて行ってもらいました。私の足は今も一部がしびれたままです。
紺色の服と白い服しか持っていませんでした。当時流行していた「ベティーズブルー」といった鮮やかな色の衣料とは無縁で、惨めでした。義父は自分が稼ぎが少ないのが気にくわないのか、常にコンビニ店員やガソリンスタンド店員にタメ口で命令していました。かわいそうな、あわれな大人だなと思いました。
長女でした。何度か「父親」が代わり、下の兄弟が増えていき、一番最初の父親に顔がよく似ている私はことごとく除け者扱いされました。
抱っこされた記憶があまりありません。おかげで、25歳ごろになるまでは、交際した男性にも「触らないで!」と要望していました。なにしろ、ハグの仕方が分からないのです。手を繋ぐのも怖かったのです。
自宅では、他のきょうだいが名前で呼ばれる中、「ゴミ」と呼ばれていました。劣等感の塊でした。小学3年から自殺未遂をしました。
数回やってもなぜか生きています。きっと、覚悟がなかったから死ねないのでしょうけれど。
そんな日々で、唯一自尊心を満たしてくれたのが、学校のテストの点数でした。良い点を取れば、認められる。認められたい。なんでも良いから。なんでも良いから認めて欲しい。だから、狂ったように勉強しました。河合塾主催の模試の上位者ランキングに名前が載りました。トイレでも、お風呂でも、ご飯の最中も勉強していました。
志望校に落ちました。「ちょっとだけ頭がいい方」くらいの、赤本を一度も解いたことがないような滑り止めに進学しました。
その時も本格的に自殺未遂をしましたが、死ねず。その学校に通い始めました。
しかし、なんにせよ、実家から脱出できたのは本当に大きかったです。
都内の家賃4万円のアパートを借りました。保証人欄には、今は行方の知れない実父の名前を書きました。奨学金は容易に掛け持ちできました。機関保証と給付です。アルバイトは3箇所ほど常勤で入り、当時規制がなかった日雇い派遣の案件をこなして生活費に当てていました。
ちなみに4万円のアパート、壁が薄くて、外で住人が階段を上がる音がするたびに、かつて母親がそうやって暴力をふるいにきたときの足音を思い出してしまいしばらくは安眠できませんでした。
もともと家に居場所がなかったため、学校ではずっと社交的で行動的なキャラクターを演じ続けていました。表面的な友達がとにかく多いタイプでした。親友はできませんでした。
それが功を奏してか、大手マスコミの内定を取ることができました。
初任給が、かつて私が育った家庭の2.5倍ほどありました。
5人家族で200万円だったのが、1人で500万円です。
お金の使い方が分からないので貯蓄してばかりですが、ずっと入れなかったファミレスの「ジョナサン」などに行くようになりました。
付き合いの宴席も多く、クレジットカードはあっという間にゴールドになりました。
PTSD。
心的外傷後ストレス障害とも呼ばれるこの病気は、辛かった日々が急に頭の中でフラッシュバックし、同じような苦痛を感じる、というものです。私は毎晩、義父にドリブルされる夢や、母親から階段で突き落とされる夢、10代の私が苦労して貯めたアルバイト代を母親が奪い取って美容整形に行って顔が変わって帰ってきた時の夢、そんなものばかりを見ました。
次第に不眠になり、虐待関連のニュースでも吐き気がするようになりました。マスコミ勤務でそれは困ります。現場では頓服を飲みながらかなり無理をしています。この無理ができなくなった時、私は職と社会的地位を失うと思います。
10代の時は貧しくて憎かった。20代で就職し、富を得ても病気で常に苦しめられた。だから元凶の実家を燃やしたい。ずっと、ずっと思っていました。
「実家を燃やしたい」から「どうでもいい」に変わったのは、最近のことです。
私は発病から5年以上が経過しました。一生病気と付き合って行くと思います。そんな中で、憎しみと怨念を抱きながら暮らして行くのは、もう疲れました。
そう、疲れたんです。
幸いにも今、「あなただから話せる情報なんだけど」と仕事に役立つ情報を提供してくれる人も増えています。結婚はしていませんが(結婚話は、元彼との間で一度でました。親の話などが出てくると、とたんに受け付けなくなってしまって、衝動的に別れを告げました)、結婚もありかな、と少しずつ考えることができるようにもなっています。今の生活を守りたい。それだけ、それだけなのです。
故郷の役場に行って、あの家庭の戸籍から私の名前を抜いて分籍しました。頼る家族はいません。正真正銘、ひとりです。
精神疾患を患った我が身のみが頼りです。
これで、よかったんですよね?