はてなキーワード: 言い逃れとは
とある宗教を信仰している。まあ、家系的にね、仕方がないのさ。
毎年、年頭に新年の集会がある。新年を迎えるにあたっての説法がなされる。全国から人が集まる。
集まるとはいえ数千人レベルだから、アリーナでのコンサートやプロ野球の試合に比べればへぼい。
来年の新年の集会にあたっては、会場の施設が住宅街にあるからか「近隣住民の目を避けるため、朝早くからきて待機するように」とのお触れが出されている。
=コロナ禍で人を集めることは住民感情を害する、住民感情を害することは教団の運営に悪影響が出る、という認識はあるらしい。
当然「宗教」はワクチンなど信用していない。ワクチンを打つなというお触れは出ていないが、「神の為すことに人間はかなわない」とのこと。ちなみに自分はワクチン2回接種済み。
ならば「ワクチン・検査パッケージ」など眼中に入るはずもないだろうけど、『住民感情があるから朝は早く来い』っていうよりは、『パッケージの適用はしていないが定員の何割に抑えて政府のガイドラインに沿いました』とかのほうが後々の言い逃れはしやすいんじゃないのか。
それか、「コロナや世間様など関係ありません。宗教ですから。我々の教えが世界のすべてです」って言い切ればいい。宗教なんだから。
このご時世でもボーナスもらったりリベンジ消費する人もいるのにこの違いはなんなのか。
同じ人間なのにそこまで経済力に差をつけられるほど能力に差があるものなのだろうか。
でもなあやっぱ路上生活者になる時点で救いようのないほどの無能だとは思っちゃいますわ。
選挙活動の敷居が下がって奴らみたいなのが一か八か金目当てで立候補するようになったらたまらないね。
無能候補者が乱立して声だけでかい無能が街宣車でガーガー言う状況になったらうるさくてかわなんよ。
汚職する政治家と万引きする路上生活者ってどっちがましなんだろうね。
でも政治家は反省すればまた富を生むだけの能が残ってるけど路上生活者は更生したところでどうにもならんからね。
最低限の衣食住を調達するだけの金も満足に稼げないって時点で同じ状況で人並みに生活してる人が普通にいるなかでは無能であることには言い逃れできんね。
障害者なんかなあやっぱ。
社会から生かされる価値すら見出されていないという単純な話だろ。
のたれ死んでも同情できませんわ。
どうせコロナ禍までで働けてたときだって正直そいつが関わってない方が生産性高かったんだろう。
共通の女友達が夕方私の家に来て、そのあとに彼が来て3人で鍋をした。
なもんで、その日の朝方、みんなが来る前に部屋を片付けているときは
彼が泊まるなら、彼が風呂でも入っている間に
いつも通りクローゼットに隠せばいい。
そう思ってしまったのだ。
私はこんなにもウッカリ者だというのに。
ぬいぐるみこと、わんころべえとは、恐らく小学校2、3年生からの付き合いだ。
別に某漫画のキャラクターでもなんでもなくて、本当にただの犬のぬいぐるみ。
私はわんころべえと名付けて大切にした。
毎日一緒に寝た。
わんころべえがいなければ、本当に私はどこかで死んでいたかもしれない。
人が家に来るときは今までずっとクローゼットに隠し続けてきた。
ずっと大切にしているなんてどん引きする以外にないだろうと、
恋愛面においてわんころべえの存在をにおわせたことなんて一度もなかった。
なんて考えていたのに、友人を駅まで送って、
家に二人で戻って彼と片付けをして、
眠り支度をして、「さー寝よ寝よ」とシーツをめくり、
「!!!!」
普通に忘れていた。
私にとってはいつもの光景。彼にとっては「ナンダコレ」というところだろうか。
言い逃れはできないと、大事にしているぬいぐるみで、普段は隠していたと白状した。
彼は普通に「そうか」と返して、そのままその日はいちゃいちゃして寝た。
予想よりも普通だった。もう早くいちゃいちゃしたかっただけかもしれない。
でも、内心はわからない。どっちか判断がつかないまま翌日彼は普通に帰った。
まあもうバレちゃったししょうがないか。どん引きされたらそのときはそのときだ!
そんな風に考えていたら、後日、電話していたときに彼はこう言ったのだ。
あんなに隠していたのに、自らしっかりと存在を主張してしまう。
その会話をきっかけに、私たちの間にわんころべえは普通に存在するようになった。
「いぬじろう元気?」「いぬじろう今日はどこおるん?」「今日は椅子の上か」
そうやって彼から存在を確認されるたび、なんか、もう隠さなくていいかな……と私も段々と隠さなくなってきた。クローゼットの暗闇の中ではなく、ベッドの上や棚の上など、ひっそりと見えるところにちょこんと座らせている。
彼の反応は、私の人生を受けて入れてもらったようで、とても嬉しかった。安心した。
彼となら、もし一緒に暮らすことがあっても、連れて行って怒られたりはしなさそうだ。
いられる間はずっと一緒にいたかったので、本当に、泣きそうなぐらい嬉しかった。
そのとき、ふと彼が「いぬじろうでもやってみよう」と言ったのだ。
「わんころべえだよ!!」
もうその頃には、私が正式名称を返すのが定番になりつつあった。
姓名判断は名字と名前で区切られるので最初「わん・ころべえ」とかでやっていたのだけど、いまいち運がよくない。私がどうすれば運がよくなるかを唸っている間に、彼は私の名字とわんころべえを組み合わせはじめ、そのうち私の名字といぬじろうをいろんな漢字にしてやりはじめた。
と、彼が見せたのは私の名字に、犬治郎という漢字表記の組み合わせ。
そして、なるほど確かにいい。めちゃくちゃいい。
唯一家庭運だけ凶だったけれど(笑)わんころべえよりめちゃくちゃ良かった。
あんなに訂正していたのに、うっかり「いぬじろう、ありかもしれん」と思ってしまった。
そのあと、私はうっかりと、彼の名字でもわんころべえの姓名判断をやってみそうになったのだけど、彼の名字が画数的に何をやっても凶になってしまうのでやるのをやめた。でも、もし私の名字が変わることがあったら、わんころべえも私と一緒に変わって欲しいなと思った。
彼とも、わんころべえとも、ずっと一緒にいられたらいいなあ。
立憲民主党の代表選の開票日を明日に控えているっての言うのに、これが全くと言っていい程盛り上がってない。
とは言え、野党第一党の代表が誰になるのか?という結果は無視できないので、俺個人は立憲民主党の公式チャンネルを始め、動画で見れるものはおおよそ半分程度は観た。
その中で、単純に総理大臣を決める総裁選ではないからという言い逃れはあり得る一方で、単純に盛り上げようがないという理由も強く感じている。
立憲民主党の代表選から垣間見える、立憲民主党の問題とは何だろうか?
大前提となる問題は、おそらく候補者のうちの複数名は勝つ気がない。あるいは勝てない事を前提とした口調、論調が目立つということ。
自民党の総裁選の候補の序列に置き換えた場合、岸田=泉、河野=小川、高市=逢坂、野田=西村 くらいの序列であると思う。
だが、立憲民主党の候補のうちで、逢坂、小川は勝つ気がないというよりも、勝ちたい(または勝ち目がある)と思ってないのでは?と感じる。
自分が政策を強く主張できるタイミングで、西村のアシストをしたり、自分には分からないと無知であることを告げたりするのだ。
立憲民主党の党員の考えは分からんが、勝利を望まない様な言動をする議員を、熱烈なファンであったとしても政党の代表に選べるとは思えない。
あの中に「俺が勝たなければ日本(立憲民主党)は終わる」それくらいの言葉を言える議員は居ない。
この譲り合いの精神からは、「この代表選は、貧乏くじの押し付け合いなのだ」としか見えないから、見てるだけで何とも萎えてくる。
立憲民主党の討論会は多くの場合、議員から議員への質問に答える、という形式で行われる(自民党は、党員や司会者からの質問に答える形が多かった)。NNNの番組で50分取り上げられた時ですら、その形式だった。
議員の複数名が勝ちたくないという前提で出ているのだから、当然と言えば当然かもしれないが、この質問と言うのが予定調和的なのだ。
質問の内容が、現在最も重要な経済・外交・安保・エネルギー政策・コロナ対策といった質問ではない、なんとも答えやすいイデオロギーに沿った質問に終始しているということ。
まだコロナが終息したわけでもないのに、テレビ局に取り上げられてアピールできるタイミングで、コロナ対策については議員から主張の機会を作らず、外国人実習生問題に焦点を当てるのは「温い」と言うしかない。
彼らの間では、これは外国人の人権問題という、誰も反対しないし結論が共通している幸せなテーマについて質問したって、討論会をやる意味がない。予定調和的だ。
些末な問題とは言わないが、優先順位を考えれば、まず語るべきことがあるだろう?と言いたくなる議論をしているのでは、視聴者の関心と支持を得られないだろう。
例えば、志位が毎日のように「共闘は間違いじゃない」「これしかない」「共闘は公約」と援護射撃を続けるので代表選の焦点が共闘になっていく中で、
当然だが視聴者が強く関心を持っている「共産党との野党共闘は失敗だったと結論される事も多いが、やめるのか?」という問いが司会者からは出てくる。
それに対して、「失敗と言われるのは野党に対して厳しい(小選挙制度の事も理解してよ・・・)」と答えてしまうのが彼ら候補者だ。
「候補の一本化は戦術的に重要であるが共産党との政策合意は破棄する、その上で戦術的に候補の一本化で相互の利害が一致するのであれば検討する」くらいの事が言えればいいのだけれど
「共闘しないと戦えないことを理解して欲しい」という泣き言を言ってる様では、共産党との限定的な閣外協力とやらも、実質的には主従関係化するのでは?って不安は消えない。
他にも「原発再稼働するのか?」と言う司会からの問いに対して、「エネルギーの安定供給を考えれば、原発は予備電源として必要だが、でも再稼働とは言わない」という主張を苦し紛れにしている。
再生可能エネルギーで十分だなんてお花畑な事を言う西村候補のような人もいるんだろうが、現時点では再生可能エネルギーが計算できるものではないし、原発・火力発電の発電量は賄えない事は否定しようがない。
故に、「再生可能エネルギーの開発推進は行うが、現時点では十分な供給が計算できるエネルギーではない、だが2050年のカーボンニュートラルと言う目標は重要だ、故に原発再稼働という選択肢は維持する」
と主張していた自民党の各候補の主張は妥当だし、立民も苦し紛れであっても否定しなかったのは立派だと思う。というか、立憲民主党の委員会で原発は選択肢として必要と結論していることが意外だった。
だが、従来の原発即時ゼロを強硬に求めて来た党の主張があるからだろう、小川などはかなり苦しそうに答えていた訳だ。
こんな風に彼らにとって聞かれると苦しくなってしまう質問は相互には行わず、温い質問をして和気あいあいと対話しているから、予定調和的であると感じるわけだ。
選挙に惨敗した後で変化を印象付けたいはずの代表選という絶好のアピールチャンスに、貧乏くじの押し付け合いを和やかに行っている事が、その象徴であると思う。
追求が大好きな立憲民主党ではあるけれど、厳しい問いを投げかけられれば「それは野党には厳しい」と言ってみたりする。
原発ゼロのような如何にも綺麗な主張をしながらも、実際に問題に対処するに当たっては「原発を廃止する事は出来ない」と言う事実を認めたりもする。
この代表選においても、街頭演説となると自民党への批判を威勢よく繰り返してきているのだが、彼らの強気の言葉は、実際に責任を負う立場になれば原発ゼロの様に儚くも消えるものであることを随所に感じさせるのですよ。
なんというか、子供部屋おばさんの様な、甘えた大人の集団なんだなって、そう感じられる事が与党になれない理由なのではないかと思う。
俺個人としては、立憲民主党ってのを改めてよく理解する機会になったので、代表選の討論会を見て良かったとは思うが、敢えて時間を割いて見るようなものではないよ。
あの中では一番マシな大人だし、おそらくは泉が勝つのだろうけど、彼も結局は大したことないなということが良く分かった2週間ではあった。まぁ立憲民主党はこれからも地獄だね。
ashigaru 俺はTBS Sessionの論戦で荻上氏がわざわざ参考にしている経済学者を訊いているのに小川氏以外はほとんど名前を挙げられていないのが気になった。数日後の玉木代表インタビューはすぐイエレンの高圧経済の話が出来た。
まさに、こういう能力不足の実例はキリがないくらいあるのは問題だ。玉木の株だけが近頃は上がり続けているように思う。
例えば、酷い質問ではあるのだが、ある女性党員が「女性議員比率が低い、女性議員を増やすために比例1位を女性にする考えはあるか?」と問うた時の逢坂の解答はこんな感じ
「私はかつて素晴らしい女性議員に出会ったから女性議員の能力はしってるつもりだ。女性議員は増えて欲しいが、立候補を促してもしてくれない事が多い。比例1位は、これまで努力してきた男性議員はどうなるのかという問題もある。」
これでは、答えになってない。曖昧な発言もこうして要約するとある程度理路整然とはしてしまうのだが、実際の逢坂の発言は思い出話8割といったところで酷さがが際立つ印象が残るはずだ。同じ質問に対して泉の場合は
「まず執行部の男女比率を半々にする。これは私が代表になれば実行する。能力のある女性が活躍する事で議員になりたい女性を増やすことが大事だ。比例位については問題があると思う。」
これであれば、出来ないが、他のアプローチでジェンダー問題に対応したいという意思表示にはなっているだろう。
このまともな回答をした泉であっても他の問題では、逢坂の様な回答をしている。立憲の候補者が能力がないのか勝ちたくないから韜晦してるのか良く分からないが、表に見えてる姿は決して見栄えのいい物ではないし、有権者が呆れるだけだろうと思う。
※以下、一覧とは言いましたが面倒なので箇条書きに使う「・」みたいな記号は省略してます。連合弛緩注意。
電子書籍サイト見てると女性向けなのに男性向けとか男性向けなのに女性向けとタグがついてる漫画がある。
まあ俺がそう思う一部には俺の見当違いもあるのかもしれん。
でも二巻以上ある続きものである巻で男性向けである巻で女性向けなのは言い逃れできないだろと。
逆転裁判風にいえばムジュンしている。ようするにその時点でどっちかのタグが嘘あるいは誤認による不手際なのが確定してるんだよね。
あとはまあマイナーな雑誌やその単行本ほどタグに違和感感じる場合が多い。
これも逆に考えれば、出版社側に男性向け女性向けを正しく識別できるような人が人がいないから、それだけ感度が未熟だからこそ、その雑誌はマイナー雑誌という地位から脱却出来ないのだと考えることできるわけだ。
これも、学歴社会の生んだ歪み、なのかね。
つまり、漫画が男性向けか女性向けかというパターン認識をはじめとするそういう能力は学歴とは相関しないだろうね。
学歴とか無関係に5chの漫画サロン板や同人板の男性向け女性向けの違いについて語るスレで深く語っているような人から採用すればよかった。
学歴基準で募集しても効率悪いというか、単純に読み手としての器があるか、目利きの力がどの程度あるかという条件から採用したほうが即戦力が集まるに決まってる。
俺も量としてはそこまで読んでないが、天性といったらいいかな、もうかなりの精度の目利き力を持っている自負がある。
藤井聡太がAIが最善手とする手をAIより早く導き出すように、俺にもAIより早く正確に画風から漫画を分析する自信がある。
まあヒューリスティックという言葉で語られる人間の強みというやつですな。それが俺等の場合は漫画の方面で卓越しているわけだ。
むしろあっちから俺みたいな埋もれたやつを見つけるべきだ。んで俺「雇われてやっても?いいよお?」って感じでも渋い顔ひとつしてはならん。俺は天才なんだから。
と思うのはダニングクルーガーかもしれんね。そんな特別な能力じゃなくて俺以外にもタグが不適切なのに気づくやつはわんさかいるのかもしれん。言わないだけで。
あるいは大した人件費かけてまで正確を期してタグ付けする経済的効果がないということかもしれん。コストロスモデル的に。
あとは俺みたいなやつ優越感に浸らせてるのは損も得もしないしそれで俺みたいなやつが勝手に悦に入ってるなら単純に「いいこと」してることになるから、まあそういう意味でも改善しようとは思わんのかもしれんね。
某声優のスキャンダルで、「一晩で4回中出し」をしたことが話題になっている。
発端となった某声優と浮気相手の流出ラインを見ると、たしかに「一晩に4回した」ことと「中出しした」ことは書いてある。
しかし注意してほしいのだが、「4回中出し」をしたとは書いていないのである。
もちろん少なくとも1回は中出しをしたのだろうけど、それが1~4回のいずれなのか、この情報だけでは言い切れないのであって、「4回中出し」は誇張と言わざるをえない。
なんなら某声優を擁護する人ですら、「4回中出し」うんぬんと書いていたりする。
そういう人は、誤りを指摘したところで「ささいな問題だ」と言い逃れするのかもしれない。
だが、それは間違いだ。
人間は自分のしたことで非難されるいわれはあるけれど、していないことでそうされる筋合いはない。
他人の行為に言及するならば、事実が何であるのかは何よりも重要である。
さておき、実際問題としても、中出しの回数はせいぜい1~2回だと推測するのが妥当だと私は思う。
まず、流出ラインのなかには「なかったときがきもちよすぎた」という表現がある。
4回すべてが生だったのなら、こういう表現になる可能性は低い。
ゴムを使用した回と使用しなかった回が混在していると考えるのが自然だろう。
そもそも、某声優はアフターピルを常用していたわけではなく、少なくとも久しぶりの服用と考えられる。
というのも、流出ラインにはアフターピルの購入に関する会話があるのだが、某声優はその副作用や価格について、あまり知らない様子なのだ。
二人はいつも中出しをしていたわけではなく、今回は例外的であったのだろう。
このときの中出しも計画的ではなく、突発的なものであった可能性が高い。
周知のように、コンビニなどで売っているコンドームには、3個入りのものがある。
これは完全に推測だが、どこかで買った3個入りを使い切り、いざもう一回戦となったとき、もう残数がなかった……ということもあるのではないだろうか。