はてなキーワード: 意志薄弱とは
そこは話の中でそこだけ深化しただけであって
アニメの場合毎クール作品が出て、その評価の流れが決まった瞬間付和雷同的に賛なら賛、否なら否が出来るから
そこに異論が挟めなくなるわけ
それはお前の周りのコミュニティとお前の意志薄弱さの問題であって、どのアニメにも賛も非もある。
俺は萌えアニメ嫌いを公言してるがそれでもその手のアニメ好きを多分に含むコミュニティで生存してるわ。
好きな奴の前であからさまに腐すようなことしなければいいだけの話。
後段は本当伝わってないからもういいです
何が「もういいです」だよ。
最近私のTLを賑わせているロボデリについて女性視点の意見を書いてみる。
なんか男側ばっかり叩かれてるけど、サービスを提供している女性側に対する意見がないことに違和感があるので。
私は風俗は体験したこともないし、(社長にくっついてスナック行ったことはある)
もちろん働いたこともない。ただガールズバー体験入店のティッシュ広告をみて調べたことはある。
風俗嬢を立派とは思わないけど汚い仕事とも思っていない。社会的リスクが高いけどリターンが大きい仕事という認識である。
叩かれているロボデリのオーナーのツイートと元従業員数人のツイートを見ました。詳しくはまとめでも見てろ。
オーナーは「コミュニケーション不全で他の風俗店ではNG客が楽しめる店があってもいーだろ!!」っていってるのね。
実際の店で従業員フォローがなってないとか、オーナーがヤク中とか、そんなのは別問題で
「女の子がしゃべらない」そして「客もしゃべる必要がない」コンセプトのお店はニーズにあった商売だと思うし、
オプションでうんこ食うっていうクソぶっとんだものがあっても、需要と供給があればいいのですよ。
そういう性癖持っていられるのも”人権”であるわけで。そういうどマイナー人種に合わせて商売がなりたつ日本の懐の深さよ。
話が逸れた。
で、
女性蔑視とかしゃべれないのに無理やりでかわいそうとか女性の人権がないとか色々言われてるけども、
前提としてロボデリ従業員は「数ある風俗店の中から選んでロボデリで働いてるよね?」と思うわけですよ。
店がクソとか客もクソとかスタッフがクソとか、
それなら辞めるなりその場で逃げ出すなり訴えるなり警察行けば と思ってしまう。
本当に口がきけない動物やロボットなら「かわいそう・・・」って思えるんだけど、
喋れるでしょ?嫌って言えるでしょ? 嫌なら嫌って言って辞めろよ!!!
それができないなら人権がないって言えるけどさ・・選んで働いてるやん・・・
意志薄弱とか精神障害持ってて逃げられないの? それはもう逮捕案件だよ。警察行くか誰か助けてあげてください。
もう自分の意志でそこで働いてお金もらってる時点で、「望んでその仕事をやっている」ことになるじゃない。
「こんなはした金で女に食糞までさせれるんだぜ」ってオーナーも客も思いますがな。
長々書いたけど
うんこ食いみたいなマイナー性癖を持ってたり、コミュ障でリアル女に触れない人らの最後の砦が風俗なワケで。
風俗嬢の方々も自らの自由意志でそこで働き、お金をもらって性サービスを提供している。
店側の対応に問題があるだとか、金払ってるからってNG行為をする客を叩くならまだしも
ただ自分の嗜好から数億マイル離れたからといって店や客を過剰に叩いたり
ロボット扱いが暴力的行為を助長するっていうなら、ある一定のラインを越えればNGにすればいいだけでしょ
客の人間性の問題であって、ロボデリというコンセプト自体が絶対悪ではないのでは?
ここは微妙な部分だから、店側はきちんとケアするべきだとは思いますが。
それに一般的な性癖でジェントルマンな方々にも、ロボ女というジャンルは需要あると思いますよ?
しゃべんのめんどくさい時もあるだろうし、そこは風俗嬢でもメリットな人いるでしょ。
元従業員の嘆き色々読んだけど、ツイートで言われてるようなクソ客がたくさんいる日本はちょっと病的だよなとは思う。
むっつりにもほどがあるわ
そいつらこそ本当に”リアル女子”とのふれあいが必要だと思うのは私だけ?
ロボ女相手だと気がでかくなってNG行為する人間が一定数いるのが日本社会の闇な気がする。
正直嫌がる女の子に無理やりうんこ食べさせて興奮する性癖もったやつは私の周りにはでてこないでほしいというのが本音だけども。
金払ってそれが表にでないようになるならロボデリ様様です。
・・と思うんだけど、どうですか?
風俗嬢を”やらざるをえない状況になったことのない”外部だから言えることなんでしょーかね。(このご時世そんな子いるんかね)
2年ほど前から勉強がどうでもよくなり、大学を留年した。足りない単位はそれほど多くなかったから、留年は一年で済んだが、その間誰とも会う気にならず家に引きこもってばかりいた。
その一年で進学に必要な分の単位は何とか取得し、卒業研究を始めた。けれど思うように研究が進まず、それが原因のストレスか、持病が悪化し入院することになった。
そうして最近、卒論研究に復帰したけれど、明らかに頭が悪くなった。何時頃から悪くなったのかわからない。2年前か、持病が悪化した時か。
記憶能力が落ち、物忘れが多くなった。最近あった出来事をうまく記憶できない。短期記憶も悪く、数分前のことを記憶できない。思い出そうにも、霞をつかむような感覚が増えた。
理解力も落ちた。数式をイメージできず、意味が分からないと感じることが多くなった。文章を数式に変換することも難しくなっている。
集中力も落ちている。何かしてもすぐに馬鹿馬鹿しくなる。気が散って何をしているのか分からない。
体が弱くで、意志薄弱で、コミュ障だった自分ただのひとつの取柄と言えないまでも、欠点でないところだったのに、ばかになってしまったら、どうするのだろう?
親が金持ちなら脛でも齧って生きればいいが、別段そんなことはないし、一方的に人に迷惑をかけながら生きるのもつらい。
20代後半にもなってアニメのような低俗で幼稚なものを見ている自分が許せない。
低俗で幼稚な状態から脱するどころか、アニメという生ぬるいドブに引き寄せられる自分の意志薄弱さも許せない。
同年代のほかの人は休み返上で仕事に打ち込んだり、婚活したり、子づくりしたり、家族サービスしたりといった
ライフステージに相応しい義務を果たしているというのに、自分はこの期に及んで低次元な事物に拘泥している。
小学校に入る前からうすうす気づいていたが、自分は失敗作である。
アニメを見ようとしてもそういうことが頭を駆け巡り、画面すら直視できない。
最近だと『亜人ちゃんは語りたい』と『エロマンガ先生』、『この素晴らしい世界に祝福を』を見ようとしたらそうなった。
『賭けグルイ』は1話は見られたが、「青少年に悪影響云々」という冒頭の注意テロップのせいで
見終わった後に「こんな有害作品見るんじゃなかった…」と強烈な罪悪感に苛まれた。
例示した作品が本当に低俗で幼稚な作品かについては、ほとんど視聴していないため分からない。
ただ、自分の中で「アニメ=低俗・幼稚」という図式が成立している。
ラブライブ!サンシャイン!!のライブに参加したお話です。
昨日今日と横浜アリーナで開催されたこのライブ、本当に素晴らしい内容でした。
私は2日目は残念なことに昨晩から体調を崩してしまったため、初日のみの参加でしたが、本当に満足のいく、多幸感の溢れるライブでした。
ステージ上部にピアノが設置され、桜内梨子さん役の逢田梨香子さんが懸命に目の前の88鍵と向き合う姿に心を揺さぶられました。
鍵盤を押す指が震えており、間違えないように慎重に…という心情が顔に表れており、それが大きなスクリーンを通して客席や全国の映画館へ流されているのかと思った時には、本当にこんなことしていいのかとも思いました。
ピアノの経験もなかったことでしょう。まさか、そんな自分が横浜アリーナで1万人を越えるファンの前でピアノを弾かされるなんて思ってもいなかったことでしょう。
彼女が当初、この構成を発表された時にどんなキモチになったのか、そもそもいつどこでどんなふうに発表されたのか、1人のファンである私には想像の余地もありません。
もし自分が同じ立場だったら、泣きながら拒否する以外に道はないと思います。怖いもん。
それでも、逢田さんは初日の公演で見事に弾ききりました。本当に心に訴えかけてくるようなパフォーマンスでした、ありがとうございました。
さて、本日の公演。
私は参加していない身分なので自分の瞳で確かめていないことなのですが、どうやら演奏途中で間違え、曲も止まってしまったんだとか。
肩を震わせる彼女のもとに、すぐに他のメンバーが駆け寄り、その後もう一度はじめからやり直したんだとか。
もしこれが本当なら、本当に頭が下がると同時にめちゃくちゃ「こわい」と思いました。
まずは逢田さん、本当にお疲れ様でした。頭が下がるばかりです。是非ともその場で応援させてもらいたかった。
そして、これってスゴくこわい問題だなって思いました。
奇しくも今日の公演でピアノを間違えて曲を止めてしまったこと、偶然です。
しかし、このハプニングがありライブは俗に言うエモい状態に入り、多くの観客の感動を呼び起こしたことでしょう。
よく「ハプニングを楽しもう」「ライブにハプニングは付き物」と言われますが、毎回毎回こんなハプニングがあったんじゃ観てるこっちも仕方がないです。
うまく表現できないため言葉の綾があるのですが、それでエモさを感じるのってすごいこわい問題じゃないですか?
μ'sの3rdライブを体験した方なら同意いただけると思うのですが、個人的に彼女たちの全てのライブを通して、最も印象に残っているMCと言われ、3rdライブのアンコールでのあのシーンを挙げる方々が多いと私は思っています。
端的に言えば「演者の泣く姿を垣間見たい」そして「頑張れ」って言いたいっていうエゴの権化みたいなアレ。
昨日の伊波さんのMCで印象的だったのが、多くの観客が執拗に拍手をしていたのに対し、「泣かせようと思ってるでしょ!」とバッサリ切ったあの場面。
あの一言で、図星を突かれた方々もいたのではないかと思います。
楽しかったから泣く、悲しかったから泣く…涙には様々な種類がありますが、感情の経過と変化の結晶が涙だと私は考えています。
決して、私たちが左右できるようなものではない。しかし、それを意図的に求めようとしている、つまり多少のハプニングに姿を表してほしいと思っていること。(今回のピアノの一件では、流石に観客側も一瞬凍りついたと聞いていますが…)
それって不健全じゃないですか?
というかそもそも、ピアノ初心者がピアノを弾かされるってこと自体がスゴい異常なことだと思っています。
これはAqoursや多くのアーティストのパフォーマンス全てに言えることだと思います。
私もいくつか楽器を嗜んでいるため、パフォーマンスをする側の精神をある程度は理解しているつもりです。私の場合、多い時には何百人以上の観客を前に演奏を披露することがあるのですが、やはりライブをするというのは楽しいです。
一方で、練習はやはりストレスが重なります。あくまでも私の想像ですが、Aqoursのダンスレッスンなどでも様々なストレスやプレッシャーがあったかと。そして特に。今回のピアノ披露は何よりもまず、彼女のプレッシャーが画面越しに伝わってきました。人ってあんなにも必死な顔をするものかと。
たしかに感動は産んだかも知れませんが、私のフォロワーさんの言葉を借りれば、彼女を追い込んでいたのは言うまでもないと。
ライブで自他共に楽しむため、もっとライブを盛り上げるため…というのを重々承知の上で、それでもやはりあのピアノの一件は本当に大変だったんだろうなと感じました。そもそも、そんなこと本当にやらせていいのか。マジでわかんねぇ。書き掛けの文章な上に、自分でも言葉の綾が多く見受けられる文章なのですが、これ以上の表現が思いつかなかったため、ここで筆を置かせていただきます。
ダンスの話になるのですが、あれだけの時間を掛けて、あれだけ完成度の高いステージ見せるのってラブライブ!くらいですよね。
以前、μ'sの飯田里穂さんが仰っていたことですが、ラブライブ!のリハは本当に長期スケジュールだったとのこと。おそらく、今回のAqoursもそうだったのでしょう。
そのせいか、他のライブでは感じられないような感動を覚えることが多々あります。
このような完成度の他に、ラブライブ!ではなく、ラブライブ!サンシャイン!!だけで私が感じたイメージが2つあります。
ひとつは、年齢が近いこと。
私は現在21歳で、Aqoursのメンバーとも歳が違いのですが、本当に同年代なのかと頭をひねるくらい、彼女たちは本当に輝いている。
特に、渡辺曜役の斉藤朱夏さん。彼女のダイナミックながらも指先まで繊細にコントロールされたダンスには本当に開いた口がふさがりませんでした。きっと、あのステージに上がるまで何年も何十年もの積み重ねがあったことと思われます。
年齢が近いせいか、μ'sの頃は少しお姉さんくらいに見えていたメンバーも、Aqoursでは明らかに他人事ではない、自分のすぐそばの出来事のように様々な事象を感じるようになりました。
そしてふたつめに、ラブライブ!サンシャイン!!という作品が、ラブライブ!の頃よりもより観客をコンテンツに取り込もうとしている姿勢。
この「輝き」の正体、物語を通して一度もそれが何なのか名言化されることはありませんでした。
一方、ラブライブ!サンシャイン!!では「輝くこと=楽しむこと」と第13話で名言化されました。この後に披露されるMIRAI TICKETの1シーンで、千歌さんが「一緒に輝こう!」と観客席(=いわゆる私たちの側)へと訴えかけるというものがあります。
また、この傾向はAqoursの物語の根幹にも通じているのではないでしょうか。
Aqoursは自分たちの歩みを「0を1にする物語」と題しました。ここまで物語のテーマを明らかにしたこと、当時の私には本当に驚きでした。
μ'sが「1を100にする物語」であれば、Aqoursは「0を1にする物語」であるということ。μ'sの頃には明言化されていなかったことが、Aqoursの物語ではわかりやすく、伝わりやすく(そしてあえて伝えようと)私たちに提示されたのでした。
この2点の結果、私はAqoursのコンテンツに足を踏み入れることに、圧倒的当事者意識を感じざるを得なくなりました。
μ'sの頃はどこか他人事のように見ていたというわけではないですが、Aqoursのライブを見て「自分も何かを始めたい」「何かやり遂げたい」と昨日のライブを見て強く思うようになりました。
これって、制作側のピンポイントな狙いに見事に食らいついた事例だと思っており、この2日間のライブでまさにAqoursがライブを通して私たちに伝えたかったことだと感じています。
以前よりも強く、当事者としての意識を持たざるを得なくなったAqoursのライブ。このコンテンツを追い続ける限り、進めば進むほどその魅力に打ち負かされることが容易に予想できるのが素直に「こわい」と感じました。
最後になりますが、初日のみの参加ながらも、Aqoursのライブ本当に楽しかったです。
一年前は「いや、μ'sがファイナルライブやるんだからAqoursの2ndシングルとかしらねぇよ!」とAqours関連の情報をぶった切っていた私ですが、幸か不幸か意志薄弱な私は、昨年夏にコロっと斉藤朱夏さんにヤられてしまいました。
先ほど、これほどダンスに鍛錬を重ねているのは極めて稀だと書きましたが、それもあってか本当にライブを観ることが楽しくて仕方ありませんでした。
今年の夏には神戸、大阪、西武ドームを巡るツアーもあるんだとか、また彼女たちの奏でる音楽に身体を預けられる時間が来るという事実だけで、今から心が踊ります。
これはまだ先の話だと思いますが、彼女たちもスクールアイドル。きっと終わりがあると思います。しかし、今この瞬間は本当に楽しい。その多幸感、際限のない底知れぬ多幸感こそが、私がラブライブ!サンシャイン!!のことを「こわい」と感じる一番の理由です。
なんだかんだ言いましたが、やっぱりラブライブ!ってスゴいです。ライブという空間が非日常的なものであるということを理解しつつも、やはりラブライブ!には何か他のコンテンツには無いものがあるのだと思います。あの4時間が本当に楽しすぎてこわかった、今後もコンテンツのオタクとして心の扉を更に下へと開き続けさせられるのが本当にこわい。
ラブライブ!サンシャイン!!って、本当にこわい作品。
そして、とても重いものです。
あまりの多幸感は、ライブが非現実だと理解っていてもいつか何かで身を滅ぼす気がする。
その日が来るまで、せいいっぱい楽しみたいものです。