はてなキーワード: 夜逃げとは
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個人情報はなぜ守らなければならないのか?
それは信頼と言う、どの紙幣よりも価値が高いものを得るためにある。
これらは全部、国や地方が定められた法律の基に保障されている。
だから、信じられる。
でも、その信じられるものが崩れたらどうなる?
だれだって信頼が無い人間にいきなり「明日までに10万用意して、貸してほしい」と言われた所で貸せない。
一部のお人よしを除いては
結局のところ、今回のBitcoin騒動でわかったことは、
一部のそんなお人好の人が信じてたものが崩れて、騒いでいるけど、こちら側(bitcoinに手を出していない側)からすれば、対岸の火事状態です。
いや本当に
嫁がどうやら、多額投資してたみたいで、こちらまで飛び火してますけどね、えー、もう、ね
Mt.Goxが夜逃げして、この損失どないしよかなって感じでね
もう、ああああああああああああああ
学校から家に帰るとオヤジに投げ飛ばされ失神し倒れていた時もあった。
俺は二人とも好きだっただけに辛かった。
多くの思い出は夫婦喧嘩ばかり。近所に住んでいたおばちゃん(母の姉)に「すぐきて~っ!」て呼びに行ったことは数えきれない。
原因は親戚関係にあった。
誰かに病気や不幸があれば「仏壇の管理が悪い」とイチャモンと付けに来る。
オヤジにではない。母さんにだ。
そんな親戚を私は今も恨んでいる。
そして母を守らなかったオヤジも恨んでいる。
母の母、ばあちゃんがボケてからというもの、良くある話が頻発。
「誰々の家ではご飯を食べさせてくれない」
「誰々が誰々の文句を言ってる」
ウチはオヤジの仕事の都合で転勤があってばあちゃんを引き取ることができなかった。
短い間ではあったが面倒を見ていた母の兄の転勤を機に病院へ入れることに。
ばあちゃんは「・・・・(母さん)と一緒に住みたい」と言ったらしい。
しかしそれはできなかった。
なぜかは分からないが母は兄弟姉妹に入院するまでそれを言わなかった。
おばちゃんにだけ伝えていた。
母は袋叩き。母対一番下の妹との取っ組み合いの喧嘩も見せつけられた。
私が小学2年の頃。40過ぎた今もはっきり情景が焼き付いている。
母の手術後もだれも見舞いにすら来ない。
回復後も同じ。
オヤジ方もそう。
おばちゃんだけが拠り所。
それを気遣ってか、親もおばちゃんも1万円くれる。
だから毎年2万円。まあ友人たちよりは少なかったが不満はなかった。
私が小学6年の時、母の癌が再発する。
後から聞いた話だが、オヤジには医者から余命2年と告げられていたらしい。
でも私もある程度悟っていた。
入退院を繰り返す。
その度に痩せていく。
私がギターが欲しいと言ったら母の同級生からギターをもらってきてくれた。
中学2年の頃、思い切って、エレキギターが欲しい、と言うと「いいよ、上手くなったもんね」。
当時は高価だったエレキギターとギターアンプを買ってもらった。
おばちゃんに「私は反対だな」と言われたとき、冗談で「何かあるのかな?最近全然反対しないんだよ」といったらおばちゃんの血相が変わった。
明らかに動揺していた。多分おばちゃんも悟っていたのだろう。
「ま、まああんたは勉強も部活も頑張ってるからじゃないの・・」とだけ言われた。
入退院を繰り返す。
入院のきっかけは呼吸困難。私はたまたま直面しなかったが、姉が2度救急車を呼んだ。
そして2,3週間で退院。
もう確定だ。母さんの体は小さくなり、顔や肩にこぶができ始めていた。
ご飯は自分で。洗濯も自分で。家の掃除は気が付いた人がやる、という暗黙のルールができていた。
たまたま友達が腎炎になり数か月入院していたので見舞いがてら学校帰りに病院に遊びに行っていたようなものだ。
それでも母は喜んだ。友人も母といろいろ話せるようになっていた。
しかしこの頃から急激に体が弱り始め、会話もやっとの状態になった。
4月に入り、急に疎遠だった親戚連中がやってくるようになる。
「ごめんね、ごめんね」と泣きながら話しかける奴ら。私にも「久しぶりね、元気だった?大きくなったね」
鳥肌が立つ。なんだこいつら。
同時に母の死期が近いことが分かった。母を見て明らかだ。そして個室へ移された。これは常識的に「最後」であることを意味する。
姉と冷静に話す。
「そうかもね・・・」
その3日後、早朝に電話が鳴る。
「来たな」
「来たね」
病院に着くと呼吸困難の発作が出ていた。
ほとんど口をきけなかった母が叫ぶ。聞いたことのない大声で叫んでいる。
そう叫びながら処置してくれている先生の白衣をぐいぐい引っ張っている。
先生も大声で「大丈夫!大丈夫だから!ちゃんとやってるからちょっと離して!注射打てないでしょ!」
ヤバかった。見ていられなかった。計器の音と叫び声だけが響き渡る病室。
小一時間ほどで状態が落ち着く。その日は日曜だったが私の部活の催しがあった。
オヤジに「落ち着いたようだから行って来るわ」と言い残し、家に行って道具を持って体育館へ。
着替えていると体育館の職員さんが大声で呼びに来る。
「親戚の人が来ているよ!急いで!」
事情を聴いたんだな。それよりも「あちゃ~来たか」という感じだった。
仲間に聞かれても「いや、そのうち分かるから」と言い残して病院へ急ぐ。
到着したとき、母さんは亡くなっていた。
タイミングよく集まった親戚中が泣いている。
この時初めてオヤジの涙も見た。
でも私は不思議と涙が出なかった。「やっと楽になれたね」という気持ちが強かった。久しぶりに見る母の安らかな顔。
人とは不思議なもので、毎日痛みに襲われ続けると表情や顔のカタチすら変わってしまうものなのだ。
手を握るとまだ温かい。
私は一言、「お疲れ!」。
周りは煽る。私を泣かせようと煽る。なぜ泣かないのか、悲しくないのか、とまで突っ込んでくる。
いい加減、ついに私がキレる。
「おめぇらに何が分かる?!うるせぇんだよ」
病室の外でも言い合いが。
オヤジと私を迎えにきた親戚だ。
「なぜ(私を)行かせた?!誰が許した!」
「俺だ!何か文句あるか!」
胸ぐら掴みあってる。
私が割って入る。
「アンタに何が分かる?俺は見ていられないから行ったんだよ!ドラマみたいな場面作られても満足するのはオマエらだけだろうが!母さんは分かってくれてんだよ!」
で、全員に
「つうか、てめえら急に兄弟ぶりやがって何様だおらぁ!」と壁パンチ一撃。看護婦さんに止められる。
中学3年のガキとはいえすでに身長は180cm、体格は大人、しかもヤンキーときた。誰も止められない。
シーンとする。
「アンタのムスコ、やっぱり立派になったよ。いい子だねぇ。育て方間違ってなかったよ。あれだけ辛い思いさせても大丈夫だったんだよ」
「お母さんね、いつも私に言ってたんだよ。教育上良くない場面を何度も見せてきた、母親らしいこと何もできなかった、一番母親が必要な時までいてやれるかな?って」
兄弟姉妹たちはぐうの音も出ないで押し黙る。私はその一言で涙腺崩壊した。
通夜には大勢の人が訪れた。クラス全員、姉のクラスも。そしてオヤジは金融機関勤めだったのでその関係者。豪勢な式になった。
遺族席でいるとひときわ号泣して要る奴がいる。あの母と同時期に入院していたアイツだ。
聞くと、私がいない時も母の病室に行き、母と話をしたことがあったらしい。
その時に「あの子をよろしくね。これ内緒でね」と毎回言われていたそうだ。そいつの退院が決まった時も車椅子で声を掛けに来てくれたという。
そいつもそんな人前で涙を流すような奴じゃない。この話を後から聞いた時の方が参った。アイツも参ったらしいが。
親戚は帰るときも「これからはちょくちょく連絡取ろうね」と言い残したが、
おばちゃんから伝え聞いた話によるとその後も親戚関係はぐちゃぐちゃだったらしい。
母と取っ組み合いの喧嘩をした妹は旦那が会社の金を横領、その穴埋めができずに旦那が夜逃げ。
家を取られまいと抵当権を外すために兄弟じゅうに借金。子供の学費の工面で借金。
もう何年も前に話なのに誰にも一銭も返していないことでいまだにモメているという。
誰でもどこの家庭でも何かしらの問題は持っている。
しかしウチの親戚連中は結構ひどいな。みんな仕事は立派なのだが。
今はおばちゃんも亡くなり、長兄も亡くなり、オヤジ方を含めみんな年老いた。
生きていても、離婚した人、精神病院に入ってしまった人、奥さんが自殺した人もいる。
某携帯キャリアの開発部門で立派にやっている人もいるし、教員も多い。みんないろいろなんだ。
親族間のつながりの希薄化が言われているが、悪いことばかりじゃない。
遠くの肉親より近くの友人。
的を得ている。
でも親族が円満な人たちがうらやましくなる時もある。
母さん、おばちゃん、俺はこの生き方でいいのかな?
事あるごとにどちらに進むべきか聞いてきたけど、言う通りにしてきたぜ?
自分なりに全力も尽くしてきた。
母さんに言われた通り「どんなことがあっても女性に手を上げてはいけない」も厳格に守ってる。もちろんムスコにも同じように伝えてる。
最近いろいろ考えるんだ。
今、心を病む寸前かも知れない。声が出にくくなってきた。震える。人と会うのが怖い時が多くなった。
でも無理矢理「これでいいのだ」と言い聞かせている。
これでいいのかな?
やりたいことはたくさんあるんだけどな。
上手く行かないことばかりでさ。
そうなったら俺一人になるな。
一人でやって行けるかな?
なあ、どうして最近出てきてくれないんだ?
間違ってるなら間違ってるって言ってくれよ。
あの頃あったはずの自信がないんだ。
親とかれこれ10年以上は口きいてない。
ウチは土建の自営業で、いわゆる叩き上げの社長。当然ワンマン。他人の言うことなんて聞きやしない。
イケイケでやってたけど、俺が小5の時。兄貴は親から跡継ぎ攻撃を受けていて、高専の土木科へ進学しろと言われていた。
他に行きたかった所はあったみたいだけど、結局は高専へ行った。
(ちなみにお袋はその時に『これで我慢して』と1万円を握らせようとしていた)
俺も県外に転校を余儀なくされる。友達や好きだった女とも別れを余儀なくされる。
ほどなくして、地元に帰る。前の友達とは連絡がつかない。夜逃げだから連絡先も何も捨てていったし、今と違って携帯も無い時代の話。
俺は仲悪いつもりでもないから、和解という単語もちょっと釈然としないけど、話そうという気にはならない。
面倒なことにならないように電話番号だけは教えた(以前、教えなかったら職場まで尋ねてきた)。
けど、電話に出るのは2回に1回だし出ても「あー。」ぐらいしか言わないけど。
こないだはついに泣かれたよ。「ちょっとあんまりじゃないか」とね。
それを聞いても「そう。」としか返事しなかった。
ここには書かないけど、本当にあいつらは俺の神経を逆撫でするような事しかしない。だからあまり関わりたくない。
積極的に嫌ってるわけじゃなく、相手したくないだけ。
結婚してるけど、嫁姑問題に関わらせられない事が自分の心の支え。
(ちなみに結婚式にも呼んでない)
結論としては俺がガキなだけだけど、将来的には変わるのかな?
死んでも葬式には行かなさそうだけど。
アニメなりドラマなりでよくある設定で、主人公とかの師匠格にあたるキャラクターが死ぬパターンあるじゃん。
戦闘中に死ぬとか病気に冒されて死ぬとか死に方はいろいろだけどとにかく死ぬわけだ。
で、もともと真面目に師弟関係やってた主人公であればもちろん師匠の死を受けて遺志を継ぐためにより厳しい修行するし、
それまであんまり真面目に師弟やってなかった主人公の場合、これを契機に人が変わったみたいになって修行に励む、みたいなのよくあるじゃん。
アレって現実でも必ず起こるもんかしらと思ってたけど全然そうじゃなかったね。
俺の場合、恩師が亡くなってそろそろ4年経つんだけど、自分でも引くくらいなんにもしてこなかった。
いや一応研究もどきはしたよ。名ばかりの論文書いたりちょろっと学会発表したりはした。でもそんだけ。
亡くなった直後は妙に悲壮感に駆られて、これからは立派な研究者になるんだ! とか思ってたはずなんだけどね。
存命中もロクなことしなくて呆れられてたけど、亡くなってからもなんといって心構えが変わったりしてない。
リースってのは信用があって初めて使えるもんだ
私がこれから書くことはある県の私立高校であった男子寮内での体罰の実情です。2008年の話なので一昔です。
最初に言いますが私はこの現場から逃げました。自分に矛先が向く前に逃げました(転校しました)。
凄まじい暴力にあった友人を見捨てました。本当に申し訳なかったし、クリスチャンに足を一歩踏み入れた今、あの時公に告発しなかった事にとても後悔しています。
あの時、知識があれば共産党の市議会議員団とか革新系政党の議員にでも封書を送っておけば取り上げてくれたと思います。ですがあの時の私は若く脊髄反射右翼でしたので真っ向から敵視していました。こういうひずみを正す活動に定評があることを知りませんでした。
すこし長くなりますし、文才もありません。ですが、速読でもいいので軽く読み通していただければ幸いです。すべて事実です。わかる人にはわかるようになっています。
日付は日記をつけていなかったのでありませんが単純な時系列で書いています。
私が入った高校は今時珍しく少々昭和の雰囲気の残る学校で、学校の教師も元自衛官が多く、校則も結構硬めでした。まあ人生の先輩諸氏が言う”ゆとり”を正すのには最適です。
私は2008年にその県からはるか南にある県から入学してきました。
入学の理由は頭が悪いのと、手に食をつけるような勉強がしたかったから。その学校は進学系学科もあれば専門系何でもござれの総合的な高校でした。
又、その学校の寮は新築ということもあり、私のような馬鹿の夢をふくらませるのには十分でした。
入学前のオリエンテーリングの日、すさまじい遠隔地に住んでいたので飛行機でその県へ飛び、電車などを乗り継いで学校へ向かいました。
内容は他愛もなく、入学前に学習しておく課題を渡されたのと、入学生の心得の説明を受けた程度で、その後寮で入寮希望者に対しての説明を受ける予定でしたが、日帰りということもあり、飛行機の都合で受けることができませんでした。
この時の説明を寮の友人にあとから聞いたのですが、とても威圧的だったようです。
4月。入学&入寮日。よそよそしく先輩方が寮内の説明をしてくれました。ですがなんとも言えない雰囲気がありました。よそよそしすぎたのです。
入学式の際たまたま話す機会のあった寮生の2年生の先輩に話を聞くと、「お前には言っておくけど、明日”挨拶の訓練”がある。一応気をつけろ。」とだけ言われました。
なんか妙な感じだったので少し掘り下げましたが、「今からでも先輩にはきちんと挨拶しとけば大丈夫だから。」とだけ言われただけで詳しくは話そうとしませんでした。
私は基本臆病なので言いようのない不安感につつまれつつ夜を明かしました。
翌日。授業が終わったあと寮で本を読んでいると、寮内放送で寮生の代表である3年生の寮長から「新入生は今すぐ集まるように。」と招集がかかり、新入生は急いで集会フロアに集まりました。100人は体育座りできるくらいの広い部屋です。
そこに行ってみるとびっくり。部屋が暗くなっています。
中に入ると先輩方が無言で座って威圧感があり皆戸惑いながら座りました。
長くなるので先輩方の発言は取り上げませんが、そこで行われたのは訓練が行われる前まで先輩に挨拶をしなかった奴の吊し上げでした。
吊し上げの内容を要約すると、「お前、神経図太いな。何様だ!」という感じです。先輩からの平手打ちと本気の蹴り、背中を踏みつけるなどの暴力が飛びかっていました、
寮の総責任者である、元自衛官の寮監(舎監)も黙認しじっと見ているだけでした。私は国家主義者なので国家の防人たる自衛官を貶したくはありませんが、元自衛官というのはこんな人間なんだと感じました。人間性を疑いました。
この時はこれだけでも随分とショックだったのですが後々ショッキングなことがどんどん続きます。
ただし、全てについて書くと冗長になるので私が逃げるまで複数回あった中の代表的な”ミーティング”という名の吊し上げパーティーを取り上げたいと思います。
7月。”ミーティング”が開かれました。内容は「消灯時間後にふらついた奴を罰する」という内容でした。もちろん全寮生強制参加です。
寮長が「正直に前に出てこい。俺は目星がついている。」といった具合で炙り出す方法で、全員が正座をさせられていました。
つまるところ寮長の把握している奴が出てくるまでは、全員正座のままだぞという心理的な作戦もあるわけです。
そんな状況を把握できるような人はすぐに前にでてきましたが、殴られるやもしれない場所に行かなければならない恐怖から言い出せない人もいました。Y君です。
Y君は前に出ずに、先輩にひきずり出されました。私も出歩いていたのですが正直に前に出たのでひたすらあやまって許してもらえましたが、Y君は地獄へ突き落とされます。
Y君は前科があり、何度も寮の規則に違反することがありました。おとなしいのですが、ルールを守るのが下手だったのです。具体的に言うと掃除を真面目にやらないなどです。
Y君が前にひきずり出されるまで2時間近く正座させられていました。同級生たちも同情より恨みが勝ってしまったのです。彼を皆で罰するべきだという空気が出てきました。
そして寮長が言った一言で私は凍りつきました。「おまえは本気叩かれないとわからない」。
場所を移し寮の集会フロアの隣にある講義室に集まるよう言われ、机をどかし、フラットになった部屋の床の上に正座させられました。そこで行われたのはリンチと行ってもいい凄惨なケツバットでした。
寮長が「おまえらは正座をやめていい。こいつはずっと嘘をついてお前らに苦痛を与え続けた。だれかこいつを叩きたい奴はいるか。」と言い、まずは2年や3年の先輩の一部がY君の尻を棒で思い切り叩きました。
さすがに1年生は加わらずに静観すると思っていたのですが、計算違いで、実際には「おまえのせいだ!ふざけんな!」や「おまえ気持ち悪いんだよ!」とか罵声を浴びせしまいには名乗りでて殴り始めました。少なくとも20発以上は殴られていました。
私はその時頭の中で当時読んでいた歴史として日本の共産主義運動を振り返る本(失念しました。)の内容を思い出し、その中の山岳ベース事件の”総括”を思い出しました。まさに同じような空間が目の前にできてしまったのです。
ですが私は止めませんでした、殴られる友人を目の前にして、ただ体育座りをして静観していました。自分もああ言う立場になりたくありませんでしたから。
このあとY君は保護者に寮の現状を言い、学校側にも寮内で学生同士による体罰が行われているという話が行きました。ですが結局Y君は退寮し、遠くから通学することになり、寮監は詫びの印的に解雇され、新しい寮監が招聘され着任しました。
ですが、そもそも校長が体罰をしりつつ黙認していることもあり、寮監が変わった所で”ミーティング”は続くことになります。
その中で私は寮内での発言力が強くなりました。理由は寮長や先輩と懇意になったからです。懇意になった理由は私の持っている技術的な知識を使って上級生の困りごとを解消したからです。
私は書記に任命され、寮の会議に出席することができるようになりました。それからというものミーティングの開催日時を事前に知る立場となったため、一部の寮生には議事を漏らして品行方正にするよう警告を出すようにしていました。
ですが私はその中でも恐怖でいっぱいでした。権力につくと権力の論理に取り込まれてしまうのではないかという恐怖が襲ってきたのです。
「いつかは自分が人に危害を加えないといけない立場になるかもしれない。」綺麗事を言っているのではありません。人に恨まれるのが怖い臆病な性格から出た考え方です。
私は母に電話をし、寮の現状を学校に言うように働きかけました。
寮内では「誰かがチクった」と話題になりましたが、私は知らぬ顔で生活していました。
ある日カウンセラーの教師から「話がある。」と呼ばれ、カウンセリング室で話をしました。
母から話を聞いたとのことで、寮のことについての話でした。そのカウンセリング教師が言ったことは「君は疑われるようなことをやっていないんだろ。」「それじゃあそれでいいじゃないか。」でした。
本質がまるでわかっていない発言に私は唖然としました。また、同日校長にも呼ばれましたが、「君はしっかり勉強をがんばって!」「国家資格を取れば奨学金ももらえるし、君が好きな本も買える。努力しなさい。」と全然寮の内部については触れない不毛な話し合いになりました。
私は入学して9ヶ月後の12月、寮外の友人はおろか寮内で自分と考えを分かち合った仲間とさえまともな挨拶をかわさずに、生まれた地元の進学校へ夜逃げのようにして転校しました。
転校に関しては学校同士のコンセンサスが必要なようで、出ようとした高校が私の転学に関する事務処理の段取りを無視した行動に激怒したようですが、逃げ出すために何ふり構っていられませんでした。
進学校に行けたのは、逃げ出したい思いで勉強したのと、地元の友人を通して転校先の教頭と話し合いができたおかげでした。
転校してからというもの、良い友人と理知的で議論が出来、しっかりとした社会観念を持つ教師陣に恵まれ2011年に私は普通科を卒業しました。
余談ですが、卒業した高校で友人同士の議論や教師との対話を行い、知識で武装するという考え方を手に入れることも出来ました。そして、私の持っていた思想が感情に基づくものであったことも議論や対話の中で批判され、恥ずかしながら理論武装・自己思想の体系化をするという事を恩師から学びました。これは今でも続いています。
私は2つの学校で経験した対比的な環境が今の私の生き方の礎になりました。
昨今話題になっている”教師から生徒への暴行”ですが”生徒から生徒への暴行”を組織ぐるみで学校の教師や責任者が見てみぬふりをする現状を知っていただきたくて書きました。
読んでいただいた皆様の中に何か感じるものがあれば幸いです。
戦前は政治家の警護とかやってたし、戦後は芸能・スポーツ関係のタニマチや底辺労務者の管理に携わってたよ(因みに山口組は港湾労働者の互助会が発祥)。
特に力道山全盛期のプロレス界(これは正力松太郎と東スポも一枚噛んでるけど)、演歌界は暴力団の絶大な支援を受けてると言っても過言じゃないぐらいだったし(興行の際の人手と騒動抑止の為)。
ただ警察と違うのは「業務の為なら触法行為すら厭わない」点かな。
北朝鮮からヒロポンのジェネリック薬品を「輸入」したり、夜逃げした会社の後片付けや曰くつき物件の占有とか真っ当な企業や組織じゃ出来ない事もやってのけるしね。
ただ、改正暴対法施行以降、「半グレ」って独立愚連隊的な集団が無茶してるみたいだから、そっちへの抑止力が弱まるのが懸念される所だね。
だが、上の階の人が家賃を踏み倒した上(その総額なんと300万)に夜逃げし、同じ階に住んでいる人も近くに家を買ったということで出て行ってしまった
母親としては新しく人を入れたいということで200万近い金を払って改修し、
不動産業者経由で募集をかけた
これでようやく人が入るかと思いきや、俺の母親の弟が不動産会社に「んなこと承諾した覚えがない」と文句を言ってきた
アパートの場合は借地借家法が適用されるので処分行為ということになり、弟の承諾がないとできない
だが、弟としては貸すつもりはなく、取り壊すつもりらしい
母親としてはいい収入源になるし、俺としても取り壊してほしくない
近くに大型のショッピングモールとナゴヤドームがあり、結構いいところだからだ
なんとかして弟に承諾させる方法はないんだろうか
こないだ行った精神科で初診の問診表に「家族に以下の方はみえますか」的な質問があったんだけど、
家族って言うかひいじいさんなんだけど。
死因を知ったのはつい二、三年前のことだったのでインパクトにかけてすっかり忘れてた。
母方の実家は自営の会社が倒産しておじ夫婦が夜逃げ同然で引っ越して、
そういえばその設定は忘れてたよ、いやはや。
そういえば倒産した会社の方のおじは転んだのが原因で血栓が出来て頭を手術したそうだけど、
それが原因でバイトをやめることになって、嫁さんに「もうお前なんかいらんから出てけ」って言われた、と、
母のおじ(じいさんの弟で自殺した人の息子)がわざわざ触れ回りに来たそうな。
昨日、親から「とにかく今すぐ来い」と呼ばれたので、実家に帰った。
わけがわかりません。
怒られるなら理由くらい聞いてみようと思ったんだけど、激高しちゃって話にならない。
一旦外に出たら、ご近所さんが白い目で遠巻きにヒソヒソ。
引き返してよくよく話を聞いてみると、増田が夜逃げしたので親が肩代わりしろと、闇金の取立てが押しかけてきたのだそうだ。
ありえません。
カフェでボーっとしつつ本を読むのが唯一の趣味な奴が、そんな大金をどこで使うんだ。
本人はずっと家にいるし会社にも行ってるから逃げてないし。第一、さっき連絡してきたのは当の親だ。
ようやく家の中へ上げてもらい、冷たい麦茶を飲ませてもらった。ウマー。
しばらく待っていると、親の話のとおりコワモテの取立てが来た。
玄関先で「借金返せ」の大声・・・そりゃ近所も白い目になるわ。
しれっと出て行って、言いくるめて借用書のコピーを見せてもらった。
明らかに増田の書いたものではなかったので、「誰かが増田の名前を騙った借金だから、一切払わない」と宣言した。
「息子の不始末なのに責任逃れか、ふざけんな!」というので、「増田は私だ!」というと、鳩豆状態に。
増田の名前、男でも女でもありな名前なのね。薫とか千秋とか圭とかそういうの。増田は女で、息子じゃない。
親は「子供がケツを拭けないなら親が責任を取れ」と言われたので気づかなかったらしい。
あわてたのは取立ての人。どこかへ電話をかけていろいろ説明してた。
「用事が済んだならお帰り下さい」で帰ってもらった。
野次馬に聞こえるように「騒いですまなかったな」とも言ってもらった。(警察沙汰にはしないということで)
塩撒いてたら、勇気のある野次馬が事の次第を聞いてきたので「なんか人違いだったみたいです」と言うと、安堵9割残念1割な感じでw散っていった。
「花咲くいろは」とはアニメ番組だ。Wikipediaによると次の通り。
16歳の少女・松前緒花は、母が夜逃げした事情から、全く面識の無い祖母が経営する温泉旅館・喜翆荘(きっすいそう)で住込みで働きながら学校に通うことに。
アニメに法的な観点から検討を加えるのはナンセンスであるが、現在労働基準法を勉強しているのでこの「花咲くいろは」について労働基準法の勉強をかねて労働基準法の観点から検討してみたい。ただし明確な描写はないので、以下の考察は憶測が多い。
緒花についてはそもそも労働契約が成立しているか疑問である。母と祖母で労働契約が締結されたと考えられるからだ。緒花は喜翆荘にきたときに住み込みで働くことを知らなかった。従って母と祖母の間で労働を条件に住居を提供する契約が締結されたと考えられる。しかし労働基準法によれば親権者又は後見人は、未成年者に代わって労働契約を締結してはならないとされる。 従って素直に考えれば労働契約は成立していないと考えられる。
ただ母と祖母の間で締結された労働契約が無効であったとしても、緒花が喜翆荘に住むことになったときに祖母との間で労働契約が黙示的に成立したと考えられるかもしれない。しかしその場合でも二つ問題がある。一つ目は強制労働にあたらないかという問題である。暴行や脅迫はなされていない。しかし緒花からすれば、祖母から追い出された場合行き場がなくなるので労働契約を断ることは実質的に不可能である。実質的に強制に近く問題ではないか考えられる。二つ目は労働条件が明示されていないことである。労働基準法によると労働契約を締結するにあたり労働条件が明示されなければならない。しかしそのような描写はなく問題がある可能性がある。
緒花については年齢は問題ない。労働基準法では、使用者は児童が満15歳に達した日以後の最初の3月31日が終了するまで、これを使用してはならないとされている。緒花は16才なので問題ない。
時間の描写がないのでなんともいえないが、問題がある可能性がある。使用者は、満18才に満たない者を午後10時から午前5時までの間において使用してはならないとされる。他の登場人物である鶴来民子(17才)は朝早くから働いている描写がなされている。具体的な時間の描写がないので確かなことはいえないが、問題がある可能性がある。
労働基準法は徒弟制の弊害を排除するため次の二つの規定をおいている。
民子に関してこれらの規定に違反している可能性がある。民子は住み込みで働く板前見習いであり、この二つの規定が適用されると考えられる。具体的な時間の描写がないが、民子は朝早くから夜遅くまで働いているので「酷使されている」と見ることもできる。従って喜翆荘はこの規定に違反しているのではないかと考えられる。
緒花や民子は住み込みで働いている。そのため喜翆荘は寄宿舎でもある。使用者は、寄宿舎について、換気、採光、照明、保温、防湿、清潔、避難、定員の収容、就寝に必要な措置その他労働者の健康、風紀及び生命の保持に必要な措置を講じなければならない。しかし第一話では緒花や民子のふとんは不衛生であり就寝に不適である描写がなされていて、労働基準法上問題がある可能性がある。祖母は身の回りのことに手が行き届かない民子を責めていたが、労働基準法からすれば問題があるのは喜翆荘である。
満18才に満たない者についてその年齢を証明する戸籍証明書を事業場に備え付けなければならないとされる。戸籍証明書については描写はない。しかし緒花については母親が戸籍証明書を祖母に送ったとは考えにくく、また、祖母がわざわざ東京まで出向いたとも考えにくい。そのため労働基準法に違反している可能性が高い。
両親が離婚を考えているそうだ。というのを母の口から聞いたのは1ヶ月近く前だ。そのことを友人に話したら「もういい歳なんだから、平気でしょ」という感じの返しをされたけど、そういうものでもないらしく正直まだモヤモヤが残っている。
話はそもそも10年ほど前に遡る。父方の俺の祖母がなくなった際、父は都内に土地を相続し、とある業者に貸していた。父親は自営業を営んでいたが、そのころからお得意さんはどんどん減っていっていたらしい。新しいことを始めるのが嫌いな父は特に手を打つこともなく、終に会社はたたまざるを得なくなった。
土地を貸していたその業者がほとんど夜逃げの形ででていったのは2年ほど前のことだ。父親は所得を失った。ようやく重い腰を上げた父はパートとして働き出したが、協調性のそれほどない父はやがて週1回、週末に働くくらいしかシフトを入れなくなった。それでも畳んだ会社の跡地は売り払わず「あそこには思い出が詰まっている」などと言っていた。俺の学費が出なくなりそうになって母親が泣きついてやっと手放す気になったようだった。「かじりがいのない脛でごめんね」という母のことばを聞いた俺も泣いた。
現在俺は修士課程に進学し、実家とは独立した家計を保っている。学費は実質上、親戚から借りている。生活費は奨学金やらなにやらでなんとかしている。
そんなところで、母から離婚の話を打ち明けられたのである。父は土地を売ってそのお金で口に糊することくらいできるだろうと言うが、母には不安らしい。確かに病気をしたらどうするつもりだろうか。要は、何も考えていないのだ。運動はしない、タバコは吸う、家事はできない、色々と心配な人なのだ。それから一度タバコをやめるように説得しようとしたことがあったが、隠れて吸うようになったっだけだった。そういう父の卑屈さみたいなものもあまり好きではない。自分が中学生のころも、父の精神的怠惰を口汚く罵ったことがあった。父は何も言い返してこなかったが、母には殴られた。
母は賢くて人当たりもよく、両親は不釣合いだと高校生のころからなんとなく感じていた。それでも今回の母の告白は衝撃だった。「(祖母が亡くなり、父が働かなくなってからの)この10年間、深い井戸の底にいるようだった」と彼女は言った。俺も色々と負担をかけただろう。申し訳なくて泣きたくなる。女々しくて情けないが。申し訳なるくらいなら金を渡して安心させてやるくらいの頼もしさを見せたいものだ。
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そう、現実的な問題があるのだ。金の問題だ。自分には妹がいる。妹が無事に就職してくれれば一安心なのだが、このご時世なので心配ではある。それから女の子にとって両親が離婚しているというのは何かと障害になるのではないかと思うと、それも心配だ。さらに父が病気をしたとき、自分の稼ぎで何とかできるのかそれも不安だ。父は動けるうちに少しでも蓄えておいてほしいと思うのだが。とかくお金がないと心配事ばかりで、数年前にあった野心なんか正直なところ二の次になってしまう。あほらし。
みんなお金の心配なしに生活できればいいのにね。まあ、頑張るさ。
一応血が繋がってる年上の男だったけど、兄とは呼びたくない。
親や姉が以前なんとかしようとしたけど、そのたびに狂ったように泣いて叫んで暴れた。
無理矢理外に出そうとしたけど、散髪と面接用の服のために持たせたお金は漫画だかゲームだかに化けたし、親同伴のバイトの面接なんて通るわけがない。
諭されても、宥められても、殴られてもダメ。
父は厳しい顔をしていることが増え、全く笑わなくなった。
アレ自体もそうだけど、アレをどうにかできないウチの親のことも相手方に相当印象が悪かったっぽい。
姉はそのあと暫らくして家を出て、一度も帰ってきてない。
私も卒業したら家を出ると親に言って、思っていることをそのまま伝えた。
「自分たちだけ引っ越す。あいつは家が好きみたいだからくれてやる」
それからは早かったよ。
一人暮らしじゃなく、両親と暮らす家探し。
引越し先の家のことを私と母で段取りしている間に、父は今の家をアイツ名義にしたり、光熱費の自動引き落とし先をアイツの通帳に変えたり、その他諸々の手続き。
卒業して数日経った日、最低限の家具と食器を宅急便で送ったあと、自分達も移動。
多分追いかけてこられないようにするためだろうけど、転居先は海外で、今の家は仮住まいってことになってるらしい。
なんか夜逃げっていうか、敗走するみたいな形なのが腹立たしかったけど、そこは我慢。
その後、姉に連絡。
結婚の話が出る前にこうしてやれなくてすまなかったと謝った父を許したっぽい。
一戸建てだった前よりずっと狭いマンション暮らしだけど、家の中の雰囲気が天と地ほど違う。
アイツがどうなったかは知らない。