「国家権力」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 国家権力とは

2022-09-13

素人ビットコイン世界トップ通貨になることなんて国家権力や国際金融資本が許すわけなくね?」

素人政府紙幣発行しただけで大統領暗殺ちゃうような奴らだぜ?(とはいえなんか俺のような素人想像を超えた情報工学的に鉄壁理由があるんやろ!?ぜひ聞かせてくれ!!!!!)」





この問いについに誰も答えてくれず、

なおかつビットコイン半減期近くなっても暴落から値段が戻らない現象が起こっていることに俺は大変失望している

2022-08-29

anond:20220829103927

国家権力を好き放題否定しても自分権力だけは残ると思っているのがなんともダサい

2022-08-20

周りを攻撃するってスタイルでやってるんだろうけど、悉く国家権力なのってわざと?

anond:20220820162204 anond:20220827235417

思ってないぞ

そもそもカルト(仏: secte。欧州は"セクト")の定義って話になる

 

セクト法って法律もあり明確に定義づけられてるぞ

1「精神不安定化」

2「法外な金銭要求

3「生まれ育った環境から誘導的断絶」

4「健康な肉体への危害

5「子供強制的な入信」

6「大小にかかわらず、社会敵対する説教

7「公共の秩序を乱す行い」

8「多くの訴訟問題

9「通常の経済流通からの逸脱」

10国家権力への浸透の企て」

2022-08-16

PS5の転売って何が問題なの?

PS5の転売について少し考えてみた。

前提として、市場私的独占は問題独占禁止法に引っかかる。これは転売っていうより、私的独占の問題

また、サンデルが紹介するようなハリケーン襲撃後の生活必需品転売もPS5の転売とはズレる。個人的には、生活必需品を確保することは国の役割だと思うので(憲法第25条:生存権)、生活必需品転売には国家権力を介入させてしまえばいいと思う。

PS5の転売は何も問題だとは思わない。

1. そもそもメーカー側の価格設定が適正とは限らない。「適正な価格」は市場が決める。

2. 転売屋間での競争があると価格が適正な価格に落ち着く。カルテルはもちろん独占禁止法違反

3. 転売屋も商品が売れるとは限らずリスクがある。リスクを冒して購入することも価格の決定の一環。

4. 1 ~ 3は資本主義社会一般的な話。資本主義社会では、商品が「質に見合った価格で買える」という恩恵私たちは受けていて、その恩恵無視して転売だけ槍玉に上げるのは変な話。

日本は最も成功した社会主義国家なんて揶揄されるけど、建前は資本主義国家なはず。

健全で公正な転売屋の競争は認めてもいいと思う。もし何か問題があるとすれば、それは転売じゃなくて、健全で公正な競争が行われていないことによる問題転売屋にもきちんと競争をさせよう。

社会主義者や共産主義者とか、PS5が水ぐらいの生活必需品という人が転売に反対するのは理解できる。

他に反対する理由ある?

2022-08-09

清水晶子先生の講演を読んで見る (1) 「学問の自由」の定義ってなんだろう

前置きの前置き

この文書で何が批判されているか知りたいだけの人は、一番下の節「まとめ」までジャンプ

前置き

清水先生の講演についてここ一週間くらい悪口Twitterで書いてた江口先生に、それブログに纏めてよと言ったら気が乗らないと断られてしまったので

代わりにそれっぽいものを書いてみる練習

具体的には江口先生

うまい人びとは、前に書いた辞書定義約定定義明確化定義理論定義なんかを縦横に駆使して説得にかかってきます

と最新のブログで書かれているのを、清水先生の講演を題材に自分なりにスケッチしてみる。

続き、というか中間にあたるのだが「(2) ポリティカル・コレクトネスってなんだろう」「(3)キャンセルカルチャーってなんだろう」を書くかは未定。

まり、この記事は書き起こしで言う「Part1 〜学問の自由とその濫用〜 」の検討が中心だが

最後の方で全体を対象にする前に他のPartの検討を書くべきところ、途中で力尽きている。

とはいえだいたいPart1の検討とほぼ同じものを繰り返すだけ


前提

を先に見ていることが前提。

特に江口先生ブログに書かれている5つの定義

説明はほぼ書かないので、分からなければブログを参照するように。



学問の自由辞書定義

まず、清水先生スライド提示するのが

1998年 国際大学協会(IAU)声明学問の自由大学自治社会的責任」による定義です。

学術コミュニティ構成員、すなわち、研究者教員学生が、倫理的規則国際的水準に関して学術コミュニティが定めた枠組みの中で、そして外部から圧力を受けることなく、学術活動を追求する自由

これは明らかに 辞書定義 ですね。

人びとがその言葉をどう使っているか国語辞典の載っているような形で説明している。

そして次に清水先生は、

一般的には、〜〜、というふうに考えることができる。」

「従来はそして一般的には、〜〜、というふうに理解されています。」

自分言葉でも「学問の自由」を定義します。

世間一般用法という文脈なわけですから、当然、スライド引用の言い換えに相当する語釈が、聴衆には予期される、

同じく 辞書定義 が与えられようとしているもの解釈されます

実際に与えられた定義を見てみましょう。

ある種の公の定義であるIAU声明に対する言い換えとして、清水先生による定義を読んでみると一つ気にかかるところがあります

IAU声明では「外部から圧力」となっているところが、

と非常に具体的な形になっています

世間一般用法として紹介される割には、議論のあり得るところで

「こういうのは多数派も少数派もない、学問独立って話なんですが、多数派から圧力特に抵抗しにくいので」

というふうに説明するほうが世間認識とあっているように思える。

とはいえ、ここまでならば、代表的な「外部から圧力」を並べただけ、ただの例示ゆえに言い換えの範疇であり、辞書定義のままだと受け取ることもできる。

学問の自由」の濫用としての「学問の自由侵害」への説得的定義

次に清水先生は「学問の自由」の濫用の話を始めます

ただ、ここで私が書きにくくて困ってしまうのが、清水先生が「具体的に」何を批判されているのかさっぱりわからないことです。詳しくは後の節でも取り扱います

今は、とりあえず定義の話をしましょう。

現代の誰かが主張している「学問の自由侵害」とは、〜〜だ」と、清水先生定義していると読める箇所を、少し文言修正の上、抜き出します。

見事にすべて 説得的定義 ですね。江口先生ブログで挙がっている

中絶とは、罪のない子供の容赦ない殺人である

中絶とは、女性を望まない負担から解放する安全外科処置である

などと同じ形式となっている。

ただ、読みながら何を論じているのかわからなくなって辛くなってしまうのは、

中絶の例ならば、中絶辞書定義 は共有されているという前提のもとで、 説得的定義 を用いているのに対し、

清水先生は、この文脈での「学問の自由侵害」とは 辞書定義 学問の自由侵害とは全く異なるものだと論じていることです。


(下の2節は「どう論じているのか」という細かいレトリック解説なので

批判の要点が掴みたいだけの忙しい人は飛ばしても良い。

どう辛いのかについては、「批判対象曖昧さ、具体性の欠如」でページ内検索してジャンプ。)


辞書定義明確化定義として使用することを目的とした約定定義へのすり替え

最初の節辞書定義から

これらは学問の自由侵害定義として読むことができるものであり、

先に導入された説得的定義社会的少数派の側からなされる批判や異議申し立て」とは対義の関係にある。よって等号で結ばれることはありえない。

ゆえに、「従来から論じられてきた一般的な節(辞書定義)」学問の自由ではない、という論証。

しかし、これはIAU声明にはなく清水先生が付け加えた箇所のはずですね。

先程はただの例示と見ればという限定をつけて辞書定義と認めました。

逆に言えば、「そうでなかったら学問の自由でない」というふうに使うならば、もはや例示ではなく、清水先生独自見解です。

すなわち、この時点で辞書定義として導入された学問の自由という概念

学問の自由を〜と私は定義します!」という約定定義へとすり替えられているのです。

一旦まとめると、

「よくわからないものを」「なんか悪そうに定義して(説得的定義)」、

「その悪そうな要素にぴったり当てはまらない要素を、一般的定義の中に紛れこませる(定義すり替え)」

これが清水先生レトリックです。

定義を縦横に駆使するレトリック

付け加えていえば、ここですり替えられた約定定義根拠

学問の自由とは

「力のある人たちとか多数派にとって都合が悪い、あるいはそこにとって利益にならないというだけの理由で、 研究教育を抑圧したり不当に妨げたりすることを困難にするはずのもの

という説得的定義の導入も行っています

まさに、

うまい人びとは、前に書いた辞書定義約定定義明確化定義理論定義なんかを縦横に駆使して説得にかかってきます

のものですね。

じゃあ、5つの分類の最後理論定義はどうか、

憲法23条保障する学問の自由

この一節は憲法学理論を援用しているため、少し強引ですが理論定義を示したものとも言えるでしょう。

実際、この定義根拠に「学問の自由侵害」を「なんか悪そうに定義した」説得的定義に対し

これは日本国憲法保障される学問の自由からはかなりかけ離れたもので、何を言ってるんだというふうに思われるかもしれません。

否定しています

なぜかけ離れているのかというのは詳しく述べられていませんが、

要は憲法学理論憲法原則としては国家権力監督するものであり、私人間効力の議論私人相互に大きな権力差がある場合の話である」という話でしょう。

権力差をどう捉えるか、例えば「学界から事実上キャンセルできたというのは、権力差があったといえるのではないか」というのが憲法上の論点になるわけですが、

そこを 説得的定義 から導かれる「抑圧側 VS 被抑圧側における抑圧側が学問の自由を主張している」という構図でクリアするわけです。

批判対象曖昧さ、具体性の欠如

ここまでいろんな種類の定義を用いたレトリックが使われてきましたが、

正直なところ、説得的定義から導かれる「抑圧側 VS 被抑圧側における抑圧側が学問の自由を主張している」という構図を用いた時点で

直感的にはそれは学問の自由ではないでしょうという話になります

ゆえに最も問題になるのは、そう定義されるのが具体的になんなのかです。


清水先生は「こういった言説が具体的にどう現れてきたのかご説明したい」と30分近く説明してくださっているのですが、

書き起こしを全文検索してもらえればわかるのですが「学問の自由」を直接的に濫用している例として挙げられているといえるのは、

Horowitzによる、Academic Bill of Rights (ABOR) のみです。

ほか間接的な繋がりとしては「ポリティカル・コレクトネス」「キャンセルカルチャー」の事例が話されているのですが

これも抽象的な定義操作時間を割いていて、具体的な文脈はほぼない。学問の自由とどう関係するかも全くと言っていいほど書かれない。

詳しくはそれぞれをどう定義しているのか、という点を検討する必要がありますが、

これは別の記事「(2) ポリティカル・コレクトネスってなんだろう」「(3)キャンセルカルチャーってなんだろう」に譲り、

記事「(1) 学問の自由ってなんだろう」では、直接的な例、ABORに絞ります

議論余地はない」ほど明らかなものだけ議論される

清水先生はABORを曲解して参照しているのではないか、という指摘もあるのですが、

とりあえずここは論点にせず、清水先生解説をそのまま採用します。

ABORの主張は、

ナチス政治哲学擁護であるとか、あるいは進化論否定であるとか、 そういうもの学術的に正当な主張の一つとして教えるべき」

「実際にそういうような授業になっているかどうかを、 授業内容を調査する仕組みっていうのを大学は作るべき」

学問の自由とはそういった環境で成立する。

ぶっとんでますよね。これ肯定する自由主義者いるんですか?

ナチス肯定論文を学問の自由擁護することはできない(マルコ・ポーロ事件)」じゃないですよ?

しろ、何が相手だろうと自由である肯定する、過激自由論者ほど否定する内容です。

大学ナチス擁護を正当な主張の一つとして教えるべき」、自由でもなんでもないじゃないですか

まとめると、

最終的には、そして本質的には、清水先生は「学問の自由」について議論余地のないことしか言っていません。

じゃあなんで議論になるのか。

清水先生立場からすれば、「学問の自由」の濫用だと当然問題視しているであろう例が

ある意味辞書定義のように暗黙に共有されているからです。

千田有紀と呉座勇一

清水先生にとって非常に身近な例であるはずのそれは2例あります

このちょうどいい2人については講演では全く触れない。

特に後者の呉座先生については質疑応答で「学問の自由」を求めている人として名前が挙がったにもかかわらず、

ちょっとからない」「詳しくない」「法律専門家ではない」「裁判をはっきりきちんと見ているわけではない」「労働争議であって学問の自由ではないんじゃないかなぁ」

との返事。

「そうです。呉座さんの事例こそが私が批判した「学問の自由」の濫用です」ではなく「詳しくない」。

訴訟原告の1人であるからには詳しくないわけはないのですが、文字通り解釈するならば

この「学問の自由」の濫用批判において、呉座先生の事例は検討すらされていない、ということになる。


たこの回答の続きとして、呉座のことを言っているわけではないという注釈付きで、「学問の自由では擁護できない」例が出されました。

理論物理学者の性暴力学問の自由擁護することはできない」

何を当たり前の話をしているのでしょうか。関係ありますか?

せめて多少は「学問の自由」と文脈がつながるように「酷いセクハラパワハラを長年犯してきた超一流哲学者大学から追放されたことを、学問の自由擁護はできない(ジョン・サール事件)」くらいにしましょうよ。

まとめ

文脈がわかるくらい解説をつける具体的な例については、当たり前を超えてもはや関係のない例しかさない。

それでいて、批判対象に対して一般に共有されるような辞書定義には触れないで、

何を批判しているのかも厳密には不明確なまま、説得的定義に対する抽象的な定義操作を元に議論を行う。

暗黙の辞書定義説得的定義の関連は、聴衆が勝手勘違いしてくれることに任せる。

これが、学問の自由についての、清水先生の講演の構造です。

2022-08-06

anond:20220806124802

国家権力が王と教会の元にあった時代ならそうだろうけど、今は違うわな。

2022-07-31

anond:20220731040120

から統一教会など宗教団体政治の切り離しと、詐欺献金の防止と、勧誘制限法制定まではいかないとならないんだよな。法律違法となれば国家権力に対抗する武力でも持たない限り従わざるをえないから。

信者それぞれの信教まではどうしようもないが外形的な基準で行動を縛ることはできるし当然。宗教を名乗ってれば詐欺を働いても良いというわけではない。

2022-07-28

フランスの「反セクト法」を研究するべきでしょう。

宗教教義内容を問うのではなく、外形的基準問題集団の危険性を判断するというものです。

 ーーカルト対策先進国フランス2001年に反セクト法を制定。「ライシテ」と呼ばれる政教分離制度が徹底しているため、宗教の法的定義はなされていないが、問題集団の危険性を見分ける10項目の判断基準を設けている。

精神不安定

②法外な金銭要求

③生まれ育った環境から誘導的断絶

健康な肉体への危害

⑤こどもの強制的入信

⑥大小にかかわらず、社会敵対する説教

公共の秩序を乱す行為

⑧多くの訴訟問題

⑨通常の経済流通からの逸脱

国家権力への浸透の企て

 1つでも該当すればセクト認定。反セクト法が定める法令違反有罪判決複数回確定した場合裁判所解散宣告できると規定している。

 カルト対策が進まないのは、政治家宗教団体が持ちつ持たれつの関係からです。政治家は集票や選挙中の勤労奉仕を期待し、教団側は所轄庁や税務署との緩衝材役割をあてにする。

https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/life/308659/4

2022-07-27

統一教会自民党政治思想が似てるのは統一教会汚染されてるからと誤解してる人がいるようだけど、カルト宗教政治思想なんてものはなくて国家権力に取り入るために自民党政治思想コピペしたもの標榜する団体でっち上げたと考えるのが自然じゃないかねぇ

統一教会目的家長制の維持や夫婦別姓への反対だとは到底思えないんだよね

2022-07-22

anond:20220721191404

おれが家族だったら、国家権力暴走に対して、ルールに則ってストップをかける、立派な行為だと誇るよ。

しろ法的な根拠なしに国葬へ突っ走る国会と、世論の方が感情的盲目的で恐ろしいわ。

2022-07-20

anond:20220720230648

今はともかく昔は過激共産主義的な勢力への抑止力といういわば必要悪役割を担っていたからいきなり厳しく排除とかは無理だと思う。ただ、政界国家権力財界とかから一定距離を保たせることは大事家族観や性への価値観宗教的ものを持ち込ませるのってホント時代にそぐわない。

2022-07-19

anond:20220719112241

アホくさ

じゃあDV夫を刺し殺した妻はテロリストなんか?

 

国家権力への信頼が失われたか個人暴力に頼る人が出てきた」

 

今回の事件みたいな「被害者がひっくり返って加害者になった」奴なんか大概そうだろ

たまたま殺されたのが元総理ってだけで大騒ぎしすぎじゃない?

その思慮の浅さ恥ずかしくないの?

山上の銃撃ってテロだったのか?論点

山上安倍元首相を銃撃して殺害

テロなの?

動機怨恨山上ターゲット統一教会創始者一族すべての殺害だったが、それが無理だったので第2ターゲットとして広告塔になっていた安倍元首相を狙ったといっている。

よって政治的動機はない(つまりテロリズムではない)。ただし統一教会ダメージを与える意図は当然あった。宗教団体ターゲットにしたテロとはいえるかもしれない。

個人暴力による社会変革は他の個人テロを誘発するのでは

事件統一教会と、そこに癒着していた自民党政府批判するときに一番もにょるのがこのポイント気持ちはよくわかる。

ただの怨恨事件としてみれば、こういう事件が起きることを防ぐ社会にしようという活動をするのはなんの問題もなさそう。

山上統一教会を潰すという意図を明らかに持っていたが、その方向に社会が動いていったら社会不安は増大する?どうだろうか。

ただ例えば「国家権力与党反社会的カルト宗教距離を取るべき」だというテーゼはあまりにも当たり前ではないか? これはだいたいみんな賛同できることなのにこれを進めていったら社会不安がふえる?

社会不安とは?

ぼんやり社会不安」という言葉をつかったがこれはなにか。

ここでの社会不安の増大とは、個人暴力に訴えることで問題解決していこうという人が増えること、ということにする。

でも個人暴力問題解決できることがわかっても、みんな暴力を振るうわけじゃない。だいたい2つ理由がある。


暴走自動車子供を殺された人が相手を殺したいと思ってもみんなが復讐殺人するわけではない。死刑にはならなくても執行機関妥当といえる制裁をあたえてくれる。そういう信頼があるからだ。

これだ。ここで大切なのは「信頼」ではないか社会不安を減らすのは社会は公正であるという信頼と、国家暴力とその執行機関が公正であるという信頼といえる。

なぜか?

社会執行機関がなにもしてくれないなら個人暴力に頼らざるを得なくなるから

もちろん個人の望みが反社会的である場合もこれに当てはまる。反社会的行為支援してくれる執行機関はいないはずだから。なので正確には、「公正か公正でないか」ではなく「個人の望みと執行機関規範が一致しているか」が問題で一致していない場合個人暴力的な手段にたよるしかない。

まりなにがいいたいのか?

山上犯行に及びざるをえなかったのは国や裁判所警察公安などと執行機関が信頼できなかったからではないか

カルト規制してほしい」とか「カルト活動を野放しにしないでほしい」などの当たり前ののぞみも叶えてくれるという信頼がなかったからでは?

もちろん統一教会創始者一族の皆殺は無理だとしても、取りうるオルタナティブとして「カルト規制強化」とか「統一教会国外追放」とかのまともな望みを国や裁判所がかなえてくれるという「信頼」が残っていれば、彼だってそちらに勢力を傾けたのではないか

当たり前のことをやらないほうがやばい

反社会的カルト規制強化はあたりまえのことだし、政権カルト癒着を断ち切るのも当たり前のことすぎる。

当たり前のことをやらないのであれば、国家には国民の命と権利を守るという約束憲法)があるが、それが守れていない。約束が守られないと信頼は失われる。さっきも書いたように信頼が失われると社会不安が増大する。

まり個人暴力による社会変革は他の個人テロを誘発するのでは」という疑問については今のところ因果が逆なのではないか

国家権力への信頼が失われたか個人暴力に頼る人が出てきた」

であれば国家権力への信頼を取り戻すように社会が動くのは正しい行動だろう。

それを「暴力に訴えれば社会は動く」ととらえて行動する個人が出てくる可能性はあるかもしれず、それについても社会が他の選択肢を示せるようにしないといけない。

(もちろんそれが反社会的な望みだったら無理なわけだが)

2022-07-18

anond:20220718224412

少なくとも第二次安倍政権下ではそうだったね

私利私欲自己保身のための国家権力濫用まで選挙付与されてるわけではないのに

カラスが黒いと言えない人たちが事後承認するかのごとく安倍さんを勝たせ続けてしまった

anond:20220718174807

オウムが一連の無差別大量殺人事件起こすまでは、カルト宗教のやばさってのは法外なお布施の集金モデルという認識だった

家族が誰かひとり信者に取り込まれると、一家崩壊につながる

宗教の皮をかぶった悪徳商法であり、その筆頭が統一協会霊感壺売り商法と広く認識されていた

ところがオウム事件でそれらの話題がすべて吹っ飛ぶ

国民やばい新興宗教オウム記憶が固定されてしまった

カルト宗教危険性の認識暴力的破壊活動に置き換わると公安当局監視が向かうようになる

それを逃れるため宗教は競うように国家権力に恭順を装い、政治的には保守主張を前面に出すようになる

そして政権与党ねんごろ関係となると、かつての犯罪的な集金ビジネスもなかったかのように内閣総理大臣からお墨付きが与えられたりしたわけだ

この間、被害者家族はたまらなかっただろう

anond:20220718001933

しかも左右双方にいる点がポイント

安倍さん保守的タカ派政治活動

安倍さん統一協会優遇過去トラブル曖昧にする政治活動を行う

3 その他、もろもろのお友達優遇自己保身のための権力濫用

4 今回の山上容疑者安倍さん殺害

今回の事件はこういう構造で、山上容疑者の4の動機は2によるものだった

2も安倍さん政治スタンスに基づく政治活動なのだから、それに対する暴力テロであることに違いはない

ところが、右は2、3はなかったことにしたい

安倍さん統一協会の黒いつながり、各種の不正隠蔽、そのための権力濫用歴史から消し去りたい

できれば4は1に対する反発で起こった政治テロだったとすり替えたいまである

方面からテロだったと歴史修正できれば、左を攻撃する口実にできる

それが無理ならば、4は狂人による通り魔的な事件だったとなる方が都合がいい

一方、左は3の点を重視している

いわば安倍さんによる白色テロがあったと考えているわけだ

国民不正権力濫用によって弾圧するような国家権力に対しては、国民抵抗する権利がある

ならば安倍さんへの抗議の意思表明に暴力が含まれていたとしても、正当防衛と同じように許されるべきだ

こういう価値判断が背景にある

2022-07-17

anond:20220717155824

ぼくは安倍さんが死んだのはやっぱり悲しい

しかし、山上テロ動機となった安倍さん不見識政治活動国家権力濫用はなかったことにしてはいけない

山上テロが100年語り継がれるなら、安倍さん統一協会の黒い関係安倍さん恥部も100年語り継ぐべき派かな

anond:20220717153544

暴力は許されないと紋切型の定型句思考停止するのは簡単だけど

先に国家権力濫用して国民暴力をふるったのが安倍さんという見方もできるからなあ

統一被害者弁護団から総理お墨付きを与えるような言動を取らないでいただきたいと申し入れられたところで自省してやめてれば

山上安倍さんを襲撃しなくて済んだとも言える

2022-07-16

基本的国家権力側の要人暗殺なんて偶然が重ならないと成功しないものだ。

第一次世界大戦勃発の火種となったフェルディナント大公暗殺なんかでも

突発的な予定変更があったあとに、

運転手が道を間違えたところに、

さらに偶然暗殺犯が居合わせ

なんてあり得ないことが起こったことによるものだしな。

国家権力と結びついた団体排除事実上民主的手続きは望めないわけで内戦以外に選択肢ないのでは

2022-07-13

まあでもね、前から思ってるんですよ。

学校教育自体が、国家権力操作やすい、国家運営に害しない、社会歯車になりやす人間を育成する為の装置しか無い。

からそこからはみ出した中途半端人間は生き難い、

生き難くなるように社会は作られているんだと。

 

太い実家スポンサー、類稀なる能力、それを発揮できる環境が整うなら、周りに重大な被害の及ぶ迷惑をかけないのなら、歯車から外れて1個体として生きていくのがその人にとっては生きやすいのかもしれない。

 

そうできない、社会に馴染めない人達が作り上げた社会特定宗教なんだろう。わかりやすい。罰がある。ノルマを達成しないのが悪いこと。達成すれば褒められる、救われる。

 

その別の受け皿を、どんなふうに用意するか。

俺は頭悪いからそっから先考えらんないな

そういう問題なんじゃないのかなとは思うんだけど

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