はてなキーワード: ラフとは
最近マッサージにハマってしまい、家計簿ソフト確認したら月平均1万以上使っていてヤバいな、と思った。
マッサージといっても骨盤等の歪みを治す整体ではなく、ラフィネ等の所謂リラクゼーションのほう。
主にアイヘッド、ボディケア、リフレクソロジーあたりをよくやってもらう。
初めて利用したのは5年前、家のすぐそばにリラクゼーションサロンができたので試しに行ってみたところ、手ごろな価格で個室対応で居心地がよかったため、月一で行くようになった。
手ごろな値段過ぎたのか、結局そこは3年でつぶれてしまった。
その後は同じような店を求めてジプシーのごとくいろんなチェーン店や個人店を開拓していったけど、最初の店のようなところは見つかっていない。
自分は肩こりは全くなく、週一でジムで運動しているため血流が悪くてこるということはない。むしろ「こる」という感覚がよくわからない。筋肉痛ならわかるけど。
マッサージに求めているのは、施術中のされるがままのひと時、軽く瞑想状態になるのが心地よいから。
なのであまり強くもまれるところは好きじゃない。りらくるとか1時間3千円前後のマッサージ店はそういうところが多い。
ちょうどいい指圧なのがラフィネ等の10分千円単位でやってくれるところで、本来は90分とかじっくりやってほしいけどそんなにお金かけられない。
なので、30分から40分程度でやってもらうけどすぐに物足りなくなって1ヵ月の間に2~3回ぐらい行ってしまう。
後、マッサージって意外と施術レポや感想みたいなのがネット上にも書籍でもあまりないなって思う。
まあ自分を含め人によって用途が全然違うから、感想も変わってくるだろうし意味がないのかもしれない。
文字でこんなシチュエーションを描きたいというのは浮かぶんだけど、絵が何にも浮かばない。
もやっと浮かんでいるとかそんなんじゃなくて、本当に何も浮かばない。
大ラフで描いてみても浮かんできてないからいいのかどうかすらわからない。
もう、描かない方がいいのかな
使い古された概念が半ばインフラ化したというだけで、増田の判断も別に間違ってない。
正直仮想空間内で云々なんてものは2000~2006年付近の一大ムーブメントであって、やがて仮想空間ガジェットで何を訴えるか、どんなふうにその仕組を利用するかにシフトした。
今は案外と現実に馴染んでいない事がわかり、結果的にVRも流行ってない。
ARはこれからだが、本格的な流行をもたらすには裸眼でホログラフィックが見えるようになることだと思う。
物語上の思考実験はともかく、人間という動物として仮想空間は不健全な感じがする。
ちなみにSAOのフラクトライトの概念は昔ファミ通(ファミコン通信時代)でそれに似た小説が書かれていたし、そんなに珍しいものではないと思う。というかあのファミ通の記事ですら多分何かのSFの模倣かもしれないけど。高度に発達した何かが宇宙を生み出すとか神になるとか割と誰でもたどり着きそうな話ではある。
キャラクターイラストを描くのが趣味だ。そしてお絵描きしてると色ぬりも付いてくることが多いわけだけれど、色ぬりが苦手である。キャラクターのポージングとかについては理想が見えるからそれに近づけていけるけど、色ぬりの理想が見えない。正確には、理想は見えるのだけれど、その理想のレベルが低すぎる。
デジタル塗りが一般化してからキャラクターイラストの色ぬりのレベルが物凄く一気に上がったと思う。
二十年前のキャラクターイラストの塗りは、固有色がそのまま塗られてて、それに対して陰とハイライトが適切に入って、固有色の配色が魅力的なら上手に塗れているというものだった。けれども今は上手に塗るだけじゃ足りない。印象派が独自の色使いで一気に絵画の世界を変えたみたいに、デジタル塗りが一般化してから色使いの幅の振れ方が一気に広くなった。
これは、デジタルで色が塗れるようになったことにその要因がある。技術的な要因がこのブレイクスルーを起こしたのだ。
絵の世界にデジタル技術が持ち込まれた時に何が起こったのかというと、描き方の自由化が起こった。
アナログ時代の絵の描き方は、メソッドがかなり固定されていた。まずラフを描き、下描きを描き、ペンを入れ、色を塗った。その色の塗り方も、まずは広いところから薄い色で塗り始め、少しづつ濃い色で細かいところを塗り進めていくのが基本だった。
この手順は前後したりは出来なかった。なぜならアナログは、『やり直せない』からだ。
でも、デジタル時代の今は違う。まず色ぬりから始めてもいい。ペンは後からでも入れられる。むしろペンを入れない表現もある。自分のイメージが完成するところまで、いくらでも『やり直しができる』のだ。
加えて、そうした技術が人のイメージする力を引き上げているようにも思えるのだ。
さて、自分の絵の話に戻ると、私がもし二十年前に今の色塗りができていたのなら、それで満足できていただろう。キャラクターの色を上手に塗る以上の表現など、めったに見つからなかったのだから。でも今は違う。
単にキャラクターの色を上手に塗るだけではなくて、表現として華やかな色使いをしているイラストがたくさんある。それらと自分の絵を比べると、足りない、と感じる。だから、私もイメージする力を引き上げなければならない。
頑張る。
もう10年以上、Twitterより昔に流行ったmixiからの付き合いの知人Aがいる。
Aは絵も書き字も書くが、申し訳ないがAの絵はお世辞にも上手いとはいえない。
鉛筆で薄い線を描いたようなラフ画が完成形のようで、トーンや着色もない。
まるで小学生か中学生がノートに走り書きしたようなイラストだが、本人もまた私と同じように一次創作をして楽しんでいた。
私は年間5回くらい、Aは1回くらい即売会に参加をする。すっかり顔馴染みで、Aは私が発行した小説同人誌を毎回買ってくれていた。
私自身、Aのイラストは稚拙で好きでは無かったが人間性は嫌いではなかった。悪い人ではないからだ。
Aはいわゆる「うちよそ」が好きだった。
自分が産み出した創作キャラ(うちの子)と、他サークルが産み出した創作キャラ(よその子)を一つの物語で共演させるものだ。
積極的に交流する創作者なら楽しめるかもしれないが、私は「うちよそ」が嫌いだった。
自分が書く物語や世界観が好きで一次創作を書いているので、余計なものを入れたくなかった。
あるとき、私が刑事が主役のミステリー小説を発行したときにAが本を買ってくれた。
コラボ=うちよそであることは明白だったが私はやんわりとその場を誤魔化した。
その時にAは私の作品に出てくるキャラクターのイラストを描いてくれた。
既に私の作品には絵師さんが存在したが、似ても似つかない稚拙なラフ画だった。
Aはまた買ってくれたが、「今度、私のアイドルとあなたのアイドルでコラボしたいですね」
また言われてしまった。そんなにうちよそがしたいのだろうか。
Aは自作アイドルの紹介文を送ってきてくれたが、Aが書くアイドルはプロデューサーさん系で私が書くアイドルは握手会系、アイドルとはいえ系統が違いすぎる。
私はいつかとその場をはぐらかした。
それから暫くして、今度は私がロボット物のSF小説を発行した。
Aはまた買ってくれたが、「今度、私のロボットとあなたのロボットでコラボしたいですね」
ミステリーでもアイドルでもロボットでも、Aにとってはコラボ出来れば何でも良いのだろうか?
結局これらのコラボ依頼は全て断った。
私の作品が読みたいのではなくコラボのために私の同人誌を買ってくれているのなら、金輪際スペースには来て欲しくないくらいだ。
最近、Aが個人誌の新作(SFロボット物)を出すとのことでゲスト原稿を依頼された。
・今回発表するのは1話ですらない0話で、キャラクターや世界観を紹介するだけの本
上記の内容でAの作品の二次創作小説を書いて欲しいと頼まれたが無理な話である。
1話すらない、世界観も主人公の風貌も一人称も不明な作品をどう書けというのだろうか。
そもそもAは自分が提示した資料で物語が書けると思っているのだろうか?
寄稿の話は断った。
Twitterで私が○○というスマホゲーを始めたと呟くと、Aは「フレンドになりませんか」とユーザー番号をスクショして送ってくる。
Twitterで私が★★というスマホゲーを始めたと呟くと、Aは「フレンドになりませんか」とユーザー番号をスクショして送ってくる。
そんなにスマホゲーを通して交流がしたいのだろうか。何のために?
元々私はAにユーザー番号を教えておらず、今もAをフレンド登録はしていない。
先日、そんなAをTwitter(私が世間話をしている鍵アカウント)からリムーブした。
Aも鍵アカウントなので影で私のことを言われているかもしれないがどうでもいい、Aは他のフォロワーとコラボなりゲスト原稿なりし合えばいい。
10年の付き合いが何だというのだ、今の私は解放感に満たされている。
ちなみにAからは私のサークル情報だけを呟く公開アカウントをフォローされているが、サークル情報なら勝手に見ればいいと放置している。
もしも今後私が即売会に参加したらAは姿を見せるのだろうかと密かに気になっている。
この10年、コラボやスマホゲーのフォローに再三応じなかった私へ何度も声を掛けてくれたAには多少感謝している。
Twitterで色々な意見を読んでいて、多くの点がこんがらがってないか?と思ったので書きまとめる
読みやすいように書いてないから読みにくいとか知らん 私が一番読みにくいわ
世界的には「パラフィリア 性嗜好障害」と断定されている。ただ、「忘れ物が多い人が全員ADHDである」ということではないのと同じように、小児への好意や性的な欲求、加害性などの諸々を鑑みて治療が必要か否かを判断するのではないだろうか。
「人を殺しまくるゲームが好きな人は全員現実でも人を殺したいと思っているのか」と同じ問いだと思う。
全員がそうでは無いし、そうである人もいる。単純にイコールでは結び付けられない事柄。
小児性愛は言ってしまえば特殊性癖でしかなく、社会に認められはしないものである。
それは、未成年に手を出すことは法律上犯罪とみなされているから。
ただ、個人の趣味嗜好を制限する権利は誰にもないため、小児性愛を抱えること自体は悪では無い、と私は思う。
もちろん、子を持つ親は小児性愛者が犯罪者予備軍のように見えると思う。我が子の身に降りかかりかねないことだからね。
だからこそ、あのレポ漫画はひっそりと仲間内で喋る程度に収めておくべきだったと思うし、「ラブドールいいぞ!!犯罪する前に買え!」という文章はまずかった。
あれだけを読んだ人は「この人はラブドールが無ければ罪を犯す人である」と思ってしまう。どれだけ作者が「現実に手を出しません」と言ったところで信憑性は薄くなってしまう。
ゲームで人殺してるんだ!現実で人を殺さないために!って言われたところで安心する?無理でしょ こいつヤベー奴だと思うでしょ
結局「小児性愛は社会からそう捉えられている」というのを認識できなかった点で落ち度があると思う。
仲間内でひっそり楽しむべきものなのか、公に喋っても大丈夫なものなのかを考えるべきだったのでは。
そもそも性的マイノリティというのは、マジョリティから外れたマイノリティの話で、それが性的嗜好、性自認などのタイトルが付いていること。(だと思っている)
なので広義的に捉えれば、社会的なマジョリティからは外れているという意味で小児性愛も性的マイノリティとすることは出来ると思う。
ただ結局、「未成年に手を出すことは犯罪」である社会で未成年に好意を抱くということの危うさは同性愛にはないと思う。(もちろん男性が男児に手を出したら同性愛だろうが犯罪)
もちろんこの理論は「同性愛が犯罪ではない」という社会でなければ成り立たないのだけれど、なによりは対象者が「大人が守るべき未成年者」である点ではないか。
対象が未成年だからってだけで犯罪とされるのか!未成年もひとりの人間!自由!って思う人は児童婚の実態とかを調べてね。
判断力のない幼い子どもを自分の欲求のために利用することがどんな事なのか目の前の箱で検索してね。
だからこの「小児性愛は同性愛と一緒」という意見は「社会に犯罪とみなされてきた性的嗜好」という点でしか見ていないのだろうと考える。
「なぜ小児性愛は批判されるのか」「なぜ同性愛は批判されるのか」に対しての回答は別物なのに…
と
ここまで書いたけどこれ「未成年者に手を出してもいい」と本気で思っている人には理解できない文章だよなぁ
未成年に本気で手を出してもいいと思ってる、未成年は守らなくても良いと思ってる人には分からないよな
結局「小児性愛は違法」という考えは「未成年に手を出してはならない 未成年は守らなければならない」という前提意識がないといけないので…
分からなくなってきたので一旦切る
追記すると思う
分かったかも
同性愛はそもそも「性的マイノリティ」と名付けされているだけで本来自由なものであるべきだし、公にしていいものなんだ
だけどペドフィリアは違って、行えば犯罪で好意を伝えたとしても人権侵害になりうるんだ
ぶっちゃけ未成年に手を出しもいいと思ってる奴は実際に手を出すんだよな
結論として
・ぺドフィリア自体は悪では無いけど、それを公にした時の反応を考えるべきだった
・実際には手を出すな
だな
セクションの付け方を教えてくれてありがとう心優しき人
→お金をYouTubeに支払うことによりコメントを目立たせることができる
→路上ライブをしている人の前に置いてある箱に金を入れるようなもの
(YouTubeは手数料が高い、配信サイトとの独占契約、Patreon等の活用、企業からの案件)
→日本の有名YouTuberは動画メインの活動が多くアフィや広告収入がメイン
(動画でもプレミア公開という機能を使えばスーパーチャット可)
→伝え聞く限りYouTubeが3割とって残りを運営と本人が契約割合で分配
(だいたい運営手数料引いてから50:50が相場という噂が流れている、もちろん税金も)
・他の主な集金方法
→月額でのメンバーシップ
(メンバーのみの特典があったりなかったり)
→口座を公開して振り込み
→グッズ販売
→オフ会
・キャバクラじゃねーか
その可能性はあるしまだ集計されてないだけかもしれないこれから見えてくると思う
・金額がすごい
ほとんどの配信が無料で見られるので環境さえあれば見られるのに
なぜ払うのかというと純粋にその人の活動が好きで応援していてその足しになればという人も居れば
また、スーパーチャットを利用して配信者や視聴者を盛り上げることで満足しているような人も居る
配信者に限らず芸能人、本、映画等々好きなものに関わってる人にもっとお金を払いたい
もっと活動を続けてほしいもっと自分を知って欲しいと思っている人も居れば
あの人が無料でやってるんだから皆無料でやるべきだという人も居るので
何にどれだけの価値があるかという結論は個々で出して他人の価値観には干渉しないのが良いと思う
相場がもし決まるなら映画や本のように業界が大きくなった頃かもしれないけど
そうなると映画や本同様余程売れないと活動が難しい世界になっているかも
グッズ等々の金額は有名どころだとだいたい横並びになりつつある
自分はグッズやイベント、クラファンにはお金を出すし活動を応援してるけど
この手の話マジですごい多いんだけど、他人の評価期待するなら辞めた方がいい。支部かもいかに多くのコンテンツを「消費(流し見)」させるか、みたいなUIになっているし、どんどん消耗していくと思う。
感想貰いたいなら、感想もらえるだけの作品を作ればいい。それだけだと思う。
公式からお借りしたキャラクターを、自分が考えた物語、構成、見せ方の中で如何に尤もらしく、それらしく、それでいて自分の心に刺さるように書くのか。
自分の性癖を公式からお借りしたキャラクターに押し付けるんじゃ内容がなくなるし、キャラクターとの整合性も取れなくなったりする。結構こういう同人誌多いから読んでて残念なことが多い。まあでもこれは別の話か。
じゃあお前はどうなんだって、ジャンル変える度に名前もアカウントも作り直しているし、毎回マイナーCPかつ分厚い文庫サイズの小説で活動しているから本が捌ける数は相当少ない。少ないけど、本の捌けた数に対して50%あるいはそれ以上感想はいただけている。
どうしてもらえるのか?
まずはツール面だけど、メールフォームと匿名ツールの2つを使っている。メールフォームは連絡先未記入で匿名でも送れるようにしてあって、こっちは「返事を公開されたくない」あるいは「文字制限を気にしたくない」人用。もうちょっとラフに使用できるのが匿名ツールで、そちらは感想をいただくと返信するようにしている。もっとラフなツールならweb拍手とかあるじゃん。そういうのを使えばいい。読者が何かをする、っていうハードルを下げられるだけ下げればいい。
でも、感想をもらえる理由はやっぱり結局は作品の内容なんだと思う。
ページ数はやたら多いのに内容が薄かったり、公式のキャラクターや自分の考えるキャラクター像との乖離があったら、そもそも最後まで読んでもらえない。
冒頭に書いた通り、いかに「尤もらしく」見せるのか。
そして、これを前提に、自分の強み(というか、こだわり)を最大限押し込めた作品を作る。
私の場合、それは物語の構成。表現力とか全然ないけど、ラストまで読んだときに読者の感情が揺さぶられるか、を大切にして物語の構成を考えている。
だから感想をいただくときもそこに対する言及が多い。「〇〇だと思ったけど、最後はーーー」「中盤に出てきた××が伏線だったなんて――」みたいな。
自分で書いたものを一年経ってある程度忘れた頃に読んでも「面白い」と思うから、多分読んでくださっている方々は面白いと思ってくれているんだと思う。
感想がもらえないって嘆くのであれば
・魅力的なコンテンツを生み出す(これの方法論はググればwebにも沢山あるし、書籍だって出ている)
あとは飛び道具として「感想くれたら〇〇」っていう何かを用意するのもアリだけど、そこまでして感想をもらいたいのか?とも思う。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/blog.kyash.co/entry/2020/08/12/092539
あかんよなあ。
エンジニアが本番DBにアクセスできるのはしょうがないかなとも思うけど
聞いた話では管理画面にいたってはほとんどの社員にフルオープンだとか。
”どこで何買ったか”って図書館の貸出履歴以上に取扱注意な情報だと思うんだが。
社内に閉じてるとはいえそんな気軽に誰でもアクセスできちゃだめでしょ。
ついでに言うとこの記事に書いてるチーム構成もヤバイと思った。
これ入社2年目でシニア扱いってことでしょ。他の二人は半年にも満たないし。