はてなキーワード: ブラックボックスとは
能登半島地震の対応も、その可否はともかく批判材料になっているようだ(個人的には対応は問題なさそうだがパフォーマンスが弱いと感じる)。
こうなってくると次の衆院選で政権交代が現実味を帯びてくるが、当時政府内の下の方に居た者として、この点だけは改善してほしいところを書いておこうと思う。
民主党政権当時、内閣府参与として政権に参画していた、社会運動家の湯浅誠さんと言う人がいる。
自身の行っていた取り組みに一区切りがついたということで辞任されたが、その際次のようなインタビューが行われている。
「90年代にホームレス問題に関わっていたころ、社会や世論に働きかけて問題を解決したいという思いはあったが、その先の永田町や霞が関に働きかけるという発想はなかった。こちらが投げ込んだ問題は、ブラックボックスを通して結果だけが返ってくる。『政治家や官僚は自分の利益しか考えていないからどうせまともな結論が出てくるはずがない』と思い込み、結論を批判しました。しかし参与になって初めて、ブラックボックスの内部が複雑な調整の現場であると知ったのです」
ブラックボックスの内部では、政党や政治家、省庁、自治体、マスコミなど、あらゆる利害関係が複雑に絡み合い、限られた予算を巡って要求がせめぎ合っていた。しかも、それぞれがそれぞれの立場で正当性を持ち、必死に働きかけている。「以前は自分が大切だと思う分野に予算がつかないのは『やる気』の問題だと思っていたが、この状況で自分の要求をすべて通すのは不可能に近く、玉虫色でも色がついているだけで御の字、という経験も多くした」
要するに「リソースが有限なことや施策を動かすと別の部分に影響が出ることに気づいた」ということだろう。
当時某省庁で課長補佐をしていた俺はこれを読んで激怒した記憶がある。「そんなことにも気づかずに役人にあれこれ指示していたのか」と。
何故か。彼らが政権運営に入ってきた時、東寺の民主党政権は、こういった参与がいる場合には、関連施策について参与の了解を得ることが必要となっていた。そして彼らは、「リソースが有限なこと」に気づかずに官僚を絞め上げていたからだ。
曰く
「たった◯億円の予算くらいなんとでもなるでしょ」
彼らは社会運動家だから、自らの関心のある社会問題が解決さえすればそれで良いのだろう。ただ、そのやり方を政策パッケージに持ってこようとしていたので現場は大混乱になってしまった。
当然だが、予算を持ってこようとすると他の予算を削る必要がある、あるいは眼前の社会問題を解決しようとすると他の社会問題に悪影響である、そんなものはゴマンとあり、官僚たちはそのバランスの中で生きているわけだ。
それを引っ掻き回した挙げ句に、「複雑な調整の現場であると知った」と言って去っていった。当時恨んでいた人は多いと思う。
だが、そこで民主党政権と同じことを繰り返し、悪夢の民主党政権の再来、などと批判を受けることは避けなければなるまい。
そのためには、「何故今そのようになっているか」「何故部下の役人はこの案を提案しているのか」というのを立ち止まって考えてもらいたい。
まぁゼンブ妄想なんですけどね
そっすね
動作として"入ってるデータのみ"を使った出力ならば、盛り込んだデータ数に関わらず「引用部分が従である」が成立しないので引用が成り立たないという話。
「学習モデル」って書き方は混乱するか。ここでは生成過程に注目していたので「モデルデータ」とかにしたほうが分かりやすいか。後で書くけど「すり替えて」はおらず「学習する段階の話」ではない
AIは新たに自分の頭で考えた要素を付け足さず、モデルデータから選んで切り貼りする以上の動作を行っていないので「著作物を引用した新たな著作物」とは言えず「転載物の集合体」として扱える(と考える)。モデルデータの中身が全部無断で使われた著作物なら、モデルデータの中身が6組なら無断転載6件、100億組なら無断転載100億件ってこと
なんで引用かそうでないかを考えたのかは「引用が成立するなら権利侵害ではない」は無断転載か検証するにあたりだいたい確認するから
多分「学習と引用をすり替えてる」前提に立ってこれを書いてて、かつ「AIの学習は人間の学習と同じ」にこちらが乗っかったからめちゃくちゃ面倒くさいことになってると思うので、もう「AIの指す"学習"と人間のやる勉強とかの学習は全く別」って観点で話進めるね
「著作物だけでイラストの描き方を学んだ」場合というかだいたいがそうだと思うが、絵の描き方を勉強する過程でサルまねやトレースを行う行為自体は著作権法では制限してない。トレパクとか模写自作発言とか無断転載(+自作発言)くらいの事態が起きたら著作者の権利を侵害した行為として評価がくだる
"画風パクり"が著作権含めどの権利を侵害してるのか?みたいな話は生成AI以前もたまにやってたが、だいたい特定の絵についてトレースや模写をしてなくて"参考にした画風の持ち主の名を騙っていない"ならとくに問題なしという結論が出たはず
じゃあ「生成AIは画風パクりだからセーフやろ」という話が上がってくると思うが、これは先に上げた「転載物の集合体」であることを考えれば"画風パクり"とは全く違うものであるので、画風という観点で判断してはいけない
AIに便宜上"学習"(Training)って言葉を使っているのでややこしいのであって、いわゆる学習モデルも実態は「入力パラメータ用ファイル集」なので"学習の成果"とは意味合いが違う
かなり前の方の増田でやった「学習モデルの再頒布禁止」という話については「生成AIを動かすために学習モデルを作る」ことは権利侵害にあたらないが「無断転載素材入り学習モデルの頒布」はガッツリ権利侵害だぞって話(これに"学習"って言葉つけないといけないからややこしい)
ただ生成AIのシステムもコンピュータープログラムである以上「プログラム動作時のデータ処理の流れを追うログ出力コードを盛り込むことは不可能」なんてことはない
だからそんなことできないの
まさかそちらから具体的なアルゴリズムの名前を出してくるとは思わなかった
ニューラルネットワーク(以下NN)の内部動作は、人間が指示を出してNNから返された出力を見て「どんな考え方したらこんなアイデア出てくるんだよ思考回路マジわからん」というのがだいたいなので、これも便宜上「ブラックボックスだね~」と言っているにすぎない
NNがたとえば古代アステカ文明の遺跡から発掘された謎の箱をパソコンに繋いだらAIになったとかいう代物なら間違いなくブラックボックスと呼んで差支えない
だが実態は"アルゴリズム"なので、NNはなんでも作れる不思議な箱ではなく、入力層・多層の中間層・出力層を設けた計算手順にすぎない。NNの参考書読んで人力で計算しても(時間かかるし高難易度関数のオンパレードだが)再現可能ではある
参考にしているStableDiffusionも動作原理もアーキテクチャも明らかなので、人間に再現不可能なブラックボックスではない。プログラムを実装してるのがエリートのプログラマであるってだけの人間だし
この言い方では「人間がそう指示を出せば"既存の絵とそっくり"な出力ができる」から事例次第では権利者が訴え出られるとも考えられる
動作として"入ってるデータのみ"を使った出力ならば、盛り込んだデータ数に関わらず「引用部分が従である」が成立しないので引用が成り立たないという話。
意味わからんのだけど、著作物だけを学習させることが問題ってことか?著作物以外の要素が入ってればセーフ?
それ、著作物だけでイラストの描き方を学んだイラストレーターは著作権違法ってことになるけど大丈夫か?
ただ生成AIのシステムもコンピュータープログラムである以上「プログラム動作時のデータ処理の流れを追うログ出力コードを盛り込むことは不可能」なんてことはない
だからそんなことできないの
ニューラルネットが内部でどう動いてるかなんてのは未だにブラックボックスなわけ
分からないなら黙ってろよ
「税はどこに行ってるのか」「税はいくらあって何に使うのか」を毎年決めてるのが、国会である
国会は基本ホームページで公開されてるので議事録や録画を誰でも見られる。
君には大きな勘違いがあって、増税議員とは、君たち国民に奉仕する人たちである。それは法律にも記載されていて、彼らは君たちに行動を起こされたり強く求められた場合、奉仕しなければならないルールがいくつもある。彼らは君たちを無視できない。
大抵の議員というもの、国というものは、そもそも予算を適正に運用しようとは思っていない。次も議員になれるだけの票をくれたり政治活動支援をしてくれる「支持者」に、来年も支持してもらわなければ、次も議員になれないから。
いくら高潔な政治思想があってもなくても、議員になれなきゃ意味がない。
普通の国というのは、上のルールを使って、本来は支持者のためにしか動かない議員に圧力をかけて、国民全体のために行動させようと要求しまくる。税を適正化させる。ブラックボックスにして言いたがらない議員に、透明化させる。デモやストライキは分かりやすい。100万人パレードとかも聞いたことがあるだろう?
支持できる思想の議員を選び、票を入れ、投票率や政治への関心が高い高リテラシーの国民によって選挙が正しく機能すれば、支持者よりも一般人に向けたまともな政策を打ち出す方が議員になりやすくなる。
やり方は色々。
日本はダメだと言いながら、行動しない勉強しない政治的怠慢をし続ける国民は本当にダメだと思うね。
素晴らしい政治家がいても活躍できないのはバカな国民のせいだよ。国民が政治をしないせい
何年も通らなかった住民監査請求が通る程度の不備が認められ、表3と言う裏帳簿により請求人の要求は退けると言う体裁を保ちつつ、それでもがっつり表3の不備を勧告された事を意味がないと取るのはおかしいでしょ。
これは総合的に言って、暇空の指摘通り会計に不備があり、全てデマと言う指摘こそ覆された事になる。
これは十分に大きな事で、左派メディアや共産党やらが逆の立場だったら間違いなく執拗に突っ込んでモリカケ問題よろしく大問題にする話だぞ。
あと、暇空の最大の公益と言えば困難女性支援法有識者会議の解散だろうね。
レス増田が知ってるかどうか知らないけど、暇空の言う公金チューチューはここから産まれたようなもんだ。
誰もColaboに突っ込まず、困難女性支援法の有識者の中心メンバーとして仁藤さんが居続けて、その意見がそのまま通り、困難女性支援法が正式に稼働していたら…今日の様子を見るに日本共産党を初め左派メディアも党派性からその中身には触れなかったろうし、ガチで公金チューチューが完成していた、なんて事態になってたかもね。
まあ、常識的に考えたら流石に行政に弾かれるほどに酷い内容だったのだけど。それでも有識者として集められた面々だからその中で民主的なルールに則って決めましたなんて体裁を整えられていたら、どんな内容であれ通っていたかもしれない。
知らなかったらググってみてね。困難女性支援法有識者会議 仁藤構成員とかで出てくるんじゃないかな。
ざっくり言えばスタッフ含め個人情報保護の観点からあらゆる事業内容はブラックボックス化するけど行政は金を出せと言う話だよ。
困難女性支援法に携わる事業者はColabo等有識者が認めた女性代表の業者に限りますとかね。自分たちの王国でも作る気だったんだろうか。もしそんなものが全国展開してたらと思うとゾッとする。正確な公金の流れが益々わからなくなりそうな話だった。
また他にも、これまでオンブズマンや共産党、マスコミが使役していた情報開示請求や住民監査請求と言った市民の権利を本当に一個人で使って動いたと言う事の意味も大きかったろうね。
一般人がネットの出現で情報発信力を持つのと同じように、個人が行政の公金事業やらを監視できる流れを後押しする事の意味は、これも本来なら左派こそ迎合する流れに他ならないと思うんだけどな。
暇空には非公益的な個人への過失も広く知られてる通り十分にあり、それはそれで暇空の責任なのでしっかり裁かれれば良いとして、見る角度を変えれば公益性は十分ある。
仁藤さんにも色々と挙げたように何やかんや公益に反する過失がありながらも見る角度を変えれば女性支援者のエキスパートとして実績があり、それで救われた人も居るんだろう。困っている人物を救っていると言う公益性は簡単に否定して良いものではない。
要は公益性が全くないなんて見る角度が悪いだけの話でしょう。
次の文章を眺めてみて欲しい。
『まず第一に、二十世紀に係れたミステリ作品と違って、狂気や妄想を、いわゆる正気の論理で枠囲いされるものではない。第二に、以前の小説作品と大きく違って、可能世界へと分岐する「相対的」な論理を、それが作品内で主題化されないほどに内在的なものとして組み込まれ浸透しているからである。』
インターネットぶつかりおじさんにカンパし、一度ブロックされて解除された後2023年10月の今に至ってもなお彼やその賛同者の多くをX(旧twitter)でフォローし続けている、推理小説作家・評論家小森健太朗の著作「探偵小説の論理学」269ページから引用した文章である。
氏のSNSにおける華々しい戦歴の説明は割愛する。冒頭で引いた氏の文章を眺めることからはじめ、氏のSNS上における無数の陰謀論傾倒の人生、ひいては暇アノン化する文化人やネットユーザたちについてなんらかの理解を得ることができないか見てみたいのである。
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『まず第一に、二十世紀に係れたミステリ作品と違って、狂気や妄想を、いわゆる正気の論理で枠囲いされるものではない。』
主語がないのは先に出ているからである。一つ前の文の「西尾維新の作品」がこの文の主語である。そして、この第一に~第二に~というのは疑問に対する答えの列挙である。
『それではなぜ、なぜことさら西尾維新の作品を様相論理と親和性のあるものとしてとりあげられるべきなのか。』
冒頭の文の一つ前に置かれたこの文がその問いである。なぜ「それでは」なのかというと更に一つ前の文で↓のように認定しているからである。
『様相論理一般が、それらの作品により適合するのではなく、われわれの住む世界にある論理、どの作品にもある論理一般において様相論理は適合性を有している』
つまり、著者はこの箇所で「西尾維新の作品こそ様相論理が合う」と言いたいのである(なお、『様相論理は適合性を有している』だとか『様相論理と親和性のある』とかいう語句の意味は不明)。
それを踏まえた上でも文の後半は日本語がおかしい。いやそもそも『それではなぜ、なぜことさら西尾維新の作品を様相論理と親和性のあるものとしてとりあげられるべきなのか。』の「‥‥作品を~~とりあげられるべきなのか」という文も変なのだが。受動態ならば‥‥作品が~~とりあげられるべきなのかとすべきであろう。とはいえ文意は理解できている(と信じたい)ので無視しよう。
・(西尾維新の作品では)狂気や妄想が、いわゆる正気の論理で枠囲いされるものではない
・(西尾維新の作品は)狂気や妄想を、いわゆる正気の論理で枠囲いされるものとしていない。
引用した文のある段落の一つ前の段落で、彼らの作品における狂気の取り扱い方について『現実の正気の論理が前提として背後にある。狂気や、いわば正気の世界に枠囲いされる形で、際立たせられる』と説明されている。この書き方ならば前世紀に書かれたチェスタトンや泡坂妻夫らのミステリ作品との違いを述べていることが明確である。
なお別の案として、第二に~の述語に繋がっていると見ることもできる。が、そうして読むと能動態・受動態が変になるのである
・『二十世紀に書かれたミステリ作品と違って、狂気や妄想を、いわゆる正気の論理で枠囲いされるものではない』‥‥『ものとして組み込まれ浸透しているからである』
この能動態・受動態が変というのが引用の二文目の問題でもある。
例によって主語だが『‥‥組み込まれ浸透している』の主語はなんだろうか?そもそも『組み込まれ』『浸透している』は同じ主語を持つのだろうか?候補は『西尾維新の作品』と『可能世界へと分岐する「相対的」な論理』の二つである。
『西尾維新の作品』は『組み込まれ』がおかしいのは‥を組み込むという能動態に直せば明らかである。『西尾維新の作品』を目的語とした「西尾維新の作品を組み込んでいる」には意味を見出すことは不可能である。
『西尾維新の作品』は『浸透している』は、意味としてはありえる。だが使えるのは読者の認知度などを述べる文脈などであり、どこに浸透しているとかいった説明の無いこの文では意味を持たないであろう。
すると『西尾維新作品』は、『西尾維新の作品では』という句であり、主語は『可能世界へと分岐する「相対的」な論理』と見るべきである。これならば受動態能動態を変えても意味が通じるであろう。
・(西尾維新の作品では)『可能世界へと分岐する「相対的」な論理』は‥‥組み込まれ浸透している
・(西尾維新の作品には)『可能世界へと分岐する「相対的」な論理』が‥‥組み込まれ浸透している
いけそうである。しかしそう理解すると今度は九段の文の書き方があまりにも奇妙に見えると言わざるを得ないのである。
『(西尾維新の作品では)可能世界へと分岐する「相対的」な論理を、それが……組み込まれ浸透しているからである。』
「を、それが」と書いた理由はなにかあ在るのであろうか‥‥???「‥‥を」とするならば「それが」をそこに付けず「組み込み、そしてそれが浸透している」というようにすべきだし、受動態のまま「組み込まれ」を使いたいならば「を」をなくして「‥‥が~~組み込まれ浸透している」と書くべきであろう。なぜここまでねじくれた、好意的に見て文法違反スレスレで読みにくい書き方をしているのだろうか‥‥???著者も校正者もなにかおかしいと思わなかったのだろうか???
余談だが、様相論理において可能世界ごとに分岐(というか異なる)のは、命題への真偽値の割り当てであったり個体領域である。それらは一般的にいって「論理」と呼ばれるものではない。このあたりも意味不明なのである。ようはポストモダンにおける科学の誤用濫用の仲間である。さておきこれまで氏の華々しい戦歴を目にしてきた者の意見として言うと、氏の癖として、彼がカンパしているインターネットぶつかりおじさんと同様に、勝手に定義した「A」を、他の意味の「A」と気軽につなげて論証をするというものがある。いわゆる「媒概念曖昧の虚偽」と言われたりするやつである。こうした論証上の誤りに無頓着な事も陰謀論にたやすくはまる一因と言えるのかもしれない。
海法紀光や、アレな発言を非難する者がしばしば指摘していることであるが、氏は、理由をあげたり説明したりといったいわゆる論証をする際こういった文章を頻発する傾向がある。特に、自身の立論が苦しくなってくると、文法が崩壊していると感じられる弁明が増えるように見えるのである(quantumspin氏による批判とそれへの応答なども参照せよ)。主語や述語がみつけにくいのもよくあるパターンのひとつである。小説以外の活動に関しては、ずっとそういうやり方で通して来ているのかもしれない。
これは結論に対して必死に理由を拵えているせいというのもあるのかもしれない。そのような、結論にあわせて理屈を拵えることをよしとする姿勢もまた陰謀論への傾倒を片側から支えているようにも思えるのである。
などなどと、かつて新本格のムーブメント到来に歓喜したものとして心苦しい気持ちを抱いていたのであるが、最近大きなヒントを見つけることができた。
https://twitter.com/furukawa1917/status/1708364352540246446
氏にとって人類の進歩は虚構的観念であるらしい。勿論、氏のいう虚構的観念は、非難されればすぐにその中身を適当に入れ換えられるブラックボックスであり、「生活費切り詰めてカンパ」と同じ程度の軽口でしかないのやもしれない。
だが、そういうことかと得心もしたのである。
かつてポストモダン思想が華やかなりしころ、同じ世代にあって「進歩なんて幻想だ」と嘯いた者は多かったのではないだろうか。なにしろ、特に思想や政治について色を出さず、特に「後期クイーン的問題」等の話題に珍説を披露したこともない有栖川有栖氏の作品においても、「ホイッグ史観」「進歩史観」といったかたちで冷めた態度が見られるのである。
311以降かどうかは定かでないが、SNS上では、ミステリ業界の「知の欺瞞」が手ひどく叩かれる時期があった。氏も基礎的な誤解を指摘されてはよくわからない弁明を書き連ね、最終的に相手が呆れて去っていくということがしばしばあった。その後、左翼・リベラルに敵対的な気分をもつひとは自らを「科学的」と自認するようになり、小森もなんとなく菊池誠氏などをRTしたり科学的な雰囲気のある人々の輪に入ることで、これまたなんとなくのうちに過去の知の欺瞞は有耶無耶になった。
しかし上記の発言から察せられるように、頭はポストモダンのままだったのである。この点を傍証する発言はひとつではない。
『紀藤さんは、カルトと宗教の弁別ができる超越的な裁定者であると自認しておられるのでしょうか?』
これは、統一協会が話題になった際、紀藤弁護士の発言に対して、なされた引用RTである。
カルトであるかカルトでないかの区別ができることが『超越的な裁定』だと言うのである。その理由もふるっている。
『カルトと宗教の線引きがわからないのではなく、できないと言っています。』
まさにあの堕落したポストモダン思想にかぶれたあの世代の、あの辟易するような懐疑的態度を思い起こさせるものである!!!認識的な不確実性を理由として判断の正しさを否定する。現実的・実践的な正しさをすっ飛ばして「超越的」なものに基礎づけようとする(そして、その不可能性からお好みの結論を導く)。‥‥ところで、なぜ「分からない」「できない」「不確実だ」という判断だけは正しいと信じられるのか自分にはまったく理解できないのだが‥‥‥笠井潔なら教えてくれるのであろうか‥‥????
結局の話、己の欲する結論のためにいい加減な理由づけを許容する態度、あらゆる価値・論証・実践的合理性等を無効化した気になれる堕落したポストモダン思想、メチャクチャナ言説をまともに文章を読み批判をすることのできない現代ニッポン論壇・批評コミュニティの無力さ、そうしたものが無数に積みあがって悲惨な令和の余.命事件へと通じる道が敷かれたのかもしれないと思うのである。
これ、応用情報技術者試験のR4春の午後の問3前半のコードと似ていて読めないようなコードではない。
https://www.ipa.go.jp/shiken/mondai-kaiotu/gmcbt80000009sgk-att/2022r04h_ap_pm_qs.pdf
応用情報のほうは添え字を一次元に展開しているのをChatGPTは二次元でやってるだけ。
問題後半では探索の効率化をやっていて、人間が解くように候補の数字のリストを作成してそこから処理するんだけど、ChatGPTのコードも少しの変更で速くなることはコード読んで短時間で判断できるから決して保守性の悪いコードではないでしょ。
むしろVBAかじった素人や、派遣の自称エンジニアのコードのほうが一般に酷い。
応用情報の方は誘導がありコメントの通り書くだけのラッキー問題で1問あたり30分で設問3つのうちの2つを占めるから制限時間20分だけど、ChatGPTはこれを一行命令で誘導なしで即答する。
一定水準の網羅性を考慮した動作確認用のいくつかの入力と出力の組を過去の業務データから用意して、テスト実行マクロもChatGPTに書かせてしまえば、変更があったときもコードベースで修正しないでプロンプトから出し直してしまえば中身がブラックボックスでもテストで品質確保するテスト駆動開発ができる。レビューなんかテストパターンの網羅性とテスト結果で十分よね。
業務をよく知っている人が業務内容をプロンプトに落とし込んでテストパターンを適切に準備できればVBAの知識はほとんどいらないし、その知識すらChatGPTのコードと会話から学ぶことができるんよね。
同じ話なんだよな
子どもや犬猫に注意をするときは、必ずその場で注意するでしょ?
しばらく経って怒ったら、子どもや犬猫はなんのことで怒られているか、『???』ってなる
今、目の前で起きている事と過去のことは別のことだから、結びつけてはいけません
咄嗟に言いたいことが出てこないとかじゃないんだわ
どうしてもすぐに言葉が出なければ、それこそ子どもや犬猫を叱るみたいに、『コラ!』でも『ダメ!』いいよ
焦らずゆっくり、伝えたいことが言葉に出来るまで、相手に待ってもらいましょう
もしくは、別途時間を設け、◯◯日の△△頃にこの件で話し合いたいと伝えましょう
伝えたいことは事前にメモなどにまとめておくといいでしょう
元増田(https://anond.hatelabo.jp/20230910214945#)もなんだけど、
嫌なことは嫌って言わないとダメだし、それを聞き入れてくれない人と一緒にいちゃダメなんですわ
「今楽しんでるんだから、こんな時に言わないでくれる?」とはっきり言うべき
↓
↓
それは辛い
なんかうちと似てるな
「落ち着いて話して」「ケンカじゃなくて話し合いがしたい」とか言うと余計に怒る
誰もその話してないのよな。けど、こだわりがあるみたいだから言及すると、
怒りが最高のエンタメ化してる現代らしいので、快楽・報酬と言えばそうかも知れません
少なくとも、目的は達成できてるわけだし、何度も繰り返してるわけだし(通常したくないことならしない)
よくわからないが何がそんなに刺さったん?
水を差すのが快感ではなく、気持ちを察してと不機嫌をばら撒いてるでも、
あんま変わらなくね?
なお、流れ
「今楽しんでるんだから、こんな時に言わないでくれる?」とはっきり言うべき
↓
↓
それは辛い
なんかうちと似てるな
「落ち着いて話して」「ケンカじゃなくて話し合いがしたい」とか言うと余計に怒る
しかし、なんで会話出来ない人といっしょにいるんだろうな?双方さ
やって欲しくないことを伝えて落とし所を探れる、それをお互いに面倒に思ったり・不快に感じない、それを価値観の一致と呼びます
https://anond.hatelabo.jp/20230908054922
入札にしないと日本共産党が騒ぐんだよ
この増田に対して、こんなブコメが付いてる。(9/9PM1:00の上位から順に)
○随契はそんな「どっかの政党がうるさくて」やってない、みたいな制度じゃないよ。どういう場合に随契にできるか、条例で全部決まってるの。
それらブコメはそれぞれそのとおりなのだが、では共産党(に代表される政府自治体に批判的な者)が全く影響を与えていないかというとそれは誤りなので少し解説しておく。
なお、国の制度を例にとるが基本的にはどの自治体でも同様の定めとなっている。
条文はいずれも予算決算及び会計令(昭和22年勅令第165号)から。
定められているのだが抜け道がある。
第九十九条 会計法第二十九条の三第五項の規定により随意契約によることができる場合は、次に掲げる場合とする。
二 予定価格が二百五十万円を超えない工事又は製造をさせるとき。
(略)
そう、随意契約というのはあくまで「できる規定」であり、入札によることをまったく否定していないのである。
実際、国の場合でいうとここで提示されている金額よりももう少し広めに一般競争入札が実施されている(役所にもよるが物品購入の場合だいたい100万円くらいから)。
何故か?簡単だ。共産党(などの左派政党)や市民団体(共産党系のオンブズマンが典型)からの追及が鬱陶しいからだ。
例えば予定価160万円弱の入札があったらどう思われるか。「随契にするために安めに予定価を設定したな」と追及されるのである。
「後ろめたいことがなければ反論したらいい」との意見もあるだろうが、そのためのコストが非常に大きく、かつ反論したとしても一度報じられて広まった場合、それを打ち消すことが困難な以上、役所は安全策を取らざるを得ないということになる。
余談だが公金を扱う仕事の大きな部分は「不正をしていないことの証明」の為に使われている。よく槍玉にあがる科研費をはじめとした大学の先生方の事務手続きもその一部だと思っていい。
入札を実施する際にはまず予定価を定める。予定価とは、この金額を超えて入札に参加してきても落札はできないという基準価格のことだ。
予定価をどう定めるかは役所側ブラックボックスなのだが、基本的には事業者からの相見積もりを参照する。
この見積もりについて、微に入り細に入り明細を求めるのもまた不正していない証明(共産党などからの批判予防)のためだ。
例えば「○○費用一式」ではダメで、「マネージャー1名×日当○円×○日」「調理師○名×時給○円×1日当たり勤務時間○時間」「食材費1食○円×想定食数」(時給は地域の求人を参照して最低額)などを求め余裕のないものになっている。
(余談だが、サービスの購入の複数年度契約の場合は物価条項を付けていることが多い。単年度の場合のリスクは事業者負担となっているんだろう)
(更に余談だが給食事業者の食材費は実費負担としているケースもある。事業者の事務負担が増え、更に利益が削られる場合もあるので嫌がる事業者も多い。)
つまり、儲からないギリギリの金額を予定価とせざるを得ない構造になっていると言っていいだろう。
入札価格が予定価を越えてしまうことを、「不落」とか「不調」と言ったりする。その場合の特例がある。
第九十九条の二 契約担当官等は、競争に付しても入札者がないとき、又は再度の入札をしても落札者がないときは、随意契約によることができる。この場合においては、契約保証金及び履行期限を除くほか、最初競争に付するときに定めた予定価格その他の条件を変更することができない。
つまり、予定価の範囲内で随契していいということだ。実務的には最低入札額を提出してきた事業者と交渉し、予定価ギリギリで受けてもらうことが多い。
共産党などによるこういった役所への追及が激しくなったのが1990年代、バブル崩壊以降だ(それまではそれなりに利益が出ていた。見積もりに利益を上乗せして)。
役所の仕事は必ず現金が手に入るので、儲からなくとも現金が欲しく、また雇っている人を遊ばせたくない事業者は手を挙げてきてくれたわけだ。
それが人手不足となり、また公共事業じゃなくとも儲かるとなれば入札になかなか参加してくれなくなる、これが最近の状況というわけだ。
こういった追及自体に意味がなかったわけではないと思うけどね、監視役自体は必要だし。それが必要以上に厳しかったりと党派性にまみれてたりすることは問題だけど(共産党系の団体は中央の指導が行き届いているので近しい団体は追及しない。それどころか別方向から監視されたら「攻撃された」と言い始める)。
以上みてきたように、随契にし得るものを一般競争入札としていたり一般競争入札の中でも予定価を締め上げて契約額を下げる方向性の仕事を、共産党はしてきたと言える。
もっとストレートにいうと公共調達をゆとりのない、儲からない仕事にしてきたということだ。
正に共産党が望んできた姿であり、実績なのだから胸を張って誇ればいいと思う。
個別の入札で、予定価の○%を下回るような安値の場合、調査した上で契約しないとなっている(「低入」という)。
ただ、個別の事業者について、その経営状況や資金調達計画が入札の要件に入ることはまずないのが現状だ(複数年度にわたる大規模なPFIならあるが)。
これを求めてしまうとあまりにコストがかかるからであり、その代わりに入札参加資格として過去の実績を条件としていることがほとんどとなっている。
被害受けてるかどうかはブラックボックスだけど、恐らくは……。
グルーミングされてるのは確実で、今の問題が大きくなる直前までジャニーとの想い出を楽しそうに話してたよ。
性格から考えて、被害について外で口外することは恐らく今後もないだろうと思う。
いや全然しなくていいけど。いちファンにそんなプライベートなこと知る権利はない。
こんなん思ってしまってここに書くのすらセカンドレイプとも思う。
推しが被害者だろうがジャニーズの社名が変わろうが私には関係ない。
どうしたら。
発端となったBBCのドキュメンタリー、久々にもう一度見返してみた。
数ヶ月前、これが世の中に放送されたときより今明らかに事態が今大きくなってて、その笑う姿はほんとうに異常に映った。
異常だよ。今やっと本当の意味でわかる。
数ヶ月前と、自分の感覚や価値観が激変しているのが理解できた。
数ヶ月前は、私もこの問題をそこまで大ごととして捉えていなかった。
推しは?
どう?
まだグルーミング解けてない?
どうなんだろうな。