はてなキーワード: ドラえもんとは
なんか今日、おすすめのゲームとか漫画教えてもらう増田が多くてずるいずるい!!私もやる!!
どうやら食事シーン萌えらしく、何かを食べている描写がある作品が大好物なんです。
リストアップしてて気づいたんだけど静かに「美味しいねぇ…」って吟味するようなのが好きなのかもしれない。
最近では「八日さんが舐める」という漫画の連載初期がもう上品さと下品さのバランスがハチャメチャに良くて、熱いメールを送りつけたりもしてたんだけどどんどんよだれがグチャグチャ垂れたりヘソの垢を舐めとろうとしたり臭そうな女が出てきたりしてダメになっちゃった。悲しすぎる。
以上!とりあえずなんでも試してみたいので教えてくれ!!
switchに沢山ありそうだなーと思ったんで、ニンテンドーオンライン眺めながら考えた
かわいいのがいいんだろうなって思ってる
どうぶつの森(さすがに知ってるだろうけど、一応。)
風来のシレン5+(ゲーム性があんまりかわいくないけど、敵の見た目とか結構かわいい)
オクトパストラベラー2(かわいくはないけどデフォルメは、まぁ。ストーリーは重いかもしれないが、文学みたいに心情を描きまくったりはしてないのでいけそうな気がする)
ドラクエビルダーズ(ドラクエのモンスターって愛嬌あってかわいいよね)
ドーナツ カウンティ(アクションというかリアルタイム性はあるけど、簡単。)
Untitled Goose Game 〜いたずらガチョウがやって来た!〜(ガチョウになりきるゲーム。ちょっとアクションだけど、パズルげーです)
なんかドラえもんみたいんだな
反感を中心に考えるとわかりやすいと思う。
古塔つみ……… 第三者にズルいと思われて反感を買っていたのでアウト。
古塔つみのwikipediaみたけど、あれって結局誰にも訴えられてない?
じゃあ著作権侵害自体成立したかも分からないのに、ブラックとされたってことか。
なら訴えるまでグレーって何なんだ。
モラル上の罪というか権利侵害は似てたらアウト、でも前の増田のドラえもん最終回事件とかは私刑はなかったんだろ? なら面白ければグレー? 古塔つみのアートを面白いと思ってたファンはどーなる。
私にとってはタイムリーな話でした。
中学生の娘がマンガを描きはじめたみたいなんだけれど、何を描いてるか一向に教えてくれなくて。
それで、掃除してるときに、たまたま見つけてしまい、それが市販のマンガのキャラでした。
これ二次創作… ってやつだよね…
親として止めるべきなのか悩んでるときに、こちらの増田とブックマークコメントが来たのです。
でも全然納得できません。
コメントの多くが、話題の詭弁術「論点先取り」「藁人形論法」などを使っており読むに耐えないのだけど、参考になりそうな意見でも、今ひとつ飲み込めない。たとえば挙げられた参考先。
著作権…という私権であって、その侵害について刑事責任を追及するかどうかは被害者である権利者の判断に委ねることが適当であり、被害者が不問に付することを希望しているときまで国家が主体的に処罰を行うことが不適切であるためである。
https://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/bunka/gijiroku/013/07042304/004.htm
刑事責任を追及するかどうか? 被害者が不問に付するのを希望してる?
責めるかどうかが自由なだけで。責めなかったときは権利侵害はない、なんて言ってない。
有資格者の人の意見以外信じるなってコメントも人気だったけど、まず増田さんがリンクしてる弁護士さんの解説記事が有資格者ですよね? でも別の見解を持つ有資格者の解説はどこにも提示されてない。
そんなに悪質な行為なら、プロ漫画家が二次創作をしたら出版社は連載を打ち切ったりするだろうね。でもそうなってならないのは何でだろうね
なんでなんですか?
何というか…… みんな自転車のヘルメットをしてないから、しなくていいって言ってるように見えます。
ハイキュー‼︎ の同人誌が著作権侵害じゃないと判断された例も紹介されてたけど、でも調べるとドラえもん最終回事件やポケモン同人誌事件などが出てきて、むしろ無許可二次創作が合法だったケースがレアに思えています。
増田さんが挙げられた会社のガイドラインは明確に禁止しているように、私には読めます。
キャラクターを使用した自作のパロディが同人作品じゃなかったら一体何を禁止してるんですか?
日本の社会人の平均学習時間は1日6分、そのうちの95%の人の学習時間は0分。
これが日本社会の現実である。つまり何もスキルを身に着けようともせず、自分が学校を卒業したころ、自分が最初に就職したころと似通ったスキルで世の中を渡りきろうとしている人々がいる。あなたはどれほど学習しているか。
ほとんどの人は『努力』と『苦行』とを同一視している。これは教育の失敗によるのであろう。努力は苦しみを伴うことも多いが、苦しめばすなわち努力となるのではない。耐え忍べばいつかは救済が来るわけではない。苦行は意味がない。苦行ばかりしている人が多い。『わたしたちはいっぱい苦行をしている』と言い張っている。それは正しい。しかし努力をしなければならない。自分の意を通すために必要なことをすべてやる能力を努力という。
他責ばかりする者が多く見られる。『他責にするな』というのではない。どうして自分の人生のすべての責任を、完全に他人のせいにしてそれを受け入れていられるのか。人生の主導権を手放して、それで満足か。痛めつけられてきて、自らの未熟さを世間から突きつけられ続けたからかもしれない。蔑まれ、馬鹿にされ、からかわれ、侮辱される。どうせやっても無駄だと感じているか。無論、社会というものがクズに見えるのは仕方がない。クズな人間は目につきやすい。ノイジーマイノリティである。悪事千里を走るとも言う。ふざけたどうしようもない人物も実際に多くいる。そういうふうに社会を見れば、社会は「クズ」の総体でできたもののように見えるのも無理はない。「ああ、社会というものはどうしようもないんだね」と思うのだろう。違う。
いつまでも自分がモラトリアム期間の中にいて、いつまでも人生が猶予されているように振る舞っている輩が目につく。年齢を重ねれば自然と大人になるわけではない。大人になろうとしなければ大人になることはできない。知識を重ねさえすれば大人になるわけではない。それはアダルトチルドレンという。どれだけの人々が、愚痴も言わず、他人の人生を助け、人々を愛しているかをしっかり見ようとしない。気付いてしまえば、己こそが真のクズだとわかってしまうからだろう。社会とは、自分の身の回りだけではない。自分の身の回りは世界ではない。世界のごく一部である。
どれほど自分が未熟で、愚かで、他罰的で、人に迷惑をかけ続け、どうしようもない、本気を出せない、信頼を容易く裏切る、クソガキ的存在なのか、そういうことに思い至りたくないのだ。このように言うと、実際反発する人が多いものだ。自分がいかに素晴らしく、いかに努力をしており、それに比べて他人はどうしようもなくダメで、他人は楽々生きているように見えて、恵まれているくせに、厚かましい無神経なやつばかりなのだと思っている。
「ああ、これは自分のことを言っているのだ」と振り返ることができない。どこかずっと他人事である。そういうことは、自分ではない他人がやるべきなのだと思っている。しかし他人も人生は1つしかない。どうしてあなたのために、他人は他人の人生を犠牲にしなければならないのか。他人にどうにかしてくれという発言は、ドラえもんを求めるのび太の声である。誰かスーパーヒーローがやってきて、自分を救ってくれはしないかと思っている。自分がドラえもんになろうとはしない。
ヒーローはいる。ヒーローは、人知れず人を助けている。感謝など誰からもされない。それこそが大人である。少し探せばいくらでも見つかるものだ。探そうともせず、目が曇っているから見つけられないのだ。自分はやっている、十分やっていると思っている。いいや、全然、やっていないのだ。耐えるだけなのは、怠けているのだ。耐えるだけなら楽だろう。耐えている自分は善で、耐えさせる他人が悪なのだ。そして、素晴らしい人々は、自分とは違う世界の住人だと思っているか。そうではない。身の回りの調度品を注意深く見よ。それはどう作られているか。あなたに作れるか。何故それがそこに存在できるのか、安全に暮らしていけるのか、思いを馳せない。それが当然のことだと思っているからだ。当然ではない。先人たちの血と努力の奇跡的結晶を「それが自然の摂理だ」と、誤って学習してしまったのだ。
努力や忍耐など他国の人々もやっている。とてつもなく多くやっている。他国の人は決して無知の民ではない。同じ人間であり、ホモ=サピエンス(知恵のある人)である。野蛮人だと思っていたか。自分だけだと思っていたか。それだから追い抜かれたのだ。時代のせいにするな。甘えるな。依存するな。もうとっくに、昭和ではないのだ。今の社会人は全員が不景気しか経験していない。得など誰もしていない。「他国のもっと苦しんでいる人だって頑張っているのに」という言葉を軽く見ている。心が鎖国しているのだ。目を向けなければいけない。自分が、自分が虐げられていることだけが重要だと感じているのだろう。あくまで自己が優先。他人など蹴落としてしまえ、他人を虐げてしまってもよいという精神が、他人を容易く批判させる。
大人とは、「あなたは悪くない、あなたは少しも悪くない、悪いのはあなたではないよ、あなたは頑張っているよ、あなたは虐げられているよ、あなたは大変だったね」という悪魔を求めるべきときではない。そんなことは、ほとんどの場合、言われないものだ。当然の如くやるものだとみなされている。褒められもしない。愛されもしない。やるのが常識だと思われる。報われることもない。それでも頑張れるのは、わかってくれる人がいるからだ。自分のことだ。自分が、どれほど懸命にやっているかわかっていれば、それで良いのだ。
社会には大人が少ない。いないわけではないが、割合少ない。見えにくいというのもある。だから大人を求めている。全く割に合わず、非合理であっても、それをやろうとする人間を求めている。自分の任務をわきまえて、それを果たせる大人を求めている。年齢的な意味での大人は、見限られていることも少なくない。どうせ言っても無駄なのだ。固定観念に縛られて、他者に損害を与え自己利益だけを徹底的に追求する邪悪だと思われている。そのわりに、自分は正義だと思っている。だから子どもに教えているのだ。大人は、子どもに救いを求めている。「未来の大人たちよ、私達を助けたまえ」と言っている。
俺たちは、もはや助けられる方ではない。助ける方なのだ。誰か助けてくれると思っても仕方がない。なぜなら助けてくれる人が全くいないのだ。日本は王国でも帝国でもない。早々に自分の人生は解決して、他人を助ける側に回らなければならないのだ。進まなければならないし、進もうとしているのだ。耐える必要はない。ただ努力せよ。
もしもそれができないなら、指をくわえてみていれば良い。救ってやろう。守ってやろう。俺たちは大人だから、そうしたいのだ。
俺は、この文章の意味が、ただ1人にだけ伝わればそれでいい。俺はただ、社会がクズなものだと思いたくないのだ。世界は素晴らしいのだ。
こんな唄だったかい?
↓
ハァーァーァァァッ
(指を鳴らすSE)
ぼっくぅの、ドラえもんーがっ、
まっちーをーあるーけばっ、
みーんーな、みんなーがー、
ひっくりかーえーるーうよっ!
ハァドーラドラッ,ハァードーラドラッ
かっぜきーるおっつむーわ、
つんつーるてんだーよっ、
どったどったあーんよわっ、
へーんぺいそくっ、だよぉー
ハァーヤッソーラ,ドッコイショーノショッ
だっけーどー、ドラえもんっ、
いーいおっとーこー
こーまったーときーのドラだーのみっ、
たーのんーだよっ、あ、まっかせーたよっ
ハァーヤッショーラマッカショ,
ほいきーたさっさーの、
ドーラえーもーんー♪
ドラえもん (1973年のテレビアニメ) - Wikipedia
Wikipediaじっくり読んじゃったよ。
例の「こんなこといいな」じゃなくて、「ほいきたさっさのドラえ〜も〜ん」ていう主題歌のヤツだよね。
マリオの映画を(どう見ても誉め言葉として)「何の思想もない」と表現した人がめちゃくちゃ叩かれているけれど
昔からオタクの間には、何の思想もない、頭を使わずに楽しめる作品こそが最も高等で王道であり、偉い、という価値観ってあったと思うけどね
少なくともドラゴンボールが出てきた辺りからだから、もう30年以上にはなるか。
それよりもっと前になるとちょっと分からないけれど、少なくとも1990年代頃からはオタクの間では
どうでもいいような心理面を掘り下げた少女漫画はくだらなくてレベルが低い、
恋愛や心理描写なんて適当でとにかくハイレベルなデッサンと空間認識能力を使って駆け引きのある能力バトルをやっているのが一番偉い、って価値観が支配的だったでしょ
エヴァやまどかマギカの時に流行った「考察」はあくまでも推理小説的というか、サザエさんやドラえもんの謎本ブームの延長線上にあるというか
・どっちも、自分が正しいと思ってるよ。 戦争なんてそんなもんだよ。
・くだらないこと気にするんじゃないよ。 男は顔じゃないぞ! 中身だぞ!!
・人にできて、きみだけにできないなんてことあるもんか
・そうともかぎらない。 未来なんてちょっとしたはずみでどんどん変わるから。
・なにかしようと思ったら、そのことだけに夢中にならなくちゃだめだ。ほかのことに気をとられちゃいけないんだ。
・なやんでるひまに、ひとつでもやりなよ。
・見たろ、ドラえもん。かったんだよ。ぼくひとりで。もう安心して帰れるだろ、ドラえもん。
・人間の値うちは、テストの点数だけできまるものじゃないのよ。
(なし)
・ほしいものはどんな手を使っても手に入れるのがおれさまだ
・正しいのは、いつもおれだ。
・友だちにたすけをもとめられて、知らん顔していられるか!(映画アニマル惑星より)
【総評】
コロナで加速した感はあるけど、もともとの傾向だったんだろうなと、いうのはあるとおもう。
小さな住宅街とか昔は少なくとも駅前には本屋やCDショップとか生活必需品以外の遊びと言って良いのかだけどそういう店が少しはあったもんだけど今はもう本屋すら絶滅、CDやゲームのショップなんかそんなのあったっけみたいな感じになってて結構寒々とした感じに。
住宅街なんで古くからの店がやめたあとになんかはいるかというと、飲食は禁止みたいなのが多くて、じゃあなにが入るかというと訪問介護。あとは保育か。
小さい本屋が無くなるのはしょうがないし、たぶんCDやゲームのショップは地球上からほぼ消えちゃうんだろうけど、そういう遊びの店がきっぱり消えてしまうとなんかさすがに切ないね。八百屋とか肉屋とかもだいたい大手のスーパーに駆逐されちゃったし昔は結構そこらへんにいろんな商売の人がいたような気がしていたけど、今はもうほとんど全部サラリーマンって感じ。今の子供とか昔の漫画たとえばドラえもんとかみてもああいう感じの風景理解出来るのかなあ。