はてなキーワード: チューバとは
アウフヘーベン/インスタ映え/うつヌケ/うんこ漢字ドリル/炎上○○/AIスピーカー/9.98(10秒の壁)/共謀罪/GINZA SIX/空前絶後の/けものフレンズ/スプラトゥーン/35億/Jアラート/人生100年時代/睡眠負荷/線状降水帯/忖度(そんたく)/ちーがーうーだーろー!/刀剣乱舞/働き方改革/ハンドスピナー/ひふみん/フェイクニュース/藤井フィーバー/プレミアムフライデー/伊藤直也/ポスト真実/魔の2回生/○○ファースト/ユーチューバ-/ワンオペ育児
AIスピーカー⇒凄いうっすらと知ってる。スピーカーがAIなんでしょ
9.98(10秒の壁)⇒日本人選手誰かが始めて10秒切ったんだよね
GINZA SIX⇒全くの謎。初めて見た。
空前絶後の⇒……わ、わかりません
35億⇒ブルゾン
Jアラート⇒怖すぎ。なんだっけ。アホカブトガニサウンド?みたいで怖い。
睡眠負荷⇒これも初めて知った!
線状降水帯⇒これも初めて知った!
働き方改革⇒こんなのあったっけ?
プレミアムフライデー⇒国民全員が見せられた幻
魔の2回生⇒これまた初めて見た
ユーチューバ-⇒今年なんだ
ワンオペ育児⇒家庭を持って子供を作ることに対して年々良いイメージを持てなくなるね
必修であるクラブ活動に参加するにあたり、入部希望届を提出するようお達しがあった。
その用紙には、第三希望まで書くための欄が設けられていた。
私の第一希望はバスケットボール部。第二、第三希望に何を書いたか覚えてはいないが、吹奏楽部ではなかったことは確かだ。
他の吹奏楽部入部者である友人らに話を聞くと、第一希望はバスケ部だったという。
第二、第三希望まで書かせておいて、それすら加味してくれず、興味もくそもない吹奏楽部に入れられたことが納得いかなかった。全くもって面白くなかった。
おかげで私は真面目に練習に取り組まず、譜面通りに演奏することができなかった。顧問が特別に赤線を入れ、簡易バージョンに直してくれた譜面をひとり、県大会で吹いた。
楽器がマイナーだったのも面白くなかったんだよな。トランペットに希望出したら、ユーフォニウムになったんだよ。吹奏楽に興味ない小学生はユーフォニウムしらんかったよ。チューバほど目立たず、トロンボーンほど華やかではなく、なんか地味。だから、十数年を経て響け!ユーフォニアムを見たときはすごくうれしくなったのを覚えている。ありがとう京アニ。題名のない音楽会で五嶋龍が、ユーフォニアムって楽器を今まで知らなかったみたいなことを言ったとき、くっそ!ほらな!って思ったさ。
さぼりはしないけれど練習に打ち込まない私の意識が変わったのは、東北大会に出場したのがきっかけだ。
県大会で一番の成績を収め、隣県で行われる東北大会に泊まりがけで参加。
林間学校にも修学旅行に行ったこともない小学四年生には、年上のお兄さんお姉さん、同級生たちとの旅行はとてつもなく楽しかった。
そこからは、結果出してまた泊まりがけで大会に出たい!と練習に打ち込み始めた。譜面から赤線はなくなった。
五年生でも六年生になっても、東北大会に進んだ。
私が小学四年生だった年、新しく赴任してきた先生が吹奏楽部の顧問に就任していた。
前の学校でも吹奏楽部を指導していて、次に赴任した小学校でも吹奏楽部を指導して、そして今でもどこかの小学校で吹奏楽部の顧問をしている。その先生が来れば、その学校の吹奏楽部は県で一番になれる。当時は知る由もなかったけれど、そういう顧問だったらしい。
だから私は、私の友人たちは、入部希望届に吹奏楽部と書いてもいないのに、吹奏楽部に入れられたんだと最近思い立った。
みんなスポーツが得意で、今で言うスクールカーストの上位の方で、タフだった。私以外。私以外に譜面に赤線を入れられていた友人はいない。
強い顧問が来るのなら、それに見合った児童が必要だったんだろう。希望届が関係なくなるくらいに。
といっても「響け!ユーフォニアム」で再確認したという話ではない。
いや、確かに上述のアニメでユーフォに興味を持ったのだが、本当にこの楽器の魅力を知ったのはオケでの起用だったりする。
「この楽器の最高の音はこれ!」
という、ある種の予定調和ありきの起用という点にある。
なので、オケでの使われ方だけを見て、その楽器の全てを知った気になるのは早計である。
しかし、オケでの使われ方を把握することで、「楽器の一番美味しい所」を再認識するにはもってこいなのである。
さて、今回聴いたのはユーフォ登場曲ではド定番と言われる、ホルスト作曲の組曲「惑星」から「火星」である。
組曲中、最も有名な「木星」に次ぐ知名度を持つ、「心太が食べたい」のリズムがキャッチーな曲だ。
例の有名なソロは、確かにユーフォの持つ暖かでまろやかな音色を良く活かしている。
これこそ、他の楽器では代わりがいない音だ。
そして曲が進むとトランペットと掛け合いを演じるのだが、向こうがフォルテシモのペット2本で来るのに対し、こちらはフォルテかつユーフォ1本で受ける。
これは鋭いけど細身の音のペットに対し、柔らかく太い音のユーフォでバランスを取った結果だろう。
これまたユーフォの音の特徴を良く勘案したオーケストレーションだと思う。
(動画→https://www.youtube.com/watch?v=L0bcRCCg01I 奏者の自撮りによるダイジェスト→https://www.youtube.com/watch?v=RERBcMwHi34)
「今後更にこの楽器の魅力をオケで光らせるのは、正直相当厳しいかも」
と。
なぜなら、ユーフォの担当する中低音域は、絵に描いたようなレッドオーシャンだからである。
さっきオケの楽器の使われ方は予定調和と書いたが、言い換えるならオケの歴史というのは、作曲者が新しいサウンドを求めて新たな楽器を試し、執拗に篩いにかけてきた歴史でもある。
即ち現在頻繁にオケで見かける楽器は、そうした淘汰をくぐり抜けてきた、いわば選りすぐりなのだ。
そしてユーフォの音域を既に担っている楽器には、金管だけでもホルン、トロンボーンという強力なライバルがいる。
ホルンはオケ草創期からのレギュラーメンバーだし、トロンボーンはレギュラーこそ逃したものの、ベートーヴェンの時代から頻繁に起用されてきた、いわば準レギュラーである。
更に金管以外でもチェロ、ファゴット、バスクラリネットといった楽器が控えている。どれもこれも、数多の名曲で不動の実績を築いてきたメンツだ。
そんな彼らに割って入ってポジションを獲得できる個性がユーフォにあるか…という話である。
同様の話は、サックスにも当てはまる(こちらはオーボエ、コーラングレ、クラリネット、ホルン、トロンボーン、ヴィオラ、チェロ等とカブる)。
一方、ユーフォやサックスと同年代に発明されたチューバは、登場するやいなやオケに起用され始め、今では準レギュラーの地位を勝ち取っている。
「登場した年代が新しい楽器」どうしでハッキリ明暗が分かれた形だが、これはチューバが担う、オケの最低音域にはコントラバスとコントラファゴットしか存在せず、ブルーオーシャン戦略で行けたということだ。
やはりユーフォの活躍する舞台は軍楽隊と英国式金管バンド辺りという結論になるのだろうか。
自分がユーフォという楽器を初めて耳にしたのはEテレの小学生向け音楽番組で、でもオケにいないし「なぜそんな楽器が?」と思ったものだが、あれも金管バンド~吹奏楽の流れがあるからだろう。
作曲者の創意工夫に期待したい。
Youtuberのなれの果て
狂っているのは世界の方だ。
せっかく生まれたのに、俺の居場所を用意してくれてなかったんだからな。
一生女と触れ合う機会はないと思ってた。
俺のやりたいことをやるだけで称賛され金にもなる
これほど素晴らしい世界がほかにあるか? いや、ない。
ファーwwww バカじぇねえのwww
「リアルアカウント」がニコニコ動画のニコ生主揶揄した作品であるなら
こちらは「Youtuber」が過激化したまま世間に受け入れられたら、という世界。
リアリティが全くない。
とにかく何でもあり、過激であればあるほど良い。
その結果人が死んでも問題ないというか、むしろ人がむごたらしく死ぬくらいでないと
生き残るためにエログロに走るって、そんなん効率を求めたり強制されたところでおもしろくないやろと。
そういうのは一時的に衝撃的にはなるかもしれないけどすぐ飽きる。
もしそうでないならこの漫画だってエログロ画像を出し続けていればそれだけで人気になるはずだがそうはならない。
この2作品におけるリアリティの欠如は、どちらかというとマンガで描かれる登場人物ではなく、姿が見えない視聴者たちの取り扱いについてではないか
「私はブログを愛していました。毎日真剣にコミュニケーションしていたつもりです。周りにはいつもブロガーがいました。トラックバックとソーシャルブックマークで繋がっていたんです。オタクもサブカルも主義者もいたし、道化、変態もいました。ユーチューバ―のおままごとと違って、正真正銘の道化や変態です。
仕事が終わると、いつもラップトップに張り付いてアンテナをチェックしました。寸暇を惜しまずブログを読み、ブログを書きました。私にとってブログとは、自由になるための手段でした。彼らもそう思っていたでしょう。しがらみに揉まれず、率直な意見をぶつけあう空間。誹謗中傷と批判の区別のつかない人間もいましたが、自由のうちにそういうノイズが混じるのは仕方のないことです。それでもノイズを我慢してブログを続けられたのは率直に意見交換ができたからです。
ときには自分自身への囚われからも自由になれました。私は一人ではなかったからです。信頼できるブロガーからの批判になら、私は耳を傾けることができました。他者の批判は、自分自身の防衛機制を照らす小さな灯です。あまり利口ではない私と彼らでも、知恵を出し合い、意見を出し合い、一人ではたどり着けない何かをアウフヘーベンできました。私にとって、web2.0とはそういう経験だったのです。
ときに讃えあい、ときに批判しあい、ときに潰しあい、そうやってブログを楽しんでいました。土日祝日もブログを欠かしませんでした。アカウント生命を賭けた戦も何度もやりましたし、痴情のもつれがブログをクラッシュさせるところも何度も見ました。人間の最も汚い部分から最も尊い部分まで、すべてがそこにあったのです。
あなた達にはご理解いただきにくいところかもしれませんが、ほんらいブログとは自由なのです。ガンジス川のほとりのように。そして私も!彼らも!ブロガー!!だったのです!」
Yes!
Yes!
Yes!
『賛成多数、汝を戦闘ブロガーと認定する。“獰猛危険”の烙印を施した後、はてなシティ引き回しのうえ、“ゲットー”での謹慎蟄居を命ずる。今後は市民に対するいかなるコミュニケーションも許可しない。良いな?id:○○○○』
「なぜですか!私はコミュニケーションがしたいだけなのです!自由なブロガーの!ブロガーの自由をお認めくださいませ!」
『ならぬ。汝ら戦闘ブロガーは、今という時には不要な存在なのだ。命(アカウント)があるだけでもありがたいと思え』
「どうして手斧を投げてはならぬのですか!どうして討論してはならぬのですか!」
『討論など今のブロゴスフィアには要らぬ。
やれ!』
「や、やめ、ギョワーーーー」
焼きゴテが押し当てられ、男の額には“獰猛危険!”という烙印。
倒れ込み、牢に投げ込まれる男。
『市民諸君!また一人の戦闘ブロガーを適正に処分した!シティの平和は守られ、ますます繁栄するであろう!』
※この台本はフィクションです。登場する団体・人物などの名称はすべて架空のものです。
オーディションに落ちた部員たちに対し、滝は「悔しさは宝物であり、これを糧に努力すれば今より格段に上達するので、がんばってほしい」と叱咤激励。
落ちたメンバーたちは、2年部員の名前の一部をとってチームもなかと自称することにする。
葉月はしゅーいちとぎこちない会話をし、大丈夫だから、と強がって見せるが、全然吹っ切れていなかった。
こんなことなら告白なんてするんじゃなかったとみどりに愚痴るが、みどりはそんなことはない!と励ます。
本番が近づき、お守りを作ることに。
葉月はこっそりしゅーいちのぶんを作る。
ポニテ先輩はそれをたまたま見ており、二人きりのかえり道で葉月を抱きしめて「後悔しないように」と元気づける。
当日、太鼓のバチの忘れ物を届けるために葉月は走り、間に合う。
本番直前、舞台袖で、しゅーいちと久美子が拳をコツンとぶつけて無言でエールを交わしているのを見て、葉月は、寂しそうに、でもどこか安心したようなすっきりしたような顔で、みどりにエールを送る。
個人的によかったのはチューバを背負おうとしたときにガニ股になってた葉月が、しゅーいちに見られてるのに気づいてそっと内股にもどした絵芝居!
エロさや下品さや変なカメラワークもなくあくまで自然に見せられてすげえって思った。
走る芝居、走ってる途中でつんのめるような絵芝居もほんといいわ。
ポニテ先輩も相変わらず可愛すぎ。
かえり道で胸元パタパタしてるのがよかった。
オリジナル回だったけど、原作を完全に理解した上で昇華しきった感がある。
原作全部読んだけど、正直原作をそのままアニメ化しただけじゃここまで面白くはならないレベルの内容だった。
やっと晴れた休日のこと、爽やかな秋風の中でやわらかな日差しに包まれながらベンチに横たわっていた時のことだ。
さほど人通りもない中、近くで人の気配がしたからふと目を開けてみたんだ。
すると、少し離れたところで浅黒い色の中東系の外国人と思わしき青年がストレッチをしていた。
この辺りで外国人を見かけるのも珍しいなと思ってまた目を閉じた次の瞬間。
突然空気を切り裂くように「パォーン!」って音が響いたんだ。
「パォーン!」というのは象が鳴くような音ではなくて、トランペットを目一杯強く吹いたような濁りのない音だ。
目を開けてみてもそこには先程の青年だけ。当然トランペットやチューバなどの管楽器は持っていない。
何事かと当りを見回していた次の瞬間、青年が少し腰を落とすようにして軽くふんっ!と力んだかと思うともう一度「パォーン!」という大音量が響いたんだ。
信じられるか?今の音、屁だぜ?
こんな話他に誰にできる?
知ってた?洗練された屁って「ぶ!」じゃなくて「パォーン!」なんだぜ。とか無理。
それくらい本当にすごかった。人間ってこれほどまでにすごい出来事に出会うと素直に感動するんだ。
今でもしっかり耳にこびりついて離れない「パォーン!」。誰か助けて。
元増田です。
課題曲程度だと、教育的配慮が優先されるから減らすべきところも減らさずユニゾンつけまくったり、
ただでさえ分厚すぎる中音域と薄すぎる低音域のバランスが滅茶苦茶で聞くに堪えない。
オケだと中音域の厚みを担うのはホルンとヴィオラくらいしかいないので、プロはともかくアマチュアの手にかかると往々にして「ダシの効いていない」演奏になりがちだから、中音域が充実している吹奏楽は恵まれていると思っていた。
でも実際聴き込んでみると「過ぎたるは~」な気がしてきた。なんというか、中音が厚過ぎると着膨れしたような、輪郭のぼやけた、大味でいささかクドいサウンドになる感じだろうか。
吹奏楽の低音はユーフォ・チューバ・コンバス・トロンボーン・ファゴット・バスクラ・バリサクと一見充実しているように見えるけど、フルート・オーボエを除く残りの楽器がほぼ全て中音だと考えたらやはり足りないってことか。
でもクラと立ち位置を交換するとなると、音域の問題から2声あるアルトのうちの1つをソプラノに変えるってことだよね?
サクソフォンオーケストラを見る限り、ソプラノはピーピー・キーキーにならない「旨味のある」音を出すのが難しそうで、結構ハードル高いんじゃないだろうか。
今どきモツだベトだ言って聞いてくれる人もお年寄りが増えた。
個人的にも、現代音楽の聴きやすいモノのほうが若い感性には応えられると思う。
その間口を全部吹奏楽が持ってっちゃってるってのはそのとおりかな。
クラシックは一生かかっても演奏しきれないくらい沢山の名曲があって、一度好きになれば死ぬまで病みつきになれるのが魅力だと思う。
反面、その全てが職業演奏家によるパフォーマンスを前提にしていて、尚且つオケに慣れ親しんでいる人達がそういう曲だけで満足しちゃっているのが問題なんだよ。
それがオケの敷居を高くし、特に若い人の間口を大いに狭めているという意味で。同じことはカルテットのような弦楽合奏にも言える。
とはいえ、アマチュア演奏家や若い音楽ファンでも気軽に楽しめる新曲なんて、なまじ過去の名曲があるせいで単純に見劣りするだけというのはある。
でも大河ドラマのOPとか、ああいうののもう少し簡単な曲なら結構いい線行きそうな気はするけど。
まあ長い年月の淘汰を生き残って愛聴されてきたというのが名曲の名曲たる所以であり、そういう逸品がゴロゴロしているのは、他のジャンルから見たら羨ましいのかも知れないが、現実はそんな喜ばしいことばかりじゃないというか。
音楽における自分のホームグラウンドはと質問されたら、自分の場合はクラシック、それもオーケストラだと即答する。
そんなクラオタ兼アニオタの自分は、当然のごとく「響け!ユーフォニアム」にハマり、作品にこもった熱気に当てられてしまった。
とにかくモブを含めた登場人物全員を愛おしく感じたとか、長年アニメを見てきて初めての経験だと思う。
また、オケで目にする管打楽器の人たちはこんな青春時代を送ってきたのかーとか、高校で体育会系な部活だった過去の自分にもあるあるだなーとか、感慨もひとしおである。
そしてアニメをとっかかりに、海兵隊とか錨を上げてとか、アルヴァマー序曲とかカタロニアの栄光とか、吹奏楽で名曲とされている作品もいくつか聴いてみて、オケとの様々な違いを興味深く感じ取った。
以下備忘録ではないが、ニワカなりに感じた差異を書いていこうと思う。
ツッコミ大歓迎。
オケの場合は、こう言っては何だが、弦・管・打の間で殆ど序列と言っていい原則がある。
即ち弦で言いたいことの多くを言い切り、管はそれを補う彩り、打楽器に至ってはスパイスみたいな位置づけである。別の言い方をすれば、オケは弦楽合奏に管打楽器を後付したと考えると分かりやすい。
勿論これは作曲家の個性にも依存していて、ベートーヴェンやブラームスなどで顕著な一方、ラヴェルやリムスキー・コルサコフなどではより管打楽器の色彩感を強調しているが、それでもこの原則はかなりしっかり守られている。
結果、分かりやすい見方でいうと、各楽器の音符の数に大きな差が出てくる。それどころか、楽器によっては出番がないなんてことも起きる。
例えばオケの第一ヴァイオリンの何が一番って、間違いなく音符の数である(第二ヴァイオリンが二番)。
しかもこの中で定席はトランペットとティンパニのみ、他の楽器は終楽章まで出番がないだの、一発だけだの、そもそも曲の編成に含まれないなどザラである。
少なくとも音符の数に極端な差はなさそうに見える。
というか、トランペットやトロンボーンがこんなに色んなところで吹いているなんて驚きである。チューバはまんまオケのコントラバス的な存在だし。
もっと驚いたのは、どんなに静かな場面でも、大抵何らかの打楽器が鳴っていることで、オケではまず考えられない。
その代わりと言っちゃアレだが、ダブルリードとホルンとコントラバスの存在感は正直微妙。てかオケの方が難易度高い代わりに美味しさも桁違いだと思う。
楽器間の音符の数は比較的公平とはいえ、吹奏楽の中核セクションはクラとサックスな気がする。
声部でいうとクラ3バスクラ1、アルト2テナー1バリトン1が曲を引っ張っている感じか?
ちなみにオケでは登場年代が新し過ぎたり、弦と決定的に合わない(弦の響きを消してしまう)などの理由から完全にゲスト扱いのサックス勢だけど、吹奏楽では不可欠な楽器じゃないだろうか。
吹奏楽のサウンドに艶とか柔らかさといった要素を付加しているのは、間違いなくサックスだと思う。
オケの管楽器は原則1人1パートでアシはオプション扱い、本来は入れずに済ませるべきという雰囲気がある。
吹奏楽はそこら辺、少な過ぎは困るけど多い分には別に・・・という感じに見える。
これは編成の制約が少ないことを意味するので、ちょっと羨ましい。
弦のピチカートの上に消える寸前の虚ろなクラリネットソロがあると思えば、大人数の弦を含むオケ全員で奏でる音の爆発まで、凄まじい落差がある。
ピュアオーディオのリファレンスに使われるのも道理で、オケのフォルティシモとピアニシモが両方遺憾なく再生できれば、多分不可能はない。
一方の吹奏楽は、とにかく取っ付き易さと親しみ易さが印象に残る。
オケ曲のような難解さはあまりなく、気軽に楽しめる感じである。
それだけ取っても、市民バンドと言ったら吹奏楽に軍配が上がる気がする。
色々書いてきたけど、自分が吹奏楽に転向するかというと、多分ノーである。
アマオケで弦をやって10年以上経つけど、未だに管の人達の曲の嗜好がよく分からなかったりする。
とにかく管の人達って、ロマン派後期から近現代の音楽をやりたがる感じなのだ。
近現代くらいからしか定席のないトロンボーンやチューバがこの傾向なのはまだ分かる。
ティンパニ以外の打楽器も、やはり近現代から積極活用され始めたので、これまたそっちをやりたいだろうと思う。
しかし木管やトランペット・ホルンまで含めて、総じて上に書いたような、言い換えれば「割と大編成志向」なのはどういうことだろう。
スコア眺めてる限り、モーツァルトやベートーヴェンやブラームスの管楽器パートだって十二分に面白そうなのになあ。
木管ホルンの深みのある印象的なアンサンブル、トランペットとティンパニのカッコいいアクセント、どれも弦じゃ絶対経験できないし。
ちなみに弦の意見として言わせてもらうと「オケは弦の豊かな響きが基盤」という意識が非常に強いです。
またヴァイオリンやチェロのメソッドは古典的な造りの曲や、バロックを基本としていたり。
なのでそれに沿ったオーケストレーションをする古典派~ロマン派前期くらいが、どうしても好みになるわけで。
一方、楽器の限界に挑戦するような、弾いててやたらくたびれる書き方をしているロマン派後期以降はちょっと・・・という感じ。
管打楽器の数も多いので、それに負けないよう人をかき集めようにも、曲によっては技術的に難しすぎて、ゲネ本しか来ないようなエキストラにはまず期待できないなんて事情も。